『“未来”への反逆者たち ―チカラとココロ(2)―』


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最後に一度だけ振り返り―――愛とれいなは“未来”へと向かった。

それを見届けたあさ美は、視線を自分の腕の中へと戻す。
様々な感情が浮かび、揺らめき、そして溢れ出している里沙の瞳が――そこには在った。

「あさ美ちゃん………どうして?」

その里沙の口からただ一言発せられた問いは、あさ美の脳裏にいくつもの場面を呼び起こした。
どうして自分は今こうしてここにいるのだろう。
“組織”に対して、いつか自分が明確に反旗を翻すことになると、深層で確信したのはいつだったのだろう。

愛とれいなに初めて出逢ったあの日だったのだろうか。
“潜入”の任務を負った里沙に「トロッコ」の喩え話をしたときだっただろうか。
それとも、愛とれいなに初めて“敵”として対峙したあのときだったのだろうか。

里沙の離反を知った日。
―――表面上冷静にその事実を受け止めたあのとき?

れいなを呼び出し、過去と自分の思いを告げた日。
―――淋しげながらも強い口調で「そんなのは間違っている」と言われたとき?

れいなからの電話を受けた日。
―――その必死の懇願に冷たい答えを返したとき?

…どの瞬間も、自分の中に何かを生んだのは確かだ。
だけど、これまで演じてきた“Dr.マルシェ”を完全に捨て去る決意には至らなかった。
自分の弱さを認めるまでには。

おそらくは、本当につい先ほど―――
命の灯が消えかかっている里沙を目の当たりにしたとき、自分はようやく本来自分が歩むべきだった道に戻ったのだ。
喩えそのような場面が訪れたとしても、絶対に心動かすことはしないと―――そう誓っていたのに。

「さあ、なんでかな?自分でも分からないよ」

だが、あさ美は苦笑を浮かべながらそれだけを返し、微かに肩をすくめた。
それはそれで、紛れもない本音でもあった。

「…そっちの治癒能力者さんとさ、わたし偶然2人きりになったことがあるんだよ」

僅かに訪れた沈黙の後、あさ美は静かに口を開いた。
自分が何を話そうとしているのか、自分でもよく分かっていないままに。

 道重さゆみとの初めての邂逅は、長らく続いた雨がようやく降りやんだ朝の大学構内だった。
 隣りあって座りながら名前も知らずにいた相手が何者かを知ったのは、その講義の後の出来事がきっかけ。
 食堂に向かう途中の、ひと気のない作業現場で見つけた重傷者。
 そして――わたしという会ったばかりの他人が目の前にいたにも関わらず、さゆみはそのチカラをさらけ出した。
 そうしなくては手遅れになることを理解しながら、何もしなかったわたしを尻目に。

「無防備でバカな子だなって思ったよ。だけど……多分本当は心底羨ましかったんだと思う」

自分とまったく同じ能力。でも……自分とはまったく違う“チカラ”。
あのとき抱いた複雑な思いもまた、言葉で説明するのは難しい。

 その後、食堂で向かい合ったさゆみは、何も聞かないわたしに戸惑いの視線を向けてきた。
 そんなさゆみに、わたしは分別顔でその場しのぎの説教を垂れた。
 特別な力を持っているからといって自分が“普通”じゃないなんて思うことはないと。
 個人個人が得意分野を生かした職につき、世の中の役に立っているのと変わらないと。
 それと同じように、その力をうまく使えばみんなが喜んでくれるのではないか……と。

「本音ではそんなこと欠片ほども思ってない適当なわたしの言葉を、あの子は真剣な顔で聞いてた。ほんと…バカだなって思った」

例えば光と闇のように―――決して溶け合わないものがある。
“普通”ではない自分たちの存在は、この世界に混ざり合うことは永劫できない。
おそらくは自分と似通った道を歩んできていながら、まだそのことに気付かずにいるらしい目の前の少女が腹立たしかった。


「でも……結局はそういうことなんだよね。いつになるのか…ううん、実現するのかすら分からないけど」

さゆみに語って聞かせた、中身のない薄っぺらな理想論。
だが、それこそが唯一の真実だったのかもしれない。

生まれた場所、肌の色、信ずる神―――
色々な要素を基に、人は自分の中に“普通”と“そうでないもの”を分ける境界線を引き、その線の向こう側に在るものを排除しようとしてきた。
真に排除すべきは、その境界線そのものであるということに気付かないままに。
そして、罪のない多くの涙や血を流し、累々たる悲しみの上に立っていながらも……それは今なお続いている。

