『the new WIND―――李純』


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*

れいなはなにもなくなった右手をぼんやりと見つめた。
確かにいまのいままで、この掌の中には新しい能力の結晶である刀が存在していた。

この能力が目覚めたのはつい最近のことだった。
確かな予兆はその前から会ったのだが、明確に形を成して現れたのはこの2週間のことだった。

「なんで……いまやっちゃろ」

れいなはひとりそう呟いて天井を仰いだ。
あの頃見上げていた青空よりもずっと狭い白い天井に辟易する。
ぶら下がった蛍光灯はずいぶんとくたびれていて、そろそろ交換しないことにはいまにも切れそうだった。

「もっと早く……欲しかったっちゃん…」

ここ2週間で現れた、周囲に存在する気を集中させ、ある物体へと具象化させる能力。
それ自体は嬉しいのだけれど、どうしていまなのかを考えさせた。
あの夏の終わり、久住小春の異動から始まったリゾナンターを巡る一連の事件の中で、なぜこの能力は目覚めなかったのか。
そうすればもしかして、未来は変わっていたのではないかとれいなは思う。

あり得た未来。
存在したかもしれない未来を、れいなは思う。

きっとそれに、手が届くことはないのだろうけど―――


 -------

喫茶リゾナントは平日の昼間だというのに繁盛していた。
こういう日に限って、愛と里沙は別件の仕事があるとかで店を開けている。
れいなは厨房でパスタをつくるために鍋を振る。

「れいなー、オーダー入ったよー」

さゆみの声にれいなは「はーい」と声を出した。
同じく厨房のジュンジュンがオーダーを受け取り、料理に入る。
今日は売り上げが伸びそうだなと思いながら、れいなはパスタを盛りつけ始めた。



ランチ営業がひと段落したのはその2時間後のことだった。
れいなはアイスコーヒー片手に屋上に上がり、ぼんやりと夕暮れ空を見上げた。
秋とはいえ、まだまだ暑い日は続く。天に鎮座する黄色い太陽もまだ熱く輝いていた。

「田中サン見っけ」

明るい声の方をふと見ると、そこには自分よりもずいぶん背の高い彼女がいた。
ジュンジュンはニコッと笑うと断りもなくれいなの隣に腰を下ろした。彼女もまた、れいなと同じようにアイスコーヒーを手に持っている。

「今日混んデ大変ダタネー」
「……うん」

れいなは気のない返事をするが、ジュンジュンはまだ笑ったままだ。
あの闘いがあった日以来、れいなはなんとなく、ジュンジュンのことを正面から見ることができなかった。
「いろいろあったから」という理由があるにせよ、れいなはジュンジュンのことを疑い、彼女が裏切ったと思い込んでいた。
実際はそんなことはなく、彼女は同じリゾナンターのために、新たな能力者を倒しに行っていたのだ。

129 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/07/10(火) 20:18:44.28 0
信じ切れなかったこと、疑ってしまったことに、れいなは恥じた。
そんな薄っぺらい信頼感とか絆をもって、リゾナンターとして闘っていたわけじゃないのに。

「田中サン今日ヒマ?」

急に話を振られれいなは「は?」と返す。
色を持った言葉が帰ってきて嬉しかったのか、ジュンジュンは先ほどよりも楽しそうに笑った。

「新メニュー考えようヨー。バナナ使った新メニュー売ろうヨー」
「それジュンジュンが食べたいだけやろ?」
「ソンナコトナイヨー」
「急にたどたどしくなっとぉよ」

れいなは苦笑しながら肩を竦めた。
季節の変わり目とはいえ、メニューの考案は現在のマスターである愛に任せている。
案を出すことに問題はないが、なぜ急にそんなことを言い出したのか、れいなには不思議だった。

「ネー、田中サンいまからつくろうヨー」

ジュンジュンはれいなの肩を激しく揺さぶる。
華奢だとか可愛いとか自分で言う割に、彼女の力は予想以上に強い。れいなの体はブンブン揺れ、思わず酔ってしまいそうになった。

「分かった、分かったっちゃ!」

れいなはありったけの力で彼女を振りほどいた。
もしかして肉弾戦だと意外にも接戦になるのかもしれないなとれいなは苦笑した。

「ワーイ!じゃあバナナいーーっぱい入れた料理つくってネ」
「結局バナナ食いたいだけやん……」

れいなが肩を落としたのも束の間、ジュンジュンはすくっと立ち上がり、入口へと歩いた。
早く早くと急かす彼女にれいなも仕方なしに重い腰を上げた。
相変わらずジュンジュンはニコニコと笑ったままで、どう言葉を返して良いか分からなくなり、れいなは頭をかく。

