『the new WIND―――亀井絵里』



2012/09/05(水)


それを人は罪だと呼んだ。
だから人は罰を受けろと言った。

罪と罰は常に表裏一体にあるのだとだれかが言っていた気がする、


寝転がって見る天井は真白く、何処かこちらを嘲笑っているようにも見えた。
れいなはため息を吐いて立ち上がる。
生きていることは、罪だろうか。
それとも、生きていることが、罰なのだろうか。

大勢の人間を殺してもなお、死ぬことも許されず生きることは罰だろうか。
贖罪という名の人生の先に、果たしてなにが見えるというのだろうか。
そしてその中で、闘わないで良い明日を見つけることなどできるのだろうか。

「なあ、絵里はどう思う?」

此処にはいない彼女に向かってれいなは呟いた。
リゾナンターとして生きる道を選んだあの日から、十字架を背負うことなど決めていたはずなのに、それでも時々迷う。
それこそが、自分がまだ、人間であることの証明のような気がしていた。
弱気な自分も嫌いじゃないと思えるようになったのはいつからだろうと、ぼんやり思った。


 -------

「何処にいんだよぉ、その議員はよ!!」

男は苛立った様子で院内の柱を蹴った。その様子を見て患者や看護師らはびくっと肩を震わせる。
愛佳は痛む右足首を抑えながら現状を把握した。
此処にいる犯人は3人。全員銃やナイフを所持していて覆面をしている。
本人たちも見分けがつくようにか、覆面は色分けされているが、赤・緑・黒という至って単純なものだ。
愛佳は緑色の覆面に銃を突き付けられ、半ば強引に病院の1階にある待合室に放り込まれた。
既に待合室は患者たちで溢れ返っていて、何処か凄惨な死の匂いを感じた。

リーダー格と思われる男が銃を構え、用があるのは708号室の議員だけだと叫んだ。
大人しくしてれば命は助けると叫び、監視役にひとりを残し、全員が7階へと向かった。
愛佳は人目につかないようにそっと動き、同じく人質となった絵里と合流し、いまに至る。

「落ち着け。既に警察とは交渉済みだ」

もうひとりの男、紫の覆面をしたリーダー格が戻ってきた。
高貴な紫色を纏った男の風格に思わず息を呑みながらも、これで全部で4人かと愛佳は判断する。
現状をまとめると、犯人たちの目的は民政党議員の命だが、肝心の議員は此処にいないと判明した。苛立つのもムリはない。
あの男は恐らく頭が切れる。それも想定内で動いているのだろう。警察と交渉済みとは、議員を引き渡せということだ。
問題はそれに警察が応じるわけがないということだが。

「もし向こうがアイツ渡さなかったらどうすんだよ」
「そん時はこいつらぶっ殺すぞ!」

赤い覆面の男が拳銃をこちらに向けてきた。
患者たちは口々に叫び、震えるように体を抑えた。

「やめろ」

紫色の男が銃を下ろさせる。
どうも赤い男は癇癪持ちの短気で辛抱が利かないようだ。キレたらなにをするか分からない。
彼らは警察に議員の裏金2億円を要求しているようだが、それが通るわけもない。
ふたつの要求が通らなかったとき、真っ先に犠牲になるのは此処にいる患者たちだ。

「っつ―――!」
「愛佳ちゃん、だいじょうぶ?」
「……平気、です」

そう言ったものの、右脚の痛みは酷くなっていく。
本来なら数時間前に鎮痛剤を打つべきだったのに、この一件でその機会を逃してしまった。

「おいそこ!なにコソコソ話してんだ!」

愛佳が痛みに耐えていると、赤い男がこちらに近づいてきた。
一気にふたりの周りから人が離れる。
絵里は愛佳を気遣いながら、男を睨み返した。

「んだぁ、その目は?」
「……鎮痛剤を打たせてください」
「あ?」
「愛佳ちゃんだけじゃない。患者さんはみんな苦しんでる。早く解放してよ!」
「だれに向かって口聞いてんだお前?」

痛みを堪えながら、愛佳は絵里の肩に手を置いて「ダメですって」と声を絞った。
確かに痛みを抱えるのは愛佳だけではない。絵里もまた、心臓の爆弾のスイッチがいつ入ってもおかしくない。
だが、此処で反抗しては撃たれる可能性もある。この男はあまりにも危険すぎる。

