『the new WIND―――新垣里沙』


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2013/01/25(金)



「ねぇ、れいな」
「うん?」
「………れいなは、どうしたい?」

唐突な質問に眉を顰めた。どうしたいとはどういう意味か、理解できなかった。
彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、意図を測ろうとしたが、その漆黒の闇はなにも語らなかった。
なにかを言おうとしたとき、周囲の空気が変わった。張り詰めた冬の痛みを携えたその空気に思わず息を呑む。

「私は、もう、終わらせたいよ」

呼吸することを忘れるような空気を感じながら、彼女の言葉の意図を読もうとした。
しかし、れいなにはなにひとつ、さゆみの言うことが分からなかった。
なにを?なにを終わらせる?なにが?
聞きたいことは山のようにある。あるけれどなにも言えない。どうした?どうしたと、さゆ。

「全部、もう終わらせたいんだ―――」

一瞬の静寂のあと、暗闇が広がった。
なにが起きているのか瞬時に理解はできなかった。


 -------

里沙は書類を捲りながらため息をついた。
本部の愛から定期的に送られてくる資料と、愛佳の残した分析資料を整理し、ファイリングする。
愛佳が使っていたパソコンの中に、なにか新たなヒントはないかと探したが、これといって目新しいものはなかった。

愛佳が凶弾に倒れて3ヶ月が経った。季節はとうに冬を越えて春を迎えていた。世間では入学式シーズンらしい。
彼女は現在、リゾナント本部直営の病院で療養中だが、いつものように、面会謝絶だった。
この8ヶ月の間にリゾナンターは9人から3人にまで減っていた。あまりの事態に、れいなも、さゆみも、そして里沙も、なにも言えなかった。
内に秘めた想いをぶつけようにも、だれになにを叫べば良いのかが分からない。「助けて」なんて、どうして言える?

「ホントに、解体する気なの……?」

里沙は愛佳の使っていたUSBに残された資料を開いた。
彼女の誕生日を入力すると、タイトルである「リゾナント解体と“共鳴”に関する考察」が飛び込んできた。
そこに書かれていたのはあくまでも愛佳の仮説だった。次々に起こった不可解な異動が解体目的だと仮定すると辻褄はあう。
だが、解体するのなら、なぜ一気にしないのか。新人を加入させる話をなぜ浮上させたか。疑問はその2点ある。
そしてもし、真の理由が「解体」ではないとすれば、仮に「苦渋の選択」だとしたら?という文章でレポートは終わっていた。

「なにを、書きたかったの?」

タイトルは「リゾナント解体と“共鳴”に関する考察」だ。此処で論じられていないのは、“共鳴”。
彼女はそういえば、里沙に“共鳴”とはなにか?を話したことがあった。里沙自身、それがいったいなんであるのか、明確に説明はできない。


いままで漠然と、9人の間で共通の認識、仲間を信頼し合って発動するもの、と考えていたが、それ以上のものが“共鳴”にはあるのかもしれない。


―――「だれのなかにもチカラはあって、それが“共鳴”することで開放されるんじゃないかと考えてます」


愛佳が戦線を離脱するきっかけとなったあの日、最後に交わした会話で彼女はそう答えた。
彼女の言うように、“共鳴”は限定的なものではなく、もっと広範囲に存在するものだとすればどうだ?
能力そのものも等しく人間の中に眠っていて、それが“共鳴”というカギによって解き放たれる。
ここまで考えれば、“共鳴”それ自体は素晴らしいものかもしれない。だが、なにかが引っかかる。
そもそも“共鳴”は、9人に利益のみをもたらすものだったのか?
チカラを最大限に発動させることのできる“共鳴”に危険性はないのか?

思考を止める契機となったのは、携帯電話からの呼び出しだった。愛が此処を去る時に渡されたそれは、上層部から直接の指示を受けるものだ。
これが鳴ったということは、統制本部へ来いというお達しだ。そういえば、愛佳が去って以来、よく本部へと呼び出しがかかる。
管理官というあの男と話す機会は稀であったが、それにしては3日に1度は彼らの前に顔を出す機会がある。
これまではそんなこと一度もなかっただけに、さすがの里沙でも、不穏な空気を感じ取らざるを得ない。

「もし、次があるとしたら……」

そんなことを、思う。小春、ジュンジュン、リンリン、絵里、愛、愛佳とリゾナンターを去っていった。
もし、もしも、次があるとすれば、恐らくそれは自分だ。理由なんていくらでもある。
新人を入れる話だって、水面下で進行しているのだし。ただ実際に、新人を入れるのかどうかは定かではないけれど。
「その日」が来るのは、もうすぐなのかもしれないと、里沙は上着を羽織って階段を上った。


「ガキさん」

地上へ出るときに、さゆみと鉢合わせた。
彼女の瞳を見て里沙は言葉を失った。もとから黒目がちの大きな瞳だとは思っていたが、その色は深みを帯び、まるで闇のようだった。
深淵を感じさせるその「闇」は、彼女の喪失を物語っているのだろうか。

「今日も、本部?」
「うん、呼び出しかかった」
「大変だとは思うけど早く帰って来てね。まだ掃除も終わってないし」

そうしてさゆみは振り返った。里沙も同じように視線を送る。
3ヶ月前に「喫茶リゾナント」は急襲され壊滅したが、地下にある施設、鍛錬場や資料室はその様相を保っていた。
ここ1ヶ月で、何処から出費されたのか、本部が派遣した人員たちにより、「喫茶リゾナント」は復旧した。
だが、営業を始める気には到底なれず、結果、掃除も終わっていない、人のいない空っぽの箱が存在するだけになっていた。

とうの昔にダークネス側に、此処がリゾナントの本拠地であることなど割り出されていることは分かっていた。
しかし、それでも向こうが一気に攻め入らないことになにかの意味があると里沙も、そしてもちろん愛も睨んでいた。
一気に攻め込むということは、それだけリスクも高い。自分たちの兵力を温存するためにも、なるべくリスクは避けたいものだ。
だが、リゾナンターが3人という現状では、そのリスクの話もまた別となる。
さゆみもれいなも、任務がないときは地上の喫茶リゾナントに出ることはほとんどなく、地下の鍛錬場、もしくは資料室で1日を過ごすことが多くなっていた。
地下であるなら、敵襲を受けたときに素早く逃げることができる。

