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 少女がいた。どこかで見たような気がするなと思ったのだが、それは単に髪の色が僕のパチモンヘアーと同じだからだろう。魔法少女として正登録されて二週間。彼女は初めて遭遇した同業者なのだが、その相手がコーボルトであったことも奇妙な既視感に関係しているのかもしれない。もっとも、あちらさんはいかにもなステッキを片手にマジカルパウアー全開で戦ってくれちゃってるわけなんですけどね。
 彼女がかわいい声で「ストーンバレットー!」とか「ロックマシンガーン!」とか叫ぶたびに、石つぶてやら岩やらがどこからともなく現れてはあの犬頭を蹂躙しちゃってる光景に、思わず「何だそりゃっ!」と僕がツッコミを入れるのは極々自然なことだと思う。僕、デビュー戦で右手の骨にヒビ入りましたしね。保険証がないから治療費が余裕で万単位でしたよ、ははは。……早く再就職しないとなあ。
「オレが風の使者だけにライダーパンチやライダーチョップやライダーキックで頑張ってた時に、あの子はあんな便利ツールを使ってたんスね……」
「ふむ、四級魔法少女ヒバリか……貴様にとっては先輩になるが、まあ、その……気にするな。階級もセンスも貴様が上じゃ」
「そりゃ小学生の女の子よりは慣れてますよ……オレ、男の子ですからね」
「やけにこだわるのう? そうそう、貴様の方が眉目秀麗じゃぞ」
「それ、何の得にもならんスよ」
 こけしが指摘する通り、四級魔法少女ヒバリちゃんはまあ、その……美人、というわけではない。彼女の顔は僕と違って作り物ではないらしく至って平凡な日本人的で、ロングストレートのピンク髪はかわいいというより悪目立ちしているだけに見える。それに僕、ロリコンじゃないですし。ついでにコスプレ否定派なんで微塵にも萌えませんよ。ま、そんな中傷にも聞こえかねない批評はさて置くとして。
「やれやれ、早い者勝ちとはいえ獲物を奪われてしまったのう」
「無事に勝ったみたいっスね……じゃ、帰りますか」
 光となったコーボルトを前に肩で息をする同業者を見下ろし、出遅れ上空で見物していただけの僕達がすごすごと帰ろうとした時、こけしが異変に気づいた。
「もう一匹いるのじゃ!」
 いる。膝をつく少女の背後に、黒い体毛を持つもう一匹のコーボルトが。しかも彼女はその気配に気づく様子もない。冗談じゃないぞと急行しつつ、「後ろだ!」という声を風の力で“送る”。声は届いたようで動く素振りを見せるものの、消耗が激しいらしく、動作が鈍い。「ちくしょう、高かったんだぞ……!」と呟きながら、装着していた作業用のゴーグルを外し、コーボルト目がけて投げつけ、“撃つ”。
「……入っただろ!」
 直撃。脳天に風と重力によって加速された“弾丸”を受け、黒い塊がよろめく。その姿を視界の端に捉えながら空中で身をひねり、足から落下する姿勢で右足を振り上げた。その敵意に満ちた表情が視認できる距離に到達した瞬間、一気に振り下ろす。ぐちゃ、と頭蓋を潰した感触に思わず鳥肌を立たせながら、反動で崩れた姿勢を整え、立ち尽くすヒバリの前に着地した。刹那、閃光が、僕達を照らす。
 間近でそれを直視してしまったために悶絶してのたうち回っていると、ヒバリが消え入るような声で「あの……大丈夫ですか……?」とおそるおそる話しかけてきた。大丈夫と何度もうわ言のように繰り返しながら目を開ける。ヒバリと、その相棒であろう小妖精が目を丸くして僕を凝視していた。数拍の間をおいて、ヒバリが興奮した様子で詰め寄ってくる。
「すごいすごいすごいすごい! あなたも魔法少女なのね! ワタシ、四級魔法少女ヒバリです! 岩隈ひばり!」
「は、はあ……岩隈さ……んん!?」
 世間というのはどこまで狭いのだろう。思い出した。僕が勤めていた建材屋の、二代目若社長の長女がこのヒバリだ。髪と瞳の色をキュキュッと黒く塗ってやれば、まさに記憶の中にある彼女そのものである。社長宅兼任の社員寮で、この娘とその弟に苦しめられた記憶は鮮烈だ。やれカブトムシの幼虫の世話をしてくれだの夏休みの工作を手伝ってやってくれだの、鉾之原先輩と僕がどれだけ振り回されたか。
 僕が思わず顔を引きつらせたことに気づいた様子もなく、ヒバリが無邪気に「お友達ができて嬉しい!」などとはしゃぎながら、空気を全く読まずに名前を尋ねてきた。ちくしょう、無駄にノリが軽くて超マイペースなのは本当に父親譲りだな! 何だよ、その火打ち梁を略してひばりとかいうネーミングセンスは!