「やめろと言ってるんだ」

拳銃を構えようとした男の手を、再び紫色が制す。

「どちらにせよ、決着はつく」

男がそう言ったとき、受付の電話が鳴った。一斉に視線がそちらに向く。
緑の覆面の男が足早に向かい、未だに鳴り響く電話を見る。男が頷いたのを確認し、受話器を取った。

「約束の時間だ」

愛佳と絵里は同時に耳に神経を集中させる。
なんとか電波を拾って相手の声を聞けないかなんどか試しているのだがうまくいかない。
今回も結局は、なにも聞き取れなかった。

「言い訳はどうでも良いんだよ」

早速雲行きが怪しくなってくる。
議員と2億円という大金、どちらも手に入らないことは此処にいるだれもが分かっている。
そんな無謀な賭けに出たのはなぜだ?人質を全員殺したところでそれは手に入らない。
だとすると……

「最初から別のだれかを殺すつもりやった……?」

愛佳の呟きに絵里はハッとする。
議員は囮で、狙いは別のだれかだというのか?

「交渉決裂だな。ひとり殺すぞ」

相手が電話口で叫ぶが男は躊躇せずに電話を切った。人質たちが死神を見るような目で怯え始める。
絵里はなんとか状況を打破したいが、暗黙の了解があるために、“風”は使えない。

「院長先生、あなたに犠牲になってもらいます」

男の声で一斉に視線は病院長へと向く。
まさか自分が指名されると思っていなかったのか、白衣の院長は目を見開き、腰を抜かした。

「雨の降る夜でしたね、あの日は」

男は急に遠くを見るような目で話を始めた。

「私の娘が死んだ夜も、あいつの弟が死んだ夜も、みんな不思議なことに雨でした」

話が見えない。いったいなんのことだと思うが、男たちはすでに院長を取り囲んでいた。
四方向から銃を突きつけられ「ひぃっ!」と声を上げる。だれもが惨劇を見ないように肩を震わせ、目を閉じ、耳を塞ぐ。

「1ヶ月前、通り魔に襲われた娘の手術、失敗しましたね?」
「俺の弟のときは、あの議員の手術優先させて見殺しにしたな」
「ち、違う!あの時は仕方なかった!人手不足で、傷の重篤を考慮すれば仕方のない判断だった!」

漸く大筋が見えた。どうやら犯人たちは院長に娘や弟を「殺された」遺族だ。
それが果たして手術ミスか逆恨みかは判別できないが、彼らにとっては十分な殺害動機になり得る。

「とりあえず、さよならです」
「ま、待て!待ってくれ!」

引き鉄に手がかかり、だれもが目を覆う。
絵里は右手の中に風を呼び込む。いち早く気付いた愛佳は瞬間、その手を押さえた。

「なんでっ―――!」
「いま発動させたらあなたの体が―――!」
「でも、あの人―――」

ぱん・ぱん・ぱん・ぱんと、4つの音が綺麗に並んで消えた。
院長の体はぐらりと揺れ、そのまま後方に倒れた。ぐしゃりという音のあと、血の海が流れ出す。

「きゃああああ!!」
「うわあああ!!」

院内が騒然とした。だれもが出入り口に殺到し、封鎖された扉をこじ開けようとする。
しかし、セキュリティ対策の講じられた扉が開くはずもなく、ただ空しく悲鳴が木霊する。

「黙れ貴様らッ!!」

男が天井に発砲した。
鋭い音のあと、人々は静まり返る。だが、それでも完全にパニックが収まったわけではない。
子どもたちは涙を堪えきれずにしゃくり上げる。老人たちは心臓を押さえながら神に祈る。若者は状況を打破しようと考えるが術がない。

「ふぇぇっ……お母さぁん……」

徐々に静まり返る中、ひとりの少女の泣き声が響いた。
肩を震わせ、その瞳から流す大粒の涙を拭うが、それでも涙が止まることはない。
赤い男はまた苛立ちを隠せないように脚を動かすが、ほかの3人は気にせずにすでに肉塊となった院長をどこかへ運ぶ。
そしてリーダー格は電話を取り、警察へと掛けた。