きっと彼女は、自分よりも随分大人なんだろうなと思った。
身を挺して仲間を護ろうとしたのに、その仲間に疑われたこと、もしれいなが同じ立場だったら、とてもではないが納得いかない。
子どものように怒り、理不尽にその矛先を仲間にぶつけてしまったのだろうと思う。
でもジュンジュンはそんなことをしない。疑われることも覚悟し、敵を倒すためにひとりで走り出した。
彼女は自分たちを信頼してくれていたのにと、れいなは下唇を噛んだ。

「田中サン優しいダヨ」

未だ黙ったままでいるれいなに対し、ジュンジュンはニコッと笑ってそう言った。
顔を上げて彼女の瞳を見つめると、その姿はやはり大人びていて、真っ直ぐで、とても綺麗だと純粋に思った。

「田中サン仲間のこと大切ダカラ、ジュンジュンのこと、怒鳴ったんデショ?」

ジュンジュンは先ほどから変わらぬ笑顔を見せる。
秋の切ない風に彼女の長い黒髪が靡いている。
れいなよりも年上で、身長も高くて、恐らく胸も大きいジュンジュンは、すべてを包み込んでくれそうな気がした。

「間違ってナイヨ、田中サン」

だが、それに甘えてはいけない。
れいなが一瞬でも、仲間を疑ったのは事実だったから。

「……怒りぃよ、もっと」

でも、れいなから出てきた言葉は、意図に反したものだった。

「れなはジュンジュンを疑ったとよ?裏切ったって、信じとったのにって!もっと、もっと怒りぃよ!信頼しろって、そんな容易いもんやないって!」

上手く言えないから言葉が沈む。
出てきてほしい、伝えたい想いは深くに潜まり、なんの意味もない理不尽な怒りが込み上がる。
こんなことが言いたいわけじゃないのに。口を突くのは子どもっぽい思いばかりだった。

「あのとき、おんなじコト田中サンしたラ、ジュンジュン疑ったカモしれなイ」

ジュンジュンははっきりとそう言い放つと、れいなの右手を握った。
両手でぎゅっと握られた手は温かくて、優しくて、何処か懐かしい感じがしてほっとする。
高ぶっていた感情が自然と落ちていくのが分かった。

「久住サンいなくなっテ不安ダタカラ、これ以上仲間減るのイヤダ思ったダ」

ジュンジュンはれいなの手を握ったまま、そっと自分の額まで持っていった。
身長差があるため、れいながつま先立ちになってしまいそうなので、ジュンジュンは少しだけ腰を折る。
額にこつんと手が触れる。指先に確かに感じたその想いが、れいなの記憶を呼び覚ます。
あれ?前にもこんなこと、なかったっけ?と。

「デモ、田中サン叫んダときに思いましタ。田中サンは絶対裏切らなイ。仲間がいちばん大事ダカラ」

そうしてジュンジュンはれいなの手を下ろす。握られた手はまだ離れない。
彼女は今日見た中でいちばん優しく微笑んだかと思うと、れいなに言葉を渡した。

「ジュンジュンは、田中サンのこと信じてル。ダカラ、田中サンもジュンジュン、信じて」

ジュンジュンの真っ直ぐな瞳に、れいなはただ頷いた。
ごめんとも、ありがとうとも云えずに、ただ神妙な面持ちで頷く以外に術はなかった。
そうだ、とれいなはふと記憶の扉を開ける。
もう顔も思い出せない、声も、名前も、すべては後付けの記憶でしかないのかもしれないけど、とれいなは思う。

先ほど感じた瞬間の記憶、ジュンジュンの優しい温もりは、幼いころにれいなを抱きしめてくれた、母親のそれと、重なった―――


れいなはなんどか確認するように頷くと、瞳の奥に熱いものを感じた。
おいおいウソやろと誤魔化すように空を仰いだ。
相変わらず空は青くて、綺麗で、なんだか無性に腹立たしくなる。
どうして人がこんなにも悩んだり、苦しんだり、哀しんだりしているのに、空はいつも青いのだろう。
少しくらい呼応して、雨でも降れば良いのにと八つ当たりしてみたくなった。

「田中サン泣いてルー?」
「な、泣いとらん!」
「可愛いー!泣いちゃってルー!」

先ほどまでは大人びて母親のような目をしていたのに、いまは意地悪なお姉さんのような目でジュンジュンはれいなに絡んだ。
ああ、もう、なんやっちゃ!とれいなはジュンジュンの手を離した。
いままで傍にあった温もりがなくなって、少しだけ、寂しかった。

