『the new WIND―――circle of resonant』


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れいなは具象化された刀をしっかりと握り締めた。
一点の曇りもない刀身は思わず目を見張るものがあった。

息を大きく吸って目を閉じる。
広がった暗闇の中、すっと刀を振り上げる。具象化した刀の重さをしっかりと感じた。
両手で持ち、深く息を吐くと同時に振り下ろすと、刀は一瞬で消え去った。
その手から滑り落ち、物体としての存在をなくしたそれは、再び空気へと混ざって消えた。

「まだ、完璧やない…」

れいなは天を仰いで息を吐く。困ったように頭をかいて笑った。
この力はまだ、未完成だった。

 -------

久住小春の意識が回復して2日後に下された異動は衝撃的だった。
れいなたちリゾナンターがその事実を知ったのはその日の夜のことだった。
上層部、すなわち“上”から下された命令に、れいなは食ってかかった。

「なんでそんなことっ!」

だが、“上”に直接会うことは叶わない。
れいなたちリゾナンターは“上”からの命令で動くが、彼らがどのような考えを持っているかは知ることはない。
知る必要のないことだという意味なのか、“上”と接触することは一切できない。
唯一のパイプ役の愛でさえ、彼らの顔はおろか、声も、名前も知らない。
だから必然的に、れいなが食ってかかる相手は愛になる。

「今回の怪我の重症度を考えれば、長期の休養は当然やろ」
「そうやなくて異動のこと!何処に異動になるとや!」

れいなはそうして愛の胸倉を掴むが、その手を取ったのは愛ではなく里沙だった。
リゾナンターをまとめる愛のサポートに徹する里沙は、鋭い目つきでれいなを睨んだ。

「なんね、ガキさん……れなはいま、愛ちゃんと話しようと」
「話すって言う割に手が出てるけど?」

冷静に、だけど強い意志を持ったその声にれいなは押し黙る。
彼女のこういう「大人」の対応がれいなは苦手だった。
感情を押し殺し、表に出さない里沙と、自分の想いに正直であり、気持ちを叫ぶれいなは時折ぶつかることもあった。
いまはまさにその状況であり、その場にいた他のリゾナンターは固唾を飲んだ。
このふたりがぶつかると、収束させるのは骨が折れる。
しかも、よりによっていまぶつかるのは厄介だった。
小春の異動が決まり、愛佳も怪我を負ったいま、仲間割れなんてしている場合ではない。

「……異動のことは私も知らない」

その空気を裂いたのは、当事者である愛だった。
彼女はれいなと里沙の手を丁寧にほどくとそれだけ伝えた。
だが、その答えは到底納得できるものではなく、れいなは再び噛みついた。

「知らんってどういうこっちゃよ」
「そういうことだよ。詳細は聞いてない。ただ、異動するってことを聞いただけ」
「……それで納得したとや愛ちゃんは!」

再びれいなが掴みかからんとしたときだった。
愛は彼女の右手を払ったかと思うと、手首をぐるりと捻った。
れいなは見事に宙を舞って回転し、そのままドタンと地に伏せた。
一瞬の出来事に、全員がなにも言えずにポカンとしていた。

「ってぇ!」

突然のことに受身が取れなかったれいなは派手に腰を打った。
そんなれいなを見下ろしながら、愛は言葉をつづけた。

「現状を私は伝えてるだけ。なにか分かったらまた報告するから……」

れいなの鋭い睨み付けをかわし、愛は踵を返して、部屋を出ていった。
それを追いかけるように、里沙も足早に部屋を後にする。
捻り飛ばされたれいなはぶつけた腰をさすったあと、思い切り拳で床を叩いた。
ゴツンという鈍い音が響いたが、だれもなにも言わなかった。


少しずつ、なにかが狂い始めている気がした。


 -------

結局、小春の異動先について、れいなはおろか、リゾナンターたちだれもが知ることはなかった。
小春の意識が回復して以降、れいなたちは小春と会うことは許されなかった。
つまり、小春の意志も聞けず、怪我の容体を知ることがないまま、彼女は異動してしまった。

“上”からの命令で動き、彼らの意志についてはなにも知ることがないリゾナンター。
この関係性には前々から不信感は抱いていた。
彼らがなにを考え、いかなる理由をもってリゾナンターを配置し、行動させているのかは不明だった。
実際のところ、ダークネスと闘う明確な理由でさえ、れいなたちは知らない。
それに疑念を抱く暇もないままに、闘いの日々の中へ呑み込まれていったのだから。

