『the new WIND―――田中れいな』


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2013/09/10(火)


人の気配にゆっくりと目を開いた。ぼんやりとした視界の向こう、彼女が笑う。
ああ、またこの人が来たのかと私は口角をあげてみせた。まだ痺れていて、うまく笑えない。

「調子はどう?」
「……変わり、ありませんよ。それにしても、マメ、ですよね」

私がそう言うと、彼女は「ん?」と首を傾げた。その仕草はどこか子どもっぽい。
彼女は手近にあった椅子に腰かけ、テーブルの上にある果物ナイフを手にした。くるくると回すその姿は、子どもなんてものじゃないけれど。

「あなた、くらい、ですよ……こんな場所、に、来るのは」
「そりゃ他の連中は来ないでしょ。ま、私は嫌いじゃないからさ、きみのこと」

彼女はナイフをすとんと床に落とした。それには気にも留めないでそのまま立ち上がって窓へと歩く。
小さな窓から夜空が見える。星はこの目では見ることができない。輝いてはいるのだろうけどその瞬きはあまりに頼りない。
「生きてて良かったって、思ってるよ」と窓際で声がした。
私は亀のような動きで彼女を見る。半身が吹っ飛んだのだ、これくらいの緩慢な動作は致し方ない。

「皮肉、ですか?」
「言葉通り受け止めなよー。頭の良い奴はすーぐ裏を読むんだから」

彼女が大袈裟に肩を竦めるのと、着信音がするのはほぼ同時だった。
苦々しく顔を歪めたあと、「呼び出し。行くわ」と歩き出した。
私は礼を言う余裕もなく、また緩慢に頷いた。薬が効いているのか、ゆっくりと瞼が落ちる。


「そういえばさ……向こうの奴らに近々でかい動きがあるって…噂、なんだけど」

その声にふっと目を開けた。彼女は扉の前で足を止め私の方に目を向けている。
彼女は私に世間話をしに来たのか、それとも、噂に対するなにかしらの「答え」を聞きに来たのかは判別できない。
だが私は、彼女に隠し事をする気はなかった。見舞いに来ることを義理を感じるタイプではないが。なんとなく、だ。たぶん。

「事実、だとしたら……責任の、一端、は、私です」
「え?」
「やはり、撃っておく、べき、でしたね……失敗、作は」

彼女は意味が分からないというように肩を竦めて出て行った。
こうして言っておけば、彼女はきっと真実を聞きに此処に来るだろう。時間があるときにゆっくり話せば良い。
いまはまだ早い。確証もないのだ。証左もなしにあれこれ吹聴するのは科学的ではない。
それにもう、これ以上体を起こしておくのも限界だ。よく死ななかったものだと感心せざるを得ない。
いや、感心するのではなく、感謝すべきなのだろうか。助かったことに。此処に在る生命に。
この心臓が息の根を止めることを赦さなかった、あの瞬間の“彼女”に―――。

私は思考を閉じると同時に瞼を落とした。即座に真っ暗な闇が襲いかかってくる。
この「闇」は何処までつづくのだろう。その「闇」の向こうになにがあるのだろうと、ぼんやり思った。




ある夏の終わり、ひとりの少女が凶刃に斃れた。
血の雨は止むことなく降り注ぎ、雷は容赦なく人々を破壊していった。
闇は静かに広がり、確かな形を成して襲いかかってきた。

季節を超え、優しい木漏れ日が眩しい春の日、街は黒雲に覆われた。
花散らしの雨が降る夜、再び闇は襲いかかる。

れいなは短く息を吐きながら、必死に膝を折らないように震えながら立ちつづける。
これは体力とか能力とかいうのではなく、信念の問題なのだと言い聞かせた。

「さゆ…」

もう何度目かになる彼女の名前を呼んだ。
彼女は一向に闇の中から返事をくれない。そこまでだんまりを決め込まれては敵わない。
だが、悠長にしている場合ではない。余裕ぶってはいるが、脚はとっくに震えている。痛みもあるが、なにより怖いのだ。
本当に、道重さゆみと闘わなくてはならないのかという恐怖が、れいなの脚を竦ませる。

そもそもなぜ、彼女は私に闘いを挑んできたのだ?
本来、「闘い」とは、どちらかが勝ち、どちらかが負けるものだ。負けたものに訪れるのは、死だ。
れいなは一歩、二歩と後ろへ下がる。
「死」とはなんだ?


瞬間、右後方よりなにかが飛来してきた。
慌てて避けようとする、が、それは左脚の太腿を掠めた。
ふらり、と重心がずれる。振り返る。つづいていくのは、闇だけだ。
どちらが前だ?どちらが後ろだ?
ああ、まずい。こんな場所で方向感覚を見失ってしまってはなにもできない。

「逃げてるだけじゃ、さゆみは斃せないよ?」

ふいに彼女の声が聞こえた。
どこから響いた声なのか、れいなには分からない。いよいよ方向感覚を失くしたかと下唇を噛む。
相手が何処にいるのか分からない上に、無間につづくこの闇の中に無意味に立ち尽くすのはあまりに危険だった。
どうやら、れいなに残された選択肢は「闘う」というそれひとつしかないようだ。
覚悟を決めろ、とだれかが囁いている気がした。いったいなんの「覚悟」だ。さゆみを斃す覚悟なんて、本当にいるのか?

「理由もなく人を殴るのは嫌いやっちゃけど」

れいなはだれもいない空間に叫んだ。
どうせ、まただんまりだろうと思っていたところに、「意外だよね」と返答があった。

「れいなのそういうところ、私ホントに誤解してたから」
「……性格悪いヤンキーとか思っとったっちゃろ?」
「少なくとも、だれかのために闘うなんて、思ってもみなかったよ」

褒められている、と捉えるのはあまりに短絡的なのだろうか。
でも、れいな自身、自らのことを誤解していた面があった。
自分のこと以外に興味を示さずに、ただ無意味に呼吸をつづけていたあのころは、「だれかのため」なんて思ったこともなかったし。
そんな青臭いことを考える自分も、嫌いじゃなかったんだって気付いたのは、いつだっただろう。

145 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2013/09/10(火) 00:06:55.58 0
「じゃあ、さゆみのために闘ってよ」
「はぁ?」
「さゆみのために、闘って。そして―――」

彼女の声が膨張した。
脳内を羽虫が飛んでいるような不快感に苛まれる。
滲む脂汗を拭うこともなく、れいなは走りだした。

「さゆみのために、終わらせてよ、れいな―――」

“闇の矢”が容赦なく、れいなに襲いかかってきた。
素早く避けていくが、キリがない。やはり元を絶つしかないようだ。つまりそれは、闘うということだ。
彼女はなんども「終わる」という言葉を繰り返す。「終了」、「終息」、「THE END」、彼女がなにを言いたいのかは分からない。
だが、少なくともれいなは、此処で彼女の望みである「終わり」を見るつもりはなかった。
終末は、自分で決めるものだ。自分で選んだゴールへ走るしかない。

