(74) 104 名無し募集中。。。(2012・10・20 birth)


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その日の夕方、彼女は自室でパソコンの画面と向かい合っていた。
真っ白な画面を見ながら、書き込むべき文章を推敲するが全然思い浮かんでこない。
溜息を吐いた彼女は気分転換とばかり充電用のポートに載せていたスマフォを手に取った。
メールアプリを立ち上げると受信ボックスには数日前に受信した誕生日のお祝いメールが並んでいる。

直接会ってお祝いを言えないことを詫びるメール。
次はいつ店に顔を出すのかを尋ねるメール。
彼女の平生の心遣いを感謝するメール。
その多くが10月20日の午前0時を期して送信されてきたが、中には午前8時8分丁度に受信したものもある。

<<…覚えてますよ。 いま新垣さんが生まれた時間です>>

彼女は苦笑する。
そして自分にお祝いメールを送ってきたみんなの顔ぶれを一人一人思い描いてみる。

 …バカな子たちだ。 新垣里沙という名前が私の本当の名前じゃないということを知ったら、この子たちどんな顔をするんだろう

新垣里沙。 それはスパイとして養成された名のない少女に組織が与えた偽りの人格。
実在の人物に成りすますよりも、架空の人格を作り出したほうが露顕の可能性が少ない。
特に戸籍の電子化が進んだ今日では、架空の人格を公的なデータベースに潜り込ませる方が低コストで済むという事情から生まれたのが新垣里沙という人格だ。
姓名、生年月日、出身地。 すべてがありきたりだが、そこには一片の真実も存在しない。
無能力者の両親の間に生まれ、能力者である彼女を怪物を見るような目で見る両親を彼女の方から捨てたというプロフィールも作ったものだ。
潜入要員として育成されてきた彼女が、ある日上司に手渡された用箋に書かれていた4つの文字。
彼女にとって新垣里沙という名前はそれだけの意味しか持たない。

 …全くあのリーダーは人がいいというか、気が抜けているというか

彼女が潜入調査している対象は能力者のグループだ。
少女たちを含む若い女性たちの能力者集団の動向を調査し、一人一人の能力の発現の状況を記録し報告するのが彼女に与えられた任務だ。
そしてそのグループのリーダーは強力な精神感応のチカラを持つ。
もしリーダーがリーダーとして仲間を守る責任を果たすなら、仲間の精神の襞まで読んで自分たちに害意を持つ者の潜入を防ぐことに務めるべきだが、そのリーダーは安易に仲間の心に触れようとはしない。
危機に陥った仲間を救うためどうしても必要なときにだけ、そのリーダーは仲間の心と共感する。

 …まっ、それぐらい制限しとかないと、自分の精神が崩壊しかねないけどね

他者の精神に干渉するために冷徹に精神探査の針を撃ち込む自分のチカラ。
他者の喜びも悲しみも自分の精神と共鳴させるリーダーのチカラ。
自分とリーダーのチカラが似て異なることを意識しながら、彼女は改めて思う。

あのリーダーが自分のチカラに溺れず、むしろ畏れを抱いているからあのグループは生まれ、そして今も存在し続ける。

彼女の所属する組織は、世界征服を企む悪の組織でも人類絶滅を目指す狂信者の集団でもない。
他者とは異なるチカラを持って生まれたゆえに世界に疎んじられ、他者とは異なるチカラを持つがゆえに世界に利用された者たちの世界への異議申し立て。
それこそがダークネスであり、ダークネスとはそれだけのための組織でしかない。
自分たちのための新世界を創ることが不可能だということをダークネスは自覚している。
ただ世界の進む方向を少しだけ変えたいとダークネスは思っている。
そのために必要な原動力であり、当事者である能力者の全てを自分たちが掌握すべきだとダークネスは決意している。

その大義を果たすため彼女は精神感応のチカラをもつリーダーと接触した。
強力な精神感応による精神の探索を免れる為に、潜入要員に選ばれたのが精神干渉のスペシャリストである彼女だった。
そして…今もその任務は続いている。
自分のチカラを畏れながら、それでも助けを求める声が聞こえれば動くことを止められらないリーダーの元に集うた能力者の数は二桁に達した。
その数は組織が巧妙に義務教育のカリキュラムに潜り込ませた能力者探査のプログラムが発見した能力者の数に比べれば、遥かに見劣りする。
しかし逆にいえば組織の網から漏れた能力者を、それだけ集めたともいえる。
その成果が組織の上層部を満足させる限り、彼女の任務は続く。

自分のしていることが裏切りだとは彼女は思わない。
むしろ幼く拙い能力者たちを自分が庇護しているのだと彼女は思っている。
能力者のために世界を変えようとしている組織であるが、その能力者が最終的に自分たちに敵対すると判断すればそれを抹殺することに何の躊躇いも見せないことを彼女は知っている。
その決定を下すのが、女帝と呼ばれる存在であり、その下問に携わるのが女神と呼ばれる予知者であり、自分がもたらす情報もその判断材料の一部になっていると彼女は自負している。

 …いくら抗ったところで闇から抜け出すなんて無理なんだよ

女帝と呼ばれる組織のボスが仲間に慈悲深いことを知っている彼女だが、そんな女帝の非情な一面を彼女は痛感している。

 …私にはたいせつなものが欠けている

彼女の精神の中の記憶のある領域が封鎖されている。
それは彼女が生まれ育った記憶。
育ててくれた両親の顔も、育った家のある場所も彼女は知らない。
それを思い浮かべようとした時、彼女は激しい頭痛に苛まれる。
記憶を封印したのは能力者のグループに潜入する彼女の為なのだと、この長い任務を命じた上官は言っていた。
それが女帝の能力。
次世代の能力者への対応について意見を異にした組織最強の天使ですら免れ得なかった女帝の呪いが彼女にも施されている。
彼女が彼女自身の封印された記憶を探査しようとすれば、彼女の精神は最悪の場合、破壊されてしまう。

彼女が封印されていた記憶を取り戻すには、従事している潜入任務から解かれることが必要だ。
任務を失敗した責めを問われての解任ではなく、成功への褒章として組織の高みに昇ること。
そのために今日も彼女は報告書を綴り続ける。
それがどのくらいの高さまで積めば、彼女の任務が終わるのか。
見当もつかないまま彼女は報告書の作成に戻ろうとする。

スマフォを充電用ポートに戻そうとした彼女は一度その手を止め、受信したお祝いメールを一瞥する。
どの送信者にも、感謝の意を示した返信はしてある。

 …だから、もう残しとく必要なんてないよね

画面に表示されている全部削除の文字を撫でながら彼女は誓う。

 …大切なものを私は取り戻す。 そのためにはあの子たちのことだって利用させてもらう

やさしい両親にかわいい妹。
小奇麗な一軒家によく遊びに行ったビル。
あって欲しいものを思い浮かべた彼女だが、ありもしないものはすぐに消えてしまい、顔を顰める。


 …増えてくばっかりの要らないものに囚われてちゃあ、身動きできなくなっちゃうからね

自嘲しながら操作を終えた彼女はスマフォを充電用ポートに戻し、パソコンの画面に向かう。
組織の配達人がやってくるまであと2時間ばかり。
正式な報告書は配達人と彼女の質疑応答を経て完成するが、草稿は作成しておかないと嫌味を言われかねない。
気分転換のおかげでもないだろうが、ようやくキーボードを打つ指も滑らかになった。

 …急がないと、夜がやって来る。

待機状態になりバックライトが消える直前のスマフォの画面に、新規に作成されたフォルダーが映っていた。
“2012/10/20 birth”という名の。