『弱虫』


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『弱虫』

〈あの人の声〉

1-1

生田衣梨奈は焦っていた。
関根梓の心を覆っていた壁は、簡単に壊すことができた。だが、心が眠ったままである。
梓が目覚めなければ、他の6人も目覚めない。このままでは全員が死ぬことになる。
生田は、新垣里沙から教わった「ダイブ」を試してみることにした。
「ダイブ」とは、他者の精神に自分の精神を潜り込ませ、直接対話する技術である。
生田は以前、幾度か新垣の精神に「ダイブ」したことがあった。
生田には「ダイブ」の才能があるらしく、新垣も驚くほどすぐにコツを掴んでしまった。
だが、それはあくまでも訓練での話である。
実戦は初めてだし、こんな複雑な状況でうまくいく保証はない。
生田は両手を下ろし、道重さゆみを振り返って言った。
「道重さん!えり、これから梓さんの心の中にダイブしてみます!」
「え?ダイブって、ガキさんがやってたやつ?」
「はい!1分で終わらせます!」
生田の体が濃い紫色に光り始めた。
《総員退避。総員退避。爆破まで、あと12分、あと12分……》

精神世界では、時間が早く流れる。
うたた寝をして、夢の中で長い時間を過ごす。
ハッと目覚めて時計を見る。すると、実際にはまだ数分しか経っていない。
そのような経験は、誰にでもあるだろう。
意識だけの存在になると、肉体のあらゆる感覚神経、運動神経の介入が必要なくなる。
その結果、現実世界よりも高速での「認知」「判断」「行動」が可能になるのである。
現実世界の1分が、精神世界ではどれほどの時間になるのか、正確には分からない。
とにかく1秒でも早く梓を目覚めさせよう。生田はそう思いながら心を飛翔させた。


1-2

生田は、一軒の古びたアパートの前に立っていた。
4つあるドアのうち、1つだけ小窓から明かりがもれている。
生田はためらうことなく、そのドアを敲いた。
「どなたですか?」
ドアが開き、案の定、梓が現れた。
「梓さん!私、生田です!私のこと分かりますか!」
「いくた……さん?」
「とにかく時間がないんです!えりの言うことを聞いてください!」
「あずちゃん、お客さん?」
梓の後ろから声がした。
テーブルに頬杖をついている人の顔が、梓の肩越しに見える。
新垣里沙の姿をしたそれは、生田を見てニッコリ微笑んだ。
「生田~、こんなとこまで私を追っかけてきたの~?あんた、完全にストーカーじゃん」
「新垣さん、この方が新垣さんの言ってた『生田』さんですか?」
「そうそう。ほんと、手のかかるヤツでさあ、……」
二人のやり取りを見て、生田は梓が話していたことを思い出した。

10人で洞窟内に進入した時、梓は歩きながら生田に話しかけてきた。
梓は、以前新垣を洗脳し、生田と闘ったことがあるという。
「生田は何にも覚えとらんと?」
先頭を歩く田中れいなが呆れたように言うと、生田は決まり悪そうに顔を赤らめた。
「それにしても、新垣さんを洗脳するなんて、梓さん、すごいんですね」
飯窪が心底感心したように言うと、梓はそれを否定した。
「いえ、私の力じゃありません。マルシェの薬が強力だったんです」
れいなの隣のさゆみが、振り向かずに言う。
「それだけじゃないと思うよ。ガキさん、梓さんといて、本当に楽しかったんだよ。
梓さんの思いが本物だったから、ガキさんも心を許しちゃったんじゃないかな」
梓の瞳に喜びが浮かぶ。生田はそれが、妬ましくもあり、愛おしくもあった。


