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 西武鉄道多摩湖線一橋学園駅。神谷ヒカルと、彼女に同行しているという茅ヶ崎まゆらとの待ち合わせ場所。
 駅前に、ヒカルと、彼女と歓談している少女とを見かけて……私とネネコと真咲は、改札口を出たところで硬直していた。
「――私は千年前の話が始まるまでの狂乱が好きやってんや~」
 長期連載しているラノベから次第に笑いが失われていくのはスレイヤーズ以来の伝統だの、ラノベ原作の深夜アニメは大抵キャラデザが残念だの。
 関西弁っぽいアクセントの間延びした口調で、ヒカルとかなり腐った会話を繰り広げていたのが、二級魔法少女・茅ヶ崎まゆらだった。
 清楚なコーディネートにふわっとしたロングの猫毛と柔和な表情が、ほんわかした雰囲気を漂わせている、いわゆる癒し系の中学三年生。
 ――なんて印象が、例の腐った発言の数々と、両手に抱えたサイケデリックな塗装を施されている巨大な藁人形とで次元の彼方に吹き飛ばされる。
 何これ。いや、本当……何だこれ。人間の子供くらいの大きさの、ショッキングピンクやビリジアンがひしめく不気味に色取り取りな、藁人形。
「……妖精ですわん。おそらく、あれが光妖精のナナルリエちゃんですの」
 と、キャリーケースの中で仔猫のネネコ。真咲が全く理解できないという顔で、ネネコと私とを交互に見詰める。
「妖怪の間違いじゃないの?」
「それ、妖精が言われて最も傷つく禁断の呪文ですのよ」
「かわいくないんだもん。むしろ禍々しいって言うか? あれが仮にポケモンだったら子供のトラウマになること必須よ」
「何故ポケモンに例えたのかと小一時間ですわん」
「コンコン、コンコン、釘をさっす~♪ わらの、人形、血を流っす~♪」 
 本気でトラウマになりそうな薄気味の悪いメロディーを口ずさみながら、真咲が肩をすくめて歩き出した。
 こちらに気づいて視線を向けるまゆらの腕の中で、藁人形――光妖精ナナルリエがぶるぶる震える。……あー、どう見ても呪いの人形だわ、これは。
「おだまりやっ、あねさまのいぬぅ! あねさまのいぬがっ、なーなをぶじょくしたぁ! ぶじょくしたぁ!」
「喋ったよ!? 怖っ! こいつ本当に怖っ! んでもって誰が犬よ、誰のよ!?」
「りああねさまにっ、きまっとやっ! おぎのはなまさきぃ!」
 リア姉様。リア姉様の犬、荻ノ花真咲。どうやら人違いしてるわけだ、今は瓜二つだし。
 ああ、そうだ。あの色んなことがあった日曜日に、電話の向こうでリアに絡んでたのがナナルリエだった。そう言えば。
「……でっ? でっ? あねさまはぁ? あねさまはいずこやぁ? なーなにごようかやっ? はよぅ! はよぅきやっ!」
「えーと……誰に間違えられているのか理解すれば理解するほど頭痛がするんだけど……」
 渋面の真咲に、ヒカルがナナルリエを“正規の相棒であるリアの異母妹”と紹介する。
 ……って、それ私も初耳だし。彼女も人形になるタイプの妖精だって聞いてはいたけど。
 ま、それは置いといて。それぞれ簡単に自己紹介を済ませ、私達は道すがら情報交換をするということで、ある少女の家に向かった。
 ――妻木麻衣子。かつて雷妖精アリアロッタに導かれ、四級魔法少女カミナ・ルイとして戦った過去を持つ小学五年生。
 そして「魔法少女を倒すと評価値が大きく上がる」という“裏技”を示すきっかけとなった事故の被害者。
 ――茅ヶ崎まゆらが、あの“雷使い”との関連性を疑っている少女。


「――ほやねえ~、東京も広いようで狭いて言うかやあ~」
 例の藁人形を両手に抱えたまま歩を進め、すれ違う人々の視線を浴びながら、まゆらが妻木との馴れ初めについて語った。
 妻木がまだ魔法少女であった頃。彼女が強力な魔物に返り討ちにされピンチに陥ったところを、まゆらが助けたことがあったって。
「それからやあ~、まあ、ご近所さんやしやあ~、昼間ばったり会うこともあったんよ~」
 たまに世間話をする程度ではあったが、二人はそれなりに親しい関係だった。らしい。