逃げていた脚を止めた。
短く息を吐きながら、天井を睨み付ける。
遠くにつづく闇の向こうに彼女がいるはずだった。とにかく、同じフィールドに引きずり出さないことには話にならない。
れいなは肩で息を整えつつ、ゆっくりと目を閉じた。
擬似的な闇ではなく、真の闇がれいなを包む。自分の心音に耳を傾けながら、呼吸を繰り返す。
その間にも、複数の方向から矢は飛んでくるが、れいなは一向に構わない。
意識を内部に集中させ、気を高めていく。


能力を発動させようとした瞬間、体の内側が焼けるような感覚に襲われた。
思わず咳き込んで、熱を外へと逃がす。
やっぱり病院に行っとくべきやったかなと他人事のように思いながら、右脚を踏み込んだ。
矢が頬を掠めた直後、空気が割れる。
体の中心が熱く滾るのを感じながら、奥歯を噛みしめた。
せり上がる急激に不快な空気と血を今度は無理やり抑え込んだ。


闇の向こうの彼女の様子を見て、“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”を発動させたことは、さゆみにも分かっていた。
さゆみの能力は変化してないとなると、れいなは自らに対して能力を行使したことになる。
だが、この状況で自らの身体能力を底上げしたところで、彼女の不利は変わらない。
次の一手をどう打つべきか、さゆみが逡巡している間に、れいなは目を見開き、走り出した。
タン、と軽く地面を蹴り上げたかと思うと、空中でもういちど跳躍した。
さすが身体能力を上げただけはあるなとさゆみは思ったが、どうも様子がおかしい。
なぜれいなはあれほどに、目を血走らせ、奥歯を食い縛っている?

「まさか―――!」

さゆみが仮説を立てようとした瞬間だった。
れいなは体を仰け反らせたかと思うと、バネのように反動をつけ、「そこ」に向かって右の拳を突き立てた。
傍から見ればなにもない虚無の空間だが、れいなには、そしてさゆみには「そこ」がなんであるか分かっていた。
さゆみは慌てて防御を繰り出すが手遅れだった。
れいなはもう一発、拳を突き立てる。

びしぃっという鈍い音のあと、空間に亀裂が走った。
それは徐々に波紋のような広がりを見せ、遂には派手な音を立てて崩れ落ちた。
空間が割れて大きく歪む。ガラスの破片のように散った闇の向こうがわ、さゆみはれいなと真っ直ぐに目を合わせることとなった。


「見つけたっ―――!」

れいなは勢いそのままにさゆみに突っ込んでくる。さゆみは舌打ちし、“闇の矢”を繰り出すが、れいなはそれを悉く避ける。
まずい、と思った瞬間には、れいなの左拳がさゆみの頬を捉えていた。
鈍い音のあと、さゆみは派手に後退した。

「っ……相変わらず、勝負勘がイイんだね、れいなは……」

口元に滲んだ血を拭いながらさゆみが話すと、れいなはがくりと膝を折った。
これ以上は無理だと能力を閉じ、まるで犬のように舌を出して短く息を吐き出す。

「五感、いや、六感に対して、“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”を使ったのかな?」

れいなの状況を見て、さゆみは漸く理解した。
“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”の対象は、れいなの身体ではなく、感覚だった。
視覚・聴覚・触角・嗅覚・味覚の五感と、不定形で曖昧なセンスと言われる第六感に対しての増幅。
もともと勝負強いれいなは、増幅された感覚により、闇の向こうがわにいたさゆみの居場所を突き止めることができた。
れいな自身は気付いていないが、「回廊」とはそもそも、建物や中庭を屈折して取り囲むように造られた廊下のことである。
さゆみが居たのはいわゆる「回廊」の中心となる中庭であり、れいなはその壁を打ち破ったのだ。

だがそれは、一種の賭けでもあった。
感覚という元々が不透明で曖昧なものに対しての増幅が果たして効果があるのかも分からない。
そしてなにより、全ての感覚の増幅は、諸刃の剣でもある。

「この“闇”の中で立ってるのでさえ、ツラかったんじゃないの?」


さゆみが挑戦的に笑うのに対し、れいなはなにも返せなかった。
彼女の行使している“闇の回廊”の仕組みがどういったものかは分からない。
だが、この闇は、術者であるさゆみ以外の者を、すべて呑み込もうとしているとれいなは直感した。
れいな自身、先ほどから必死に自我を保たなくては、一瞬で心ごと喰われそうになる。
それほどの強大な闇を、目で、耳で、そして肌で感じる。第六感にさえ増幅能力をかけたれいなは、闇をあまりに身近で感じていた。
棘のように鋭く、氷のように冷たく、地を這いまわる虫のように粘っこい不快な闇が、自身を包み込んで離さなかった。
これ以上、“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”を使えば、間違いなく呑まれると、確信していた。

「……ま、結果オーライやろ」

れいなは肩で息を整えながら膝に手を当て、さゆみを睨み付ける。
さゆみとれいなの間を隔てていた“闇の壁”は先ほど打ち破った。おかげで少し空間は歪んだが、漸くさゆみの顔を見ることができた。
1対1ならば、勝てない相手ではない。

「さゆみに勝てると思ってる?」
「れなが負けると思っとーと?」

れいなには不思議と自信があった。
感覚に対する“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”の解放で一時的に体力を消耗しているが、それでも相手はあの道重さゆみだ。
体力も戦略も場数も、さゆみよりれいなは優位だと確信していた。
とにかくこのふざけた闇の空間を壊して、さゆみとしっかり話し合いたかった。
こんな闘い、なんの意味もない。

「今度は左のほっぺ、ぶん殴るけんね」

ケホっと短く咳をした直後、れいなは右脚で地面を蹴った。
躊躇なく、拳が振り翳される。
さゆみはステップを踏むように後退しながら、それを両手で受け流す。


れいなには、勝算があった。
さゆみの有した「Corridor」の能力がいかなるものにせよ、肉弾戦に持ち込めば、圧倒的に有利なのはれいなだ。
現にさゆみは防戦一方で、全く手出しをしてこない。
それ以上に、彼女の防御は不完全で、段々と手数の多いれいなに圧倒されつつある。
さゆみもそれを感じ取っていたのか、大きく後ろへ飛んで後退するが、れいなはそれを赦さない。
ほぼ同時に前に飛び、さゆみの頬を掴まんと右拳を振り上げる。

「っ―――!」

れいなの右腕は頬を捉えなかったが確かに掠めていた。
さゆみの左頬には一閃の血が滲み、彼女はそこをぐいと拭う。
れいなは間髪入れずに殴り掛かった。

「さゆっ!さっきの、自信は、どうしたと?!」

余裕が、あった。
さゆみの息が切れ始めていることも、その脚が止まり始めていることもれいなは見抜いていた。
このまま押し切ることができると確信していた。
れいなは左拳を振り翳すと、さゆみは両腕をクロスさせて防御を図る。
が、れいなはその拳をインパクトの直前で止め、右脚を軸にし、左脚で彼女の膝を砕いた。

「ぐっ……!」

さゆみは思わず膝をついた。
脚が止まった瞬間、れいなはさゆみの喉に手をかけて一気に体重をかけた。
さゆみは顔を歪めて後退し、そのまま背中から倒れ込んだ。
そういえばこれ、小春が一時期ハマってた技やったっけ、なんて思いながられいなはさゆみに圧し掛かる。