「え、えーと……その、二級のマサキ……です」
 こけしがヒバリの名を知っていたように、ヒバリの相棒も僕の登録名を名簿とやらで知っているはずなのだ。やばい。「ネットゲームじゃあるまいし……わかりやすいのでいいっスよ」とか言わず、ちゃんとした偽名で登録しておくんだった。つーか何で知り合いおんねん! だらだらとイヤな汗を流していると、案の定、ヒバリの相棒が反応して余計なことを言う。
「二級魔法少女マサキって……前代未聞の二級スタートを果たしたって噂の、あのオギノハナ・マサキ!?」
 ちなみに、僕の本名は荻野正規と書いてオギノマサキです。もちろん、元雇い主の娘もよく知っている名前です。まる。「ええ、まあ、実は……」ともごもご答えながら、じりじりと距離を離した。一方的に「時の環が接する所でまた会うかもね!」と話を打ち切り、脱兎の如く逃げ出す。正体がバレたらカエルの姿にされる……ということはないが、どうしようもない生き恥であることには何の疑いもなかった。
「おや……? 何じゃ、二級魔法少女・荻ノ花真咲とコッコクェドゥースイナクシャータリアここにあり、と名乗りを上げんと思うておったのに……」
 不満そうに口を尖らせるこけしを強制連行しつつ、月下の空を駆ける。今日も無収入のまま、またもや出費だけがかさんでいった。


           二級魔法少女☆荻ノ花真咲


 胸の前で両腕を交差させる。「バロムクロス」の一声で僕は魔法少女に変身し、唐突の変身に戸惑うこけしに相対した。彼女にまじめな話をしようと思ったら、人形の状態では差し障りがあるので仕方ない。本人が言うには“人形には脳がないから思考力が極度に低下する”とのことなのだが、そもそも脳がないならどうやって物事を考えたり……やめよう。こんなことをまじめに考えても仕方がない。
「今日はコッコさんに大事な大事なお話があります」
 てー、ててててーててー。二級魔法少女・荻ノ花真咲として正登録されて三週間。荻野家の家計は未曾有のレッドゾーンに達し、九州電力に突きつけられた現実に、私はウッソとその感想を口にした。今月、電気使用料3426円、『先月の二倍』。
「見てください」
 でんでででん。ずいっと差し出した九州電力からの通知に、こけし(Ver.YoSay)がぷいっと顔を背ける。その小さな横顔に「先月の二倍っス! 荒んだ懐にテレビは危険なんです!」とぺしぺし言葉の鞭を浴びせた。このエマージェンシーの原因は、どう考えてもこのクソ妖精が一日中テレビを見ていたことに他ならない。僕が週に数時間しか見ないようにして料金を抑えてきた努力が全て水の泡ではないか。
「しかし人形でいる間はテレビに興じるくらいしかすることがないでのう。何せ手も足もないのじゃからな」
「本を読みましょうコッコさん。本は心のごはんです。オレもなるべくこの魔女っ子姿で生活するのでどうか」
「貴様のコレクションな……どうにも巻数が途中からのものが多くて、読もうにも支障があるのじゃが……」
「そういうののミッシングリンクは実家にあるんでそのうち……ほら、これとかどうスか? 司馬遼太郎の城塞はここに全巻揃ってるっスよ」
「却下」
「なんでなんスか!? 司馬遼太郎はどのブックオフでも一冊105円の棚に一定数がキープしてある貧民の味方っスよ! 中学生だったオレを歴史の浪漫にいざなった神っスよ! しかも時間がたっぷり潰せるんスよ!」
「自分の趣味を他人に布教しようとするのは悪いオタクじゃぞ。それ以前に、異人さんのわらわに小説はハードルが高い」
「……まあ、なんか読めるものを適当に発掘してくださいよ。俺が録画していたアクエリオンを勝手に見て、合体シーンに微妙な顔する作業は置いといて」
「待てい! もう7話まで見たのじゃぞ! ここまで来たら最終回まで見せぬか!」