 頭の悪い構ってちゃんの藁人形が何度も口を挟み、まゆらが釣られてゆるゆる脱線し……というアフォな会話を整理すれば。
 ……まあ、あれだ。まゆらがこういうキャラじゃなかったら、このコンビは成立してないんだろう。
 普通、こんな呪いのアイテム拾ったりしないし。藁人形が喋り出したら速攻で逃げるし。
「それがある日やんなあ~、麻衣子ちゃん、私らのこと忘れてしまってんよ~」
「いなんだやぁ! ありあろったもいなんだやぁ! あんなにいっしょだったのにぃ!」
「夕暮れはもう違う色やんなあ~。ちなみに私はアス×カガ派やあ~」
「え~? メイリンの方が健気でめんこいよ」
「黙れやがみん」
「これはおかしいなあ思てやあ~、私なりに調べてんよ~」
 ――で、妻木麻衣子が例の事故の被害者だというところに行き着いたわけだ。
 その過程で魔法少女の裏ルール――再起不能のダメージを受けたら云々――にも気づいたらしい。
 であれば、“魔女狩り”の目撃証言がまとまらない原因に思い至る。犠牲者の記憶が失われるからこそ。だからこそ。
 ――二級魔法少女・荻ノ花真咲が最有力容疑者とみなされる速度が不自然……というより、異常だと感じた。
 “彼女”に魔法少女と妖精との目を向けさせ、暗躍する者がいるのではないか、と。
 そこでナナルリエは、妖精の世界の政治的事情に着目した。彼女の異母姉リアには政敵が多すぎる。
 リアの後見人プッティゼファレオニスは、低い身分から一代で権力のかなり上の方に成り上がった人物だそうだ。
 だから、敵が多い。貴族階級には半端なく嫌われているって。
 ナナルリエの養父アドウイースタントリスティアキィマもその一人、と言うか、反レオニス派の代表的人物だそうな。
 ……どうでもいいけど、物凄く頭が悪そうなコンビが、実は誰よりも名探偵やってたってのは、なんか複雑な気分。
 得てして、世の中そういうもんなのかもしれないけど……。
「――ちゃうねんなあ~。多分、裏の裏があるんよ~」
 あの事件で雷使いの記憶破壊攻撃を免れた、真鶴メイ・ティオトリオと神谷ヒカル・ヒィナ、そしてリアの証言から。
 レオニスを嫌い、その配下のリアを妨害しようと暗躍した者を、そうするように仕向けたのがきっと――。
「赤い髪の女、ねえ?」
 薄暗くなってきた空の下、辿り着いた妻木邸の前で、やれやれと真咲が肩をすくめた。


 父親は早くに亡くなり、母親は仕事が忙しくて家に帰ってこない。妻木麻衣子は小学五年生にして広い一軒家に一人暮らし。
 ……とまあ、いつ空から美少女が降ってきても、ウェルカムカモンカモンで受け入れられる環境が整っていたそうな。
 案の定、フィクションの世界よろしく雷妖精アリアロッタと出会い、妻木は非日常なアウターゾーンに足を踏み入れたわけで。
 それからはあれだ。一人ぼっちで寂しそうにしていたマイちゃんが明るくなったのよって、テンプレな展開。
 愛犬(アリアロッタ)と楽しそうに散歩する姿が、あちこちで目撃されていたらしいんだけど。
「わんこの姿がいつからか消えて、マイコはんも家に閉じこもりがちになったって話ですよ」
 午前中から近所で聞き込みをしていたヒカルが、先週から学校にも来てないそうですと真咲に続ける。
「けんど、不自然なくらい誰も心配してないんですよね」
「例のマインドアサシン女が絡んでるって言いたいわけ?」
「むしろ本人なんじゃないかって感じですよ」
 雷使いと、まゆらのケータイに保存してあった妻木の写真と。見比べてみれば、顔立ちが似ている気がしてるって。
 ……このメンバーで、双方を比較できるのはヒカルとヒィナくらいだから真偽は判断できないけど。
「ま、何にせよ子供が行方不明って事態は放っておけないのよね、私」
「教育者として?」
「大人として、よ」
 いつもの赤い手袋をはめてから、真咲が施錠されたドアノブを握る。で、鍵が開いたし。やっぱり。
「先生、これ犯罪なんやないんですかあ~?」
「……よいこはマネしないでねっ☆」
「媚び媚びなポーズと取ってつけたようなスマイルがちっとこイタイですよ先生。今おいくつでした?」
「まだ二十代だよド畜生が」
 先ほどの大人アピールと矛盾するような捨て台詞と共に、27歳独身女が不法侵入を敢行。
