『R-Infinity(7) ふるさと』


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第7話 ふるさと


「なんで、ばあばが撮った写真がこんな所に」

軽い頭痛があった。
愛の古い記憶が、愛に何か大切な事を教えようとしているかのように疼く。
優しくて苦いその大切な何かの輪郭に、もう少しで手が届くかという時、ドアをノックする音が愛の思索を打ち切った。
振り向くと、後藤真希が着替えのすんだ愛の姿を眺めていた。

「結構似合ってる。愛ちゃん」
「愛ちゃん?」
「愛ちゃんって、呼ばれてるんでしょ。だから私も」

「呼び方なんか」と吐き捨て、愛は後藤に詰め寄る。
何故自分の写真が、それも十年も前の写真がこのダークネスの基地にあるのかと。
後藤はその質問に直接は答えず、愛に付いて来るよう促しながら背を向け、部屋を出た。

「どこ行くんや」
「一番深い所」
「は?」
「そこに、真の闇がいる」

愛の困惑をよそに、後藤はスタスタと歩みを進めていく。
小走りになって愛は後藤に追いつき、質問を続けた。

「いるって、何が?」
「真の闇。ダークネスよ」
「ちょっと待って。ダークネスがいるって、ダークネスは人間なんか?」
「そう。その人に会って欲しくて、愛ちゃんにここまで来てもらったんだから」

不意に、後藤が立ち止った。
後藤の視線の先、通路の突き当たりのエレベーターの扉が開き、中から一人の女が姿を現した。

(ガキさん……?)

違う、錯覚だ。里沙がこんな所にいる訳がない。愛は目をすがめてもう一度女を見た。
事もあろうに愛が里沙と見間違えたのは、安倍なつみであった。
風貌はまるで似通ってないのに、何故なつみを里沙と見間違えたのか。
眉間に苦みを走らせながら、愛は自らに問うた。

理由はすぐに分かった。張りつめ方だ。
体の奥からどうしようもないものが溢れて、その場にへたりこみそうになるのを何とかこらえているような――
指先で突いただけで、弾けて空気にとけていってしまいそうな――
時々里沙が誰にも見つからないように、そんな張りつめ方をしていた。

(何を、こらえて……?)

すれ違うなつみの横顔に、愛は何か尋ねる言葉はないかと想いを巡らせようとした時、
後藤が静かな声でなつみに語りかけた。

「お別れ、してきたの?」

振り向いたなつみの瞳の闇色が、微かに震えているように見える。
少しの間をおいて、なつみは口を半ば開き、後藤に何か伝えようとしたが、なかなか想いが言葉のかたちにならない。
きっと、心を言葉にしようとすると、泣き出してしまうからかもしれない、と後藤は悟った。
後藤は無言で、夏の夜空を思わせる瞳でなつみを見つめながら、紡がれるであろう言葉を待っている。
そして

「雪が降ったら、その時は――お願い」

ようやくにしてなつみから発せられた言葉を聞いた時、後藤の横顔に一瞬の影が差した。
去っていくなつみの背中と後藤真希の横顔を隔てる距離が徐々に広がっていく。
呼吸すらはばかられる静寂の中で、愛は今自分がひとつの別れに直面していると悟った。
そして後藤は、なつみを見送ってしばらくの沈黙を置いて、意を決したように愛に振り向き、言った。

「愛ちゃん、エレベーターに乗って」

エレベーターの向かう先は、真の闇。



ぱっ、と世界が開けるような。
上手側の舞台袖からステージに入った時、新垣里沙はそう感覚した。
見上げた天井に吊られた地明かり用の灯体の白い光が、里沙の頬を照らしている。
公演をやっていない今ですらこれだけ光に溢れているのなら、コンサート中はどれだけ色鮮やかな世界になるのだろう。
里沙は、決戦を目の前に控えた極度の緊張状態で、不意にそんな事が気になった。

