アポカリプティックサウンド

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アポカリプティックサウンド」(2022/10/07 (金) 04:24:47) の最新版変更点

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*人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 ----  画面には、飛行機やヘリコプターの墜落事故の映像・戦争で事故にあった人や死んだ 人の映像・ボクサーが試合中に死ぬ映像・闘牛で牛に襲われる映像・火災で人がビルから飛び降りる映像等のいわゆる「死体写真」が流れる。  その後、映画の「死」や「事故」のシーンや、夏目雅子・若山富三郎・松田優作・アイルトン=セナ・津田恒美(元広島投手)・逸見政孝・石原裕次郎・田中角栄・ケネディー・昭和天皇等、有名人の「ありし日」と「死亡報道」が次々と流れる。  そのバックで、麻原彰晃の「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない......」が流れる。  以下が「死体ビデオ」のバックで流れている尊師の声。 ----  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死を見なくても死ぬ。  死を見ても死ぬ。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、その死の前には、お金は無効だし、恋愛も無効だし、それから社会的地位も無効だし、権力も無効だし、一切のものが無効であると。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに人間が頑張ったとしても、人生は僅か80年である。  この80年の人生を、既に私たちは20年・30年・40年とつぶしている。  残りの60年・50年・40年を、どう生きるか。  ネ、そして三悪趣に転生するのか、あるいは、人間・憤怒天・戯忘天といった高い世界へ転生し、楽を長い間にわたって享受するのか。これは、あなた方が選択する道だといえるでしょう。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死の前には、財産も無効だし、権力も無効だし、あるいは、愛著しているもの全ても苦しみであると。  もちろん、この現実の生活、これよりもっと大切なもの、それは、「死を越える」ということがあります。つまり、人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなにこの世で大金持ちになろうとも、事業を成功させようともとも、愛し合おうとも、死という、その死の境目によって、苦しまなければならないという事実があります。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに大金持ちであっても、あるいはどんなに愛する人がそこにいたとしても、多くの人に賞賛される人であったとしても、必ず死にます。ところが私たちは、その死について、考えた事もないし、あるいは、それに対して対応する何らかの方法を実践もしない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなにお金があろうとも、どんなに夫婦関係が楽しかろうとも、どんなに子供が優秀であろうとも、どんなに権力を有していようとも、人は必ず死にます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして死だけではなく、病、あるいは老い、これも避けることはできない。  この、避けることの出来ないものに対して、目をつむるのではなく、しっかりと見つめ、どのようにしたら、病を克服し、老いを克服し、死を克服できるのかと。それを説いているのが、真理なのです。  人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。  この日本仏教において生だけを見つめさせ、生において、つまり生きるっていうことにおいての幸福だけを説きます。しかし、この生きる期間はあまりにも短すぎる。そしてあまりにもはかなすぎる。  わたしたちのターゲットはこの世だけではなく死、死を境とした来生をしっかりと見つめ、それを超え、確信をもって輪廻転生したいものです。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんな権力を有している者でも、この世で、いかなる満足を味わったものでも、あるいは、多くの人に賞賛された人でも、愛する対象がいて、その愛する対象と戯れ、そして、別れたくないと考えたとしても、死は必ずやって来ます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちであっても、どんなに権力を有していても、どんなに周りから賞賛されていても、どんなに愛する対象といっしょに生活していたとしても、人は必ず死にます。そして、死を前にした場合、どんな大国の王でも、あるいは、多くのものを支配している者でも、あるいは、どんな大金持ちでも、その死に対しては、その権力やお金は一切無効です。  人は必ず死ぬものである。  私の周りにいるもの、全ては死ぬものである。  生命を持つもの全ては死ぬものである。  これは正しい。  よって私は、死の体験をする。  これから死の体験をする。  これから死の体験をする。  これから死の体験をする。  これから死の体験をする。  そして私は死の体験をするように努力しよう。  私は死の体験をするように精進しよう。  私は死の体験をするように勇猛に精進しよう。  この「死の体験」は、私の心を喜ばしてくれる。  この「死の体験」は、私の心を喜ばしてくれる。  なぜならば、人は必ず死ぬものであるから、その死ぬ前に、それを体験することは、私に、死の恐怖を取り除いてくれる。死の苦しみを取り除いてくれる。死のショックの苦しみを取り除いてくれる。よってこれは喜ばしいことである。大変、喜ばしいことである。 そして、死の恐怖を投げ捨てた、死のショックの苦痛を投げ捨てた、私の心と体は軽快になる。私の心と体は軽快になる。  この死の瞑想は、私の心と体を軽快にしてくれる。  この死の瞑想は、私の心と体を軽快にしてくれる。  私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。  私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。  私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。  これによって、この人間の世界、人生に、遠離(おんり)し、離貪(りとん)し、そして滅尽し、喜捨することができる。  そして私は、死の恐怖を投げ捨てよう。  死のショックからくる苦痛を投げ捨てよう。  この法をお説きになったシヴァ大神及び諸仏に感謝の意を表して オウム アー フーム ヴァジラ ナマ シヴァ ヤ ヴァジラ ナマ ブッダ ヤ ヴァジラ ナマ グル ヤ ヴァジラ ナマ サティアン ヤ ヴァジラ ナマ タントラヴァジラヤーナ ヤマ ニヤマ ヤ  私がなぜ皆さんに対して、「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに高い地位についていても、あるいはどんなに大金持ちであったとしても、あるいはどんなに愛するものがそこに存在していたとしても、それは無価値になるんだ」と言っているのは、「この現象界を正しく生きなさいよ」と。この現象界を正しく見つめなさいよ」と。