『the new WIND―――銭琳』


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れいなは深く息を吐くと、目を閉じた。
世界が闇に覆われ、自分という存在の確認すらも危うくなる。
それでも、田中れいなは確かに此処にいるのだと認識するように、れいなは自分の周囲に気を集める。

頭の中で確かな刀のイメージ像をつくる。
集まった光は映像となり、右手に力を込めた。

瞬間、右手の中に再びあの刀が現れた。

刀身が真っ直ぐに伸びた綺麗な刀は、何処か蒼みを帯びている。
光と気を集めてつくられたれいなの刀は、“共鳴”という単語がよく似合う気がした。


「……終われんよ、やっぱ」


れいなはぼんやりとそう呟くと、刀を握り締める。
久住小春が異動を告げられたあの日から変わっていった日常は、それでもいまもなおつづいている。

在りえた未来は遠くに消えゆく。
確かに存在する現在は目の前にある。
れいなが此処にいる限り、つづいていく日常を失くすことなんてできない。


たとえばそこに、だれ一人いなかったとしても―――


 -------

病院の屋上にはれいな、さゆみ、絵里、愛佳、そして里沙の5人がいた。
いつだったか、小春が大怪我を負ったときも、こうしてリゾナンターたちは病院の屋上に集った。
決定的に違うのは、この場にいるリゾナンターの人数が、あの日よりも圧倒的に少ないことだった。

れいなが落ち着かないようにその場を行ったり来たりしていると、屋上の扉が開かれた。
全員の視線がそちらに向く。
そこに立っていたのは、リーダーである高橋愛だった。
れいなは迷わずに愛に歩み寄った。

「……いま、正式に決定した」

愛が重苦しい口を開く。
れいなは先を促すように黙っていたが、その拳は確かに震えている。
里沙は確認するように「それは…つまり?」と言葉を発した。愛はそれを受け入れて頷くと言葉を吐いた。

「ジュンジュンとリンリンは、本日23時59分を以ってリゾナンターから異動する」

愛が言葉を言い切った瞬間、れいなはその胸倉を掴んだ。
ギリッと歯を食いしばり、鋭い目で愛を睨みつけた。


 -------

雷を受けたジュンジュンは神獣化が解け、ただの人間に戻った。
瀕死の彼女にとどめを刺そうと、男は刀を振り上げた。


刀が振り下ろされる寸前、火球が雨を裂いて男に向かってきた。
男はそれを避けると、火球を投げた人物に目を向ける。
そこに立っていたのは、脚から大量の血を流しているリンリンと、たったいま現場に駆け付けたれいな、そして別任務から急行した愛だった。
れいなは地面に倒れているジュンジュンを認めた瞬間、迷わず男に突進した。

「貴様ぁぁっ!!」

激高、という言葉が的確だった。
れいなの中に沸いて出た感情は、怒り以外の何物でもなかった。
ジュンジュンを助けることも、リンリンに肩を貸すこともせず、れいなは男に襲いかかった。
怒りに身を任せ攻撃しようとするれいなに対し、男はなんら動揺せずに、ひょいと体を躱わした。
れいなは止めることなく攻撃を続けるが、形勢が悪くなったと判断したのか、男はそのまま背を向けて走り出した。


「待てお前!!」
「追うなれいな!」

そのときれいなは、助けるということをしなかった。
ジュンジュンに声を掛けることも、手を伸ばすこともしなかった。
頭の中を支配していた怒りの感情に任せ、れいなはただ男を殺すことしか考えていなかった。
れいなが男を追っている間、愛とリンリンはジュンジュンに駆け寄った。

「ジュンジュン!しっかり!」

愛はジュンジュンの怪我の状況を確認した。
全身に雷を受け、骨や肉が砕け、削ぎ落とされている。
皮膚に激しい炎症が起き、爛れたそこからは微かに腐敗が始まっていた。
一刻の猶予もないことを悟った愛は、全身に光を集めると、リンリンとジュンジュンを抱え、“瞬間移動(テレポーテーション)”した。
れいなのことも気がかりだったが、いまはそんなことを考えている場合ではなかった。


