『未来からの暗殺者―――WIND at the TIME』


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眼鏡を外してぐっと伸びをする。
機械と向き合うのは、余計な会話をしなくて済むので嫌いではない。が、疲れるのは対人と同じだと思う。
すっかり冷えた珈琲を片手に立ち上がると、タイミング良く人が入ってきた。

「ちょっとさー、なんかイイのないの?」

挨拶もなしに私に向かってそう言い放つこの人は、昔から苦手だ。
口には出さないけれど態度には出ているだろうので、彼女もそれは分かっているのかもしれない。

「イイの、と言いますと?」
「アイツらを一発でやつけられるような武器とかさ!そーゆーの開発すんのがお前の役目じゃん!」

小さいくせによく喚く人だ。しかも声が大きくてうるさい。私の役目はそんなものじゃありませんと反論するのも面倒なので黙っておく。
インスタント珈琲を新たにカップに注ぎ、椅子に座る。お目当てのものを探すフリをする。当然、ないのだけれど。

「でも、武器があってもいま行くのは危険かもしれませんよ?」
「なんで?」
「ここ数ヶ月で彼女たちは急成長してます。単独で乗り込むのは自殺行為かと」

私がそう言うと、彼女はドンと勢いよく机を叩いた。

「私が負けるって…?」
「違います。最近の彼女たちの動向を見る限り、成長が著しく、ハッキリ言って、だれが単独で向かっても同じ結果になります」

私の分析が気に食わないのか、彼女は苦虫を噛み潰したような顔を向ける。

だが、この分析には自信があった。
リゾナンター結成当時を知る人間は、もはや道重さゆみと田中れいなしかいない。残り8人は新人であり、おおよそ戦力とは呼べるものではなかった。
しかし、それはあくまでも数ヶ月前の話であり、過去のものだ。
いまの彼女たちの急成長は目を見張るものがある。油断してかかれば、死も避けられない。

そう考えると、先日、彼女が生きて帰ってこれたのはある意味で奇蹟だったのかもしれない。
先日彼女はリゾナンターと対峙した。相手は確か、佐藤優樹と工藤遥だと報告書には記載があった。
最初こそ優勢であったものの、途中から現れたれいなとさゆみの前に敗北、逃亡したようだ。
だから余計に、彼女は焦っているのかもしれないけれど。

「とにかくなんかないの?!」

なんか、と言われてもなあと私は頭を掻いた。
そう都合良くホイホイと武器が開発できれば苦労はしない。こちらの苦労も分かってほしいものだとパソコンを弄り始めた。

「そういえば、この前言ってたやつは?」
「この前……?」
「ほら。タイムマシンだよ」

半笑いの彼女を見て思い出した。2ヶ月ほど前、私がこの研究室にいるときに彼女は「なにつくってんの?」と聞いてきた。
だから私は素直に答えたのだ。「タイムマシン」だと。
思い切り彼女は笑い飛ばしていたから、ムッとしたのをいまでも覚えている。屈辱と言えば屈辱だった。それもまた、言わないけれど。

「できてますよ」

そうさらりと答えると彼女は勢いよく「は?!」と返した。
だから私はもういちど、今度は先ほどよりもはっきりと答えた。

「完成してますよ、タイムマシン」

その言葉は嘘ではない。実際にそれは完成していた。
私の言うことが俄かには信じられないのか、また小馬鹿にしたように笑う彼女がいる。
2ヶ月前にも言ったのだが、タイムマシンは理論上では製作可能なのだ。いままで存在しなかったのは、倫理的な問題が大きく絡んでいるだけだ。
もしくは実際には存在しているのかもしれないが、その存在が公にならない理由は、“修正力”のせいだと私は睨んでいる。確証はないけれど。

「どこにあんのさ?」

珈琲を飲む手を止めた。
人と会話中に思考に走るのは良くないなと立ち上がる。白衣の皺が目立った。そろそろ替えがほしい。
研究室の壁に設置されたボタンを押すと、奥の扉がゆっくりと開く。そこに、それはあった。

「実用型の航時機、通称タイムマシンですよ」

私の言葉に彼女は声を失った。
果たして彼女は、これが本物であるかどうかは分からないはずだが、物々しい空気を醸し出していることくらい分かるはずだ。
時間と空間の両方を超える箱舟だ。それくらいの風格がなくては困るのだが。

「……使えんの?」
「残念ながら過去にしか行けません。私の力では5年前までが限度でした」

これはほんの少しだけ、嘘が混じっている。
未来に行くことも一応は可能なのだが、問題は、現代の科学力では、片道タイムマシンにしかならない。未来へ行ったっきり、戻って来れなくなる。
それは非常にまずいので、「未来へは行けない」と断定しておく必要がある。
また、10年以上前の過去へ行っても、戻れなくなる可能性が高くなるので、5年と安全策を取る必要があった。
随分と限定的なものではあるのだが、時空を超えるというのは、それほどの力を必要とするのかと納得させられた。