 躊躇するヒカルやまゆらを置いて、私が続いた。一々まともなリアクション、取ってらんないし。
「……見ない方が幸せかもしれませんの」
 玄関でまごついている二人と二体とを振り返り、キャリーバッグの中でネネコがぽつりと呟く。
 ――寂しい、哀しい、トラウマになりそうな空間だった。
 フローリングの床に敷かれた、ペット用の赤い滑り止めマット。あちこちに飾られた写真立て。幸せそうな女の子と犬の写真。
 幸福な時間の痕跡が残りすぎている。それが哀しい。どうしようもなく哀しい。
 掛け替えのない友人と、彼女と過ごした記憶とを失くした妻木は、どんな気持ちでこの家にいたんだろうか。
 あー、本当、想像するのも嫌。本当にキツい。冗談抜きで。まさしく明日は我が身だし。
 ダウンな思考で埋め尽くされそうな頭を振りつつ、先行した先公を追う。さっさと全てを終わらせてしまいたかった。


 荻野真咲は魔法少女じゃないから、私達のように、身につまされる感覚はなかったかもしれない。
 だから、その横顔が物凄く険しいのには、別の理由があった。
「フェイクツー……!」
 と、手にした一枚の写真を凝視しつつ、真咲が呻く。
 写っているのは、妻木と、犬のアリアロッタと、もう一人。ぎこちない笑みを浮かべる少女。
 荻野正規でも荻野真咲でもない。仮に、二級魔法少女・荻ノ花真咲を、そのまま瞳も髪も黒くしたら、こんな容姿になる。
 フェイク。偽者。模造品。……誰の? 誰の偽者だ? 誰の模造品だと言うわけ?
 ぞくっと鳥肌が立つ。――真咲そっくりに作られた人造人間。真咲が追う二体の人造人間の片割れ。
 人間にしか見えないこの少女を、彼女はきっと、“破壊”するためこの世界に来た。この、人間にしか見えない少女を。
「……先生」
「うん?」
「あなたは、この子を――」
 殺すつもりなんですか? 衝動的に問おうとしたとき、二階から物音がした。
 ヒカルもまゆらも、それぞれの相棒を抱えて、客間にいる。妻木は留守にしているはずだった。
 真咲が無言で廊下に駆け出し、階段を駆け上がる。即座にヒカルが後に続き、私とまゆらが取り残された。
 ……変身した方がいいんだろうか。逡巡する間にまゆらが藁人形を手近な棚に鎮座させ、両腕を交差させる。
「メタモルフォーゼ~、繭から蝶へ~」
「繭から出るのは蛾だと言いましてよサナエさん」
 変身しちゃったし。あっさり。いいのかな。一般人に見られたらとか考えないのかな。
「ジュリちゃん、何が起きてもコスプレで押し通す勇気や~」
「……そりゃ千秋さんには怖いもんなんてないでしょうけど」
「まあ! 聞き捨てならなくてよ、そこの小娘!」
 自覚はあるらしい。色々と。妖精の少女の姿をしたナナルリエが、ぷうっと頬を膨らませて私を睨む。
 どことなくリアの面影があった。二人とも父親似なのかな、と場違いなことを思わず考えてしまう。
 彼女より幼い。ショートカットにした金髪と、紫色の瞳が印象をがらりと変えているが、顔立ちは似ていた。
「あたくしをいじめるのは楽しくて!? 道明寺のドはサドのドなのだわ!」
「んなアホな」
「よくってよ……! ならば今すぐ証をお立てなさい! その牙が弱者を守るためのものであると!」
「わかったよわかりましたよ変身しますよ」
 床に置いたキャリーバッグからネネコを解き放ち、両腕を交差させる。そしてヒカルが変身してないことに気づいた。今更。


 魔法少女に変身すると同時に強化された聴覚が、二階にいる何者かの声をとらえた。女の、声。
「――をバルサバと認識していればこそ、その真価を見誤るのだエデンの娘よ」
「相変わらず、物語を下敷きにしないと何も語れないのが、お前たちの習性らしいじゃないか?」
 かつて聞いた言葉が冷たく響き、真咲の敵意をこれでもかと伝えてくる。
 あの動く人体模型だとか、動く骨格標本だとかの同類なんだろうか。……だったらヒカルは変身もせずに何やってんの。
 加勢しようとする私を「あかんよ~」とやんわり制し、まゆらが聞き耳を立てる仕草をして見せた。
 言われてみれば、真咲が何かしらの情報を聞き出そうとしている気がしないでもない。