愛は病院へふたりを搬送すると、すぐに専属の医者に治療を命じた。
医者たちはすぐさまふたりを診療台に乗せると、手術室へと走った。
病院の外ではひどい雨が降っていた。
愛はふたりが手術室へ入っていくのを見届けると、再び現場へと“瞬間移動(テレポーテーション)”した。
怒りに任せて治療義務を怠った彼女を怒鳴るべきか悩んだが、結局愛は、彼女を連れ戻すだけに留まった。


 -------

ジュンジュンとリンリンが男に襲われて1週間が経過していた。
幸いにもリンリンの怪我は順調に回復していったが、ジュンジュンの意識はまだ戻っていなかった。
あれほどの失血をし、雷を受けながらも、生きていることが奇蹟的であった。
しかし、脳の器官を一部損傷したのか、生命反応はあるものの、意識は回復していない。
あと1週間様子を見て、なにも変化がなかった場合、最悪の可能性、つまりは植物状態も考えられた。

そんな中、リゾナンターたちは病院の屋上に集っていた。
昨日、愛がちらりと話していた、“上”の決定事項の確認をするためだった。

「ジュンジュンとリンリンは、本日23時59分を以ってリゾナンターから異動する」

愛から“上”の決定事項を伝えられた途端、れいなは彼女の胸倉を掴んだ。

「……なんでそういうことになるとや」

この状況は、小春の異動が決まったときと全く同じだった。
あの日もこうして屋上で、異動に納得がいかないれいなは愛に食ってかかった。

「そんなん意味ないやろ!これ以上仲間減らして、なんがしたいとや!」

れいなの怒りは最もなものだった。
上層部がなにを考えているかは昔から分からなかったが、今回とそして前回の異動に関しては、あまりに唐突であまりに謎が多かった。
なぜその異動先を残ったリゾナンターに伝えないのか。小春の代わりになぜだれもリゾナンターに加入しないのか。
なぜここまで性急に、異動が繰り返されているのか。
まるでこれでは、“上層部がリゾナンターを消滅させようとしている”ような勘繰りさえしてしまう。

「直接会わせぃよ!れなが聞いちゃる!愛ちゃんじゃ頼りにならん!」

れいなが激しく詰め寄ったのを見て、里沙はあの日と同じように彼女の腕を掴んで止めようとした。
しかし今日は、里沙よりも先に愛がその腕を取った。
だれもが予想だにしなかった展開に、れいな自身も驚いた眼を見せた。

「れいなの方こそ、頼りないんじゃない?」
「……なんて?」
「あのとき、重症のジュンジュン放っておいて敵を追い駆けるとか、普通じゃないね」

愛の冷たい言葉にれいなは眉を顰めた。
確かに、彼女の言うことは事実だった。れいなは怒りに我を忘れ、ジュンジュンを助けず、男を追った。
結果的に愛が病院に搬送したから事なきを得たが、あの場に愛がいなかったら、確実にジュンジュンは命を落としていただろう。

「仲間とか言う割に、れいなって自分のことしか考えてないんじゃない?」

その言葉にれいなはカッとなった。
頭に血が上り、思わず右腕を振り上げた。
れいなの右腕は、愛の左頬を捉えることなく、彼女の左手の中に吸い込まれた。

「反論できないで殴るなんて、図星?」
「違うっ!」
「なにが違う?仲間を助けないで敵を追い駆けて、それでなにが仲間なの?」
「話をすり替えんな!」

れいなは矢継ぎ早に受ける言葉に怒鳴り返すが、愛は冷静に切り返していく。
掴まれた拳をギリギリと愛は締め付ける。その力はとても強く、振り払えない。

「……私だって納得はしてない。してないけど、受けとめるんだよ」
「なんでや!なんで受けとめんといかんとや!愛ちゃんがそんな聞きわけの良いことしとるから、仲間が減るっちゃないとや!」
「田中っち!」

それ以上言うなと言わんばかりに、里沙がふたりの間に入った。
愛とれいなを引き剥がそうとするが、ふたりは里沙には目もくれずに黙って睨みあいを続けていた。
その瞳は実に対照的だった。

