誰か傍にいてほしい・・・
愛してほしい・・・
ひとりが怖い・・・

世間の多くの人が普通の愛、つまり充実した愛の関係を結んでいると隣の芝生を見るのはどうしたもんだろうね。

どこの芝生も大して変わらない。

あの芝生は痛んでるね。
 
 と発見する隣の芝生こそが真実だろう。

痛んでるね

言えるほどに目に見えている隣の芝生は、
きれいに見えるという判断よりは冷静なはずだ。
それは、
あなたの目が冷たく観察した結果だから・・・
確かに痛んでいる。

ということになると思うよ。

だとしたら、

隣の芝生がきれいに見えるときは
   隣の芝生の上に立ってみることだ。

 それからでも遅くないさ。

自分を特別な欠損者と見る優越視観は棄てよう。
 すべての人間が欠損者なのだ!
と思えば、
   気楽なもんさ。