「院長は死んだよ。次はだれかな?」

瞬間、どさっという鈍い音がしたあと、外から悲鳴が聞こえた。
窓から投げ捨てたのかと絵里は絶望を感じる。愛佳も悲痛の色を隠せずに天井を仰いだ。

「15分後までに議員と2億用意しろ。まただれか死ぬぞ」

電話はそれきり切られた。
この連中は人殺しなんて厭わない。次のタイムリミットまであと15分しかない。

「ダークネスより、こういう人間の方が厄介だよ……」

絵里は頭をかきながら必死にどうするか考えた。
可能性があるとすれば、攻撃能力の高い仲間だけが頼りだと絵里は締め切られた扉の向こう、見えない青空を臨んだ。

          ◇          ◇          ◇

2012/09/19(水)


 -------

「推定距離は7メートルってとこだね」
「な、7って遠すぎやろ!」
「でも世界記録は8.95だしいけるでしょ。あ、女子は7.52か」
「アホかっ!死ぬっちゃよそんなん!」

病院に隣接した建物の屋上でさゆみとれいなは言い合いをしていた。
地上と地下がセキュリティで封鎖されているいま、出入り口はもはや病院の屋上しかない。
恐らく警察側もそれを読んでいるのか、先ほどの無線ではヘリコプターを要請していた。
警察にバレないように飛ぶには、もういましかない。

「だいじょうぶ、身体能力高いし、追い風だし、一応命綱あるし」
「あのねぇ……」
「悪いけど躊躇してる暇ないよ。さっきの情報だと院長が撃たれたし、要求通らないとまただれか撃たれる。
警察のヘリが到着する前に侵入して肩をつけないと、絵里と愛佳の鎮痛剤も切れる」

さゆみは早口で捲し立てると腰に巻いたロープをもういちど確認した。
確かに此処で議論している時間はない。幸いにも人並み以上の身体能力はある。もう、飛ぶしかない。

「死んだら一生笑ってあげるの」
「……アホか」

れいなは深く息を吸い込んで吐き出した。

職務規定違反だとか、突入してからどうするかとか、全く考えていなかった。
頭の中には仲間の笑顔が浮かんでいて、もうそれを消したくはなかった。最後の最後まで、あの9人で闘いたかった。
もうそれが一生叶わないことだとしても、それでも、いまのこの瞬間の仲間を護りたかった。

れいなは意を決して右脚で地面を蹴った。
地上50メートルの高さから見る世界は新鮮だった。地面に吸い込まれそうになる恐怖が押し寄せる。
必死に堪えていると、ふいに風がれいなの体を押した。そのまま風に乗って体を滑り込ませる。
余裕をもって着地できるはずもなく、無様に屋上に倒れこんだが幸いにも無事に屋上へ飛び移ることができた。
震える体を必死に抑えるように短く息を吐いていると、すぐ横にさゆみも滑り込んできた。

「はぁっ!はっ、はぁっ!と……飛べたっ…」

さゆみ自身、信じられないというように短く息を吐きながらロープを外そうとする。
一瞬だけ吹いたあの風は、まさか絵里の起こしたものだったのだろうかとれいなは思う。
彼女の能力について正確に認識はしていないが、そんなことが可能なのだろうか。


ぱん・ぱん・ぱん・ぱん―――


そのとき、4つの銃声が響いた。下にいるマスコミが騒ぎ始める。
まさかと思ったふたりは急いでロープを外し、屋上の扉を開けた。人質と犯人のいる待合室まで一気に階段を駆け下りた。

 -------

ふたり目に撃たれた男は、この病院の外科部長だった。
黒い覆面の男の娘は2週間前の雨の夜に通り魔にあい、この病院に運ばれる予定だった。
しかし、当直の外科部長が酒に酔って受け入れを拒否したために、娘は死んだという。

「罪を償うには罰を受けるしかないんですよ」

男たちはそうして再び死体を運び出した。
狂っているのは男たちか、それとも自分たちかが分からなくなる。こうも短時間に人が死ぬのを目撃すれば尚更だ。
たとえ自分たちに罪がなかったとしても、目の前で人が死ぬのはたくさんだ。

と、絵里はそこまで考えて唐突に頭の中でなにかが弾ける。
ざわりと気持ちの悪い仮定が頭をよぎるが、そんなことはないはずだと言い聞かせる。

「……ねぇ、愛佳ちゃん」
「なんですか?」

それでも絵里がふと口にした途端、震えとともに心臓が大きく唸り声を上げた。
ぎゅうと鷲掴みにされるような感覚のあと、最後の直線に入った馬のように心臓が走り出した。
早鐘を打つ心臓を絵里は必死におさえる。

