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 そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マティアとのふたりを立て、
 祈って言った、「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで、
 ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。
 それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マティアに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。


            東風のニコライ


 ――それは、主が遣わしたものであったのか。
 グレゴリオ暦1999年7月14日。かつての革命を偲ぶべきこの一日に、ド・ゴール主義を信奉する一部のフランス軍人達の御膳立てによって、それらが世に出たのは人為の業である。それらは一様に美しい人の形と、背中から伸びる純白の翼とを持ち合わせていた。
 天使。その普遍的な心像そのものであると形容していい。軍人達も、そのように喧伝した。
「アレルヤ(主をほめたたえよ)! 主の遣わせし御使が、今日この日に、革命記念日に、降臨なされた事実は象徴的と言えるであろう」
 革命の響きは鬱屈した知識階級の耳に、心に、甘美である。彼らはこの世界において、何者かに、歴史に名と業績とを刻みこむ何者かにならんことを望んだであろう。気高い志とも、俗な欲望とも表現できる。独自外交を好み、今なお植民地主義を捨て切れず、旧植民地への軍事介入を繰り返す。世界の覇者でありたい、殿さま気分がどこか抜け切れていない。かようなフランスという国家が、その伝統が、あるいは彼らを駆り立てたのかもしれなかった。
 世界を統一する。
 彼らが崇める唯一神の下で――即ち地上の民の思想を一つとなし争いのない新世界を実現する。これが彼らの提唱した革命である。ド・ゴールという一個人の強烈なカリスマに、降臨せし天使を置き換え、その対象を国家から全世界へと拡大させた幼稚さが感じられる発想であり、およそ傲慢であることは自明の理であろう。
 天使が宗教的意義を持つだけの存在であれば、掲げた理想は夢想に過ぎない。その存在は衝撃であれど、全ての異教徒を彼らの神の下に改宗せしめるものではないだろう。が、思想の統一なしに、彼らの理想郷は築けないものであった。
 真の脅威は、その軍事利用にある。
 世界がそれを――その恐るべき威力を知り、その行為に震撼するには翌年を待たねばならない。全ては、密かに、だが確実に、多民族からなる思想の対立根強いフランスの地で進行していた。


 その映像が鮮明であることに、荻野真咲は我が身の不運を呪った。
 冒頭。白人の若い将校が熱っぽく演説する東北弁のようにも聞こえる言語が、フランス語ではないかと思い至った時点で予感はしていた。映像が屋外のものに切り替わり、ヨーロピアンスタイルそのものといった街並みを映し、そこに一人の少女が佇んでいるのを視認して、予感は確信に変わった。その背に、白い翼が生えていた故に。
 日本では報道規制により公にはされていないものの、ゴシップ誌が面白おかしく騒ぎたて、インターネット上では流出動画を肴にマニア達の不毛な論争を巻き起こし続けていれば、半ば公然の事実ようなものである。裁きの日。ミレニアムの悪夢。ソドムとゴモラの再演。かように呼ばれている、軍事クーデターの開幕を告げた殺戮劇は。一夜にして666の人命が奪われたその光景を、真咲は不本意ながらスクリーンの中に見ている。
 天使降臨の奇跡は、信心深いシトワイヤンに喩えようもない感動的なものであるらしかった。翼の生えた少女を囲む人々。感極まった、涙混じりの祈る声が幾重にも重なり合う。
 そして、それは始まった。
