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 夢を見ていた。語りかける、声。――誰の?

「信ぜよ我が朋輩」

 あなたは私。私はあなた。あの世界のヒロインに魅せられた、この世界の語り部。
 私は、あなたは、語り継ぐ者。この物語を、あなたに、私に。
 道明寺ジュリアからジョゼット・レヴィへ。ジョゼット・レヴィから道明寺ジュリアへ。
 私たちは、物語を語り継ぐ者。

「この男は聖人君子ではないが、童に手を差し伸べる義侠心くらいは持ち合わせておるでの」

 この世界に、神なんていない――。
 それが彼女の主張。ある物語の主人公の。
 人の生み出した神はいても、人を生み出した神はいない。
 創造主と呼ばれるものに近い存在を仮定するなれば、それは偶然の集合体。必然。
 奇跡と呼び得るもの。
 だからこそ、物語の主人公には偶然がつきまとう。
 例えば、名探偵の赴くところ殺人事件が必ず起きるように。

「嫌いなのよね。一神教の価値観って。独善的でさ」

 彼女には信仰するものなどないと言う。
 私にとってそれは驚き。衝撃的。あまりにも。彼女が、未知の生命体にさえ見えた。
 彼女の生まれ育った国では、それが普通なんだって。理解できない。
 日本人を経済的動物と名づけた人も、そういう気分だったのかなって感じ。
 彼らを正しい信仰の道に導くことは――呼吸するくらいに、当たり前のことだって。
 そういう風に、思ってた。私だけじゃない。十二使徒を構成するみんなが。
 彼女は、余計なお世話だと不機嫌そうに吐き捨てたけど。
 心の底から私達への嫌悪をむき出しにして。
 そういうところが嫌いなんだ。
 自分達の価値観が絶対だという前提で、他者にそれを強いるのがイラつく。
 己の信ずるそれとは異なる価値観を上から目線で否定するのがムカつく。
 結局のところ十二使徒も天使も同じ穴のムジナなんだろう、胸糞悪いって。
 とにかく、彼女の第一印象は最悪の一言に尽きる。
 マティアに比べれば、天使の方がよほどシンパシーを感じる存在だったのは事実。
 天使は、人の祈りが産み出したものだから――。


 女の子の声。絞り出された囁き。愛しい人を、想うかのように。

「家族なのじゃ。わらわにとって、初めての」

 天使は、手段を間違えているだけ。
 ――イエス・キリストの教えを通じて世界を平和に導く。
 その思想自体には何の疑いも抱かなかったのが、十二使徒である私達だ。
 天使。罪人や異教徒を滅ぼすために存在する知的生命体。
 大聖年を祝う街の片隅で、彼らはその殺戮を開始した。
 見せしめのように――ううん、あれは見せしめ以外の何物でもないのよね。
 ブラウン管に映し出された殺戮の光景。
 ロトの妻よろしく塩の柱と化し、崩れ去る人々の姿。
 一夜にして奪われた666の命を手土産に、天使達はこの世界に名乗りを上げた。
 彼らを擁する軍人達のクーデターが、世界を一変させた。
 変化を受け入れる人がいれば、新たな支配者のやり口に反感を抱く人もいたわ。
 力――そう。正義なき暴力による変革と、その恐怖による世界の統一。
 狂信者の暴走は熱を帯び、次第に人々を感化する。
 かつてナチスが熱狂的に支持された頃の空気は、こんなんだったのかなって感じ。
 でも、私は抗おうと思った。私達は、彼らを許してはいけないと思った。
 第三者――マティアにしてみれば茶番にしか見えない決意であったとしても。

「死んで償え。その傲慢さを……!」

 カルヴァンの思想が資本主義を発達させたと言ったのは誰だっけ?
 曰く、人は生まれながらに、主の救済に与る者と、滅びに至る者に分かれている。
 だからこそ人々は、己を「選ばれし民」であると示すべく禁欲的に職務に励むのだ。
 主に与えられた天命を尽くしてこその「選ばれし民」である、と。
 ――マティアに出会う前は、そういう国なんだろうって思ってた。日本って。
 日本人の病的な勤勉さは絶えず襲い来る地震の恐怖からの救済を目的とする故だとか。
 その思い込みを、当の本人は不機嫌そうに否定したけど。
 無表情に、無愛想に、日本人の代名詞とも言える愛想笑いすら浮かべずに。
 ねえ、マティア。
 信仰を持たないあなたを、こうも支えているものは何なの?
 ねえ、マティア。
 もっと話をすればよかったね。友達に、なれたかもしれないのにね。私達。
 マサキ……。あなたは、そこにいますか?