「へー……」

彼女は感心しているのか、それとも疑っているのか分からないが、その機械を見つめた。
別にこれが完成したところで、私はあまり嬉しくなかった。この人を見返したかったのは事実だが、此処に戻れなくては意味がない。
もっと確実に、何千何万年の時空を超えて現在へ戻れる機械を作りたい。それにはあまりにも、私と科学が無力なのだけれど。

「じゃーさ、使って良い?」
「……」
「試乗したんでしょ?じゃ私が使っても良いじゃん」

それは強引でムチャクチャなロジックだとは思うが、使う分には構わない。
彼女はこの機械を信じたと見て良いのだろうか。まあ、どっちでも良いやと私は眼鏡をかけ直した。

「いつに行きたいんですか?」
「そーだなー。5年前まででしょ?微妙だなー」

いつの時代に行くかを考えている彼女をよそに、私は機械の点検を始める。
彼女はただ過去に行きたいだけのような気がするが、そんな理由でこの機械を動かすのは納得できない。
いちどに使うエネルギー量は飛行機やロケットの比ではない。しかも時間を遡れば遡るほどに、その量は多くなる。
貴重な往復分のエネルギー量を無駄には使いたくないと思っていると、彼女は「そーだ!」と言った。

「2年前の冬とかは?場所はー……」

場所はよく聞き取れなかったが、とりあえず私は航時機のパネルを確認する。
2年前だと使用するエネルギー量は多少は減るのでありがたい。しかし、なぜその時期なのだ?

「あの時期って、あいつら人数減って新人が入るか入らないかって揉めてたじゃん」
「その新人を叩くと?」
「てか入る前の新人をぶっ潰すよ。鞘師だっけ?あいつがいまの主戦力だけど、入る前ならド素人じゃん」

考え方がこの人らしい、と私は思った。
確かに限定的な過去にしか行けない時点で闘い方は決まってくるのだが、それをはっきり言い切るところが、この人だ。
だけど、と思う。
果たしてそれが可能かどうかは、微妙だった。

「行くのは構いませんけど、相手を殺せるかは分かりませんよ」
「はぁ?相手はガキだよ?なんの能力もないし余裕じゃん」
「そうじゃないです。歴史を変えるというのは、あなたが思っている以上に困難で凄まじいことなんです」

私が“修正力”の話をしようとしたときには、既に彼女は機械に乗り込んでいた。
人の話を聞こうとしない彼女に言っても無駄かと肩を落とし、「これだけは覚えておいて下さい」と口を出す。

「タイムリミットは3時間です。それ以上経つと戻れなくなります」
「はぁ?そんな制約もあんの?」
「あくまでもこれは限定的な航時機なんです。それまでに戻ってきてください。操作はパネルに従えば簡単ですから」
「はいはい」

彼女はそう言うと目をキラキラとさせて画面を操作する。
本当に分かっているのか甚だ疑問だが、もう私はなにも言わずに機械から離れた。時の波に呑まれては敵わない。

「じゃ、行ってくるよー!」

その声のあと、機械が光りを帯びてきた。私は慌てて眼鏡を外し、サングラスをかけ直す。
時流がぼんやりと見え、航時機の周囲の時空が歪んでいるのが分かる。別のモニターを見ながら、エネルギー量を確認する。
小声で「take off」と呟くと、光が世界を満たし、直後に激しい耳鳴りが襲い掛かってきた。
数秒後、いままで目の前に存在していた機械は、彼女とともに忽然と姿を消した。どうやら無事に「飛んだ」らしい。

「へー。行かせたんだ」

その声に振り返ると、そこには「氷の魔女」とリゾナンターには呼ばれている彼女が立っていた。
私は肩を竦め「はい」と答えると、彼女は「なんで?」と返した。

「良いの?“修正力”の話、してないんじゃん?」
「……あくまでも仮定の話ですから」
「でもさ、私は結構あり得ると思うんだよね、“歴史の修正力”ってやつ」

彼女はそう言って椅子に座り、いままで航時機があった空間を見た。

「実際どうなるかは、あの人の口から聞けば良いことですから」
「フフ、それもそっか。楽しみだね、帰ってくるの。帰って来れたら、の話だけど」

そうして彼女は笑ってくるりと椅子を回転させた。
果たして、歴史は何処まで彼女の行動を赦すのか、私自身、興味があった。

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「里保っ、里保ー!」

友人の声に私はハッと目を覚ました。
どうやらまた眠っていたらしい。目をごしごしと擦り「ごめん、なに?」と聞くと、彼女は深くため息をついた。

「授業終わってるよ、帰ろ」
「え。うそ?」

外はもう真っ暗だった。時計を見ると現在18時37分。うわー、また寝すぎたと立ち上がる。
塾に来て勉強しているのになにやってるんだろと落ち込んだのも束の間、「里保、最近だいじょうぶ?」と友人に聞かれた。

