『水と風と猫の宴』


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from 『水と風の宴』

雨は嫌いじゃないけど、その向こうの空を仰ぎたかった―――


水の中は心地良かった。
あの日以来、ほぼ毎日のようにこのプールに来ては深く潜って水と会話をする。
以前よりもずいぶん、水が柔らかく感じるようになった気がする。
「気のせい」じゃないと良いなと思いながら、私は水面に顔を出した。

「15分23びょ~。昨日より伸びてますねぇ」

そして、この人がプールに来るのも日課になっていた。
何処かの水泳部の顧問のように、白いシャツを着てメガホン片手にストップウォッチで計測している。
相変わらず、この人のことが私は掴めない。

「どこかのマジシャンは18分くらい潜っていられるんだって。もうすぐ追いつきそうじゃん!」
「……別に争うつもりはないんですけど」
「いーんだよ、目標があることは大事ですよッ!」

彼女―――亀井さんはそうして笑ってノートになにかを書き込んだ。
あの日以来、頼んでもいないのに亀井さんは私のマネージャーのような顧問のようなことをしてくれる。
それは、心臓病のために一戦を退いた彼女なりの優しさなのだろうと私は思う。
同じく脚の怪我のために後方支援に回った光井さんと似たようなものを、ぼんやり感じ取った。

「ねーねー、私思ったんだけどさ」

私がプールから上がり、タオルで頭を拭いていると亀井さんはこちらにてとてと歩いてきた。
何処かで見たことのある動きだと記憶を掘り起こすと、いつか水族館で見たペンギンだと思い当たった。
そんなことを言おうものなら風で吹き飛ばされるのは目に見えていたのでやめにしておく。

「きみは水でしょ?んで絵里が風でしょ?なんか合わさったら強そうじゃない?」

唐突になにを言い出すのだろうこの人はと思うが私は口に出さない。
亀井さんは自分で「良いアイディアだ!」と思ったのか、水面を見つめたあと、指先で円を描いた。
風に撫でられたプールの水が騒ぎ出し、静かに波を立てていく。

「きみが水泡撃って、それが風に乗って飛んでったら、なんかカッコ良くない?」
「……竜巻、みたいなイメージですか?」
「そうそう!そんな感じ!あ、なんだったられーな連れてきて“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”でガーッとさ!」

亀井さんはなにが楽しいのかニコニコ笑ってノートに書き込み始めた。
いまの説明でなんとなくのイメージはついたが果たしてそんなことは可能なのだろうか?
理屈は分からないわけでもないが、亀井さんと違って私はまだ完璧に水を操れるわけではない。
田中さんの“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”だって、無制限に際限なく、だれにでも使えるわけではない。対象となる能力者同士の信頼関係が絶対になる。
果たして、そう上手くいくのだろうか。

「いーじゃん、暇だったんでしょー!」
「暇って……さっきようやくリゾナントの休憩入ったばっかやったとに…」

私がそう考えているのも束の間、亀井さんは田中さんを連れてきた。
エプロン姿であることを見ると、田中さんは喫茶リゾナントの仕事の合間であるようだ。
ああ、なんか巻き込んじゃってごめんなさい……

「……というわけで“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”よろしくッ!」
「いやいや、よろしくとか言われても…」
「えー、できるでしょ?」

思い立ったら即実行するのが良くも悪くも亀井さんの特徴だと思う。
なにも考えずにぽんぽん発言する点でいえば、田中さんと似ているのかもしれない。
道重さんの話によると、亀井さんは田中さんに対してだけは遠慮がないそうだ。
年下だからだろうか、私にはよく、分からなかった。

「ムチャクチャやん。そもそも絵里と鞘師のその…合体技?それやったことないっちゃろ?」
「だぁーいじょうぶ!絵里と里保ちゃん、やればできる子ですから!」

どうやら私の意見は関係なく、その「合体技」とやらをやることに決まったらしい。
先輩の言うことは絶対だ。なんて何処かの部活動のように私は呟き、水へと飛び込んだ。まとわりつく水が心地良い。

「理屈は分かるっちゃけん、結構難しいっちゃないと?」
「うーん……愛佳ちゃんがむ~っかし光学迷彩とか体感重力とか言ってたから、それからちょ~っとは勉強したんだけどね」