 囚人服を身につけた一群と、これを囲む軍人達とが人で埋め尽くされたシャンゼリゼの華美なる大通りを――革命記念日の軍事パレードのように――天使を中心とする民衆の輪へと行進する。
 細い神経質そうな男の声が何事かを叫び、一拍の間を置いて手元の冊子を読み上げる。これに合わせてカメラが一人一人の囚人に焦点を移していけば、各々の罪状を読み上げているのだと大よその察しはついた。
 狂気は、伝播するものであるらしい。
 興奮状態にあった民衆の中で、黒髪の少女が叫んだ。「私の父を殺めた男に罰を」真咲が聞きかじっていた限りでは、天使に向けて囚人の一人を指しながらそのように発言していたようである。「天使様、罪人への裁きを」このような言葉で隣の青年が続いたらしい。「死を」老紳士がステッキを振り上げ、民衆は口々に同調する言葉を叫んだ。異様な熱狂が空間を支配する。本質的に公開処刑を好む国民なのだ、と真咲は無意識に引き攣った笑みを浮かべた。
 天使が微笑み、黒髪の少女の涙を拭う。その願いを承認したようであった。更に熱を増し口々に神を讃える言葉を叫ぶ民衆の中で、天使がその白い翼を広げる。何の先入観もなしにこれを見ていれば、神々しささえ感じたであろう。
 そして、消えた。高速で移動した天使をカメラが追い、少女が憎む囚人に相対する図を映す。優美な笑みを消さぬまま、細い腕が青ざめた顔で立ちすくむ囚人の胸に当てられた。とん。軽く叩かれた胸の異変は目視できない。
 が、異様であった。囚人服と靴との隙間から、さらさらと白い粉が漏れ出す。塩であるらしい。衣服の下で、人体が塩の塊に変化させられたらしかった。やがて漏れる塩の勢いが増し、両足が崩れ、上半身が床に叩きつけられる。恐怖に歪んだまま硬直した白い顔が、音を立てて割れ、砕け散った。血の流れぬ、どこか死の実感が湧かない処刑に、民衆は酔ったようである。清らな奇跡を目の当たりにした心持ちであったろう。神を讃える言葉の波が、より一層の熱を帯びる。
 公開処刑は続いた。恐怖したか、あるいは状況を理解できないままであったか。逃げ惑う者。立ち尽くす者。抵抗する者。泣き叫ぶ者。一人残らず、喝采の中で死んだ。
 映像が再び冒頭の将校に切り替わる。
 どうやら666人があれで死んだらしい、と真咲は衝撃に麻痺しかけた頭で情報を整理する。将校が興奮して幾度となく「アレルヤ!」と叫ぶ声が、どうしようもなく耳障りであった。


 荻野真咲。昭和56年1月21日、福岡県福岡市南区にて生を受ける。
 後にAutomatiqueHurler-13-Zionを従え第十三使徒マティアのコードネームで数多くの天使を黄泉路へ送り、その生命を懸けて守り続けた人類からも「極東から吹いた災厄の風」「血塗られた東洋の魔女」「神を畏れぬニコライ信者」などと忌み嫌われた自衛官であるが、この平成12年10月26日においては未だ19歳の小娘でしかない。文武において平均以上であり東洋的な美貌に恵まれてはいるものの、広義的には平凡な学生の域を出ない少女であった。
 世界の統一、戦争のない理想郷(エデン)の実現と引き換えに人類の半数以上を粛清せんとした――ジョージ・ウォーカー・ブッシュがテロリズムであると断じ「テロとの戦い」と称した米英日による武力介入をも招いた――かの騒乱の意味を問い直すにあたり、彼女が欧州の地で過酷な戦いに身を投じる経緯を我々は辿って行かねばならぬであろう。
 対天使用機動兵器AutomatiqueHurler。
 略称AH(アハ)。直訳すると「自動的」に「吠える獣」もしくは「怒鳴る人」となる。機械仕掛けの猟犬であるとか、反抗するもの、その雄叫びを上げるものとかいう意味合いになるであろう。一切の軍事力を保持しないとするバチカン市国で極秘裏に開発されていた当時の最新兵器という見方が真実に近いものであろうか。天使を白兵戦で撃滅すべく造られた機械の獣――いわゆるロボットであり、人間の主の命令によりその殺傷力の発揮を制御するように設計されている。
 うち13号機Zionが、バチカンの援助を受ける仏旧政府から米国を経由して日本の所属となり、紫苑と表記された。アブラハムを起源とする啓示宗教の倫理――人間が人間を造るという行為(偶像崇拝)は主への冒涜である――に反する唯一の人型であること、あるいは13という数字が彼らの忌み数であることが、世界のパワーバランスを一変させ得るAH-13紫苑の運命を決定づけたのかもしれない。