 呪詛。かくも人は、強い憎しみを抱くものなのかと。

「アンタに借りを作るくらいなら、死んだ方がマシだったわよ!」

 最悪なゴールデンウィークになったなって感じ。
 兄さんのところに遊びにきてたのに、旅先で、それも人気のない山奥で同級生に出くわしたりして。
 その目の前で変身して、魔物を退治する羽目にもなって。
 で、挙句の果てに、助けた相手に逆ギレされるとか。何この茶番。気分悪い。ふざけてる。
 とにかくこんな風に逆ギレされる理由が、ここまで憎まれる理由がわからなかった。
 私にとって、山下美鈴は「その他大勢」なクラスメイトの一人でしかなかったし。
 ……ま、年上の男との情事だとか、その相手に捨てられたところだとかを同級生に目撃されたわけだし?
 いっそ死んでしまいたいって思うのはわからなくもないけど。それこそ、穴があったら入りたい的な。
 でも、そういう次元の話じゃないんだなって。そのくらいは私も、空気読めるから。
 私に交際を申し込んできた柳井達也が、彼女の元カレだということは知ってたけど。
 その直後、山下本人に物凄い剣幕で絡まれたし。
 だからこいつがどうなろうと本当は知ったこっちゃないって。そう思わないでもなかったけど。
 死ぬほどムカついてはいても、放置するのは後味悪いし? 街中まで送っただけでも十分すぎるでしょ。
 そう思ってた。その時は。

「消してしまいたい記憶はある。でも、それも含めて私だから」

 学校に行くのが憂鬱だった。気まずい別れ方をした山下と、顔を合わせるのが億劫で。
 でも、それは杞憂。むしろもっと悪い。最悪に。
 山下は学校に姿を見せなかった。その翌日も、その次も。ずっと。
 ほっとするよりむしろ、不安。落ち着かない気分。
 しばらくして、いつになく居心地の悪い教室で同級生に取り囲まれて……彼女が、手首を切ったって。
 一命は取り留めたけど、まだ入院してるって。
 あんたのせいでしょ。美鈴に謝りなさいよ。謝れ。謝れ冷血女。謝れって言ってるでしょ。
 私だったら友達を死なせるようなことして生きてられない。そうよ、あんたが死ねば? 死ねばいいじゃん。
 その目は何? 自分は悪くないってわけ? マジで死ねば? あんたが死んだって誰も困らないし。
 ここぞとばかりに私を責める声。粘りつくような視線。向けられる悪意。
 うるさい。うるさい。うるさい。うるさい、うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!

「老婆心ってやつなんかねえ。余計な世話を焼きたくなるお年頃なんだ、俺」


「ジョゼット・レヴィ。物語の語り部たる汝が望んだのだ」

 変わったのは、私なのか。変わったのは、世界なのか。
 それは禁忌の箱。誰も開けてはならない禁忌の箱。
 私は予定された未来を垣間見る。あなたは予定された未来を垣間見る。
 そして私は否定する。人々の望んだ未来を否定する。
 知ってしまった、私の望まぬ結末を。

「この物語の語り手である君が、その脚本にリテイクをかけたんだよ道明寺ジュリア」

 私が世界を拒むのか。世界が私を拒むのか。
 それは禁忌の箱。誰も開けてはならない禁忌の箱。
 あなたは予定された未来を垣間見る。私は予定された未来を垣間見る。
 そして私は否定する。人々が望んだ未来に唾を吐く。
 私の望んだ未来に書き換える。