「わけ分からん……」

れいなは喫茶リゾナントの屋上で寝転がって空を見上げた。
夏の青空は綺麗に澄み渡っていて、白い雲が申し訳なさそうに点在している。
いくら手を伸ばしたところで、その「青」に届くことはなかった。

小春が異動してからもう1週間も経っていた。
愛佳はまだ現場に復帰して充分に戦える状態ではなく、病院にいた。
また、絵里も体調が優れない日が多く、今日も病院で療養している。

あの日以来、微妙な緊張関係がリゾナンターたちには生まれていた。
ケンカというにはあまりにも重苦しいその関係性に、当事者であるれいなも溜め息をついた。
愛に食ってかかったことは後悔していない。言いすぎた部分はあるにしても、れいなは納得できなかった。
だが、その行動だけでいまのリゾナンターたちの緊張関係が生まれたわけではなかった。

小春の異動が意味していたものを全員が感じ取っていた。
変わりなく続く未来はない。これから先も、だれかが異動することは充分に考えられる。
いまの8人である体制も、いつまでもつづくかは分からない。“上”の決定次第で、れいなたちはすぐに変わってしまう。

「……なんでよ」

れいなは腕で目を覆った。
変わりたくなんてなかった。“いま”あるものが、れいなにとってのすべてだった。
あのふざけた小春の笑顔とか、愛佳の鋭いツッコミとか、普段は頼りないけど、カッコいい愛とか、口うるさいけど優しい里沙とか、
絵里のふわふわした存在とか、考えなしに見えて分析力のあるさゆみとか、信念を貫くジュンジュンの想いとか、だれかを護ろうとするリンリンの強さとか。
そういういままで普通にあった世界が壊れてしまうことが、れいなにとってはイヤだった。

「もう、戻れんとかいな……」

異能者であり、化け物扱いもされてきた。社会からは爪弾きにされ、不必要だと烙印を押された。
でも、9人は“蒼い共鳴”という絆で結ばれていた。自分を必要とする世界は此処にあった。
だからいままで生きてこれた。あの9人だから、このなにかが欠けたような不確かな世界で生きてこれた。
れいなは知らぬうちに、泣いていた―――涙なんて、枯れたものだと思っていたのにと唇を噛んだ。

「れいな!行くよ!!」

瞬間、屋上の扉が開き、愛の声が飛んできた。
なにも考えずにれいなは涙を拭い、扉へと走った。

とにかくいまは、闘うしかない。

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6人が到着したとき、既に現場は混乱していた。
人が街中で銃を乱射し、多数の被害者が出ている。死人が出ていないだけでマシと言えるが、様子がおかしかった。
銃を持っている人間は能力者ではなく、恐らく一般人なのだろうが、その瞳は輝きをもっていない。

「さゆ!リンリン!人を誘導して!」

愛の指示に従い、さゆみとリンリンは人をこの場から避難させた。とにかくいったん場を収束させる必要がある。
逃げ惑う人々を2人は冷静に移動させ、怪我人を病院へと誘導した。

「いったい何人おるっちゃ…」

れいなが間合いを詰めると、男が銃を乱射した。
ぱららららっと小気味の良いサブマシンガンの音が響き、慌てて避ける。
男の後ろから何人もの人間が現れる。彼らは銃だけではなく、ナイフや鉄パイプ、金属バッドまで持っている。
多勢に無勢とはこのことかとれいなは肩を竦めた。

「これ、だれかに操られてるよね…」
「まあ、そうでしょうね」

里沙と愛は背中合わせに会話をするが、悠長なことを言っている暇はない。
だれかが彼ら一般人の精神に干渉し、操っているのだとしたら、その洗脳を解く必要がある。

「ああああああ!」

だれかがそう叫び、銃を乱射し始めた。
慌てて物陰に隠れるが、すぐそこにもナイフを持った男がいる。
リンリンは素早く懐に入り、頸椎を軽く刺激すると、男はなにも言わずに倒れた。

「殺さずにっていうのは、厄介やね」

れいなは弾丸を避けながら闘い、懐に入っては銃を蹴り飛ばし、相手を気絶させる。
小回りのきくれいなをなかなか捉えきれないのか、彼らも無駄弾を使っている。

「でも、キリがないの…」

殺さずに闘うというのは厄介だった。手加減をすると、こちらがやられてしまう。
しかも相手の人数が多すぎた。リゾナンターたちは徐々に追い込まれていく。
瞬間、ジュンジュンはなにかを感じたのか、天を仰いだ。夏の終わりだというのに太陽がギラギラと輝いて眩しい。