「あー、いたいたー!」

そのとき、屋上の扉が威勢よく開き、ついでに小うるさい声が飛んできた。
道重さゆみはわざとらしく頬を膨らませれいなたちに近づいてきた。

「ふたりともちょっと来て。これからじゃんけんするから」
「……なんの?」
「買い出しじゃんけん。食材が足んないの」

そう言うさゆみに急かされるようにれいなとジュンジュンは屋上を後にする。
屋上の扉が閉められたかと思うと、先ほどまで青かった空に急に雲がかかり始めた。
天の中心に鎮座した太陽は、少しずつその雲に覆われ始めた。

**


 -------

愛佳は椅子に座りながらランチ営業の収支決算をしていた。
まだまだ暑い日が続くせいか、喫茶店で涼んでいこうという客は多く、今日の売り上げは伸びていた。
愛佳の脚はまだ万全ではなく、現場には復帰していない。怪我の容体を考えると当たり前といえば当たり前だった。
小春よりも軽傷であるとはいえ、左脚の膝から下はぐちゃぐちゃだった。
神経が繋がっていることが奇蹟だと医者に言わしめたほど、彼女の脚の損傷は激しかった。
逆に言えば、腹部の方はいくつかの内臓が傷ついていたものの、あの闘いから1ヶ月経ったいまでこそ順調に回復はしている。
そうは言っても、現場復帰など到底先の未来のことだとは分かっていた。

結果、愛佳を除いた5人でじゃんけんをして、負けた人間が買い出しに行くという原始的な方法を取ることになった。

「えー、私負けたダ」

そうしてジュンジュンのひとり負けが決定し、買い出し係に任命された。
公平なじゃんけんでは文句を言っても仕方ながない。リンリンからメモを受け取り、この暑い日差しの中でスーパーまで歩くことにした。

「じゃあ、気をつけてね」
「分カリマシタ」

さゆみの声を背に受け、ジュンジュンは喫茶店の扉を開けた。
少しだけ弱めの西日が射しこんできたその瞬間に、愛佳の脳内に微かなヴィジョンが現れた。
明確な色を持たず、不定形なその未来に、愛佳は思わず「ジュンジュンっ!」と声を出した。
呼ばれた彼女は「ハイ?」と振り返る。その瞳は恐れも迷いも持たず、愛佳はなんと言って良いのか分からなくなった。

「なんか……視えたと?」

れいなの不安そうな言葉に愛佳は自信なさげに頷いた。
ハッキリとしたヴィジョンが視えたわけではない。あまりにも曖昧で不確かなその未来は、伝えるには早計過ぎる。
だが、愛佳には小春を救えなかったという負い目があった。
もし自分の視た未来がなんらかの形でジュンジュンに関わり、彼女を危険な目に遭わせるというのなら、それはなんとしても避けなくてはならない。
あんな風に、仲間が傷つくのはもう嫌だった。

「だいじょうぶダヨ光井サン」

そんな愛佳にジュンジュンはニコッと笑いかけた。
彼女がどれほどの苦しみを背負っているか、ジュンジュンには分かっていた。
あなたのせいじゃないと言われても、彼女がそれを気にしないわけはない。
未来が視えるにもかかわらず、それを避けられないのは、愛佳にとって屈辱というよりも、絶望だった。
なんのためにこんな能力があるんだと責めるのは、だれもが同じだったから。

「全部ハ視えてないンデショ?」
「ハッキリとは…でも、でも、いまのはなんか…」
「じゃあリンリンがいっしょに行くデス」

声を上げたのはリンリンだった。
此処で押し問答をしていても埒が明かない。手っ取り早いのは単独行動でなく、ふたり以上で動くことだと判断した。
リーダーがいない現状、最終判断を下すのはリゾナンター個々人だった。
だれもがみな、不安は少なからず抱えているが、いつまでも動かないわけにもいかない。

「ふたりとも、なにかあったらすぐに連絡して」

さゆみがそう言うとジュンジュンとリンリンは元気よく頷き、今度こそ扉を開けて外に出た。
先ほどまであんなに晴れていたのに、いまは随分と暗くなっていた。どうやら一雨きそうだなと考えていると、扉が閉まる。
もう二度と、あの扉は開かないんじゃないかとか、そんなはずもないのに、なんとなくれいなはそんなことを考えてしまった。


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その出来事は買い物を済ませた直後に起きた。
スーパーを出たふたりは、あまりにも異様なその空気に思わず立ち止まり空を見上げた。
いまにも降り出しそうな黒い雲が天井に居座り、ぎらりと睨みをきかせていた太陽を覆い隠していた。

「なんだと思う?」
「分からない……この重苦しい空気は、たぶんダークネスだと思うけど……」

肌でぴりぴりとイヤな予感を覚える。
こんな不穏な空気は久しぶりだなとリンリンは思った。

「とにかく、リゾナントに戻ろう。此処は人が多すぎる」

そうしてジュンジュンは足早に歩き出した。
リンリンはその背中を慌てて追いかける。何処か遠くで雷が落ちる音が聞こえた。

まさか、小春と愛佳が対峙した敵が傍にいるのだろうかと考える。
それにしては、こうも分かりやすく自分の気配を前面に出してくるだろうか。
普通はもっと気配を消して、急襲するのがダークネスの戦術のセオリーのはずなのに。

