『里沙は屍の中にナマタを見つける!』


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そこはまるで地獄だった。
幾重にも折り重なった屍の中に五体満足なものは見あたらない。
あらぬ方向に折れ曲がった手足。
地面を蛇のように這う臓腑に転々と転がる眼球。
どの屍の顔も恐怖に歪み、狂気に染められていた。
そんな地獄に咲く花一輪。
この惨状の元凶、生田衣梨奈。

…また守れなかった。

公安調査庁の特別捜査官新垣里沙は首都圏で発生した無差別テロで最も被害の大きかったR地区を訪れていた。
同行者がいなかったのは、未だ全容の判明していないテロの実行犯グループが第二波の凶行を起こす可能性を否定しえないため、その対応に人手がいくつあっても足りなかったからだ。

…起きてしまったことより、これから起こる被害を防ぐことに注力するのは当然といえば当然だよね。

では捜査官の中でも優秀な里沙が何故犯行の再発を防ぐ任務から離れているのか?
その理由はR地区で発生した事態の特異性にある。
テロの実行犯グループと彼らによって扇動された暴徒たちが同士討ちを始め、争いあい殺しあった結果、全滅してしまったのだ。
錯綜する情報からその状況を知った里沙には思い当たるところがあった。
その事態を引き起こしたのは、里沙のよく知る人物だという予感があった。
もしもそうだったらその人物を保護しなくてはならないという思いから、毒ガスによる幻覚という捏造した情報まで流して、R地区への単独潜行を認めさせた。
そして里沙は屍の中で見つけた。
かつて里沙が所属し、今は道重さゆみをリーダーとして活動を続けるリゾナンターの一員。
【精神破壊】能力者、生田衣梨奈の亡骸を。

他の屍と同様に、衣梨奈の遺骸も惨憺たるありさまだった。
踏み砕かれた足の皮膚は裂け骨が覗いて見える。
手の爪は全て割れ、左腕に至っては千切れかかっている。
身体にも無数の傷を負っているが、不思議と無傷だった顔は微かに笑みを浮かべていた。

 …【精神破壊】を持つあんたがチームの前衛で戦えば、いつかこういうことになりかねないと思った。
だからわたしがリゾナンターから去る前に、最後のリーダー権限で強制的にあんたを後方支援に回した。
あんたの身体能力なら立派に前衛が務まることはわかってたし、わたしの後任になるさゆはそのことでちょっと不満そうだったけど、最後はわかってくれた。
あんたの【精神破壊】がアンコントローラブルな能力だってことを時間をかけて説明したからね。
肝心のあんたをどうやって納得させるか悩んでたけど、あんたは意外と素直に応じてくれた。

「後方支援って響きがなんかカッコイいし。 にーがきさんもそういう地味目な仕事を続けてきて、最後はリーダーになったっちゃろ。衣梨奈もにーがきさんと同じ道をゆくたい」

…あんたの【精神破壊】は打ち込まれた敵の精神を焼き尽くす闇の炎だ。
でもその炎は敵だけでなく、あんたの側にいる仲間も、そしてあんた自身の精神を蝕んでゆく。
わたしがあんたを前衛から外したのは、あんたのことを心配したからなのは確かだけど、他のみんなに被害が及ぶことを危ぶんだからでもあるんだ。
そんなあたしの冷たい打算で行った人事をあんたは喜んで受け入れた。
わたしが決めたことだからという理由で。

「にーがきさん、お仕事はどうですか。 衣梨奈はばっち元気でやっとうよ。こんど新しく入ってきたまあちゃんは高橋さんと同じテレポーターっちゃけど、まだ能力の発動が安定してないので…」

…あんたから届くメールに添付されているメッセージには、あんたから見た後輩の様子が克明に記されていた。
各々の能力の強さやウイークポイントをあんたはよく見ていた。
私に助言を求めていたけど、私は何も言わなかった。
さゆやれいなのことを気にしたからじゃない。
リゾナンターを離れてしまったわたしよりも、その中にいるあんたの思うようにすべきだと考えたんだ。

「にーがきさん。頑張った衣梨奈のことを誉めて欲しいっちゃ」

息絶えた衣梨奈の貌は今にもそう話し出しそうだった。

首都圏で起きたテロの標的は公共機関だった。特に警察や消防、病院など市民の安全に直結する末端が優先的に狙われた。
そしてその中にリゾナンターの本拠、喫茶リゾナントも含まれていた。
表向きはマスターが何代も代替わりした平凡な喫茶店。
実態は持って生まれた異能ゆえに苦しむ能力者にとっての最後の砦。
 ・・・省からの資金援助を受けてはいるが、公的機関のリストには一切記載されていないリゾナントが狙われた。
 ・・・省もしくは政府の中に今回のテロの首謀者と内通してるものがいるということだろう。

外見は普通の喫茶店のリゾナントだったが、その襲撃に割かれた人数は第一波の中でも最大級のものだった。
そして狡猾なことに襲撃者の前面には扇動され暴徒と化した市民が押したてられていた。
現在のリゾナンターの先鋒役を担う鞘師、石田、工藤の面々は罪を犯したと暴徒とはいえ市民を攻撃することをためらった。
その逡巡を突かれ包囲されたリゾナンターの危機を救ったのは、普段は後方支援を担当する生田衣梨奈だった。