(もし違う生き方があったら、こんなステージで……)

――歌う事が出来たら、どれだけ素敵だろう。
里沙は舞台の空気を呼吸しながら、ふと、心を遊ばせた。
それは、これまでくぐり抜けてきた数々の死線がもたらす落ち着きと、一人残してきた久住小春の事が心の中で絡み合っているせいか。
それとも、決戦を前にした精神の緊張を解きほぐす彼女なりのウォームアップか。
どちらにしろ、コンサートホールのステージ壇上から、客席を埋め尽くす人影を目にした時、里沙は胸の奥に芽生えた甘美な想像を打ち切った。

客席に整列しているのは、政府特務機関Mの特殊部隊――通称FRONT(戦線)――の隊員達である。
肩にM制式の多目的アサルトライフルを掛け、最新型のケブラー製耐衝撃コンバットスーツに身を包んだ五百の精鋭達は、
里沙の覚悟に共鳴するかのごとく、一糸乱れぬ動作でリゾナンターに対し敬礼の構えを取った。
ザッという動作音と共に、隊員達の気迫と正義感がホールの空間を、思わず息をのむのも躊躇われるほどの静謐な緊張に包みこんでいく。

「すまんな、こんな所まで呼び出して」

里沙は客席を見つめたまま、ステージ奥に姿を現した中澤の言葉に振り向きもしない。
近づいてくる中澤の足音へ向けて、里沙は言った。

「彼らを秘密裏に一所に集めるため、でしょうか」
「それもあるけどな」

中澤は里沙の隣に立ち、軽く息を吐いて、口元に透き通るような微笑を浮かべた。

「見せたかった」
「え?」
「あいつらにリゾナンターを。そして、あなたたちに共に戦う仲間を」

「仲間……」呟いて里沙は、中澤裕子という人間がますます分からなくなった。
中澤はダークネスから姿を消して以来、十年の歳月を費やしこれだけの部隊を組織したのだ。
それは偏に中澤の手腕と卓越した統率力の産物であろうが、それに伴う労苦も計り知れない。
中澤も戦い続けてきたのだ。
中澤裕子もまた、なつみや里沙と同じように、孤独の死闘を積み重ねてきたに違いない。
その労苦と死闘の結晶を――

「M特殊部隊FRONT。十三個小隊520名を、これよりリゾナンターの指揮下に委ねます」

――その言葉は、里沙にとって予想外であり、予想通りでもあった。
里沙は振り向いて中澤の顔を見つめたが、その表情から真意を読み取るのは難しい。

「本気ですか?」
「たった九人でこれまでよくダークネスと戦ってきてくれたリゾナンターに対しては、これでも全然足らんやろ」

そう言って中澤が里沙達リゾナンターを見やった時、一瞬、その瞳がほんのわずか揺れた。
久住小春の姿が無い。それに気付いた時、無意識のうちに小春の姿を探したためだ。

そしてその“揺れ”を――中澤が今さら小春の不在に気付いたという事実を――見逃す里沙ではない。
つまりそれほどまでの緊張の中決戦の日を迎えていると、新垣里沙に見透かされた。

「小春なら来ませんよ」

コンサートホールの閉鎖された空間に、初夏の風が吹いたような錯覚を中澤裕子は覚えた。
それほどまでに里沙の声は涼しげであった。
中澤の奥歯をプレッシャーという名の苦みが走り抜ける。

「それは何故かと訊いたら、答えてくれるか?」

いくばくかの茶目っ気を含んだ視線で中澤を見つめながら、里沙は軽く首を横に振った。
中澤の背筋を冷たいものが滑り落ちていく。
常人には感知することすら至難であろうわずかな瞳の“揺れ”の隙間から、里沙が自分に心理戦を仕掛けてきている事を察したからだ。

