■ クエスチョン -鞘師里保- ■



 ■ クエスチョン -鞘師里保- ■ 

「わからないです」
鞘師里保は問いかける。
左手に掴んだ『水』を片手でムニムニとこねる。

「う、うるさいっ!」
腰を落とす、右肩、いやどちらかといえば右後ろを鞘師に向ける。
左腰には、およそ2尺4寸、身幅広く重ね薄な打刀が鞘に収まる。
左肘を大きく横に張り出し、鯉口を切った左手首が限界まで内側に巻き込まれている。
額からは玉の汗がにじむ。

「それ、意味あるんですか?」
「きっ、きみはセンゴク流居合術のことを何もわかってない!」
先ほどと同じセリフを繰り返す。
だが、先ほどとは、その声のトーンが、まるで異なっている。

抜刀術、居合抜きの構え。
と、目の前の女性が言う『何か』。

何か、鞘師にはそうとしか思えない。
それは鞘師から見ればあまりに異質な『何か』だった。

沈黙。

そう、女性は攻めて来ない。
居合は迎撃用、鞘の内に勝機あり、そんなような口上をさっき聞いたような気がする。

そうかな?と思う。
自分から距離を詰めたっていいのではないか?迎撃に自信があるなら尚更、どんどん接近して、
相手に考える時間を与えず、不用意な先攻をさせるよう誘導していけばいいのに。


やはりよくわからない。謎だ。

鞘師にとって『居合』という言葉は、それほど耳になじんだものでもなかった。
もっぱら、彼女の祖父は『じぃちゃまと鞘師の遊び』のことを水軍流としか呼ばなかったのだから。

だが、巷の情報がまるで入らぬわけでもない。
リゾナントに身を寄せるようになってからは尚更だ。
だから、水軍流の『あれ』のことを世間では居合と呼ぶらしい、そこまでは理解できた。
しかし、そこから先がわからない。

要するに、あれじゃろ?抜刀するから「抜刀術」居て合わせるから「居合術」
多分、じぃちゃまとあのときやってたやつのことじゃろ?

頭の中で考える。
もともと広島訛りなど一切なかったはずだが、
最近は水軍流の事を考えると、どういうわけか広島弁になってくる。
きっと、じぃちゃまの口調を自然にまねしてるんだ、とおもう。

だとすると、ありゃなんじゃろう?あの人のやってる『あれ』はなんなんじゃろう?
あれが居合で抜刀術なら、やっぱり水軍流のは居合じゃないのかのう?

もう一回だけ、見てみたい。

あ、そうじゃ、あの人は自分からは来てくれんのじゃった。

鞘師は再び、左手の『水』を変形させる。
その水が、緩やかな美しい下弦を…描かない。
鞘師の作る『水の太刀』は、先端に行くにしたがい、ほぼ真っすぐになった。
だが一方で手元、真剣であればその鍔元にあたる周辺で、実に絶妙に、緩やかなカーブを描いていた。
いわゆる腰反り、ではある。
だがそれは、見ようによっては「く」や「へ」に見えるような、不格好な湾曲。


もちろん鞘師は、美しい弧を描く鳥居反りの太刀を知らぬわけではない。
江戸時代に代表されるような、さらにもっと緩やかな腰反り、も知っている。
じぃちゃまに促されるまま、大小長短さまざまな日本刀に触れてきたのだ。

「刀なんぞわなぁ、ただの道具じゃけえ、なんでも『一緒』じゃぁ。
じゃがぁ道具というもんは『人を選ぶ』もんじゃぁ、里保ちゃんは、どんな刀に『選ばれる』んかのぉ」

たのしみじゃあ、たのしみじゃあ、そう言って笑っていた。
刀が人を選ぶ、そういうようなことは鞘師には結局よくわからなかった。
だが、そんな鞘師はこの形、この反りをした太刀が一番気に入っていた。
不格好どころか、この曲線が一番『きれい』だと思った。

それは、くしくも平安末期から、鎌倉時代に流行した反りであった。
太刀、その長大で分厚い刀身を、刃を下にして『佩く』、そんな時代の日本刀。

鞘師は形成された『水の刀』を、真剣であれば『刃がある方』を上に持ち、右手をかける。
太刀の時代の、刃を下に『佩く』時代の刀を、刃を上にして抜く。

じぃちゃまの言葉がよみがえる。
「ほれぇ刃が下になっとると馬の首を切ってしまうぞぃ」

でも、べつにウチは馬に乗ってないよ、じぃちゃま。
「ほっほ、うまいこというのぉ、本当は他に理由があるんじゃがぁ、今は内緒じゃ、さぁ刃を上に、そう左手はこうじゃ…」

今は、その理由がわかる。だが、確かにじぃちゃまの言うとおり、これは内緒じゃ。
というか、『これ』をなんて言ったらいいのかウチにもわからん。

本当の刀ではない。
別に鞘から抜くわけでもないが、自然と『水軍流にとって』の抜刀の動きとなる。

不格好な弧をもつ『水の太刀』が、美しい弧を描いて右手へと移動する。
そして、駆ける。一直線に間合いを詰める。


「くっ!」
女性が腰を低くとる。
「ひゅー」呼吸音。

「ぇぇあああああぃっ!」

気合い一閃。
その腰の打刀が鞘師を襲う!