 一人で見たいアニメってあるよなあ………………エロいシーンがあるアニメじゃよ! 創聖のアクエリオンは単体でも十分に見られる作品なのにところかまわずエロを挿入するなあ! 異種族の女の子と鑑賞する微エロアニメ…………………これは『勇気』と呼べるだろうかねェ。……まあ、ブレンパワードのオープニングより少しはマシかもしれない。本当に、ほんの少しだけだが。
 「今日はキリのいいトコまでっスよ」と何でもないような口ぶりでポーカーフェイスを装い、こけしの好物である蜂蜜を小皿に垂らして手渡す。密かに「まるでカブトムシに餌をやってるみたいだなあ……」と思ったことは永遠の秘密だ。万年床の上に例の黒いアイドル衣装のまま寝っ転がり、「面白いのになあ」とぶつぶつ言いながら読みかけだった「馬上少年過ぐ」の続きを読み始める。
 総てが妥協の中に流されて行った。体も、技も、心も、過ぎていく時間さえもが風の中に溶け込もうとしていた。荻野は何も考えず、何も想わず、ページをめくった。荻野の眼は司馬遼太郎の紡ぐ浪漫を眺めていたが、心はテレビを眺めていた。時、4月23日。荻野正規、24歳と6か月の青春。風の妖精と生きる時。


 古本屋を巡るのが数少ない趣味の一つです。懐かしの名作が一冊105円だったり、あのマンガやあの小説の最新刊が売ってたりすると最高です。宝探しみたいでウキウキします。「ちょっと得したなあ」という気分を堪能するのが醍醐味です。無収入の今だからこそやめられません。風俗やギャンブルに比べれば屁みたいな出費でいくらでも時間が潰せるのです。ま、それはさて置いて。
「荻野君……?」
 と人に呼ばれたのは何ヶ月振りかって話ですよ。ふとそれが自分のことだと気づくと、ブックオフの女性店員がツタヤのカードを手に、レジから探るような視線を向けている。そう言えばツタヤのカードって裏に署名欄があるんだっけ、と的外れな「あ~あ~あ~、なるほどね」という理解の色を見せると、若い女性店員が嬉しそうに笑った。
「やっぱり荻野君だ! すごい偶然! 6年振り? 痩せたよね~」
「……はあ」
 6年振りというと高校生時代の知り合いなんだろうか。目鼻立ちは整っているのに、どうにも目立たない感じの顔つき。茶髪じゃなければ結構地味な印象になるだろう。充実していたとは言い難い青春の記憶から彼女の顔を「検索するぞ、BIGLOBEストリーム!」しても一向に思い出せない。今に始まった話でもないが、どうも僕は人の顔と名前を覚えるのが苦手な上に忘れるのも早いのである。
「あの……ひょっとして、うちのこと覚えてない……? 二年の時も三年の時も同じクラスやったんやけど……」
 若干傷ついたような顔をされても何も出ませんよ。というか珍しく少女マンガやいわゆる“萌え系”とレッテルを貼られたマンガを買い漁った時に限って昔の同級生フラグを立てないでください! 山積みにしたオルフェウスの窓やらARIAの最新刊やらをちらりちらりと見つつ途方に暮れていると、店員が取り繕うように苦笑を浮かべる。
「三重野。三重野愛子よ、高校で同じクラスだった」
「……ああ」
「やっと思い出してくれたんだ?」
 特にこれという思い出はないが、そう言えばいたなあ、と思う。当時はクラスの中でも一、二を争う美人だった気がするが、目の前の彼女からはそういう華々しいものを感じない。まあ、お互いに老けたってことなのかもしれないが。急にかばんの中で暴れ出したこけしに気を取られていると、三重野がその低めの声を少しだけ上ずらせた。
「荻野君、どうしとるのかなって思ってた。同窓会にも来なかったし」
「あったんだ、同窓会。知らなかったな」
「道子からメール来なかったの?」
「アドレス教えてないもの。面倒で」
「ひどい。フフ、相変わらず一匹狼なんだ、荻野君らしいけど」
「そうでもない。ちょっと前までは建材屋で営業やってたんでね、団体生活ができるようしごかれたよ。上司とか、気性の荒い大工のおっさんとかに」
「アハハ、そうだよね。荻野君、前はこういう風に喋ってくれる人やなかったもん」