瞬間、だった。
いままで感じたこともないような真っ黒いオーラにジュンジュンとリンリンは同時に天を仰いだ。
自分たちの数メートル先のビルの屋上から、こちらを真っ直ぐに見下ろす影を見つけた。

思わず足が竦んだ。
先日対峙した能力者たちとはわけが違う。
あまりにも強大で、あまりにも深い闇を背負ったその男に、なにも為す術がなくなってしまった。
必死に思考を止めるなと震える膝を奮い立たせ、ふたりはジリッと後ずさる。

「……商店街から離れよう。一般人を巻き込むことはできない」

幸いにも男はすぐさま攻撃してくる気配はなかった。
なにを考えているのかは読めない。それに加え、明確な殺意があるようにも見えなかった。
いったいなにが目的なのかは分からないが、目を逸らさぬまま、じりじりと後ろに下がり、路地へと入った。
すぐさまふたりは走り出した。
あんな敵、いままで対峙したことがなかった。

「あいつが久住さんを襲ったやつ?」
「恐らくはそうでしょう。光井さんの言っていた黒いオーラとも重なるし」

ふたりは街中を駆け抜ける。
入り組んだ路地を右へ左へ。行き止まりにぶつからないように塀を越え、再び走る。
商店街から充分な距離を取ったところで振り返るが、男の姿は見えない。
先ほど感じた強い気配も消えていた。

リンリンは息を整えながら現状を報告しなくてはと携帯電話を取り出す。
すると、再びその気配を感じた。
まさかと思い顔を上げると、数メートル先に男はいた。
真っ黒いマントを観に纏い、顔を隠してステップを踏む男はこちらとの距離を測っているのか、まだ攻撃してこない。

「いつの間にいたんだよ……」

リンリンは思わず苦笑すると、男はすっと手を上げた。
なにをする気だと思っていると、手は肩の高さまで上がり指先がすっと動いた。
眉を顰めた瞬間、手にしていた携帯電話が破壊された。突然音を立てて砕けた物体に、リンリンは思わず目を見開く。
なにが起きたのか、全く理解できなかった。
自分が持っていた右手が震えているのが分かる。それは恐れではない。もっと物理的な理由がある。
これは……感電?

思考を働かせる余裕など与えてはくれなかった。
男は一歩踏み出したかと思うと、リンリンの懐に入り込んだ。
突然の襲来に左脚で応戦するが、男はひょいとそれを躱わしたかと思うと、再び距離を取る。

「冗談キツいね……ふたりで勝てるかな?」

ジュンジュンは苦笑すると、手にしていたスーパーの袋を地面に置いた。
相手は小春と愛佳を完膚なきまでに叩きのめした男だ。勝率なんて、見えるはずもない。
だが、逃げるという選択肢は、相変わらず存在しない。

ジュンジュンは右脚で地面を蹴ると、男へと距離を詰め、大きく振りかぶる。
男の左頬を捉えようとした拳は空を切り、間髪入れずに左から腹を狙う。しかし、それも即座に躱わされる。
男との距離を取った瞬間、ジュンジュンは自分の携帯電話をリンリンに投げた。

「連絡!早く!」

そうしてジュンジュンは再び男に殴りかかった。
男はステップを踏んで拳を避け、徐々に後ろに下がる。
しかし、それは決してジュンジュンが圧しているからというわけではない。むしろ形勢は、男の方が有利でもあった。

「ジュンジュン!」
「良いから早く!」

リンリンを軽く睨みつけると、ジュンジュンは右脚で地面を抉った。
微かに宙に舞った小石が男の顔面に突き刺さり、男は数歩下がる。
此処で畳みかけることを決めたジュンジュンは再び右脚で男の足首を蹴り倒した。
バランスを崩した男は後方に倒れこむ。彼女は地面を蹴り、男に馬乗りになろうとした。

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れいなの携帯電話が鳴るのと、愛佳の脳内に突然のヴィジョンが現れたのはほぼ同時だった。
彼女の不穏な空気を感じ取ったのか、周囲の視線は愛佳に向くが、れいなは携帯を取る。

「リンリン、どしたと?」
「いま朝陽地区3丁目の路地裏で闘ってマス!久住サンと光井サンを襲ったあの男デス!!」

最後まで言葉を聞く前にれいなは立ち上がった。
椅子にかけてあった上着を手に持ち、「すぐ行く!」と電話を切った。
愛佳は短く息を吐き、苦しそうに机に伏していた。何事かと絵里が背中をさするが、過呼吸を起こしているのか、声が出ない。