1-3

梓はいま、新垣里沙と過ごした甘い記憶の中に引きこもっている。
「時間よ止まれ」と幾度も願ったあの五日間を、永遠に繰り返すつもりなのだろう。
生田は、「新垣」の目を見た。
瞳の奥底が、朽ち果てた廃屋の一隅のように、陰湿な闇で淀んでいる。
「梓さん!これは夢です!梓さんはいま夢の中にいるんです!
えりは梓さんの目を覚まさせるために、梓さんの心の中に『ダイブ』してきたんです!」
「え……?」
「生田ぁ、な~に訳の分かんないこと言ってんの?どこかで頭でも打ったんじゃない?」
「黙れ!偽物!」
容姿も口調も全く同じなのに、生田の目には、それが化け物にしか見えなかった。
「梓さん!あいつは新垣さんじゃない!梓さんはあいつに騙されとると!」
「生田!あんた、いい加減にしないと私も本気で怒るよ!」
梓は、自分がいま夢の中にいることを全く認識していない。
(何とかして、えりの言うことを信じさせんといけん……)
生田は「新垣」の顔へ、右手の人差し指を伸ばした。
「おい!偽物!えりと闘え!」
梓はこの世界を現実だと思っている。
であれば、現実では起こりえないことを、目の前で起こして見せるしかない。
生田が新垣を倒すこと。
それこそが、現実では絶対に起こりえないことだ。
うろたえる梓をなだめるように、「新垣」が静かに言う。
「……あずちゃん、ひょっとしたら、生田は誰かに操られてるのかもしれない」
「洗脳……ですか?」
「うん。私と生田を闘わせるのが、敵の狙いなのかも」
「新垣」は立ち上がり、これから鬼ごっこでもするかのように、生田に言った。
「しょうがないね~。じゃあ、そこの公園でいっちょやりますか」
梓が困ったような顔で生田を見る。
その顔の向こうで、「新垣」が、微かに笑みを浮かべた。


〈ちょっと聞きたいけど〉

2-1

一分も歩くと、サッカー場ほどの大きさの公園についた。
薄汚れた街灯に、大きな蛾が何度も体をぶつけている。
「新垣」が身構えることもなく、淡々と言う。
「さあ、生田、かかっておいで。あんたの目、覚まさせてあげる」
「うるさい!」
生田は「新垣」へ突進して右の拳を顔に叩き込んだ。
拳に合わせて「新垣」がダッキングする。
急いで体勢を整える生田の首に圧力がかかった。
細いが力強い「新垣」の腕が、生田の首を裸締めに捉えている。
「新垣」は右足で生田の右膝の裏を、続けて、左膝の裏を蹴った。
「新垣」の胸が、膝立ちになった生田の後頭部にググッと押し付けられる。
生田は、顔が熱く膨れ上がるのを感じた。
精神世界で傷を受けても、現実世界の肉体に影響はない。
刃物で斬られれば、激しい痛みを感じるが、目覚めてしまえば痛みも傷も残らない。
例えるなら、意識の世界での戦いは、痛みを感じる格闘ゲームのようなものである。
ただ、ゲームとは決定的に異なる点が一つある。
それは、「死」んだら終わり、という点だ。
精神が「死」ねば、「蘇る」ことはない。
現実世界の肉体は生きていても、その目は二度と開かない。

「新垣さん!」
少し離れた場所で闘いを見守っている梓が、心配そうに声をかける。
「大丈夫だよ~。ちょっと気を失わせるだけだから!」
そう言いながら、「新垣」の腕は、頸動脈だけでなく、気道も締め潰してくる。
そして、生田の耳元で、「新垣」が小さく囁いた。
「死ね」


2-2

生田は混濁し始める意識のなか、必死に生き延びる策を考える。
おそらくこの偽物は、マルシェが、梓の精神世界に送り込んだ牢番だろう。
梓は、新垣のデータを丹念に調べ、性格・好みなどを知り尽くしている。
その梓が、この偽物を、本物だと信じ切っている。
ということは、この偽物には、現実世界の新垣の全てが忠実に再現されているはずだ。
生田は、首に巻き付いている新垣の右腕を両手で掴んだ。
そして、最後の力を振り絞って引っ張り、何とか気道を確保して叫んだ。
「あ!ミッキー!!」
「へ?ミッキー?どこどこ!?」
「新垣」の集中力が切れた。
腕の力が明らかに弱まる。
生田は右足を立て、大地を踏み締めて一気に伸びあがった。
生田の後頭部が、「新垣」の顎を強打し、腕が生田の首から離れる。
生田はすぐさま地面に手を付き、土くれをつかみ、「新垣」の顔に投げつけた。
「新垣」は両手で顔を覆う。
がら空きになった鳩尾に、生田の回し蹴りがめり込む。
「新垣」が、梓の方に転がっていった。
生田がとどめを刺そうと「新垣」に迫る。
「やめて!」
梓が叫びながら、生田の前に立ちはだかった。
「梓さん、そいつが偽物って分かったやろ?本物の新垣さんならえりに負けたりせん!」
「いいえ!この人は、間違いなく新垣さんです!」
「え!?」
「私、新垣さんが生田さんを傷つけたら、生田さんの言葉を信じるつもりでした。
でも、新垣さんは本気を出さなかった。やっぱり、新垣さんは偽物なんかじゃない!
生田さん。あなたは、新垣さんの言う通り、誰かに操られてるのかもしれません。
とにかく、これ以上新垣さんを傷つけるたら、私が許しません!」
(なによ……、じゃあ、えりのしたことは、逆効果やったと?)