「また変な夢見た?」
「んー…うん。まあ……」

椅子に掛けていたコートを羽織り、鞄を持って友人と並んで教室をあとにした。
外へ出ると冬特有の空っ風が身に突き刺さり、マフラーで顔を隠す。これだから冬は苦手だ。

「大したことじゃないよ」
「いや、大したことだって。暗闇に里保が独りでいて、『求めよ』なんて言うんでしょ?」

友人の言葉に私は曖昧に笑った。
私がその夢を見始めたのは1ヶ月ほど前のことだった。
夢の中の私は暗闇に独りで佇んでいた。それは妙にリアルな夢で、哀しいとか冷たいとか、そういう感覚も分かるものだった。
暗闇を歩き続けるが出口はなく、私は途方に暮れて下を向き、泣き出しそうになる。そんなとき、決まって呼ぶ声がするのだ。


―――光を求めよ。そのチカラを解き放て。己を信じよ


だれの声か、よく分からずに私が顔を上げると、闇は崩壊し、光が射し込んだ。
あまりの眩しさに目を細めると、そこにはだれかが立っている。先日漸く人数を数えられたが、全部で9人だった。
しかし不思議なことに、5人は真っ直ぐにこちらを見ているが、4人は背を向けつつ、微かに振り返っていた。
その瞳がなにを語っているのかは分からない。真ん中に立った人がこちらに手を伸ばしていたが、私が取ろうとするといつも目が覚める。

「求めよ、なんて数学かっつーの」

彼女の言葉にまた私は笑う。
確かに、あの夢の言葉がなにを意味しているのか、そして9人の女性たちがだれなのか、私には分からない。
そこであれ?と思い、そしてハッとする。今日の夢でまた分かったことがあった。あの9人は皆、女性なのだ。
だが結局、情報はそれだけで真実は分からない。予知夢、なんていうものを私は信じないけれど、なぜかあの夢を見ると、決まって祖父の言葉を思い出す。


―――光在るところに闇は在る。だが、闇在るところに必ず光も在る


晩年、祖父はよく私にそう言い聞かせていた。
床の間に飾ってある日本刀をゆっくりと鞘から引き抜き、その刀身をじっと睨みつける姿は、いつもの優しい祖父からは考えられないものだった。
なぜ祖父がそんな話をするのか、私には分からなかった。そして、この夢を見るたびに祖父の言葉を思い出す理由も、分からなかった。

「じゃ、また明日ね里保!」
「あ、うん。ありがとね、心配してくれて」
「いいっていいって。じゃあ、ちゃんと寝るんだよー」

いつの間に分かれ道に来ていたのか、彼女は私に手を振って背を向けた。
随分心配をかけてしまっているのだなと反省しつつ、私も帰路へ着く。
それにしても、寒い。冬は嫌いだ。寒いのは嫌いだ。でも10日後にやって来るクリスマスは好きだ。矛盾だ。良いや。
思考までも凍らないように、私はそうして無駄なことを考えつつ歩く。

そのまま人気のない路地裏に入った瞬間だった。
自分の遥か上空に、なにかイヤなものを感じた。とてつもなくイヤなその感じに背筋は凍り、思わず立ち止まって見上げる。
暗闇が広がる夜の空から、それは降ってきた。
思わず身を引くと、それは私のほんの数メートル先に着地した。

「みーっけ!やっぱあいつ凄いな、ホントに飛んできたんじゃん!」

声の主が“それ”だと気付いたのはそのときだった。高さから判別するに、女性だろう。
随分と体の小さい女性だが、なぜか、彼女の発するオーラは圧倒的なもので、思わずもう一歩引く。
というか、何処から落ちてきた?

「鞘師里保だよね?そーだよね!時間ないから本題いくね!」

実に楽しそうに、まるでマシンガンのように言葉を発する彼女に再び一歩引いた。
自分の心にずかずかと土足で入ってくるような人はどうも苦手だ。だが、この人はそれ以上に苦手だ。
なにか、判断はできないけれど、とてつもなくイヤな“なにか”を感じる。直感が教える。この人は、普通ではないと。
実際、何処からか落ちてきている時点で、普通ではないのだけれど。

「鞘師里保!いま此処で死ね!」

ああ、やっぱり普通じゃない、なんて冷静に思ってる場合じゃなくなったのは、その人が明らかに拳銃を手にしていたからだ。
そしてそれを、迷うことなく私に向けていたからだ。

気付いたときには駆け出していた。
まるで運動会の短距離走、審判のスタートの合図を聞いた直後のように、その人に背を向けて走り出した。
後ろから声が追い駆けてくる。ヤバい、ヤバい、ヤバい。逃げろ、逃げろ、逃げろ!

