『約束の場所』


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



朝から冷たい雨が降りつづいていた。
恵みの雨とはよく言ったものだが、今日は傷口が傷むため、あまり好きではない。
自分のことは「晴れ女」だと自負しているのに、どうしてこういう日に限って雨なのだろうとぼんやり思う。
気温が下がり、吐く息も白くなる。傘を持つ手がかじかむが、大股でそこへと歩く。

「寒すぎっ……」

そうして愚痴を吐いてみたが、だれも応える相手はいない。ひとりなのだから、当然と言えば当然の結果なのだけれど。
ただし、ひとりなのか、一人なのか、独りなのか、分からないけれど。
ああ、なんだかバカバカしい。今日はせっかくの誕生日だというのに、どうしてこんな気分になるのだろう。
いや、誕生日だからこそ、こんな気持ちを携えるのだろうか。

本日12月23は日本国の象徴である天皇の誕生日だった。
正直、今上天皇には会ったことも話したことも、まして見たこともないから、その存在の大きさとか偉大さなんて分からない。
とはいえ蔑にする気もないし、彼の存在自体は、なんとなく、日本という国を存続させるうえで必要なものなのだろうなとは理解している。
まあ国政も天皇の継承にも興味はないし、右翼でも左翼でもない自分が語れることなんて、これくらいしかないのだけれど。

さっきからなにを考えているのだろう。
こんなことを心に描きながらこんな場所に辿り着くつもりはなかったのだが。これもまた、「今日」という日がそうさせるのだろうか。

そのとき、ぼたっと傘に雨粒が落ちてきた。
いままでとは少し違った音と感触に眉を潜めて顔を上げると、その意味に気付いた。
雨はとうに霙へと形を変えていた。霙というべきか、もはや氷雨という方が正しいのかもしれない。
思わず傘から手を伸ばしてみた。氷雨は綺麗に手の平に舞い降りて、溶けた。

「つめたっ…」

雨は夜更け過ぎに雪へと変わる。なんて名曲が世間では流行っている。
現実は、それほどお洒落ではないけれど、こんな誕生日も悪くないかと思いながら丘を登った。
頭を垂れた草をじゃくっと踏みしめ、痛む膝を押さえて一歩、また一歩と頂上へと近づく。
寒いせいか、傷が痛むせいか、吐息が短くなり、間隔を空けずに白く世界を染めていく。
だが、歩みを止めることはなく、一気に丘の頂上まで登りきった。

「はぁ……」

膝を押さえ、息を整える。やっぱり動くにはまだ早すぎただろうかなんて苦笑しながらゆっくりと体を起こし、丘から街を見渡した。
「約束の場所」なんてカッコ良く言い切ってしまうのは照れ臭いけど、それは嘘ではない。
梅雨晴れのあの日、隣町までも見渡せるこの丘の上で3人は祈った。ただ優しい想いを届けようと、静かに祈った。
それが、3人が交わした最初の約束だった―――

そっと目を閉じる。心に何人もの笑顔と、涙が浮かんだ。
濡れて体が冷えてしまうことも厭わずに、傘を投げ捨てて両手を広げた。
氷雨が頭に、顔に、肩に、脚に、そして心に染み込んでいく。
叩かれているような、傷付けられているような、そんな感覚を残しながら頬を伝う氷雨は、何処か心地良かった。
もっと、もっと、もっと殴ってほしい。それで世界が崩壊を止めるのならば、希望の光が現れるのであれば、いくらでも甘んじたい。
まだ、まだこのままで、終わりたくない。この牙を、折りたくはなかった。


―――だいじょうぶだよ


瞬間、そんな声が聞こえてた。優しくて甘くて、なにもかもを赦してくれるようなその声に目を開ける。
相変わらず雨は降りつづき、やむ気配すら見せない。冬の雨は長引きそうだとぼんやり思った。
だが、雨が一瞬だけ途絶えた。止んだのではない、自分の周囲半径数メートルの空間でだけ、消滅したのだ。
ああ、これは彼女が近くにいるのだなと察し、ゆっくりと振り返った。果たしてそこに、彼女は立っていた。

「田中さん―――」
「……なんで、此処が分かったと?」

名を呼ばれた直後、なにか聞かれる前に先に訊ねた。
彼女は困ったように頭を掻いたあと、傘を閉じた。雨が消滅しているために、濡れることはない。だが、それも長く続く保証はない。