 ……なんか、床を蹴る音だとか、妙な――例えるなら、金属と金属とが激しく打ち合いでもしているような音が不穏ではあるけれど。
「電波言語は理解しかねるが、私があいつを誤解していると言い切る根拠でもあるのか?」
「汝がマティアでなき故に」
「あん?」
「マティアでなき汝と秤にかけられし者が、真にバルサバであると思うか?」
「意味がわからんぞ、と!」
 だんっ、と壁に何かが叩きつけられたような音。例の金属音が怒涛のように連続して鳴り響く。
 ヒカルが感嘆して「先生、超強いなあ」とか呟いてるあたり、真咲が物体Xを一方的にフルボッコしているらしい。
「ようやく見つけた情報源なんだ。通訳が来るまで、ここで大人しくしていてもら――」
 異変。何の前触れもなく居間のテレビに電源が入って、四川省大地震の報道番組を映し出した。
 同じような現象が二階でも起きているらしく、ミヒマルだのEXILEだのが、邸内の色んな場所で一斉に歌いだす。
 電話が鳴った。ヴィバルディの春が何度かリピートされてから、留守番メッセージが流れ出し、ピーッと電子音。誰かが――。
「まだ聞かせるわけにはいかねえぜ! 天使野郎がさえずる預言の歌はなあ!」
 電話だけじゃない。テレビが、オーディオ機器が、謎の男の声を各個に流し、多重に響き渡らせた。
 まゆらが「あかんなあ」と深刻な声を漏らし、階段を上ろうと足を踏み出したと同時に、二階から爆発音。
 地震のような揺れが建物全体を襲い、まゆらがバランスを崩して尻餅をついた。手を差し伸べると、拒否して上を指差す。
「ちょっとな、今度は強いのが来てるんよ~。私はええから早う行ってあげて~」
「今度? 強いの? さっきからネネコには何も――」
「リア姉様の特殊な才能は父親譲りだとお聞きになっていて? そういう類の敵でしてよ、上にいるのは」
 憮然とした顔でナナルリエが言い切った。ああ、そうか。彼女にも、リアと同じ、勇者に仕えた云々の血が流れているんだっけ。
 駆け上がる間に、上からは慌てて変身するヒカルの掛け声と、再び爆発音。聴覚が麻痺した。何も聞こえない。
 やがて階段を上りきると、無音の世界で、やけに古いファッションの青年が一室から飛び出してきた。
 横目で一瞬だけ私を見て笑い、そいつが正面の窓を開け屋外に逃走する。一拍遅れて、真咲が何事かを叫び、その後を追って行った。


 聴覚にダメージを受けたのは、ヒカルも同様だったらしい。「耳が聞こえない、ユーシー?」的なことを身振り手振りで伝えてくる。
 私もですと返し、二人で間抜けなジェスチャーゲームを展開していると、遅れてきたまゆらが小首を傾げてから、ステッキを振った。
 空中にSFアニメ的な四角い黒スクリーンが出現し、その上を金色の光点が鮮やかな軌跡で文字を描き、意味のある文章を綴る。
『リピートアフターミー。ヘッレエ~ン、ジスイズウォーター!』
『うざっ』
 と、聞こえはしないけれど反射的に口をついた言葉が、スクリーンに描かれた。どうやら喋った内容を文字に起こす魔法らしい。
『ミラーナ姫みたいに言うてみた~』
『混ぜるな危険、本題に移るよ?』
 相変わらず小さい身体をフルに動かし、全身でジェスチャーしながら、ヒカルが端的に現状を説明する。
『ノッポさんが天使を一瞬で消滅させたと思ったら、何も聞こえなくなってわけわかめ』
『聞いてるこっちこそ理解不能ですよ』
 現場にいたヒカルとヒィナ。特殊な能力で二階の様子を把握していたナナルリエとまゆら。この四人が意見交換したところ、以下の通り。
 伊達安寿の同族であり、真咲の世界における“人類の敵”、天使。それが、最初に真咲と殴り合いつつ問答していた女。
 妻木のこと。そしてフェイクツーのこと。何か手がかりを得ようと生け捕りにした時、ノッポさんとかいう男が、その努力を無にした。
 ラジカセから発した音波による攻撃――とか言うフィクション臭いスキルが、例の爆発音と地震の正体。
 一回目の爆発で不意を衝かれた真咲が吹き飛ばされ、二回目で天使が木っ端微塵のグロ注意な姿に。
 ――まだ聞かせるわけにはいかねえぜ! 天使野郎がさえずる預言の歌はなあ!
