(92)576 「愛の軍団」的ななにか


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"ダウンワードスパイラル"
それは旧体制の悪しき遺物。
大東亜共栄圏。サンフランシスコ講和条約体制。東西冷戦。ソ連の崩壊。中国の勃興。
移ろいゆく時代の中、核兵器の保有を封じられてきた日本にとって、能力者こそが唯一の軍事的な福音と盲信した者達の信仰の砦。
能力の軍事利用の研究を一手に担ってきた場所。
Mの誕生と堕落。i914の悲劇。
能力者に纏わる全ての悲しみがこの場所から生まれた。
そしてまた一つ、新たな悲しみが孵化しようとしている。

小田さくら。
その歌声を人々の深層心理に浸透させ、催眠状態に至らしめる"quiet voice(静かなる歌声)"
物質の固有振動数と同じ周波数を発し続けることで破壊せしめる"Song not hear(聞こえない歌)"
精神と物体、二面からの攻撃・干渉が可能なことでデュアルアビリティと誤認識されていた能力者。
そんな彼女がダウンワードスパイラルの最深部に囚われている。

施設への入り口となっている地上部は既に制圧した。
警備担当者の動向を掴むのには、接触感応者である譜久村聖、超聴力を持つ鈴木香音、千里眼を有する工藤遥が貢献した。
索敵中の聖達の身の安全は五感共鳴者飯窪春菜や交霊能力者佐藤優樹が確保した。
実力行使の面では水軍流鞘師里保、狂戦士生田衣梨奈、幻獣召還石田亜祐美が活躍した。
ここまでは順調過ぎるほどだった。そう…順調に過ぎた。

「道重さん」

緊迫した声を発したのは工藤遥だ。
地上施設の警備担当者が所持していた情報端末を数台同時に高速でスクロールさせて、セキュリティに関する情報を探っていたのだ。

「地下の最深部までのルートは途中で合流している箇所もありますが全部で九つあるみたいです」


九つのルートとは螺旋状に地下へと展開している九つの独立した研究プラントであり、成功であれ失敗であれ各プラントの研究の成果は最深部に集積され精査される。
作業の効率面も居住性も無視したその構造は、能力の軍事転用に関する情報の流出を防ぐ為であると同時に招かれざる侵入者を拒絶するため。

「最深部へ到達することが目的ならばそれほど問題はない」

道重さゆみの呟きを耳聡く捉えたのは飯窪春菜だった。

「確かにこの九人なら、この螺旋の城を落とすのも不可能じゃないです。でも問題はタイムリミットがあること」

そう、今回のミッションにはタイムリミットがあった。
あと二時間と十分後、地上デジタル放送によって、小田さくらの"quiet voice(静かなる歌声)"は全国に送り届けられる。
その声を耳にした一千万人を越えるであろう人々は、巨大なネットワークを構築しDシステムのような能力エンジンと化してしまう。
そのエンジンを誰が行使するにせよ、そのもたらすものは大いなる災厄だ。

「新垣さんの能力でどげんとならんかね」

リゾナンターの中で最も熱烈な新垣里沙の信奉者である生田衣梨奈が答えの判りきった質問を誰にともなく問いかける。

新垣里沙の精神干渉で"quiet voice(静かなる歌声)"の催眠効果を無効化できるか否か?
その問いかけに対する回答はイエス、そしてノーだ。

精神干渉能力者として新垣里沙と小田さくらを比較した時、その優劣ははっきりしている。
記憶改竄の精緻さ、精神への干渉の強固さ。
あらゆる要素で新垣里沙は小田さくらを凌駕している。
もしも二人がお互いの能力だけをもって対峙したなら、小田さくらは数秒で大地を舐め天を仰ぐ次第となるだろう。
問題は二人が対象の精神に働きかけるメディアの違いにある。


新垣里沙が他者の精神をかくも完璧に干渉できるのは、人間の脳が思考する際に発する電気信号にハッキングしているからである。
里沙自身は精神の触手としてイメージしている書き換えの為の媒体を、他者の脳内に侵入させて一つ一つ丹念に作業している。
したがって同時に干渉できる対象の数には制限が生じてしまう。
そしてその能力の距離的な有効範囲も。

それに対して小田さくらは自分の歌声を対象の脳内に響かせることで、特定の脳内物質を分泌させて感情を支配する。
その手法は新垣里沙のやり口と比較すれば、何とも遅延でまどろっこしい。
しかしだからこそその支配対象の範囲は広大だ。
特にさくらの歌声を完璧に再現できるデジタル放送が普及した現在、その対象範囲は日本、いやデジタル放送を試聴できる環境が整っているならば、世界中に及ぶ。