「フクちゃんから聞きました。此処に居るんじゃないかなって」
「なんでフクちゃんが…?」
「フクちゃんは、亀井さんのこと、たくさん、道重さんから聞いてましたから」


ああ、なるほどねと納得した。聖は絵里のことを尊敬しているため、さゆみから色々と情報を仕入れているのだろう。
ある意味でそれは過剰な敬愛かもしれないが、それもまあ悪くはないかな、なんて思ってしまう。

「風邪、引きますよ?」
「鞘師にしては上手く操れとーっちゃない?雨、ちゃんと避けられとーやん」

彼女―――鞘師里保の言葉に応えることなく、能力のことを持ち出した。
里保の有した能力―――“水限定念動力(アクアキネシス)”のおかげで、自分たちの周囲数メートルから雨を除外している。
不器用で不自然に曲がった雨であるが、リゾナンター加入2年目の彼女にしては充分な能力の作用だ。

「傷だって塞がってないじゃないですか。早く戻りましょう」
「アハッ。気付いとったっちゃ」
「昨日の今日ですよ。いくら“治癒能力(ヒーリング)”や“能力複写(リプロデュスエディション)”で回復させたとはいえ、無茶しすぎです」

ごもっともな指摘をする里保に肩を竦めた。
昨日12月22日、ダークネスからの急襲を受け、リゾナンターはその大半が大怪我を負った。
先鋒に立ったれいなもまた、当然のように傷を受け、特に脚の骨はぐちゃぐちゃに砕けていた。
さゆみや聖の能力のおかげで致命傷は免れたものの、本来ならば立つことすらままならないはずだった。

「鞘師も、結構痛そうやけど?」
「私のことはどうでも良いんです。いまは田中さんの方が心配です」
「血、滲んどぉけど?」

れいなの言葉に里保は眉を顰め頭部に巻いた包帯に手をかけた。
額から微かに血が滲んでいることを確認したが、巻き直すことはせずに一歩れいなへと近づいた。
れいなもまたそれを拒否することはなく、ふたりは並んで街を見下ろした。クリスマス前日、浮足立った人々の笑顔が所々に見える。


「……すみませんでした」

里保は唐突にそう言葉を吐いた。
なにに対する謝罪なのかが分からずに眉を顰めると、里保は苦々しく「昨日…」と言葉を吐く。

「役に立てないどころか、足手まといになって…」
「別に鞘師だけのせいやないやろ。それを言うなら、れなもさゆも総崩れやったし」
「それと……此処に、来てしまって」

ふたつ目に紡がれた言葉にれいなは返す言葉を失くした。
クスッと笑って肩を竦め、「能力、閉じて良かよ」と呟いた。だが、放った傘を持ち直すことはしなかった。
とはいえ傷ついた体で能力を開放するにはもう限界だった里保は、素直にそのチカラを納めた。
消滅していた雨は息を吹き返した。ぼたぼたとれいなと、そして里保の上に降り続ける。

「さゆはどうしとった?」
「亀井さんの傍にいました。今日は誕生日だからって……田中さんは傍に居なくて良いんですか?」
「別にれながおっても、絵里が目覚めるわけやないし」

そうして自嘲気味に笑ったが、里保はなにも返さなかった。ただ黙って、れいなの瞳を真っ直ぐに見つめている。
その眼差しが、冬なのに熱くて、困ったように肩を竦めて逃げた。こうして逃げつづけることが、成長してない証拠なんだろうなと自覚する。
里保は黙って投げ捨てられたれいなの傘を拾い、れいなに渡す。が、彼女は首を振って受け取らなかった。


手持無沙汰になった里保は、それをどうしようか逡巡し、ひょいと勢いよく放り投げた。
放物線を描いて空に舞い上がった傘をぼんやりと目で追っていると、里保の姿が視界から消えた。
唐突な出来事に眉を顰めるが、背後にその気配を感じ、慌てて振り返る。
里保は手にしていた傘を鋭く突き出す。れいなも間一髪でそれを避け、がら空きになった腹部に拳を突き出す。