「じゃあ、行ってくるね」

里沙はそう言い残し、扉を開けた。
眩しい太陽に目を細める。まるで地下から出てきたモグラだなと苦笑した。
いったい私たちは、これからどうしていくべきなのだろう。
もしかして、“共鳴”という実体のないものに対して、私たちも、そして上層部もあまりに無神経だったのではないかとぼんやり思った。


 -------

科学の進歩は人類の進歩だ。
それが分からない人とは会話もしたくなかった。
コンピュータにいくつかの情報を入力しながら冷え切った珈琲を啜る。
目が疲れてきた。このメガネもいい加減に作り直さないと度が合っていない。視力は悪化する一方だ。
科学がどれだけ進歩しても、メガネと傘だけは特段に進化しないことは少し悔しかった。

「順調ですかぁ?」

そのとき入口の方から声がした。
振り向かなくても相手がだれかなど最初から分かっている。
紺野は珈琲を淹れ直すついでに立ち上がり、「まあまあですよ」と笑った。

「おー。昨日より成長してんね」

「氷の魔女」と呼ばれる彼女は培養液を遠目に眺めながらそう言った。
確かに、昨日彼女が見に来たときよりも、中に入っているモノは格段と大きくなっている。
紺野は淹れたての珈琲をひと口飲み、「少し早すぎるかも」と口にした。

「“上”は早くしろって急かすけど、これ以上したら、外に出す前にみんな壊れちゃうよ」
「ははっ。あいつらは一戦で闘う私らも、そして奥で地道に作業してるお前のことも分かっちゃいないからね」
「此処は確かに欲求を満たせる最高の場なのですが、もう少し配慮がほしいですよ」
「ムリムリ。そんなのあいつらが持ってるわけない」

魔女はくすくすと楽しそうに笑ったが、紺野も同感だった。彼らにそんな慈悲の心や理解する気持ちなんてあるはずがない。
とはいえ、これ以上スピードをあげての投薬はあまりに危険だった。失敗しては元も子もないのに、彼らはなにか焦っているようにも思えた。

「向こうのやつらがドタバタしてんじゃん。いまを逃したくないんじゃねえの?」
「半年か1年足らずで人員が減りすぎてるって話ですよね。どう考えても解体より別の目的があるように思いますけど」
「ま、どんな意図かは知らないけど、いまリゾナンターが3人しかいないんなら、叩きたいんじゃないか、今度はこいつらを使って」

そうして魔女は培養液カプセルのひとつをコンコンとノックした。
中身は相変わらず眠ったままだったが、規則的にこぽこぽと息を吐いている。もちろん、ちゃんと目覚めてくれるのかは保証できない。
紺野はコンピュータのデータを確認する。成長如何にかかわらず、外に出すことを前提にするならば、あと18時間といったところだろうか。

「ほら、アイツが行方不明じゃん。せっかく良い感じに壊してくれたのに、半年も姿見せないから、上層部も焦ってんだろ」
「……彼も出すのが早すぎました。もう少し時間があればちゃんと主人の命令を聞くようにすることもできたんですが」

それは紺野にとっての汚点のひとつでもあった。
計算は完璧で、実験もほぼ成功であった。唯一の失敗は、上層部が無理解のうちに戦場に放り込んだことで。
おかげで計算は狂い、こちらの命令をひとつも聞かなくなってしまった。
ただ唯一埋め込まれた「戦闘本能」のみが彼を動かしているのだが、それではただのロボットと同じだ。
紺野は苦虫を噛み潰した表情のまま、コンピュータにデータを打ち込んだ。

「まさかうちの上層部と向こうの上層部が結託してたりしてな。知らないうちに」

実に楽しそうに彼女は笑う。解体の件でその可能性もあるのではないかと紺野は考えたが、それにしては腑に落ちない点が多すぎる。
なにより、彼女たちを排除する理由がいまひとつ読めてこない。そうなると、やはり今回の向こうの慌ただしい解体にはなにか真の目的がある気がしてならない。
まあ、その理由を調査することは任務に入っていないので、紺野はこれ以上首を突っ込んではいないが。

「そういえばこいつら、名前とかあんの?」
「一応ありますが覚えていません。すべて番号で呼んでいますから……」

そうして名簿を捲った手をふと止めた。
覚えていないと言ったが、“これ”だけは覚えている。なにせ身代わりをあそこに置いてきたのだから。

「そろそろあっちも限界かな……」

紺野が困ったように頭を掻くのを魔女は不思議そうに眺めた。
だが、すぐに培養液に振り返り、またコンコンと叩く。それは水族館の水槽を叩く子どもの姿とよく似ていた。
中に入ったこいつらは、所詮は見世物と同じなのだと魔女は口角を上げた。






2013/02/03(日)



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「西方地区におけるダークネス残党殲滅、及び、東方地区の制圧完了致しました」

里沙の報告を受けた上層部たちは一様に頷き、書類を捲った。
統制本部に出向き始めてもうすぐ3週間が経つが、未だに彼らのこの態度にはうんざりする。もう少し、人らしく扱ってほしいものだが、いまさら変わるとは思えない。
里沙が淡々と報告をつづけると、ある男が立ち上がった。

「明日、新垣には西方地区に立地のある病院へ行ってもらう。その病院に入院中の娘と接触して情報を聞き出して来い」
「……入院中の娘、ですか?」
「あとで詳細情報は渡しておく」

これはまた随分とぞんざいな扱いだ。まったく、彼らはこちらになにを求めているのだろう。
いっそ反抗してやろうか。恐らく愛が彼らに向かって光を投げつけたときのように、彼らは一様に取り乱すのだろうけど。
そんなことを考えていると、それまで黙って報告を聞いていた奥に座る男が立ち上がった。

「時に、腰の方はどうかね?」

その言葉に里沙は顔を上げて男を見た。中心に座すのは間違いなく管理官と呼ばれる男だった。
彼は顔色ひとつ変えず、里沙の瞳を真っ直ぐに見据えている。なにを言わんとすのか、里沙には分からない。

「明日行く西方地区の病院に少し詳しい医者がいる。会ってきなさい」
「どうして…私の腰のことを?」


里沙は訝しげに管理官を見た。
最初に腰に違和感を覚え始めたのは、ちょうど、ジュンジュンの異動が決まった直後のことだった。激しい運動をすると、腰骨が軋むことが多くなった。
ただの腰痛だろうと初めは放っておいたが、徐々に痛みは進行し、時折立つことすらままならなくなった。
いまは病院で鎮痛剤を打って緩和しているものの、痛みの抜本的な解決には至っていない。

