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 僕が仕事を辞めたことには、それなりの理由がいくつかあって、それらがジェットストリームアタックばりに絡み合ってのっぴきならない事情になったのだと言い訳をしておく。僕は建材屋の営業マンだったのだが、あの元建築士の不祥事をきっかけに急ピッチで改正された法律は決して実務家の考えたものではなく、建築業界そのものを大不況に陥らせる代物であり……つまるところ、大工が家を建てられなくなった。
 そうなれば得意先の工務店は次々と倒産するわけで、僕の会社も痛手を被った。というか僕の取引相手も夜逃げして、会社にはばさっと減給された。先輩達も自分の数字を上げることで精一杯で、無理を通して仕事を確保しようとする。その皺寄せは下っ端の僕に振りかかってくるわけで、軽トラックに山ほど建材を積み込んでは先輩達の得意先に配達をしつつ、新規の得意先を開拓せねばならないという状態になる。
 「この業界ではもう食っていけないんじゃないだろうか……」という不安は誰もが抱えていたし、僕だって例外じゃない。先行きの見えない日々、酷使される日々、時間給に換算すると悲しくなる給料。辞職を本気で考え出した頃、入社して何度目かの交通事故を起こした。ついに本社事務への異動命令が下されたが、僕は腹を切ると称して仕事を辞めた。ここで辞めなかったら、もう逃げ出すタイミングはないと思った。
 かいつまんで説明すると、こういうことになる。人間が思い切って仕事を辞めるということにたったそれだけの理由だったわけでもないのだが、それなりにヤバイ話もあるしここでは伏せておくことにしようと思う。

 最後の交通事故では僕の運転していた軽トラが修復不可能なところまで大破した。交差点で右から突っ込んできた大学生のワゴンに吹き飛ばされ、スローモーションで迫ってくる民家のブロック塀を見詰めながら、「ああ、ヤバイかな」と静かに思ったあの感覚は今でも覚えている。走馬灯、なんてのは見なかった。そんなものを見る前に、胸を強打したエアバッグが僕を現実に引き戻したから。
 死ぬ時はあんなものか、という感覚が死への恐怖を和らげる分だけ、何が何でも生きようという気持ちは薄れる。首・腰・右足首の捻挫が完治してなお、次の職を探す気にもなれず、貯金を削り削りぼんやりと時間を浪費する生活が何ヶ月続いたことだろう。せめて怠惰な生活で増えた体重くらいはどうにかしようとダイエットを始める程度には気力が回復した頃、とうとう僕はあいつに出会ってしまったのだ。
 竹取り翁に対するなよ竹、不動明に対する飛鳥了、源しずかに対するドラえもんばりに僕を非日常に巻き込んでいるあいつに。
「おやおや、そこにょしけた顔したちょっぴり男前にゃアナタ。正義の味方に興味はないですかにょ」
 こいつ頭おかしい、とか、キ○ガイさんだぜ、とか好きに感じてくれていいよ! 考えるな、感じるんだ! ああああああああああああ、僕だって自分で何を書いているのか意味がわからない! しかしあいつは、その舌足らずな声で、確かにそう言ったのだ――(僕が幻覚を見ている、というオチでない限りは)。
「ニートにょアナタでも世界平和に貢献できるんですにょー☆」


 ニート。Not in Education, Employment or Training。つまり、教育も職業訓練も受けていないプー太郎ということだ。迫水王! 僕は大卒で就職もしていたんです! 思いこまないで下さい! と、半端なプライドを元気モリモリ勇気100%でぶちまけるほどに、幸か不幸か僕は子供じゃない。いや、子供だった方がマシな気は十分にするが気にしたら負けだ。負けたらあかん。
 というか、そいつと会話しようという気になれというのがおかしな話なのだ。俺はとうとう幻覚が見えるようになったんだろうか、そんなに仕事辞めたのショックでもなかったけどなあ……と首を傾げつつ、僕はその舌足らずな声の主を凝視する。無人の公園のベンチに鎮座かします、無意味に色鮮やかな塗装をほどこされた、身長15cm定規ほどの悪趣味なこけし人形を。
「発言内容もアレならトリップ映像もひどすぎる……やだなあ、とうとう精神病院に通う日がきてしまったのか……」
「にゃ!? ちょいとお待ちよニートちゃん!」
「きれいなお姉ちゃんならともかく、ここまで無益な幻覚を消し去ることに躊躇いはない! ナッシングだ! さよなら、僕のサンドロック!」
「サンドバックが何にゃ! このニートニートニートニートニートニートニートニートニートニートニートニートニートニートニートニート!」
「あー聞こえない! 聞こえないね! もっといいものに変身して出直してください!」