「この身体は年を取ることもなく、眠りすら必要としない」

 人はそれを知ってはならなかった。その存在を知るべきではなかった。
 彼女のいない世界。
 その主役たるべき女優を得られず、脚本を差し替えることになった彼の地。
 変わったのは世界。禁忌の箱は開かれた。
 救世の英雄、新世紀のヒロインは、一転して災厄の魔女とみなされた。
 この世界に生まれてくるべきではなかったのだと。
 そして物語は、英雄の死をもってその幕を閉じることとなる。
 でも、私はいやだ。認めない、そんな結末。

「急いで大人になるこたないさ。子供でいられる時間は、思うより短いからね」

 未成年がエンコーしたりクスリやったり堕ちるとこまで堕ちて? 手首も切っちゃってさ。
 それで純愛に目覚めちゃうとか、鼻で笑っちゃうほど陳腐な話。
 簡単に誰かが死んで、これでもかって感動の涙を安売りしちゃって。
 そういうのが流行ってるからって、私の人生、そんなもんで定義されんのは勘弁。
 バカにするな。私は私、好きにさせてもらうから。
 私は誰も殺さない。彼女にも誰も殺させない。そういうのはいらない。
 だから私は、誰かを呼んでいたんだ。誰か。誰か私を、彼女を、私達を……助けて、って。
 変わったのは私。そして私が扉を開く。

「それでも、私は私だ。変わったところも、変わらないところも」

 白く塗り潰すの。新たな物語を紡ぐために。

「人は変わるよ。そうでなきゃ無駄に年を取るだけだ」

 黒く塗り潰すんだ。脚本なんて、必要ない。


 おかしな夢はそこで終わり……なんだろうと思う。本当に変な夢だった。
 目が覚めたって表現を使わないのは、目覚めてないから。意識はあるのに身体だけが動かない状態だから。
 そもそも夢の話なんか書き留めることないって話ではあるけど。ちょっと、自信なくて。
 自分でも、よくわからないから。どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。
 だからひとまず、記憶に残っていることを全てここに記しておく。

 仰向けになっている、というのはわかる。布団らしいものの存在も知覚できてるから、寝かせられているんだなと。
 左手を握る、誰かの手の感触。がさっとして、節くれだった、働き者の手。温かい。
 誰の手だろうか、と思考はできる。身体が全く動かない――それこそ、まばたきすらできないだけで。
 あの薄気味悪い男と出会って、そこからの記憶がない。いきなり例の変な夢に直行して、今ここ。
「そこな小娘が、天才的な魔法少女じゃというのはわこうておるがの」
 子供の声。女の子の声。時代劇に出てくるお姫様のような口調。覚えてる。二級魔法少女・荻ノ花真咲の相棒。
 その名前も……まあ、その、正確には思い出せないけど、長ったらしい名前だったのは覚えてる。
「今の今まで、全く傷を負わなんだわけでもなかろうに」
「ネネコはリアちゃんと違って獣型ですわん。軽い傷なら普通にしていても直りますの」
「むう。それを言われると弱いが」
 ネネコだ。手の主。緊急事態には人間の姿にもなれるとか言ってたっけ、そう言えば。
 妖精から人形に、人形から獣に、獣から人間になるに従って制約される魔力がパートナーに注ぎ込まれるとか何とか。
 でも妖精には獣になるタイプと人形になるタイプの二種類がいて、基本的に獣型は能力が安定していて優秀だって。
 だから本当に滅多な事じゃ……って確かに緊急事態だわ。身体、動かないし。
「マサキちゃ……んと呼ぶのも変ですけど。“彼”、そんなに怪我をしますの?」
「詮無きことじゃ。マサキは常に素手でやり合うておるでの」
「剣を使っていましたわ、昨夜は」
「あれは特例じゃ」
 リア、だっけ? マサキの相棒がむくれたような声を上げて、私を挟んでネネコの向いに座る。
 昨夜は剣を使っていた? それがあのバカみたいに大きな刀のことなら、あれから一晩が過ぎてるわけだ。
 うわ、何で? 何やってんの私。記憶ないし。て言うか、“彼”って誰がよ?
 意味わかんない。頭の中が完全に疑問符で埋め尽くされてる。
「信じられるか? シオンとあの小童が、いわゆるパラレルワールドから来たという話」
「……少なくともこの世界にシオンちゃんのようなロボットの子はいませんわね」
「じゃが、シオンは現れた。その手に武器を持たぬマサキの前に、まるで示し合わせたかのようにな」