そうすることによってのみ、私たちは、この世、そして来世というものを、正しく渡ることが出来るわけである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、本当の愛とは、本当の哀れみとは、衆生が流転するその流転において悪趣に堕ちる事を防ぐ事である。  もし、あなた方の周りに、「この人は絶対悪趣に堕ちる」という人が分かっていたとしたら、それは、力ずくでも救済しなさい。  それが本当の愛である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちであったとしても、あるいはどんなに権力があったとしても、どんなに高い地位についていたとしても、あるいはどんなに異性にモテたとしても、必ず人は死ぬ。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  同じように、たとえばいくら若くても、必ず年をとらなければならないし、あるいはここにいくら愛する人が存在していたとしても、それから別れる時の苦しみというものは、耐え難いものである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  それと同じように、私たちには「老い」もあるし、あるいは「病」もあるし、あるいは「苦しい生存」--たとえば地獄や動物や低級霊域といった苦しい生存も存在しているんだということを認識すべきである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  同じように、人は必ず老い、そして病む。  そして、もっとも重要な事は、人は生まれるという事だ。  ここで皆さんはこう考えるかもしれない。  「生まれるということは喜びだから、良いことではないか」と。  果たしてそうかな?  つまり生まれるということは、その前に死んでいるんだという事。  そして、どこへ生まれるか分からないんだということ。  この二つの恐怖があると。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、今生において、今為してることの結果は、既に、現れるのだということを、理解してほしい。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  老いについても同じだし、病についても同じである。  そして、死後、どこへでも分からない、風のかぜによって、私たちは押し流され、流転し続けなければならない。これをコントロールできるかどうか、それこそが第一であり、次にコントロールしたその世界で、頓着することなく、苦悩の破壊が出来るかどうか、これが第二である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  その、死の避けられない問題の対して、どのようにアプローチするのか。確かに賢いものは、「今まで誰も、死後存在しない」と言い切った人がいるかもしれないが、経験した人はいない。ということで、「insurance」、つまり保険のつもりで、修行するだろう。賢くない人は、修行というものは、何を意味しているか理解できず、まだ、漠然とした「死」の感覚にとらわれながらも、今をいかに楽しむかということを奔走するがために、なかなか修行せず、そして「死」というものを境に苦しむ筈である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  私たちは、愛著、迷妄、あるいは貪りといったといった要素の対象を、一切来世に持ち越すことは出来ない。ただ持ち越せるのは、そのとき残してきたものに対する愛著や、或いは貪りや、或いは迷妄といった心の要素だけである。そしてその心の要素は、私たちを低い世界へと転生させる。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  これは何を意味するか。これはハルマゲドンで死のうと、天命が終わり死のうと、死は死であると。よって、死の準備を早く行っておくことは、何よりも賢い、智慧ある者の態度であることを認識すべきである。 いいね。(弟子達:ハイ。)  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、特に今の日本の自衛隊のように、全く力のない軍事力を有している国は、相手から攻められたとき、まず悲惨な状態になるであろう。そして、第二次世界大戦の二の舞と。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  その死をコントロールできるのは、真理の体現者と、そして、真理の体現、これを目指しているものたちだけである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに逃げても死ぬ。そして現世の楽しみに現をぬかせばぬかすほど、苦しみは増大する。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  いくら権力を得たものも死ぬんだ。  高位高官に登ったものも死ぬんだ。  大金持ちになったものも死ぬ。  そして、真の聖者は、その「死」を乗り越え、克服する。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  いくら大金持ちであっても、あるいは多くの恋人をもったとしても、あるいはこの地球全体の権力を手中に収めたとしても、その「死」を避けることが出来ない。 しかし、人間は、生命というものが永遠であるろいう錯覚に陥り、そして、そのために、現世の選択を誤ってしまう。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死の前には、いかなる喜びも無効だし、死の前には、いかなる物質も無効だし、死の前には、いかなる名誉・地位、そして異性との交わりも無効である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  その「死」を知らない全ての衆生に哀れみの心を持ち、しっかりと、修行を続けていきたいと思う。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死を前にして、恋愛が有効だろうか。  死を前にして、物質が有効であろうか。  死を前にして、お金持ちになることが有効であろうか。  死を前にして、権力を得ることが有効であろうか。  一切無効である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、真の勇者、真の智慧ある者のみが、その死にうち勝つことができると。  私がなぜ近頃、「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。」という言葉を言ってるかと言うと、あなた方の価値観を転倒させるために、あなた方の価値観を破壊させるために、「死」というものをもってくるしかないんだね。  だって、必ず人間は死ぬでしょ? どうだ? 永遠に生き続ける魂がありますか? もし、永遠に生き続けることができるなら、この世の財産、あるいはその他の、もろもろのこの世で肯定されているものというものっていうのは、あなた方に利益を与える。  しかしあなた方は必ず死ぬんだと。もし、その死というものを前提とするならば、その利益は、すべて、ちょうど、氷で出来たお城みたいなもんであると。ネ。  氷点下の時には、その氷は安定しているかのように見えると。しかし、それが5度・10度・20度--で100度になっちゃうと、もうその水分すら残らず全て蒸発してしまうと。これがあなた方の、この現世の全ての価値であると。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  無知なる者は、死を見ない。しかし死は存在している。