『剣と天秤』


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「……!?あんたいつからそこにおった!?何もん!?」

拭いていたカップを放り出すように置き、田中れいなは鋭い視線を店内隅のテーブル席の方へと向けた。

喫茶店のカウンターの内側に立つマスターが、席に着いた客に対して取るべき態度としては、どう考えても間違っている。
だが、“能力者”を思わせる相手がいつの間にか店内に侵入していた現状からすれば、それはしごく当然の対応だった。

「おや、驚きましたね。ただでさえ稀な事案(レアケース)だというのに」

れいなの誰何に対し、テーブル席の男は独り言のようにそう呟くと、音もなく立ち上がった。
「驚いた」という言葉とは裏腹に、その表情も口調も平淡そのもので、ますますれいなは警戒を強める。

「なん?どういう意味?っていうかあんたはどっから何しに来たと?」

再び問いを突きつけながら、正面を向いた男の顔を睨みつける。

男が身に着けた黒いスーツや黒の中折れ帽、そして黒縁の眼鏡は、どれもありふれたものだった。
顔も背格好も特徴めいたものは何もなく、目の前からいなくなれば人物像を思い描くことも困難に違いない。
だがそれでいて、忘れられないような不気味な陰気さを身に纏っているようにも感じられた。

「質問にお答えしましょう。私はいわゆる“死神”です。どこから…とは申し上げ難いのですが、此方へは勿論、仕事のために伺いました」

男の慇懃な言葉に、れいなは改めて身構え、同時に不敵な笑みを返した。

「なるほど、やっぱり懲りずにれーなのこと狙いに来た殺し屋いうことか。正面から来るいうんはよっぽど自信があるっちゃんね」

余裕の笑みの中に明確な殺気を滲ませながら、相手を慎重に値踏みする。



体型からして格闘に長けているとは到底思えず、特に武器も所持している様子はない。
しかし、あの落ち着きぶりから見て、確実に切り札を隠し持っている。
これまでのように、おそらく何らかの“能力者”であることはまず間違いないだろう。
問題は、どのような“能力”を持っているのかということだが―――

「何か勘違いをなさっておいでのようですが」

だが、れいなの言葉も殺気も、まるで男の身体を素通りするかのように平然と受け流された。
そのことで覗いたれいなの微かな困惑にも一切反応を見せず、男は淡々と言葉を継ぐ。

「私は殺し屋ではなく、先ほども申しあげました通り“死神”です。いや、それもあくまであなた方が言うところの…ということですが」
「……言っとー意味が分からん。人間やないとでもいうと?」

困惑の色を残したれいなの言葉に、男は相変わらず陰気な口調でおもしろくもなさそうに頷きを返す。

「ええ、人間ではありません。“死神”ですから」
「…死神やのに何でこうやってれーなに見えよう。そんなしょうもない嘘吐いてもバレバレやけんね」

もはや戸惑いが明らかになったれいなに対しても、男は表情一つ変えない。

「そう、本来私どもの姿はあなた方には見えません。しかし、ごく稀にいらっしゃるんです。あなたのような方が」

 “死神”は死期を間近にした人間の傍に付き添い、やがて身体から抜け出る魂を確保せねばならない。
 “死神”が付き添って後、24時間以内にその人物に死が訪れるが、それがいつどのような形でかは明確には分からない。

 過去にも、死神である自分の姿を見ることができたり、会話をしたりできる者が少数ながらいた。
 自分以外の死神とそういった話をしたことはないが、おそらく“同業者”の誰もが同じ経験を持っているだろう。

「自分の運命を悟り、残された時間でできることを探す方。受け止めきれずに錯乱される方。全く信じないまま“そのとき”を迎える方。様々でした」


感情の籠らない声でそれらを告げる男の表情もまた、見事に無感情を貫いている。
「さて、貴女はいかがでしょうね」と言わんばかりのその無表情を、れいなは再び睨みつける。

「で…?要するにあと24時間以内にれーなが死ぬって言いたいと?言っとくけどそう簡単には死なんけんね」
「いえ、それは正確ではありません。先ほど今回の件がレアケースだと申し上げたのはそのことなのですが」

そう言うと、男はスーツの懐に片手を入れた。
僅かに身構えたれいなに頓着することもなく、男は淡々とした動作で内ポケットから小さな手帳のようなものを取り出して開く。

「これもごく稀にあることなのですが、今回は2人のうちどちらか1人が死ぬことになっています」
「…2人のうち1人?なん言いようと?どういう意味っちゃん」
「私の連れ帰るべき魂が、まだ決定されていないということです。すなわち田中れいなさん、あなたか、もしくは――――」

