この日、玲羅は生まれた。どこで生まれ、どのような経緯であったのか知らない。産みの母と育ての母が違っており、それぞれの母には玲羅のほかに2人と4人の異母弟妹がいた。無口な表具職人の父は、玲羅が生まれるとまもなく母と離婚した後、別の女性と結婚し一男一女を得た。玲羅を産んだ母は小さい人だったが、再婚した相手は初婚で、180センチを越える大きな人だった。その義父は玲羅の母との間に二男二女を得た。玲羅が一番年長であったので、どの弟妹とも片親が違っている。
 彼女は戦前戦中を大連で過ごした。産みの母と再婚した義父が満鉄に勤めたのだった。終戦時の混乱する大陸の地からどうにか逃げ延び、本土に命からがら帰ってきた。侵攻してきたロシア兵の狼藉から身を守るために頭を丸刈りにし、男服を着て恐怖に怯えていたという。彼女が高等女学校17歳の夏から冬にかけての話だ。ロシア兵は見境いなく若い日本の女を陵辱したのだと玲羅は後に語った。木戸に外から銃剣を突き刺し、鍵を開けようと戸口に立った者を突き刺したという。戦後、玲羅の母と義父は故郷の島で地方紙の販売店を経営した。
 玲羅はその短いと言えるだろう45年の生涯の間、決してロシア人を許すことはなく、戦後ロシアと交易のあった港町に住むことになり、街を散策するロシア人を見かけると目をそむけ、顔を歪めた。玲羅の結婚相手は地方紙の記者をしており、よくロシア人とのパーティーなどに出かけては、あの固いロシアケーキやロシアのおもちゃなどを持って帰ってきたが、玲羅は決して手にすることはなかった。
 玲羅は戦前戦中と変わらず、戦後も皇室をこよなく愛したが、戦後の混乱期を内地で大学生として過ごしていた夫は新進の民主主義者となり、労働者革命を熱く語った。玲羅と夫の間には超えがたい経験の差が思想的な深い溝となって立ちはだかっていた。玲羅は夫を愛さなかった。夫は仕事にしか興味は無く、出世と共に地方の名士となって行くと、抜け目のない世渡りをし、革命を語りはしても身を投じることはなかった。あと一歩で編集長というところで、玲羅の死後の翌年、病と共に地に堕ち惨めな境遇となった。
 玲羅が夫-完治となぜ結婚したのかは定かではないが、またいとこ同士なのでお互い名前と顔は知っていたようだ。玲羅は美しい人であったが、気性の激しいところがあり、情熱に満ちたロマン主義者だった。玲羅は後に若いオケサの踊り手と恋に落ちることになる。その男が踊るオケサは流れるような手さばきと足の運びが官能的であった。あらゆる女性の憧れのオケサを踊る男であった。その男は玲羅が親戚の説得を受けて夫の元に帰ると、失意のまま行方知れずとなった。

(当然ながら、続く・・・)