 男の目的は、天使の口から、何かしらの情報が漏れることの妨害。多分。正体は不明だ。ナナルリエ曰く、未知の感覚。だって。
『さて、これからどうしたもんだろうね?』
 小さな右手でメールを打ちながら、ヒカルが割と途方に暮れた表情で、私達の顔を見詰める。
 真咲も男も速攻で見失ったし、多分メールも返ってこない。まあ、ぶっちゃけ加勢しなくても大丈夫な気はしてるけど。
 赤い髪の女と雷使いの手掛かりを得るという当初の目的については……まあ、何の収穫もなかったわけじゃない。
 妻木が、少なくとも真咲が追う人造人間の関係者であること。彼女のことを調べるのを良しとしない者がいるということ。
 これだけ状況証拠が揃えば、ひとまず中断していた家捜しの続行にも意味があると――。
「やあ、随分と悠長なことを考えているじゃないか」
 無音のはずの世界に、聞こえるはずのない声が響き渡った。まゆらが警戒してステッキを構える。
 ――光の渦。白い鳥の羽根――を模した光が渦を巻いて視界を埋め尽くし、消えた。
 渦の中心であった場所に、声の主である伊達と――今更この人外が何しようと驚かないけれど――シオン。
「百合サン……?」
 正式名称を紫苑弐式というロボットが、やけに人間臭い表情で、驚きに目を見開いていたのだった。


「おかシいデスね……。扉ハ、百合サンにつながっテいたとイうコト……?」
「扉を開いたのは、君達が呼ぶところのフェイクツーでなくフェイクスリーだったようだね」
「スリー……三機の内でハどちらカと言ウとノーマークにシていタ機体でスね」
 しばらく考え込むような仕草をしてから、バチカンの秘密主義はどうにかならないのかとシオンが呻く。
 伊達が肩をすくめ、睨むシオンを放置してから「耳は聞こえるようになったはずだ」と私に告げた。
「赤い髪の女、さ」
「は?」
「君を殉教しなかったヨハネと呼んだ赤い髪の女を、米軍では便宜的にフェイクスリーと呼んでいる」
 フェイクの、スリー。ツーが荻野真咲の偽者だとしたら、スリーは――。
「考え過ぎない方がいいな」
「はい?」
「……いや。ひとまず今は、行動の時だと言うことさ」
 伊達が視線を移してヒカルとまゆらとを一瞥し、手分けした方がいいなと両手を打ち鳴らす。
 どうでもいいけど、いきなり現れたこいつが何で仕切っているんだか。
「頭の回転は速いけど足が遅い君はこの場で調査を続行、一番強い君がその護衛」
 瞬時に各々の能力を見極め、まゆらとヒカルに指示を出してから、伊達が意味ありげな笑みを浮かべた。
「こういう具合に、自然と何の特長もないジョゼットがマティアのフォローに回ってたわけだ」
「ジョゼット・レヴィのコトですカ? ……彼女が今コの状況に何カ関係が?」
「あるよ。まあ、この件については君の真の主の口から聞くといい」
 特に差し迫った様子もなく「急ぐことだね」と薄暗くなった空を指してから、床に散乱した写真を拾う。
 あの男か真咲かに踏みつけられ、ぐちゃぐちゃに歪められた、妻木とフェイクツーのツーショット。
「マティアの位置は捕捉できたかい?」
「平均時速142.597kmで、ランダムな軌道ヲ描いテ移動中」
「やれやれ、ハリウッド映画じみた数字だな」
 写真を両手で挟み、開く。皺が伸び、妻木が過ごした幸せな時間の、記録だけが復元されていた。
「軌道予測ハ……難シいですネ。素直に後ヲ追うシカないヨウです百合サン」
「へっ? つまり、その……時速140kmを?」
 単純計算で秒速40mくらいになるんだろうか。魔法少女の限界を超えた数字に気が遠くなる。
 さっきの瞬間移動では真咲を追尾できないらしいけれど、それにしても――。
「無茶じゃないさ。君というストーリーテラーの隣に、僕が――天使がいるからには」


 とん、と軽く背を叩かれた。