「待てこらぁ!」

甲高い声が夜の閑静な住宅街に響く。もう寝ている家庭も多いだろうのにごめんなさい。
え。てかあの人だれ?なんで追われてんの私?なんで名前知ってたの?あの拳銃本物?映画の撮影?なに?人違い?
思考を必死に走らせるけれど、答えは出てこない。ただ、その人は迷うことなく私を追い駆けてきた。たぶん、只事ではない。
私は速度を落とさずに振り返る。彼女は薄ら笑いを浮かべながら拳銃を構えた。
撃たれると瞬間的に確信した直後、「ぱん」と高い音が響いた。間髪入れずに地面が抉れる。銃弾が突き刺さったのだと気付き、ぞわぞわと悪寒が走る。
目を見開き、必死に走る。長い髪とマフラーが揺れる。
右に曲がり、大通りに出た。もうすぐ19時とはいえ、師走の平日、まだ人は多い。週の真ん中だからか、コートを着込んだサラリーマンが目立った。

「な、なんなのあれ……」

人混みの中、私はゆっくりと速度を落とした。息を整えると同時に、散乱した思考を必死に整理する。
あの人はだれだ?なぜ私を撃った?なぜ私の名前を知っていた?
出てくる疑問の柱はこの3本だ。いちばん知るべき情報は、真ん中の「なぜ撃ったか」というものだ。
いままで12年間生きてきて、人にそこそこの迷惑はかけてきたかもしれないが、命を狙われる理由はない。

「だーめだよ逃げちゃ」

思考が止まったのは、目の前に彼女が現れたからだ。
人混みの数メートル先で、金髪の短い髪を揺らした彼女は銃を構えた。
撃つのか?此処で?と思ったが、気付いたときには左へと駆け出していた。
直後、銃声が鳴り、悲鳴が聞こえた。撃ったのだと、理解する。振り返らず、私は走る。

「きゅ、救急車!」
「どうした?」
「え、なに、なにがあった?」
「うるさいねー、あれ」

様々な声が聞こえてくるのを無視して、走る。
撃ったんだ。あの人混みで。私じゃない人を。関係ないのに。

「鞘師が逃げたからだよ?」

すぐ後ろからの声に振り返る。既に彼女は1メートル後ろまで迫っていて、銃口を向けていた。
撃たれるのが怖くて、私は反射的に鞄を投げつけた。

「うわっ!?」

見事にそれは彼女にヒットし、私はまた走る。
離れよう。此処じゃ人が多すぎる。これ以上だれかを巻き込んではいけないと、私は変な正義感を覚えていた。

「クソガキぃ!!」

声が遠くなるが、どうせすぐに追いつかれる。いまはとにかく、逃げるしかない。
逃げてどうする?どうするのが正解だ?警察に行くべきか?なんて説明する?拳銃を持った金髪チビ女が撃ってきますとでも?

「どうしよう……どうしよう……」

暗い路地裏を、必死に走り抜ける。
なにをするべきか、何処へ行くべきか、なにも妙案が思い浮かばない。それどころか最悪の結末が頭をよぎる。
必死にだいじょうぶだと言い聞かせようとするが、全く効果はない。脚が震える。寒さのせいではない。
圧倒的な死の恐怖に怯える。どうしてこんな目に遭うのだ?ドッキリなのか?ああ、そうか。同級生の仕掛けたドッキリなのだ。
何処かでカメラを回して私が怖がる様子を録画してからかっているのだ。そうだ、そうだ、そうに違いない……

「そうだよね……?」

私はゆっくりと速度を落とし、立ち止まった。膝に手をついて息を整える。震える体をぎゅうと抱きしめながらズルズルと蹲った。
肯定してくれる人はだれもいない。否定するだけの材料は大量にある。どうすべきか、分からない。イヤだ。怖い。泣きたい。帰りたい。


―――光を求めよ


そのときまた、声がした。私は顔を上げる。これもまた、夢なのだろうかと思うが、目の前にはあの9人はいない。
現実なのか夢なのか、ハッキリとした確証は得られなかったが、私は立ち上がり、また走り出す。


―――光在るところに闇は在る。だが、闇在るところに必ず光も在る


祖父の言葉が頭をよぎる。もし仮に、あの9人が光だとすれば、私を追いかけるあの女の人は闇なのだろうか。
随分と勝手な憶測だけれど、あの9人から感じる不思議な温かさを、私は直感的に「光」だと認識していた。
光の射す方に彼女たちはいた。その瞳は見えなかったけれど、何処となく、笑っていた気がした。
彼女たちは何者なのだろう?私を追い駆け回すあの人と関係があるのだろうか。