仲間の制止を振り切り、ただ一人突出して仲間から離れ、暴徒のはるか後方で高みの見物を決め込んでいたテロリストの中核に切り込んだ。
衣梨奈を孤立させまいと続こうとした他の仲間の誰もがその速さにはついていけなかった。
さらに衣梨奈が発動した【精神破壊】により闘争を繰り広げる暴徒の群れが、その追随を阻んだ。
そして今、衣梨奈の遺骸がここにある。
そこはリゾナントのある町から十数キロ離れた郊外の一角。
敵を追い立てて、追い立てて、リゾナントから引き離せるだけ引き離したところで衣梨奈は息絶えたのだろう。
その最期は誰かの手によるものなのか、体の器官が悲鳴を上げたものなのかは定かではない。
しかし衣梨奈は自分の心の中の闇の炎によって自らを焼き尽くしたことだけは間違いない。
ここに来るまでは定かでなかった推測が、衣梨奈の遺骸を見た今となっては確信に変わった。

精神の焼かれ方が比較的浅い人間を救出しながら、衣梨奈と合流しようとしたリゾナンターたちは現在保護という名の禁足状態下にある。
リゾナンターは正式な兵士ではないが、その存在はある種の戦力に対する抑止力となりうるからだ。
衣梨奈を助けるためには、この国の公権力の全てを完全に敵に回しかねないほど熱くなっていたさゆを説得するようれいなに頼まれた里沙は非公式のルートを通じてこう伝えた。

「ナマタは私が見つけ出して、助けるから」

 …でも結局助けられなかったね。
まったく、ただ守りたいっていうそれだけの思いを叶えるのがこんなに難しいだなんて思いもしなかった。
それともバカな私が簡単なことをいつのまにか難しくしてしまっていたんだろうか。
立つ位置が変われば見えてくる物も違ってくる。
公権力の中で力を得ることがで、みんなを守ることができると思って、私はリゾナンターを離れた。
その結果がこれだ。
私はリゾナンターに留まるべきだったのか、それとも衣梨奈を強引に引き抜いて私の傍に置いておくべきだったのか。

里沙は公安調査庁のIDカードを手にしていた。
それを手にすることでリゾナンターを守ろうとしていた。
しかし結局それはかなわなかった。
ぼんやりとIDカードを見ていた里沙は、何者かに誰何されていることに気づかなかった。
いや、ほんとうは気づいていたが今はそれに応えるのが億劫だったのかもしれない。

「お前はその女の仲間だな」
「はぁ?」
「お前の顔は資料で見たことがある。 リゾナンターの前リーダーにして公安調査庁の捜査官、新垣里沙。 まり私たちの敵だ」

里沙を取り囲む数十人の男たち。
その位置は高低を変え、遮蔽物を利用して仲間同士が射線に入らないように配されている。
返答しだいでは蜂の巣にしてくれるということだろう。

「その女は悪魔だ。 まるで殺戮を楽しむように笑いながらこの惨状を生み出した。 その遺骸は晒し者にして次なる戦いの烽火にしてくれる。そしてお前は生きたまま捕らえてやつらとの取引材料にしてやる」

里沙には男の言うことがわからなかった。

何を言っているのかはわかったが、わかったということと理解するということは別のものだ。だから黙殺してもよかったが、衣梨奈を悪魔だと言ったことは許し難かった。だから…。


「この子は確かに狂戦士さ。 戦いの中に身を置けば恐怖を忘れ、自分が壊れたって戦いをやめない。でもそれは大切なものを守るため」
「そんなことはどうでもいい。 さあそいつの死体を渡してもらおう。 そしてお前は大人しくしてもらおう」

冷笑で報いることが新垣里沙の答えだった。

「お前、逆らうつもりか。 いくらお前が能力者であってもこの人数とでは戦いにならないぞ」
「戦うなんてとんでもない」

里沙の唇が歪んだ。

「私はあんたたちなんかと戦うつもりなんかないよ、ただこの娘の遺骸に対してひれ伏せ! そして敬意を払え!!」

数十人の男が一斉に平伏した。
ある者は高所にいたが、平伏した所為で地上に転落した。
ある者は平伏した所為で暴徒の屍に顔を埋めた。
ある者は平伏した際に銃が暴発して怪我を負った。
それでもその場にいる生命ある者の全てが里沙の前に、衣梨奈の遺骸の前にひれ伏した。
いや、ただ一人だけ、里沙に声をかけた男だけは…。

「ふん、あんたは生意気に精神にロックをかけられるんだね」
「マインドコントロールか。 噂に違わず薄汚いチカラだ。 人の尊厳を踏みにじることがそんなに誇らしいか」
「まったくあんたの言うとおり薄汚いチカラだと我ながら思うよ。 守るべき者を守り通すことができなかった」