という理屈らしかった。
だが、鞘師の目には、そう映らない。
間合いに入った鞘師は考える。この構えの意味は、ほんとになんじゃろう?
右肩を前にして、さらに、
あんなに後ろまで右手を引いて柄に手をかけているのだから、当然のようにその柄は左後方を向く。
そこから、もっと後ろいっぱいに、
大きな軌道を描いて抜き放たれた打刀は、膨大な運動エネルギーを得て前方へ振りだされ、
眼前の敵を両断する、らしい。

さっき、この人がそういっとった。
そりゃそうかもしれん、そうかもしれんが、その『膨大なエネルギー』とやらは『まだ』溜まらんのかのう?

鞘師は観察する。なにか意味があるはずだ。
抜き始めた女性の打刀はまだ、はるか後方、
そして結果として、鞘師の目の前には『隙だらけ』な女性の、右肩と右上腕が晒されていた。

この腕、打ってはいかんのじゃろうか?
打ちたいのう、じゃが、勉強のためじゃ、がまん、がまんじゃ。


やがて遠心力にまかせ、ようやく『膨大な運動エネルギー』が溜まった『はずの』打刀が横一閃、鞘師に届く。
それを鞘師は、鍔元ぎりぎり、『水の刀』の刃に相当する部分で受け、というか、ちょっとだけ触る。
そして、触りながら、少しづつ接触点をずらしていく。
最も、少しづつ、というのはあくまで鞘師の感覚での話、
実際は、ほんの一瞬の出来事である。

真っすぐに斬り終えていれば、鞘師の右から左の脇の下を結んだあたりの胴体を水平に両断したであろう打刀の軌跡が、
いきなり大きく上に膨らみ、鞘師の体を避けてから、また下方へと急速に誘導されていく。

そう、例えるならば丁度『Ω』のような軌道を描く。

最初、刃の部分で触れたはずの打刀は、鞘師の頭上あたりでは、『水の刀』の腹、
つまり鎬に当たる部分で接触していた。

そして、後半ともなると、もはや女性の打刀とは触れてもいない。
結果的に、女性の眼前で、鞘師は、『よく似たあの形』になった。

そう、すなわち、さきほど女性が、左腰から、太刀を抜刀するときの構えの形に。

だが、よく似たその形には実に明確な相違点があった。
左手、先ほどの女性が左肘を大きく横に張り出し、内側いっぱいに手首を巻き込んで、
その刃を水平に構えていたのとは反対に、
鞘師のそれは垂直、外側に手首を返し刃を上、というより後方に、そして切っ先は下に。
そこへ体勢の泳いだ女性の頭部が、まるで自分から吸い込まれるように、鞘師の前へと……。

ここで視点を女性へと変えて見てみよう、女性からしてみれば、これは悪夢だ。
その渾身の一撃が、ほとんど何の手応えもないままに、何の強制感もなく上方に浮き上げられてしまったのだから。
結果、刀と腕だけでなくその視線まで含め、上体が一瞬で上方へ『ずらされる』。
そこから先は一切、鞘師の姿が見えなくなる、というか何も見えない。
視界の全てが高速で上方へ、そして一気に下方へ転落していく。
動体視力の限界。
霞み、呆やけ、自分がどこを向いているのかすら分からなくなる。


そして。

再び視界が戻った時、その頭上には、ぴたり、と『水の刀』が静止していた。

いや。

静止して、ない。

極限状態に陥った時、人は、時間がゆっくり流れる瞬間を体験することがあるという。

ボコン
「きゃうん!」

女性は、脳天に打ち降ろされる『水の刀』の一撃を受け、昏倒した。

刃引き、結局最後まで、鞘師は『水の刀』に刃を付けなかった。
なんとなく、殺しちゃいけないような気がした。

「わかりませんでした」

わからん、結局、何がしたかったのかウチにはわからんかった。

この人自体はどうやら『強い』ようじゃが、どうも流儀にこだわりすぎて『弱く』なっとったようじゃ。
きっと聞かれるままに水軍流と名乗ったのがいかんかった。
その動き、なにかやっとるなとか言うから、素直に答えてしまったのがいかんかったのじゃろうか。
あれでなんかこの人に変な火をつけてしまった。
よく考えたら、この人、一切、能力つかわんかったし……


じゃが、使い手の事情や技術の錬度と技術体系そのものの素晴らしさは別物じゃ。
この人のやりたかった事がようわからんということは、
この人の持つ技術に、ウチはまだ学ぶべきところがある、のかもしれん。

どんな理屈だ。


結局、理屈では無い。
なんとなく、『殺したらかわいそう』そんな気になった、のである。

喫茶リゾナントでの日々、たゆまぬ鍛錬と、闘争。

だが、

そんな鞘師の、一番の成長、それは

『慈悲』であった。



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投稿日:2013/10/31(木) 21:33:09.09 0























最終更新:2013年11月02日 01:38