「“上”の居場所教えぃよ……れなが直接会って話す」
「だから私も知らないって言ってるでしょ?」
「……殴ってでも、聞きだすけんな」

れいなの瞳は憎しみで彩られ、愛の瞳は哀しみで彩られていた。
噛み合うことのない会話は平行線を辿るが、決着をつけなくては終わることがない。
れいなは愛の左手を振り解くと、胸倉から手を離した。
彼女が愛と本気で闘おうとしていることくらい、だれが見ても明らかだった。
愛は黙って彼女を見つめたまま、少しだけ距離を取った。

「まさか……」

里沙に離れるように手で合図すると、愛は前髪をかきわけた。
冗談でしょ?とさゆみは心の中で呟くが、一触即発な空気は変わらない。
れいなは怒りを全身に纏ったまま、一歩下がったかと思うと、右脚で地面を蹴り上げた。
愛はその場から動かずに彼女の攻撃を受けとめることを選んだ。
れいなは勢いそのままに右の拳を突き出した。

瞬間、だった。
愛とれいなはほぼ同時に弾き飛ばされた。
それは、互いが互いの攻撃を受けたからではなく、別の第三者の介入があったからであった。

愛の方はくるりと後方に一回転し見事な着地を決めたが、れいなは見事に吹き飛ばされ、無様に腰から地面に落ちた。
それはちょうど、小春の異動のときに見せた尻もちと同じだった。

「ってぇ!」

再び腰を強打したれいなは以前よりも大きな声で叫んだ。
愛は、ふたりを弾き飛ばしたその存在へと目を向ける。
彼女は肩で息をしながら、こちらに右手を向けていた。隣にいたさゆみは怪訝そうな目で、彼女を見ていた。

「……絵里」

愛がそう呟くと、れいなもその方向へと目を向けた。
絵里は右手を突き出して愛とれいなの間に小さな風の空間をつくりだしていた。
その風の空間を一瞬にして外へと弾き飛ばすことで、ふたりをほぼ同時に突き飛ばしたのだ。

「……やめてよ、もう」

絵里はそうして泣きそうな瞳を向けた。
なにを言わんとすかくらい、彼女を見れば分かった。
愛は下唇を噛むと、小さく「ごめん」と呟き、体中に光を集めた。
それが愛の能力“瞬間移動(テレポーテーション)”だと気付いた里沙は慌てて引き止めるように彼女の腕を取った。
愛と里沙はふたりしてその場から消え去った。
未だに納得のいかないれいなは「くそっ!」と地面を殴った。

「…絵里?!」

だが、さゆみの声でれいなは慌てて体を起こした。
絵里は先ほどふたりを弾き飛ばした際に能力を使いすぎたのか、それとも体力を失ったのか、膝を折っていた。
れいなとさゆみが慌てて駆け寄って絵里を支えるが、彼女は荒い息をしたまま目を開こうとしなかった。

「運ぶっちゃ!」

ふたりは急いで絵里の肩を抱え、病室へと走り出した。


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「反省してる?」
「ハイ、シテマス」
「ウソでしょ。すーぐバレるようなウソつくんだかられーなは」

絵里が倒れて1時間後、彼女は意識を回復させた。
れいなは自身の責任を感じて絵里を介抱している。結果、こうしてベッドの上に寝る絵里に叱られているわけだが。
いっしょに絵里を運んださゆみは、空気を読んでか愛佳と別室で話をしていた。

「……暴発、したと?」
「ああ、さっきの?たぶんね。気付いたら詠唱破棄で風が起こってたし…」

先ほどふたりを止めた“風の空間”は、絵里の能力の暴発だった。
絵里は意図せずに風を巻き起こし、ふたりを弾き飛ばしたようだった。どうりでれいなが受身を取れないはずだった。
どちらにせよ、絵里の能力が暴発したことで、絵里の肉体に大きな影響を与え、絵里はこうして倒れたのだった。
れいなは素直に自分の失態を反省した。