「絵里とさゆは残って!れなは行くけん!」
「まさか、あのふたり……」
「説明はあとっちゃ!」

れいなはそう言うと喫茶リゾナントを飛び出した。
雷鳴が聞こえ、いまにも冷たい雨が降り出しそうな街をれいなは走り出した。

「ダメ……いか、ないで……」

愛佳が苦しげにそう呟いたのは、だれにも届くことはなかった。
さゆみは急いで厨房から紙袋と水をもってきて愛佳に渡す。
とにかく愛に連絡をしなければと携帯電話の電話帳を呼び出した。

***

 -------

ジュンジュンは男に馬乗りになろうとする。
しかし、男は右腕を突きだし、ジュンジュンの腹を突き刺した。
重力の法則も相まって、腹部に重く入った拳にジュンジュンは思わず声を漏らした。
よろめきながらも男と距離を保つが、男はゆっくりと立ち上がり、彼女を蹴り飛ばした。

「ジュンジュンっ!」

彼女は勢いそのままに壁に背中から激突した。
後頭部を打つ脳震盪を起こしたのか、彼女は力なく崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなった。
リンリンは彼女に駆け寄りたかったが、男が腰にぶら下げた太刀に手を伸ばしたことでそうもいかなくなった。
男は鞘から刀身を抜く。
一点の曇りもない刀身は確かに綺麗だと思った。

瞬間、男はリンリンに距離を詰めたかと思うと、一気に刀を振り下ろした。
リンリンは慌てて下がるが、切先は肩を掠め、微かに肉を切っていた。
苦痛に顔を歪めるが、次の瞬間には男は再び間合いに入っていた。
冗談だろう?と思う間に、刀は左脚を捉える。
骨ごと切り落とされそうになったとき、リンリンは男の手首を蹴りあげて距離をはかった。

「―――っぐぁ゛……」

完全に避けきることはできず、左脚の1/3に刀は入り込んでいたようだ。
出血の量はさほど多くはないが、楽観視している余裕もない。
リンリンは痛む左脚を引きずって確かな距離を保つ。
想像以上の強さに動揺が隠せないが、退くわけにもいかない。
れいなと連絡は取れたから、もうすぐ何人かが援護に来てくれる。それまではせめて立っておかなければならない。


男はなんどかステップを踏んだかと思うと、右脚で地面を軽く蹴った。

 ―高い!

何処からその跳躍力があるのかと驚愕したのも束の間、男は刀を振り下ろした。
刃はリンリンの体に触れることはないまま、地面へと突き刺さる。その周辺のコンクリートは抉られ、その力の強さを目の当たりにする。
リンリンはとにかく時間を稼ごうと右手に気を集中させる。
なんどか心の中で発動の言葉を呟いたあと、再び斬りかかってきた男に右手を突き出した。

突如、男の周囲、半径1メートルが焔の盾で包まれた。
“発火能力(パイロキネシス)”のおかげで、なんとか時間を稼ぐことができそうだった。
さほど長時間にはならないだろうが、せめてジュンジュンが受けた傷を回復させるまでには……

そう考えたときだった。
焔の盾が真っ直ぐに突き破られた。
リンリンは慌てて避けると、飛び出した男は一足で再び懐に入ってきた。

「早い……っ!」

男の刀はリンリンの額を掠めただけで終わったが、最も皮膚の薄い部分だったせいか、血がどろりと滲み出た。
すぐさま後ろに下がるが、血は止まることなく溢れ出し、リンリンの瞳に流れた。
視界がぼやけたことに慌ててこすると、その先で、男は刀を天高く振り上げていた。
此処から男までの推定距離は3メートル弱。その位置から振り下ろしてなにをするつもりだと考えるが、男は構わず刃を振った。

瞬間、膝が折れた。

「っ―――あ゛ああぁ!!」

なにが起きたのか、分からなかった。
あれほど離れた地点からの攻撃など、無意味だと思っていた。
もしなにか飛び道具があるにしても、躱わせないはずがないと思っていた。

しかし、現実にはそうはいかなかった。
男の刃から発せられた“なにか”は、リンリンの左脚に直撃し、その膝を折らせた。
先ほど受けた傷を抉るように痛みはさらに深まり、のた打ち回る。

 ―この感じ……やはりさっきのは……

あの男が3メートル離れた地点から刀を振り下ろして攻撃できた理由は、居合切り―――カマイタチの原理で説明はつく。
ただ問題は、あの男はそれに加え、別の能力も有しているということだった。