 それはそうだなと大した潤いもない学生時代を回想している間に袋詰めが終わり、受け取る際に互いの手がかすかに触れた。
「……荻野君、ここ、よく来るの?」
「週一か二くらいかな。無職になってからはすることもないし」
「そうなんだ……」
 また来てねと囁き、彼女が手を離す。軽く頷いて外に出ると、こけしがかばんの中から「デレデレするにゃ」と不機嫌そうに呟いた。どうやら狭い場所は嫌いらしい、風属性の妖精様だけに。


 今はもう春。誰もいない海。光学迷彩で敵が隠れても私は見逃さない。……戦場はいつも人里離れた闇の中だった。彼らは、常に闇の中からこの世界への武力介入を開始する。
「今は狙い撃てないんでなあ……」
 人間はちょっとしたくらやみをこわがる。なぜだろう。そこにこわいなにかがひそんでいる気がするからだ‥‥。こわいなにかとは‥‥自分の力では勝てないなにかだ‥‥。でもどうしてそんな心理がはたらくのだろうか‥‥。しだれ柳の下の闇におそろしい敵のいるのを‥‥。人間は知っているのかもしれない‥‥。一万年と二千年まえ“誰も見たことのない世界”の記憶がみゃくみゃくと現代人にまでうけつがれているのでは‥‥。
「圧倒させてもらうぜ!」
 風の力で砂浜の砂という砂を吹き上げる。数拍の間をおいて降り注ぐそれは、今回の敵――透明人間の姿を月下に浮かび上がらせた(侵略者たちのやたらとバリエーションに富んだ人材については深く考えないようにしている)。透明人間の姿が丸見えになったら透明人間ちゃう。人間や! 目・鼻・口に砂を詰まらせ悶絶する透明人間だったものをすかさず蹴り飛ばし、元いた場所へと送り返す。海の上で、彼は地上の星となった……。
「よぉーし「風はバイキングをつくった」ぞ!!」
「何を言うとるのじゃ貴様は」
「……別に何でもないです」
 ここのところ、こけしの機嫌がイマイチ優れない。触らぬ神にたたりなしということで問い詰めたりはしていないが、僕が思うに妖精様にも「あの日」があるのだろう。ああ、それは異種族とは言っても異性には言い辛いわなと自己完結し、右手を差し出す。彼女がちょこんと掌の上に座ったのを確認し、帰路へとついた。手痛い出費だが、明日にでも高級な蜂蜜を買ってやろう。
「コッコさん、欲しいもんとかないスか?」
「オルフェウスの窓とエースをねらえ!の続きを所望じゃ。無論のこと新品でな」
「中古で我慢してください」
「……またあのおなごに会いに行くのか?」
「は?」
 こけしが問い詰めるような視線を向けているものの、素で誰のことを指しているのか一瞬わからなかった。それが昔の同級生だと気づき、ああ、と理解の声を漏らす。
「オレにも知り合いに見られたくないものはあるんスよ……それが少女マンガと表紙が萌え萌えなマンガっス。……まあ、この歳で知人相手に全く恥ずかしがらずにすむマンガはバガボンドと美味しんぼくらいのもんっスけどね」
「よくわからぬが、違う店に行くのか」
「あそこに105円で置いてた分はこないだ買っちゃったっスからね、そりゃ別の店で探しますよ」
「……ならばよい」
「はあ」


「……で、なんでまたここにきてるにょなー!」
 カバンの中でボムみたいに暴れるこけし人形を左手で抑え込みつつ、右手でケータイを耳に当てる。無論のこと空気が読めない不機嫌なジーン(風妖精)と極々自然に会話するためですよ。
「えー、五軒回ったんスけどオルフェの3巻とエースの5、8巻だけどうしても105円じゃ売ってなくてですねえー」
「だからってここにくることはないにょ! 別のお店でよかったにょな!」
「ええ、はい。あのですね、そういえばここ、今日まで文庫版250円セールだったなって……普通に買うと350円なんスよ、これは見逃せナイト。ちなみに学生時代からの馴染みの店だったり」
「最初からそのつもりだったにょな! 道理で念入りにヒゲを剃ったり髪をセットしたり妙に浮かれていると思ったにょ!」