「ごめん……絵里」
「愛ちゃんに、でしょ?れーなだって、ホントは分かってるんでしょ?」

絵里の言葉にれいなは首を垂れる以外になかった。
愛の言う、現場放棄は事実だった。ジュンジュンが倒れていたにもかかわらず、れいなは怒りに身を任せ、男を追い駆けた。
再び愛が現場にやってくるまで、れいなは男と闘いを続けていたのだ。
それでいて、よく仲間がどうとか言えたものだと自分でも分かっていた。ただ、それでも納得は出来なかった。
あんなにすんなりと“上”の決定を受け入れることが、れいなにはできない。

「でも、嬉しかったよ」
「え?」
「絵里も正直、納得してなかったから」

そうして絵里はいたずらっ子のように笑う。
絵里自身もまた、今回の決定には納得していなかった。だが、彼女は協調を重んじるためか、決して歯向かったりはしない。
だからこそ、大人のやることに口出すれいなが、羨ましかった。
れいなは急に褒められてもどうして良いか分からなくなり、手持無沙汰になったまま、椅子に腰かけた。
無意味に脚をブラブラとさせると絵里はクスッと笑った。
れいなはその姿を見て、いつか彼女に聞かれた質問のことを蒸し返す気になった。

「この前言ってた話なんやけど」
「……ごめん、なんだっけ?」
「闘いたくないのが絵里の夢ってやつ」

それを言うと、絵里は自分の記憶を掘り起こし、「あぁ」と呟いた。
どうやら記憶力の悪い彼女でもその話は覚えていたらしく、れいなはホッとする。

「れなだって、闘いたくないっちゃよ」

れいなは重苦しく言葉を吐いた。
絵里はいつだったか、自分の夢は、この心臓が治ることよりも、闘いの日々が終わることだとれいなに告げた。
生まれつき心臓が弱く、だれよりも「死」に近い場所にいる絵里の口からそんな言葉が聞けるなど、れいなには意外だった。
しかしそれよりも、絵里が言った「れーなは、闘うの、好き?」という言葉の方が、突き刺さった。

「でも、闘わないかん現実があるやん。実際、小春も愛佳もジュンジュンもリンリンも、ダークネスに襲われて重症っちゃ。
れなたちがアイツらを斃さんと、こっちがヤられてしまうやん」

闘うことが喜びだとは思わない。
だけど、そうすることでしか道は拓けない。
究極とも言える二者択一を、どう選べというのだろう。

「れなは絵里みたいに、大人じゃないっちゃ」
「え?」
「闘わんで済む方法とか、れなには分からん」

れいなはばつが悪そうに目を逸らした。

きっと絵里は、れいなより大人なんだろうとれいなは思う。
先日、それこそジュンジュンと最後に会話した日のことが思い起こされる。あの日もれいなは、ジュンジュンは大人なんだなと感じた。
というよりも結局の、自分がだれよりも子どもなんだなと痛感する。
絵里の言うことが理想論だということも分かっている。けれど、その理想を叶える方法を考えるのが大人じゃないのかと思う。

「でも、絵里はれーなみたいになりたいよ」

絵里の言葉にれいなは眉を顰めて向き直った。
彼女はクスッと笑い、少しだけ撥ねている前髪を弄りながらそう話した。

「情に厚くて子どもっぽくて、だからこそ直進するれーなみたいに、なりたい」
「……バカにしとる?」
「してないよぉ。だから今日も愛ちゃんに言ってくれて少し嬉しかったんだって」

絵里の言葉をやはり素直に受け取ることはできず、れいなは頭を下げた。
結局は、互いにないものねだりなのだろうかと思いながら脚をぶらつかせた。

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「あなたがキレちゃだめでしょ」
「反省してます……」

河原の傾斜にしゃがみ込み、愛は里沙の説教を受けていた。
無意識のうちに彼女は、里沙を連れて此処まで飛んできていたらしい。
人気のない場所ではあるが、川に光がキラキラと反射し、夕陽の沈む瞬間が見れるこの場所が愛は好きだった。

「田中っちも言いすぎではあるけどさ」
「れいならしいやろ、あの言い方も」
「まあそうだけどね」

ふたりはそうして静かに流れる川を見つめていた。光が反射して目を細める。
そうしていると、ずっと前から気になっていたことが、徐々に明確な形を成して頭の中で構築されていく。