「小春は私たちの切り札です。簡単には教えられません」

ほう、と呟きを漏らしながら、中澤は里沙の言葉を咀嚼する。
やはり里沙が小春を連れてこなかったのは確固たる目的があっての事だったのだ。
最終決戦としても差し支えのないこの運命の日に、リゾナンターにとって貴重な戦力である久住小春を敢えて欠けさせる新垣里沙の一手。

――その一手を知りたければ、そちらの手の内を全てを明かせ。

という意思が里沙の言葉の奥から強烈に匂い立つ。
サイコ・ダイバーと渾名されるその凄味がまるで抜き身の刃のように、中澤の喉元に付きつけられる。

「たった一晩で、随分頼もしゅうなって」

半ばおどけたような言い方であったが、中澤のその声の奥には驚嘆の色が見え隠れしている。
中澤が感じ取っている凄味と不気味は、自分と五分以上の駆け引きを演じてみせている里沙からだけではない。
この切所で里沙の背後に立ったまま、沈黙を守り続けている6人のリゾナンターに対してもそうだ。
その沈黙は、覚悟と信頼によるものか、それとも――?

(今さら考えてみた所で埒が明くもんじゃない、が、この状況で何を?)

常識では測れない何かを狙っているに違いない。
それは果たして、中澤裕子と、安倍なつみ、飯田圭織が織上げたリゾナント・ブルー計画という運命を越えて飛翔し得るものか。
もしそうならば、奇跡は――奇跡?

「奇跡を起こそうとでもしとるんか」

思わず、まるで童女のような顔で中澤は胸中に浮かんだ問いを口にした。
対する里沙は、母親がわが子に向けるようなまなざしで背後に立つリゾナンター達を見やり

「私たちがダークネスを敵に回して今日まで生き延びてこれただけでも、奇跡です」

と、よく通る声でそう言った。確かに里沙の言う通りかもしれない。
薄い刃の上を行くような旅路を、気の遠くなるような長い日々を費やしてようやくここまで来たのだ。
光と闇の決戦の今日この日に、これだけの戦力を結集させられたその事自体が、既に奇跡の領域に足を踏み入れている。
中澤はそう思いなおし、心に立ちこめたもやを払った。

「では、更なる奇跡を掴むため、こちらの誠意を見てもらおう」

先程とはうって変わって別人のように成熟した女の顔で中澤はそう言って、
空間裂開能力を発動し、ホリゾント(舞台奥の壁)に大型の金色の輪を出現させた。
するとほどなくして、光の輪から数人の技官と、無数のケーブルで大型の装置に繋がれた金属製の椅子が姿を現した。

「あれは?」
「リゾネーター。切り札よ」



エレベーターのディスプレイに数字を打ち込む後藤真希の後姿を見ながら、愛はかけるべき言葉を探していた。
何から尋ねればいいのか、あまりにも分からない事が多すぎる。

「何から話そうか」

その様子を察したのか、後藤が振り向いて愛に声をかけた。
と、同時にエレベーターが静かに地下深くへ降りていく感覚があった。

「最深部まで結構かかるから、その間に聞きたい事あったら言ってね」
「あの……」

先程のなつみと後藤の別れの場面が、妙に心を疼かせていたが、愛は敢えてそれは聞くまいと思いなおし、
慎重に言葉を選びながら、十年前に祖母が撮った自分の写真が、何故ダークネスの本部にあったのか。
その理由を問いただした。

後藤は愛の問いを目を閉じながら反芻し、しばらくの間をおいて、ぽつり、ぽつりと語りだす。

「昔……ずっと、昔ね。愛ちゃんや、私が産まれるよりも前に、一人の能力者がいたの。
そしてその人は、ずっと心を痛めていた。どうしてこの世界はこんなにもかなしみで溢れているんだろうって」
「かなしみで……心を」
「その人はこの世界に溢れるかなしみを少しでも減らそうと世界を守るための戦いに身を投じた。
そうするために自分は強大な力を持って生まれてきたのだと信じて。
 初めは孤独な戦いだったけど、いつしか同じ志を持った人たちが彼女の意志に共鳴して、その人を中心にひとつの組織が生まれた」
「組織って、まさか……?」
「そう。ダークネスよ」
「ダークネスが、世界を守るために作られたって?」