「終わりっちゃ、さゆ!」

勢いをつけ、右腕を振り翳す。


しかし、さゆみの左頬をめがけて振り下ろされた拳は、彼女を捉えることはなかった。

「―――」

彼女がなにか呟いた瞬間、さゆみとれいなの間に、真っ黒い闇が浮かび上がった。闇はまるで壁のようにふたりを遮る。
れいなは拳の勢いを止めることができず、そのまま“闇の壁”を抉るように殴った。
激しい衝撃に、顔を歪める。びりっという感覚が右手から全身をめぐる。
思わずぐっと手を引こうとした瞬間、それはさゆみに遮られた。

「なっ……?!」
「終わり?これは、始まりだよ」

さゆみは左手一本でれいなの右拳を掴み、ぐぐぐっと力を込めた。
信じられないほどの力にれいなは顔を歪め、なんとか逃れようとするが上手くいかない。
喉を抑えていた左手を離し、渾身の力で離れようとするが、さゆみの左手はさらに力が増し、れいなの指の骨を砕こうとしていた。
直後、ばきぃっという鈍い音がし、れいなは「うあああっ!」と叫んだ。

「あ、折れた?」

さゆみは興味がなくなったようにれいなの手を解放する。
がくんと膝を折ったれいなは、すぐに顎を蹴り上げられ、数メートル飛ばされた。
れいなは下唇を噛んだ。
「Corridor」の能力ばかり考えてしまい、彼女のリゾナンター本来の能力を失念していた。
“物質崩壊(イクサシブ・ヒーリング)”なら、れいなの腕など簡単に壊してしまう。

「さあ、れいな。終わりを始めよっか」

闇を纏ったさゆみは、冷笑を浮かべながら呟いた。
その姿は、れいなが知っている「さゆみ」とはあまりにかけ離れていて背筋を凍らせるほどだった。





投稿日:2013/09/10(火) 00:04:03.67 0


2013/10/23(水)




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状況は、最悪だった。
打撃の起点となる右の拳は、先ほどのさゆみの攻撃を受け、完全には機能していない。
さゆみはそれを知ってか知らずか、防戦一方から一転し、攻撃に転じた。
さほど手数は多くないが、スピードが先ほどよりも増している。何処にそんな力があったのだとれいなは左腕で防御する。
これでリゾナンター「最弱」とか、マジ、ウソやろ?

「れいなっ、疲れて、ないっ?」

笑いながられいなを殴り掛かるさゆみは、まるで子どものように無邪気だ。
先ほどと立場が逆転したことに焦りと、そして悔しさが浮かぶ。
なぜ、よりによってリゾナンターでも最も攻撃力の低いさゆみに押されなくてはならないのだ。

「イイ、表情じゃん」

彼女の言葉に瞬間、背中に冷や汗をかく。
脚が竦むどころか、膝が笑い始めていた。怯えている、らしい。目の前に佇む彼女―――道重さゆみに対して。

冗談じゃない。
れいなは引いていた脚でぐっと地面を抉るように堪えた。
全身を右脚一本で支えると、そのまま膝を曲げ、下からさゆみの左腕を蹴り上げた。
衝撃に、ふたりとも顔を歪め、一瞬次の動作が遅れる。が、蹴り上げたれいなの左足首をさゆみは掴んだ。

「おわっ!」

そのままぐいっと強引に捻られ、れいなは軽々と宙を舞う格好になった。ぐるんぐるんと視界が揺れたと思ったら地面に叩きつけられる。
本当に、何処にそんな力があるのだとれいなは腹這いのまま思考を必死に走らせた。


しかし、さゆみはほんの少しの余裕もくれないのか、右の拳を繰り出してくる。
肩越しにそれが見えたれいなは舌打ちし、急反転してその拳を両の手で止めた。
折れた右の指が悲鳴を上げるが、そのまま彼女を引き寄せ、その腹部を勢い良く蹴り上げた。

「っ……!」

鈍い音とともに、彼女は微かに吐血する。
呻き声を上げたさゆみを躊躇することなく、巴投げの要領で地面に叩きつけた。彼女は背中に強い衝撃を受け、声もなく悶える。
れいなは口許の血を拭うこともなくさゆみに馬乗りになった。

「いい加減にすると……さゆっ!」

形勢が逆転する。
彼女に跨ってぐいっと胸倉を掴み、れいなは恫喝した。

「なんでこういうことするっちゃ!れなとさゆが闘ったところで、なんも意味ないやろ!」

彼女の黒曜石のような瞳を覗き込んで訴えるが、彼女は答えなかった。
その色はまるで、「Corridor」によってもたらされた「闇」の色と似ていた。
深淵の奥で、彼女がなにを考えているのかが、分からない。だから、教えてほしい。なんで、こんなことをするのか―――

「……解体されるって、知ってた?」
「は?」
「私たち。既存のリゾナンターが壊されて、新しいリゾナンターをつくるってこと。れいなは知ってた?」


彼女がふいに口にした話が、今回の「終わり」の理由の一端だと、れいなは即座には理解できなかった。
そもそも、彼女の云う「解体」と「新しいリゾナンター」のことなど、全くもって理解ができなかった。
いったい彼女はなにを言っているんだ?またからかっているのか?こちらの反応を見ているのか?
だがそれにしては、さゆみの目は、嘘を騙っていないと、思った。

「たまたまこの前ね、愛佳のUSBからレポート見つけたの。“リゾナント解体と“共鳴”に関する考察”ってやつ」
「なん……それ」
「読んでみたんだ。びっくりした。愛佳は知ってたんだよ、いまのリゾナンターを潰して、新しいリゾナンターをつくることを」

さゆみの話はまるで遠い世界の出来事のように聞こえる。
いま自分たちを取り巻く現実を構成する一辺にはほど遠いとさえ思った。
解体と新人?愛佳は知ってた?愛佳だけが?まさか、愛ちゃんやガキさんも……?
そもそもなんね、そのレポートって。だれが書いたと?いつ?

「9人もいたのに1年で2人になるって、どう考えてもおかしいって思わない?」
「……それはみんな、怪我で」
「上層部は怪我人を悉く異動させた。行先は私たちはだれも知らない。そしていま、上層部と連絡は取れない」
「そうやけど、それが解体なんて」
「あり得ない。なんてどうして言えるの?実際、私たちはいま、ふたりしかいないんだよ?」

さゆみの話は理路整然としていた。
異動理由も、そして配属先も知らないまま、リゾナンターの人数は減り、気付けばれいなとさゆみしか残っていない。
このまま消滅してしまわない保証は、何処にもない。


「私たちに代わる、新しい人材を探してるんだよ、“上”はさ」
「ちょ、ちょっと待った!なんでわざわざ、れなたちを壊して新しく別のリゾナンターをつくる必要があるとや?!」

既存を壊すだけならばまだ納得できる。だが、なぜ別のリゾナンターを結成する必要があるのだ?
そもそも、れいなたちリゾナンターは、全員が何らかの特殊な能力を有している。これからつくる集団は、能力の有無は関係ないのか。
考えれば考えるほど深みに嵌る。さゆみの胸倉をつかんでいた手が震えて止まらない。
なにが起きているのか、知識が足りないせいか、思慮が浅いせいか、なにも分からない。
さゆみの話は、現実なのか、虚構なのか。