「道重さゆみの右脚についても同じだ。早いうちに病院に行った方が良い」

その言葉に里沙はいよいよ眉を顰めた。
さゆみから自らの脚に違和感があると聞いたのはつい1週間ほど前のことだ。
ただ捻っただけかもしれないと前置きされたものの、内部が軋むような痛みは、里沙の腰、そして愛佳の抱えた問題と酷似していた。
問題は、なぜそれを管理官が知っているかということだった。

「あなたはいったい、何処まで知っているのですか?」
「何処まで、とは?」
「どうして私たちリゾナンターしか知りえない情報を知っているのですか。あなたは最初から、すべて分かってやっていたのではないですか」

いちど浮かんだ疑念は心を侵食し、その口許から滑り出る。
愛がなんどか口にした「世代交代」の話。それに反して一向に耳にしない新人の話。
果たして彼らは、本当にリゾナンターを解体する気なのか。
「世代交代」と誤魔化しているだけで、本当はもっと初期から、リゾナンターを壊滅する話を持ち上げていたのではないか。
組織とは脆く、外部から壊すよりも、内部から浸食して壊す方が早い。
一気に肩をつけずにひとりずつ首を刈ったのは、解体という疑念を持たせないためではないのか。


「最初から全部、仕組まれていたことではないんですか。あなたの手の平で、私たちは」
「貴様、だれに対して口を聞いている!」

里沙がさらに言葉を紡ごうとしたとき、管理官の横に座っていた男が声を荒げた。
彼は鋭い眼光で、それ以上の追及は許さないと言わんばかりに里沙を射抜く。
だが、此処で退いてはいけないと里沙は拳を握りしめた。きっと彼女―――愛もこうして彼らと対峙したはずだから。
彼女にできなかったことは、私がするしかない。

「ダークネスとあなた方が繋がっているとは思いません。ですが、なんらかの目的で私たちの存在を消す必要があったとしたら」
「黙れ新垣ッ!」
「国家の存続すら揺るがすほどの力を有する私たちは、国益になり得る半面、その脅威でもある。
反旗を翻すことを恐れ、これ以上手に負えないと判断されたために、私たちを抹消するという計画が持ち上がったとしたら」
「いい加減にしろ!貴様の発言は、侮辱罪などでは済まされんぞ!」

男は机を拳で叩いてそれ以上の言葉を塞いだ。
一気に捲し立てた里沙は真っ直ぐに管理官を射抜く。

ずっと考えていたことだ。
8ヶ月という短期間で6人もの人間が異動し、その行方の消息すら、残ったメンバーにはほとんど知らされない。
この異様な事態を解決する手掛かりは、上層部にしかない。
もういまを逃せば、最悪の現状を打開する術はないと里沙は確信していた。

「前任の高橋もそうだった。お前たちは愚かすぎる」
「黙って従えと言うのがなぜ分からないんだ」
「こちらは管理しているのだ。お前たち自身を」

交わされる言葉は怒気を孕み醜いものだった。
いつまでも傀儡でいろと言うのか。だが、私たちは意志を持たない操り人形などではない。心のある、血の通った人間だ。
管理されるのは一向に構わない。しかし、彼らの考えのほんの一部でも分からない限り、もう従うことはできない。


里沙は下唇を噛み、右脚を一歩踏み出した。
それは自らの能力である“精神干渉(マインドコントロール)”の発動の合図だ。

瞬間、室内にいた男たちが一斉にその頭を机に打ち付けた。
ぼぐんという醜悪な音のあと、男たちは「な、に……を」と息も絶え絶えに呟く。
自らの精神、突き詰めれば脳内を弄られたことに彼らが気付いたのはそのときだ。

「反逆者が……」

内ポケットに入れていた小型の銃に手を伸ばす男を察知し、脳内に入り込む。

「あああああああああ!」

男は奇声を上げて椅子から転げ落ち、床をのた打ち回った。
少しだけ強く弄ってやっただけで人はこうなってしまう。もっとも、最大限に能力を開放すれば彼らがどうなるか、里沙自身分からない。
あまりにも危険なこの能力を、まさか身内に向けるとは思わなかった。

「派手にやってくれましたね」

静かに発したのは管理官だった。
予想はしていたが、彼だけは精神にロックをかけたのか、全く里沙の術中には嵌っていない。
冷たい汗が背中から腰へと流れ落ちる。先ほどからまたピリピリと骨が軋みだした。鎮痛剤が切れたのだろうか。あまり時間はかけられない。

「きみと高橋君はよく似ている」

管理官はそう言うと踵を返した。
こちらに背を向けるとは、それほど余裕ということか、それとも別の手があるのか、里沙は考える。
この人に能力はあまり意味がない。やはり力づくで聞き出すしかないかと拳を構えた。


「犠牲をあわれに思ったら、苦悩したらいい」

だが、一歩足を踏み出す前に発せられた言葉に躊躇した。
いったい彼はなにを言っているのか、理解できなかった。

「苦悩と苦痛は、広い自覚と深い心にはつきものだ。真に偉大な人々は、この世の中に大きな悲しみを感じとるはずだ―――」

ひと言でそう言い切ると、彼は振り返って笑いかけた。
それは管理官という上に立つ人間がおおよそ持つような冷徹とはかけ離れた、何処か優しいものだった。

「ドストエフスキーは苦悩を生きる人を描いた。苦悩を切り捨てるのではなく、苦悩とともに生きる人を」

彼の言葉に拳を解いた。
ドストエフスキーという人名に聞き覚えはある。有名な作家だったはずだ。
残念ながら博識ではない里沙は、その代表作である「罪と罰」を読んだことはなかったが。

「信じてもらえないだろうか。私のことを」
「……なにも言わないあなた方のことをどう信じろと言うのですか」

至極真っ当な反論をした里沙に対し、彼は大袈裟に肩を竦めて見せた。
まるでサーカスのピエロのような仕草に少しだけ苛立ったが、どうしてか、もう一度拳を構える気概を失くす。
彼の考えが読めないことには変わりないはずなのに。