「俺も大人なんでTPOをわきまえるんですよ。知ってる人に会う可能性もありますし、はい。まあ、彼女がいないのを見計らって入店したんですけどねえー」
 幸いなことに、今日は三重野の出勤日ではないらしい。最悪、カモフラージュにデスノートかジョジョの第七部でも一緒に買おうかと計画していたが、そういう「アムロ、あんたちょっとせこいよ!」な工作も無用だろう。前々から探していたびんちょうタン(表紙も内容も萌え萌えなので、買うのは勇気が必要です)の二巻もゲッティングぅ~して意気揚々とレジに……。
「あ、荻野君!」
「……やあ、どうも」
 想像してごらん。中年のおっさんがレジ打ってるのを確認してエロ本を片手に猛ダッシュした瞬間、バイトの若い姉ちゃんが「お客様、こちらへどうぞー」と隣のレジに回った光景を。まあ、つまり、そういう気分だった。ニコニコと営業スマイルを浮かべる三重野に捕まり、やむなく再び“知人には見られたくない趣味”に属する品物をごすっとレジカウンターに差し出す。あまりの間の悪さに冗談抜きで気が遠くなった。
「また来てくれたんだ。フフ、うちに会いに来てくれた?」
「……ああ、そういうことにしておく」
 むしろ避けていたのだという本音を隠蔽し、彼女の冗談に適当に付き合いながら会計を済ませる。何でもないような顔をしてても頭の中は真っ白ですよ。人は……同じ過ちを繰り返す……まったく! さすがに三重野は三重野で気まずいらしく、瞳を伏せ顔を真っ赤にしている有様だからもう本気で死にたくなる。この微妙な空気に耐えかねたのか、三重野がもごもごと口を開いた。
「あのね……荻野君、今度うちらのクラスだけで同窓会やるの知らんよね?」
「ああ」
「その、あの……」
「別にいいよ、気を使ってくれなくても。どのみち僕は行かないと思う」
「そ、そうなんだ……。あ、でも、気が変わったら連絡して? メルアド、ここに書いてるから」
「……ああ、そうする」
 本と一緒にビニール袋に詰められたメモ用紙をぼんやり見ながら、記憶の中の三重野はこういう――何というか、他人に気を使うタイプの少女ではなかったよなと首を傾げる。6年という歳月は、人をこうも変えてしまうのかな……と感傷にひたることも許さぬこけしを宥めながら自転車を漕いだ。かつての通学路は、学生時代の面影と新しい顔とが半々に入り混じっている。


 好き好き好き好き好きっ好き、愛してる。好き好き好き好き好きっ好き、一級さん。二級魔法少女がいるからにはその上に一級魔法少女というのがいるわけで、日本中の女の子達はその称号を目指して日々キルマークを積み重ねているのだそうだ。こうやって子供の競争心を煽り立てるやり口というのが気に入らないのだが、「競争があるから人は高みを目指す」という理屈がこの社会の真理の側面ではある。
「今夜でついに十勝か。ふふん、そろそろ一級魔法少女への昇級試験の受験資格が与えられる頃じゃのう」
「昇級試験ねえ……でもオレ、受けるつもりないですよ、そういうの」
「……まあ、貴様はそう答えるじゃろうなとは思うておった」
 おや、と買ったばかりの超高級蜂蜜のビンを手に台所からこけしを見やった。「覇気がない」とか「向上心がない」とか罵られることを予想していたのだが、意外なことに彼女は畳の上にちょこんと正座したまま、上目遣いに穏やかな視線を返してくる。
「一つ屋根の下で一月を過ごしたのじゃぞ? いい加減、貴様の物の考え方くらいは少しなりと理解してきたつもりじゃ」
「……そういうもんスか」
「ふふん、女の勘は冴えておるでのう」
 と言われれば、精神的には純然たる男子の僕には返しようがない。その逆に、僕は自分が思うほどコッコクェドゥースイナクシャータリアについて多くを知らないのだろうと思う。沈む夕日はどこかの国では昇る朝日だかんなァ~、ハハハ。俺ん家はな~! エンゲル係数がガ~っ! 上がってんだよ~! ……蜂蜜も高級品になると目ん玉飛び出るほど高いのね。