「だから変身するのはお前にゃニート!」
 オチを言う前に言っておくッ! ぼくはその時やつのマジカルパウアーをほんのちょっぴりだが体験した。い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが………あ…ありのまま起こった事を話すぜ! 『おれは奴を見下ろしていたと思ったらいつのまにか頭突きを喰らっていた』 な…何を言ってるのかわからねーと思うがぼくも何をされたのかわからなかった…頭がどうにかなり……というか素で痛い。
 あらあら、こけしさんが空を飛び、僕に激しい頭突きをかましてくれやがられましたのねという衝撃に、今! 「頭」じゃなくて「心」で理解できた! さすがに痛覚を伴うということは、僕がどうしようもないレベルまで壊れてしまっているか、これは紛れもない現実なのか、という認めたくない二択だというちょっとどうしようもない事実がね……。
「……仮にこれが現実だと仮定しちゃったりしないでもないですよ? 僕、大人なんで」
「現実にゃ! 今まで何だと思ってたのにゃ!」
「夢だろ常識的に考えて……夢なら痛くないって誰が決めたんだろうね。知ってる? 夢見る人と書いて儚いっていうんだ……」
「錯乱するにゃー! ストップ・ザ・現実逃避!」
「日本語でおkってヤツですかあー? 三歩譲ってこれは現実として、そういう宗教みたいなのはノーサンキューです! 小嶋さんのしつこい勧誘を断るためにも仕事を辞めたのに、どこまで追っかけてくんのさ!?」
「一体、何があったにゃ……」
 呆れたような声を上げ(どこから発声しているのかはもう考えるのをやめた……)、こけしがふわふわ飛んで上着の胸ポケットに潜り込む。軽い重量感が、僕の逃げ出したい気持ちを力いっぱいにプッシュしまくった。僕のハートに今すぐアクセス!
「忠告しておくと、ウチの声はお前以外の誰にも聞こえてないにょー☆ 変人扱いされたくなかったら、落ち着くにょー♪」
「……」
 無表情のまま陽気に騒ぐそいつを無言で力なく見下ろし、僕はトボトボと歩き出す。仕事を辞めた瞬間以上の脱力感が、その足取りを重くしていた。


「はにゃー? ここはどこなにょ? どこなにょな~? ど~こ~? どこに行くにょ~?」
 わざとやっているとしか思えない、魔法こけしの「みんな上がれ! ふらのなだれ攻撃だ!」と言わんばかりの質問責めを華麗にスルーし、僕は黙々と歩く。ふふん、焦っているだと……? 私は冷静だ! 頭の中は未だに混沌状態ではあったが、「行かなくちゃ! 人が絶対にこない場所に行かなくちゃ! でも傘がない!」と思考できるほどには落ち着いているのだ。落ち着いているのだったら。
 まあ「バカが、そんな見え見えの釣り野伏に釣られるものかよ」と内心で毒づきつつ、大の大人が胸ポケットからこけしの顔を覗かせているという情けない姿を自分が晒していることには全く思い至らなかったわけですがね。ともかく小山の中にあるさびれっちまった神社に到着し、両手を打ち鳴らして「お邪魔しますよ」と忘れられた神様に挨拶。汚れた社にこけしを鎮座させ、携帯電話を取り出す。
「なぜにケータイ? 掲示板サイトで実況するつもりにゃのかにゃ? これだから今時の若者は困るにょ」
「変に俗っぽい化け物だな……これは万が一にも人が来たときのために、通話中だと見せかけるためのマジックアイテムですから」
「バっ! ババババ、バケモノとは失敬にゃ!」
「違うなら違うと、それなりの説明をしていただきたいわけなんですが」
「にふふん、聞いて驚けニート野郎。ウチはコッコクェドゥースイナクシャータリア。風属性の妖精様だにょ!」
「は……?」
 Yo! Say! 夏が胸を刺激する。何がひどいって風属性とかいう単語を自信満々に使っちゃうのがひどい。あんまりだ。これが流行の厨二病ってやつですか? ダメですよマンモスさん、鼻からうどん垂らしてちゃ。思わず現実逃避しかけ、これはいかんと自称妖精の電波こけしに正面から向き合う。ちくしょう、無表情なのに自信に満ち溢れたその姿がイラっとくる。
「聞くにょー! ウチはコッコケドゥースイナクシャータリアー! 風属性の妖精様だにょ~!」
「大事なことだから二回言いましたってヤツ? どんだけ俗っぽいんスか」
「ふにゃー!」
 風属性の妖精様コッコクェドゥースイナクシャータリア、略してこけしは激怒した。想像してみてほしい、無表情なこけし人形がflying in the sky高くはばたいてガツガツ頭突きをかましてくるというこのシュールな状況。怖いぜ、怖すぎるぜコッコクェドゥースイナクシャータリア! こいつはとんだ妖精事件だ! 断じて僕がヘタレだったわけではないはず!