「きみは光井愛佳のレポートを読みましたか?」
「え?」
「光井君の残した“リゾナント解体と“共鳴”に関する考察”。あれは実に興味」
「やはりあなたは知っていたんですね!私たちを解体するために、私たちの周辺どころか、プライベートまでも!」


思わず激昂した。
あのUSBの中身までも彼は知っている。知り得るはずのない情報を彼は握っている。
もう揺るぎようがない事実に里沙は右脚を踏み出そうとした。
“精神干渉(マインドコントロール)”を発動しようとした瞬間、管理官の指が弾かれる。
里沙の体はふわりと浮かんだ。

「あのレポートはふたつある。ひとつはUSBの中。そしてもうひとつは彼女の使用していたパソコンの中。それを読んで、考えてくれ」
「なっ!?と、とにかくあなたのやっていることは非道すぎる!使うだけ使って、用が無くなったら捨てるんですか!だとしたら私たちは」
「自分たちの手にした能力をもっと考えろと言っているんです」

“重力閉鎖(グラヴィティ・クローズ)”を発動し、宙に浮かんだ里沙に対し、管理官は鋭く言葉を突き刺した。
その真意が読めない里沙は眉を顰めたが、彼は構わずにつづける。

「とにかく読んで下さい。私たちに牙をむけるのはそれからでも遅くない」
「だから…なんで」
「頼む」

言葉を里沙が失ったのは、彼が頭を深く下げたからだ。
斜め45度、日本のビジネスマナーで最も深い頭の下げ方はおおよそ管理官のするものではない。

「頼むから、信じてほしい」

深々と下げられた頭を、数メートル上空から眺める姿は滑稽だった。
だが、自分が宙に浮かんでいることよりも、彼が頭を下げたことはあまりに新鮮で、そして不可解だった。
命乞いも、嘘の謝罪も、これまでいくらでも見てきた。
管理官の行為もその類のひとつかもしれないのに、なぜか里沙は、今度こそ、闘う気概を完全に失った。
分からないことだらけで引き下がることはしないと決めたはずなのに、どうしてか、拳を握りしめる気にはなれなかった。


光井愛佳の残したもうひとつのレポートの存在で、頭の中はいっぱいになっていた。
管理官は信じられなくとも、仲間は信じられる。それならば、仲間の考えを読もうではないか。
だから。だから。だから。

「降ろしてくれますか…?」

里沙がそう言うと管理官は申し訳なさそうに頭を上げ、もう一度指を弾いた。


 -------

上層部の指定した病院に向かうタクシーには、里沙のほかにさゆみもいっしょだった。
さゆみは、昨日からほとんど言葉を発しない里沙を心配そうに見やった。
里沙は昨日、本部から帰宅するとすぐに地下に入り、それから3時間ほどはひとり部屋に籠って出て来なかった。
あまりの事態に心配してれいなとともに呼びかけたが、それにも応えることはなく、ただひとりにしてほしいとメールを送ってきた。
彼女が此処まですることなんて滅多に、というより過去には一度もなかった。

「大学病院、なんですよね。有名な。なんか緊張するなー」

さゆみは努めて明るく隣に座る里沙に話しかけたが、彼女は気のない返事を返しただけだった。
なにを考えているのか、いったい昨日なにがあったのか、さゆみには全く分からなかった。
強く心の扉を叩くべきなのかもしれないが、彼女がそれで全てを話すタイプだとは思えなかった。
結果、さゆみは今朝になって「いっしょに来て」と言われただけで、同じタクシーに乗り、大学病院に向かっていた。

「でも脚が少しでも良くなるって期待しちゃいます。ガキさんの腰も、早く良くなるといいですね」
「もしさ」

なんとか状況を打開しようと明るく振る舞うさゆみを遮り、里沙は言葉を発した。
さゆみは訝しげに彼女を見るが、里沙は窓の外、空を仰いだままつづけた。


「もし自分が大金の入ったサイフを持ってたとするじゃん」
「……はい」
「その中にある日サソリが混じってたとしたらどうする?」

ずいぶんと現実味のない話だったが、彼女が急にそんなことを言い出すのにはなにか理由があるのだろう。
さゆみは「うーん」とわざとらしく腕を組んで考え出した。
大金の入ったサイフ、そこに混ざり込んだサソリ。サソリには毒がある。刺されたらたぶん、死ぬ。
でも大金が手元にはある。どのくらいの大金なのかは分からないけれど。

「サソリに刺されないようにお金を使いつづけますかね」

自分で口にしておきながら、それは都合良すぎないかとさゆみは苦笑した。
だが、みすみす大金のあるサイフを手放す気にはなれない。とはいえサソリに刺されるのはごめんだ。
そうなれば、真ん中を取るしかないだろう。

「ガキさんは、どうします?」
「……私は……」

今度は逆に質問を返したとき、彼女の口が開く前にタクシーは大学病院の正門をくぐっていた。
正面玄関に車をつけ、扉が開く。さゆみが払おうとしたが、そんな彼女より先に里沙が2枚の紙幣を出した。
さゆみは一礼し、外に出た。不思議なくらい、青い空が広がっていた。
もう季節は冬を越えて春。桜が咲き誇り、なにかが始まりそうな高揚感を携えている。

そんなとても優しい季節だというのに、それに似つかわしくない空気が一瞬にして漂った。
正面玄関からは白衣を着た医者や看護師たちが数名走ってきた。
その姿は異様で思わずぎょっとするが、どうやら目的はさゆみたちではないらしい。


「早く探せ!」
「きみは警察に連絡!」
「なんなんだ、アレは……」

物々しい空気に眉を顰めていると、里沙もタクシーから降りた。
なにが起きているのか把握はできなかったが、その鞄の中に入れていた携帯電話が震えたことにイヤな予感を覚える。
ディスプレイに表示された「非通知」にさらにその予感は助長する。
里沙は携帯電話を耳に当てて「どうしました?」と答える。聞こえてきたのはやはり上層部の声だった。
伝えられた言葉に里沙は眉間に皺を寄せた。

さゆみはそんな彼女を心配そうに見つめている。なにか厄介ごとが増えたのだなと眉を掻く。
彼女の表情から色が失われていくのを見ながら、さゆみは青空を仰いだ。
先ほどよりも何処か寂しく広がったそれが妙に虚しく、ため息を吐く。