痛みを叫びながらリンリンは先ほど破壊された携帯電話を思い出した。
携帯電話が破壊されたとき、リンリンは確かにその手に「電気」を感じた。
最初は、内蔵された機器が破壊の衝動でなんらかのショートを起こし、その電気を手が感じたのだと思った。
だが、いまの男の太刀筋を見て考えが変わった。


あの男は、自分の刀でカマイタチ現象を起こすとともに、その空気間に“雷”を発生させていた。
やはりあの男も能力者であることは間違いない。
“雷の刃”を発生させるなんて、普通の人間にできることではない。

「あぅ゛……」

しかし、相手の攻撃が分かったところで打開策はなかった。
左脚は完全に動かなくなり、“発火能力(パイロキネシス)”を使おうにも、先ほどのように突破されてしまう。
仲間が来るのを待とうにも、その前に斬られてしまうのが目に見えていた。

いよいよ此処までかと下唇を噛みながら男を睨みつけていると、男の周囲に多量の石礫が飛んでいった。
何事かと思うが、それがジュンジュンの“念動力(サイコキネシス)”だと気付いたのは直後のことだった。
男は刀で石礫をひとつ残らず叩き落とすと、リンリンに背を向け、ジュンジュンと向き合った。

「お前ノ敵はこっちダヨ」

そうしてジュンジュンは腹部を押さえながらも、くいっと人差し指で挑発すると、脱兎のごとく走り出した。
男は数秒の間をもったものの、手負いのリンリンには興味をなくしたのか、その背中を追いかけた。

「ジュンジュン!ダメ!!」

なにが起きたのかを漸く把握したリンリンは叫んだが、そのときにはもうふたりとも目の前から姿を消していた。
冗談じゃない、神獣を護る神官の立場である自分が、その神獣に護られるなど言語道断だった。
リンリンはふたりを追い駆けようとするが、左脚は死んだまま、立ち上がることもできずにいた。



「なんで……こんなときにっ!!」

リンリンはシャツをちぎると、傷口に荒っぽく巻きつけ、とりあえずの止血を行った。

護りたいと思った。
自分の大切な世界を、大切な仲間を、大切な人を。
此処で生きているだれもの笑顔を護りたくて、だからリンリンはリゾナンターとして闘う日々を選んだ。
正義がなにか、悪がなにかなんて分からない。分からないけれども、護りたいものがあるからリンリンは闘う道に走った。
そうであるからこそ、あの日の女にそう叫んだのだ。

「ジュンジュンっ!!」

こんなところで、痛みに泣いている場合じゃないんだとリンリンは必死に叫んだ。
未だに鮮血を垂れ流す脚を拳で叩き、半ば強引に立ち上がった。

***


 -------

“念動力(サイコキネシス)”を使い、男の周りに鉄骨を落としてみたが無意味だった。
斬れないものはないといわんばかりの男の刀は、さながらアニメの世界の代物のようだと苦笑した。

「冗談キツいねホントに……」

ジュンジュンは口角を上げて自嘲気味に笑うが、どうもそういうことを言っている場合ではない。
男の体中から発せられるオーラは常人のそれを超えている。
常軌を逸したとも言える男の背負う闇は暗くて深い。なにが彼をそこまで追い込ませたのか、ジュンジュンには理解できない。
最も、世界を崩壊させようとしているダークネスの考え自体、ジュンジュンには分からないのだが。

と、ふとそこで思考を止めた。
なにか、唐突に違和感を覚える。
その“なにか”に関しては、実に曖昧で不定形で、確信は持てなかった。

男は首の骨をゴキッと鳴らすと、一歩ずつこちらに近づいてくる。
その態度は十分な余裕を感じさせ、思わず怯み、思考を止めざるを得なくなった。
先ほどリンリンが電話してから10分が経過していたが、援護が来る気配はまだない。
せめてあと10分は間を持たせたいが、果たしてこんな強大な敵に勝てるのだろうかと一瞬弱気になる。

雨が落ち始めた。遠くで雷鳴が聞こえるのと、刀を男が振り上げるのはほぼ同時だった。
ジュンジュンは一瞬早く“念動力(サイコキネシス)”を発動させ、周囲の瓦礫を持ち上げる。
振り下ろす直前に男に瓦礫の雨を降らせるが、いとも簡単に弾き飛ばされ、石礫がジュンジュンの頬を掠める。

なにか良い方法はないかと思案していると、男は刀を鞘にしまった。
訝しむように男を見るが、先ほどリンリンを襲ったカマイタチを仕掛ける気だとすぐに分かった。
果たしてその威力がいかほどのもので、何メートル先の障害まで攻撃の対象とできるのか不明である以上、男に背を向けるのは危険だった。


―――ジュンジュンの夢ってなん?