「そういえば貴様、あのおなごに文は送ったのか?」
「は?」
「昔の学友だったとかいうおなごじゃ、古本屋の」
「……ああ」
 三重野のことか。蜂蜜の入った小皿を手渡して、ベタつく手を水で洗いながら答えた。
「メールならしてないスよ」
「何故じゃ!」
「同窓会と言われてもね……別に『出ちゃおっかなっ★』って気が変わったこともないですし」
「……貴様、人の気持ちがわからない人間だと誰ぞに指摘されたことはないか?」
「MASAKIだけにMKY(マジで空気が読めない)と職場で何度も怒られました」
「じゃろうな……」
 しかめっ面で蜂蜜を一舐めしてから、こけしがこの上なく苦々しい様子で三重野のアドレスが書かれたメモ用紙を差し出す。
「断る前に日程など聞いてやるくらいのことはせぬか」
「社交辞令っスか」
「……貴様は……」
 受け取ろうと濡れた手を拭いている間に、こけしが何事かをぼそっと呟いた。聞き取れなかったが、あえて気付かなかったことにした。


 ゴールデンウィーク……。時はまさに世紀末、女神アテナの血を受け蘇った青銅聖闘士は最下級にも関わらず最上級の黄金聖闘士を凌駕することを意味する。その起源は遠く安土桃山時代に伝わったギリシアの兵法書『なんとなく、レアメタル』にあるという。しかしフェニックス一輝はそんな理屈の裏打ちもなしにただひたすら絶対無敵であることは言うまでもない。民明書房刊『毎日がカレー曜日』より。
「連休だからって……」
 念のためにあらかじめ言っておく。ひがんでないよ。いつものように人里離れた「戦場まで何マイル?」と言わんばかりの大自然の中にいたのは侵略者だけではなかった。ここで詳細を語ることは敢えてしないが、半裸の若い男女が一組、いやがったのだ。誰もいないはずの山林の中に。こんなところで何をしていたのかは深く考えないで。……もう一度言う。ひがんでないよ。
「ここぞとばかりに盛りやがってバカップルが!」
 逃げ遅れたというか男の方に置き去りにされた女の後ろに立ちふさがり、巨大な猪に見えないこともない豚頭の牛――カトブレパスの鼻面に、ファンシーなデザインながらもやたらと丈夫な靴に覆われた爪先を叩きこむ。噴き出した鼻血に染まった右足を振りかぶり、第二撃。振り上げた右足を軸に空中で身体をひねり、左足での後ろ回し蹴りによる第三撃を浴びせたところで閃光。咄嗟に目をつむり、後ろを振り返る。
「おおっと、見ちゃいけない……ケガはないかい、お嬢さん」
「……あのおなごならとうの昔に逃げてしもうたぞ」
「そっスか……まあ、それでいいんスけどね……」
「しかし、あのおのことおなごはこんなところで何をしておったのじゃ?」
「そりゃ野外プ……え、えっと……その……昆虫採集っスかね……」
 折角だからじっくり見ておけばよかったと密かに考えたりしつつ、こけしを手に夜空へと飛翔した。少し離れたところに猛スピードで車が山道を下っていく姿を目にし、ふとした疑念が湧く。
「……あれってひょっとして、野郎の方だけ車で逃げちゃったとか?」
「人間の恋人同士というのはそんなに薄情なものなのか?」
「はは……それはオレが教えてほしいくらいっスよ……ははははは!」
 何度でも言う。ひがんでないよ。乾いた笑い声を上げつつ、さすがに心配になってきて山中に取り残された女の姿を捜した。闇の中で見た白い肌の記憶に邪な感情を呼び起こす頭を軽く叩くと、こけしが手の上でもぞもぞと小さな身体を動かす。ちょっとくすぐったいのでできればやめてほしいのだが、そんなことを言ってる場合でもない。
「もし貴様じゃったら……想うおなごを見捨てて逃げるのかのう……?」
「どうスかね。ま、そこまでして自分だけ生き延びようとは思えないでしょうけど」