「……さゆみん、いまからいっしょに来て」

いつの間に電話を終えたのだろう。里沙はさゆみにそう伝えると再びタクシーを拾おうと歩き出した。

「え、何処にですか?」
「光井の示した場所、敵の出現場所を結んだ点の中心にある廃ビル」
「な、なんの話ですか?」
「さゆみんはすぐ田中っちに連絡して。場所は7丁目の……あ、すみません、乗ります!」

里沙は強引にタクシーを止め、ふたりは乗り込んだ。
ああ、結局、例のサイフとサソリの話は聞けなかったなとぼんやり思った。






2013/02/16(土)


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れいなとも合流し、3人は愛佳の示した円の中心にほど近い場所に佇んだ。
数年前に倒産したあの廃ビルを敵の本拠地とするのはあまりに短絡的だが、なんどか人が出入りしているという噂まで流れている。

「廃ビルとダークネスの関係は分かったっちゃけど、さっきの病院の子はええと?」

れいなが手を組んでぐっと伸びをするとバキッと景気の良い音が鳴った。
直後にげほ・ごほと痰の絡んだような咳をする。喉をせり上がった血を吐き出さないように、苦みを堪えて呑み込んだ。

「上層部の言ってた入院中の子も、もしかしたらあそこにいるかもしれない」
「どういうこと……?」
「病院にいたはずの子が行方不明になった。現場には女の子の服と、砂のようなあとが残っていたって話だよ」

それを聞いたさゆみとれいなは同時に思い当ることがあった。
愛佳が離脱する契機となったあの事件の日、リゾナンターは対峙していた。あの科学者がつくったクローン人間と。
そしてそれはあまりに脆く、なんどか拳をぶつけただけで崩れ落ちてしまった。
クローン能力者の体が劣化したとき、さらさらと砂のように消えていった。

「まさか、その女の子の身代わりにクローンを…?」
「闘う必要もなく、ただ点滴を受けて横になっているだけなら、壊れやすくてもある程度の日数は稼げる。
あくまでも仮説だけど、リゾナンター上層部と繋がる女の子の部屋にダークネスのクローンらしき証拠が残っていたのなら、なにかあると考えるのが自然でしょ」

里沙は髪をひとつに束ね廃ビルを見据えた。
どちらにせよ、答えはあそこにある。此処で議論をしていても仕方がない。正面突破、あるのみだ。
もしかすれば、あの場所には、もうひとつの、いや、すべての答えがあるのかもしれない。
あの夏の終わりから始まったリゾナンターを巡る一連の不可解な解体の答えが。


―――「自分たちの手にした能力をもっと考えろと言っているんです」


ふと、管理官の言葉が頭をよぎった。
同時に愛佳のレポートに書かれていたことが甦る。そのレポート自体、上層部がねつ造したものという可能性はある。
それを確かめに行くんだ。もう、こんなこと、終わらせてやる。ケリをつけてやる。

「行こう」

3人は顔を見合わせて頷き、廃ビルへと走り出した。


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廃ビルとは名ばかりだと分かったのは、そこに侵入した直後だった。
至る場所に設置された監視カメラと警報装置、なにかを此処でやっていることなど明白だった。
れいなが正面切って扉を蹴破ると同時にけたたましいアラームがビル内に鳴り響いた。

「やっぱなんかしとっちゃな……此処で」

れいなはそうして部屋を調べる。再び喉が傷み、ゲホゲホと咳をした。
風邪ではないようだが、数日前からどうも胸のあたりが痛い。こうも咳が止まらないのは、この埃のせいだろうかとれいなは部屋を見回した。
里沙は荒れ果てたこの室内の様子を見て、此処が薬剤関係の企業だと気付いた。
落ちていた書籍を拾うと、とてもではないが理解できない化学元素記号や製薬名が並び、うんざりした。

「この階にはいないみたい」
「となるとやっぱ、地下やな」

れいなは廊下に出て壁をコツコツと人差し指で叩いた。
アラームが鳴り響いているということは、階下にいる連中にも聞こえているはずだ。
悠長なことはしていられないなと思っていると、ある一ヶ所の音が明らかに違っていることに気付いた。
微妙な空洞音と壁の色の違いに確信を持ったれいなは左脚を軸にして回し蹴りを繰り出した。
ガゴンという音のあと、壁が崩れ、その奥に階段が現れた。

「ビーンゴ」
「急ごう」

階段を駆け下りていくと目の前に再び鋼鉄の扉が立ちはだかった。どうやら此処が本丸らしい。
この向こう側にだれかがいることなど明白だ。しかもひとりではないとその感覚が教えている。
此処まで来て引き下がるわけにはいかない。
3人はいちど顔を見合わせ、頷いた。れいなはぐっと扉に力を込める。
重い鋼鉄の扉がゆっくりと開いた。


扉の向こうから薬品の匂いが飛び込んできた。不快ではないが、気持ちの良いものでもない。
鼻を軽く押さえながら薄暗い室内に入る。さほど広くない室内には所狭しと見たことのない機械が並べられていた。
部屋の中心には大きなカプセルが並んでいる。照明が当たっていないそれは、培養液の中までは見えない。なにが入っているんだ、これ……。

「此処は……」

瞬間、だった。
圧倒的な不快な変化が訪れた。
なんども経験した欠落の感覚にれいなは三度頭を掻いた。

「“能力封鎖(リゾナントフォビット)”か……!」
「うーん、半分正解で半分不正解かな」

その声に慌てて拳を構えると、カプセルの陰から白衣を纏った彼女が現れた。こうして対峙するのもまた、あの日以来だ。
れいなは真正面から突っ込んだ。

「れいなっ!」

さゆみの制止は届かず、思い切り拳を振りかぶり、科学者―――紺野に振り下ろす。
しかし、彼女はひょいとそれを避け、手にしていた小型の銃の引き金を引いた。
れいなも間一髪でそれを避けるが、2発目を受ける前に柱の陰に身を顰めた。

「此処では闘いたくないんだよなー。結構高いんだよ、この機械」
「はっ。せやったらそんな物騒なもんしまえば良かやろ?」
「ホントきみは血の気が多いんだから。里沙ちゃん、ちゃんと後輩教育してよ」

話しかけられた里沙はなにも答えなかった。
鼻をつく薬品の匂いに眉を顰めながら現状を把握した。
室内にいる敵は、予想に反して彼女だけのようだ。だが、先ほどから里沙は、此処には彼女以外のだれかがいると感じていた。
此処にはひとりしかいないなんてあり得ない。そうすると、他の人間はいったい何処にいる?