自分も同じだったのだと今さらのようにあさ美は思う。
「悲しみの連鎖を断ち切りたい」などというもっともらしい正当性を振りかざしながら、その実は、自分が境界線の“こちら側”に来たかっただけだったのだ。
利己的な臆病者、傲慢な偽善者、見せかけだけの空ろな科学者―――それが自分であったのだ。
きっと。

「あさ美ちゃん。あのときさ……わたしが愛ちゃんたちの“監視”の任務に就くのを見送ってくれたとき、言ってたよね?」

自嘲の淵に沈んでいたあさ美は、その声に我に返った。
焦点を結んだ視線の先には、里沙の真っ直ぐな瞳があった。

「完全に治癒するまではそのままでいて、里沙ちゃん」

起こそうとした体をそっと押し戻すあさ美の手とその言葉に素直に従いながらも、里沙は目を逸らすことなく言葉を継ぐ。

「『迷ったらダメだ』って…あさ美ちゃん、そう言ってたよね?『そこにたまたまわたしが立っていたことをラッキーだと思わなきゃいけない』…って」
「……うん、言ったね」

そう、あのとき自分は里沙に言った。
多くの作業員を轢き殺そうとしているトロッコを、脱線させて止めるための“手ごろな物体”―――それが、すぐ隣に“在る”ことを幸運に思わなくてはいけない…と。
言外に、「逆に里沙自身も、わたしから見ればトロッコを脱線させるための“手ごろな物体”なんだよ?」という意味合いを含ませて。
間抜けにも自分自身が実践できなかったが、その考え自体が間違っていたとは今でも思わない。


「わたしさ、あのときに言うべきだった。『本当にラッキーだね』って」
「え……?」

だが、そう続けられた里沙の言葉に、あさ美は意表を突かれて首を傾げる。
そんなあさ美に、泣き出しそうな表情を一瞬見せた後、里沙は言葉を重ねた。

「『だってあさ美ちゃんがいてくれたら、誰一人傷つかないで済む方法がきっと見つかるから』って……言うべきだった。あのときそう言うべきだったんだよ……わたし……」
「里沙ちゃん……」
「あさ美ちゃん、頭いいしさ。絶対その方法が見つかるはずなんだよ。…見つかるはずだった。もっと早く……それに気付いてたら……ごめん…ごめんね……」
「………」

言葉を失くして里沙の潤んだ両目を見つめながら、あさ美は今さらのように気付かされていた。
里沙もまた、トロッコから降り、自分の足で歩き始める時期が遅すぎたと悔いていることに。
同時に、自分だけがトロッコから降りたことに、いまだに深い罪悪感を抱え続けていたのだということに―――

「ま、過ぎたことを言っても始まんないよ。…大体そんな一言で変われるほどわたしがバカ正直じゃないってことは、里沙ちゃんもよく知ってるでしょ?」

内心を押し隠した声で言葉を返しながら、あさ美は再び苦笑の表情を形作った。
次いで、その笑みを消し、一つ大きな息を吐く。
そして続けた。

「だから……考えようよ。今からでもさ。その方法を。歩くべき道を。2人で。わたしと里沙ちゃんで。一緒に」

もう遅すぎる……でもまだ間に合うこともある。
あまりにも陳腐に聞こえる……それでもそれが答えの一つ。

自分にも言い聞かせるように、一言一言区切りながら口にしたあさ美のその言葉に、里沙は僅かに目を見開き…そして微笑みを浮かべて口を開いた。


      *      *      *



    ピシャッ―――

――――!?