「……1ヶ月で3人の異動はさすがにおかしいと思う」

愛がぽつんとそう呟くと、里沙はなにも言わずに頷いた。
ふたりとも“上”の行ってきた1ヶ月の人事異動には疑問を抱かざるを得なかった。
確かに小春は大怪我を負って入院したが、意識はちゃんと回復した。ちゃんと療養すれば、現場復帰だって可能だったはずだ。
しかし、それを待たずして“上”は、小春を異動させた。
そして今回、瀕死の重傷を負ったジュンジュン、そして神官であるリンリンの異動を決めた。
怪我の具合で言うならばリンリンは数日休めば闘える状態にある。にもかかわらず、彼らは有無を言わさず異動させることにした。

「異動先も言わない、そして理由も明確じゃない。田中っちがキレるのもムリないって」

上層部の考えが全く読めない。
いままでだって、なにか分かっていたわけではないが、今回の件に関しては特に、である。
新たに出現した強大な敵の正体も、未だ不明である。いったいなにが起きているのか、だれにも分からない。

「9人のリゾナンターが活動しはじめてどれくらい経つっけ?」
「……もうすぐ4年じゃないかな。なんか長いのか短いのか分かんないけどさ」

里沙の答えに愛は静かに頷きながら考える。
川は静かに流れつづける。それはまるで、時の流れと同じように。留まることはなく、ひとつの海に向かって流れる。
変わらないものはない。人も、時代も、いつかは終わりを告げる―――

そう思った瞬間、愛の頭の中でひとつの仮説が弾けた。
まさか?と思うがそれを否定できるほどの材料はいまはない。
確信はない。だが、いちど頭の中に浮かんだ仮説は徐々に膨らんでいき、遂には全体を占めていく。

「あのさ…ガキさん」

口に出すことが危険だとは分かっていた。
そうすることで、余計に確信を深めてしまうことに繋がる気もする。
いったいなぜ、それでも愛は口にしたのだろう。

「世代交代って、あるんかな?」

考えたくもなかった、リゾナンターをバラバラにしてしまうというその結末を―――


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夜の闇が静かに街を包んだ。
現在時刻は23時37分。もう20分もすれば、ジュンジュンもリンリンもリゾナンターからの異動が決まる。
未だに目を醒まさないジュンジュンの病室に入り、リンリンは息を吐いた。
自分も脚をひどく痛めたが、彼女の程の比ではない。静かに眠るジュンジュンの姿に胸が痛んだ。

「……再見、李純」

リンリンはそう呟くと踵を返し、病室から出た。長い廊下には夜の帳が落ち、静寂に耳が痛む。
頭に巻かれている包帯が邪魔で外した。少しだけ血が滲んでいる気もするが、もう不要だ。
階段を降り、正面玄関から外に出たときだった。そこには彼女が佇んでいてリンリンは大袈裟に肩を竦めた。

「何処に行くの?」
「ちょっと、買い物デス、ハイハイ」
「……人ってウソつくとき、左斜め上を見るんだってね」

道重さゆみの言葉にリンリンは困ったなあというように笑った。
当然、さゆみは笑うことなく哀しい瞳を携えたまま、リンリンを見ている。
さてどうすれば良いのかと考えながら、周囲にはさゆみ以外に誰もいないことを確認した。

「止めたって無駄だろうから言わないけど、ひとりで行かないで。さゆみだって足手まといにならないくらいの戦力にはなるの」

さゆみの強い言葉にリンリンは眉を顰めた。
てっきり、止められるのかと思ったが行くことに関しては推奨してくれているようだ。
まあ実際、彼女から止められたところで、いまさら退くわけにはいかないのだが。

「これは私ノ問題なんデス」
「なに、それ…」
「すみません、ワガママデス」

そうしてリンリンは呟くと一歩さゆみに踏み出した。
さゆみは思わず構えたが、彼女はそのままさゆみにぎゅうと抱きついてきた。
少しだけ小柄な彼女は精一杯に背伸びをして、さゆみの首の後ろに腕を回す。

「私、シアワセですよ」
「え?」
「心配してくれテ、ありがとうございマス」

さゆみの体は柔らかくて温かい。
彼女に触れていると、自分も生きているんだと実感することができた。
家族と離れて生活することなんて慣れていたのに、ふとした瞬間に温もりが恋しくなることがある。
さゆみの体から香った甘い匂いは、どうしてだろう、幼いころに抱きしめてくれた母親と重なる。
たぶんそれは、身長差がそこそこあるから、というものもあるのだろうけど。

