■ エスプナードオブミュージアム -飯窪春菜- ■
そこに天使がいた。
一段高くあつらえられたフロア。
ルーフから注ぐ光、照明。
長い黒髪。
その、艶やかな光沢。
小麦色の肌。
長い、すらりとした手足。
光と影の中、『少女』が、そこにいいた。
「(綺麗な、ひと……)」
静かに絵を観る少女。
その、横顔に見蕩れる。
ふと、我にかえり、美しい先客の邪魔をしないよう、ゆっくりと階段を上る。
ほんの少し、後ろに。
少女は飯窪の事など少しも気にしていない様子で、ただ目の前の絵を。
美しい絵だった。
その絵の前、一人の少女と出会った。
ごく小さめな、宗教画。
中央、やや左上に天使。
両腕を上に掲げ、豪華な衣装がはためく。
天に向けられた顔は、なぜかぼやけ、その表情はわからない。
広がる地上には救済を求める人々が歓喜の表情で空を見上げる。
気づけば、少女が隣に並んでいた。
目が合う。
大きい、潤んだ瞳。
光、キラキラと反射する、輝く瞳。
闇、深淵に堕ちていく、淀んだ瞳……
天使、では無いのかもしれない。
ふと、そう想う。
でも、それでも、このひとは、美しい。
言葉はない。
微笑みに、微笑みで応える。
それで充分。
一緒に、絵を観る。
秋の実りを迎えた農村、薄暗い納屋の中で作業をする農夫。
肩を落とした背中。
鉄火場に赤く浮き上がる鍛冶屋の男。
躍動する筋肉。
薄暗い影の中、その中心に注ぐ光の中に佇む少女。
神々しい肌。
作品ごとに全く違った印象。
だがそのすべてに共通する、光と闇、強烈なコントラスト。
やがて、ふたり、美術館を出る。
いつの間にか、閉館時間になっていた。
エスプナード。
正門まで続く煉瓦敷きの中庭を二人。
「私、あの絵をみると、とても悲しい気持ちになるんです」
飯窪は、ふと、そんなことを話し始める。
「よくあの絵は『天使が降臨し人々が天を仰ぎ期待し祈る絵』だ、『人々の希望を描いた作品』だ、そんな説明がされてます。
けど、私にはそう思えないんです。」
なぜ急に?わからない。
きっと、この少女と、このまま別れるのが……。
「だって、人々の顔は、あんなに写実的に、はっきりと描かれてるのに、期待や希望に満ち溢れた幸福な笑顔なのに、
天使の顔だけがあいまいで、ぼやけたタッチになってて。
私、最初にあの絵を見た時に、なんだろう?とっても気になったんです。
表情がわからないから、天使の表情が、わからなくて……
とっても悲しい絵。そう感じました。」
少女は無言のまま、急に饒舌となった飯窪の顔をきょとんと見つめていた。
やだもうはずかしい。
しゃべりすぎた自分を恥じらう、が、飯窪はその先を。
「私、あの絵は天使が天から落ちる絵なんじゃないかって。
だから、天使自身が天を仰ぎ、両手をあげてもがいている……助けて、助けてって、言っている……
それなのに周囲の人々にはそれがわからない。
天使の降臨を喜び、祈りをささげるだけ。
きっと、そんな事をしてる間に天使が落ちちゃう。だから……」
静かに話を聞く少女。
「やだ、すすすみません初めて会ったばかりの方にこんな素人の話」
首を振る。
白い、八重歯。
にっこりと、微笑む。
そして、ゆっくりと指さす。
「あ、来週の」
こくり
「あ、あれ私、来週も観ようと思ってたんです、あなたも?」
こくり
「じゃあ、またきっと会えますねっ!」
こくり
正門。
笑顔。
笑顔に笑顔で応える。
それで、充分。
歩み去っていく飯窪の背中。
少女は小さくつぶやく。
「バイバイ」
ふわり
天使のごとく、少女は――
投稿日:2014/01/22(水) 17:43:55.94 0
最終更新:2014年01月23日 22:25