そして“能力封鎖(リゾナントフォビット)”は敵の能力ではなく、機械的なもの。
恐らく科学者がつくった人工的なものだからさほど時間はもたないはず。機械さえ壊せば、能力は復活する。
ならば、先手を打つ方が有効か。

だが、戦闘員ではない科学者である彼女が此処に居るということは、この場所がなにかの研究室であることは間違いない。
充満した薬品の匂いなどを鑑みても、科学の素人3人が彼女に突っ込むのは危険か。

「最初に言っておくけどさ、このカプセルだけは壊さないでね」

里沙の思考を打ち破ったのは紺野の言葉だった。
彼女はそう言うと、なにかのスイッチを入れた。するとカプセルに照明が当たり、培養液の中がはっきりと見えた。
そして3人はその中身に言葉を失った。

「これは……」

こぽこぽと規則的に呼吸をしているそれは、恐らく、“人”だった。
膝を抱えて体を丸め、肌色の皮膚を見せ、黒くて長い髪を揺蕩わせている。呼吸器のようなものを付けて、培養液の中でも酸素を吸入できているのだろう。
だがなぜか、れいなはそれが普通の“人間”だと直感できなかった。
見た目は普通の女の子なのに、なにかが、圧倒的になにかがおかしい。
なぜだろう、何処かで彼女のことは見たこともある気がするのに、いったい、なにが違う?なにを、なにをした?

「いま培養液から出したらたぶん死んじゃうね。この子」
「まさか……またクローンを!」
「違うよ。この子は本物の人間。まあちょびっと、ココとか弄ってるけど」

そうして紺野は自分のこめかみを指した。
さらに「体内時計もちょっと早めて、あと試作品の成長剤も打ってる。外に出すには早すぎるんだよ、まだ」とつづけた。
それ以上は推測する必要もない。これは、これはただの……

「人体実験か―――!」

れいなは再び紺野に飛びかかった。
虚を突かれた彼女は僅かに引き金を引くタイミングが遅れた。
銃身を握り、ぐいと捻ると彼女は顔を歪めて銃を落とした。そのままれいなは紺野の肩を掴んで押し倒した。

「お前いい加減に……!」
「なんでそんなに怒るかなあ?このデータが取れれば凄いことが分かるんだよ?医学界だけじゃなく、科学全体の進歩が」
「ふざけんなぁ!なんで…人の、人のいのち弄んで……!」

れいなは鋭く拳を振り下ろした。
紺野の左頬を捉え、鈍い音が室内に響く。

「とにかく外に出さないと……」
「こっちのパソコンでやってみます」
「やめときなよ」

さゆみとともに彼女を救い出そうとする里沙を紺野は制した。
その口を塞いでやろうかとれいなはぐいと胸倉を掴むが、彼女は意に介さずに口元を歪めた。

「下手に弄ると自爆するよ?さっきも言ったけど、培養液から出すとホントに死んじゃうし」
「じゃあお前がなんとかせぇよ!」
「協力なんてしないよ。大切な実験材料なんだからさ」

紺野はそうして冷静にズレたメガネをかけ直した。
もういちど殴ろうと拳を振り上げたれいなだったが、メガネのノズルの部分からなにかが噴射され、目を覆った。

「っあ゛ああ!」

直後、れいなは腹部を殴られ、床にのたちうち回った。
さゆみは「れいな!」と慌てて駆け寄り彼女を抱きかかえた。どうやら催涙スプレーのようなものを目に浴びたらしい。
紺野は落ちた拳銃をさゆみではなく里沙に向けた。里沙はぴたりと動きを止め、彼女と向き合う。
同時に、強烈な破壊音が耳に届いた。

「もってあと30分かな…その前に決着付けよっか」

紺野は手にしていたなにかの装置を床に放った。
どうやらこのビルに仕掛けた爆弾の起爆装置だったらしい。すべてを壊して、闇に葬る気かと里沙は下唇を噛んだ。

「里沙ちゃんはだれも救えないよ」
「なに……」
「気付いてるでしょ、ココ、この子だけじゃなくて出来損ないとかがたくさんいるんだよ」

そう言うと紺野はまたスイッチを入れた。
照明に照らされた部屋の奥には、鋼鉄の監獄が浮かび上がった。
檻の中には首や手足を鎖に繋がれた女の子たちが何人かいた。全員服は着ているものの、素足は汚れ、みすぼらしく、その瞳は光を宿していない。

「なんで…こんなっ……!」

里沙が紺野と対峙している間、さゆみはれいなの肩を抱き、彼女らと距離を取った。
能力が使えない以上、この中で最も戦闘力の低いのはさゆみだ。れいなは素手でも闘えるが、目の見えない彼女を前線に置いてはおけない。
檻の中の彼女たちを救うには、まずれいなを紺野から最も引き離す必要がある。
入口にれいなを置き、庇うようにさゆみは前に出た。

崩落のつづくなか、ぐらりと地面が揺れる。コロコロと机上からなにかが落ち、さゆみの前に転がり出た。
紺野たちの動向に注意しながら、さゆみはそれを手に取った。
試薬品のようなものが入った小瓶だが、黒い蓋には「Corridor」とラベルが貼ってあった。
訝しげに思いながらも、さゆみはそれを捨てることなく、なぜかポケットにしまいこんだ。

「この子たち知ってる?みんな身寄りがないんだよ」
「要するに、施設から誘拐して来たんでしょ……この培養液の子も、その檻の中の子たちも!」
「そうだね。でも、この子たちはただ親がいないだけじゃない。みんななにかしらの事情で施設にも居づらい子たちなんだよ」

紺野は机上に置いてあったファイルを里沙に放り投げた。足元に落ちたそれを、銃口と引き鉄を気にしながら里沙は持ち上げる。
その間にも爆発はつづく。ぐらぐらと照明が揺れ、埃が舞った。

「検体番号183。その子は施設でもかなりひどいいじめを受けていた。友だちがいなくて自殺未遂も繰り返している」
「検体番号196。攻撃性が強くて施設の子どもたちにひどい暴力を振るい、なんども警察沙汰になってる。職員たちも手に負えない存在」
「検体番号229。養父から虐待を受け、愛情の欠乏から万引きや補導を繰り返し、自分の居場所を見失った」

ただ淡々と情報を読み上げる紺野の声が遠く聞こえる。彼女たちの抱える事情をただ漠然と知る。
いまの里沙に、そんな彼女たちに対して、なにをすることができる?