ふいに、頭の中にれいなの声が聞こえた。
そう、それは今日のように喫茶リゾナントの屋上でのんびりと時間を潰していたときのことだった。
アイスコーヒーを片手に雑談し、その会話が唐突に途切れたとき、彼女はそんなことを聞いてきた。
どうしてそんなことを急に聞くのだろうと思ったけれど、そのときの彼女の瞳があまりにも哀しみを映していたので、聞き返しはしなかった。


男の刀が空を切った。
ジュンジュンは“念動力(サイコキネシス)”で鉄骨の壁をつくる。
しかし、カマイタチはその壁を突き破ってきた。
距離をはかる前に、カマイタチがジュンジュンの右肩に、折れた鉄骨の破片が腹部に襲いかかる。

「っく!」

思わず数歩後退するが、体勢を立て直す前に男は間合いに入ってきていた。
ジュンジュンは迷わずに右の拳を突き出すが、それは空を切り、代わりに男は背中に回り込んでいた。
まずいと思った瞬間には遅かった。
男は背中を真一文字に斬るように刀を走らせた。

「っああ゛ぁぁあ゛!」

ジュンジュンは膝を折って痛みを堪えるが、男は容赦なく彼女の傷口を蹴りあげた。
前のめりに地面に伏したその姿は無様とも言えるが、すぐに立ち上がることは叶わない。
背中から流れ落ちる鮮血が見る見るうちに地面に沁み込んでいく。
男はジュンジュンの肩をぐいと蹴って転がすと、ジュンジュンは天を仰ぐ形になった。
硬い地面が背中の傷口に突き刺さって痛みが増していく。

降り注ぐ雨が頬に当たって痛いが、ひんやりとして何処か気持ち良かった。
男はジュンジュンを見下ろすと、手に持っていた刀を再度握り直し、首に刃を定めた。


―――ジュンジュンの夢は、バナナをたーくさん食べることダヨ


再び、記憶が邂逅した。
れいなの問いに対し、ジュンジュンは至って真面目に答えてみたが、それが彼女には不満だったのか、眉を顰めていた。
「そんな怖い顔しないでヨー」と笑ってみせると、「ジュンジュンはそればっかやねぇ」と苦笑してくれた。


―――じゃあ、田中サンの夢ってなんですカ?


きっと、彼女が私に聞いてきたのは、なんらかの理由があると分かっていた。
れいなは特に意味もなく、こんな質問をしてくるような人じゃない。
ジュンジュンの質問に対し、れいなは困ったように青空を見上げながら「なんかいなねぇ…」と呟いた。

―――好きなときに好きなだけ、みんなと安心して寝ること、かな?


彼女が普段から、あまり睡眠を取れていないことは知っていた。
それは、ダークネスとの闘いの日々に慣れ過ぎて、急襲を恐れ、無意識的に睡眠を取らないような体になってしまったのかもしれない。
だが、自分の「好きなものを好きなだけ食べたい」という夢を小馬鹿にした彼女に対し、ジュンジュンもまた、「小さい夢ネ」と返した。
それが相当不満だったのか、れいなは「ジュンジュンにだけは言われたくなか!」と口を尖らせた。

その話はそこで終わったが、やはりあのとき、なにがあったか聞くべきだっただろうかとジュンジュンは思う。
彼女がなにを抱えていたのか、なにを考えてあの質問をぶつけたのか、訊ねるべきだっただろうかと。


男は刀をすっと持ち上げる。
雷が落ち、周囲が一瞬真っ白に光る。刃が雷に照らされ、綺麗だと思った。
起き上がる気力はもう残っていない。少ない体力は戦闘で削り落され、血とともに流れ切ったのだとジュンジュンは思った。
このまま動かずにいれば、きっと振り下りされた刀によって首を撥ねられることは分かっていた。
「走馬灯」という言葉があるが、先ほど邂逅したれいなとの会話はまさにそれなのだろうかと考えた。

「………バカじゃないの」

そうして呟くと、ジュンジュンはいつの間にか笑っていた。
それは自嘲ではない。気が狂ったわけでもない。
なにを勝手に決め付けているのだろう。自分はいままで、なんのために闘ってきたというのだろう?
正義のためとか、世界平和のためとか、そんな大きいもののためにジュンジュンは毎日を送ってきたわけじゃない。
自分は血塗られた家系の末裔だと思っていた。神獣として幼いころから鍛練を強いられ、笑うこともなく、楽しいこともなかった。
呪われた子ども、呪われた血だと、護りたくもない世界のために、なぜ闘うのだと思ったこともあった。

「―――私が護っているのは、そんなものじゃない」

男が刀を振り下ろした瞬間、ジュンジュンの体は光に包まれた。
一瞬なにが起きたのか把握できなかったのか、男は刀をぴたりと止め、数歩下がった。
ジュンジュンはなにか詠唱すると、ゆっくりと立ち上がる。
相変わらず背中からは血が流れ落ちるが、不思議と痛みはなかった。

