『異能力 -Restart each-』



銭琳は船の甲板で思いに耽っていた。
正規ルートでは故郷に居場所が知れてしまう可能性がある為だ。
違法ではあるといえど、信頼をおける故郷の仲間による手引きで
この船は並の人間、異能者ですらも認識されないようになっている。
そういった異能保持者が船乗りだから、というのもあるが。

李純は自室で眠っている。というよりは、この船に乗るまでの間
彼女の意識は戻っていない、まるで赤子のようになっていた。
肉体を変容させる異能を保持する李純が、以前の様に動くかは分からない。

それほど彼女の肉体に傷痕を残してしまった『i914』という存在。

だが、そんな非情な存在が、瀕死の状態だった銭琳と李純を
追ってでもとどめを刺そうとしなかったのは何故だったのか。
【瞬間移動】は相手の位置を把握し、座標を知らなければ行使は難しい。
だがあのi914であればそれを推測することは容易かっただろう。

もしかしたら、とは思う。
『蓄積』という行動原理によって、"何か"を得た疑似精神が多少なりとも
"情"というものを悟っているのだろうか。
だが、肉体は分かっていてもi914の本能に抗えるとは思えない。

あの強く、たくましく、だが人の悲しみを誰よりも感じてくれた人。
そんな中で、心の底から湧き出て、全身を支配する畏怖に抱かれる時。
きっとそれが、彼女の中に眠っていたi914だったのかもしれない。

今でも、逃げる事を考えている自分が居た。
しかし逃げずに真っ当ではない方法で戦うことも模索し続けている。
死の予感をいつの頃からか抱いてしまってから。

それでも予想以上に、冷静だ。
自棄になっているのかもしれない。自身の心情を、今一つ理解できない。
生への執着。死への覚悟。
目的を達成するまで生きていたいと思うと同時に、命を賭けて
戦うことを厭わない自分も居る。
そしてあの人も。



―― 高橋愛と『i914』は対極のようで、同極だ。

片方は人を愛し、守り、生きてほしいと思う。
片方は執着し、征服し、蹂躙したいと思う。
矛盾しているようで、あまりにも最も過ぎる感情。そして根源は同じ。
それが同時に影響を与え続けている。本来ならば理性に抑制されるはずの本能。

暴力的な衝動。
蓄積された事による機械人形には無かった状況判断。
生かさず殺さず、ただただひたすらに殴り、痛めつけ、圧倒し
踏み躙り、自身の破壊的衝動をぶつける。
そのi914としての本能が優先された時、高橋愛の本能は歪んだ。

全て推測。
だが、彼女の温かみを直に触れて来たからこそ、想う。
自分がいつか、本当に壊れてしまうことを自覚した時。
"仲間でさえも縋れなくなった彼女に残ったのは、たった一つの拠り所"。

 (…もっと話をすれば良かったな)

そんな事を今更ながらに思う。
それが何の解決にもならなかったとしても。
もう一度、会って、話をしたかった。
他愛の無いものでも構わない。好きなアニメや、好きな食べ物。
それを笑って、喜び合ってみたかった。

i914の干渉がある前に。これも多少の執着が込められるのだろうか。
高橋愛が求めていたものは、あまりにも自分達とは変わらない。
それをただ人よりも【蓄積】するに特化した存在というだけで、こんな
事態へと追い込んでしまった。

銭琳は考える。考えなければいけない時だった。
逃げない為に、戦う為に、そして出来る事なら高橋愛を。
もしもを考える、ただただ考える。

 "if"なら、救いがあるような気がしたから。

―― ―― ―

久住小春が立ち止まったのは、隠れ家を後にしてから十分経った頃。
音と色と命が恐ろしく薄い空間が、騒音と色彩と存在が溢れた
ものに変わっている、大きく吸って、大きく吐く。
走り続けた身体がもう限界の兆しを見せている。運動不足。
久住は体重が増えたかな、なんてことを心配してみた。