里沙は下唇を噛み、拳を握りしめた。
たとえ、どんな事情があろうとも、いのちを弄んで良い理由にはならないはずだ。
この子たちにだってシアワセになる権利はあるはずだ。身寄りがなくても、間違っていても、まだやり直せる。

「勝手に決めんなぁ!」

さゆみの肩を借りて入口に背中を預けていたれいなが目を押さえながら叫んだ。

「その子たちに罪はない……お前の勝手にされる言われもなか!」

だが科学者は相変わらず肩を竦めて小馬鹿にしたように笑ったままで動じない。

「そういえばきみも愛ちゃんに拾われたんだよね。同情?シンパシー?ああ、それとも……それこそ、共鳴ってやつかな?」

その言葉に激情したれいなは、目が見えないにもかかわらず突っ込んでいこうとした。
さゆみは慌てて羽交い絞めにしてその体を止める。

「離せさゆっ!」
「ばか!見えないくせになんでムチャばっかり……!」
「あいつ…絶対許さん!あいつだけは……あいつだけは!」

激昂するれいなを見下すように笑う紺野はゆっくりと銃口を向けた。
だが、その前にゆっくりと里沙が立ちはだかった。





2013/02/17(日)


「里沙ちゃんはもうちょっと頭の良い人間だと思ってたよ」

銃口の前に立ちはだかる里沙を見て、紺野はそう笑った。
だが、里沙は真っ直ぐに彼女を睨み付けたまま、そこから退こうとはしなかった。

「頭の悪い自分も嫌いじゃないんだよね」

里沙はちらりと培養液の中に浮かぶ“彼女”を見た。
黒くて長い髪を揺蕩わせる彼女はとても綺麗で、何処にでもいる普通の女の子だった。
たとえどんな理由があったとしても、こんな場所に、このままひとりぼっちでいさせちゃいけない。

「助けるよ、必ず―――」

里沙はそう言うと右脚を踏み出した。
瞬時に引き鉄が引かれ、右肩を貫かれるが構わずに飛び掛かった。紺野はさらにもう1発撃ちこむが、今度は避ける。
そのまま体重をかけた重みのある右ストレートを胸に打ち込む。思わず、数歩後ずさった。

「ホント、面倒くさいなぁ」

口元を拭った紺野にもう1発殴り掛かろうとした里沙は思わず躊躇した。
白衣の下、その体中に巻かれたプラスチック爆弾を見ればだれだって同じ反応を示すだろう。
さゆみは眉を顰め「うそでしょ…」と呟くが、れいなは状況が分からないままでいた。なんどか目を擦るが視力はまだ回復しない。


「あんたみたいな人が自殺するとは思えないけど?」
「じゃあ試してみる?起爆スイッチでドカン。ついでに私の心音をキャッチしてるから、私が死んでも数秒後にはドカンだよ」

里沙は紺野と対峙し、試すような会話をするが、その言葉に嘘が含まれているかは判別できなかった。
だが、彼女の瞳にはなにか並々ならぬ決意を感じた。それもまた、「科学者」たるゆえんなのだろうか。
彼女にとって、研究や科学とは、これほどに心血を注ぐ覚悟のあるものなのだろうか。

「今度は好き勝手にさせたくないんだよ。大事な実験材料を手放すくらいなら、道連れってのも面白いでしょ?」
「この子たちは死なせないって、言ったでしょ」
「じゃあ、いっしょに死んでもらおうかな、リゾナンターの皆さんにも」

紺野はそうして胸元からリモコンを取り出した。
同時に里沙は駆け寄る。
手首を掴む。捻る。スイッチはまだ手の中にある。離れない。
紺野は左拳を里沙の腹部に入れる。里沙も退かない。手を離しては、いけない。必ず助けると、誓った。

崩落は止まらない。すぐ傍に照明が落ちて割れた。
里沙はスイッチを取り上げようとすうが、相手も離さない。
もう時間がない。


「さゆみん、田中っち連れて逃げて!」
「が、ガキさんそんな!」
「リーダー命令!逃げろ!!」

その会話だけで、れいなはいま、なにが起きているかを把握した。
冗談じゃない。置いて行けるかと立ち上がろうとした彼女の腕を、さゆみは強引に引っ張った。

「さゆ!」
「これ以上いたら崩壊に巻き込まれる!」
「アホか!!ガキさんも…あの子たちも置いて逃げられるか!さゆ!!」

瞬間、さゆみの鋭い右の拳がれいなの腹部に決まった。
あまりの速度と強さに、れいなは思わず膝を折るが、それを許さずにさゆみは強引にれいなを担ぎ上階を目指した。
痛みのあまり声にならない。朦朧とする意識の中れいなは彼女の名を呼んだ。
あの日、高橋愛が離脱すると決まり、雨の中で殴り合った里沙の名を、必死に呼んだ。


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冷たい雨の中、れいなは呼び止められた。
振り返るのも億劫だったが、その肩を引っ張られ、強引に振り向く。


「戻りなさい」
「………イヤだ」

まるで聞き分けのない子どものようにれいなは首を振った。
先ほどまで愛に馬乗りになって殴りかかった里沙にだけはそんなセリフを言われたくなかった。
なにより、自分の知らない間に、愛と里沙の間で勝手に交わされていた会話も気に食わなかった。
どうしてこれ以上、リゾナンターが崩壊していかなくてはならないのか、納得できない。

「ガキさんやって納得しとらんちゃろ。だから愛ちゃん殴ったっちゃろ。せやったら、れなのことも放っとけよ」
「……放っとけない」
「なんでや!」
「愛ちゃんが田中っちに手を差し伸べて仲間になった。だから、その仲間を、もう、見捨てない」

雨が頭の上から降り注ぐ。まるでそれはシャワーのようだ。
冷たくて、痛くて、子どもで聞き分けのないれいなを小馬鹿にしているようで腹立たしかった。
正論を言う大人が嫌いだった。理論立てて話す大人が嫌いだった。割り切れない想いを抱えたれいなは、まるで子どもだ。

「……ガキさんやって、殴ったくせに」
「だから謝りに行く。田中っちも、戻ろ?」
「ひとりで戻ればよか。れなは戻らん」

れいなは駄々をこねるようにそこから動こうとはしなかった。
もう嫌なんだ。これ以上、圧倒的な理不尽という力を持って押しつぶそうとしてくる現実と向き合うのが。
なんで、あの9人のままでいられなかったのだろう。
ひとりで寂しく歩いていたれいなに手を差し伸べてくれた愛までも、此処から居なくなってしまうのだろう。
なんで、なんで、なんで、なんで!