「何処だー!さっさと出て来ーい!」

声がまた聞こえた。今度は現実の声で私は振り返らずに速度を上げた。

「出て来ないと所構わず撃つぞ!」

一瞬だけ、振り返りたくなる欲望が顔を出したが、必死に堪える。往来で銃を放った彼女だ。恐らく嘘ではあるまい。だが、止まるわけにはいかない。
膝と心臓が痛み悲鳴を上げるが、なんとか抑えこんで走り続けると、いつの間にか学校まで来ていた。
ほとんどなにも考えずにフェンスを攀じ登る。マフラーが引っかかって邪魔だった。もう寒くはないが、落とすとバレるので噛んで登る。
フェンスを越え、グラウンドに着地し、また走る。夜の校舎は不気味だが、文句を言う場合ではない。
なぜ袋小路ともいえる此処に逃げ込んだのかと自問し、なにか武器があるはずだと自答する。

「闘う気かよ……」

私は思わず口をついた。私はどうやら、銃を持った相手に対決を挑む気らしい。
勝てる見込みもない闘いなのになと苦笑しながら玄関を開けようとする。が、開かない。当然と言えば当然だ。戸締りしていない学校なんてない。
考えている暇はない。私は迂回し、武道場を目指す。

「さーやーしぃ!」

声の主がグラウンドまで来たようだ。武道場の扉を開けようとする。が、此処も閉まっている。
此処になら木刀や竹刀があると踏んでいたのにと下唇を噛むが、すぐ傍にあったゴミ捨て場に目をやる。
古びたデッキブラシを手に取り、ブラシの部分を取り外した。ないよりマシだと柄をくるくると振り回す。

「見つけたぁ!」

女が、来た。
私は迷うことなく、すぐさま左脚で踏み込んだ。

「うわぁぁぁ!!」

気合を入れるように、恐怖を振り払うように、私は叫び、デッキブラシの柄を振り翳した。
まさか向かってくると思っていなかったのか、虚を突かれた彼女は一瞬だけ躊躇する。私は迷わずに振り下ろした。
彼女が反射的に避ける。しかし、柄はしっかりと左肩を捉えていた。一本、とは言えないが、悪くはない一撃だった。

「な、に、すんだよぉ!」

彼女が右脚を蹴り上げてきたので、私は距離を取る。
間合いを取りつつ、柄の切っ先を上げ、息を整える。心臓が走って落ち着かない。短く吐かれた息が重い。肩が大きく上下する。

「生意気だなぁー…大人しく殺されろっつーの」

痛むのか、殴られた左肩を押さえながら女は言った。

「なんで、私を、狙うんですか?」
「はぁ?決まってんじゃん……って、お前はまだ知らないか。とにかくさぁ、邪魔なの。ウチらにとって」

女はやれやれと言わんばかりに両手を広げて話す。

「お前が此処で死ねばそれでいーの。私も時間ないからさ。さっさと死んでよ」
「嫌です。り、理由も分かんないのに、殺されるなんて…」
「あー……面倒だな。んじゃ理由言えば死んでくれる?」

冗談じゃない。まだやりたいこともたくさんあるのに。
全国のご当地サイダーを飲み歩くとか、好きなものを思い切り食べるとか、恋とか、やりたいことは山積みなのに。
だが、彼女の頭には私を殺すことしか頭にないようだ。

「あのね、鞘師。鞘師は未来に害を及ぼす悪党なの。分かる?世界を滅ぼす存在なの。だから私が未来から来たの。オッケー?」

彼女の口から出た言葉に私は眉を顰める。
拳銃なんて非現実的なものを見たあとだったから、ある程度のものは受け入れられると思ったが、全くその言葉は受け入れられない。
なにを言っているのだ?私が世界を滅ぼす存在?未来から来た?なんの話だ?

「キャハハ!ビビってんじゃんうけるー!」
「……嘘、なんですね」
「半分はねー。まあ死んじゃうのに教えてもしょうがないじゃん」

半分、ということは半分ホントなの?嘘でしょ?なんて思っても仕方ない。
問題は銃からどう逃げるかということだ。弾の速度なんて知らないけれど、引き鉄を引いた直後に避けてもたぶん当たってしまう。
かと言って背中を向けては撃って下さいと言っているようなもので、やはり、撃たれる前にこちらから仕掛けるべきだろうか。
ああ、もう考えてる暇ない。さっき一撃当たったんだし、行くのが筋でしょ。

「勝てる、とか思ってる?」

私が踏み込もうとした直前に言葉が発せられ、直後、私の体は数メートル後退した。
というよりも、吹き飛ばされた。
感じたことのない風圧が、私の体を押し戻していた。

「ってぇ!」
「キャハハハ!無様だねー!」

背中を武道場の扉に打ち付けた。
目を開くと、木の葉が舞っていることに気付く。漫画なんかでよく見る光景だ。いよいよこれが現実か疑わしくなる。
だが、女が私の腹部を思い切り蹴り上げたことで生じたその痛みは本物だった。