「リンリン……っ!」

さゆみが油断していた瞬間だった。
リンリンは首の後ろ、頸椎を軽く刺激し、彼女の意識を奪った。
ほぼ無抵抗に近かったので、まさに赤子の手を捻るようなものだった。
リンリンは気絶したさゆみを慌てて抱き抱えると、再び正面玄関から待合室に入り、近くのソファーに寝かせた。

「これはプライドの問題なんです、道重さん……」

それだけ呟くと、リンリンはさゆみに頭を下げて走り出した。
静かな闇が彼女を包み込んでいく。冷たい風が頬に当たって痛い。
月も星も見えない夜の街を、リンリンはひたすら走り続けた。


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1週間前、ジュンジュンとリンリンが闘った場所に再び立った。
暗闇が周囲を支配し、自分の信念すらも呑み込もうとする。だが、決して負けてはいけないと奮い立たせた。

リンリンは天を仰ぐと「いるんだろウ!出てこイ!」と叫んだ。
闇に声が響いた直後、周囲の暗さがいっそう増した。
しかしそれは、ヤツが来た証拠ではなかった。この感覚は、リンリンも経験したことがある。
リンリンは「彼女」となんどか闘っていた。

「やぁ」

そうして軽口を叩いて彼女は現れた。
リンリンは声のする方を振り返る。そこには氷の魔女―――ミティが静かに立っていた。

「あなたに構っていルほど暇じゃないんですヨ」
「おー、言うねぇー。でもまぁそうつれないこと言わないでさ」

ミティは右手の平をこちらに向ける。
そこには既に氷の塊が現れていた。

「ちょっと私と遊んでよ」

それだけ言うと、彼女は氷の塊をこちらにぶつけてきた。慌ててリンリンは距離を取る。
ミティは妖しく笑ったかと思うと、両腕を広げ、無数の氷の矢をつくりだした。
さすがに避けきれないと悟ったのか、リンリンは逃げる脚を止め、右手に力を込めた。

無数の矢が飛んで来た瞬間、リンリンは“発火能力(パイロキネシス)”を使い、焔の壁をつくりだした。
氷の矢は焔に包まれて溶けて威力を失うが、根本の解決にはなっていないことに気付いていた。

「リンちゃん知ってる?」

壁の向こう側でミティが笑っていることに気付く。
どうにか打開策を考えるが、どうしても思いつかない。

「焔って結局、水には勝てないんだよっ!」

その言葉の直後、焔の壁はミティのつくった吹雪によって振り払われた。
雪が焔を舞い上がらせ、あっという間に裸にされる。
これを恐れていたのだが、次の手を取る前に、ミティから再び氷の矢を受けた。
よりによって避けきれなかった左脚に直撃し、リンリンは苦痛に顔を歪ませた。

「あー、ごめんごめん。怪我治ってなかったんだっけ?」

雷の刃を受けた左脚を、今度は氷の矢が襲った。
まだ完治していないその部分に突き刺さった矢をリンリンは必死に抜いた。
血が一気に溢れ出すことも気にせずに、リンリンは歯を食いしばって彼女を睨みつける。

「あの男ハ何処にイル?」
「へー。威勢が良いね。怪我、痛いんでしょ?」
「何処にイルと聞いてるんダ!答えロ!」

劣勢になったとしても光を失わないその瞳にミティは肩を竦めた。
そういう仲間意識がダークネスには薄いため、彼女が此処まで激昂する意味が分からなかった。
ただとりあえず、質問には答えようと、口を開いた。

「残念ながら私も知らないんだよ」
「ふざけるなっ!」

ミティの答えにリンリンは抜いた氷の矢を“念動力(サイコキネシス)”を使って彼女に投げつけた。
慌てて避けるが、それでも矢は彼女の頬を掠めていた。
頬を赤い鮮血が伝い、ミティは鬱陶しそうにそれを拭った。

「あいつの考えなんて誰も知らないんだよ」

矢を向けられても変わらない氷の魔女の言葉を、リンリンは必死に噛み砕こうとした。
居場所を知らない?いくらダークネスが仲間意識が薄いとはいえ、味方の居場所を把握していないとはどういうことだ?