「にゅああー! やっと見つけたパートナーがこんにゃ人間のクズだにゃんてー!」
 youはshock! 散々人を痛めつけた挙句、ニートから人間のクズへとランクダウン。何故こんなヤツに関わってしまったんだろうかと……。
「……は? パートナー?」
「不本意だけどにょ! 地球を救う魔法少女に、お前をスカウトしにきたにゅ!」
 一瞬、何を言われているのか本気で理解できなかった。いや、我に帰ったところで理解不能なわけだが。よっこいしょういち、と社に戻ったこけしを正面から見詰め、次の言葉を待つ。口を開くとかいうアクションなしで、唐突に地雷が爆発した。
「ウチと一緒に、魔法少女として戦うにょ!」


 世界がやけに大きく見え、思わず「妖風が目にしみる」と呟き、風属性の妖精様に素でキョトンとされてへこんだ。再び公園に戻り、まだ誰もいないことを確認する。さすが無職だ、人が働いてる時間帯だろうと何ともないぜ! 公衆便所の前に立って一瞬「ど~ち~ら~に~し~よ~お~か~なっ」と迷ったのだが、取り敢えず男子便所に早足で侵入し、鏡に自分の姿を映し……。
「は、ははははは……本当に変身してやがる……」
 もう笑うしかなかった。鏡の中で、小学生くらいの女の子が「こんな時、どんな顔をすればいいのかわからないの……」という感じに苦々しい笑みを浮かべている。パッチリとした大きな瞳が印象的な……まあ陳腐な表現だが、いわゆる美少女の部類に属する容貌ではある。オタクがみんなロリコンだという説は全力で否定するが、五年後の姿にはノーマルな僕でもちょっと期待するかもしれない。
 ……ま、期待も何も僕自身なんですけどね、この子。黒を基調とした昔のアイドルみたいな衣装と、淡い桃色のふわっとしたセミロングヘアーと紫色の瞳がいかにも作り物めいていて、僕は思わず自分でもわかるロリ声で「これ何のコスプレ?」と風属性の妖精様に問いかけた。
「コスプレなどではないわ下衆め!」
 と僕のアニメヘアーをぺしっと叩くのが、かつてこけしであったもの――風属性の妖精様コッコクェドゥースイナクシャータリアだ。彼女は色々とそれっぽい理屈を並べ立ててはいたが、要点をまとめれば「僕が変身している間は彼女も変身する」と一行でおさまるのである。僕は「何その昔のアニメチックな話!」と何度もツッコミたくなったわけであって、一々そんな糞設定をここに書いても仕方がない。
 15cmサイズ童女の背中にトンボのような透き通った翅が生えた、極々ありふれた「妖精さん」の姿で、元こけし、略してもこけしが文字通りの上から目線で喚き立てる。見た目にかわいいことはかわいいのだが、こいつには本気で大人の礼儀作法を教えてやらなければいけないのかもしれない。
「くそ……何故わらわがかような貧乏クジを引かされねばならぬのじゃ……!」
「今時、“恋を知らない、正義を愛し、勇気に満ち溢れた、純真な女の子”なんてそうそういないっスよ」
「だからといって貴様のような下衆ニートが相棒とはあまりに無体な話ではないか!」
「ならコンビ解消してくださいよ、早急に」