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちでも、あるいはどんなに異性にモテる男性や女性であったとしても、あるいはいくら愛し合ってる夫婦であったとしても、あるいはどんなに高い地位へ昇ったとしても、人は必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死を見なくても死ぬ。  死を見ても死ぬ。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  この死を避けることは、たとえ天皇であろうとも、たとえ総理大臣であろうとも、あるいは三井や三菱の大富豪であろうとも、あるいは異性にモテモテのタレントであろうとも、誰も避ける事ができない。あるいは真面目に生きようとも不真面目に生きようとも、その「死」を避けることができない。  そして、その死に対して、多くの準備を行い、死を知り、経験し、確実な転生をする事こそ、私たちがこの短い70年・80年といった人生を、与えられた最高の生き方であると、私は考えます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、その死の前には、お金は無効だし、恋愛も無効だし、それから社会的地位も無効だし、権力も無効だし、一切のものが無効であると。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに人間が頑張ったとしても、人生は僅か80年である。  この、80年の人生を、既に私たちは20年・30年・40年とつぶしている。  残りの60年・50年・40年を、どう生きるか。 え?  そして三悪趣に転生するのか、あるいは、人間・憤怒天・戯忘天といった高い世界へ転生し、楽を長い間にわたって享受するのか。これは、あなた方が選択する道だといえるでしょう。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死の前には、財産も無効だし、権力も無効だし、あるいは、愛著しているもの全ても苦しみであると。  もちろん、この現実の生活、これよりもっと大切なもの、それは、「死を越える」ということがあります。つまり、人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなにこの世で大金持ちになろうとも、事業を成功させようともとも、愛し合おうとも、死という、その死の境目によって、苦しまなければならないという事実があります。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに大金持ちであっても、あるいはどんなに愛する者がそこにいたとしても、多くの人に賞賛される人であったとしても、必ず死にます。ところが私たちは、その死について、考えた事もないし、あるいは、それに対して対応する何らかの方法を実践もしない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなにお金があろうとも、どんなに夫婦関係が楽しかろうとも、どんなに子供が優秀であろうとも、どんなに権力を有していようとも、人は必ず死にます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして死だけではなく、病、あるいは老い、これも避けることはできない。  この、避けることの出来ないものに対して、目をつむるのではなく、しっかりと見つめ、どのようにしたら、病を克服し、老いを克服し、死を克服できるのかと。それを説いているのが、真理なのです。  人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。  この日本仏教において生だけを見つめさせ、生において、つまり生きるっていうことにおいての幸福だけを説きます。しかし、この生きる期間はあまりにも短すぎる。そしてあまりにもはかなすぎる。  わたしたちのターゲットはこの世だけではなく死、死を境とした来生をしっかりと見つめ、それを超え、確信をもって輪廻転生したいものです。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんな権力を有している者でも、この世で、いかなる満足を味わったものでも、あるいは、多くの人に賞賛された人でも、愛する対象がいて、その愛する対象と戯れ、そして、別れたくないと考えたとしても、死は必ずやって来ます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちであっても、どんなに権力を有していても、どんなに周りから賞賛されていても、どんなに愛する対象といっしょに生活していたとしても、人は必ず死にます。そして、死を前にした場合、どんな大国の王でも、あるいは、多くのものを支配している者でも、あるいは、どんな大金持ちでも、その死に対しては、その権力やお金は一切無効です。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  これは、いかなる者でも死を避けることが出来ない。  たとえば、天皇も死んだ。もちろん、ま、池田勇人をはじめとする、ま、佐藤栄作もそうだが、総理大臣も死んだと。ジョン.F.ケネデイーも死んだと。マリリンモンローも死んだと。  いかにこの世の中が、素晴らしいものであって、そしてそこで満足していたとしても、必ず人は死ぬ。その「死」を避けることはできない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、真の勇者、真の智慧ある者のみが、その死にうち勝つことができると。  私がなぜ近頃、「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。」という言葉を言ってるかと言うと、あなた方の価値観を転倒させるために、あなた方の価値観を破壊させるために、「死」というものをもってくるしかないんだね。  だって、必ず人間は死ぬでしょ? どうだ? 永遠に生き続ける魂がありますか? もし、永遠に生き続けることができるなら、この世の財産、あるいはその他の、もろもろのこの世で肯定されているものというものっていうのは、あなた方に利益を与える。  しかしあなた方は必ず死ぬんだと。もし、その死というものを前提とするならば、その利益は、すべて、ちょうど、氷で出来たお城みたいなもんであると。ネ。  氷点下の時には、その氷は安定しているかのように見えると。しかし、それが5度・10度・20度--で100度になっちゃうと、もうその水分すら残らず全て蒸発してしまうと。これがあなた方の、この現世の全ての価値であると。  「必ず人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに高い地位についていても、あるいはどんなに大金持ちであったとしても、あるいはどんなに愛するものがそこに存在していたとしても、それは無価値になるんだ」と言っているのは、「この現象界を正しく生きなさいよ」と。この現象界を正しく見つめなさいよ」と。そうすることによってのみ、私たちは、この世、そして来世というものを、正しく渡ることが出来るわけである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、本当の愛とは、本当の哀れみとは、衆生が流転するその流転において悪趣に堕ちる事を防ぐ事である。  もし、あなた方の周りに、「この人は絶対悪趣に堕ちる」という人が分かっていたとしたら、それは、力ずくでも救済しなさい。  それが本当の愛である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちであったとしても、あるいはどんなに権力があったとしても、どんなに高い地位についていたとしても、あるいはどんなに異性にモテたとしても、必ず人は死ぬ。