言いかけた男の言葉を遮るように、店の入口の扉がけたたましいベルの音と共に開かれた。
そして、それ以上にけたたましいやりとりが、その直後に店内を支配する。

「たなさたーん!まーちゃんたなさたんに頼まれたものちゃんと買ってきましたー!」
「あーうっさい!声デカすぎ。っていうかちゃんと買えたのはあたしがいたおかげなんだけど。全然違うもの買おうとしてたくせに」
「くどぅーが横でごちゃごちゃ色々言うから間違えたんじゃん。まーちゃん一人だったら間違えなかったよーだ」
「はいはいはいはいそーですか、あーそうですかー。一人でもおつかいできたのにわざわざついてってすみませんでしたねー」
「うー!たなさたーん、くどぅーが意地悪ばっかり言うんですー」
「こいつは無視してくださいね、田中さん。あ、これ頼まれたやつです。お釣りも入ってます」

“非日常”の空気に支配されかけていた店内に、いつもの日常の空気が流れ込み、れいなの表情が微かに緩む。
だが、言葉こそ途切れたものの、先程までと変わらず“死神”が視界の端に佇んで“非日常”が終わったわけではないことを主張していた。

「サンキュ、工藤、佐藤。……ところでさ、変なこと聞くけど…あそこに誰かが立っとるのって…見えると?」
「え…?どこですか?」
「あの端っこのテーブル席のとこ」

“死神”を指し示しながらそう尋ねるれいなに、最初は怪訝そうにしていた工藤遥の顔が強ばりはじめる。


「ちょっと田中さん、変なこと言わないでくださいよ!冗談ですよね?」
「……見えんと?」
「見えるも見えないも誰もいないじゃないですか!そういうからかうみたいなことやめてくださいよ!」

必死の表情で言い募る遥から視線を外し、その傍らの佐藤優樹へと顔を向ける。

「佐藤は?」
「えー?誰もいないですよー?誰かいるんですか?」
「いないって!いるわけないって!だっていないじゃん!」
「もー!うるさい!まーちゃんのことうるさいって言うけどくどぅーの方がうるさいじゃん!」

賑やかな言い合いをする2人と、相変わらず陰気に佇む“死神”を見比べ、れいなは小さくため息を吐く。
そして、笑顔を作ると明るい声を出した。

「ごっめーん!ウソ。ウソだよー。ちょっと脅かしたろー思っただけやけん。工藤ビビりすぎでウケるっちゃけど」
「田中さん!ほんっとにそういう冗談やめてくださいよ!もー!」
「こわがりー。くどぅーのこわがりー」
「うるっさい!ただでさえあたしは人より変なものがよく“視”えるからそういうの余計にイヤなの!」

言い合いを続ける2人に「ごめんごめん、もうせんけん」と笑いながら謝り、学校の帰りにお遣いを引き受けてくれたことへの礼を再度述べる。
しばらく言い争いという名のじゃれ合いを重ねた後、「失礼します」「たなさたーん、またねー」という挨拶とともに、2人は再びけたたましいベルの音を響かせて店を出て行った。

出て行くときまで賑やかな2人を見送った後、この喧噪の間も表情一つ変えずずっと同じ場所に立っていた“死神”へと、れいなは再び視線を向けた。

「先ほどの話の続きですが」

それと同時に、まるで何事もなかったかのように“死神”は会話を再開する。
そして、その相変わらず感情の起伏のない平淡な声は、れいなが想像もしていなかった言葉を告げた。

「私の連れ帰るべき魂は、田中れいなさんのものか、もしくは先ほどの方――佐藤優樹さんのどちらかということになっています」
「な―――!?」


思わず絶句したれいなに対しても、“死神”はそれまでと全く変わらない表情でそこに佇む。

「ですので、まだあなたに付き添ったというわけではないのです。いわば、調査段階というところでしょうか」
「待ちーや!なん言おうと?調査ってなん!?何で佐藤まで巻き込まれんといけんと!」

やや取り乱し、矢継ぎ早にまくし立てるれいなにも、その表情が崩れることはない。

「何故と問われると私にも答えようがありませんが、佐藤さんは別に巻き込まれたわけではありません。単にあなたと同じ立場だというだけです」
「やけど……!」
「調査というのは、つまりその同じ立場にあるお二方のうち、どちらの魂を連れ帰るかを判断するためのものです」
「そんなんどうやって誰が判断すると!」
「色々と定められた判断項目を元に決めるわけですが、最終的な判断は私に一任されています。ただ―――」