いや、待てよ。とリンリンはいちど思考を組み立て直す。

そもそも仮定が間違っているのか?

「あいつは明確な意思があって、君らと闘ってるわけじゃないしね。私らと違ってさ」

その言葉にリンリンはハッとする。
慌てて、あの男はダークネスの一員だという仮定を立て直した。
あの男はダークネスの一員ではないと仮定する。
いや、それにしてはミティの言葉が引っ掛かる。
「明確な意思がない」とはどういう意味だ?あの男はなんの目的があって私たちと闘っているんだ?

「お喋りがすぎたかな、ほら、本人来たから聞いてみれば?」

ミティの言葉にリンリンは振り返る。
そこには1週間前にも対峙したあの黒い男が立っていた。
前門の虎、後門の狼とはこのことかと考えていると、「見学させてもらうよ、今後の参考までに」という声がした。
視線だけ背後のミティに向けると、彼女はふわりと飛び上がり、近くのビルの屋上まで辿り着いていた。

「よそ見してるとやられちゃうよー」

そうして高みの見物を決め込んだミティの意図がよく分からない。
分からないのだけれど、彼女の言葉は事実のようで、リンリンは慌てて男と距離を取った。
男は暗闇の中でステップを踏むと、一足でリンリンの間合いに入り込んできた。
そのまま刀を抜くと、再び彼女の脚を砕こうとする。

「っ、させるかっ!」

リンリンは両手につくった火球を男にぶつけるが、男は一瞬早く動き、それを躱わす。
先日闘ったときから思っていたが、この男のスピードはあまりにも速すぎる。
体格がさほど小さいわけでもないのに、どこからこの瞬発力はくるのだ?

だが、あまり深く考えている余裕もない。
先ほど氷の魔女と闘った際に、脚の傷口は完全に開き、いまもなお失血は続いている。
それ以外にも受けた傷は多く、体力も段々と奪われていく。
長期戦になると、不利なのは間違いなくこちらだ。早くケリをつけないと、眼前に迫るのは死だ。

リンリンは充分な距離を取ったあと、“念動力(サイコキネシス)”によって落ちていた石礫を持ち上げた。
その後、それらに“発火能力(パイロキネシス)”を働かせて火をつけ、さらに“念動力(サイコキネシス)”で男に投げつけた。
焔の石礫は男に向かって攻撃を始めたが、男はなんら慌てることなく刀を振りかざして石を落とす。

「なにか…突破口は……」

リンリンの目に焦りが映る。あの男に隙や弱点というものは存在しないのだろうか?
どんな強敵でも完璧なコンピュータでも、必ず綻びはある。精巧につくればつくるほど、そのようなエラーは存在しやすい。
もちろん、その突破口を見つけられるか否かは能力者次第だが。

男の攻撃を躱わしながら、リンリンは自分の持っている知識と仮定を整理し、なんとかロジックを構築させる。
男のスピードは常人よりはるかに速く、体もしなやかに動くため肉弾戦にも強い。
刀を自在に操り、カマイタチ現象で人を攻撃する。そのカマイタチは“雷の刃”にもなる。
また、“雷の刃”だけではなく、詠唱によって雷を操ることも可能。
そしてあの男は、ダークネスではないのかもしれない。

「お前はなんのために闘うんダ?!」

時間稼ぎをしようと思ったつもりはない。
だが、リンリンはどうしても気になった。この男がなんの意思を持ってリゾナンターと闘うのか。
もし本当にダークネスでないとしたら、もっと別の脅威がリゾナンターに降りかかろうとしているのか。
ダークネスの一員であるミティを攻撃しないことを考えると、三つ巴よりも一時的な協定を結んでリゾナンターを攻撃しているのか。