「ねえねえ、痛い?痛い?」

もういちど、蹴り上げる。あまりの痛みに赤子のように体を丸めた。
だが女はやめようとはせず、再び蹴った。二度、三度、四度と踏み付けられる。痛みが全身を襲うが、動けない。

「すっげー気持ちいい!だっせー!キャハハハ!」

女はひとしきり私の体を蹴ったあと、しゃがみ込んだ。
痛みに襲われながら息を吐くと、ぐいと髪を引っ張り上げられた。強制的に女と目が合う。
実に楽しそうに笑う女だ。とにかく、腹が立つ。恐怖よりそれが先行する。しかし、睨み返すだけの気力しかなかった。

「怖い?ねえ、怖い?怖いよねー。死んじゃうんだよもうすぐ!」

女は左手で私の髪を掴んだまま、顎に拳銃をぐりぐりと押し付けた。地味に痛い。ムカつく。

「どうする?まずは右腕撃っちゃう?そいで次は左腕ね。そして右脚って順々に撃ってあげるよ」

ニヤニヤと笑う女は勝利を確信しているようだ。
私は黙って睨み返しながら祖父、いや、「師範」の言葉を反芻する。
剣道には「乾坤一擲」という言葉がある。最後のその瞬間まで、生を諦めてはならない。

「じゃあ、撃っちゃ―――!?」

瞬間、私は握っていたデッキブラシの柄を女の脇腹に突き立てた。
油断しきっていた女の顔が苦痛に歪み、髪を掴んでいた手が緩む。
この機を逃さずに私は悲鳴を上げる体に耳を塞ぎ、再び柄を振り下ろした。

「ぐはっ!」

ほぼ同じ箇所にもう一撃を喰らわせたあと、デッキブラシは折れた。次の武器を探す暇はない。私はまた走り出す。

「こ……クソガキ死ねぇ!!」

銃声のあと、私の右脹脛に熱と痛みが同時に襲ってきた。撃ち抜かれたのだと気付いたが立ち止まることなく私は走る。
とはいえその状態で長く走れるはずもなく、再び無様に地に伏した。指先を必死に動かして生きようとする。
全身を痛みが駆け巡るなか、両腕に力を込め、地面を這うとフェンスに突き当たった。鼻を掠めた塩素の匂いにプールだと気付く。さすがにこのフェンスはもう登れない。

「随分舐めてくれた……ねぇ!」
「ごふっ!」

半分に折れた柄を脇腹に突き立てられた。内臓が破裂したのか喉を血がせり上がってきて吐いた。

「もう遊びはここまでだよ」

女は真っ直ぐに私に銃を向けた。先を失くした柄を、私はそれでも離さない。これを振り回したところで、相手に届くことはないけれど。
ああ、さすがにもう無理だと、私は死を悟った。武器は壊れ、体力もなく、相手は銃を持っている。勝ち目はもうない。死ぬしかない。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。死んでしまう―――



―――光を求めよ


そこでまた声がした。
光?光ってなんだよ?あなただれなの?私は死ぬの?ねえ、だれ?だれか…
ねえ、ねえ、だれか―――


―――光を求めよ。そのチカラを解き放て。己を信じよ


信じる、か。そういえば「師範」も言ってたね。最後は信念だと。人の想いが時代を動かすのだと。
ああ、もう……

「……たくない……」
「え?なんだって?」

小声で呟く声を女が聞き返す。別にお前に言ったわけじゃない。だけど私は呟いた。
聞こえようが聞こえまいがどうでも良い。笑われたっていいや。その笑い声は不快だけどさ。やっぱこれが、私の本心だから。


「―――死にたくない!」


女の笑い声が降ってくるだろうと覚悟した。が、女は笑わない。
なぜだろう?と思いながら目を開けると、女はあらぬ方向を見ていた。正確に言えば、私の後方、ちょうど、プールの方だ。


「な……なんで……?」

なにが?と聞き返そうとしたが声にはならない。
私がもういちど、まるで呪文のように「死にたくない」と呟くと、女はじりっと後退した。
瞬間、女のそのすぐ左になにかが勢いよく突き刺さった。撥ね返り、頬に付着したそれは、水だった。え、水?なんで?

「だって、まだ……」

なにに女が怯えているのか私には理解できなかった。
私は無意識のうちに強く柄を握りしめると、再び地面に突き刺さる。女は慌てて避けた。また撥ね返る。それは、水。
なんで水?と思いながらも、痛む腹を押さえフェンスを掴み、ゆっくりと体を起こす。

「な、なんで使えるんだ?」

使える?なにを?