「馬鹿な事を」と吐き捨て、つくならもっとマシな嘘をつけと言わんばかりに愛は後藤を睨みつける。
後藤はその視線を避けようとはせず、微かに瞳を潤ませながら言った。

「どんなに残酷な事も、時としてその始まりは善意によってもたらされるのよ」
「言い訳なんかしたって、お前らのやった事は――」
「許される事じゃない。でも、人にはやらなきゃいけない事がある。やり遂げなければならない事が」

後藤の脳裏には今も鮮明に七年前に獣人の一族を襲った惨劇の光景が焼き付いている。
あの日以来、一時たりとも後藤は許さなかった。
圧倒的な力で獣人たちの命を次々と奪っていった安倍なつみ、そしてその虐殺を止められなかった自分自身を。
なつみの真意を、リゾナント・ブルーの全貌を知るまでは――

「愛ちゃんにも、やってほしい事がある」
「なんや、私がやる事って?」
「許す事」
「はあ?さっきから訳の分からんことばかり!あたしは何であの部屋にばあばが撮った写真があったのか聞きたいだけや!」
「許してあげるって、約束して。じゃないと……」
「もう!いい加減に……!?」

――どうか、許してあげてね……

言葉が走った。
不覚をとり、安倍なつみと後藤真希によって愛が組織に攫われた際、途切れる寸前の意識が聞いたなつみの言葉だ。
「許してあげて」――誰を?誰を許せと?


【これより先はこちらのBGMと共にお読み下さい】



「痛っ……!」

記憶のうごめきが、痛みとなって愛のこめかみを疼かせる。
心の奥深に封印された甘く苦い日々が、愛に何かを訴えかけている。
「思い出せ、あの愛とかなしみを」と。

「誰を……許せって?」
「真の闇、能力者ダークネス。そして、愛ちゃんの、お祖母さんを」
「あたしがばあばを?何で――」

――その人は、ダークネスの生みの親なのよ

あの時のなつみの言葉を思い出すと同時に、稲光のように過去と現在を繋ぐ一筋の道が愛の心に浮かび上がる。
ダークネスの生みの親――ダークネスを生んだ親――即ち――母親。
能力者ダークネスの母親。そして――

「あの人が……あの人があたしの」

幼き日の記憶、つい先ほどまで見ていた夢の中で泣き喚く愛をかなしそうに見つめていた一人の女。
彼女に愛は抱きしめてほしかった。
愛は彼女を愛していた。彼女も愛を愛していた。だから

――愛してる!

と、言葉で、声の限りを尽くして、愛を抱きしめたのだった。
ありったけの愛とかなしみで、愛を抱きしめた。
温もりと呼ぶにはあまりにもかそけき記憶が、愛の胸に蘇る。

「……i914、ダークネスが生んだ能力者。――あたしは、ダークネスの娘。闇から生まれた光」
「愛ちゃん、思い出したの……?」
「あたしは、あたしは……」

愛の両の目から、二十年にも及ぶ封印から解き放たれた思いが零れ落ちる。
時を越えた涙がほろほろと頬を濡らしていく。
霞む視界の向こうに浮かぶ母の頬をさするように、愛は虚空に震える手を伸ばし、そして張り裂ける思いが絶叫となり、愛の口から迸った。

「愛されていた!」

愛はその場に崩れ落ち、胸の前で両手を強く握りしめた。
親が子を愛するという、あまりにもありふれた、世界中でただ一つの思いを、当たり前の奇跡を。
愛は祈りにも似た姿勢で、震える思いを握りしめる。
そして、唇から漏れる嗚咽の声を聞いた時、愛は今自分が泣いていると知った。