「さゆみたち、何回負けた?」
「……は?」
「9人でリゾナンター結成して4年間、生死を彷徨うほどの闘いの中で、何回、負けた?」

彼女の言葉の意味が分からなかった。
闘いにおいて、敗北とはすなわち死を意味する。
なんどか互いに拳を下げて引き下がったりすることはあれど、負けることなど数えるほどしかなかった。
だからこそいま、れいなとさゆみは此処に居るのだと言っても過言ではない。
れいなの目がそう訴えていることを見抜いたさゆみは頬を引き攣らせるように笑い「それが、理由だよ」と返した。


「呆れるほどの闘いの中で、こんなに壊滅状態に追い込まれるほどの負けが、いままであった?」

れいなは、答えない。
彼女の意図が、まだ読めない。


「私たち、強すぎるんだよ」


だから、彼女の口から飛び出した言葉を聞いても、まだれいなは、その理解は遠く及ばなかった。


 -------

真っ黒な闇がそこにあった。
闇とはなにか。黒とはなにか。悪とはなにか。彼女には分からなかったし、理解する気もなかった。
だが、その「闇」から抜け出したいと初めて思ったのは、そこに「光」が射したからだった。
「闇」と「光」は表裏一体でありながら双子のように常に傍に存在するのだと唐突に理解した。



彼女はゆっくりと目を開ける。
世界には「光」と「闇」が混在していた。
ひどくアンバランスだが、それでいて秩序を保っている。
いつも人は、ギリギリの場所に佇むしかないのかもしれないと直感する。
均衡は崩れる。糸は切れる。支柱は崩れる。
そのとき人は、なにに手を伸ばすのだろう。

彼女はゆっくりと手を伸ばした。
ひどく頼りない左手が目に映る。
この手で私に、なにができるだろう。この手で私は、なにがしたいのだろう。

ゆっくりと拳をつくる。
息を深く。なんどか繰り返す。

なにができるか、なにがしたいか、なにをすべきか、なにがあるのか。

分からないけれど、彼女の胸の中には「光」が宿っていた。
いまはまだ消えそうで儚い「光」だが、確かにそれは此処で輝いている。
最初に手を差し伸べてくれた、あの人の「想い」が、此処に宿っている。
だから彼女は、決意した。

さあ、

「いこうか―――」

そうして彼女は一歩、脚を踏み出した。
彼女の目はもう、闇を映してはいなかった。





投稿日:2013/10/23(水) 21:14:37.77 0


2013/12/04(水)




人はひとつなにかを手に入れると途端に不自由になる。金も地位も名誉も権力も、そしてチカラも。
それらは人を不自由にして羽ばたきを忘れさせる足枷にしかならない。
そんなこと、何処かの有名な作家が言っていたような気がするとさゆみはぼんやり思い出していた。

「強すぎるって、なんね…?」

未だに理解が及ばない「仲間」に対し、さゆみはゆっくりと口を開いた。
ホント、いつまでも子どもなんだねれいなは。もうちょっと理解しようって気になってくれないかな?とさゆみが笑ったことなど、れいなは気付かない。
まあ、その子どもっぽさがキミの良いところなんだけどさ。

「ダークネスとの闘い、いつか終わると思う?」
「は?」
「このまま泥沼化しないって保証はないんだよ。何年後か、何十年後か。そのとき私たちリゾナンターは、いつまでも上層部に従ってられる?」

さゆみの言葉にれいなは翻弄される。
わざと話を混乱させようとしているのか、一本筋でない道に迷っていた。
だが、さゆみの言葉をなにひとつ、逃してはいけないと思った。いま此処で理解を手放しては、一生後悔すると思った。
必死に思考を回転させて彼女の想いに耳を澄ませるが、聞こえてくるのは、痛みと怒りと、そして哀しみばかりだった。

「れいな、上層部に何回キレた?前もさ、愛ちゃんに食って掛かってたよね。“上”に会わせろって」
「それは…そうやろ。勝手なこと、ばっか言って……」


れいなは自ら言葉を紡ぎながら、彼女の口から次に出る言葉を予測していた。
まさか、と思ったときには、その通りの言葉を、彼女は発していた。

「れいなを先頭に、リゾナンターが上層部に歯向かわないって確証はなかったよね?」
「ちょ…!そんなん被害妄想やろ!」
「だけどあり得た話だよ。れいなだけじゃない。私だって、小春だって、あのやり方にはなんどもムカついてたし、殴りたいとも思ってたよ」

さゆみの口から出た小春の名に、思わず胸倉を掴む手が震えた。
唐突に、先ほどさゆみに繰り出した技―――小春が一時期ハマっていた「のど輪」の名前を思い出した。
無邪気にへらへら笑って、なにも考えていないように自由に戦場を駆け抜ける小春は、いま、なにをしているのだろう。

「そんな私たちの感情を、上層部は知ってた。かなり際どいバランスだったんだよ、元から。まあ天秤なんていつかは壊れるものでしょ」

さゆみの言わんとすことを、れいなは徐々に理解していった。
確かにれいなは、上層部のやり方に反発していた。
異能力を有した9人は、それぞれ抱えた事情は違っていたが、間違いなく此処が生きる場所だった。
上層部はリゾナンターに名前を与え、仲間を与え、生きる意味を与えていた。
だが、その強大すぎる能力を押さえつけるべく、リゾナンターたちを駒のように扱っていたのも事実だ。


―――キミたちはヒーローじゃない


そういえば、いつだったかそんなことを言われたような気がするとれいなは思い出した。
リゾナンターは、何処かの物語に出てくるようなカッコいいヒーローのような主人公ではない。
「世界の平和」という大義名分を掲げてはいるが、異能力を有した、要はただの、疎ましい人殺し集団だ。


チカラを持つ者と、持たざる者。
従う者と、従わせる者。
自由に飛びたいと願う者と、籠に押さえつけようとする者。

バランス。天秤。拮抗。
ひとつの共通の目的は有していたものの、その関係性にはいずれ、限界が訪れる。

「向こうだって退行する準備はしてると思うよ。そもそもあの9人を束ねるくらいだもん。トップの人の力なんて計り知れないよ」

れいなはもう、彼女の胸倉を掴んではいなかった。ただそこに手があるだけで、機能を果たさない。
此処まで話を聞けば、その先の物語のあらすじは読める。
強大なチカラを持つ者たちによる反逆。自分たちを抑えつけていた者たちへ、一矢報いるために。
後先考えずに反旗を翻す可能性は、確かにゼロではない。
上層部はそれを恐れていたのではないか?
れいなたちリゾナンターが、自分たちに牙を向けることを。
飼い犬に手を噛まれる前に、この喉を噛み切られる前に、上層部たちは、先手を打った―――

「でも武力行使は避けたい。被害は甚大だからね。下手したら街ごと吹っ飛ぶよ。だから異動って手段を取ったんだよ。双方の被害が少ないように」
「………」
「此処までで、質問ある?」

出来の悪い生徒に聞くように、さゆみは小首を傾げて訊ねた。それに対しれいなは答えられない。
バラバラだった情報が綺麗に嵌っていく感覚だった。だけど、そうして浮かび上がった真実が、あまりにも重い。
ウソだと信じたい。だけど、信じるべきものが、見当たらない。
なにを信じれば良い?そもそも愛佳の作成したレポートとはなんだ?本当にそんなものが存在したのか?
さゆみの言葉もすべてでたらめかもしれない。ただの絵空事、妄想にすぎない。
そう言い聞かせても、確信が持てない。