「上にイマス…」

目を細めて彼女はそう呟いた。
なんの根拠があるかは分からないが、彼女の感覚は鋭い。いままでもなんどとなく、ジュンジュンの勘に助けられてきた。
愛は彼女の言うことを迷うことなく信じた。

「ジュンジュン、れいなとさゆ連れて、そいつのところ行ってくれる?」
「分かりましタ……でも、愛ちゃんたちハ?」
「こっちはガキさんとリンリンでなんとかするよ」

愛がそうしてニッと笑うと、里沙とリンリンも同じように頷いた。
ジュンジュンもその言葉を信じ、頷く。そのまま3人は走り出した。ジュンジュンの感じた“なにか”の場所へと向かう。


3人は、現場からほど近い場所にある廃墟ビルの階段を駆け上がった。ジュンジュン曰く、この屋上に“だれか”がいる。
古びた屋上の扉の前には「立ち入り禁止」という札が掛かっているが、扉は丁寧にも開いていた。
それが答えなのだろうなとなんとなく思いながら屋上へと飛び出した。

「お前やな……」

最初に飛び込んだれいながそう言うと、彼女は振り返った。
まだ幼さを感じさせる佇まいと、それに不似合いな大きな瞳。短めの茶色い髪は夏の季節によく似合っていた。

「早かったですね……あー、参ったな」

そう言いながらも彼女は慌てるそぶりも見せずにいた。
能力者3人を前にして、この余裕はなんだろうと不思議に思うが、あまりお喋りをしている時間はない。

「倒させてもらいマス、アナタヲ」
「倒す?どうやって?」
「方法はいろいろあるけんね、あんたやったら手加減せんと能力使って一気に……」

そこまで言うと、彼女はにこぉっと笑った。
その笑顔は凍りついていて全く楽しそうではない。冷たい微笑みはその幼い顔には不似合いでさゆみは思わず背筋が凍る。
なにか、隠し玉でもあるのだろうかと思った瞬間だった。

空気が一瞬にして張り詰めたかと思うと、パリンとなにかが割れるような音がした。


周囲にガラスはなかったので、割れた音はあくまでも気のせいだったのだろう。
しかし、その一瞬の出来事が、れいなたちに大きな変化をもたらした。

「なん……これ……」

言いようのない感覚が3人を襲った。
自分の体は五体満足で、なにも傷ついていないのに、“なにか”が足りない気がした。
いままで自分の中に存在していたものが丸っきり欠落してしまったような、抜け落ちてしまったようなそんな感覚だった。

さゆみは右手を広げ地面を叩く。しかし、パシッという音が響いただけでなにも起きなかった。
突然のことにれいなは眉を顰めるが、そのさゆみの表情を見て、まさかと思う。

「能力が…発動しないの」

その言葉を聞いた途端、彼女は笑い始めた。

「気付きました?“能力封鎖(リゾナントフォビット)”ですよ」

実に楽しそうに笑う彼女は先ほどの氷の微笑みは携えていない。物事が思い通りに進んでいることを心から喜んでいる。
すごろくサイコロ6の目が出てもうすぐゴールできる子どものようだった。

「……それがあんたの能力やと?」
「ブッブー。私の能力は“精神干渉(マインドコントロール)”です」

それが合図のように、3人の後ろのドアから人が流れ込んできた。
彼らは先ほど見た人間と同じように、みな瞳の輝きを失っていた。彼らもまた、この女に操られているのだと察した。

ジュンジュンは“念動力(サイコキネシス)”を発動しようとするが、全く発動しない。
舌打ちし、殴りかかってきた男の拳をよけ、左脚を軸にし、腹部を蹴り飛ばした。

「ほらほら、倒して下さいよ、能力で」

金属バットが地面を抉る。無意識のまま操られているせいか、彼らの破壊力は凄まじい。
さゆみは冷静に相手との距離を取りつつもこの場を収束できる方法を考えるが、一向に思いつかない。
別の女が放ったサブマシンガンがさゆみの足元に突き刺さる。抉られた地面の破片が飛び散り、軽くさゆみの左脚を切りつける。

「あ、能力使えないんでしたっけー」
「……黙れっ!」

へらへらと笑う女にれいなは殴りかかろうとするが、その前にふたりの男が立ちはだかる。
ナイフを突き出され、避ける以外に術がない。
これじゃ先ほどと同じ展開じゃないかと思うが、打開策が見当たらなかった。


―あの女の能力は“能力封鎖(リゾナントフォビット)”やない。ということは、もうひとり能力者がおるってことやろ?