そこで“死神”は一瞬の間を置く。
口を挟もうと思えば挟めたが、そうはできない何かがあった。

「折角こうしてお話しできるわけですから、あなたの意思を尊重することも可能ですね。あなたが決めてくださっても、私は一向に構いません」

その言葉に、れいなは再び言葉を失う。

「それでは、私はひとまず佐藤優樹さんの方に付いて調査を続行しておきます。どうなさるか、ご一考ください。では」
「あ、ちょ!待ちーや!」

“死神”の言葉が頭の中に染み込んでくる間の短い時間、注意がおろそかになっていた。
慌ててれいなが声を掛けたときには、既に黒いスーツの姿は店内から消えていた。

「田中さん…?どうかしたんですか?」

そのとき、突然背後から聞こえた声に、ビクリと振り返る。
そこには訝しげな表情を浮かべる譜久村聖の姿があった。


「フクちゃん……いつからそこにおったと?」

思わず険のある声と表情を向けたせいか、聖はやや怯えたように半歩下る。

「あの、今上がってきたところです……すみません遅くなって……」

半分消え入りそうな声と泣きそうな表情で、聖は手に持ったものをれいなに差し出す。
差し出されたコーヒー豆の袋を見て、ようやくれいなは聖に地下室からそれを取ってきてくれるように頼んでいたことを思い出した。

「すみません。まだお店に慣れなくて、どこに何があるかあまりわかってなくて……」
「あ、いや、違う違う。そうやないとよ。別にフクちゃんに怒っとーわけやないけん。ありがとね」

慌てて笑顔を作り、聖の持ってきてくれた袋を受け取る。
れいなの言葉にほっとしたような表情を見せた後、聖は再び首を傾げた。

「何かあったんですか?誰かいたんですか?」

聖の問いに、れいなは一瞬答えを詰まらせる。
聖に伝えるべきだろうか、“死神”のことを。“死神”が口にした言葉を。

「うん、佐藤と工藤がついさっきまでおった。学校の帰りに強力粉買ってきてくれって頼んどったけん」

だが、結局は伏せた。
現在のメンバーの中では年長であるとはいえ、まだまだキャリアは浅い。
信頼していないわけではないが、聖が共有するには問題があまりに大きい。
いたずらに心配や不安を抱かせてしまうだけだろう。
この問題を共有できるとすれば―――

「フクちゃん、ごめん。ちょっとさゆに大事な電話するけん、これ片付けとってくれん?」

先ほどまで拭いていたカップと布巾をいまだに怪訝そうな聖に渡し、れいなは携帯電話を片手に2階へと上がった。






☆☆


  §   §   §

電話に出た道重さゆみは、本題に入る前にれいなの声の調子から何かを感じ取ったらしい。
「すぐ近くまで来てるから直接話がしたい」と、いったん電話を切った。

やはり、長年連れ添った間柄だけあって、見えない絆のようなものを感じる。
さゆみがいてくれたことが、今のれいなにとっては本当にありがたかった。
そうでなければ、こんなに冷静でいられたかどうか自信がない。

ほどなく、部屋の扉が開けられ、急いで駆け付けたのだろうことが明らかな、上気した顔のさゆみの顔が覗いた。

「ごめんな、さゆ。急に」

ふと涙が込み上げそうになり、それを慌ててごまかすように笑顔を作る。
「ううん」と首を振るさゆみの不安げな顔には、笑顔は浮かばない。

「れいな、どうしたの?何かあった?」

だが、心配そうな声の中に含まれる優しさは、れいなの心を落ち着かせてくれた。
同時に、決心がはっきりと固まる。
長年の仲間への感謝の気持ちが改めて湧き上がった。

「さゆ、驚かんで聞いてほしいっちゃけど」

そう前置きし、れいなは先ほどの件をさゆみに話し出した。

“死神”が自分の前に姿を現したこと。
その姿は自分以外には見えなかったこと。
自分か優樹のどちらかが死ぬ運命にあるらしいということ。
“死神”曰く、れいながそれを決めてもいいとのこと――――



「やけんれーなは……れーなを連れてけって言おうと思っとー。次あいつに会ったとき」
「れいな……だけど……」

れいなが何を言おうとしているのかは、話の途中で察していたらしいさゆみだったが、改めてはっきりと言い切られたその言葉に苦しげな表情を作る。

「れいな一人を犠牲になんてできんよ…!」
「今度はれーなの番…ってだけ。他のみんなにはこのこと内緒にしといてくれん?」
「何か他に方法を考えよ?なんとかなるかもしれないじゃん。ううん、なるよきっと」