れいなが闇に迷いかけた、その瞬間だった。
さゆみが、微笑んだ。
柔らかく、優しく、まるで天使のように微笑んだ。


直後、ぐちゅり。と、音が聴こえた。


唐突に、痛みが走った。


「あ゛あ゛あああああ!!!」


れいなは叫び、仰け反った。
痛みが全身を駆け巡る。その始点が自分の左目だと気付いたのはそのときだ。
ぐりぐりと、なにかが左目の中で動いている。
れいなは思わず腕を振り回した。が、左目の中で蠢くそれは離れない。それどころか、眼球を抉りだそうと動きつづける。
感覚が鋭くなる。否応なしに目に入ったものの存在を思い知る。
指、ああ、これは指だ。しかも、2本も入っている。

「あ゛っ…あ゛ああ……!」

ぐにゅり、と眼球の中で動く指にれいなは痛みより先に嫌悪を覚えた。気持ち悪くて、吐き出してしまいたい。
指はさらに奥深く侵入すると、ぐぐぐっと外へと引っ張り出され始めた。
やめろ、やめろ!と叫ぼうとするが声にならない。


ぶちぶちっと音が弾け、れいなは声もなく悶えた。
指が、眼球とともに外へ吐き出された。

「へぇー。結構柔らかいんだね、目ってさ」

あまりの激痛にれいなは蹲った。その声の主が眼球を抉ったことなど、気にする余裕もなかった。
さゆみは自らの人差し指と中指にべっとりと付着した血を丁寧に舐め上げた。
指にはしっかりと、れいなから抉り取った左目が挟んである。目からは何本もの神経が糸のように垂れていた。

「ふふ、すっごい綺麗。潰しちゃうのが勿体ないくらい」

れいなは肩で息をしながらボタボタと血が流れる左目のくぼみを抑えた。
眼球を抜き取られた痛みが脳へと走る。「っ、さゆっ……!」と声を絞り出すが到底立ち上がれない。震える膝で立つのがやっとだった。

「あの男の襲来はラッキーだったんだよ、上層部にとってさ」

さゆみはゆっくりと立ち上がると、れいなの前に眼球を落とした。
ころころと転がったそれは途中で動きを止める。抉り出された眼球は皮肉にも、れいなを真っ直ぐに射抜いていた。
なにを、なにを見てるんだお前は。

「あの男、覚えてる?最初に小春と愛佳を襲ったあいつだよ。あれがダークネスの差し金なのか別なのかは分からないけど、とにかく圧倒的に強かった。
それで私たちが死ねば本懐。仮に死ななくても、療養ってことにすれば異動の良い口実にもなる。
だから上層部はあの男の情報をなにひとつこっちにはよこさなかった。
いままでバックアップだけは必ずしてきたのに、今回はなにもなかった。それって要するに、答えはひとつでしょ?」

さゆみの言葉を理解する力は、いまのれいなには残されていなかった。
ただ左目を抉り取られた痛みに支配され、彼女の言葉を鵜呑みにする以外術がない。


れいなの返答がないことなど気にも留めず、「あの病院立てこもり事件も、裏で糸引いてたのはダークネスなんだよ」と演説を再開した。

「一般人の“弱み”に付け込んで“闇”を増幅させて。きっかけを与えれば人は悪魔にだって人殺しにだって簡単になれるんだよ。
ダークネスが一般人操ったのは、私たちをかく乱するためか単なる暇つぶしかは知らないけど、結果オーライだったね。絵里も愛佳も、それで離脱したようなもんだし」

理路整然と、筋道の通った話を、れいなはしっかりと耳にする。
声は耳から脳へ走り、そして理解の信号となって全身をめぐる。
なるほど。あの男のこともそうだが、
立てこもり事件はダークネスが確実に裏で糸を引いていたにも関わらず、上層部は情報を流さなかった。と言いたいわけか、とれいなは理解した。
だが、なぜさゆみがその事実を知っているのか、そもそもそれは真実なのかということに関して、れいなはもう、関心を持ってはいなかった。

「そして、私たちが全員いなくなったあと、今度は代わりをつくるんだよ」

左目を失い、視界は一気に狭くなった。
体力も削られ、通常の戦闘時なら間違いなく退くところだ。だが今回は、退くことは赦されない。

「ダークネスを殲滅する、新たなリゾナンターを上層部はつくろうとした。今度はもっと、従順な能力者集団をね」

れいなはぎりっと奥歯を噛みしめながら、さゆみの言葉を反芻した。
上層部はれいなたちの反乱を恐れて異動という先手を打った。しかしそれではダークネスは斃せない。世界は闇に覆い尽くされる。
だから、世界の平和、あるいは統治のために、さらに新しい集団をつくろうとしていた。
従順な、もっと容易く扱える能力集団。まるでロボットのように冷徹で冷酷で、だけど確実な人材。
世代交代の波。既存のものを破壊し、新しいものを構築する。新たな風で、時代を動かそうとしている。

「………だったら、なんね?」

さゆみの演説が終わり、れいなは吐き出すように言った。
そんな言葉が返ってくると思わなかったのか、さゆみは怪訝そうに眉を顰めた。


れいなは折れた膝を奮い立たせるようにして伸ばし、必死に立ち上がる。ゆっくりと体を擡げ、全身を伸ばした。
がくがくと震える体に鞭打ち、さゆみを見据えた。左目から流れる血を拭うこともなく、右目だけで、彼女を睨む。
さゆみが何処でそんな情報を仕入れてきたのかなんて、もう、どうだって良い。
そもそもこうして言葉を吐き出せるほどの余裕があるなんて思いもしなかった。なんだ、まだ、立てるじゃないか。

「れなたちぶっ壊して、新人入れて、それが、どうしたって言うとや……?」

左目から溢れた血が頬を伝い、ぼたりと垂れた。
まるでそれは真っ赤な涙だとさゆみは思う。彼女はいったい、なにが哀しいというのだろう。

「さゆが、れなに闘いを仕掛ける理由にはならんやろっ」
「……私はねれいな。そんな大人の事情に乗っかるのは嫌なの」
「だからって!」
「だから、れいなの手で終わらせてほしいの。これが私にできる唯一の抵抗だから」

さゆみは、れいなの数メートル先で静かに佇んでいた。
彼女は、れいなの片目に、凛とした姿として映っていた。ただ、彼女が本心でなにを考えているかは、この瞳には映らなかった。
さゆみの望みが、すべてを「終わらせる」ことで、それがさゆみの大人への抵抗というならば、この世界はどうなるというのだろう。
いや、彼女の話が真実だとしたら、新人がまたダークネスとの闘いを引き継いでいくのだろう。
そうして共鳴がつづいていくのだとしたら、それは宿命と呼ぶにも等しい。
まるで伝統のように「途絶えない」ということは、ある意味で、業を背負っているのかもしれないなとれいなは思った。

「質問がなければ、つづきを始めよっか」

さゆみはなにかのパフォーマンスのように両手を広げた。
ふいに、彼女の纏った空気がいっそう重くなった気がした。あれが、彼女の背負った「闇」だろうかと思う。
此処にはもう、光がほとんどない。
無間に広がる闇の空間の中で、その闇にすべてを呑みこまれるのは、どっちだ。