「ひゃあああああ!」

男が振り翳したナイフを避けようとしたが避けきれず、れいなは左腕を軽く切ってしまった。
服が裂け、シャツに血が滲んだ。白に赤はよく映える。

―どこにおるとよ、その能力者は!

とにかくいちど此処を離れ、“能力封鎖(リゾナントフォビット)”の使い手を見つけ、倒す必要があった。
だが、れいなは現在扉からいちばん遠い位置にいる。この大勢の人間をかき分け、無傷でそこに辿り着く自信はない。
そんなことを考えている間にも、彼らは容赦なく攻撃を続けてくる。
先ほどより人数は少ないはずだが、それでもキリがない。徐々に体力が削られ、受ける傷も増えてきていた。

「あれー、息上がっちゃいました?」

護られた場所にいる女は余裕綽々の態度を崩さない。
勝ち誇り、楽しくて楽しくてしょうがないのか、目を細めて笑っている。
こんな場所で負けるわけにはいかないのだが、いかんせん、体力が落ちてきていた。

「もうちょっと、楽しませて下さいよ」

女がそう言って一歩足を踏み出した瞬間だった。
脳内に女が“侵入”してきた。れいなとさゆみ、そしてジュンジュンの動きがぴたりと止まる。頭の中で響く雑音に思わず膝を折った。
さまざまな情報が錯綜し、隅から隅へと突き刺さっていく。雷が落ち、自我が崩壊しそうになる。


―――リゾナンターになれて良かったですね


急に聞こえてきた声に思わず背筋が凍った。
頭の中に、女が“いる”。


―――もしそうじゃなかったら、あなたは社会のゴミ屑として、野垂れ死んでたかも


脳内に整理し蓄積されている記憶。
記憶の扉は数多く、常に開かれているものや閉じてしまっているものもある。
あるいは鍵の在り処さえも忘れてしまっているものさえもある。

れいなの記憶。
リゾナンターとして闘ってきた日々の記憶。最初にリゾナントに来た日の記憶。9人で笑いあった大切な記憶。
すべてが無駄にならない大切な時間という宝物だった。


―――ああ、あの子、異動になったんですね。痛かっただろうし、可哀想ですね

「っ……触んなぁ!!」

れいなが天に向かって吼えると、女の声は消えた。
さゆみとジュンジュンも同じように膝を折っていたが、能力の支配が消えたのか必死に息を整えている。

「れなの心に、これ以上触んな……」
「じゃ、触られないように頑張ってくださいね」

女は能力が破られたことになんのプライドもないのか、アッサリと言い放った。
最初から破られることを見越していたのか、それともわざと破らせたのかは定かではなかった。
確認する間もなく、再び男たちがれいなたちに襲いかかってきた。

「もう……キリがないの!」

間髪入れずに立ち上がり、さゆみも必死に闘うが、相手が多すぎる。
もうすでに20人は気絶させているはずだが、それでもまだ30人ほどこの場には存在している。

“精神干渉(マインドコントロール)”は想像以上に術者への負担が大きい。
いま、愛たちが闘っている相手もこの女によって操られた人間たちだが、単純に計算しても100人は操っている事になる。
そんな大量の人間を長時間操ることは、術者にとってはあまりに危険なことだった。
必ず彼女の能力の限界も訪れるはずだとさゆみは見越していた。

だが、残念ながらそう悠長なことを言っている余裕はない。
同じ場に存在するれいなとジュンジュン、そして近くで闘っている愛と里沙、リンリン、そして自分自身さえも体力が尽きそうになっていた。
一刻も早く、この女を倒さないとやられるのはこちらだった。

次の一手をどう打つか考えながらちらりとジュンジュンに目線を送った。
すると彼女は下唇を噛んだあと、じりっと後退りした。その距離の取り方は、どう考えても、闘いの意志を感じられなかった。
まさかと思っていると、ジュンジュンはさらに後退りする。その方向には、階段へと通じる扉があった。