「黒き焔に堕天の翼を、その手に取るべし空を裂く刃」
 伊達の静かな声とは対照的に、かあっと身体中に熱が篭る。高揚感、というのか。変に、ハイな――。
「主よ、我々は反逆する」
 意識が弾けて……何だろう。世界に溶けて、世界そのものが私になった、いや、取り込んだような感覚。
「あはっ……!」
 笑いが込み上げてきた。衝動的に、右手に握った“鎌”で目の前の壁を斬り裂き、斬り裂き、斬り裂く。
「あはははは!」
 歪に切り取られた空に飛び出し、翔んだ。紫紺の空を翔んだ。風を切り。“黒い翼”で風を切り。
「あっはははははは! あの人が見ている景色っ! あはっ! これがあの人の世界で、私達の世界!」
 翔べ。翔べ。翔べ。翔べ。翔べ、翔べ、翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ翔べ!
「あはははははははははははははははははははは!」
 経験したことのない興奮。開放感。全てが無限で全てが無。ただ私がいて、私が世界。
「ジュリアん! あなた……その……正気、ですの……?」
「あはっ! 正気も正気、わかってるってばあ! 先生に追いつけってんでしょ? わかってるんだって、あははっ!」
 しがみつくネネコを左手で支え、背中に光の翼を生やしたシオンがのこのこついて来ているのを確認し。
「遅い遅い遅い遅い! そんなんじゃあ遅すぎるんだってばあ!」
「きゃアっ!? 百合サン、鎌が! 刃ガ顔に当タりマス! 危ナイのデス! 危険なノです! 先端怖イ! 怖いデありマス!」
 道案内が何か喚いているけど知ったこっちゃない。右手で鎌ごと首根っこを掴み、翼をはためかせる。
「先生はどこよガイドさん? 前後左右どれに向かえばOK? 3、2、1、キュー!」
「東……後ろデス! 太陽ト逆方向!」
「あっは! 逆じゃん! 駄目じゃん! そおーれ、とんぼ返りいっ! あははははははは!」
「っキャあああ!? 髪ガ! 紫苑ノ髪が切レたのデス! マシュマー強化シすぎたカあーっ!?」
「あはっ、ジムがいなくて可哀想な可哀想なデラ! チョップを火にかけておくれ! あははははははははははは!」
 愉快痛快で気分爽快。どうしようもなくおかしくて仕方がなくて、込み上げた笑いに理性が吹き飛んだ。
 クリアになった頭の中で、鮮明になる私の願望。余計な感情を取り払って、最後に残った私の欲望。
「いいとこ見せたいの! 誉められたいの! 喜んでほしいの! 私を見てほしいの!」
「イやあああアアああああああ!? 紫苑のピンチは見テ見ぬ振りでアリマスかあああアああアあ!?」
 速く。もっと速く。背中の翼が変形し、飛行機のそれを模してメカニカルに展開する。
「いいっけえええええええええええええええええええええええええっ!!」


 爆発音とともに、眼下の景色が視認できない速度で流れる。見ろ、人がゴミのようだ。
「――あかりサンを通じテ、お嬢様ト連絡を取り合っテいたノでアリマスが」
 早々に私との会話を断念したシオンが、ネネコに伊達安寿と共に現れた経緯を説明してる。
 ま、聞かなくてもわかる話。彼女が捜していたのは……本当に捜し求めていたのは、マサキでなくて。
「あはっ! 可哀想なマサキさん……! 行方知れずのメシアの偽者で、代役でしかないってさ! 誰も彼もが!」
「……メシア?」
「私の中のジョゼットが教えてくれるの! 秤にかけられたのは、メシアとバラバだって!」
「百合サン!? 待っテ! アナタ、一体――」
「あっはははははは! わかってるんだってばさあ、私には! メシアが死ななきゃ成立しないのが、あんたたちの物語!」
 ――そして私は否定する。人々の望んだ未来を否定する。知ってしまった、私の望まぬ結末を。
 白く塗り潰すの。新たな物語を紡ぐために。
「――百合サン!」