必死で感情を昂らせまいとしているさゆみの目には、先ほどれいなが押し殺したものが光っている。

「うん、それはれーなも考えた。でももしその間に佐藤が死んだら、れーなは自分のこと一生許せん」
「れいな……」

付き合いが長いからこそ、伝わるものがある。
れいなの決心が、もう絶対に揺らぐものではないことは、さゆみには痛いほどに分かっているはずだった。
そして、こう言えばさゆみが何も言えなくなることを、れいなはよく分かっていた。

「さゆ、あとのことはよろしく。さゆなられーながおらんでもやれるけん。だかられーなはこうやって安心して決められるとよ」

れいなが向けた笑顔の先で、さゆみの目に溜まっていたものがついに溢れ出す。
静かに涙を流すさゆみにれいなが手を伸ばしかけたとき、小さな物音がした。

「フクちゃん……」

振り向いたれいなの目に、部屋の入口で呆然と立ち尽くす聖の姿が映った。

「聞いとったと……?」
「すみません……。でも……気になって……。田中さん、ちょっと変だったし、道重さんも不安そうな顔だったし……」

先ほどに増して泣きそうな顔の聖に、れいなは首を振る。


「いいよ、もともとフクちゃんにも聞いてもらうべきやったかもしれん」

れいながいなくなったら、キャリアで言えば聖はさゆみについで2番目に長いメンバーになる。
それを改めて思い出し、れいなは真剣な目を聖に向けた。

「フクちゃん、さゆを支えてやって。これからはフクちゃんの役目やけん」
「はい、分かりました」

力強く頷きを返す聖に歩み寄り、れいなは肩を軽く叩いた。

「頼もしいやん。じゃ、下に降りよ。店放ったらかしにしとったらマズい」

そう言い、先頭に立って階段を降りる。
階段を降り切った先――店内には、再び黒いスーツの男の姿があった。

「戻って来とったと?ちょうどよかった」

さっきとは違う、落ち着いた口調で“死神”に話しかける。

「先ほどの件、ご自身で決めることにされたのですか?」

対して、“死神”は先ほどとまるで変わらない無感情な声を返す。

「れいな、そこにその…“死神”が……いるの?本当に?」
「うん、おる。つい今も喋りよーけど声も聞こえん?」
「さゆみにはまったく……フクちゃんは?」
「いえ、私も全然……」
「そっか、佐藤と工藤も見えよらんやったけん。やっぱれーなにしか見えんってことやね」

ある意味、よかったと思う。
そのおかげで、自分で選ぶことができて。


「連れてくんやったられーなを連れてけ。その代わり佐藤には指一本触れんな」

“死神”を真っ直ぐ見据えながら、はっきりとそう言う。
息を呑む気配が、背後から伝わってきた。

「よろしいのですか?」
「いい」

相変わらず感情の感じられない表情と口調で念を押す“死神”に、れいなは即答を返す。

「そうですか、そういうことでしたらそのように―――」

れいなの言葉に“死神”がそう応えかけたとき、ドアのベルが騒々しく鳴った。
続いて、静かに……しかし大勢の人間がドアから入ってくる。

「なんで……?」

先ほど家路についたはずの佐藤と工藤をはじめ、全員の顔が揃っているのを知り、れいなは呆然と視線をさまよわせた。

「すみません…!私が田中さんの話を盗み“聞き”しました。本当にごめんなさい!」

揺れ動く視線が重なった瞬間、鈴木香音が勢いよく頭を下げる。
突然の香音の謝罪の意味をれいなが理解するのと同時に、飯窪春菜がそれを庇うようにいつもに増して高い声を張り上げる。

「鈴木さんは悪くないんです。私が鈴木さんにお願いしたんです」
「まーちゃんが『田中さんの様子が何か変だった』って泣きそうな声で電話してきて…」

春菜の言葉に重ねて、石田亜佑美が訴えかけるようにしてそう続ける。
思わず優樹の方を見遣る。
優樹は、隣の遥とともにれいなに黙って視線を注いでいた。




あのとき、優樹は異変を感じているような素振りをまったく見せなかった。
だが、いつも通りに見える振る舞いの裏では、れいなのことを心配していたのだ。
優樹の精神的な成長を感じ、つい頬が緩む。

「…そっか。まあ知ってしまったことはしょうがないっちゃん。けど……運命は変えられん」

その笑みを押し殺し、れいなは素っ気なくそう言った。

日々成長している姿を再確認した今、なおさら優樹を死なせるわけにはいかない。
自分が身を挺して守ってやらなければならないと、改めて強く思った。

「運命?そんなの田中さんらしくないですよ」
「なん…?」

思わぬ言葉を投げかけられ、れいなはその声の主に目をやる。
そこには、強い意志を感じさせる目をした鞘師里保の姿があった。

「確かにそんな言い方れーならしくないかもしれん。けど、こうするしかなかろうが」

優樹の方を見ないようにしながらそう返す言葉には、知らず腹立ちが混じった。
運命などという都合のいい言葉を盾に自分の言動を正当化することは、自分自身好きではない。
だが、そうとでも言わなければ、優樹は―――