「……ひとつだけ、教えてほしいと」

れいなは窪んでしまった左目から手を離した。いちどだらんと脱力して両手を下げる。
さゆみは両手を広げたまま「うん?」と首を傾げた。口に出したことはなかったけど、さゆは、美人だ。さゆはモデルになるべきっちゃ。
そういえば前に見た雑誌でさゆみたいなモデルさんがいた気がする。さゆには、そういう世界の方が、似合っとーのかもね。
れいなは歌が好きやけん、アイドルとかね。ああ、さゆを撮影するカメラマンとかでも良いっちゃよ。
ねぇ、さゆ。れなもさゆも、生まれた場所や時代が違えば、そういう世界を見れたかもしれんっちゃね。

「さゆはもう、この世界を護る気はないと?」

その言葉に、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、さゆみの表情が動いた気がした。
だが、れいなの歪んだ視界で、それが「気のせい」であったかどうかを判別するのはムリだった。
さゆみはひとつ息を吐くと「そうだね」と口を開く。

「対立してた上層部と私たちが、それでも共通で持っていた認識が、“ダークネスの殲滅”。そのために互いは互いを利用していた。
だけど、それを最初に壊したのは向こうだよ。仲間を引き離して、壊して、それでどうやって護れっていうの?」

彼女の言うことすべてを否定するつもりはなかった。
どんな理由があったにせよ、れいなたちになんの説明もないままに仲間を減らされたのは事実だ。
これでまだ“上”を信じろとか、力を合わせて闘うなんて、実に馬鹿げていると思う。


―――「闘わないで良い世界を見たいっていうのが、絵里の夢なんだぁ」


そのとき彼女の声がふいに甦ってきた。
なぜこのタイミングで?と思うが、気付いたときにはれいなは笑っていた。
どうやられいなは、その「馬鹿げている」思考の持ち主らしい。


「残念やったね、さゆ…」

ふいに笑ったれいなを、さゆみは眉を顰めて見つめた。
それは心底理解できないといった表情だ。先ほどまでの教師のような仮面がようやく剥がれてきたかと、またれいなは笑う。

「さゆが諦めても、れなはまだ諦められんとよ」
「……れいなは、この世界をまだ信じる、ってこと?」

理解が早くて助かる、とれいなは頷く。
するとさゆみはそれを鼻で笑った。そういうリアクションが来ることを理解していたから、大してれいなは苛立たなかった。
さゆみは「ひとりでも?」と訊ねた。だかられいなはそっくりそのままに、「ひとりでも」と返す。

「れなは、ひとりでも、闘う」

ぶら下げていた手にゆっくりと力を込める。
相変わらず、抉り取られた左目は痛い。体中を打ったせいで骨はミシミシ叫んでいるし。
血を流し過ぎたのか、頭もフラフラする。ああ、ちゃんとご飯食べれば良かった。血が足らんみたい。
「れーな、死ぬよ?!」ってよく怒られとったね。はは、ホント、死ぬかも知らんわ、これ。


「みんなが護りたかった世界が、まだ此処に在る限り―――」


れいなは拳をぐっと構えた。そして同時に、理解した。
ああ、そう。そうやったよ、絵里。
あの日、ちゃんと目を見て答えられんでごめん。れなが闘う理由はいつだって此処に在ったっちゃね。
病院で立てこもり事件があった日、絵里はひとりの女の子を救うために闘った。闘いたくないと云ったけど、世界は綺麗だって信じて闘った。


絵里、れなも、れなも同じやったよ。
闘わないで良い世界をつくるために闘ってたわけじゃなかった。
ただ此処に世界が在ったから闘ってたと。
絶望を叩きつけて、だけどれなを包み込んでくれた世界が此処に在ったから、だかられなは闘う。
闘うことは喜びじゃなかった。闘うことが楽しいわけじゃなかった。
だけどれなにとってそれは、生きてることと、同じやったっちゃ。
なあ、絵里。いつだって、いつだって理由は単純みたいやね。

「だから、さゆ」

れいなはしっかりと、さゆみを見つめた。
息をすうっと吸い、吐き出す。

「れなはさゆを止める。必ず。絶対に」

この拳の中にあるのは絶望ではなく、希望だった。真っ暗な闇の中に灯った、ただひとつの光だ。
れいなは諦めない。此処に世界が在る限り、絶対に、諦めることはしない。
それはたぶん、途方もない祈りで、成長のない子どものワガママだ。

さゆみの話す世代交代の波は、恐らくもう止められない。それが時代の流れだ。変わらないものなんて、なにひとつない。
だけど、だけどそれでも、すべてを受け止めたい。
風が流れて雲がちぎれて、そして太陽が空に輝くように。きっと、絶対に変えられない“なにか”が此処にあるはずだから。
やってくる新時代を、変わっていく世界を、吹き込まれる“新しい風”を、変わることのない信念のまま、この体全部で受け止めたいんだ。


「れいななら、そう言うと思った」

そうしてさゆみは、れいなに笑いかけた。
自嘲でも、嘲笑でもない、ただ普通の、優しい笑顔をこちらに向けた。
一歩、左脚を前に出し、拳を構える。


「始めようか。終わりを―――」


れいなは顎を引き、息を呑む。
終わらせない。絶対に終わらせやしない。とれいなは静かに決意した。





投稿日:2013/12/04(水) 22:06:47.91


2013/12/25(水)


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「Corridor」のチカラというものを、れいなはハッキリと認識したわけではなかった。
ただ、擬似的な闇が広がる空間と、四方から飛び交う矢、時折盾のように出現する壁に、そして彼女の言葉になんとなくの理解は示していた。
「Corridor」、すなわち此処は“闇の回廊”。そして中心にいるのは“主人”、術者であるさゆみだ。
先ほどかられいなたちを包み込んでいる闇は、まるで生き物のようにすべてを呑み込もうとしている。
侵食されるようなこの感覚に抗うには、相当な精神力が必要になる。心を喰われないようにするのはあまりにも必死だ。
だが、それはれいなだけではない、と感じていた。
棘のように鋭く、氷のように冷たく、地を這いまわる虫のように粘っこい不快な闇。それに呑まれそうなのは、さゆみもいっしょだ。

通常、こういった空間で闘う際、術者は闇に最初から魂を渡している。
そうであるならば、さゆみもまた最初から闇に呑まれていると考える方が自然だ。
だが、拳をなんどか交える中で、彼女は「完全に闇に墜ちていない」と直感していた。
それはまさに「勘」でしかなく、なんの根拠もないものだ。
しかしれいなは、その第六感に幾度となく助けられてきた。いまさらそれを蔑ろにすることはできない。
だとするならば、「終わり」ではなく、「止める」ことができるはずだと確信した。

負けるわけにはいかない。
絶対に、絶対に負けるわけにはいかない。


れいなはびたっと脚を止め、右手を空、すなわち天井に翳し、静かに詠唱した。
ゆっくりと大気が動いていくのを、さゆみは感じ取った。
それと同時に、得体のしれない感覚に、全身が震えた。
れいなの右手の中に、光が溢れ出す。
眩しさに目を細める。
少しの静寂のあと、彼女の手の平の中に溢れたのは、確かな“刀”だった。
光の刃―――ブライト・ソードとでも呼ぶのだろうかとさゆみは息を呑んだ。

