オレは死んだ。

 白い布を顔に被されて恥多い地上での暮らしは終わった。あとは焼かれるの待つだけなのだが、ひとつ気がかりなことがある。出来れば木っ端の灰になる前に、最期のお別れと言って、もう一度この布を取ってはくれまいか。
 まだ会っていない人がいる。その人がこの溶骨炉の入り口にいるのではないかと疑っているんだ。クスリ漬けになり妄想の中で小便をしていたボクを何も言わずに看病してくれた君のことだ。黙って新しい下着を手渡すとボクの頭を撫でながら泣いていた君のことだ。ここに来ていないはずはないじゃないか。そうだろ。あれから何年の月日が過ぎたと思ってるんだい。二十年だぞ、ふた昔も前なんだぞ。なのにオレはこんなに鮮明に、まるで今朝の出来事のように思い出せるんだ。君だって同じだろう?どんなに憎悪に滾った目をしてみせても、あの頃のことを君が忘れるはずないじゃないか。
 忘れろと言われたって、忘れることなど出来よう筈もなかったんだ。
 ここにいるんだろう?わかってるよ、いるのは。いるんだろ?君はこの顔を見たくはないのかい・・。君が憎しみと愛の螺旋の中で過ごしたあの月日を共有したのは、このボクだよ。剥がしても剥がしても拭うことの叶わない皮膜に包まれたボクと君は、ヌメルような淫らで熱い共有から逃れることなど出来はしなかった。もうこれでいいかと思って、訣別の挨拶を送っても、恐ろしい執念をもって拒絶と沈黙を貫いた君のことだ。ボクが死んだと知って来ないはずはない。
 いるんだろ、ここに。この白布を引き剥がしてくれないか、そして怨みのひとつも吐くがいいんだ。室温と同じ温度の皮膚をペチヤペチヤと叩いてくれまいか。なんなら、思い切りツネってくれてもいい。ああ、もう痛くはないからね。
 階段を一段踏み外したくらいで折れるほどにスカスカになっている骨のことだ。焼いてしまったら灰にもならないんだぜ。ふう、と漂う煙になるほどの木っ端な肉体だ。煙りになったボクに何を言っても始まらない。この肉に君の印を付けて送り出すべきではないのか。ナイフで切り裂いてもいい。ああ、もう痛くもないともない。
 すすり泣きが聞こえてくる。ああ、でもあれは君の声じゃない。だって、息がひ~ひ~言ってるじゃないか。あれは愛人二号の声だ。もうひとつ聞こえる声、アレは愛人四号の声だ。嘔吐するような、ガマ蛙が啼くような泥臭い泣き声だからな。
 おい待てよ、もう焼くのかい。まだだ、まだ。最期にもう一回この邪魔物をどけてくれ。でないと、どうも死に心地が良くない気がする。許しを請うんじゃない。顔が見たいというわけでもない。まして一粒の泪をこの頬に落として欲しいわけでもない。
 ただ、いい、もういい。焼くんなら早くしてくれ。後で砕くほどの骨など残っていないということを知って驚くなよ。壺に入れる何物もないということを知って嘆くなよ。スカスカの煙りがひと筋立ち昇るだけなんだぞ。そのときになってからでは遅いと思うがね。
 ああ、暑いんだろうか、それとも寒いんだろうか。融けていく感じだな、これは・・。いやだなぁ、何でこんなに冷静なんだボクは。あっ、取れた布が・・。うぅぅッ、捲れ上がるぞ上半身が・・。窓だ。ああ、あれは窓だ。そしてその向こうに顔が、いくつもの顔がある。父さん、母さん、おとなりの小母さん・・。
 だれだ、あの声は。
 うぉーと叫んだあの声は・・。手を叩いて、笑っている。