「うちらはいつまでも守ってもらう立場でいたくない!田中さんたちと肩を並べたいっちゃん!一緒に戦いったいちゃん!えりたちのことそんなに信じられんと!?」
「……!」

そのとき、れいなの腹立ちとは比べものにならないくらいの怒気を含んだ生田衣梨奈の声が響いた。
執り成すように腕を掴む香音の手を払い除け、れいなを睨みつける。

「いや、信じとらんいうわけじゃないけど……」


その迫力にたじろぎながら、れいなが返すべき言葉を探したとき、それまで黙っていた“死神”が口を挟んだ。

「どうします?先ほどの言葉は撤回して私に一任されますか?」

激情の塊のような衣梨奈とは対照的に無機質な“死神”の声に、れいなの感情が引き戻される。

「撤回なんてせん。あんたはさっきれーなが言った通りにすればいい」

里保や衣梨奈の強い視線、かけられた激しい言葉を引き剥がすように、れいなは“死神”へと体を向けた。
そして自分の決定を変えるつもりがないことを、“死神”とともに暗にこの場の全員に告げる。

「田中さん、そこに“死神”が見えるんですね?そしてたった今、“死神”は田中さんに何か話してたんですね?」
「おる。さっきからずっと。で、今喋っとった」

“死神”の返答より早く背後から聞こえた里保の問いに、背中を向けたまま短く答える。

「……いえ、いません。田中さん、“死神”なんて……そこにはいません」
「はぁ?なん言いよう?」

思わず再び振り返る。
そこには、先ほどと同じく強い光を湛えた里保の目があった。

「鞘師には見えんし聞こえんだけやん。実際に目の前におる言うとろーが」

自分に見えないからといって勝手に「いない」と断言するその態度にカチンとくる。
その感情を反映して、日頃であれば怯ませたかもしれないかなり不機嫌な声が出たが、里保は一歩も退かなかった。

「はい、私には見えないし聞こえません。はるなんの“五感共鳴”で田中さんの視覚と聴覚に繋いでもらった―――目でも耳でも」
「―――っ!?」

思わず視線を動かした先で、春菜が小さく頷いた。






☆☆☆


「どういう…こと?」

思考が混乱する。

れいなにしか見えない“死神”。
れいなにだけは見える“死神”。
でも、れいなの視覚を通したはずの里保には見えない“死神”―――

「いないんです、田中さん。“死神”なんて存在しない。田中さんだって最初はバカバカしいと思って信じなかったでしょう?」
「確かにそれはそうっちゃけど……」

自分はどうしてその存在を受け入れたのだろう。
いつの間に完全に受け入れてしまったのだろう。

確かに目の前にいるのに、自分以外に誰も見えなかったからだろうか。
いや、それもあるが……多分一番重要なのはそこではない―――

「“死神”は、田中さん自身と優樹ちゃん、2人の命を天秤にかけてみせることで、その選択だけに田中さんの思考を向けさせた。田中さんの性格を利用したんです」

そう、そうだ。
れいな自身の魂をどうこうという話だけであれば、きっと鼻で笑っていられた。
だが、自分か優樹のどちらか片方だけが死ぬと言われたことで動揺し、そこから先はそれ以外のことを考えられなかったことに、今さらながら気付く。
“死神”の存在自体に疑問を抱くことを、それ以降まったくしなかったことに。

「田中さんの視覚を繋いでもらった私に見えない……ということは、田中さんの目にも本当は映っていないってことです。“死神”なんて存在しないんです、最初から」
「やけど……」

里保の言うことは分かる。
改めて考えると、“死神”の存在をこうも無抵抗に受け入れてしまった自分が腹立たしくさえある。
だが、里保の目には映っていなくとも、自分にはこうしている今も実際に見えているという歴然たる事実が―――