心配することはいくらでもあったが、自分で言って失笑しか出ない。
失敗か、と思ってようやく笑みが浮かんだくらいだ。


あまり見覚えの無い、だが通った事があるような気がする路地裏。
大通りの喧騒が僅かに伝わってくるこの道には、それなりの人通りがある。
だが久住は【念写能力】で自身を景色と同一化することで、視界には見えない。

 誰かに見つかっては厄介だ。
 仮にもこの街では有名人としての自覚はある。
 だから見つかってしまってはいけない。
 ――巻き込んではいけない――

新垣が提示した埠頭までは時間にすると約30分かかる。
今なら大通りへ行けばタクシーでも捕まえて最短距離を走れば
10分は早く到着できるだろう。
電車でも良い。とにかく新垣や、田中れいなよりも早く着きたい。

ズクリと、腕に痛みが走る。
怪我は完治している腕が、過去を引きずる。
らしくないと、舌打ちをした。
過去ではなく、未来があることを告げてくれた仲間の顔が浮かぶ。

まだ眠っている仲間の顔が浮かんでは消えた。
―― 違う。
これはそういった類の衝動ではない。
自身の中から湧き出る衝動は、自身の想いでしかない。

自分の為に。
自分の為の決着を。結末を。

―― ―― ―

腕が疼く。目尻からじわりと黒い"血"が滲み出ているような気がして。
田中れいなは包帯の上から押さえる。
表面は乾いていた。
だが瞼の下で何かが蠢いている様な気がした。

抉りだしたい衝動に冒されながらも、それが出来ないことを悟る。

 「田中っち!」

新垣里沙の言葉でハッと顔を上げる。
大通りの車道にまで歩みを進めていた田中を、新垣が制したのだ。
隣に居た佐藤が服を引っ張ってくれなければ、そのまま突っ込んでいた。

 「ご、ごめん。ちょっとどっか行ってたけん」
 「…田中っち、身体、大丈夫なの?」

新垣の言葉に、田中の表情が固まる。
佐藤にはそれが先ほどの戦闘によるものだと思っていただろう。
だが新垣は、確信を持ってしまった。
田中の身体が今にも"崩れてしまう"寸前だということに。

緊迫した空気の中、佐藤の腹から小さな音が発せられた。
二人の視線が彼女に注がれ、しまった、という表情を浮かべる佐藤。
そういえば、夕食を食べていなかったことを思い出す。

 「あ、あの、おなかすいたんですけど、おなかすいてないんです」
 「こんなときだけそんな下手な言い訳せんでいいけん。
 れなもお腹に入れときたいっちゃけど」
 「そうだね…多分まだ時間はあるから、佐藤、なにが食べたい?」
 「いいと?そんなにのんびりしとって」
 「大丈夫だよ、ほら、なんでも言ってみな。好きな食べ物とか」


 「えと、ラーメン以外のめん類、です」
 「あはは、なにその言いまわしー。ラーメン以外って、うどんとかそばとか?」
 「う…はいっ」
 「そっかそっか、田中っちも良い?」
 「…しょうがないっちゃね」

田中が折れた。
彼女は佐藤にとってはどこか甘くもあり、厳しい。
年下の子との壁が厚かった田中だが、これまで出逢ってきた中で
今の『リゾナンター』に参加する佐藤達とは気が合うのかもしれない。

新垣自身との関係は、正直良くは無かった。
今も共同戦線を張っているだけで、心を通わすことは無いのだろう。
そんな人間と食を囲むというのだから、佐藤が空気を緩和してくれているような気もした。

 彼女がいなければきっと、こうして落ち着けることもなかった。

田中の話では、後藤真希の【空間支配】に"隔離"されたとあった。
自分達へ全てを預けているのだとすれば、あの亜空間から
出るにはまだ時間がかかるはずだ。
気まぐれな人ではあるが、自分達が不利になるようなことはしないだろう。

喫茶『リゾナント』でご飯を食べていたあの頃を思い出す。
生涯最後の食事になるかもしれないということは、考えないようにした。




投稿日:2013/06/27(木) 05:52:56.45 0

















最終更新:2013年06月29日 03:20