「か、亀井さんだいじょうぶですかっ?!」
「っ……だいじょうぶ……ねぇ、聞いて……」

だいじょうぶとは言うものの、胸を押さえて苦しむその姿は見るに堪えない。
医者を呼ぼうとするが、だれもが次の犠牲を怖がって肩を震わせている。
大声で叫ぼうとした愛佳を制し、絵里は言葉を紡ぐ。

「これは…罰かもしれない」
「え?」
「雨の夜の通り魔……あ、あの男なんじゃないかなって」

絵里の言葉に愛佳は耳を傾け、解釈する。なにを言わんとしているのか噛み砕こうとする。
そして思い当たる。まさか、彼らの弟や娘を襲った通り魔とは……

「あの男……い、一般人も、襲ってるかも…しれない」

“あの男”というのがだれを指しているのかくらい、愛佳にもわかった。
あくまではすべて仮定の話だが、否定することはできない。
男が現れた日は確かにすべて雨の夜であるし、リゾナンターたちは男に傷はほとんど与えられていない。
男の目的はまだ分からないが、一般人を襲っているのだとしたら、その責任は少なからずリゾナンターにもある。

「罪を償うには罰を受けるしかない」

絵里は先ほどの男の言葉を繰り返す。
自分の心に言い聞かせるようにも、ただ呪文のように唱えているようにも見えた。

「罰……なのかな。私たちへの」
「なんで、そんなこと言うんですか……」
「へへ。一般人、護ってるって言うつもりはないけどさ……ダークネス以外にも私たちは…傷つけてるんだね、多くの人を」

発作が徐々におさまっていったのか、絵里は大きく息を吸って言葉を繋ぐ。
刺さる言葉が痛くて重い。背負ってきたものがあまりにも大きい。見ない振りをしていたわけではない。

だが、確かにそこにあった可能性を敢えて考えないようにはしていた。
だれもが平和に生きられる明日をつくるために、だれかを犠牲にしてきた昨日がある。
その闘いに無関係な一般人を巻き込んで、自分たちだけ笑って生きていて良いはずなんてない。

「でも……私たちは」
「分かってる……可能性、だから」

愛佳の悲痛の目を感じたのか、絵里は無理に笑って見せた。
なにが正しいか、なにが正義か、なにを信じて此処まで来たのか。
万人の答えなんてあるはずもなく、揺るがないただひとつの信念を持ってひたすらに闘ってきた。
だが、その先にあるのは、果たして信じられる未来なのだろうか。

「……絶望の闇と、変わらんですやん」

愛佳がそう呟いたとき、電話が鳴った。この音もまた、絶望の音なのだろうかとぼんやり思う。
緊張感が走る中、男が電話を取り「3人目も必要か?」と訊ねた。
どうやら警察は最後まで、議員を渡さないつもりらしい。それが国策なのか、独断かは判別できないが、また地獄が始まるのかと髪をぐしゃりと掴む。

「ひぐっ…うぇっ……」

そのときだ。
先ほど泣いていた女の子が再びしゃくり上げ始めた。
ひとりで入院している小児病棟の子だろうか。長くて黒い髪を垂らし、その細く白い肌は儚さを際立たせる。

「あー、また泣いてるんでちゅかー、お嬢ちゃーん」

赤い男がニヤニヤしながら少女に近づいてきた。
苛立ちを通り越して快感を覚えたのだろうか。銃口を少女に向けるが、今度は仲間のだれも止めようとはしない。

「撃っていーかー?」

男は受話器に聞こえるように叫ぶ。
リーダー格は黙ってそれを見ているが、時計を確認し、顎でしゃくった。男の口角が上がり、引き鉄をもつ指に力が込められる。

人とは違う能力を恨んだ。この能力があることで異端だと蔑まれ、死と隣り合わせの世界に飛び込んだ。
それでも、今日ほど無力を感じたことはない。どんな能力があっても、たったひとりの女の子も救えやしないのだから。

「やめてっ!!」

そう叫ぶのと銃声が響いたのはほぼ同時だった。
銃弾は女の子の左脚の骨を砕き、肉を削ぎ、貫通して床に突き刺さった。

「あああ!い、痛い!痛いよぉっ……痛いよっ、お母さぁん!!助け…お母さん……!」

愛佳はすぐさま少女に駆け寄り、撃ち抜かれた右脚にハンカチを巻きつけ止血をはかる。
だが、貫通しているせいか血は一向に止まらない。だれか応急処置をと目を向けるが、医者たちは一様に目を逸らす。
此処は病院じゃないのかと顔を歪め、「だれか手当を!お医者さん!看護師さん!」と叫んだ。