2-3

生田を睨み付ける梓の後ろで、「新垣」が勝ち誇っている。
「……分かった」
生田は拳を握り、体の前に構えた。
「梓さん。えりは、あなたを倒す。みんなを助けるには、そうするしかないけん!」
「みんなを……助ける?」
「このままやと、えりと梓さんの仲間が死んでしまうんよ!」
「…………」
「今、現実の世界では、梓さんが、センゴクさん達の意識を支配して眠らせてると!」
「待って!どうしてあなたがみーこの名前を知ってるの?」
生田の眉が少し上がる。
そして、梓の目を見て、改めて何かを訴えかけるように話し続ける。
「えりは知っとる!センゴクさんも、モリサキさんも、梓さんの大切な仲間やろ!」
梓は明らかに動揺している。
それに気付いた「新垣」が、後ろから梓に声をかける。
「あずちゃん!生田があずちゃんのお友達の名前を知ってたって不思議じゃないよ!
生田を洗脳した奴が、生田に吹き込んだのかもしれないじゃない!
生田!それじゃあ、あんた、その人たちと話しことあるの?」
「あ、ある!」
「じゃあその、センゴクさんやモリさんがどんな人たちだったか、詳しく言える?」
「えっ!?えっと、えっと、センゴクさんは、……胸が大きくて……」
「それ、ただの見た目じゃんか。生田、あんた、ほんと嘘つくの下手だね~」
馬鹿にしたように「新垣」が笑う。
「う、うそじゃないと!」
狼狽している生田と対照的に、梓が落ち着いた声で静かに言った。
「新垣さん、もう、大丈夫です。生田さんは私が目覚めさせてあげます」
梓は、腰のフォルダから大振りのナイフを取り出した。
「私たちは精神系の能力者。精神波での勝負では埒が開かない。体術で勝負しましょう」
梓の呼びかけに、生田は改めて拳を握りしめた。


〈新しい彼女さんの邪魔になりそうね〉

3-1

生田へ向けられたナイフが、街灯の光を反射して明滅する。
刃が何度目かの輝きを放った時、梓はその場で体を回転させた。

不思議そうな顔で「新垣」が自分の左胸を見る。
そこには、ナイフが深々と突き刺さっていた。
「あ、あずちゃん……、これ、どういうこと……?」
「黙れ! ニセモノ!」
梓の怒声が公園にこだまする。
「私は新垣さんに、みーこ達の話をしたことは、一度もない!
なのに、お前は、森ティのことを、『モリさん』と呼んだ!」
「……それは、生田がそう呼んでたから……」
「生田さんは、さっき『センゴクさんも、モリサキさんも』と言ったんだ!
森ティの名前を知らなければ、『モリサキ』は、名字だって考えるはず!」
梓の声が、怒りと、それに倍する哀しみで震えている。
生田は、梓の背中から滲み出る寂しさに、痛いほど共感していた。
「……フ、フフフ」
「新垣」が静かに笑い出す。
その声が、次第に唸り声に変わっていく。
「新垣」だった体がみるみる膨張し、巨大な熊のような獣の姿になった。
その背後の空間に、裂け目が現れた。
赤、青、黄色、緑、紫、桃色。
6色の光が、スリットの中から光芒を伸ばす。
(みんな……)
梓の哀しみを、原色の光たちがほどいていった。
「梓さん、行って!」
生田は獣へ突進した。