「田中っち……」

ぐいと肩を持たれたが、れいなは勢い良く振り払った。
だが、次の瞬間、れいなの左頬は鋭い痛みを感じ、勢いそのままに雨で泥濘んだ地面に伏した。
なにが起きたのか把握したのは、里沙に胸倉を掴まれた時だった。

「いつまでも駄々こねてないで、帰るよ」
「っ……なんすっとかぁ!」

れいなは里沙のシャツを掴み返し、引き寄せた。今度は里沙が地面に伏し、れいなが見下ろす。
そのまま右拳を振り下ろした。鈍い音のあと、里沙の唇から血が溢れた。
怒りは沸点に達し、冷静でなどいられなかった。

「自分の立場分かんなさいよ……あんたもういくつよ」
「ざけんな…なんが立場か…勝手に離れるくせに」

里沙は左拳を顎にぶつける。上体を反らしたれいなの腹部に間髪入れずに殴り掛かり、距離を取った。
再び地面に伏したれいなはその顔についた泥を拭い「ガキさん……」と苦々しく呟いた。

「田中っちの護りたいものはなに?」
「はぁ?」
「私は、私はあの9人の絆とか、誇りとか、そういうのも護りたい……だけど、自分たちの双肩に課せられた多くのいのちを護りたい」

そうして胸倉を掴み、里沙はつづける。

「終わりじゃない。終わらせない。私たちがいる限り、共鳴は果てない。だから、私は謝りに行く。そして闘うの」

雨に打たれた額や髪が痛かった。
里沙の頬に伝ったのは、雨だったのか、それ以外のものだったのか、れいなには分からなかった。


どうしようもない痛みや哀しみで、現実世界は彩られている。
仲間の離脱もまた、その中のありふれた「苦悩」のひとつなのだろうか。
この世界に生きている限り、自分たちは一生、その苦しみから逃れることはできない。
その苦しみとどうにか折り合いをつけて、それでも生きていくしかないのだろうか。いまの、里沙のように。

「立ちなよ。殴りなよ。まだ2発も残ってるでしょ」

里沙はそうしてれいなを挑発した。
彼女の瞳に嘘はない。そこから溢れた想いはあまりにも大きくて、痛くて、だけど美しい。
その哀しみが静かに雨の中にこだまする。
なるほど、これもまた共鳴なのだろうかとれいなは目を閉じた。
沈黙の音が耳に触るなか、ゆっくりと立ち上がった。

「どいつもこいつも……大人やけんな……」

裏切ったのだと罵倒したにもかかわらず、れいなに笑いかけたジュンジュンは「大人」だった。
闘わないで済む方法を考え、自分のいのちが尽きそうになりながらも世界を美しいと評した絵里は「大人」だった。
そして、上層部とリゾナンターとの間で板挟みになりながらも信念を持って戦う里沙もまた「大人」だった。

それは、どうしようもない大きな流れに抗うことなく、それでも真っ直ぐに佇む大木のようだった。
信念を曲げずにいることと、感情を押し殺して理路整然と立つことは相反するものだと思っていた。
だけど、両者は何処か一致している箇所もあるのだと漸く気付いた。

「言っとくけど、私、タダじゃ殴られないから」
「はぁ?お互い3発ずつ殴ってそれでチャラやろ」
「そんな甘っちょろい考え、通用するわけないでしょ」

里沙はそうして泥を拭い、ぐっと構えた。
上等じゃないかとれいなも同じく拳を構える。
冬の雨は激しさを増す。まさかこのまま雪に変わるんじゃなかろうなと少しだけ心配になった。
れいなと里沙はほぼ同時に踏み込んだ。雷が遠くで鳴り響く。ぼんやりと、あのじゃじゃ馬だった小春のことを思い出していた。


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崩壊がつづく廃ビルを、さゆみはれいなを担いで出口まで走る。
れいなはなんども「離せ」だの「まだあの1発が…」だのと呻いているが、それを聞いてやることはできなかった。

さゆみにとって護りたいものとはなんなのだろう。
世話の焼ける小春がリゾナンターから離れたあの日から始まった崩壊を、たださゆみは黙って見ているしかなかった。
自分が無力であると、あれほど実感したことはなかった。
ただ漠然とつづいていくと信じていた日々はあっさりと崩れ去り、もう戻らない記憶としてそこに佇んだ。


「時の歩みは三重である」と言ったのはだれだっただろう。
未来はためらいつつ近づき、 現在は矢のように速く飛び去り、 過去は永久に静かに立っていると―――


さゆみは流れ出しそうになった涙を拭った。
自分にできることがこれくらいしかないのがツラい。
弱くて、足手纏いで、能力がなければなにもできない。
れいなのように先陣を斬り込むことも、里沙のようにあの子たちを助けることもできない。
ただ仲間に被害が及ばないように、この廃ビルをあとにする以外、自分に成す術はない。

478 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2013/02/17(日) 20:43:47.68 0
無力だった。
いくら自分を鍛えても、もう手遅れだった。
これ以上、これ以上自分に、なにができるというのだ。
仲間がいなくなったリゾナントで、だれを待ちつづければ良いというのだろう。


崩壊の止まらない廃ビルから数十メートルほど離れ、振り返る。
主柱を失ったそれはけたたましい音を立てて崩れ落ちていく。
その姿はさながら、いまの自分たちと何ら変わらないではないかとさゆみは思った。

「ガキさん……」

その名を呼んだ瞬間、激しい爆発音が街に響いた。
さすがに異常を感じた住民たちが通報したのか、遠くからサイレンの音が聞こえる。

地下室で爆発が起きたのだと知った瞬間、さゆみは膝を折った。
自分には泣く資格なんてないと分かっていたのに、声を上げて涙を零した。
体を丸めて痛みを堪えるれいなもまた、うわ言のように、里沙の名前を呼んでいた。