「水……なんで水が……」

水?と私は猛烈に鼻を突いた塩素の匂いに誘われるように振り返る。
先ほどよりも強くなったそれの正体が分かったとき、私は目を見開いた。
半年以上使用されずに濁りきったプールの水はもはや緑色だった。
そんな緑の水が高々と立っていた。そう、文字通り、立っていたのだ。まるで竜巻のように円柱を模っている。

「あ、あ、あ……在り得ない……うわあああ!!」

女は狂乱したように水に向かって銃を放った。だが、所詮相手は水。弾は通過するだけに終わる。
そのうち弾が切れたのか、ガキンという金属音のあと、引き鉄は止まった。だが女の震えは止まらない。

私はただぼんやりと水の円柱を見ていた。どういうわけか、私にはこの水を「動かせる」と確信していた。
恐怖も驚愕もしない。どうしてだろう。なんだか、優しい感じがする。

「水―――」

私はひとつ呟くと、瞬間に、小さいころに海で溺れた記憶が甦り、洪水のように脳を駆け巡った。
深く海に沈み、死の深淵に包まれる中、私は“なにか”に押されるように、水面に戻された。
どうしてそれを思い出したのか、分からない。だが、円柱を模ったプールの水は、不思議と怖くないことだけは理解していた。

私は女を見据える。女はびくっと肩を震わせた。
黙って柄を握り直す。距離も、長さも、圧倒的に足りないのに、私は構えた。
ゆっくりと振り上げる。剣道の基本動作、中段の構えから上段の構えへの意向。
女は「ひいいっ!」と逃げる。背を向けて走り出すが私は追わない。そのまま一気に振り下ろした。

瞬間、水が、走った。
水砲とも呼ぶべきそれは真っ直ぐに女に向かって突き刺さる。そのまま女を勢いよく押し流し、地面に伏せさせた。塩素の匂いが鼻をつく。
一気に押し寄せた疲労に私はズルズルと跪いた。

「はぁっ……はぁっ……はっ」

肩で息をしながら振り返る。既に円柱の水はなく、ただのプールに戻っていた。
次に女に攻撃する際には別の武器が必要だった。だが、もう立ち上がる気力はない。この折れたブラシだけでなんとかするしかない。
私がそんなことを考えていると女がゆっくりと立ち上がろうとしていた。
まずい、まだ体力が回復してないのに…と考えているときだった。女の体がゆっくりと光り始めた。

「え……?」

突然のことに私は眉を顰めるが、それは女も同じようだった。
光り始めた体を見ながら「なんで?ねえなんで?!まだ勝負はついてない!」とだれかに叫んでいる。
だが、そのだれかは答えない。大きな衝撃波のあと、女の体はそのまま消滅した。グラウンドが一部陥没している。

なにが起きたのか、全く理解できなかった。
なぜ女が急に消えたのか?なぜ光を帯びたのか?いや、そんなことよりも……

「なんで……水が……?」

私はもういちど振り返ろうとするがそんな力はもうなかった。そのまま無様に地面に伏す。
短く息を吐きながら、未だに血が流れる脚をぼんやりと見た。痛みはないが、痺れている。
いまさらになって体が震えてきた。相当怖かったようだ。それは当然なのだけれど。
このまま死ぬのだろうか、なんて思ったところで私はゆっくりと首を振って、もういちど、強く叫んだ。

「死にたくないっ―――!」

そのとき、冬の風が吹いた。
冷たい風を覚悟したのに、肌を撫でたのは優しくて温かい風だった。
春を思わせるような心地良い南風は、私の全身を包み込む。そのまま私は目を閉じ、深く深く、闇の中に落ちて行った。


 -------

「里保っ、里保ー!」

友人の声に私はハッと目を覚ました。
どうやらまた眠っていたらしい。目をごしごしと擦り「ごめん、なに?」と聞くと、彼女は深くため息をついた。

「授業終わってるよ、帰ろ」
「え。うそ?」

外はもう真っ暗だった。時計を見ると現在21時47分。うわー、また寝すぎたと立ち上がる。
塾に来て勉強しているのになにやってるんだろと落ち込んだのも束の間、「里保、最近だいじょうぶ?」と友人に聞かれた。

「また変な夢見た?」
「んー…うん。まあ……」

椅子に掛けていたコートを羽織り、鞄を持って友人と並んで教室をあとにした。
外へ出ると冬特有の空っ風が身に突き刺さり、マフラーで顔を隠す。これだから冬は苦手だ。

「大したことじゃないよ」
「いや、大したことだって。暗闇に里保が独りでいて、『求めよ』なんて言うんでしょ?」

友人の言葉に私は曖昧に笑ったが、あれ?となにかが引っかかった。
いや、確かにその夢も見たのだけれど、なにか他の夢も見ていた気がする。
もっと怖くて、だけど優しい夢を見たような……なんだろう?思い出せない。