「4人目出したくなかったら検討してくださいね」

そうして電話が再び切られる。
死の匂いはいっそう強くなり、明確な形をもって待合室の人間たちを包み込んだ。
この男たちの目的はもう達せられたのだろうか。もし達せられていないとしたらまただれか確実に殺される。

だが、少女への発砲のことからすると、もう彼らはそんなことはどうでも良いのかもしれない。
人は非現実世界へ放り込まれると、徐々にその世界へ適応するために思考を変えていくのだという。
今回の一件もある意味で、犯人たちは思考を変容させていると言える。
使命をもって殺人をしてきた彼らだが、ふたり殺した時点で、快楽へと脳が走ってしまったのかもしれない。
だとしたら、いよいよこの先、希望なんてものは見えなくなる。

「ふぇっ…痛い……痛いよぉ…おかあしゃぁん……っぐ」
「だいじょうぶ…だいじょうぶやからね……」

痛みと恐怖に耐えきれない少女はそれでも大声では叫ばずに涙を零す。
愛佳はなんども「だいじょうぶ」と言って頭を撫でてやるが、気休めにしかならない。
この痛みを代わってあげられたらとなんども思うが、そんなこと、できるはずもなかった。

そうしてハッとした。
愛佳が絵里へと目を向けると、彼女はなんどか深く呼吸をして、少女の脚に指先を向けた。

「あきませんよ、亀井さんっ」

愛佳は慌てて彼女を制する。
自分が考えることくらい、彼女だって考え付く。まして彼女自身が“傷の共有(インジュリー・シンクロナイズ)”の持ち主なのだから。

「この子に罪はないよ」
「だれにだって罪はありません。この子も、亀井さんも」

だが絵里は首を振る。

「私たちのせいで傷ついたのなら、私たちが護る必要がある」
「それはそうです。でも、通り魔があの男とは限りません。それに、いま能力使ったら、今度こそっ」

必死で絵里を説得するその声は男たちの「なにコソコソ話してんだ!」という大声で遮られる。
だが、愛佳は構わずに言葉を紡いだ。これ以上、だれかが傷つくのは見たくない。そんな未来、絶対に止めてみせる。

「もうすぐきっと警察が来ます。せやからそれまで」
「この子はそれまでもたない」

絵里がきっぱりと言い放った言葉に愛佳は眉を顰めた。
少女の呼吸が浅くなっていることに気付いたのはそのときだ。異様に汗をかき、短く息を吐いている。

「血色も悪いし、点滴のあともたくさんある。病名とか知らないけど、このまま放置すると、確実に死ぬ」
「……せやからって……せやからって亀井さん……」
「だいじょうぶ、絵里はこれでも我慢強いんですよ?」

絵里はそうしてにこっと笑った。
いつものようにだらしなくて、それでもいつもより頼もしいその笑顔に愛佳は泣きそうになる。
ああ、どうして自分は無力なんやろう。
この脚が軋まなければ、この脚が動けば、もっと攻撃的な能力があれば、もっと力があれば……私はっ―――!

愛佳は下唇を噛み、太ももの上で握りしめていた拳を震わせた。
どうすれば良いというのだろう。どうすることが正解だというのだろう。
だれもが傷つかず、平和な明日を築きたいだけなのに、どうしてこんなにも、多くの痛みと哀しみを背負わなければならないのだろう。

「…信じてるから」

震える拳に絵里は手を重ねた。
愛佳は涙を零した瞳を彼女に向けると絵里は優しく微笑んでくれていた。
それは大天使ミカエルにも、女神アルテミスにも、聖母マリアにも、そして普通の女の子にも見えた。

「愛佳ちゃんを、仲間を、信じてるから―――」

絵里はそう言うとすっと息を吸い込み、点滴の針を腕から引き抜いた。
ぶちっという音のあと、腕からは血がつうと垂れた。
妙に綺麗な赤色をしている血をぺろりと舐めたあと、撃ち抜かれた少女の脚に指先をもっていく。
泣きじゃくる少女は、絵里の行動を不思議そうに見つめていた。絵里は涙を拭ってやり、頭を撫でてやった。