「背に腹は代えられんというでな……何事も陽転思考じゃ。考えようによっては貴様のような暇人に巡り合ったのは僥倖やも知れぬ」
「アンタ、本当に俗っぽいな……」
 人形の姿をしている時に比べると、この状態ではいくらか精神が成熟しているらしい。僕のツッコミにはギロリとメンチを切るだけに踏みとどまり、こけしがコホンと咳払いをする。
「幸か不幸か、貴様はおなごであるという条件以外は満たしておる。その歳で恋も知らぬという人生には触れぬことにしておくがのう」
「……性別は大事なんじゃないかなあ。まがりなりにも魔法少女なんだし」
「貴様のような下衆なら女を演じることくらいわけもなかろう。電脳世界の巫女の中身は八割がた男じゃろうが」
「待て! オタクがみんなネカマやってるなんてのは偏見っスよ!」
「まあ、それは捨て置くとして。わらわと貴様に縁が結ばれたということには、それなりの意味があろうよ」
 僕のこの作り物のロリ顔を覗き込み、こけしが微笑を浮かべる。
「貴様は無自覚に、世のため人のために生きたいと願うておった。それを果たせぬ自分に苛立っておった。その想いがわらわを呼んだ」
 とくん、と心臓が鳴った。湧き上がる熱い衝動に応えるかのように。
「魂の契約じゃ。わらわとともに正義を行おうぞ」
 こけしが小さな、本当に小さな右手を差し出す。僕が躊躇いがちに右手を差し出すと、彼女はその小指をきゅっと抱きしめ、心底嬉しそうに笑った。


 女の花は夜ひらく。都合が良いのか悪いのか、デビュー戦はその日の夜だった。なお、こけしが昼間に安アパートの僕の部屋で散々暴れたことは、この際もう描写しなくていいんじゃないかと思う。雪が降ると、わけもなく悲しくなりません……?
「むうん! キタキタキタキター! 事件にょ! 変身するにゃ、この超ハイパーミラクル不潔なエロニート!」
「まだエロ本の件を引きずってるんスか! いいでしょ別に。俺、大人なんスから!」
 ぎゃあぎゃあ喚くこけし人形を尻目に、両腕を胸の前で交差させる。後は「変身しちゃうぞ」という明確な意思をもって合言葉的なものを適当にシャウトしちゃえば変身完了――というシステムになっていることを知ったのは、しばらく後のことだ。無知な僕は底意地の悪いビッチ妖精の陰謀に乗せられ、叫ぶ。はじめての変身の際と同様に。
「マ……! マ、マジカル☆ミラクル★バルーナちゃん!」
 こっ恥ずかしい合言葉とともに変身完了。なお、変身シーンについて詳細を描写する気はない。おまえは自堕落な生活でやや肥満気味の24歳男子の裸なんて見苦しいものを見たらキチッとスレッド一覧に戻ってからスルーするだろう? 誰だってそーする。ぼくもそーする。同じく変身したこけしに促され、僕はがらっと窓を開けてベランダに躍り出る。
 説明しよう! 風属性の魔法少女バルーナちゃん(仮)は地球の危機に「どげんかせんといかん」と立ち上がった風精霊さん達の力を借りるという本気でアホ臭い原理で、この大空に翼を広げ飛んでいけるのだッ! さあ、無限の大空へ! ここは二階だけど多分大丈夫! 落ちたところで死にはしない! あ~い、きゃ~ん、ふら~い!