「あああああ!」

ぱららららっという音のあと、さゆみは左脚を撃ち抜かれた。
焔のような痛みが脹脛を貫き、奥歯を噛みしめ、膝を折った。

「さゆっ!」

れいなが思わず駆け寄ろうとするがその足元にも銃弾が撃ち込まれ下手に動けない。
左脚をおさえたままさゆみが扉へと向くと、彼女はくるりと背中を向けた。

「ジュンジュンっ!」

れいなの声に気付いたのか、ジュンジュンは脚を止め振り返る。
彼女のやろうとしていることに気付いたのか、思わず声を荒げて叫んだ。

「何処行くっちゃ!!」
「……逃げマス!」

その言葉がなにを意味しているのか、一瞬理解が遅れた。
れいなは思わず「はぁ?!」と返すが、ジュンジュンは気にせずに続けた。

「こんなノ、勝てるわけないデスダカラ!」
「っ……ざけんな!逃げるって、さゆ怪我しとぉのに!」

思わず攻撃の手を止めてれいなは叫ぶ。
逃げる?仲間を置いて?この状況で?
彼女のやろうとしていることの意味がなにも分からないままでいると、ジュンジュンはそれでも無視して叫んだ。

「ごめんなさイ、道重サン、田中サン!!」

引き止めることも殴ることもできなかった。
ジュンジュンはそのまま屋上の扉から姿を消し、階段を駆け下りていった。
突然の仲間の離脱をさゆみは黙って見届ける以外になかった。なにも口にすることなどできなかった。

「あははー!仲間割れとかマジウケるー!!ホントにあるんだね、こういうこと!!」

女は予想外の楽しい出来事にゲラゲラと腹を抱えて笑った。
実に醜悪な姿だったが、れいなは下唇を噛みしめる以外に術はなかった。

れいなの頭の中にジュンジュンと過ごした日々が甦った。
いままでなんども大きな敵と闘い、心が折れそうな日々もつづいてきた。
それでも、だれもが手を取り合い、9人で闘ってきた。

―仲間やって……仲間やって……


仲間の唐突の離脱はれいなの心を迷わせた。
今日のこの瞬間までいっしょにいた仲間が突然背中を向けた事実に揺れる。

いったいなぜ、こんなことになってしまったのだろう。
小春が異動してしまったことによって、れいなの世界は変わってしまった。
“いま”ある当たり前のものは不変ではなく、一瞬にして消え去ってしまうことを思い知った。
そしていまもなお、その当たり前のものは形を変えてれいなの前から消え去ろうとしていた。


「仲間やって信じとったっちゃ!!!」


夏の終わりだというのに太陽が眩しい。ギラギラと輝いて体力を奪い、汗を滲ませていた。
れいなはただ青く澄んだ空へと叫んだ。しかし、空しいその声は屋上に響いて、消えていった。

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古びた倉庫の中で、黒い髪を伸ばした女はひとり佇んでいた。
もうそろそろ決着はついただろうかと考えながら、暗い室内にあるひとつの窓を見る。
四角く切り取られた空が眩しい。もうすぐ秋が始まるのかと考えていると、急に倉庫の扉が開いた。
どうやら作戦終了のようだと胸を撫で下ろすと、そこには想定外に人物が立っていた。

「やっと見つけましタダ」

そこには、体にいくつかの傷を受けたリゾナンターであるジュンジュンが立っていた。
女は思わず「なんで?!」と叫んだ。

「どうして、此処が分かったのよ!」

ジュンジュンが大袈裟に肩を竦めると、そのすぐ後ろからリンリンが入ってきた。
彼女もまた同じように怪我を負い、頬からは一筋の血が流れていた。

「簡単な計算と勘デスヨ」

そうしてリンリンはニコッと笑った。


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屋上を駆け降りたジュンジュンはそのまま息を切らしながら街を走った。
ふと隣を見ると、いつの間にかリンリンもそこにいた。

「どうしてついてきた?」
「あなたを護ることが盟約ですから」

思わずジュンジュンは脚を止めた。
彼女の瞳には一片の迷いもない。ただ純粋にジュンジュンのことを信頼しているのが伝わってくる

「それに、逃げたわけじゃ、ないんでしょう?」

リンリンの笑顔にジュンジュンもまた苦笑した。
恐らく彼女も、なんらかの言い訳をして、愛と里沙の元を離れたのだろう。
ジュンジュンのような言い方をしたのであれば、彼女の信頼も地に堕ちてしまったのかもしれない。
その信頼を取り戻すには、結果を示すかしかない。