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  同じように、たとえばいくら若くても、必ず年をとらなければならないし、あるいはここにいくら愛する人が存在していたとしても、それから別れる時の苦しみというものは、耐え難いものである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  それと同じように、私たちには「老い」もあるし、あるいは「病」もあるし、あるいは「苦しい生存」--たとえば地獄や動物や低級霊域といった苦しい生存も存在しているんだということを認識すべきである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  同じように、人は必ず老い、そして病む。  そして、もっとも重要な事は、人は生まれるという事だ。  ここで皆さんはこう考えるかもしれない。  「生まれるということは喜びだから、良いことではないか」と。  果たしてそうかな?  つまり生まれるということは、その前に死んでいるんだという事。  そして、どこへ生まれるか分からないんだということ。  この二つの恐怖があると。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、今生において、今為してることの結果は、既に、現れるのだということを、理解してほしい。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  老いについても同じだし、病についても同じである。  そして、死後、どこへとも分からない、風のかぜによって、私たちは押し流され、流転し続けなければならない。これをコントロールできるかどうか、それこそが第一であり、次にコントロールしたその世界で、頓着することなく、苦悩の破壊が出来るかどうか、これが第二である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  その、死の避けられない問題の対して、どのようにアプローチするのか。確かに賢いものは、「今まで誰も、死後存在しない」と言い切った人がいるかもしれないが、経験した人はいない。ということで、「insurance」、つまり保険のつもりで、修行するだろう。  賢くない人は、修行というものは、何を意味しているか理解できず、まだ、漠然とした「死」の感覚にとらわれながらも、今をいかに楽しむかということを奔走するがために、なかなか修行せず、そして「死」というものを境に苦しむ筈である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  私たちは、愛著、迷妄、あるいは貪りといったといった要素の対象を、一切来世に持ち越すことは出来ない。ただ持ち越せるのは、そのとき残してきたものに対する愛著や、或いは貪りや、或いは迷妄といった心の要素だけである。そしてその心の要素は、私たちを低い世界へと転生させる。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  これは何を意味するか。これはハルマゲドンで死のうと、天命が終わり死のうと、死は死であると。よって、死の準備を早く行っておくことは、何よりも賢い、智慧ある者の態度であることを認識すべきである。 いいね。(弟子達:ハイ。)  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  これは、いかなる者でも死を避けることが出来ない。  たとえば、天皇も死んだ。もちろん、ま、池田勇人をはじめとする、ま、佐藤栄作もそうだが、総理大臣も死んだと。ジョン.F.ケネデイーも死んだと。マリリンモンローも死んだと。  いかにこの世の中が、素晴らしいものであっても、そしてそこで満足していたとしても、必ず人は死ぬ。その「死」を避けることはできない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  この死を避けることは、たとえ天皇であろうとも、たとえ総理大臣であろうとも、あるいは三井や三菱の大富豪であろうとも、あるいは異性にモテモテのタレントであろうとも、誰も避ける事ができない。あるいは真面目に生きようとも不真面目に生きようとも、その「死」を避けることができない。  そして、その死に対して、多くの準備を行い、死を知り、経験し、確実な転生をする事こそ、私たちがこの短い70年・80年といった人生を、与えられた最高の生き方であると、私は考えます。 ----  死体画像が消え、画面が真っ暗になる。  尊師に変わり、いかにもおどろおどろしい感じの口調のアナウンサーが登場。以下の「死の瞑想」をいかにも不気味に、ゆっくりと朗読する。一読すればおわかりの通り、「死の恐怖」を植え付けるためのものである。  以下がその全文。 ---- 今から、死の瞑想を行います。  目を閉じて、これまでに、あなたにとって身近な存在だった人で、亡くなった方に関して、次の瞑想を行います。  あなたの前には、あなたにとって身近なある人の棺があります。棺の窓から、その人の顔を見つめます。蝋人形のように冷たく、青白く、硬くなってしまったその顔を見つめてから、あなたは、花を棺に収めます。  それから、棺の窓を閉め、棺を霊柩車に運びます。  焼却場で、再び棺の窓が開けられ、あなたは、その人と最後の別れをします。  それから棺が焼却炉にくべられます。  お骨を引き取りにいったあなたは、熱気とともに、焼けた鉄板の上に灰色の砕けた骨片が乗っているのを目にします。  お骨をみていると、あなたの心の中には、その人が元気だった頃の姿がありありと浮かんできます。  それからあなたは、悲しむ親族達によって、お骨が一つ、また一つと、箸を使って、骨壺に納められるのを見届け、焼却場を後にします。  この他にも、あなたの周りで亡くなった方に関して、同様にこの瞑想を5分間続けて下さい。 ---- (5分間ビデオ沈黙) ----  はい。この瞑想を終わりますので、目を開けて下さい。 ----  ビデオが数秒流れる。「画面に向かって斧を振りかざすシーン」と、「親族がベットの周りで悲しそうにしているシーン」。  「自分が斧で殺されて死亡寸前の状態を観想せよ」の意味である ----  あなたの視覚はだんだんかすんで、目の前が暗くなり、やがて何も見えなくなります。  臭いも分からなくなります。  それから、味も分からなくなり、身体の感覚も鈍くなり、やがて、何も感じなくなります。  それから、あなたの身体を構成している要素が、分解し始めます。  この時には、今までのあなたではなく、もう一人のあなた、すなわち魂がものを見、聞き、感じるようになります。 ---- 画面が橙色に ----  あなたの魂が、地のエレメントに分解されるとき、あなたの体はブヨブヨした、何となく変な感じになります。そして、この時あなたは、黒と黄色の混じったような色を見ることができます。 ---- 画面が水色に ----  それから、血液や体液が水のエレメントに分解されていきます。吸うときには鼻血が出たり、体が浮腫んだりします。それから、あなたの血液の流れは、この時に止まってしまいます。  そして、この時あなたは、「水に映る白い月」というイメージの色が「パッパッパッ」ときらめいているのを見ます。 ---- 画面が赤色に ----  そして今度は、体温が火のエレメントに分解されます。その時には、あなたの身体は、下腹部からだんだん冷えていきます。  それから、その冷たさは背中を伝わって全身に広がっていきます。  そして、身体が冷たくなって、動きがぎこちない感じがします。  硬直してしまっているのでしょう。  それは、自分の身体が、まるで鉄になってしまったような感じです。 ---- 画面がうすい緑色に。上の部分が白い。 ----  最後に、息が風のエレメントに分解されます。  そのときには、呼吸がしづらくなってしまって、息苦しくなります。  「呼吸したい。呼吸して生き続けたい。」  そういう生命に対する押さえがたい執着が一気に出てきます。  「愛する人たちと別れるのは嫌だ。死ぬのは怖い。」  あなたはそう感じています。  