 わけがわからない。わからないけど、わからないなりに情報を整理してみた。
 この際、ロボットだとか天使だとかの電波系な単語は総スルーすることとして。

 ・記憶が欠落している頃、私は無意識にハチャメチャの大暴れ
 ・シオンという少女に出会い、まだグズグズ東京に残ってたマサキが私を止めた、らしい
 ・そしてマサキの兄だと思っていた彼が、実はマサキ本人だと発覚
 ・一同は兄さんの家で私の回復待ち
 ・兄さん、外出したマサキを追って外へ ←NEW!

 何この冗談みたいな話。てか、荻ノ花真咲! 何で? いや、確かにあれやこれやの辻褄は合うけど。
 あの時、不自然なタイミングで入れ替わったのも。妖精ネットで子供と馴れ合おうとしないのも。
 とは言えそもそも何で大人の男が魔法少女に選ばれたのかってのが問題だし。
 ……まあ、何となくわかる気はしてるけど。
 結局のところ、変な者同士がお互いに引きつけ合ったんだろうなって。そう思う。何となく。
「――挙句の果てにロボット三原則じゃぞ。アシモフの。機械が人を殺めることなかれじゃと」
「だからトリガーを引く人間のパートナーが必要になる……。ワタクシ達と、同じように」
「正確には化け物じみた怪力の人間じゃがの」
「あら。それは魔法少女ならおあつらえ向きな御主人様ですわね」
「出来過ぎておるとは思わぬか?」
 その相棒が振るう武器を召喚できない代わりに、特異な能力を持った妖精。
 ハンディキャップを感じさせないセンスを持つ魔法少女。
 (種明かしをされれば、そりゃ女の子よりは男の人の方が上手にやれるわって感じだけど)
 そして、シオンという名らしい、魔法少女ならではの怪力に相応しい武器を召喚できる謎の少女。
 確かに出来過ぎているのかもしれない。まるで、それが最初から予定されていたかのように。
「よろしいじゃありませんの。三つの心がひとつになれば、ひとつの正義は百万パワーですわん」
「他人事だと思うて」
「うふふ、そんなに恋人を独り占めできなくなるのがお嫌ですの?」
「なっ!? なななな、な、な、何を、よま、よよ世迷言を! は、恥を知れ、俗物!」
 ああ、そうなんだ、この子。へーえ。
 すっかりネネコのペースに乗せられたリアの上ずった声に、私は彼女を少しだけ理解した気がする。
 初めて兄さんに彼女ができた時、その相手に仏頂面で意地悪をした私と同じなんだ。この子。
 ……そう言えば、結局あれから別れちゃったんだっけ。兄さんには本当に悪い事をした。