「亀井さんと光井さんに連絡取れる?」

その言葉だけで意図を理解したのか、リンリンはポケットから携帯電話を取り出した。
数コールのあと、相手は電話に出た。

「あ、光井サンどうも。あの、つかぬこと聞きますケド、いま、能力使えマスカ?」


愛佳の答えを聞いたふたりはそれぞれ別々の方向へと走り出した。
いま、愛佳と絵里は同じ病院内にいて、ふたりとも能力を使える状態にあった。
ジュンジュンとリンリンのいるこの地点ではまだ、能力は発動しない。
此処から病院までの距離はおおよそ3キロ。先ほどいた場所から此処までの距離はおおよそ1キロ。
単純に計算しても、“能力封鎖(リゾナントフォビット)”の有効範囲はさほど広くないことが分かる。
ジュンジュンとリンリンが別方向へと走り、それぞれの能力の発動できる距離を知ることができれば、おのずと、能力者のいる場所は特定できる。


「能力の使える3地点は円周上に結ばレ、その円の中心にいるのガ、能力者」
「つまりそれガ、此処ってことデスヨ」

説明を終えたリンリンは頬の傷を指でなぞった。
赤い血が指先に付着し、それをぺろりと舐める。鉄錆の味はどう考えてもまずい。

「此処の近辺にダークネスの人ガいましたダカラ、確信もてたんですケドネ」

その言葉に女はハッとした。
いま、このふたりの受けた傷は、自分を警護するダークネスたちと闘って受けたものだということに気付く。
そして、警護者を失った自分が追い込まれているということにも気付いていた。
“能力封鎖(リゾナントフォビット)”を発動しているとはいえ、相手はふたり、しかも此処を警護していたダークネスを倒している。
勝ち目なんて、あるわけがなかった。

「私を……倒すの?」
「そう、なりマスネ」

ジュンジュンとリンリンはそう言うとぐっと構えた。
女は自身の敗北を悟ったのか、戦意を喪失し、抵抗する様子は見せなかった。

「……なんであなたたちは闘うの?」

急に向けられた言葉にジュンジュンは眉を顰めた。
追い込まれた人間が土壇場で世迷言を離すのはよくあるパターンだった。戦術のひとつとしては美しくはないが悪くない。
だが、それがあまり予想しなかった言葉であったため、女の言葉を急がせた。

「なんのために闘うの?私たちを倒しても、まだまだ大勢の敵はいるし、力が強大だってことも知ってるでしょ?」

自棄になっているのか、女は饒舌だった。
耳を傾けるべきか、さっさと殺すべきか悩んだが、結局女の好きにさせることにした。

「あなたたちのやってることは、無意味なのよ!」
「無意味かどうか、決めるのはあなたじゃない」

女の言葉に被せるように発せられた言葉にジュンジュンはピクッと反応した。
リンリンは真っ直ぐに女を見つめ、重苦しい言葉を吐いた。

「あなたたちに正義があるように、私たちには私たちの正義がある。護りたいものがある。だから闘うんです」

リンリンはそう言うと一気に女との間合いを詰めた。
懐に入ったかと思うと、右の拳を腹に突き立てる。「ぐぁっ……!」という鈍い声が響いた。
そのまま間髪入れずに膝を砕くと、女は無様に地面に倒れた。
リンリンは女に馬乗りになると、両手を首にかけ、全体重を乗せた。

「私は、護りたいんです……この世界を……ジュンジュンを」

女はリンリンの両手首を掴んで抵抗する。
じたばたと脚を動かし、悶えるが、リンリンはぴくりとも動かなかった。

ジュンジュンはただその様子を黙って見つめていた。
彼女の云う「正義」を思う。
絶対唯一の正義なんてものは存在しないから、世の中には戦争が起こるし、政党だってコロコロと入れ替わる。
ある立場での正義は、ある立場での悪にしかならない。だから世界はいつも不均衡でズレている。

だからこそ、彼女は云う。
自分の信じる、護りたい正義のために闘うのだと。

それはジュンジュンも同じだった。
護ってくれる彼女のために、護りたい世界のためにジュンジュンは闘う。
果たしてそれが正しいかどうかなんて分からない。きっとリゾナンターの正義は、ダークネスにとっては悪だから。
でも、ダークネスにとっての正義がリゾナンターにとっての悪だとしたら、やっぱりジュンジュンは、「闘う」という選択肢を選ぶしかない。


女はごほっごほっと鈍い咳をし、口の端からは白い唾液を垂れ流した。
顔がどんどん欝血し、どす黒く変化していく。下腹部からは僅かに液体が流れ、水溜りをつくっていた。

「ごめんなさい。これが私の正義なんです―――」

リンリンはそう言うと、一気に体重を首の一点に乗せた。
ごきんという鈍い音のあと、女はびくっびくっとなんどかエビのようにのた打った。
手首を握り締めていた指はだらしなく垂れ下がり、地面に落ちた。それきり女は動かなくなった。