「答えロ!」

なにかヒントが欲しかった。
行き詰まりすぎて窮屈なこの現状を、どうかにか突破できるなにかがある気がする。
この男の意志を、知りたかった。
しかし、男はリンリンの問いかけには答えず、刀をしまう。間髪入れず刀を振り抜き、カマイタチが発生した。
見えない刃に雷を乗せるなど、常識の範疇を超えていると思いながらも、リンリンは角を曲がり、それを避けた。
雨がポツリと落ちてきた。そういえばこの男と会うといつも雨が降るなと思う。
雷を使えることだけあって、やはり雨雲を引き連れてくるのだろうかと考えたところで、リンリンは立ち止まった。


―――待てよ。


小春や愛佳と闘ったときも確かに雨が降っていた。だが、愛佳の話だと、あの男は“雷の刃”も雷という能力も使っていなかった。
それは果たして、偶然なのか?

「っ……お前はだれなんダ!」

リンリンは両手で地面を殴りつけると、地割れが始まった。
地割れは男の足元まで辿り着き、そこから焔の盾が燃え上がった。
男はバックステップで逃げたが、微かに避けきれなかったのか、左脚が燃えている。
リンリンは漸く訪れたチャンスに畳みかけることを決意した。脚の焔に気を取られている男にいくつもの火球を繰り出す。
躱わせる距離ではないと、確信していた。

しかし、男はそれも躱わした。
まるで先を予見していたかのようにひとつひとつの火球を避け、左脚の焔を消した。
いったいなぜ、そのようなことができるのかが分からない。
考える間もなく、リンリンの目の前に鉄骨が落ちてきた。
男が刃をこちらに向け軽く切先を動かしていることに気付く。まさかこいつ―――!

「“念動力(サイコキネシス)”?!」

男は刀を持ち上げると軽く真一文字に空気を切った。同時に石礫がリンリンに向かって襲いかかってくる。
なんの悪い冗談だと思いながら石を避ける。あの男はどうしてこうも多くの能力を有しているのだ?


瞬間、頭の中でなにかが弾けた。
“雷の刃”・悉く避けられる攻撃・“念動力(サイコキネシス)”……


それらに共通することなど、ひとつしかないじゃないか―――

 -------

「リンちゃん頭良いからねぇ…なんか気付いちゃったかな?」

ミティは屋上からふたりの闘いを見ていた。
リンリンが必死に思考を働かせ、なんらかの事実に気付いたことは見て取れる。
確証は持っていないようだが、どうやらひとつの仮定が立ったようだ。
あの男の正体にはまだ気付いていないとはいえ、よくこの短時間でロジックが構築されたものだとミティは素直に感心した。

「他のメンバーに気付かせるヒントになるかもねー…まー、気付いても斃せるかどうかって話だけどね。どう転んでも、こっちには不利益になんないし」

ふと、すぐ傍に迫ってきた“感覚”にミティはピクッと反応する。
どうやら見物も此処までのようだ。

「勝負の決着まで見てたかったけど、こっちまでやられるのは御免だね」

ミティはふわりと飛ぶと、一足で隣のビルへと渡った。
瞬時に吹雪を巻き起こし、そのまま暗闇へと消えていった。

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リンリンの右脚が砕け、思わず地に伏せた。
男の操った鉄骨は彼女の右膝に突き刺さり、その動きを止めた。どす黒い血が脛を伝い、地面へと染み込んでいく。

立ち上がろうとするが、全身に力が入らない。
全快していない体で動いたせいか、体力はとうになくなり、能力ももう発動しなくなっていた。
遂に「死」が全身を包み込んだかとリンリンは覚悟した。

ふたりの周囲は焔で包まれている。このまま動かなければ、蒸し焼きだろうなとぼんやり思った。
男はリンリンの目の前にやってくると、その頭にぴたりと刀を合わせた。
脳天から真っ二つか。まあ、蒸し焼きよりは悪くないかと苦笑しながらジュンジュンのことを思い浮かべる。

彼女はどういう想いで闘っていたのだろう。
なにを感じながら、この男と対峙していたのだろう。
少しでもその感情を掴みたかったのだけれど、掴む前に死を受け入れることになりそうだった。
ああ、情けないな……

「護れなくて、ごめん―――」

男は刀を振り下ろす。
何処かで派手に雷が落ちた。
辺り一面が、温かい光に包まれた。