したがって新垣里沙の精神干渉では小田さくらの"quiet voice(静かなる歌声)"による集団催眠を防ぎ得ない。
だから彼女は今この場には居ない。
彼女の立場でしか取りえないアプローチで事態を収拾しようとしている。
法的な手続きによって放送を中止させられないか。
さゆみたちリゾナンターをバックアップするために対能力者特殊部隊を出動させられないか、現在の所属先である公安調査庁を足がかりに奔走している。

確実に最深部に到達するにはこのまま九人で進むべきだ。
この九人ならどんなセキュリティーやトラップがあろうと、たとえ二つ名持ちの能力者が待ち構えていようとも恐れることはない。しかし…。

「わたしたちがひとかたまりになって進んだら、別のルートで逃げられてしまうかもしれないね」
「一つ一つのルートが独立したプラントだということは、さくらちゃんの歌声を送信する設備や増幅システムも個別にあるかもしれないし、それ以上に厄介なのは別ルートで迂回されて背後から襲われたり、挟み撃ちされることかな」

りほかのが冷静に問題点を炙り出す。


「地上との接点となるこの場所や内部の分岐点に抑えの人間を置いておけたらいいんですが」
「ガキさんも特殊部隊の派遣を頑張ってくれてるんだけど…」

思慮深い聖の言葉に応えながらさゆみは思わず洩らしそうになった溜息をどうにか堪えた。

足りない。
地下へ侵攻するにも拠点を抑えるにも人間の数が足りなさすぎる。

リーダーシーの高い聖や春菜、戦闘に向いた能力を持つ鞘師、生田、石田を組み合わせて複数のチームを作り、拠点を防御させるチームと、さくらの確保に向かうチームに分けるのが最善なのか。

必ずしも戦闘に特化した能力を保持していないメンバーの安全を優先することがリーダーの務めだとしたら…。
新垣里沙の尽力によって対能力者特殊部隊が派遣されるのを待つべきなのか。

だがもしもそうして時間を費やしている内に、さくらの声が放送に乗せられたなら。
感情を支配された人間のネットワークによって大いなる災厄がもたらされたとしたら。

能力者とそうでない人間は昨日までと同じ関係ではいられない。
圧倒的多数の異能を持たざる人間は、マイノリティである能力者を恐れ、忌避し、迫害が始まる。
宗教の違いでもない主義主張の違いでもない権益の為でもない。
人間の内面に兆すものを恐れる感情から始まった戦争の炎が世界中を覆い尽くしてしまう。
そうならないように光の当たらない場所で戦ってきた人たちがいる。
高橋愛が新垣里沙がそんな事態にだけは陥らないよう奮闘してきた姿をさゆみはその傍で見てきた。
さゆみ自身もその戦いの輪に加わってきた。
それは過酷な現実に直面する時間を遅らせているだけなのかもしれない。
事件を隠蔽し歴史を改竄しているだけなのかもしれない。

しかしさゆみの前を歩いていた二人のリーダーは何人の人間を救ったのだろう。
誰とも交わらず孤独な人生を歩いていくだけだと絶望していた少女たちにいかほどの希望を与えてきたのだろう。
だから今さゆみがやることは囚われのさくらを救い、催眠下におかれた人間の脳幹ネットワークを利用したサイキックテロを防ぐことだ。
だがそのために命令を下すことは、さゆみが守るべき少女たちを命の危険に晒すことに他ならない。


…もし、今ここに光井愛佳がいたら。
何度も仲間の命を救ってきた予知能力による未来視は、リゾナンターが進むべき道を照らしてくれるだろう。
そして何より歴代のリゾナンター随一の頭脳を持った愛佳は軍師役として大きくミッションの成功に貢献してくれるだろう。

…もしここにリンリンがいたら。
発炎能力を持ち功夫の技術にも長けた近接戦のスペシャリストである彼女にとって、ダウンワードスパイラルのような施設への侵攻はもっとも得意とするところだろう。
そしていかなる時も絶やさない笑みとバッチリですという彼女の口癖は過酷な状況にある仲間を勇気付けてくれるだろう。

…もしここにジュンジュンがいたなら。
圧倒的な突破力を誇る大熊猫への獣化能力者である彼女は皆の先陣を切って突進し、敵対するものの心を打ちひしぐことだろ。

…久住小春がこのミッションに参加していたら。
発電能力者である彼女は電気系のセキュリティを無効化するばかりか、雷撃の槍によって迫りくる敵を撃破することだろう。
時に仲間さえ鼻白ませた勝気な性格は進撃の雷鼓となって皆を奮い立たせるだろう。