「……って、なにを引き返しておるのじゃ!」
「いや、やっぱ戸締りしとかないと不安で……」
「かあー! なんというノリの悪いおのこじゃ! こんな豚小屋みたいな部屋に盗むものなんぞあるか!」
「オレの貯金はまだ100万は残ってるんスよ! プーで保険証もロストしたオレには金がまさに命っス! 生命線っス!」
「魔法少女は子供たちの夢じゃ! アイドルじゃ! 生々しい話をするな!」
 最近はむしろ大きなお友達のほうが熱狂的でしょという言葉を飲み込み、無言で窓を閉めた。鍵を閉める手の小ささに確かな違和感を覚えつつ、ふと「体重はどこにいったんだろう」などと考えながら家の鍵を探す。身長170cm、体重68kgというオーバースペックな数値をどんな理屈でこの小さな体に仕立てたんだろうか。それを魔法の一言で片づけるのは、人として終わっている気がする。
 がつがつと外から窓を叩くこけしに手振りで玄関から出ると伝え、サルマタケよろしく脱ぎ捨てたパンツの下から「こんにちわ」と顔を出す家の鍵を拾った。フリフリのアイドル衣装を揺らして玄関に到着すると、ドアノブの位置がやたらと高い。自然、手足も短くなってるわけだと分析しつつドアを開けると、回り込んできたこけしが淡い緑の長髪を揺らし、鬼のような形相で僕を見下ろしていた。
「き~さ~ま~は~!」
「す、すこしのしんぼうじゃ……待つっス! 鍵を閉めたら終了っス! 疾風のように勇者特急するっスから!」
 刺すような視線を背中に浴びながら、せわしなく鍵を閉め、ふと気づく。気づいたんだよ!! アイドル衣装さんにはポケットがないという事実に!! どうにか納める場所がないかと衣装をいじくり回していると、こけしがスパーンと後頭部を殴った。本気だったんだろう、素で痛い。
「き……き、き、貴様は何をやっておるのじゃエロニート!」
「誤解っス! オレはただ、鍵を仕舞う場所を探していただけで……」
「そんなものはないし服も脱げん! わらわが預かるゆえ寄越せ!」
 ああ、脱げないのねと密かに考えたことは伏せ、こけしにヤツの三分の一ほどの大きさを有する鍵をくれてやる。ゼロシステムの予想通りに「重いではないか馬鹿者!」と罵声を浴びせてきたが、彼女に預けるより手段がないのだから仕方ない。言い出しっぺは君だ。ふらつくこけしに左手を差し出し、掌の上に座らせる。そして廊下から身を乗り出し、夜空へと飛翔した。


 風よさけべ。風ようなれ。ぼくのからだの中でうずをまけ。嵐になれ。大自然のエネルギーがこのぼくの力だ!! 月の光を浴びながら、風を切る感覚は悪くない。見慣れた福岡の街並みを見下ろし、僕は感慨深く息を吐き出す。故郷のお父さん、お母さん、心配ばかりかける息子は何の因果か性転換して北を目指しております! ちくしょう、玉ねぎ目に染みても涙こらえていくぞ。
「つーか目、痛いんスけど……」
「このヘタレニートが! 思いのほかスピードを出さぬと思ったら風圧にへこたれておるのか!」
「オレは生身の人間スよ……物理的な制約には非抵抗主義っス」
 もう、まともに抗弁する気も起こらない。次回に備えかわいいゴーグルでも買おうと思い立ったところで、もしや自分はコスプレにのめりこんでいっているのではないかという仮定が成立してしまい、早くもぼくのからだの中で自己嫌悪の嵐が吹き荒れる。そこまでいっちゃったらもう社会復帰できんやろ! 残金100万円では十年も戦えないんやぞ、目を覚ませ俺!
 そんなこんなで脳内会議が最高潮に達しようとした頃、こけしが「あれじゃ!」と上ずった声を上げた。指さされた方向に目を凝らすと、小山を包む森の中に白いもこもこした獣らしき物体を見た。上空からではよくわからないが、結構大きいんじゃないかと思える。
「コーボルトじゃ!」
 コーボルト。通称コボルド。ドイツの邪悪な妖精さん。D&DをはじめとするRPGにおいては二足歩行するデカイ犬畜生、キング・オブ・ザコとして描かれる。ははは、オタクはばっちりソード・ワールドもおさえてますよ。
「ふふん、初陣を飾るには手頃な妖魔ではないか。討ち滅ぼすぞ、我が半身よ!」
「ういっス……って、おい! なんスかそのカオスな設定! ここは日本っス! イレブンじゃない、日本人だ! そしてコボルドを退治すんのは冒険者の仕事!」
「ええい、四の五の言うでない! あやつは生かしておけば人に害を為す存在だという事実があれば、それで十分じゃ!」
「……ま、それはそうっスね」