「もう、痛くないからね?」
「ふぇっ……?」
「よくがんばったね。お母さん、きっと迎えに来るからね」

絵里はそうして指先に神経を集中させる。
能力を発動させるためにはある程度の体力も必要だ。残された絵里の体力はどれほどだろうとぼんやり考える。
正直、死なない程度としか分からない。次に発作が起きれば、そのときこそ、地獄の門が開くだろうなと覚悟した。

絵里の指先と少女の負った傷が淡い光を発した。

          ◇          ◇          ◇

2012/09/23(日)


それはとても温かな光だった。
涙で滲んだ愛佳の瞳には、確かに笑顔の彼女が見えた。
唐突に愛佳は、これが、「愛」であり「想い」であり「祈り」なのだと感じた。

絵里は一閃引くように指を動かした。
光は唐突に失われたが、それと同時に少女の銃創も消えていた。当然のように、少女から痛みも消えていた。

「お姉ちゃん……っ!」

まるで魔法使いのような絵里の行動に少女は目を輝かせた。
しかし次の瞬間、彼女に起こった変化に、少女は言葉を失った。
絵里の左脚、少女が撃たれた場所と全く同じ部位に、全く同じ傷痕が出現していた。

「亀井さんっ!」

愛佳は即座に手にしていたハンカチで止血を始めた。
少女の受けた傷と全く同じであるために、血が完全に止まらないことなど分かっている。だが、それでも愛佳はなんとかしたかった。
これくらいしかできない自分を呪う。なんで自分には“治癒能力(ヒーリング)”がないのだろうと。

「おい、なにしやがったぁ!?」

こちらに起きた異変にいち早く男が気付いた。
撃ったはずの少女が無傷になり、撃たれていない絵里が傷ついているのだから当たり前だ。
男はこちらに迷わず銃口を向ける。患者たちは「ひぃぃっ!」と目を逸らす。

それでもなお、彼女は笑っていた。


「信じてるよ、みんな―――」


絵里はそう言うと痛みを堪えながら指先を伸ばし、一閃を引いた。
彼女がなにをしたのか、愛佳は一瞬で把握した。そして、止められなかった自分を、呪った。

「うああああ!!!」

銃を向けていた男が膝を折って倒れた。男の脚には、絵里と全く同じ箇所に同じ傷が浮かび上がっている。
なにが起きたのか把握できない仲間たちだったが、考える余裕なんて与えずに、絵里は“傷の共有(インジュリー・シンクロナイズ)”を発動させた。

「がぁっぁぁぁっ!」
「なんだぁぁっ?!」

次々に倒れていく男たちに患者たちは茫然とした。
だが、漸くこれが好機だと気付いたのか、ひとりの患者が銃を奪い取った。

「け、け、警察っ!!」

患者の叫び声に我に返った医者は、慌てて受話器を取った。
突入態勢が整ったのか外が騒がしくなる。

「この……クソガキがっ!」

絵里の“傷の共有(インジュリー・シンクロナイズ)”を受けてもなお、赤い男は銃をこちらに向ける。

愛佳が絵里を庇おうとした瞬間、彼の体は数メートル先の柱に吹き飛ばされた。男は柱に全身を打ちつけ、手にしていた拳銃を落とした。

「亀井さんっ!!」
「っはぁ……あっ…ごめっ……使っちゃったよ…“風”……」

絵里はとっさに空間に“風”を起こした。
彼女の瞳の焦点はもう合っていない。愛佳の姿すら、その瞳には映していないかもしれない。
だれか……だれか彼女を、亀井さんを助けて下さいと愛佳は必死に叫ぶ。だが、混迷がつづく中、その声はだれにも届かない。

紫色の男は最後の力で銃を握り、絵里に向けている。
絵里は短い呼吸の中で叫んだ。分かってる。分かってるよ、この温かい風の持ち主を―――

「れーなぁっ、さゆぅーっ!!」

その声が響いた瞬間、2階へと通じるエスカレーターの頂上かられいなが降ってきた。
文字通り、彼女は飛び降りてきたのだ。

突然現れた少女に虚を突かれた男は、銃口を慌ててそちらに向けた。
しかし、気付いたときにはれいなの拳を顔面で受け、その鼻の骨を折られていた。
れいなは勢いそのままに、別の男へと殴り掛かる。

「待ってれいな、落ち着いてっ!もうすぐ警察も来るから!」
「離せッ!こいつらが…こいつらが絵里と愛佳をっ!!」
「道重さん先に亀井さんをっ!!」

我を忘れて殴り掛かるれいなを止めるさゆみは、愛佳に引きずられるように絵里の治療にあたる。
愛佳は必死でれいなを止めようとするが、彼女は止まらない。その拳が血で汚れるのも厭わずに、殴りつづけた。

