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 今一度、かの騒乱を振り返らねばならぬ。
 発端たるフランスにおける軍事クーデターが、結果としてこの世界の全てを揺り動かしたこと。強いて端的な表現をするなれば、天使の降臨という奇蹟が、宗教的にも、政治的にも、軍事的にも大きな意味を持ち、良くも悪くも時代を加速させたと言えるであろうか。
 ――あえて、時代は加速したのだと記する。アブラハムを起源とする啓示宗教においては、彼らの信ずる唯一神ヤーウェを崇めぬことが罪である。“邪教の神”を崇めることが死に値する大罪である。故にあの惨事を招いた。
 フランスに滞在する中国国籍の有色人が、彼らの神を信仰していないことを理由に公開処刑された、あの惨事である。世界――殊に、有色人や非キリスト教徒によってなる国々が受けた衝撃というのは、天使降臨の奇蹟に酔いしれていた者たちの想像を越えていたであろう。人類の半数以上が、天使を自らの存在そのものを否定する敵であると認識せざるを得なかった。心安らかでいられたのは白人のキリスト教徒くらいのものであったろう。
 これが引き金である。時代が加速した。冷戦、あるいはそれ以上の緊張を以て、世界各国が軍事力を増強し、またフランス軍事政権との関係を大きく見直すこととなり、互いに疑心暗鬼に陥りながら混迷を深めていった。要するに、フランス軍事政権および彼らが擁する天使たちの下につくか、敵となるかで世界が大きく二分されていたと言えよう。
 ――十二使徒と名づけられる対天使用遊撃隊が、時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の号令により結成されたのはこの頃であるらしい。
 第264代教皇ヨハネ・パウロ2世。本名をカロル・ユゼフ・ヴォイティワ、通称を“空飛ぶ聖座”という、波乱の国ポーランドに生まれた実践の平和主義者であり民主主義者である。諸宗教および異文化への理解深く生命倫理に厳格なこの男にとって、前時代的な宗教観を基に人命を容易く奪う天使の所業は堪え難いものであったのかもしれない。教義に対しては保守的な姿勢をとっていた教皇が、彼らの信仰にとって大きな存在である天使を討つべしと果断したことが、それを想像させる。
 13機のAutomatiqueHurlerがどのような経緯で開発されたのかは未だ不明であるが、その主を聖職者に限定せず――殊にAH-13を荻野真咲のような“異教徒”へと託す人事は、前時代への訣別を宣言したものであるかもしれなかった。
 ――十二使徒である。
 あらゆる垣根を取り払い人類全体が協力すべきであるという教皇の理想と、ともすれば排他的ですらあるバチカンとの妥協点が、白人のカトリック信者であれば身分や国籍は問わぬというところに落ち着いたものらしい。更にはAHの性質からして主に高い身体能力が必ずしも求められるものではないと当時は考えられていたこともあり、プロパガンダとして若い女性を選抜することとなった。
 こうして集められた女達の中に、例えばドイツ生まれの優秀な軍人であるユーディット・ブッフホルツがいて、当時は13歳の平凡な少女であったパトリシア・シルベストルがいる。バチカンとしては、天使に物申すという意思を全世界に示せばそれで良いと考えていたものらしい。
 ――第十三使徒マティア、荻野真咲がその苛烈な戦に身を投じるまでは。