「求めよ、なんて数学かっつーの」

彼女の言葉にまた私は笑う。
まあ良いや。夢は夢だ。現実ではない。私は冬の風を感じながら友人とふたりで夜の街を歩き出した。
コートの襟を立てると、どういうわけか、プール特有の塩素の匂いが微かに香った気がした。

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「危なかったですよ、あと少しで帰れないところでした」

私がそう言いつつ手当てをしようとすると、彼女はその手を振り払って叫んだ。

「なんだよ!2年前に飛んだんじゃないの?!なんであいつ……“水限定念動力(アクアキネシス)”使えるんだよ!」

私も正直驚いた。
彼女の行動はこっそり忍ばせていた盗聴器とカメラで監視していたため、彼女の行った2年前でなにが起きたかは把握している。
しかし、想定外だった。まさか鞘師里保が己の能力を解放できたとは……

「ま、それが“歴史の修正力”ってやつじゃないの?」
「はぁ?なに言ってんの?」

その場にいた氷の魔女の軽口に彼女は噛みつく。ここで喧嘩に発展されると面倒だったので私は口を挟んだ。

「“歴史の修正力”―――つまり、タイムパラドックスを防ぐために及ぼす歴史の力ですよ」
「……なによ、それ」

ひとつ息を吐いて、私はホワイトボードに文字を書いて説明を始めた。

「簡単に言うとこういうことです」

「私」という存在が此処に居るのは、私の両親が私を産んだからである。
では、過去に行き、私の両親が私を産む前に死んでしまったら?私という存在は、存在しなくなる。それが、タイムパラドックス。
しかし、歴史とはそう容易いものではない。
積み重ねられてきた過去のブロックは、そう簡単に“存在”を消すことを赦さない。

理論的に、航時機は存在可能な代物なのに、なぜ存在しない、もしくはその存在が隠匿されているか。
それは、航時機が存在したとしても、歴史に影響を及ぼすほどの大きな力にはならないから。ただ歴史を傍観する以外に方法がないからだと私は考えている。
航時機を利用し、たとえば戦国武将、織田信長を本能寺の変から救出しようとすると、豊臣秀吉は天下を統一せず、その後の歴史に大きな変化をもたらす。
だが、1582年から航時機を使用する今日まで積み重ねてきた500年以上の歴史はその崩壊を赦さない。
ブロックを崩すことなく元に戻す方法、それが“歴史の修正力”だ。

「歴史はそう簡単に、変わることを赦さないんですよ」
「……じゃあ、鞘師が能力を使えたのは偶然ってこと?」
「恐らくそうでしょう。鞘師里保が死ねば、いまのリゾナンターは存在しない。それを歴史は赦さなかった、ということですかね」
「でも、あいつがいま能力使えたらそれこそ歴史が…」
「だから、“時の風”が吹くんですよ」

“歴史の修正力”は確かに絶大なものだ。その修正によって起こった歪をただす力、それを“時の風”と私は呼んでいる。
恐らく、いまの鞘師里保、正確に言えば2年前の鞘師里保は、彼女に襲われた記憶はもう持っていない。
自分の能力が解放されたのは、リゾナンターに入ってからだと鞘師里保は考えているはずだ。
それに伴って、今回の一件に深く関係した人間の記憶も改竄されているだろう。今日の出来事は、あの時代ではなかったことになっている。

「“時の風”に吹かれることで、その記憶を消し、日常に戻るんです。これで歴史にはなんの影響も持たない」
「……それ知ってて私を行かせたの?!」
「歴史の力を侮らない方が良いとは言いましたよ。でも、能力が解放されるなんて想像は尽きませんでしたけど」

私の言葉に彼女はまた苦虫を噛み潰したような顔をする。
氷の魔女は私の後ろで笑いをこらえているが、その口角は上がっているので恐らくバレているだろう。
それも気に食わないのか、彼女は頭を掻き毟り、痛む体のまま研究室を出て行った。

「つかこっちからも操作できんだね」

彼女が出て行ったのを確認してから、氷の魔女は私の捜査していたモニターを見た。

「万が一、戻って来れなくなると困りますから……」

私はひとつ息を吐いて航時機の点検を始めた。
しかし、“歴史の修正力”も“時の風”も恐ろしいものだ。あっさりと鞘師里保の能力を解放させた。
この分だと、航時機が一般化するのなんて本当に夢のまた夢なのだろうなと私はぼんやり思った。

「大事なんだねー、あんな奴のことが」

彼女はそうして皮肉を言ったので、私は振り返らずに答えた。

「大事なのは、タイムマシンの方ですよ。2年前に置き去りにしたら、“歴史の修正力”のせいで壊れちゃいますから」

私の返答に彼女はとうとう堪えられなくなったのか、手を叩いて笑った。