 今更SF厨があらゆるロボアニを「そもそも二足歩行する時点でおかしい」としつこく叩くような真似をしたところで何も始まらない。戦場で足を止める奴があるかよ、ってことだ。こけしを放し、僕は白いもこもこを見下ろす。
「……ところで武器とかないんスか? なんかこう、ステッキとかあるっしょ普通」
「おや? そういえば発現しなかったのう。普通は変身すると同時に手元に現れるのじゃが……」
 生温い風が吹いた。こけしが小さな額に汗を浮かべ、その大きな瞳を見開く。
「そ‥‥そうか。わかったぞ! この現象の真実が!」
「まっ‥‥まさか‥‥」
「そう。貴様の肉体変化に費やすエネルギーが膨大で‥‥武器にまで手が回らなかった」
「ハプニング!!」
「それは素手で戦えということだったんじゃよ!!」
「な‥なんですって―――!!」


 いきなりケチがついた。でも負けない、ウォーカーギャリアは男の子。まあ、なんていうか、トンデモな展開は今に始まったわけじゃないんだよな。こけしが泣き出しそうな顔で説明した内容を反芻しながら、徐々に高度を下げていく。
『彼奴らはわらわと同様に、神の世と人の世の挟間に生きる者じゃ。本来あらざる場所への干渉力を失わば、あるべき場所へと帰される……つまり、死せずとも生命力が弱まればこの世界からは消滅するわけじゃ』
 つまり、どの程度かはまだわからないが痛めつけてやればいいわけだ。殺さなくていい、というのは正直ありがたい。木々の隙間で動き回る白を目で追いつつ、奇襲の方法を考えるが妙案はない。何をするにも、この欝蒼とした木々が邪魔だ。
『貴様に与えられた力は風じゃ。この地まで天空を駆けたように、具体的なイメージを強く思い浮かべれば風が応えてくれる』
 風で何ができるのか、ここに辿り着く前から考えていた。その結論は、間違っていないと思う。コーボルトを真下に捉え、すうっと大きく息を吸った。
『じゃが、思念を増幅する媒体がないのでは戦う術とは成り得ぬじゃろう。すまぬ……貧乏クジを引かされたのは、わらわでなく貴様の方であったな』
「そうでも……ないけどなっ!」
 風のコントロールを解き、頭から急降下。こちらの気配を察知し、コーボルトが犬の顔を向け威嚇の咆哮を浴びせてくる。その鼻面に、コンパクトに縮小された小さな拳を、全力で叩きつけた。きゃいんという悲鳴を聞くと同時に、右手に激痛が走る。思わず風の力で身体を制御し直す予定から外れ、熊ほどの大きさの白いもこもこを下敷きに落下した。
 「わあ、ふかふかしてる~♪」とか「こいつはくせえッー! 野良犬のにおいがプンプンするぜッ――――ッ!!」とか考える暇もなく、尋常ではない膂力に跳ね飛ばされ、木に叩きつけられる。その衝撃に呼吸が止まり、意識が飛びかけた。「ヤバイ」と背筋に冷たいものが走った瞬間、腐葉土の上に崩れ落ちた自分に気づく。激しく咳きこみながら、慌てて敵の姿を探した。
 鮮血に染まった犬の顔の上で、どんなKYであってもそれとわかるだろう怒りの眼差しが満々たる殺意を放っている。あれからすぐに追撃できなかったということは、それなりにこちらの第一撃が効いていたってことだろう。やれる、という感触が、忍び寄ろうとする恐怖をはねのけた。柔らかい腐葉土を団子状に丸め、震える足でゆっくりと立ち上がる。
「ビビってねえで来いよベネット……動物愛護団体が顔を真っ青にするお仕置きの時間だぞ……」
 挑発というよりは単なる独り言だが、人語を解するのか偶然なのかコーボルトが上半身を屈め、こちらに向かう姿勢を取る。緊迫と高揚が入り混じり、鼓動が加速した。そしてコーボルトが突進を開始する。熊のスピードは人間のそれを遙かに凌駕するとは知識として知っていたが、そこから導いた予想以上に素早い。すかさず泥団子を投げ、コーボルトを指さす。闇夜に光る、その瞳を。
「そこっ!」
 空中の泥団子を風の力でコントロールし、加速させ、突撃してくるコーボルトの双眸に直撃させる。それと同時に風の補助を受け跳躍し、間一髪で犬の頭を飛び越えた。着地すると同時にどうんという大きな衝突音。振り返ると視界を塞がれたコーボルトが大木に頭部を打ちつけ、うずくまっている。その尻尾が、力なく垂れているのが見てとれた。
 ……ずっと考えていた。風の力で、僕ができること。その答がこれだ。物体の物理的加速による射撃、そして――。
「男の最大の武器は……」
 仮説を立てていた。この作り物の小さな体であろうと、その体重は僕本体のそれと変わらないのではないかと。であれば、体が小さくなった分だけ密度は非常に高くなっているはずなのだ。それこそ、鋼鉄のように。第一撃で、仮説は確信に変わった。この拳は、重い!