「ふふ、照れることはないですの。古来より、人と妖精とは恋に落ちるものですわん」
「……ふん。悲恋に終わるのもまた王道じゃがな」
 ネネコに散々からかわれたリアが、不機嫌そうに唸りながら布団に潜りこんでくる。
 うわ、熱いし。右手に触れてるこの子の身体。顔が見えていたら、茹でダコみたいになってるんじゃないか。
「それ故の掟じゃろうに。おなご同士で組めと言うのはのう」
「alea jacta est、賽は投げられた。恋が走り出したら君が止まらない、ですわん」
「ジュリアの前で人の姿になることを極力避けていたそちには、わからぬ話でもあるまいが」
「さて、何の事ですの?」
「……喰えないおなごじゃな、つくづく」
 少しは平静さを取り戻したらしい。トーンを落とした声が、私の耳元でネネコに投げかけられる。
「マサキの事を思えばこそ、あやつには同族の伴侶が必要だとは理解しておるよ、わらわは」
「でも好きなのでしょう?」
「そうじゃな」
 リアが寝返りを打つ気配。声が、少しだけ遠ざかる。ネネコと私に背を向けて、静かに、でも熱っぽく。
「愛しておる。それが恋愛感情なのか、兄を想う妹のそれであるのかはさて置いての」
「わお、直球ですのね」
「煽っておいてそのリアクションか! このドSめ!」
「ごめんなさいね、思わぬストレートなカミングアウトに照れてしまいましたの」
「いーや、今のは確信犯じゃ。誤魔化されはせぬぞ」
「わかりますの?」
 くすくすと笑い、ネネコが「でも、アナタを応援したいというのは本当ですわん」と付け足す。
 ……ああ、そうだった。他人のコイバナ大好きなんだっけ、ネネコは。
 そう言えばアイポンのブログも進展ないし。この手のネタに飢えていたわけね。
「で、マサキさんの方は脈がありますの? そこ重要ですのよ」
「あったらそれはそれで問題じゃろう」
 確かに。見た感じ、リアは12歳とか13歳とかそのくらいの容姿だったし。うろ覚えだけど。
 マサキがあのロン毛の彼だったなら、少なくとも十代ってことはないから。
「まあ、あれじゃ。今が一番、お互いに丁度よい距離なのじゃろうと思うぞ」
「リアちゃんはそれで満足ですの?」
「あやつはあれで、性別を除けば魔法少女たる要件を満たしておる朴念仁じゃしな」


「はじめは、覇気のないおのこじゃと思うた。貪欲なプッティゼファ家しか知らぬわらわにはの」
「プッティゼファ……。プッティゼファレオニス!? 次期“王の剣”候補の!」
「然様じゃ。平民の希望と謳われる、あの成り上がりのレオニスめがわらわの後見人でな」
 ふう、と溜め息。重い。ずうんと重い。
 その重さが、レオニスという人――もとい、妖精に対しての感情そのものなんだろう。
「コッコクェドゥースイナクシャータの家名を、あやつらは欲しておるわけじゃが」
「没落した名門貴族と新興の実力者の組み合わせですか……。ありそうな話ですわん」
「わらわにお家を再興させた上で、長男の嫁に迎える算段での」
 政略結婚って奴か。妖精の世界にも色々あるんだなって感じ。
 どうにも、ファンタジーな世界は私が思っていたよりもずっと生臭い場所らしい。
「マサキさんを昇級させないのは、その息子さんに嫁ぐのが嫌だからですの?」
「……それもあるが、マサキ自身がそう決めたから、じゃな」
「あら、そうなんですの?」
「マサキはあれで繊細じゃ。己が功名を喧伝され、小娘どもを戦いに駆り立てる道具となることを怖れておる」
 二級魔法少女マサキの存在が、魔法少女達の競争意識を刺激したのは事実だ。
 実際、それを目的とした架空の人物データだなんて噂も一時期は流れていたわけだし。
「マサキは弱い人間ではない。じゃが、痛みに鈍くはないよ。辛い事があれば傷つきもする」
 ふう、と吐息が漏れた。今度は、熱っぽく。
「その上で意地っ張りの潔癖症じゃ。他者に傷を曝け出し、依存することを極度に恐れる。全てを一人で抱え込もうとする」
「わかりますわん」
 ネネコが、きゅっと私の手を握り締めた。
 いつか私に話した、一匹狼な古い知人のことでも思い出しているのかもしれない。
 私にも、わかる気はする。誰かにすがることへの抵抗も、周りがもどかしい思いをするのも。
「……じゃが、あれは優しいよ。それが、損得の勘定が全ての環境で育てられたわらわには眩しい」
 二級魔法少女・荻ノ花真咲を名乗る青年の、その素顔を思い浮かべてみる。
 冴えないけど真面目で、人が好さそうな――どこか荻野真咲に似た、苦笑を浮かべる顔。
 ……いい人ではあると思う。少なくとも、美鈴はあの人に救われたんだから。
「時を重ねるにつれ、あやつを少しずつ理解した。同時に、惹かれた。その強さも、弱さも、全てひっくるめて」
 リアが、また吐息を漏らした。湿り気を含んだ声が、切ない告白を続ける。
「だから今は……。今少し、傍にいたい。精霊界に帰還し、顔も知らぬ許婚に嫁ぐ日までは」