「凄いね、それ」

さゆみは正直な想いを吐き出した。
こうして目に見るのは初めてだが、彼女が新しい「チカラ」を手に入れたことは薄々感じ取っていた。
それこそが「共鳴」という能力が「特殊」と言われる所以だ。
共鳴とは絆であり、それでいて呪いのようなものだ。不可抗力にダイレクトに伝わる想いは、重苦しく、すべてを縛り付ける鎖だ。
それが鬱陶しくて、だけど心地良くて甘えてしまう。
リゾナンターとは、一種の共依存で結ばれた組織だったのかもしれないとさゆみはこのとき、感じた。

「―――――」

れいなの眼光が鋭くなった。
手にした「チカラ」を具現化するこの能力は未完成だ。体力の消耗が激しい割に長時間は持たない。勝負を畳みかけるのはいましかないと一気に斬り込んだ。
気付いたとき、れいなはさゆみの懐に飛び込んでいた。
一足で辿り着かれ、まさしく虚を突かれたさゆみは慌てて後方へ距離を測るが、その一歩が遅かった。


「逆袈裟斬り」という居合抜きの技。
さゆみの脇腹から鼻先を掠めたそれは、あと半歩ほど遅ければ確実に彼女の体を切り裂いていた。
顔を歪めて大きく後退し、脇腹を押さえる。
服を切り裂き、腹部の脂肪部分を捉えられたのか、さゆみのそこからはじわりと血が滲み始めていた。
これは本気だと悟る。
ああ、そうだよ、れいな。
漸く、終わらせる気になってくれたんだね。
思わず笑みが零れる。嬉しいのか、寂しいのか。口角が自然と、上がる。

「私はね、れいな。護りたかったんだよ」

さゆみが右腕を天井に翳したかと思うと、その手の中に真っ黒な闇が具現化し始めた。
目を疑うような光景だったが、れいなは息を呑みながらも、彼女の手中に収まったその“刀”を見た。
闇の刃―――ダーク・ソードとでも呼ぶのだろうかとれいなは静かに佇んだ。

「護りたかった……?」

れいなの問いにさゆみは頷く。
手の中に現れた刀をしっかりと握りしめたかと思うと、とんと一足飛びをした。
今度はれいなの懐にさゆみが飛び込んでくる番だった。
慌てて鍔を返す。

ぎしぃっという鈍い音の直後、刀がかみ合う。
闇と、光。相反するふたつの存在が、自らの存在と信念を懸けていがみ合った。

「みんないっしょに、笑える世界をさ」

さゆみの笑顔は、れいなを戸惑わせた。
本当に、本当に彼女は終わらせたがっているのだろうか―――?


迷いを振り払うように刀身を弾き、後退する。
失った左目の傷口が疼く。ぼたぼたと流れ落ちる血を拭うと、「記憶だね」とさゆみがまた笑った。

「それが、れいなとさゆみの違いなのかな」

諦めたような目の色に、背筋が凍った。
それは、恐怖ではなく、どうしようもないほどの寂しさだ。
思い通りにならない現実を嘆きつつも、仲間たちを失ってしまった無力な自分自身を責めるさゆみへの、圧倒的な寂寥感だ。


「さゆみは、9人でいた過去を見て、れいなは、新しい風が吹く未来を見てるんだね」


その言葉に、ふいに涙が零れた。
振り上げた刀を持つ手が震えてしまうほどの寂寞に苛まれた。
ああ、さゆ。さゆ!ホントに、ホントに終わってしまうのだろうか。
此処でさゆの刀を、キミの想いをすべて受け止めて、この体を斬り裂かれて、それで世界は終わるのだろうか。
此処でれなの刀で、キミの想いを斬り裂いてしまって、体中から血を流して、それで世界は終わるのだろうか。
どんな結末ならば、どんな終幕ならば、彼女の云う「闘わないで良い世界」が導けるのだろうか。

「―――――!!!」

声にならない叫びをあげ、れいなはさゆみに斬りかかった。
窪んだ左目からは雫も溢れず、れいなの右頬だけがどんどん濡れていく。
混乱・困惑・焦燥・絶望・恐怖・憎悪・哀憫。多くの感情が右目から溢れ出る。


ああ、もう。厄介っちゃ。
涙なんて、涙なんてもうとっくに枯れたものと思っていた。
なのにどうして。どうして感情は消えないのだろう。
こんなにも胸が熱くなって、こんなにも心が痛くて、どうしようもない想いを子どものように叫んでしまうのだろう。

ああ、さゆ!れなはさゆを止めたいと!
止めたいだけやとに、さゆとまたいっしょに、いっしょに笑いたいだけやとに、なんで、なんでこんなことになっとーとや!


泣きながら振り翳される刀を丁寧に払いながらも、さゆみは徐々に後退していった。
右拳は折れているはずなのに、何処にこんな力があるのだろうと率直な疑問を浮かべる。
ああ、もしかしてれいな、また“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”使ってる?
詠唱破棄なのか、それとも無自覚に能力を開放したのかは定かではないが、いずれにせよ、この状況で身体能力の底上げは尋常じゃない。
全身を闇に呑み込まれることも厭わずに突き進む姿は滑稽で、無様で、それでいて、眩しいよ。

「痛いって……いろいろさ」

ひとり言のように呟いた言葉は闇に吸い込まれた。
右脚の痛みは加速していた。「Corridor」によって得た擬似的な闇が、回廊の主人であるさゆみにチカラを付与する。
その代わりに、闇はすべてを呑み込んでいく。さゆみをさゆみたらしめるすべてを、「道重さゆみ」という存在を、闇が呑み込んでいく。
誤魔化しながら闘ってはいたが、もはや体力も気力も限界を迎えていた。
その証拠に、さゆみはもう、“闇の矢”を繰り出すほどの力が残っていない。れいなの刀をまともに受けないように躱すだけで精一杯だ。
ああ、もう。厄介だね、ホント。
泣くことなんてないんだよれいな。れいなが泣く必要なんてない。泣いてくれなくて良いんだよ。さゆみなんかのために。


瞬間、れいなは大きく振り翳す。
さゆみは切っ先を真っ直ぐに見据えた。逃げることなく懐に飛び込む。
まさか前に進んでくると思っていなかったのか、れいなは思わず腰を引いた。
それを逃さぬようにさゆみは彼女の左手首を捉えた。
圧倒的な力が加わり始める。
振り下ろそうとした刀はたったの少しも動かない。

「離せっ―――!」

なにをされるか悟ったれいなだったが、遅かった。
さゆみは残された体力で“物質崩壊(イクサシブ・ヒーリング)”を発動させ、れいなの左手首の骨は音を立てて砕け散った。
悲鳴を上げたくなる激痛を堪えるように、れいなは奥歯を食い縛った。
が、体力を削り取られたのか、その手の中にあった光は集散し、刀は跡形もなく消え去った。
さゆみが手を離すと、れいなは即座にその膝を折った。
両手がガクガクと震え出す。もはや「手」という機能を果たすことのない肉片と化したそれは、ただぶらりと垂れ下がるのみだった。
闘うことが急に終息したせいか、思い出したように全身に痛みが走る。
全ての反動を受け止めるように、れいなは短く鈍く息を吐き出した。同時に体の中心からなにかがせり上がってくる。
堪えきれず、口内に溢れ返った鉄錆のような味のする真っ赤な血を吐き出した。