そのときあなたは、「青緑色」を見ています。  あなたは、呼吸が少しせわしくなるのを感じます。  そして最後に、長い息を吐き出します。  そして、全てが終了しました。  こうして、あなたは死んだのです。 ***************************************************************************** 画面が青色に。(10秒沈黙) ***************************************************************************** ***************************************************************************** 画面が白色に。 *****************************************************************************  死んだ後も、あなたの魂はしばらくの間心臓にとどまり、この世の精算を受けます。  そのためにまず、天から、真っ白な光が降りてくるのをあなたは見ます。  その光は、少し甘みを伴っていると、あなたは感じます。  この光は、父親の精液の象徴です。 ***************************************************************************** 画面が赤色に。 *****************************************************************************  次に、あなたのヘソの辺りから、赤黒いエネルギーが上昇していくのをあなたは感じます。それは、いろいろな煩悩を伴っていて、母親の経血を象徴します。  それから、その白い光と赤黒いエネルギーは、あなたの胸にあるアナハタチャクラの内側に吸収されていきます。  こうして、あなたが両親から受け継いだ遺伝子に関するカルマが、自性(じしょう)に還元されて行くのです。 ***************************************************************************** 画面が黒色に。 *****************************************************************************  そののちに、天界から真っ黒い光で出来た一本の道が降りてきます。  これは、下位の世界である汚れた人間界のカルマを象徴します。  これは、たった今あなたが終えた生の前の生のカルマです。  そして、この光も、あなたのアナハタチャクラの内側に吸収されていきます。  こうして、両親から受け継いだものと、あなたの前生のカルマが自性(じしょう)に帰ってしまったとき、あなたと「この世」との縁が切れます。  その時あなたの魂は肉体を離れ、たった今まで作ったカルマによって転生の準備を始めるのです。 ***************************************************************************** 相変わらず、画面は真っ暗。アストラル音楽が流れ、それをバックに尊師が説法を始める。 以下がその内容。 *****************************************************************************  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  無明に覆われた者にとって、この「死」は大変な恐怖であり、真理の実践者にとっては、大変な喜びである。「死」は、私たちのカルマを精算し、そのカルマに基づき、来世が決定される。  どんなに満足できる環境であったとしても、どんなに地位や権力を有していたとしても、どんなに多くの人からの賞賛を勝ち得たとしても、どんなに、大金や財産を得たとしても、どんなにかけがえのない妻や夫、また、恋人を得たとしても、「死」の大軍を前にして、全ての喜びは無効である。真理の実践のみが「死」の大軍をうち破り、聖なる正法の実践のみが「死」の大軍をうち破り、正しい生き方のみが「死」の大軍をうち破るのである。  無明の衆生は大安なく、大平安なして3日半、死後気絶に至り、そして、聖なる修行者は死後気絶なしに、3日半、大安楽、大平安を経験する。 ***************************************************************************** やはり画面は真っ暗。 雷の音が鳴り響く。 再びアストラル音楽。 相変わらず、画面は真っ暗。 再び尊師が説法を始める。 以下がその内容。 *****************************************************************************  この世において、徳や、善業の実践を怠り、心を静める修行や、真理の実践を行わなかった者は、ブッダとして生まれ変わる「????(チタンス?)」をなくしてしまう。そして、13日間の、チュウニ・バルドーの後、完全な気絶状態に陥る。彼は哀れにも、欲界の六道をさまよわなければならない。  そして、このバルドーは、もっとも苦しみの多い状態なのである。人間界の魂のほとんどは、このシヴァ・バルドーに堕ちる。よって、真剣に経験し、完全に記憶すべきなのである。 ****************************************************************************** 真っ暗な画面のまま、尊師の歌「さまよえるバルドー」が流れる。 ****************************************************************************** (歌 『さまよえるバルドー』)   わたしは死んだ わたしは死んだ わたしは死んだ   体が欲しい 体が欲しい 体が欲しい   さまよえるバルドーの中を 一人叫ぶ   悲しみの嵐を背に受けて わたしは歩かねばならない   あなたとの思い出を 胸にしまい込んで   あなたとの思い出を 胸に抱きながら   わたしは歩く 悲しみの中を バルドーの中を歩く   あのときもしも 修行をしてたら   今の悲しみはなかっただろうに   なぜに無智に覆われ 修行をせず   快楽の幻影を貪ったの   わたしは過ちに 気づいたけれど   もう遅い 何もかも手遅れになった   バルドーは幻影だよと 教えを受けたなら   わたしの悲しみは 消えたよ   三宝礼拝 真理の実践   バルドー越えて 歓喜の世界へ   わたしをいざなう 魂はいずこ   徳の修行 善の実践 サマディが バルドーを超える道  (セリフ)   悲しいなあ、悲しいなあ、何て悲しいんだろう。   すべての魂がバルドーを幻影だと気づき、真理の実践をすれば   いいのに。 ***************************************************************************  画面は「舞台の中継」へ。オウム真理教がかつて上映したダンス・オペレッタ「死 と転生」の1シーンと思われる。  舞台向かって右側から、「ひーとつ ふーたつ....」の歌にあわせて、ノッシ・ノッシと閻魔様が登場。  手にはジェイソンみたいな顔のうちわ形のお面をもっている。何か仏教界では有名 な小道具なのだろうか。これを使って、潔白ソングに合わせて踊りをする。  歌の途中で、獄卒数名(黒いタイツに腰巻き、手には鎌や斧をもっている)と、閻魔様の裁きを受ける比丘(バレリーナが着ているような白いタイツの姿の衣装)が登場。  潔白ソングが流れる間、獄卒が比丘を鎌や斧で殴る踊りをする。  舞台中央には。頭を抱えて悲鳴を上げている男性の写真が。その写真が、「あーなーたーは素晴らしい」のところで、修行をしている髪の長い女性の絵に変わる。 *************************************************************************** (歌 『エンマの数え歌』)   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ   悪業を数える 悪業を数える   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ   一つ一つ裁くぞ 嘘をついてもわかるぞ   わたしはやってない 潔白だ   わたしはやってない 潔白だ   嘘つきだますな 嘘つきだますな   お前は嘘つき 有罪だ   大熱・寒冷・大餓鬼・小餓鬼・畜生   大熱・寒冷・大餓鬼・小餓鬼・畜生   獄卒どもよ引っ立てろ   獄卒どもよ引っ立てろ   引っ立てろ   あなたは素晴らしい あなたは素晴らしい   正しく生きた良くやった   功徳だ 善行だ 寂静 真理だ   真理の実践だ 実践だ   あなたは天へと道ができ   天での生活待っている   カルマによって 我、裁く   地獄・畜生・プレータ・人間・天界   地獄・畜生・プレータ・人間・天界   地獄だ 天界だ 畜生だ 人間だ   あなたはカルマを超えられる   あなたどこへ行くの   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ   一つ 二つ 三つ 四つ 五つ *******************************************************************************  バックが、地獄の建物(?)に変わる。  そして、麻原彰晃と石井久子のデュエットによる歌をバックに、閻魔様と比丘との掛け合いの踊りが始まる。  この「地獄」という歌は、閻魔の数え歌をゆっくりしたようなメロデイーなのだが、ゆっくりしたメロデイーのバックで「うわーーー」「ううーーーー」「あーーーー」という地獄に堕ちた男女のうめき声が絶え間なく流れていて、結構不気味。  以下の歌に合わせて、再び舞台右手より、閻魔様と比丘が登場。 ******************************************************************************* (歌 『地獄』 麻原彰晃(尊)and 石井久子(ケ)) 尊 お前は私を知ってるか お前は私を知ってるか   三体の御使いを知ってるか 三体の御使いを知ってるか ケ 私は私は知りません 三体の御使いを知りません 尊 お前は死人をみただろう お前は死人をみただろう ケ ハイハイ 閻魔様 私は見ました見ました   確かに沢山の死人を見ました 尊 人は死ぬ 必ず死ぬ   だから功徳を積まなければ 地獄の道が開かれる   お前は病人を知らないか   お前は病気を知らないか ケ ハイハイ 閻魔様 知ってます   私の周りは病人だらけ   病院もたくさんありました 尊 病は 人の無常を教えてくれる   病は いい時期が終わりを告げると教えてくれる   お前は老人を見なかったのか   お前は老いぼれを見なかったのか ケ ハイハイ 閻魔様 私の父は年老いました   私の母も年老いました 尊 老いぼれるとは 無常をあらわす   老いぼれるとは 無常をあらわす   どんなに若くて元気でも   必ず年をとるのだ   お前は 三つの御使いを   お前は 三体の御使いを   見て知ったにかかわらず   悪業を為した   よってお前は地獄行き   よってお前は地獄行き   おまえが地獄に行く前に ひとつ聞きたい事がある   お前は弁護士を知らないのか ケ ハイハイ 閻魔様   私は 閻魔様に対して弁護士など知りません 知りません 尊 お前は 菩薩を知らないのか   お前は 真理の流布者を知らなかったのか ケ イエイエ 閻魔様   あの人達は 現世の楽しみ捨てて馬鹿なことをやってます   ですから私は現世において 彼らを馬鹿にしました   彼らを嘲笑しました 尊 お前はただ一つの生き方を 無智なるが故に捨ててしまった   お前は哀れにも 地獄行き お前は哀れにも 地獄行き   血の池 寒冷 大熱 大寒   ひび割れ 八つ裂き 釜ゆで   大針 小針 大トゲ 小トゲ   多くの苦しみ受けなさい   全ての魂 カルマの精算なしには 生きていけない 尊師セリフ   獄卒どもよ ひったてろ!   地獄に ひったてよ!   カルマの精算をなせ。 ****************************************************************************** 再び画面が真っ暗になる。 再び不気味な口調のアナウンサーが登場。 いかにも恐ろしそうに、以下の「地獄の光景」を紹介する。 気持ちの悪そうな場面は、「ぐ・つ・ぐ・つ煮られる」のように一句一句と区切って読み、相当に気合いを入れて脅している。 時々、バックに日本テレビの心霊特集の時に使われるような音楽が流れる。 実際に聞くと、マジに結構気持ち悪い。 ****************************************************************************** その彼に もろもろの比丘よ もろもろの獄卒は 五種連という名の刑罰を行うのである。 まず、赤く熱した鉄の杭を手に刺し 赤く熱した鉄の杭をもう一方の手に刺し 赤く熱した鉄の杭を足に刺し 赤く熱した鉄の杭をもう一方の足に刺し 赤く熱した鉄の杭を胸の真ん中に刺す。 彼はそのとき、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、彼は、命が終わることはないのだ。 また、その彼を、もろもろの比丘よ もろもろの獄卒は連れていって、斧で切る。 彼はそのとき、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、彼は、命が終わることはないのだ。 また、その彼を、もろもろの比丘よ もろもろの獄卒は 足を上にし 頭を下に置いて 鋭い斧で そがせる。 彼はそのとき、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、彼は、命が終わることはないのだ。 また、その彼を、もろもろの比丘よ もろもろの獄卒は 車のくびきにつけて、 熱く焼け、燃えている地上を 行ったり来たりさせる。 彼はそのとき、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 また、その彼を、もろもろの比丘よ もろもろの獄卒は 熱く焼け、燃えている大きな炭火の山を登ったり降りたりさせる。 彼はそのとき、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 また、その彼を、もろもろの比丘よ もろもろの獄卒は 足を上にして捕まえて 赤く熱し 焼け 燃えている銅の釜の中に投げ入れる。 そして、彼はそこで ぐつぐつ煮られる。 彼はそこでぐつぐつ煮られて、上に行ったり下に行ったり、横に行ったりする。 彼はそのとき、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 また、その彼を、もろもろの比丘よ もろもろの獄卒は大地獄の中に投げ入れるのであ る。 もろもろの比丘よ、そしてその大地獄は、四隅があり、四つの門があって、 同じ大きさに区分され、鉄の壁に囲まれ、鉄で覆われている。 その、鉄で出来た大地は、燃えさかる炎に敷き詰められれ、上下左右はあまねく百ヨー ジャナの広がりがあって、つねに存続している。 そして、もろもろの比丘よ。 その大地獄の東の壁で炎が燃え上がり、西の壁につきあたる。 西の壁で炎が燃え上がり、東の壁につきあたる。 北の壁で炎が燃え上がり、南の壁につきあたる。 南の壁で炎が燃え上がり、北の壁につきあたる。 下で炎が燃え上がり、上につきあたる。 