生命のある人間からただの肉の塊と化したそれを眺めながら、リンリンはゆっくりと立ち上がる。
ジュンジュンはゆっくりと彼女に近づく。リンリンは黙ったまま、横たわっているその肉の塊を見つめていた。
なにか言うべきなのか思考したが、結局なにも言わずに、先ほどまで生きていた女の目を閉じさせてやり、自分も目を瞑った。
祈る神もいないくせに、自分が殺したくせに、ふたりは暫く黙ったまま彼女の亡骸とともにいた。

 -------

れいなが再び体の異変を感じたのは、ジュンジュンがいなくなってから20分後のことだった。
そろそろ脚が砕け、地面にひれ伏すというとき、体の中が温かくなっていくのを感じた。
いままでにない感覚に思わず震えたが、先ほどのような欠落的な印象はなく、その感覚を受け入れた。
懐かしくて、優しいその感触に、れいなは手を伸ばし、ぎゅうと抱きしめた。

空気が変わった。
どくんと心臓が大きく鼓動を打ち、なにかが中に入ってきた。

「……まさか…?」

異変に気付いたのは女も同じようだった。
東の方角をじっと見つめるが、その先になにがあるのだろうとれいなは疑問に思った。

さゆみは待ってましたといわんばかりに右手を広げ、地面を叩いた。
びしっという音のあと、地面に裂け目ができたかと思うと、男たちの足元が崩れ去っていった。
足場をなくした男たちは逃げることも叶わずに重力の法則に従い、そのまま階下へと落ちていった。

「“物質崩壊(イクサシブ・ヒーリング)”……ということは、能力、使えるみたいだね」

さゆみの言葉にれいなはハッとした。
先ほどから胸に溢れたこの感覚は、自分の能力が戻ってきたことを意味していたのだと気付く。
ずっと傍にあり、一瞬だけ失ってしまった懐かしい感覚に、れいなは思わず「おかえり」と呟いた。

「あー…あとでみんなまとめて病院だね。まあ骨折くらいだし、だいじょうぶでしょ」

さゆみは階下に落ちた男たちを見つめて呟いたあと、視線を女へと戻した。
足場を崩したおかげで敵は一気に減り、残るは能力者である女ただひとりだった。

「ジュンジュン、“能力封鎖(リゾナントフォビット)”の使い手、倒してくれたみたいだね」
「……え?」
「れいな、まさか本気でジュンジュンが裏切ったと思ってた?」

「あれかなり良い演技だと思ったのにー」とからかうように笑うさゆみにれいなは背中にイヤな汗をかいた。
頭はさほど良くないれいなでも、なんとなく分かることがあった。
ジュンジュンはれいなやさゆみを護るために、わざとこの場を離脱したというのだろうか。
仲間割れに見せかけて、敵を騙して安心して能力者を倒しに行けるように。
まさか、と思うが、それ以外にしっくりくる説明ができない。

「……マジか……」
「マジだよ、れいな」

さゆみの言葉にれいなはがくりと肩を落とした。
自分はどれだけジュンジュンを信頼していないというのだろう。彼女はこちらを信頼して、たったひとりで敵を倒しに行ったというのに……
こんな脆い絆じゃなかったはずなのに、どうしてれいなはジュンジュンを疑ったのだろう。

「っ…バカな!」

女は膝を叩き、地団太を踏む。
納得いかないというように唇を噛み、天を仰ぐ。

「あいつが……あいつがやられるとか、そんなわけない!」

「でも現に、さゆみたちは能力が使えるの。あなたこそ、そろそろ限界じゃないの、“精神干渉(マインドコントロール)”」

さゆみがそう言った途端、女は顔を歪めた。
こめかみを押さえ、数歩後退りする。どうやら、能力の限界が訪れたようだった。

「どうする?さゆみたちふたり、相手にできる?」

形勢逆転とはこのことだった。
“精神干渉(マインドコントロール)”の能力はいま確実に弱まっている。
愛たちが相手にしている人間たちも徐々に能力の支配から解放されるはずだった。
目の前の女も、術の撥ね返りのせいか、自分の脳に大きなダメージを受けていた。
能力の復活したさゆみとれいなふたりを相手にできるほどの力が残っているとは到底思えない。

「はっ……あんたらに殺されるなら、自分でケリをつけるわ」

女は口汚くそう言うと、れいなたちに背を向け、屋上の端へと走った。
そのままひょいと柵を越えると、くるりと振り向いた。
彼女がなにをやろうとしているのかは火を見るより明らかだったが、当然、ふたりは止めることはしない。