だが、そこから出かかっていた里沙の言葉は、顔にかかった温かい何かと、あさ美の驚いたような表情によって遮られた。

「――ッ!!あさ美ちゃん!!」
「か……は……」

あさ美の膝から跳ね起きた里沙の五感に、雪崩れのように情報が飛び込んでくる。

あさ美の胸の真ん中に広がりつつある朱色。
そこから散った飛沫の生々しい鉄の味。
半開きになった口から漏れる声にならない声。
咄嗟に抱きとめた腕から伝わってくる脱力感。
その体から立ち上る冷え冷えとした不吉な香り。

そして―――
視界の隅に映る一人の女性の立ち姿―――

「いつから敵の“お医者さん”になっちゃったわけ?Dr.マルシェさん」
「石川さん………」

それらの情報を絶望で彩るかのごとき石川梨華の――粛清人“R”の端整な無表情に、里沙は茫然とした瞳を向けた。

「紺野、あんたとなら…もしかして分かり合えるかもしれない、ってちょっとだけ思ってたんだけどな」

小馬鹿にしたような口調でそう言いながら、石川は里沙の腕の中のあさ美を見下ろす。
その表情に浮かんだ、いつもの嘲るような笑みを見た瞬間――里沙は何故か理解した。

今の石川の言葉が、紛れもない本音であったことを―――

「さて。あたしがここに立ってることの意味は分かるよね?里沙」

数瞬、視線を固定したまま沈黙していた石川は、その目を里沙に向け、いつかも聞いた台詞を口にした。

 ――この台詞を2度聞いたのはきっとわたしが初めてだろうな

激しく暗い炎が燃える石川の瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、里沙はふとそんなことを思った。

  『Remove the Betrayer ――裏切者は消去せよ――』

“組織”の不文律。
そしてそれが具現化された存在――粛清人“R”。
彼女がこの台詞とともに前に立つことは、その者に逃れえぬ死が迫っていることを指すのだから。

「…分かります」

だが、あのときと同じように静かに肯定の言葉を返す里沙は、確かにその言葉の“意味”を理解していた。
台詞はまったく同じでも、そこに込められている“理由”が、前回とは完全に違っていることを―――

「里……沙ちゃん……」

そのとき、自分の膝元から発せられた囁くようなその声の方に、里沙は慌てて視線を向けた。

「里沙……ちゃん、あの人、を……石川、さんを……解放、して……あげて……」
「あさ美ちゃん……」
「可哀、想な、人……孤独、な人……わたしと…同じ……里沙ちゃんと……同じ……」

その言葉で、里沙は知った。

石川の心の声は、あさ美にも届いていたのだということを。
そして、それにも関わらず互いにこのような形でしかそれを表現できずに終わったことに、深い後悔を抱いていることを―――


「ごめん、ね、里沙、ちゃん……2人で、見つけ、ようって……言って、た、けど……無理…みたい…」
「謝らないで…あさ美ちゃん、いいから…!もう…いいからっ……!」
「見つ、けて…里沙、ちゃん……が……。でき、る…よ…里沙……ちゃんた…ち…な………ら………」
「あさ美ちゃん……!」

最後に微かに笑みを浮かべ……あさ美は静かに目を閉じた。

「…分かったよ、あさ美ちゃん。わたしなんかに何ができるか分からないけど……でも……もう迷わない。だから…見守っててね」

ただ眠っているかのような、穏やかな表情のあさ美にそう呟きながら微笑みかけると、里沙はその体をそっと床に横たえる。
そして両手を胸の前で組ませ、黙祷を捧げるとゆっくりと立ち上がり、その視線をようやく石川に戻した。

「仲良しのお友達とのお別れは済んだ?里沙ちゃん」
「はい。待ってていただいてありがとうございました」

冷笑の響きを含ませた石川の言葉に対し、里沙は本心からの言葉を返した。
一瞬、目を泳がせるようなそぶりを見せ、石川はそれを取り繕うように口を開いた。

「どういたしまして。何しろ紺野はあたしの命の恩人様だからね」

大げさな身振りで肩を竦め、沈黙を嫌うかのように石川は喋り続ける。

「油断してたらピストルでこの辺撃たれてさ、でも紺野が貸してくれてたプロテクターのおかげで命拾いしたんだよね」

胸の辺りをトントンと中指で叩きながら軽い口調でそう言う石川の視線が、一瞬あさ美の上を通り過ぎる。

「で、そんときの経験にヒントを得たのが、この念動弾―サイコ・ブレット―。あんたが記念すべき第1号の“体験者”だったんだよ、紺野。光栄でしょ?」

甲高く、乾いた笑い声を上げる石川を静かに見つめる里沙のココロの中には、憎しみや恐れ、悲しみの感情はもうなかった。
ただただ、やるせない思いとそして―――
あさ美がつい先ほど遺した言葉が“覚悟”とともに在った―――