 目が覚めた。見覚えがある天井――兄さんの部屋。何度か遊びに来たことがある。
 ……とりあえず、ネネコとリアの会話が聞こえていたあたりは夢じゃなかったらしい。
 両隣に横たわっているのは、初めて目にする人間大のネネコの寝顔と、背を向けた長い緑色の髪。
 この子がリア。上半身を起こし、寝顔を覗き込む。いつぞやネットで落とした画像と同じ顔。
 私と同い年くらいか。てっきりお兄さんだと思いこんでた、マサキ御本人様とデートしてたあの子。
「……なんだかなあ」
 秘密の話を盗み聞きしたみたいで、ちょっと後ろめたい。不可抗力だけど。そう。不可抗力。
 軽く息を吐き出して、寝ている二人を起こさないようそろそろと布団から這い出る。
 あんな話を聞いておいて、速攻でリアと顔を突き合わせるのは、まだちょっと心の準備ができてないし。
 ……兄さんの部屋。その中央に敷かれた布団の周りが壊滅的にカオス。足の踏み場もない。
 押し入れにはプラモがGISSIRI、平積みされたマンガがDOSSARI。オタクのレベルがあがってる。
「うはあ」
 と、思わず声が漏れた。前に来た時よりエスカレートしてる。これはもはや異性を呼ぶ気が全くない部屋だ。
 兄さんのことだからモテないってことはないだろうに、明らかに三次元の女性を拒むオーラが充ち溢れてる。
 ……まあ、私だって、いわゆる「かわいい女の子の部屋」してないし。お互い様だけど。
 身体の節々がずきずきと痛い。特にお腹。いや、別に精神的なあれでも「あの日」でもなくて。殴られた後みたいな感じ。
 どうやら、取り押さえられた際にやられたらしいと推測しつつ、小さなテーブルの上、美少女フィギュアの隣に置かれたケータイを手に取る。
 美鈴からの他愛もないメールに目を通しながら、眠る妖精たちを起こさぬよう、そっと玄関に向かった。
 無造作に置かれてるのは、兄さんが入学式に履いた皮靴と、踵が履き潰された私のスニーカーと、リアのものらしい真新しいスニーカー。
 ネネコの靴はない。そう言えば、ネネコはいつも裸足だっけ。黒猫の時も、妖精の姿に戻った時も。
 なんてことをぼんやりと考えながら、スニーカーを履き履き扉を開け、部屋の外に出た。
 心配してるかもしれないし、兄さんに「もう大丈夫」って報告、しようと思って。
 マサキを追いかけて飛び出したって言うし、喧嘩になってなければいいけど――。
「あのミニマムな身体に高潔な魂と無邪気さと守ってあげたい愛らしさを併せ持つのがアナ姫様の魅力なわけですよ!」
「ああ。アナ姫様が、アンチロリコンの御禿だからこそ生み出せたアニメ界の至宝だという事実は誰にも否定できない」
「さーすが! 話せるなあ、マサキさん」
 ……いや、いいや。仲良くしてるなら別に。いい年した男二人が、公道で何て話題で盛り上がってるのかなんて。
 渡り廊下から塀越しに見下ろす。肩を並べて歩く、兄さんと、ロン毛の男――マサキ。一ヶ月ほど前に会った彼だ。改めて。
 その後ろには女の子。荻野真咲と同じ呪文で巨大な刀を空中から呼び出した、あの天使少女。
 彼女が、リアとネネコの話していたシオンなんだろう。左右で異なる色をした瞳が、見下ろす私を上目遣いに見上げた。