上で炎が燃え上がり、下につきあたる。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、彼は、命が終わることはないのだ。 もろもろの比丘よ 長いときが経過する間のいつかには その大地獄の東の門がひらかれる時がある。 そこで、彼はそこに向かって全速力で走っていく。 全速力で走っていくために 皮も焼かれ、肌も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼かれ、骨も 焦がされる。実際に、このような騒乱があるのだ。 そしてもろもろの比丘よ ようやく彼がたどり着くと、そのとき、その門は閉ざされて しまうのである。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 もろもろの比丘よ 長いときが経過する間のいつかには その大地獄の西の門がひらかれる時がある。 そこで、彼はそこに向かって全速力で走っていく。 全速力で走っていくために、皮も焼かれ、肌も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼かれ、骨も 焦がされる。実際に、そのような騒乱があるのだ。 そしてもろもろの比丘よ ようやく彼がたどり着くと、その門は閉ざされる。 彼はその間、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その命が終わることはないのだ。 もろもろの比丘よ 長いときが経過する間のいつかには その大地獄の北の門がひらかれる時がある。 そこで、彼はそこに向かって全速力で走っていく。 全速力で走っていくために、皮も焼かれ、肌も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼かれ、骨も 焦がされる。実際に、そのような騒乱があるのだ。 そしてもろもろの比丘よ ようやく彼がたどり着くと、そのとき、その門は閉ざされて しまうのである。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 もろもろの比丘よ 長いときが経過する間のいつかには その大地獄の南の門がひらかれる時がある。 そこで彼は、全速力で走っていく。 彼は、全速力で走っていくために、皮も焼かれ、肌も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼か れ、骨も焦がされる。実際に、そのような騒乱があるのだ。 そしてもろもろの比丘よ ようやく彼がたどり着くと、そのとき、その門は閉ざされて しまうのである。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 しかも、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 もろもろの比丘よ 長いときが経過する間のいつかには その大地獄の東の門がひらかれる時がある。 そこで、彼はそこに向かって全速力で走っていく。 彼は、全速力で走っていくために 皮も焼かれ、肌も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼か れ、骨も焦がされる。実際に、このような騒乱があるのだ。 そして彼はその門から出る。 しかし、もろもろの比丘よ。その大地獄に接するようにして、巨大な糞尿地獄が揃って 存在している。彼は、そこに堕ちる。 そして、もろもろの比丘よ、その糞尿地獄には、針の口を持つ生き物がいて、皮を破る 。皮を破り終わると、肌を破る。肌を破り終わると、肉を破る。肉を破り終わると、筋 を破る。筋を破り終わると、骨を破る。骨を破り終わると、骨の髄を食らうのだ。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 けれども、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 そして、もろもろの比丘よ。その糞尿地獄に殆ど接するようにして、巨大な熱灰地獄が そろって存在している。彼は、そこに堕ちる。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 けれども、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 そして、もろもろの比丘よ。その熱灰地獄に殆ど接するようにして、1ヨージャナの高 さに聳え、指16本分の高さを持った熱く焼け、燃えている巨大な針の木の林が揃って 存在している。 もろものの獄卒は、彼にそこを登ったり降りたりさせるのである。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 けれども、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 そして、もろもろの比丘よ。その針の木の林に殆ど接するようにして、巨大な剣の葉の 林が揃って存在している。彼は、そこに堕ちる。 様々な風に動かされた葉は、彼の手を破り、足を破り、手足を破り、耳を破り、鼻を破 り、耳と鼻を破るのである。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 けれども、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 そして、もろもろの比丘よ。その剣の葉の林に殆ど接するようにして、巨大な海河地獄 が揃って存在している。彼は、そこに堕ちる。 彼はそこで流れを下って運ばれ、流れをさかのぼって運ばれ、流れを上下して運ばれる のである。 彼はそこで、非常に激しい苦痛を受ける。 けれども、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 その彼を、もろもろの比丘よ。もろもろの獄卒は釣針を使って引き上げる。 陸地に立たせて次のように言った。 「おい、男よ。お前は何か欲しい物はあるか」 彼は次のように言った。 「すみません。私はお腹が空いております。」 その彼を、もろもろの比丘よ。もろもろの獄卒は熱く焼け、燃えていて、灼熱した金バ サミで口を開き、熱く焼け、燃えていて、灼熱した鉄丸を口に投げ込むのだ。 それは、彼の唇をも焼き、口をも焼き、喉をも焼き、胸をも焼き、大腸と小腸をも持ち 去って、下部から出るのである。 彼はその時、非常に激しい苦痛を受ける。 けれども、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 その彼に、もろもろの比丘よ。もろもろの獄卒は次のように言った。 「おい、男よ。お前は何か欲しい物はあるか」 彼は次のように言った。 「すみません。私は喉が乾いております。」 その彼を、もろもろの比丘よ。もろもろの獄卒は熱く焼け、燃えていて、灼熱した金バ サミで口を開き、熱く焼け、燃えていて、熱く燃えたぎる銅を口に注ぐのだ。 それは、彼の唇をも焼き、口をも焼き、喉をも焼き、胸をも焼き、大腸と小腸をも持ち 去って、下部から出るのである。 彼はその時、非常に激しい苦痛を受ける。 けれども、その悪業がつきない限りは、その間、命が終わることはないのだ。 その彼よ、もろもろの比丘よ。もろもろ獄卒は、もう一度大地獄に投げ入れるのである。 *******************************************************************************  相変わらず画面は真っ暗で、不気味な音楽が流れる。  朗読が不気味なアナウンサーから尊師へ交代。  しかし、土壇場で「シュッと一ふり・キンチョール」ってギャグをかまされてもねえ。 *******************************************************************************  では、この愛欲界の一つずつについて、検討しておこう。