亀井さんはこめかみを人差し指で押さえてその場をゆっくりと歩き出した。
それは先ほどまでのふざけた色ではなく、深く思慮し、光明を見出そうとする色を見せている。
こうして、ふとした瞬間に真剣さを滲ませる表情が、私は好きだった。

「私が此処から気流……風の道をつくるから、それに里保ちゃんの水泡を乗せたら、水が走るんじゃないかと思うんだけど」
「それ、鞘師の方が難しくない?」

田中さんのツッコミに対し、亀井さんは「そーんなことないですよ?」と笑って見せた。
私もなんとなく、田中さんの意見には同意するが、風で飛ばされるのは勘弁してほしいので黙っておくことにした。

「んー、じゃあ、れなもやってみるけんね」

田中さんは私の方を向くと「ニシシっ」と子どものような笑顔を見せた。
いたずらっ子のようなその笑い方に、私も思わず目を細めて笑う。

亀井さんのつくる風の道に、なんとか水を乗せられれば……と私はいちど水中に潜った。
難しいかもしれないが、できない気がしなかった。いまの私たちなら、できないものなんてない気がする。
不思議なことに、いつの間にか、亀井さんのペースにいちばん乗せられている。私も、田中さんも。

―うまいなぁ……風のつくり方が…

私はなぜだか柔らかく笑い、右手の中に水をゆっくりと集めていく。
頭の中で思い描いたイメージ通りにはいかないだろうけど、なんとなく、上手くいく気がする。
水面に顔を出すと、ふたりとも目を閉じてなにかに集中していた。
亀井さんの右手の中にはゆっくりと周囲の風が巻き起こりはじめている。
田中さんは亀井さんの数歩後ろに下がり、なにかを詠唱しているようにも見えた。

「―――いくっちゃよ」

だれにともなくその言葉が放たれた。
田中さんは深く息を吸い込んだあと、目を開き、右脚を一歩踏み出した。
瞬間、空気が張り詰めて、割れる。心に膨らんだ風船が破裂し、中から溢れ出たものがしっかりと浸透していく。
なにかに、体中が満たされていくような感覚を覚えた。

風を掌握した右手で大きく円を描いた亀井さんは、一呼吸おいたあと、それを解放した。
目に見えないはずの風の流れを、私はしっかりと感じ取った。
真っ直ぐと、大粒の雨を降らせる窓の向こうの黒い雲を動かすように、風の道が出来上がっている。

私は迷わずに右腕を突き上げた。
感じたことないような能力の解放に、思わず震えた。
放たれた水が真っ直ぐに亀井さんのつくった気流に乗る。瞬時に水と風が混ざり合って走り出す。

私はその瞬間に、思った。そして、理解した。
“水龍”が天へと昇るのだと―――

「あ……」

まさに水龍は天へと昇った。
亀井さんの風の竜巻、そして私の巻き起こした水泡、そして田中さんの“共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)”という合わせ技。
それは予想以上に凄まじいものだったらしく、地下プールの窓を破壊した。
派手な音を立ててガラスが割れたかと思うと、そのガラスすらも巻き込んで水龍は天上へと走った。
水龍は大粒の雨を降らす巨大な黒雲に呑みこまれていく。自分の巣に帰ったような、そんな風にも、見えた。

「ってなに窓ぶっ壊しとっちゃよ!!」

田中さんの声で私は我に返った。
まずい。前回の蛍光灯に引き続き、今度は窓まで破壊してしまった。
確かあの窓、対ダークネスの急襲に備えた防弾ガラスだったような……と私はぼんやり思い出す。

「あっちゃ~。壊しちゃいましたねぇ」

亀井さんもさすがにヤバいと思ったのか、その笑顔が若干ひきつっている。
壊れた窓をもういちど見た。空を覆っていた黒雲に、光の隙間が生じている。微かな青を覗かせた空に、私は目を見開いた。

「じゃ、れーな謝っといてね」
「な、なんでれなが謝らんといかんちゃ!」
「ほら。ごめんなさいの前借りですよ?」

予想以上の能力に私は体が震えているのを感じた。
でもそれ以上に、道重さんの怒りが怖くて、どうかバレませんようにと体を震わせた。