「“死神”はいません。でも、“死神”を作り出した“犯人”はいます。この中に」
「―――ッ!」

驚きが突き抜けた。
それこそ、“死神”に死を宣告されたときの比ではなかった。

「…香音ちゃん、どうだった?」

言葉を失うれいなから一旦視線を外し、里保は香音を振り返る。

「いたよ。今の里保ちゃんの言葉を聞いて、顔ではうまく演技してたけど、心臓が“嘘つきの音”を鳴らした人」
「そっか。思ってた人だった?」
「うん」

どこか、込み上げる怒りを必死で押し殺したようなトーンで為される2人の会話は、れいなでさえ口を挟めない空気を持っていた。

「視覚を共有しているはずなのに、片方には見えて片方には見えない。…なら、答えは一つです。田中さんは視覚を通して見てないんです」

れいなに視線を戻し、里保は話を続ける。

「視覚を通して見てない?どういうこと?」
「脳が錯覚を起こしてるってことです。『見えている』『聞こえている』って」
「脳が?……それって!?」
「そうです。“精神干渉”です」

再びの衝撃とともに、懐かしい顔が一瞬れいなの頭に浮かぶ。
だが、今はもうこの場にはいないその人物が――新垣里沙が“犯人”であるわけはない。
だとするならば―――

「香音ちゃんが心臓の音をはっきり“聞”いてる。言い逃れはできないよ―――フクちゃん」



再びれいなから外れた里保の視線が、後ろに立つ聖へと一直線に向けられる。
里保のものだけではなく、全員の視線がその青ざめた顔に突き刺さっていた。

思えば、“死神”がれいなの前に現れた際には、2度とも近くに聖がいた。
最初のときも、“死神”が去った後に初めて来た振りをして、実はずっとすぐ背後にいたのかもしれない―――

「違う…違うよ……!私じゃない!確かに新垣さんの“精神干渉”は“複写”して持ってるけど……でも!私がそんなことするはずないじゃん!」

動揺と怒りと困惑と恐怖と……様々な感情が入り混じった表情で必死に抗弁する聖の反応は、れいなにはごく自然のもののように見えた。
少なくとも“犯人”らしさは感じられない。

だが、れいなよりずっと日頃の付き合いが深いはずの里保の目は、揺るぎない怒りを込めて聖を貫いている。

「心臓の音だって、『この中に犯人がいる』なんて急に言われたからびっくりして―――」
「それはただの最後の決め手。疑いの一番の理由は、心臓の音でも“精神干渉”のことでもない」
「え……?」
「田中さんが『自分を犠牲にする』って言ったとき、まったく逆らわなかったよね?それを当然のように受け入れた。ただ一人だけ」

そういえばそうだったと、また今さらのように思い至る。
同時に、ここにいるのは「物わかりよく諦める」なんてことが苦手な人間の集まりだったことを思い出す。
これまでの自分たちや、今はもうここにはいない仲間たちもまたそうであったように。

れいな一人を犠牲にはできない、何か方法を考えよう、と食い下がったさゆみ。
「運命」なんて言葉を使ってあきらめるのはれいならしくない、と強く言い切った里保。
そして、自分たちはいつまでも守られる立場でいたくない、と真っ直ぐな怒気を向けた衣梨奈の言葉を支える全員の表情。

誰一人、仕方のないことだなどとすぐに素直に受け入れたりはしなかった。
ただ一人を除いて―――

「それは……でも、それは、田中さんの思いを無駄にしないように――――」
「ッッざけんなあぁぁぁぁぁッッッ!!!!!!!」


聖が抗弁しかける言葉を遮り、凄まじい怒声が鳴り響いた。
店内のガラスが、食器が、そして鼓膜が、ビリビリと振動する。

反射的に片耳を抑えながら、呆気にとられた視線を声の主に向ける。
れいなに食ってかかる衣梨奈を執り成していた姿からは想像もつかない……というよりも、いつもの姿からは想像もつかない香音の姿がそこにはあった。

「待って、待ってよ香音ちゃん。私は―――」
「いい加減にしろてめぇ!!それ以上その口で喋るなッ!!聖ちゃんの姿で!声で!喋んなぁッッッ!!!」


 ――――ッッ!!!?


三度、衝撃に貫かれる。

同時に、腑に落ちた。
衣梨奈が、里保が、れいなに対する日頃の遠慮を忘れるくらいに、湧き上がる怒りを抑えられないでいた理由が。
冷静に見えながら、その実、これまでにないほどに香音が激昂していたそのわけが。

「聖はそんなこと言わん!絶対に言わん!」
「姿はフクちゃんでも、うちらには分かる。お前はフクちゃんじゃない」
「返せッ!聖ちゃんを返せよッッ!!」

れいなにとってさゆみが特別な存在であるように――3人にとって、聖はきっと同じ存在だろう。
それを侮辱されたときに生じる怒りの強さは、察するに余りあった。

「……どうやらさすがにもう無理ね」

ガラリと、“聖”の声の調子が変わった。
それに合わせ、表情も酷薄な薄笑いを浮かべた、普段の聖からはかけ離れたものになる。
同時に、ずっとれいなの“視界”の中にあった黒いスーツの男は、忽然とその姿を消した。