 ヨーロッパにおける戦史を鑑みるに、荻野真咲とAH-13紫苑が歴史の表舞台に現れる以前の十二使徒と天使ないしこれを擁するフランス軍事政権との抗争というのは、中世末期に長弓や火器が採用され集団戦法が中心となっていった流れに逆行するものであったと言える。
 当時のフランスでは天使たちの行動予定が国営放送によって逐一アナウンスされていたことと、カトリック信者の総本山であるバチカンが天使への敵対行動に消極的であったこととが、例えば騎士と騎士との一騎打ちのような状況を形成していったのだろう。その時点では抗争の焦点も天使による公開処刑を十二使徒が阻止するか否かに止まっており、処刑の対象とされた“罪人”を除いては、フランス軍事政権側にもバチカン側にも死人が出ることなど考えられもしないものであった。
 軍事政権に統治されているフランス市民にしても、天使を神聖視こそすれ武力行使による排除を望むという声は――少なくとも白人社会においては――あまり見受けられなかったということも、言ってみれば馴れ合いのような空気を醸し出す一因であったに相違あるまい。
 ――これらが背景として、荻野真咲を「極東から吹いた災厄の風」「血塗られた東洋の魔女」「神を畏れぬニコライ信者」たらしめている。
 荻野真咲とAH-13紫苑の異質さは、彼女たちが徹底して長大な日本刀で天使の首を撥ね、殺傷し続けたことにある。これは初陣から既に味方であるはずのバチカンからも批難され共同戦線を張るべき十二使徒との対立をも招いたのだが、彼女が一人の武官として揺らぐことはなかったようである。
 そこには八百万の神という一神教とは真逆の宗教観を持つ者にフラットな視点で行動させるべしというローマ教皇の意向があり、果敢に死地へと向かい世論を突き動かす人柱になってもらわねばという米英日の政治的な目論見が作用していたのであろうが、何よりも真咲が己の価値観にそぐわぬ者を粛清しようというシステムそのものを許せなかったらしい。
 フランス軍事政権が世界に覇を唱え国外へとその目を向けたとすると、実に国民の99%が粛清の対象となり得る日本という国に生まれ育った切迫感。白人のカトリック信者のみで構成されていた十二使徒にはこれがない。彼女たちに真咲の信念を理解できようはずもなく、故に、双方が歩み寄るには多少の時間を要したようである。
 十二使徒に選ばれた女たちに、それぞれ果たすべき役割があったと仮定するのであれば、先に述べたパトリシア・シルベストルが両者の関係を取り持つ役であったろうか。
 その時期は定かでないが、同じく十二使徒であるイタリア人アデリーナ・オルフェイやフランス人ジョゼット・レヴィと共に作った焼き菓子を真咲に勧め、茶会に誘ったのがその始まりであったと十二使徒の証言記録に残っている。
 フランス東部に位置するブルゴーニュの農家に生まれAH-12の主に選ばれたこの少女は、十二使徒において最年少であり戦闘指揮能力も高いとは言えぬが誰よりも物怖じせず社交的で、ムードメーカーとしての貢献はそのハンディを補って余りあるものであった。積極的に真咲との交流を深め、彼女と十二使徒とを次の段階へと導いたのはそういう少女である。ナザレのイエスに仕えた十二使徒というよりは、そこに名を連ねることのできなかった聖使徒パウロに近いのかもしれない。


 ――アデリーナはイタリア人だから陽気で軽薄なのだ。
 聞き覚えのないメロディーを口ずさむ同僚――十二使徒アデリーナ・オルフェイを横目に、同じく十二使徒であるジョゼット・レヴィは軽く溜め息をついた。黒猫の姿を模したAH-7の主を任じられ、母国フランスを統べる軍事政権および彼らが擁する天使との抗争に身を投じるようになって数ヶ月。一種の馴れ合いとも呼べる状況が戦闘行為に対する恐怖を和らげているのと同時に事態の進展を予感させず、当時16歳の少女であったジョゼットに厭戦の感情を喚起させている。
 十二使徒におけるジョゼット・レヴィの立ち位置というのは、後に振り返ってみれば異質なものであったかもしれない。
 仮に最も戦闘指揮能力の高い者なり戦果を挙げた者なりを選出するなればユーディット・ブッフホルツがこれに該当し、最も勇敢な者であればエスメラルダ・ララインサルが該当するであろう。こうした手段で各十二使徒の特長を指折り数えた場合、そこに名前が挙がらぬのがジョゼットである。
 このアレルヤ事変と呼ばれる騒乱が終焉を迎えるまで、彼女の特異性に着目する者はいなかったであろう。特に目立った能力を示すでなく、功績を残すでなく、それでいて、この騒乱における重要な局面には常に立ち会い、そして生き延び続けている。それを偶然と呼ぶのか、必然と定義しその所以を探求するのかは、また別の話となり本題から外れる。が、荻野真咲というファクターを論じるにあたって欠かせぬ存在である。彼女が歴史の局面に立ち会い、その中心に、第十三使徒マティアこと荻野真咲がいればこそ。
 ――話は戻る。
 ジョゼット・レヴィは憂鬱であった。“陽気で軽薄な”アデリーナが、内向的なジョゼットを振り回すのは、まあ、良い。焼き菓子を作るのも嫌いではないし、アデリーナが淹れるこだわりのエスプレッソは――彼女が吐き気がするほど大量の砂糖を投入する光景が不気味なことを除けば――好きだった。母国を同じくする年下のパトリシア・シルベストルは気安く付き合える同僚であったから、彼女を囲んで完成した焼き菓子に舌鼓を打つのもやぶさかではない。
 ――パトリシアが、あのマサキ・オギノという東洋人を招待しようと提案しさえしなければ。
 溜め息。金属を毛皮で覆ったAH-7の硬い背中を撫でながら、相変わらず母国のポップスらしきメロディーを口ずさみつつコーヒー豆を挽くアデリーナの脳天気な背中を見やりながら。二人とも知らないのだ。無知だ。無知にして無謀、無防備なのだ。あの東洋人が、どんなに危険で野蛮で残虐で暴力的な女であるのか知らな過ぎるのだ。溜め息。彼女たちは、あの場に居合わせなかったのだから。
 一昨日。第十三使徒マティアがAH-13と共に突如として“戦場”に現れ、その脅威的な戦闘能力によって青年の姿をした天使を圧倒し、蹂躙し、巨大な刃物で斬り刻んだあの現場。血の流れぬ天使の死体を踏みにじり、言い放った聞くに堪えない――神を畏れぬ、いや、冒涜する――罵詈雑言も聞いていない。あの、敵意に満ち溢れた、刺すような細い瞳に射すくめられてもいない。だから仲良くなりたいなどという妄言を口にできるのだ。行動に移せるのだ。
 溜め息。パトリシアが一人うなだれて帰ってくるのを待っている。あの冷血な東洋の魔女に拒絶されるのを待っている。溜め息。心臓が早鐘のように鼓動する。胃液が逆流しそうな緊張感。
 そして――大きな、溜め息。
 喜色満面のパトリシアが、仏頂面の東洋人と、彼女が使役する機械人形とを引き連れ戻ってきた故の。