まず、はじめは地獄界である。地獄界は大きく分けて、3つに分けることが出来る。  その第一番目の地獄は熱地獄であり、第二番目の地獄は寒冷地獄であり、第三番目の地獄は痛みの地獄である。  熱地獄は、長期間地獄と号叫地獄に分けることができる。  この長期間地獄とは、熱に、ものすごく長い間侵されるのである。その長さといったら、それはこの宇宙が、何回となく、何十回となく、何百回となく、何千回となく、創造され破壊される期間を繰り返す間、熱に苛まされるのである。  そして、第二番目の熱地獄は号叫地獄である。この号叫地獄では、その熱のために、熱の苦しみのために、泣き叫ぶというところから、この地獄の意味合いが説かれている。  この他に、大地獄等の地獄があるわけだが、ま、その細かい検討については、別の本にて述べることとする。  そして、第2番目の寒冷地獄。この第2番目の寒冷地獄は、できもの地獄、これ以上にないできものの地獄、大飢寒地獄、悲痛苦痛の叫び声地獄、地獄徘徊流転地獄、黄蓮華のような状態になる地獄、白水蓮のような状態になる地獄、青蓮華のような状態になる地獄。白蓮華のような状態になる地獄、紅蓮華のような状態になる地獄に分類することができる。この期間は、熱地獄以上に長いと言われている。  それでは、このひとつひとつについて検討しよう。  まず1番目のできもの地獄は、これは、あの、氷を長い間あてると、その部分が凍傷を起こし、そして水腫が生じる。この状態を考えて欲しい。そしてそれが長期間経つと、これ以上にない「できもの」の地獄、つまり、これ以上にない大きな「できもの」が形成される。  そして、3番目が、大変長い間、その寒冷の地獄をさまよわなければならない地獄である。もちろんこの大変長い間、大変な寒冷地獄を歩き続ける訳だから、悲痛・苦痛の叫び声を上げることは言うまでもない。よってこの地獄の名前があるのである。  ここで一つ皆さんは考えなければならない。それは、この寒冷地獄の特徴は、その悪業が蓄積されればされるほど、冷たく、そして長い間、その地獄にいなければならないということなのである。  そして、この次にくる地獄は、地獄徘徊流転地獄である。地獄は心の現れを中心として形成された世界である。よって、その人の冷淡さ、その人の冷たさが、世界を形成することになる。そして、そこで、腫れ物が出来ては、死に、あるいは、その寒さのために泣き叫んでは死に、また、その世界へ生まれ変わると。これが、地獄徘徊流転地獄である。  そして次に、寒冷のために出来た水腫、この水腫が少し裂ける。裂けると、その身体から黄色い汁が出てくる。この汁をもって、黄蓮華地獄というのである。この黄蓮華地獄からの先の地獄は、その状態のひろさをあらわしている。  その、黄色い汁の出る状態から、次は、もっと裂け目が酷くなり、個数が増え、そして、白水蓮のように、内側から白い物が出だす。これが、白水蓮地獄である。そして、冷たくなった血液が少しずつ染み出すようになり、この状態を、「青蓮華のような状態になる地獄」と称しているのである。  そして、この静脈血が完全に出なくなったあと、その内側に白い物、つまり皮下脂肪が見え、「白蓮華のような状態になる地獄」が形成される。そして、それよりもう一歩進むと、その脂肪が取り除かれ、そして、赤身が見えてくる。この赤身が見えてくる状態が、「紅蓮華のような状態になる地獄」なのである。  これは、地獄の概略である。これは、追って、地獄編をもっと詳しく書くつもりでいるから、その時詳しく、皆さんに、お教えしたいと思う。  そして、その私の経験、瞑想体験から、あなた方に、地獄というものが、どのような形で形成されているかについて、これから、少し話をしたいと思います。  まず、仏典では、どのような記述があるだろうかと。あなた方も知ってのとおり、三つ又の矛で、ねっ、両足・そして肛門から突き刺され、火で炙られる。あるいは、針の上を歩かされる。あるいは、熱い鉄板の中を歩かされる。あるいは、鍋の中に、物凄く沸騰したお湯が入っていて、その中で煮られる。あるいは、切り裂かれるといった記述があるのを知っているだろう。どうだ。  そして、この地獄そのものは、2500年前の地獄であると理解しなさい。何故ならば、この欲六界を構成しているもののデータというものはどうだ。コーザルの世界に存在していると言えないか。ということは、今の世界を投影するならば、そして、私たちの為したことを検討するならば、地獄といいうものは、形が変わって当然だね。どうだ。  2500年前に、果たして電子レンジがあっただろうかと。あるいは、2500年前に殺虫剤があっただろうかと。よく考えてみよう。まず、2500年前の調理法、たとえばこれは、貝類などは今と同じように、生きたまま放り込み煮るだろう。どうだ。ということは、これと、釜ゆでの刑というものは、全く矛盾しない因と果ではないかと。どうだそれは。  あるいは生きたまま串刺しにして焼くという作業、これを行うだろうと。どうだ。こういう食べ方もあるよね。どうだ。  あるいは生きたままの魚を、ねっ、活き作りと称して、切り裂き、そしてそれを食べると。どうだこれは。  あるいは生きたままのエビの皮を剥き、あれは少し酒に漬けるのかな、それを口に放り込み、そのピンピンとした、ねえ、エビの動きを舌で楽しみ、食べると。どうだこれは。 あるいは生きたままのものを鉄板で焼く。どうだこれは。  ここら辺は、今も2500年前も、あってもおかしくないよね。どうだ。そして、この地獄の表現というものが、同じような形で表現されたとして、当然カルマは、1に対して1返る訳だから、同じ形で表現されてもおかしくないよね。どうだ。  だとするならば、この地獄の記述というものは、正しいと考えて良いんじゃないか。どうだ。  どうだ。現代の地獄はどうだろうかと。たとえば、生き物に対して、爆竹をつっこみ、火をつけ、爆破させると。こういう殺生をした人もいる。ま、この中にもいるだろう。どうだ。こういう人たちの行く地獄はどういう地獄だ?  獄卒が肛門にダイナマイトを打ち込み、火をつけ爆破させると。  たとえば、堕胎はどうだ。堕胎は、棒をつっこみ、グチャグチャにして引き出すと。これはちょうど地獄も科学が進んでいるだろうから、きっと、ミキサーの中に放り込まれ、グチャグチャにされ、殺されると。あるいは、まだ時代遅れであるならば、すり鉢かもしれない。どうだ。  たとえば、「シュッと一ふり・キンチョール」と。殺虫剤によって虫を殺すと。その、殺虫剤によって死ぬときの虫の苦しみを考えたならば、どうだ。同じように、獄卒に「シュッとひとふり」されて、もがきながら死んでいくと。それを何度も繰り返さなければならないと。どうだ。  そして、君たちは自己の過去を振り返りなさい。自己の過去において、そういうカルマを為したことがあるのかどうかを検討しなさい。しかも、それは、心の単純なる喜びとして、弱いものを虐待する心の働きとして、経験したのだということを考えなければならない。  そして、今の世の中は、より一層物質化し、その「生」と「死」というものの区別をはっきりとつけ、自分たちとは一切関係ないような形で、社会を運営していこうとしている。その典型的な例が、あなた方も知っての通り、日本人の殆どの人が病院で死ぬということだ。そして断末魔の苦しみというものを見ることができないということだ。  私は地獄を見たことがある。地獄を経験したことがある。そして、実際、この世において、弟子達を心を込めて叩くことによって、それが体に返ってくると。 ***ジャンル -[[真実系]] ***総合評価 -レベル1 ***コメント所 - 記事がなかったので作成しましたが、こんな感じで良かったですか? -- 39 (2011-08-29 20:34:14) - ↑ありがとうございます。 -- 管理人 (2011-09-03 00:52:43) #comment() ***タグ &tags()
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