 栃木まで来たろうか。シオンが警告する声と同時に、雷鳴。森の中で、炎が夜を照らす。
「御主人サマです! 御主人サマが、襲ワレているのデス!」
「どうしてこのタイミングで、ここにいるんですの!? あの人は!」
 二級魔法少女・荻ノ花真咲が神出鬼没で、日本全国のどこにでも出張してくるのは……でも。
「先生は!?」
「お嬢様……お嬢様も、コチラに向かっテいます。何故デス? これでハまるで――」
「偶然じゃないってことでしょ! あはっ! 来た来た来た来たあ!」
 目を凝らす。左、だから北。木々の隙間にあの男の姿が見え、その後ろに真咲がいた。
 ただ逃げ回っていたわけじゃない。あいつは、きっと最初から――。
「聞かせてやるのさ! 目が覚めていない腑抜け野郎に、魂を揺さぶるロックンロールをなあ!」
 突如としてその男が上空に現れたことを知覚し、戦慄すると同時に、衝撃。
 叩き落され、地面に転がると同時に、マサキがいた方向に巨大な電光の柱のようなものが生じる。
「雷使い……!? あはっ! やっぱり仲間なんだ、あんたら!」
 ネネコとシオンを放し、立ち上がってから、鎌を両手に握り直した。
 妻木を探っていたら現れた男。そいつとマサキを挟み撃ちにしようとする雷使い。
「まとめて潰せばいいってことじゃん! あははははははは!」
「あいつは目を覚まさなくちゃいけねえんだ! イゼベルの邪魔はさせねえぜ!」
 イゼベル。赤い髪の女。フェイクスリー。全てが、つながりかけたような――。


「そこをどきやがれぇぇっ!!」
「あはっ! 好きにはさせないってさあ!」
 炎の中心へと向かう男に鎌を振る。かわされた。けど、足は止めた。
 その隙に追いついた真咲が、無防備な背中に青白い光を放つ拳を叩き込み、吹き飛ばす。
 ――いや。吹き飛ばされたんじゃ、ない。衝撃を利用して、跳躍した?
「満員御礼大感謝! 俺達チーロンのサウンド、たっぷり聴いていきやがれ!!」
「しまっ――」
 真咲の声が爆発音に掻き消されると同時に、後方から衝撃波。
 よろけて地面に手をついた瞬間、男がラジカセを私の頭部に押し当てた。
「ガチガチなんだよ、お前ら! ハートを開かせてやるぜっ!!」
 かちっ。そして爆発音。衝撃波に吹き飛ばされ、宙を舞う。
 ――聞こえた。子供の声が聞こえた。あたしは麻衣子、四年生だよ……って。
 やだ。気持ち悪い。理屈抜きで理解してしまった。その力がラジカセという形で具現化されている意味。
「あっはは! 録音したんだ! どういう理屈か知らないけどさあ!」
 プロセスなんかない。ただただ直感的に、漠然と答えが導き出される。
 記憶。誰かの想い出に刻まれた声。妻木の家で、録音した。――マサキに聞かせるために。
「俺の歌は声すら失くした魂の叫びだ! あいつの目を覚まさせる炎の歌だっ!!」
「させないって言って――」
 不意に、意識が遠のいた。落下。土の感触。駄目だ。この男に、好きにさせちゃいけないのに。
 イゼベルを名乗る、あの赤い髪の女の思い通りにさせちゃいけないのに。
 雷使いの能力でマサキを暴走させたあの女が、企んでいることなんていうのは――。
「道明寺ちゃん!」
 いけない。何やってるの。私のことより、あの人を心配しなくちゃ。守らなくちゃ。
 頬を叩く手袋の感触が不愉快で、もどかしくて、どうしようもなく焦っているのに。
 ――やめてよ! お姉ちゃんを殺さないで! 悪いのはあの人たちじゃない! やめてよお!
 子供の声が頭の中で反響し、思考力を奪っていく。駄目。急いで。急いで。
「――ついてきなさい、二号機の子!」
「了解ナのデスっ、お嬢様!」
 もう遅い。間に合わなかった。私達は、間に合わなかった……。

 ――平成20年6月7日。あまりに悲痛で、耳を塞ぎたくて、喚きたくて。そんな叫び声と共に終わった一日。