「この肉体そのものだってなあああああ!!」
 全力で駆け出し、即座に加速。突風を全身に受け跳躍し、両足でコーボルトの背中を蹴り飛ばした。その衝撃に大木がへし折れ、白い巨体が吹き飛ぶ。なおも追撃しようと目を凝らした瞬間、閃光。コーボルトの姿が掻き消え、再び森が闇に包まれる。見失った敵の姿を上空から探すことを思い立ち、空を見上げると、木々の隙間から覗く月を背にこけしが降りてきた。
 別れ際には泣き出しそうだった顔が今は笑みを浮かべていたことに、僕は戦いの終わりを悟って深い安堵の息を漏らす。ぺたんと座りこむ僕の胸に抱きつき、すすり泣きながら「よくやった」と何度も呟くこけしの小さな頭を撫でつつ、月を見上げた。こんなに月が美しく見えたのは、生まれて初めての経験だった。


「み…水…」
 単刀直入に言うと、喉が渇いていた。ジュースでも飲もうと下山し、ようやく見つけ出した自販機の前で僕は硬直する。気づいてしまったのだ。変身前の自分が、派手なトランクス一丁という超くつろぎモードだったことに。ズボンのポッケに小銭が入ってた、なんてプチラッキーがあるはずもない。無一文という思わぬ事態に放心していると、僕の左肩に腰かけていたこけしが「おや?」と呟いた。
「耳元でいきなり喋らないで……びっくりするから、ホントに」
「認定証が発行されるようじゃぞ」
「は?」
 家の鍵を胸に抱いてぱたぱたと正面に回り込み、こけしがミニマムな白い頬を紅潮させ、興奮した様子でまくし立てる。
「貴様を魔法少女として正式に認める認定証じゃ! 普通は一定の仮登録期間を設けるものなのじゃぞ!」
「えーと、そう言われてもリアクションに困るっス」
「魔法少女協会が貴様の実力を高く評価し、即戦力として期待をかけているということじゃ! 異例の栄誉なのじゃ!」
「魔法少女協会って! なんスかそのクソ怪しげな団体!」
「ふふふふふ……貴様を選んだわらわの目に狂いはなかったということじゃのう! 誇りに思うぞ、我が半身よ!」
「……はあ、まあ、そうっスね」
 せっかく喜んでくれているのだから水を差すこともないか、と喉まで出かかった皮肉を飲み込み、子供のようにはしゃぐ小妖精に曖昧な笑みを浮かべてみせた。よくわからないが、彼女にとってこれは本当に名誉であり喜ばしいことなのだろう。こけしの「初めて出会うた時はどうなるかと思ったが」というところから始まる、やまだかつてなく長い話に相槌を打っていると、辺りが光に包まれた。
「来たのじゃ! ベントラベントラファンタジックピープル! ベントラベントラファンタジックピープルなのじゃ!」
「未確認空想物体(Unidentified Fantasic Object)召喚!? アンタいつの人間だ!」
 これはSFはSFでもサイエンスフィクションではなくスペースファンタジーです。やたらとカオスな展開に「スペースラナウェイ!」と現実逃避していると、手元にレトロな羽根ペンと羊皮紙がどこからともなく出現した。日本語――しかも昔のギャル達の間で大流行した丸文字で「魔法少女正登録申請書」と書いてある。ご丁寧に平仮名でルビまで振ってくれている優しさに全米が泣いた。
「……ああ、これに記入するの小学生の女の子が中心ですもんね……サービスが行き届いてるんだか何なんだか……」
「うむ! 魔法少女協会の行き届いた心配りは精霊界一なのじゃ!」
「……そっスか」
 嫌な世の中だ。本当に嫌な世の中だ。絶望した!! そこまでして子供を戦いの海に投じる世の中に絶望した!! ……もういい。もうこの混沌に満ちた糞設定について深く考えるのはやめよう。無駄に鮮やかな桃色のインクがしたたる羽根ペンを手に、僕はこの茶番をさっさと終わらせて家に帰ってクソして寝ようと、空中に浮かぶ羊皮紙への記入を開始するのだった。