「私が護っているのは、仲間と信念だ」

詠唱が終わると、光は急速にその輝きを失っていった。
ジュンジュンの体から光が消えると、そこに立っていたのは紛れもなく、神獣だった。
異形の姿となり、世界を護るのだと教え込まれてきたが、ジュンジュが護っているのは世界ではなかった。
私たちは仲間だと、なんの恐れもなく手を差し伸べ、ともに闘ってきた、あの蒼い共鳴で結ばれた彼女たちのために、ジュンジュンは闘っていた。
ジュンジュンが護っているのは、仲間と、自分を突き動かす信念なのだ。

「まだ、終われないよ…」

かつて、見たこともない異形の姿を目にして、驚かなかった相手はいない。
だが、男はさして驚嘆することもなく、ただ黙って神獣となったジュンジュンを見た。
その光景に、ジュンジュンは先ほど覚えた違和感の正体に気付きかけていた。

男の体中から発せられるオーラが常人のそれを凌駕していることにジュンジュンは気付いていた。
ダークネスがなにを考えて、彼をリゾナンターたちに向かわせたのか理解できないと感じていた。
そこにこそ、違和感があった。
ジュンジュンとリンリン、ひいては、久住小春や光井愛佳は、彼を無意識のうちに「ダークネスの一員」だと認識していた。
見たこともない男であるにもかかわらず、いままでの経験上、彼女たちはそう判断した。
しかし、実際はそんな根拠、何処にもないのだ。

そうなるとひとつの仮説が生まれる。

この男はダークネスの意志とは無関係に動いているのではないかと―――

「だとしても、斃さなきゃいけない相手だよね」

ジュンジュンがそう呟いて一歩踏み出すのと、男が間合いを詰めたのは同時だった。
体を低くし、下から突き上げるように拳を出すが、男は一瞬早く間合いを空けてそれを避ける。
畳みかけるように体を反転させて攻撃を繰り出した。神獣となったことでいままでよりもスピードは格段に上がる。
立て続けに攻撃をかけたことが功を奏し、ジュンジュンの左脚は男の右の腹を捉えた。
男は一瞬タイミングを外されて避けきれず、そのまま後退した。焦りも戸惑いも感じられないが、このまま押し切ることをジュンジュンは選んだ。

神獣になった分、スピードは上がるが体力の消耗も早い。
長期戦になった場合不利になるのはこちらだが、この機を逃すわけにはいかない。
左脚を軸にして立ち、ぐるりと体を回転させ、その勢いのまま右脚で顎を蹴り上げた。
鈍い音のあと、男は宙に舞い、そのまま地面に伏した。
顎の骨が砕けた手応えはあった。ジュンジュンは右手で手刀をつくると、そのまま男に振り下ろす。
しかし、男も迷わずに刀で応戦し、噛み合う。

ギリギリと刀同士が鍔競り合っているなか、男はなにかを呟いていた。
それが確かな詠唱だと気付いたときにはもう遅かった。
遠くで雷鳴が聞こえた直後、神獣となったジュンジュンの体に雷が直撃した。

悲鳴にならない悲鳴をあげた。
体中に走った電撃に声すらも失い、ジュンジュンの獣化が解けた。
骨という骨、筋肉という筋肉、神経という神経が傷つき、痛み、砕け、泣いていると分かった。
自然界で発生したものではなく、人工的な小さな雷であったのが不幸中の幸いだった。
それでもジュンジュンは雷を受け、瀕死の状態にあった。

415 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/07/20(金) 20:19:54.21 0
男は地面に伏せるジュンジュンを見下ろし、再び刀を構えた。
ジュンジュンはそれでも闘う意志を捨てようとはせず、必死で指先を動かした。
眼前に確かな「死」が迫る。それなのに何処か心は穏やかで、恐怖すら感じなかった。
爽やかな風が吹き抜けている気がする。こんな気持ち、生まれてから感じたことあっただろうかとぼんやり思う。

ジュンジュンの頭の中に、れいなのすねた顔が浮かんだ。
子どもっぽくて純粋で、そして少しだけ生意気なれいなのことが、ジュンジュンは好きだった。

―田中さん、笑ってごめんね。田中さんの夢、大好きだよ

男は刀を振り上げる。
ああ、間に合わないかもね、田中さん。とジュンジュンは目を閉じる。


―私もいつか、みんなと同じ時間に、静かに眠れる日が来たら良いね


雷鳴が聞こえる。
雨が頬を伝い、まるで泣いているかのようだった。
血で汚れた刀はゆっくりと、振り下ろされた。