「絵里っ、絵里っ!!」

さゆみは絵里を背負い、エスカレーターの陰で死角となった場所で“治癒能力(ヒーリング)”を使う。
だが、“傷の共有(インジュリー・シンクロナイズ)”で受けた銃創は治せても、絵里の心臓にかかった負荷は治せない。

「はっ…闘わ、ないって……でかいこと、言っときながら…この、ざまですよ」
「絵里ちょっと待ってて!お医者さん呼んで薬打ってもらうから!」
「はぁっ……むり、だよぉ…さゆ……」

絵里はそうして笑って首を振るが、さゆみは立ち上がり、医者を呼びに行った。

「すみませんっ!この子、心臓発作起こしてるんです!だれか、だれか薬をっ!」
「それが……薬がないんです!」
「はっ?」
「最初の爆発で、薬やカルテはすべてなくなってしまったんです。担当の外科部長も…もう……」

その言葉を聞いてさゆみは看護師に詰め寄った。

「此処は病院でしょ?なのに…なのに助からないなんてそんな……?」

瞬間、警察が突入してきた。
大勢の人間でごった返す中、愛佳はさゆみの肩を掴み、叫んだ。

「警察に運んでもらいましょう!近くの別の病院ならなんとかなりますっ!」

そこで漸く正気に戻ったれいなは大声で警察を呼び、絵里の病態を知らせた。
警察の流れと逆行し、4人は外へと出る。
波のように人質たちが解放され、マスコミのフラッシュとインタビューを受ける。

「離せぇぇ!!」

後方で、犯人たちの声が聞こえた気がしたが、振り返らずに走り出す。
待機していた救急隊員がすぐに対応を始めた。隊員たちがで絵里を運ぼうとするが、れいなは彼女を離そうとはしなかった。
悲劇のヒロインを見つけたマスコミが一気に押し寄せてくる。さゆみは吐き気がした。

「お姉ちゃんっ…!」

そのとき、先ほど怪我をした少女が絵里たちに叫んだ。
絵里は微かなその声が聞こえたのか少女へと振り返る。絵里の瞳はもう生気を宿していない。
少女は母親らしき人物に抱きかかえられ、こちらに笑いかけた。その姿を、捉えることはできなくとも、絵里は見る。

「ありがとう、お姉ちゃんっ!」

絵里はその声を認めると優しく笑いかけた。
ああ、良かったと思った瞬間、れいなの服を掴んでいた腕がだらりと垂れた。
嘘やろ?とれいなが思った瞬間、隊員たちはれいなから強引に絵里を奪い取り、救急車に乗せた。

「――――い――ね」

絵里がなにかを呟くが、れいなは救急車に乗ることはしなかった。
先ほどまで抱きしめていた温もりが急になくなっていくのを感じる。
震え始める腕には、絵里の血がべっとりとついていた。赤くて、さらさらで、綺麗だった。

「世界って―――やっぱ綺麗なんだね」

絵里は直後に酸素マスクをつけられ、マスコミを押しのけて病院を出ていった。

「れいな……」

さゆみと愛佳はれいなの背中に声をかけた。
だが、彼女はその声には振り返ろうとはしなかった。

オレンジ色の夕陽が世界を照らしていた。
あの日も、こんな風に日が沈んでいった。
温かい色が世界を包み込んで優しいくせに、夜の始まりや世界の終わりを暗示しているような気がして、れいなは真っ直ぐには見られなかった。

「……なん、でよ……」

れいなは拳を震わせた。
なぜ、どうしてこんなことになってしまうのだろう。
どうして、どうして、どうして―――?

「絵里いいいぃぃぃ!!」

れいなはありったけの力を込めて叫んだ。
世界が綺麗だと呟いた彼女の笑顔が脳裏をよぎる。
ダークネスじゃなくても、人は人を殺し、奪い、騙し、傷つける。
この世界の、この腐りきった世界の何処が綺麗だというのだ?

なにを護っていたのだろう。
なにを信じていたのだろう。

だれが為に、闘ってきたのだろう。

れいなは膝から崩れ落ちた。
涙がとめどなく溢れ出る。

オレンジ色の夕陽が、沈んでいった―――



























最終更新:2012年09月23日 14:29