☆☆☆☆


「“憑依能力”……じゃろ?」

里保の問いかけに、“聖”は楽しそうな頷きを返す。

「そこまで見破られたか。ふふっ、そうよ、この子の精神を乗っ取ったの。能力ごとね」
「フクちゃんは“どこ”におる」

おそらくは煮えくり返りそうな思いでいっぱいだろう中、それでも里保は静かに問いを重ねる。

「そりゃもちろん“ここ”にいるわ。真っ暗な隅っこの方に閉じ込められて、今頃怖くて淋しくて泣いてるんじゃないかな。可哀想」

こめかみ辺りを人差し指で突きながら、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる“聖”に、里保は強く唇を噛んだ。
だが、それも一瞬のことで、すぐに冷静な表情に戻った里保は、香音を振り返る。

「香音ちゃん、今の言葉に嘘は?」
「嘘の“音”はしなかった。事実だよ」
「そっか。えりぽんわかった?フクちゃんも中にいるんだって」
「分かっとーっちゃん」

素早く交錯させた視線が、揃って“聖”に向かう。

「まさか何かする気かしら?言うまでもないけど、これは本物の譜久村聖ちゃんの体よ?もしも傷つけたり殺したりしたら、聖ちゃんが―――」
「優樹ちゃん!」
「はいっ!」

“聖”の言葉の途中、衣梨奈が優樹を振り返った。
返事とともに素早く駆け寄った優樹が、衣梨奈の腕を掴む。

「ッッ!?」



次の瞬間、衣梨奈と優樹の姿は、“聖”のすぐ目の前に“移動”していた。
間髪を入れず、伸ばされた衣梨奈の手が“聖”の喉元を掴む。

「聖から…出てけぇぇぇっ!!!!」
「なっ!?……があぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」