れいながいてくれたら。
TV放送の中止が叶わなかった時でも、、さくらの声によって感情を支配される人間を少しでも減らす為に放送施設を破壊するというお尋ね者になること間違いなしの損な役回りを快く引き受けたれいな。
夜猫や百人殺しの異名を持つれいなこそ今この場に呼び寄せるべきだったのかもしれない。
戦いにおいて個人プレーに走りそうでいながら、仲間の窮地を見逃さないれいな。
そして何より仲間の能力を増幅するリゾナントアンプリファイヤがあれば。

風を操る絵里の能力は地下深いダンジョンを攻略する今回のミッションには不向きなことは間違いない。
だが彼女がさゆみたちの心に吹かせる優しい風は、どんな言葉よりも元気付けてくれる。
もしも今、ここに絵里がいてくれたら…。


「「道重さん」」

時間にすれば決して長くはないが、物思いに耽ってしまっていたさゆみを詰るように話しかけてきたのは鈴木香音と佐藤優樹だ。
思えば鈴木香音が悲しげな小田さくらの歌声を耳にしたことが始まりだった。
佐藤優樹がいつになく真面目なのは、たった数日間のうちにフォロー役に回るようになった小田さくらがいないからだろうか。

「道重さん、時間がありません。早く決めてください。 私はどのルートを進めばいいんですか」
「早くさくらちゃんを助けに行くです」

二人以外のメンバーもその言葉をさも当然と受け止めている。

この子達はわかっている。
自分たちが何をすべきか。何をしなくてはならないか。
今何よりも大切なことは小田さくらのことを保護すること。
史上最悪のサイキックテロの実行犯というあまりにも重い十字架を背負わさないために、リゾナンターぜんぶで包み込みあらゆる敵から守り抜くこと。

馬鹿だ。
さゆみはほんとに馬鹿だ。
意味なんてない。
あの頃のリゾナンターと今のリゾナンターを比べるようなことをしたって何の意味もなかった。
愛ちゃんが救ってくれたみんなで結成したあの頃のリゾナンターは最強だった。
それはさゆみが一番よく知っている。
でも今ここにいるリゾナンターは最高だ。
それはさゆみが愛ちゃんやガキさんから任されてリーダーになってこの子達と過ごした時間が証明してる。
だから意味なんてなかった。
あの頃のみんながここにいてくれたらなんて考えることに意味なんてなかった。
さゆみが今すべきことは…。


「何よりも優先すべきはさくらちゃんを救い出すこと。その為には危険だけどみんなは一人になって地下の最深部までの九つルートを辿って欲しい」

地上部を簡単に制圧できたのは、地下の研究施設の防衛に重点を置いている可能性が強い。
そこにはどんな罠が待ち受けているのだろう。
最悪の場合、幹部級の能力者が手ぐすね引いて待ち構えている可能性だってある。
そんな生命の安全が保障されていないリーダーの指示に怯む者は誰一人いない。
といって勢い込み、顔を高潮させる者もいない。
これからやろうとすることは彼女たちにとってあたりまえのことなのだ。
悲しみに囚われた者の心の声に耳を傾け、救うべき者を救うために戦う。
かつて彼女たちがそうやって救われたように、今度は小田さくらを救う。

「全てのルートを均等に守るほどの余力は向こうにも無いと思う。 甘く見るのは危険だけど比較的楽に切り抜けられるルートもあるかもしれない。だから…」

さゆみは一瞬言葉に詰まった。
それを何と表現すればいいのかわからなかったのだ。
それがなければ決して知り合うことが無かったであろう者を結びつけた不思議な絆。
大切な仲間が傷つき、命の危険に晒されたときまるで自分の首筋に刃が突きつけられたように感じてしまうあの感覚。
そう共鳴という絆があったからあの頃のリゾナンターは生き抜いてこれた。
だからあなたたちも不思議な感覚に捉われた時は、自分を信じて心の赴くままに行動して欲しい。
口にするべき言葉をどうにかまとめたさゆみの努力は無駄に終わる。

わかってますよ、わたしたちだって経験したことがありますから。
口元に笑みを浮かべて視線を交わす彼女たちを見て改めてさゆみは痛感した。

そう、この子たちはりっぱなリゾナンターなんだ。

「これは絶対命令なの。さくらちゃんを助け出し誰一人欠けることなくリゾナントに帰る」

彼女たちは誇り高き愛の戦士。
かなしき歌姫を救うため、愛の軍団が闇を突き進む。




投稿日:2014/02/13(木) 18:30:54.61 0