「お帰り」
「ああ、ただいま。大丈夫なの、身体の方は? 頭が痛いとかない?」
「平気」
 シオンに促され、階段を駆け上がってきた兄さんが、呼吸を整えながら私の頭を撫でる。
 人前だから、ちょっと恥ずかしい。後からゆっくり歩いてきたマサキとシオンの視線を気にして、ちらっと二人を見やる。
 困ったような笑みを浮かべ、マサキが右手でその長髪の下に埋もれた首を触った。
「やあ、また会ったね」
「お久し振りです」
 と、返すべきなんだろう。彼が、その正体に拠らない無難な挨拶をしてきたからには。
 兄さんから離れマサキに歩み寄ると、少女の――大きな瞳が印象的な姿をしている時より随分と細い瞳が、私を見下ろした。
 よく見ると、長い前髪の下に太い眉毛が隠れてる。目を見開けば、本当に荻野真咲にそっくりなのかもしれない。
「……元気そうだね」
「元気です、御蔭様で」
「ああ、あの時は災難だったね」
 昨日の話とも月の始めの話とも取れる言い方をして、マサキが「あの時の友達は元気にしてる?」と美鈴の話を切り出す。
 その顔が赤い。真っ赤っか。そうか。この人が二級魔法少女マサキである以上、その……一部始終を見ているわけで。
「何て言うかその、立ち直ってくれたのかな」
「……はい」
 それを思うと、何だかこっちまで恥ずかしい。で、思わず視線を逸らす。あー、顔熱いし。
 逸らした視線の先で、置いてきぼりになっている兄さんと目が合った。……何だか凄い複雑な表情をしてた。
「美鈴は、強いから」
「……そっか。それは良かったね。本当に」
「あの……」
 美鈴はあなたのことが好きなんです。なんてことを口にしかけ、やめた。踏みとどまった。
 この機会を逃せば美鈴の気持ちは永遠に伝わらないかもしれないとは思ったけど。
 やっぱり本人がするものだし、こういうのって。それに、リアの告白が横槍を躊躇わせたってのもなくはない。
「えっと、どうしてここに?」
「あー……」
 咄嗟に出た誤魔化しの言葉にマサキが視線を泳がせ、私の背後の扉をちらちらと見やる。そして、コホンと咳払い。
「話すとそれなりに長くて、多分、きっと、結構ドン引きする話になるよ」


「例えるなら、フェルゼンの前でドレスを着て見せたオスカルの心境とでも言いましょうか」
「いや、そんな無意味に綺麗でわかりにくい喩えなどは流れ流れの無用ノ介じゃぞ」
「ぶっちゃけると、俺のハッタリにも第二部の夜神月ばりに限界がきていましてですねコッコさん」
「……まあ、言わんとするところはわからぬでもないが」
 相談くらいしてもよかったじゃろうにとブチブチ言いながら、目覚めたリアが紙パックのココアをすする。
 兄さんの部屋の中央。布団を片付けて空けたスペースで、あぐらをかくマサキの膝の上にちょこんと座ったまま。
 ……何この二人。物凄いラブラブじゃん。これでマサキがリアの気持ちに気づかないって言うのが信じられない。
 相対する私も早々と黒猫の姿に戻ったネネコを膝に乗せているわけだけど、それとは意味合いが違うでしょ。本気で。
 半ば呆れたような、天然バカップルに散々ノロケられて白けたような。なんだろう、この気持ち。もやもやしてる。
「じゃあ、改めて自己紹介するよ。俺は荻野正規。今は無職のプー太郎で、二級魔法少女・荻ノ花真咲の中の人をやってる」
「中の人とか言うな、にわかに話が胡散臭くなるじゃろうが」
 それから二人が話した内容は、既に真鶴メイから聞いていたり、夢うつつな状態で聞いた会話のそれと大差ない。
 特に目新しい情報があったわけでもないし、何て言うか、このコンビの親密っぷりを見せつけられただけ、みたいな。
 友達以上恋人未満な二人が目の前でじゃれ合ってるのが何となく面白くなくて、つい、刺のある声が出た。
「……事情はよくわかりました。ありがとう御座います」
「お、恐れ入ります」
 コホンと咳払いをして、マサキであるところの荻野正規が飲みかけのいちご牛乳をくっと飲み干す。
 24歳の割にかわいいものを飲んでるなあ、なんて思いながらその顔を見詰めると、目が合った。まともに。
 無意識に、視線を逸らした。苦笑混じりの声が耳を撫でる。
「メイちゃんによると、神谷ヒカルって子が俺達の地元に来るって宣言したらしくてね。会いに行ってみるよ」
「神谷って……一級魔法少女の神谷ヒカル?」
「らしいね」
 マサキと同じく妖精ネットに顔を出したことがない、謎の多い“最強の魔法少女”神谷ヒカルが? 何で今更?
 どうやら、あのランキング公開から速攻でログオフした私と入れ替わりになったらしい。
 ああ。現場にマサキが先行していたという結果論だけど、彼女の顔くらい見てやってもよかったかな、なんて。
「俺は妖精ネットって奴に顔を出したことがないからよくわからんけど」
「どうして来ないんですか、そう言えば」
「……君はこんなオッサンが小中学生の女の子の群れに馴染めると思うのかい?」
 まあ、それはそうだ。ごもっとも。本人が言う程でもないとは思うけど、さすがに子供の輪に混じるのは無理だ。
 一通り話し終え、マサキとリアが軽く別れの挨拶をして立ち上がる。その二人を、不意にネネコが呼び止めた。
「ちょっと、待っていただけますの?」