真っ赤な吐瀉物にさゆみは思わず眉を顰めた。
血だまりが広がり、呼吸を思い出すような息が再び始まった。
役立たずの手を掬い上げてぐいと口を拭う。あーー、もう。限界みたいやね。
つか、こんなんなるまでよく頑張った方やと思うっちゃよ。いや、マジで。

「過去は、否定せんよ…」

ふらつく体に鞭打ちながら右手に力を込めた。
さゆみはぴくっと片眉を上げた。まだ立ち上がる力があるんだ…と冷静に見つめた。


「でも、未来も、否定できんやん」

血を流し過ぎた。
頭も痛い。両手も痛い。まるで火を持っているかのように熱い。
だけどもう、「痛覚」が麻痺しているのか、ガクガク震えながらも体はしっかりと地に足をつけて立っている。
真っ直ぐにさゆみを見据え、その手の中にもういちど、もういちどだけと言い聞かせて、チカラを込める。
どうせもう、これが、最後なんだ。

「“いま”が、れなとさゆがおる現実が、此処にあるけんさ」

過去と未来を繋ぐものは、ふたりがいま此処に居る“現実”という世界だ。
それはさゆみにだって分かっている。分かっているから、抗うのかもしれない。
ああ、れいな。キミのこと、子ども子どもってバカにしてたけど、私の方がよっぽど、子どもみたいだね。

「言いたいことは、それだけ?」

さゆみもまた、手の中にチカラを集めた。
広がる闇が心も体も喰らい尽くそうとする。
もう、残された時間は僅かだ。これが、これが本当に、最後だ。

「れいな……」

ふたりの間に、静かな風が流れた気がした。
擬似的な闇に包まれているとはいえ、此処は喫茶「リゾナント」の地下鍛錬場だ。
窓は開けてなかったっちゃけどなー……ホント、気まぐれに何処でも現れるっちゃね。とれいなは笑った。


―――「世界って―――やっぱ綺麗なんだね」


沈む夕陽を掴もうと彼女が伸ばした手は血に塗れていた。
だけどその手は、決して汚くなんかなかった。
ヒーローじゃない。だけどロボットのような殺戮兵器でもない。
ただ純粋に祈りを捧げ、我武者羅に闘って世界の平和を願った、無垢で優しい、“人”の手だったんだ。

「さゆ……」

風が前髪を揺らした。
直後、ふたりは同時に一歩踏み出した。

れいなは大きく刀を振り翳す。対照的に、さゆみは刀を脇に構えた。
袈裟斬りを仕掛けてこようとするれいなが、地面に飛び散った血だまりに足をすくわれた。
ぐらりとれいなの体勢が崩れる。
その隙を逃さぬように、さゆみが刀を斜めに振り上げた。
先ほどれいなが繰り出した逆袈裟斬りを、れいなに返した。
刀は真っ直ぐに、れいなの左脇腹から肩口を斬り裂き、一直線の筋をつくった。
間髪いれず、その筋はぷつぷつと赤い気泡を浮かべ、空間内に赤い雨が降り出した。


れいなの身体がスローモーションのように斃れていく。
ああ、終わった。
終わったんだよ、れいな―――

これで、すべてが、終わる。
そう、思った直後、さゆみは腹部に鈍い痛みを覚えた。

ぐちゅりっ、と、なにかが腹部を貫いた。
なにが起きたのか、即座には理解できなかった。

「れい…なっ……!」


斬り斃されたと思ったれいなが、その右拳をさゆみの腹部に突き立てていた。
先ほど軽く掠めた脇腹に鋭く生えたそれは、腹部の奥深くまで浸食し、さゆみの腸を抉り取ろうとしていた。さゆみは痛みに顔を歪める。

「さゆは…れなの能力を見誤っとった」
「な、に……?」
「れなの能力は、チカラを刀として具象化することやない。チカラを“なにか”に具象化することやと」

そのれいなの言葉に、さゆみは漸く合点がいった。
手の中に力を込め、光の刀を握っていたから自然とそう思い込んでいたが、違っていた。
れいなの能力、「物体具象化」は、チカラを物体として具象化させるもの。
それを応用し、れいなは自らのチカラを「田中れいな」として具象化させたのだ。
先ほどさゆみの刀が斬り裂いたのは、具象化された「田中れいな」であり、本物は、すぐ後ろに待機していた。

「はは…どおりで、手応え……ないと、思ったんだぁ……」

負け惜しみのようにそう呟くと同時に、さゆみはせり上がってきた血を勢いよく床に吐瀉した。
直後、びしぃっとなにかが音を立てた。
まるでガラスにひびが入るかのように、れいなたちを包み込んでいた闇が、ガラガラと崩れ始めた。
れいなは肩で息をしながら、さゆみの腹部から自分の拳を吐き出した。

血の雨が降り注いだ直後、ふたりは同時に膝を折り、地面に斃れ込んだ。

短く息を吐き出すと、どうしようもないほどの疲労が襲ってきた。
自分の力が全て床に吸い込まれていくような、そんな感覚だった。
それは体力や気力ではなく、生命力そのものが失われていく感覚だった。
ああ、これがさゆの云う、「終わり」なのかもしれないとれいなはぼんやり思った。


―――どうも間もなく死にそうです


何処かの作家が、そんな詩を書いていた。
死に向かう人の想いを描いた一作だが、不思議とその人は、死を畏れていなかった。終わることを、躊躇わなかった。


―――けれどもなんといい風でしょう


そっか。死ぬことは、終わりじゃないっちゃ。
新しい風を感じる前に、自分の炎は消えそうやけど。
それでもまあ、悪くない。
最後の最後まで、自分にできることはやった。
さゆを止めるという役割。
彼女の哀しみを受け止めてやるという、最後のリゾナンターとしての努め。
それはもう、果たした。


―――あなたの方から見たらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが


もう、いいやろ?
れな、結構頑張ったやん。
社会のゴミみたいなところから這い上がって、仲間と出逢って、必死に駆け抜けてきたやん。
もう、もう、いいやろ?
赦して、くれるやろ?


―――わたくしから見えるのは やっぱりきれいな青空と すきとおった風ばかりです


無機質だった喫茶「リゾナント」地下鍛錬場の天井が、ふいに抜けるような青に変わった。


ああ、これが。
これが、絵里の云ってた「世界」かと唐突に理解し、その青をしっかりと目に焼き付けたあと、れいなの瞼が静かに閉じる。


静寂。静寂。静寂。
無に等しい空間が広がっていく。


そのとき、心地良い“風”がれいなの前髪を撫でた。
暖かくて柔らかくて、羽根のようにふわふわとしたそれは、まるでなにかの音楽のようだった。
ああ、もう、春やっちゃね―――と、れいなはふいに笑った。


だれかが、だれかがそのとき、生きろと、叫んだ。そんな、気がした。




投稿日:2013/12/25(水) 01:42:26.07 0