3-2

獣が太い腕を振り下ろす。
生田は素早く前転してそれをかわし、懐に飛び込む。
生田の右手が獣の胸に刺さっていたナイフを抜き取る。
そして、まずは獣の右ひじを、続いて体を半回転させ、左ひじを深く切った。
腱を断ち切ったという感触が、生田の緊張感を緩める。
そのため、生田は、獣の脇腹から新しい二本の腕が飛び出たことに気付かなかった。
体液でぬらぬらと光るその両腕が、生田の上半身をはさみ潰す。
生田は肋骨が砕ける音を聞き、目の前が真っ暗になった。
次の瞬間、ザラザラした壁が左の頬を強く押してくるのを感じる。
視界が戻り、ようやく生田は、自分が地面に倒れていることに気付く。
「生田さん!」
梓が原色のスリットの前で絶叫する。
生田を見下ろしていた獣が、梓の方を向く。
「梓さん、行って!えりなら、心配いらん……
たとえここでえりが死んでも、現実の世界にはちゃんと戻れるけん……」
もちろん、嘘だ。
だが、そう言わなければ、梓は生田を助けに来てしまうだろう。
「梓さん……、はやく!」
梓がうなずき、スリットの中に飛び込んだ。

古い建物が軋むような音があちこちから聞こえ始める。
どうやら、梓の夢の世界が崩壊し始めたらしい。
深夜の街のあちこちに、白い光が現れ、闇を浸食していく。
獲物を逃がした怒りで血走っている獣の眼が、生田へ向けられた。
生田の体は、もう、動かない。
(梓さん……、悔しいけど、新垣さんの後継者の座は、梓さんに譲ってあげる……
やけん……、やけん……、みんなを……助けて……)
生田は、静かに目を閉じた。


3-3

獣が右腕を振り下ろす。
生田の左頬に風が届く。
だが、次に来るはずの衝撃が来ない。
そのかわりに、安心感に満ちた叱責が聞こえてきた。

「生田!しっかりしなさい!あんた、世界一のエスパーを目指してんでしょ!」

(へ!?)
生田の瞼が開く。
目の前に立っている獣の全身が、黄緑色に輝くワイヤー状のもので拘束されている。
(新垣さん!)
その光の糸は、生田の体から伸びている。
だが、本人はそれに気付かない。
生田の全身に力が漲る。
生田は跳ね起き、渾身の拳を獣の胴体へ撃ち込む。
「おりゃあああああ!」
生田の拳を中心に、獣の全身が花火のように四散した。
その向こうに、閉じかけているスリットが見える。

「生田!生田!」
(ん?)
誰かに肩を強く揺すられている。
鼻腔が、湿気と血の匂いを感じ取る。
「生田!帰ってきたのね!」
重い瞼を懸命に開けると、二つの大きな瞳が見えた。
「新垣さん!?……なんだ、……道重さんか」
「なんだって何よ!」
そう言いながら、さゆみは生田の体を強く抱きしめた。


〈Ending:Mmm 我慢ね〉

「ダイブ」を始めてから一分過ぎても、生田の意識は戻らなかった。
さゆみは譜久村を呼び、高橋の力を使って、梓の心を探るように言った。
だが、譜久村の力では、夢の世界に入り込むことはできない。
ただ、かすかに木霊する声の中に、新垣のそれらしきものがあった。
「道重さん、梓さんは、新垣さんの夢を見てるのかも知れません!」
「……フクちゃん、生田の心に、ガキさんの思念を送れない?」
「え?は、はい!やってみます!」
譜久村は、生田の着ている黄緑色のTシャツを掴んだ。
そして、そこに残る新垣の思念を、生田の心に送り込んだ。
生田の目が開いたのは、その直後だった。

「新垣さんがえりを助けてくれたんです!新垣さん凄すぎる!ほんと最高ぉーっ!!」
いつものように、生田がレスポンスを無視したコールを続ける。
さゆみは、イラつくのを我慢して、譜久村に聞いた。
「フクちゃん!梓さんのお友達はどう?」
譜久村はさゆみの手を握り、仙石みなみとさゆみの心を繋いだ。

(道重さん!こっちからも扉は開けられないみたいです!)
さゆみが仙石に尋ねる。
(ワンちゃんの様子は?)
(出血がひどくて、呼吸もどんどん弱くなってます!)
《総員退避。総員退避。爆破まで、あと9分、あと9分……》
さゆみの頬を、冷たい汗が伝った。





投稿日:2013/10/13(日) 12:00:44.21 0




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