 その主として戦場に臨む人間を選抜しなければならない。
 当時、米政府では既に「テロとの戦い」というシナリオを進行させていたようである。日本政府に与えた「AHの主人は若く美しい民間人の女性でなければならない」との指示が、その裏付けであると受け取れよう。
 彼らは黄色い肌のジャンヌ・ダルクを求めていたらしい。有色人種の異教徒が天使ないし天使を擁するフランス軍事政権との戦いの中で惨殺されるという既成事実を演出し、核兵器を無力化する天使を得たことでパワーバランスの頂点に立つフランスへの侵攻の大義を得ようとしたものである。真の自由を得るために若い命を散らせた東洋の美女。その意趣返しに燃え正義を掲げる英雄的なアメリカ軍という絵は、いかにも世界の警察を自認する国家の好みそうなところであろう。
 いわば、日本政府が要求されたのは体の良い生贄である。
 荻野真咲という一少女がそれを受け容れ戦い続けた経緯を辿るという行為は、アメリカ合衆国という歴史を持たぬ大国が、自ら紡がんとした新たな歴史の青写真を想像する旅と言えるのかもしれぬ。が、それは本題ではない。
 ――愛国心の強い娘がよろしかろう。
 お国のために死んでくれということである。政治責任の所在を明確にせぬ体制からか、誰がそのように提案したか定かでない。右翼団体を捜査対象とする公安第三課を動員し彼らの監視下にある右翼主義者の親類縁者から、前科がなく一定の基準以上の容姿と若さを備えた娘たち(潜在右翼の可能性が高いと判断したようである)を選抜したという事実が当時の関係者から僅かに語られるに過ぎない。


 上のような経緯で選抜された娘たちの中に、荻野真咲がいる。
 正二郎という父方の祖父が右翼主義者として公安第三課の監視下に置かれていたことが、彼女の命運を分けた。正二郎が一月前に他界し、それに伴い縁者である真咲の調査書類が破棄される寸前に見出されたことを思えば、時代というものは時に劇的な偶然を用意しているとさえ思える。
 この正二郎について触れておきたい。旧姓を平山というこの男は多感な青年期を第二次世界大戦中に迎えた。旧帝國陸軍大佐である伯父の薫陶を受け軍人を志したが、生来の色弱がため身体検査にて失格。後、警察官となり伯父や旧友たちの戦死の報を受けつつ鬱屈した日々のままに終戦を迎えた。戦後民主主義の価値観で、この正二郎の無念は推し量れないであろう。親しい人々の犠牲の上に自分だけが血を流さぬまま生き残った絶望は、終世この男につきまとった。
 終戦直後、日本占領に当たる連合国軍最高司令官総司令部の総司令官ダグラス・マッカーサーの暗殺計画を伯父の遺した部下数名を率いて実行せんとし、同僚の警察官らの手で未然に防がれるという事件を起こしている。事件そのものは闇に葬られたものの公安の監視下に置かれることとなり、結果として孫娘に累が及んだ。
 ――話は戻る。
 知らず選抜された娘たちは、無作為に抽出されたサンプルへの世論調査という名目で、当時のフランス軍事政権がクーデターの際にライブ中継した天使による公開処刑の録画を視聴させられた。選抜試験である。視聴中の反応が隠しカメラに録画されており、複数の試験官がこれら全てと「世論調査」当日に手渡したアンケート用紙の記入内容とを吟味する。
 その目を逸らすか閉じるなどして映像の直視を避けた娘。トリック映像の類であろうとでも思ったのか、あるいは罪人がどのように処刑されようと構わないだろうというのか、酷く反応の鈍い娘。左の如き見方であったか、アンケート用紙にフランス軍事政権を支持する意見を記入した娘――。
 これらを順に除外していった結果、数名に絞られ、人間の少女に近い容姿と兵器に不相応な自我とを与えられたAH-13紫苑がその中から荻野真咲を己が主の第一候補者に選んだ。即断であったようである。その用途故に受動的な人格を設定づけられた機械仕掛けの少女が、この時ばかりは「早く面談したい」と強く要求した。後にこの二人(と表現すべきであろう)が残す戦績を思えば、頗る相性が良いことを感じ取ったのであろうか。