 神よ私は憂鬱です。憂鬱です。悪い夢を見ているようです。あの東洋人を罰してください。願わくばあの東洋人を罰してください。あの東洋人を罰してください。あの東洋人を罰してください。あの東洋人を罰してください。あの東洋人を罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。罰してください。あの残虐で非道で極悪で血も涙もない悪魔。そう。あの魔女に罰をお与えください。あの魔女はきっと■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 ああ! だめ。まだ混乱してる。
 マサキ・オギノという日本人の女が、第十三使徒として私たちの■■協力することになった。日本の軍人。階級は少佐で、中尉のユーディットより偉い。小柄で子供にしか見えないけれど、東洋人の年齢はよくわからないから意外と大人なのかも。そのAHが特殊。人間の女の子の形をしていて、異常なまでに性能がいい。オギノの残虐非道な命令を忠実に遂行する姿には、殺人ロボットという表現しか頭に浮かばないけれど。
 ああ、そうだ。
 魔女と殺人ロボットが、天使を切り刻む悪夢! 聞くに堪えない罵詈雑言! 天使の、血を流さない、まるで人形のような■■
 神よ私は憂鬱です。私は何を信■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 私は混乱しているのです。お許しください、神よ。お許しください。

 ――十二使徒ジョゼット・レヴィの手記より抜粋――


 マーサ。その名前が自分を指しているらしいと荻野真咲三等陸佐が理解するのを待たず、少女は矢継ぎ早に続けた。西ユーラシア人ならではの白い顔が、ほんのりと朱に染まっている。
「ジョージィとアディがエクレールを焼いたのよ、マーサ。一緒に食べよ? ね?」
 記憶にない名前。細く整えられた眉をひそめる真咲に、少女が肩を大袈裟にすくめて見せた。青く大きな瞳が真咲の顔を覗き込み、そこに浮かんだ僅かな困惑の表情を映し出す。それは不慣れなフランス語を早口でまくし立てられることに閉口し、AH-13紫苑が組んだ同時通訳プログラムを起動させるべく「コール」と短く呟いた。軽い頭痛と同時に、少女の言葉が真咲の脳内で日本語に変換される。
「あ。誰だそれって顔してる。ひどいなー。仲間なんだからさ、私達。少しは仲良くしようよ?」
「仲間?」
 反射的に少女の言葉を不自然に流暢なフランス語で復唱してから、ふん、と真咲が鼻で笑う。日本政府から旧フランス政府への国際治安支援という名目で、米英から下された密命――フランス軍事政権のシンボルである天使を徹底的に“破壊”しその権威を失墜させるべし――を忠実に遂行した自分が、キリスト教圏内において白人に歓迎される謂れはない。青年の姿をした天使を殺め、その死体を踏み躙り負の感情のままに呪詛の言葉を叫んだ記憶に、自嘲の笑みが歪む。あれから睡眠薬なしでは眠れなくなった。きっと、これからも。
「ジョゼット・レヴィと、アデリーナ・オルフェイよ。私と同じ十二使徒の」
 歪んだ笑みが、十二使徒ジョゼット・レヴィの名に反応して消える。――ああ、彼女か。二日前、天使を殺めた自分に、無言で深く暗い憎悪の視線を向けてきた、線の細い少女。同じくその場に居合わせた十二使徒ユーディット・ブッフホルツが“母国を取り戻すための戦いに身を投じた少女”と紹介した彼女に憎まれたのだ。わかりきっていた事実ではあるが、この国は決して、自分を歓迎していない。湧き上がる複雑な感情を処理しきれぬ故の無表情を、十二使徒と名乗る少女は別の意味に解釈したらしかった。
「あ、私のことも覚えてくれてないんだ? へーえ。ふーん。ひどいなー。薄情だなー。私は十二使徒パトリシア・シルベストル、AH-12のパートナーよ。改めてよろしくね、マーサ」
 十二使徒パトリシアが、邪気のない笑顔で小さな白い手を差し出す。あれから二日が経過しているのだ、同僚が二人も居合わせたあの現場で、自分が何をしていたのか知らないわけでもあるまいに。
「それじゃ、みんなでお茶しよ? みんな、マーサと仲良くなりたいんだよ。ね? ……あ。ひょっとして甘いもの嫌い?」
「……甘いものは好きだ」
 手を握った。パトリシアが浮かべる満面の笑みに、ぎこちない微笑が返る。