 それは別に僕が善良な人間、強い人間だからというわけではない。「何故、自分はこうして生き恥を晒しているのだろう」という後悔と再び向き合うのが怖いからだ。もう、「いっそ死んでいればよかったのに」と思い詰めたくないからだ。こけしと出会うまでの数ヶ月間に、眠れぬ夜が何度も続いた。それを繰り返すくらいなら、僕は多分、誰かを守って死ねたという自己満足のために命を捨てるだろう。
「のう……マサキ……わらわがもし……」
 手の上でこけしが何か言い掛けたのだが、地上からの叫び声がそれをかき消した。逃げた男を指すであろう名前と、「死んじまえ」という呪詛の言葉。聞くに堪えない罵詈雑言。呆気に取られ、僕らは顔を見合わせる。
「えーと……人を眠らせる魔法とかあります?」
「ない」
「あんまり関わり合いたくないなあ……」
「殴って気絶させればよいのではないか?」
「……その力加減は自信ないんスけど」


 まだ十代……というか下手すると中学生くらいではないかと思ったが、深入りしたくなくてこちらからは何も聞いていない。彼女を町中に送り返すまでの決して短くない時間は、地獄以外の何物でもなかった。少女は暴れ、泣き出し、やっぱり暴れた。その際に人間のかなり醜い部分を垣間見てしまったのだが、そのことについてはもう触れないことにしようと思う。
「……人間のおなごは皆ああなのか?」
「そうではないと信じたいっス……まあ、世の中あんなもんなのかもしれないスけどね……」
「ふむ……ようわかった。じゃから貴様らオタクは二次元のおなごにしか惹かれぬのじゃな」
「偏見っスよ! 少なくともオレは彼女たちを恋愛の対象とかそういう目では見てないんス! つーか別にいいでしょそんな話!」
「どうでもよくは……いや、まあ、貴様の女性観なぞどうでもよいのじゃがな! しかし、あの小娘のおかげですっかり遅くなってしもうたのう」
 大阪からの長距離飛行ということもあったのだが、家の近くまで帰り着いた頃には深夜三時を回っていた。それならいっそ大阪勤務の弟の顔でも見るついでに観光しようかとも考えたのだが、こちとら毎日が日曜日のプー太郎である。何も、そんな迷惑なサプライズをわざわざ人の多い連休中に実行する必要はない。弟が勤める道路公団が民営化したとかいう会社は、今が一番忙しい時期でもあることだし。
「……あ」
「何じゃ?」
「いや、そういえば高校の同窓会、今夜だったなと思って……ま、断ったんスけどね」
 大型連休で里帰りする級友の出席を見込んだのだろうが、今日(正確には既に昨日だが)やることもあるまいに……という感じである。それこそあのバカップルみたいにここぞという一発を決めたくて悶々としているヤツもいるだろう。しかし幹事の清水道子は、そんなものよりも昔の友人との楽しい時間を過ごすという“行き過ぎた友情”を周囲にも期待してくるタイプの女だった。……変わらんなあ。
「すまぬな……わらわが魔法少女に貴様を選んだばかりに……。魔法の力は、貴様を孤独にする……?」
「いえ、会費が八千円とかふざけたこと書いてたんで。二次会にまでつきあったらいくらになることやら……」
「貴様は……」
「そうまでして会いたい相手もいないんスよ。友達と呼べる人間とか皆無! わざわざ金出して、お互いに気まずい時間とか過ごしたくない! ははっ、嬉しいなあ、嬉しいなあ、オタクにゃ学友も、恋人もなんにもいませんでした!」
「……すまぬな。この問題に触れたわらわがまことに悪かった」
「あの……謝られると本気で辛くなるんでそこはつっこんで下さい……ん?」
 誰かが倒れている、と思ってブレーキをかけた。作業用のゴーグルを外して首にかけ、高度を下げつつ空から目を凝らす。街灯が、アスファルトの路上にうつぶせに倒れている――茶色の長髪、服装から判断して――若い女性を照らしていた。放置しておくわけにもいかないかと着地すると、狙い澄ましたようなタイミングで寝返りを打ち、彼女がその寝顔を見せる。見覚えのある顔と、初めて目にする表情を。
「三重野……?」