「――――――」

雨の音と沈黙が残る。
拳は腹部を捉えることはなく、その手前で止まった。

「此処で闘いたくはないっちゃけど……」

その言葉を聞いた里保はもう一度改めてれいなを見つめた。
今度は彼女も、その瞳から逃げようとはせずに、黙って里保を見つめ返した。
里保は目を伏せて頷き、れいなから距離を取った。沈黙の音が支配する中、深く息を吐く。白の吐息が宙に浮かんだ。
里保は傘を差し、れいなにひょいと翳した。それを避けるほどの力は、れいなには残っていなかった。ひとつの傘に小さなふたりはすっぽり収まる。
もういちど息を吐いたあと、囁くほどの小声で、里保は云った。

「私にはまだ、想いを届けるほどの強さはありません」
「うん」
「でも、でも、だから、大切なものを護るくらいの強さは、身につけます」

静かな、とても静かな闘志だった。
氷雨に濡れたコートの袖口から見える包帯には、真っ赤に血が滲んでいる。痛々しいが、それはさながら、彼女の意志にも見えた。
れいなも同じように、膝に巻いた包帯は血をたっぷり吸い、もはやその用途を成していない。
それでもまだ、ふたりはこの場所に立っている。

「だから、田中さん、信じて下さい―――」

そのとき、冬の風が静かに吹いた。前髪を揺らして何処かに走り去った風は、どんな想いを携えているのだろう。
凍えるような今日、彼女は生まれた。宇宙の片隅のちっぽけなこの星のちっぽけな街で、その産声を上げた。
生まれながら病を抱えながらも、闘いという日々に巻き込まれ、それでも彼女はシアワセを祈った。
大切な仲間。かけがえのない大切な人。
さゆみとともに、この場所で3人は祈った。ただ静かな夜と輝く朝を迎えられるように、世界中にその想いを届けられるように。

「弱気な田中さんは、似合いませんよ」
「余計なお世話っちゃ」

里保の軽口にれいなは濡れた前髪をかき上げた。

「すみません。特別な場所だって分かってたのに」
「いや、良かよ。なんか、鞘師らしいやり方やったけん」

そうしてれいなは肩を竦めて笑った。自嘲的ではない笑みは、どこか子どもっぽさを残していて里保もまたホッとする。
弱くて、情けなくて、闇に怯えて斃れそうになったとき、脚はすでに此処に向いていた。今日が彼女の誕生日だから、という理由もあったけれど。
此処に来れば、過去を思い出して、その約束に奮い立つ気がするから。
だけど今日はそれだけじゃなかった。生意気な後輩による荒療治は、意外と功を奏したようだ。
ムチャクチャで、後先考えているのか思慮深いのか未だに掴めない里保のやり方も、嫌いじゃない。

「帰りましょう。みんな心配してます」

里保はそうして笑い、「完全に傷口開いちゃいましたね」と自分の頭部を押さえた。
そんな彼女を見ながら、随分と無茶なことをする後輩だと改めて思った。
いくられいなを奮起させるためとはいえ、昨日あれ程の襲撃を受け、全身の骨が砕けかかったというのに、里保はれいなに食って掛かってきた。
此処までその脚で歩き、能力までも開放し、殴り飛ばされることも厭わずに。


れいなはふと、思った。
もしかしたら、そうなのかもしれない。

「鞘師」

静かに、その名前を呼んだ。
里保はきょとんとして振り返る。
その目は先ほどとはまるで違い、小動物のように可愛く思った。

「信じとーよ、さゆも、絵里も。そして、鞘師のことも」

あの3人で交わした最初の約束。
それが果たして叶えられるのか、想いを届けるほどの強さがあるのか、れいなには分からなかった。そんな自信もなかった。
昨日の敵襲、崩壊しつつあったリゾナント、あの頃の仲間はもう、さゆみしかいない。そんな状態で、なにを信じていれば良いのだと。

だけど、だけど、どうしてか、今日は信じたくなった。
その牙は決して折れることはない。
たとえこの骨が砕かれても、此処にれいながいる限り、その信念を受け継いだ共鳴者たちがいる限り、想いは途絶えずに繋がっていく。

「はい」

深く、深く、その言葉を噛みしめるように里保は頷いた。
その笑顔を見て、きっと約束は終わらないのだと、れいなは確信した。


夜は静かに更けていく。
いつの間にか降り続いていた氷雨はついに雪へと変わり、街を白く染めていった。