“聖”の絶叫とともに、何かが“焼”けるような音が聞こえたような気がした。
力が抜け、崩れ落ちる聖の体を、れいなはさゆみと一緒に慌てて支える。

「“視”えた……!こいつか!ここから50mくらいのとこにいる!はるなん!視覚を繋いで!」
「うん!」

時を同じくして、虚空に視線を漂わせた遥が、春菜に合図を出す。

「あゆみん、繋ぐよ?お願い!」
「分かった!こいつかっ……!」

言葉と同時に、亜佑美の体が残像を残して消える。
ドアのベルが激しく鳴り――そしてそれが鳴り終わる頃には、一人の女の首根っこを捕まえて再び立っていた。

「…お前か。フクちゃんを乗っ取ってたのは」

床に突き倒された女に、怒気をはらんだ里保の言葉が投げ下ろされる。

「ひっ……こんな……!話が…話が違う…!田中以外は取るに足らないって……」
「てめぇの事情なんて知るか!」
「許さんけんね!お前は絶対許さん!」

再びブチ切れた香音と衣梨奈の声がそこに重なり、女は必死で床を這いずる。



「聞いてない……!こんなこと…!こんなはずぅひぃぃぃ……っぐげッ!」
「逃げんな!」

腹這いのままドアに向かおうとする女の前に春菜と亜佑美が立ち塞がり、背中を遥が踏みつける。

「覚悟できてんだろうね」
「ただでは済まさんけんね」

潰された蛙のように床に這いつくばる女の周囲を、7つの怒りが囲んだ。

「ひぃ……ぁ……………」

自分を見下ろす14の目の恐怖に耐えきれなくなったのか、女は泡を吹いて意識を手放した。

「…気絶した」
「今のうちにえりがこいつの精神完全に“焼”き切って、再起不能にしてやるっちゃん!」

怒りが収まらない様子の衣梨奈が、女に向かって手を伸ばす。

「待って…!」

そのとき、れいなのすぐ傍で声がした。

「田中さん、道重さん、ありがとうございます。もう大丈夫です。すみません」

全員の視線が集まった先で、聖は肩を貸していたれいなとさゆみに頭を下げる。
そして、衣梨奈たちの方に顔を向けた。

「みんな……ごめんね、私がしっかりしてなかったから……。でも、ありがとう。嬉しかった。みんなのしてくれたこと、言ってくれたこと……全部見えてたし聞こえてたよ」

再び頭を下げた後、聖はそう言って笑みを浮かべた。


「聖……おかえり!」
「おかえり」「おかえり聖ちゃん!」「おかえりなさい!」

怒りの感情に張り詰めていた空気が緩み、全員の顔に笑顔が戻ってくる。

「田中さん……本当にすみませんでした。とんでもない迷惑をかけてしまって……」

皆に「ただいま」と恥ずかしげに応えると、聖は再びれいなを振り返って謝罪する。

「いや、うん、まあ……気にせんで。よかったやん、無事で」

深々と頭を下げる聖に対し、れいなは気まずい笑顔を返した。

事態が一応の解決を見た今、急激に恥ずかしい思いが込み上げてくる。
“死神”に振り回され、すっかり醜態をさらしてしまった。

そもそも、いもしない“死神”に大騒ぎしてしまったことが恥ずかしい。
そのせいで、さゆみに普段なら照れて口には出せないようなことを言ってしまったりしたこともそうだ。
自己犠牲を口にしたことを、後輩たちに責められたこともきまりが悪い。
そしてなにより―――

「れーなはもういいけん、それよりあっちにもっかいちゃんとお礼言っとかんと。今回のは全部あの子らのおかげやもん」

決して後輩たちを信頼していないわけではなかった。
だが、やはりどこか自分が「守ってやっている」という感覚が無意識にあった。
れいな自身ははっきりそう意識していたわけではなかったが、「守られている」側は日頃からそれを感じて、もどかしい思いをしていたのだろう。
衣梨奈が激情とともにれいなに向けたあの言葉は、きっと全員の思いを代表したものであったのに違いない。

「はい!」

居心地の悪そうなれいなの言葉に嬉しそうに笑って頷き――聖は7人の方を振り返った。


  §   §   §

「いつの間にか……成長しとるんやね、みんな」

さゆみと2人きりになった部屋の中、れいなはコーヒーの入ったカップを抱えたまま、独り言のように呟く。

あの後――憑依能力者の女は、今度は聖自身の意志の下に行使された“精神干渉”によって記憶を消され、ついでに“憑依能力”の記憶も消されて放逐された。
最終的な判断こそれいなとさゆみに求めてきたが、それらはすべて聖を中心に自分たちで案を出し、話し合って決めていた。

自分がいなくなっても大丈夫と口では言いながら、正直やはり不安な気持ちがれいなの中にはあった。
だが、本当に大丈夫かもしれないと今回の件で心から思った。

それはもちろん嬉しいことではあったが、反面どこか寂しいような気もする。

「うん、そうだね。でも……あの子たちにはまだまだれいなが必要だって。危なっかしいもん」

れいなの内心を見透かしたように、カップから立ち昇る湯気の向こうでさゆみが微笑む。

「そうっちゃろか……」
「そうだよ。生田がれいなに食ってかかってるとこ見て、昔のれいな思い出したもん」
「なん…!?それどういう意味よ!」
「そのまんまの意味やん。『愛ちゃんはれーなたちのことがそんなに信じれんとっとっとー!』って激怒してたじゃん」
「とが多いわ!いや、そんなこともあったっちゃけどさ。やけどそれとこれとは……」

そう言いながらも、確かに同じかもしれないなと思った。
いつも自分だけで抱え込もうとする高橋愛に、怒りを込めてそう詰め寄ったことがあったのを懐かしく思い出す。
あのときの自分が抱いていた気持ちは……きっと今の衣梨奈たちの気持ちだろうし、その逆もおそらく。

「ねえ、気付いてた?ちょうど10年……経ったんだよ。さゆみとれいなが出会ってから」

一瞬訪れた沈黙の後、さゆみが感慨深げにそう言った。


「そっか。もうそんなになるんっちゃね」

れいなもまた、しみじみとその事実を噛み締める。
その間、色んなことがあった。
本当に色んなことが。

「さっき、あの子たちにはまだまだれいなが必要って言ったけどさ、さゆみにもまだまだれいなが必要だよ」

追憶に浸るれいなの意識に、そんなさゆみの言葉がするりと滑り込んでくる。

「今だから言えるけどさ、ほんとはさゆみが一番パニック起こしそうだったよ」
「ちょw何言っとー。ダメやんしっかりせな」
「それだけれいなのこと、頼りにしてるってことだよ。これからもさゆみのことよろしく」
「こっちもなにげにさゆのこと頼っとーけん。こちらこそよろしく」

互いに照れながら、普段は改めて口にしない台詞を交わし合う。

少し赤くなった顔をごまかそうと、無意識にカップを口に持っていく。
その動作が、同じく頬を赤らめたさゆみと重なり、思わず2人で笑い合う。


とんだ“記念日”になってしまったが……絆や信頼、そして後輩たちの成長を改めて感じることができた日になったと思えば、ありかもしれない。


少し特別な夜は、少し特別な空気の中、静かに更けていった。







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