 マサキは妖精ネットに顔を出さないわけだし? 確かに、明日の一件も全く気になならないわけじゃないけど。
「あなたに、力を…」
「月が見えた! マイクロウェーブ、来るっ!」
 意味不明なやり取りと共に、兄さんとマサキが互いの手にしたケータイを突き合わせた。
 ……ちなみに兄さんが持ってるの、私のケータイだったりする。
 事の発端はネネコだ。
 もっともらしい理屈を並べ立て、私とマサキとでケータイの番号とか、交換させるように話を持って行って。
 そして兄さんが、赤外線通信という機能を知らなかった私の代わりにケータイを操作し出して、今に至る。
 ああ、流されてるなって感じ。いや、別に、嫌なのかって言うと……そうでも、ないけど。
「終わったよ、待たせたね」
「いえ」
「明日の件については後日連絡するから」
「はい」
「かしこまりましたわん♪」
 妙に弾んだ声でマサキに応じてから、ネネコがリアの足をぺしぺしと前足で叩いた。
 ああ、やっぱり。神谷ヒカルや“魔女狩り”だとかは二の次で、二人の今後に興味津々なのね、本音は。
 二度目になる別れの挨拶をし、マサキとリアが今まで冷蔵庫の前で正座――“充電していた”シオンを連れて退室する。
 ……。ほんとは(これないしょ)ロボットよ、ってか。いや、いい。わかってる。もう納得するしかないんだって。
 最初の最初から、二級魔法少女・荻ノ花真咲は規格外の存在だったんだから。
「……しかし」
 まさか男の人だとは思わなかった。ネネコを抱き上げ、ベランダから手を振る兄さんの隣に並ぶ。
 路上で軽く手を振り返す荻野正規のシルエットが、ハッとするほど先生の荻野真咲に似ていた。
 ……荻野真咲の偽者。あの“正義の味方”を地で行ってる女が、黄泉に還す――殺すと言い切るだけの相手。
 いつか聞いた、私が巻き込まれていなかったら「はいはい、電波女ワロス」と片付けちゃうだろうぶっ飛んだセリフ。
 不意にそれを思い出してマサキをガン見していると、腕の中でネネコがくすっと笑った。
「うふふ、結局のところ」
「ん?」
「ジュリアんは筋金入りのブラコンなんですのよね」
「……はあ?」

 ――平成20年5月31日。頭の中がカオスってる。ゆとり世代に短時間で情報を詰めこみ過ぎ。……本当、何だろう、この状況。