「じゃあね、バカなリゾナンターさん」

それだけ言うと、彼女は迷うことなく、飛んだ。
飛んだとは比喩表現ではなく、そのままの意味だった。
彼女は広い空へと歩を進め、ふわりと一瞬ではあるが宙に浮いた。そのまま重力に従い、地面へと落ちる。
風を切った音のあと、ぐちゃりという音がふたりの耳に届いた。

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彼女は地面に叩きつけられ、血の海の中で眠っていた。
有らぬ方向に四肢を曲げた姿を見下ろしたあと、ふたりは愛たちと合流した。
その場には、ジュンジュンとリンリンの姿もあった。

「だいじょうぶだった?」
「ハイ、リンリンが来てくれマシタダカラ」
「ごめんね、ふたりに無茶させて……」

さゆみと愛、そして里沙はふたりの行動の意図が分かっていたのか、笑顔で話をしている。
どうやら裏切ったと思っていたのはれいなただひとりであり、掛ける言葉もなかった。
ばつが悪そうに口ごもり、目を合わせられずにれいなはぼんやりと突っ立っていた。

「田中サン、ゴメンナサイ」

だが、急にジュンジュンから謝罪の言葉が飛び出し、れいなは面食らった。

「説明しないデ勝手に動いてゴメンナサイ」
「いや……れなも……ジュンジュンたちのこと、ちゃんと、信じて、やれんかったけん……」

直後、仲間たちから次々にからかいの言葉が飛んできた。

「もー。ジュンジュンとリンリンが裏切るわけないの」
「田中っちは良くも悪くも単純だからねー」
「まあれいならしいっちゃそうやけどね」

殊勝に謝ったかと思えば次々と受ける言葉の矢にれいなは引き攣った笑みを見せた。
ただ今回ばかりは自分の心の問題であり、なにも言い返すことなくそれを素直に受け入れた。

「なになに、れーななんかやらかしたの?」

すると、いつの間にか来ていたのか、絵里と愛佳がそこにいた。
病院を抜け出してきたのだろうかと思ったが、そんなことを聞く余裕もなく、言葉が交わされる。

「そうなの。れいなったらジュンジュンとリンリンが裏切ったって勘違いして本気で凹んでたの」
「あははっ、それマジバカじゃーん」
「まあでも、敵を騙すには味方からって言いますしねぇ」

それでもいろいろと言われるとれいなも段々と腹が立ってくる。
完全なる八つ当たりだとは分かっていても、れいなは苦虫を噛み潰した顔で首の後ろをかいた。

「やかましかっ!仕方なかやろ、いろいろあったっちゃから!」

その言葉に一瞬、場の空気が凍った。
それがなにを意味しているのかは明白だった。だれもがみな、久住小春のことを考えていた。
意図せずに異動が決まり、突然目の前から消えてしまった小春。
彼女の意志も、想いも、なにひとつ知ることなく奪われてしまった日常と、大切な仲間の存在。
失ったものの大きさと、これからどうなるのだろうという計り知れない不安にだれもが苛まれていた。

「ま、いろいろあったからこその8人やろ」

だが、その空気を敢えて壊すように、愛は明るく声を出した。

「変わるもんもあるけど、変わらんもんやってあるやろ」

そうして愛はふいに右手を差し出した。
突然のことにきょとんとしていると、なにかを察したのか、里沙がその手に手を重ねた。
それでなにか気付いたのか、里沙の手の上に絵里、絵里の上に愛佳、愛佳の上にジュンジュン、ジュンジュンの上にリンリンと手が重なっていく。
リンリンの手の上にさゆみが手を重ねると、れいなも同じように手を重ねた。
そして最後に愛が再び左手を重ね合わせた。

「なにがあっても、リゾナンターは、変わらんよ」

愛はニコッと笑い、全員の顔を見回した。
これから先のことなんてなにも分からない。なにがあるのかなんて想像もつかない。
変わることは当然あって、永遠なんて存在しないことくらい分かる。

だけど、それでも、それだからこそ、変わらないものだってある。
根底に存在して消えないものは、確かに此処に在る。

この場にいる8人の手、そしていないけれども確かに乗せられた9人目の小春の手をしっかりと感じ合った。
オレンジ色の夕陽が沈む中、8人の影は円となって伸びていく。
重なりあった影は静かに共鳴し、夜の闇へと溶けていく。
切なくて哀しい色ではなく、確かな意志をもった“蒼”は9人の中で静かに燃え上がった。


















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