 翌日、紫苑は自ら真咲を訪ねた。
 上に述べたように、容姿は人間の少女に“近い”。シルエットは人間そのものである。その大部分には未知の金属(現在でも素材が判明しない)が露出しており、顔のみが人工皮膚に覆われ、青い瞳、ボブカットされた黒髪と併せてどの人種とも断じにくい無国籍な顔立ちと豊かな表情とを形成している。
 振袖に襟巻きを合わせ顔のみ露出させた状態であれば人間の少女との見分けはつかず、実際、そのような出で立ちで真咲に――彼女が通う大学の構内で面会した。余程周囲の目を引いたらしい。学生の一人が撮影したスナップ写真に、笑顔の紫苑と仏頂面の真咲とのツーショットが収められている。おそらく、この日に撮影されたものであろう。


 ――おめでたい留学生ってところか。
 というのが、学生食堂での遅い昼食中、不意に声をかけてきた紫苑の第一印象である。相席を申し出られ、真咲は「他に空席があるだろうに」と無言で周囲を見回した。この少女は性格的に孤独を好み食事の時間帯を一般のそれと意図的にずらしているし、無論、この見知らぬ“留学生”を歓迎していない。短い沈黙の後、
「無反応というのは――」
 と紫苑が切り出し、真咲の正面に腰を下ろした。革の手袋に覆われた指が、手にしたグラスの縁をこんこんと叩く。口をつける様子のないオレンジジュースがちゃぷっと波を立てた。
「国際社会においてはYesとして扱われるものと、今後は認識していただきたいものでありますナ」
「……何か用?」
 不審げにひそめる眉が太い。美容に気を使ってはいないようだなと人間の少女の如き感想を抱きつつ、紫苑は観察する。切り返すまでの短い間に「別にNoとも言ってないだろう」とかいった言葉を飲み込んでいたようだと思った。非社交的であるが、存外、攻撃的でも排他的でもない。
「Yes,mom.然様であります」
 軽く頷いてから、紫苑が白いコピー用紙の束を黒革の鞄から取り出し真咲に差し出す。表紙に当たる一枚目から防衛庁発行の文書であることが見て取れ、官僚にありがちな硬い文章で守秘義務を執拗に念押ししてあった。食べかけのカツ丼をトレイの上に置き、真咲が受け取る。それと意識して周囲を見渡せば、スーツ姿の屈強な男達が遠巻きに二人の様子を窺っていると気づいた。
 視線を意識しつつも何気ないように淡々と読み進め、ふと、
「あえて難解な言い回しばかりする文章は嫌いだな。深い教養と知性をひけらかす書き手の驕りが鼻につくんだ」
 と、初めてまとまった言葉を発し「回りくどい長文も気に入らん」と低く唸った。喉が渇く。文章を読み解き、自分が置かれた状況を理解するほど渇いた。「要するに――」と、手元の文書でその正体を知った“留学生”を「これが本当にロボットなのかね」という気分で凝視しつつ、
「私を自衛隊にスカウトしたいという解釈でよろしい? 国益のため、アメリカ様の犬になれ、と」
「Yes,mom.付け加えるなら、日米英がプロデュースするアイドル、国際的なヒロインを演じていただきたいということでスナ」
「……ふうん」
 気のない相槌を打つ。が、さすがに動揺してはいた。何の決意も覚悟も済ませていない一介の女学生に突如として提示されたのは、かつて人類が経験したことのない未知の戦場の最前線に立つか、あるいは国家機密の漏洩防止のために監視されながら生活するかの二択である。紫苑の同伴者であるらしい男達が向かい合う二人へとその距離を詰めていた。監視という発想に生の実感が伴う。
 ――ひとまず返答を保留すればこの連中に監視されるのだという不快感と、父方の祖父が病床で「死ぬべき時に死ねなかった」とうわ言のように繰り返していた記憶とが、真咲に決断を急がせたのかもしれない。返事は後日で構わないという旨の言葉を発しかけた紫苑に、告げる。
「やるよ。私があんたの相棒だ」
 仏頂面で文書をテーブルに置き、紫苑が複雑な表情で差し出すオレンジジュースを飲み干した。溶け切った氷で薄められた温い液体が、この上なく不味いと感じられた。