自分を蔑みながら里沙は男に尋ねた。
今回の大規模テロの黒幕を。 リゾナンターの砦を売った裏切り者の正体を。

「バカにするな。 お前ごときに誰が言うか」
「教えてくれないんだったら…」

里沙は膝まづきながらも、額づくことに必死に抗う男に歩み寄った。 そして…。

「落ちな」

男は見た。
ゆっくりと自分に迫ってくる里沙の掌を。
避けることができず、里沙の掌で視界を塞がれた男は、ゆっくりと押し倒された。そして。

暗い闇の中を男は転がり落ち続けていた。
極めて垂直落下に近いが、固い地面だか側壁の上を転がり続けていた。
数秒か、十数秒か、数十秒か。
どんなに長くとも一分には達しない時間を転がり落ち続け、男の落下は突然止まった。
自分の体が収まる程度の平坦な床面に男は転がり落ちていた。
転落の衝撃が収まり、痛みが鈍くなってから落下した時間から自分が何メートル落下したのか計算しようとした男だったが、すぐ諦めた。
加速度にG。
小難しい計算は苦手だった。
男には判っていた。
仮に何メートル落ちたか解ったところでほとんど意味が無いことを。
自分は今、里沙の作り出した幻の中に囚われている。
もしも心臓が止まるイメージを作り出されて認識させられればリアルな死につながりかねない。
精神の中での死は肉体の死につながる。
だから脱出しなければ。
致命的な攻撃を受ける前に脱出しなければ。

まだ体に痛みは残っているが、これは里沙の能力によって精神が作り出した幻だ。
自分なら克服できると暗示をかけて、男は手探りで周囲の状況を把握しようとする。
幻とはとても思えない、リアルな感覚。
今男はV字型の巨大な側溝の底にいた。
脱出するとしたら、前後方向か…。
いやっ、上だ!

男は飛んだ。
ここは精神の中だ。
だから物理的な法則にとらわれることなどありえない。
ひたすらに、飛んで飛んで飛んで飛んで…。
数時間か、あるいは数日間飛び続けても側溝を抜ける兆しは見えない。
もしかしたら自分は上に飛んでいるのではないのではないか。
疑念に支配された瞬間、男は落ちた。
落ちて落ちてひたすらに落ちて、溝の底に落下した時には心臓が破烈しかねない衝撃に襲われた。
それが里沙の精神攻撃だと直感した男は待ちに転じた。
同行していた仲間は里沙にやられたが、それは一部に過ぎない。
この国を、この世界を変えるために共に戦う同志は今も増え続けているはずだ。

…そうとも。無駄に動いてはあの女の思う壺だ。
他の仲間が救出に来るまで待ちの姿勢に徹してやる。
男は待った。
待って待って待って待って待って待って…。

最初の数日間は仲間に救い出された暁には、里沙をどうやって処刑するか想像して時を過ごした。
次の数週間はこれまでに学んだ知識を再確認することで費やした。
次の数ヶ月間は生み出した数十の架空の人格と友達になって平凡な学園生活を送ってみた。
次の数年間は新しい言語体系を作り出し確立することでやり過ごした。
更なる数百年ひたすら許しを乞うことで消えた。
最後の数千年は…無だった。
そして救いの光が見えたとき、男は手を伸ばして…。

「で、どう。 黒幕のこと喋ってくれる気になった」

最初はそれが何のことなのかわからなかったし、女の名前すらわからなかった。
しかし眩しい光の中にいるその女の顔を見つめているうちにその名前を思い出した。

「あ、あ、あんたたたたたたは、にいにいにいがき、りささささささ」
「私の名前はいいいからさ。リゾナンターの情報をあんた達に流した人間の名前を教えてくれる?」
「ひう、ひう、ひいますからから、たたたたたたすけけけけてえ」

【精神操作】によって数千年の孤独を味わった男が明かした名を聞いた里沙は得心した。
以前から芳しくない噂を耳にしていた政府高官。
収集していた状況証拠と照らし合わせれば、彼は内通者というよりも首謀者に近い存在だ。
しかし司直の手が及ぶことはない。
組織を細分化し、情報網を意図的に錯綜させることで、自分と実行犯グループとの関わりを隔絶に近いレベルまで偽装しているようだ。

…ていうことはどんな手段を用いてもあいつを潰さなければこういうテロは何度でも起こりうるってことだよね?

里沙は歯が抜け落ち、瞳が混濁し、麻痺した筋肉を抱えて苦悶する男の残骸から目を逸らした。
五感をシャットダウンし、体内時計を狂わせ無限ループをしかける。
それだけのことで人の器は容易に壊せる。
しかしそれだけのことをいまだかつて行ったことはなかった。
自分のチカラの本当の恐ろしさを認識してからその行使には常に注意してきた。
しかし、これまで守ってきた一線をなんともあっけなく破ってしまった。

生涯の戦友や年下の相方。
同世代の後輩に異邦から来た同胞。
何人もの仲間が傷つき倒れ去っていっても冷静さを作れていた自分の心が今、どす黒く燃え盛っている。

…なんのことはない。 私の精神も知らない間にあんたに焼かれてたのかもしんないね

里沙はオフにしていたイリジウムの衛星携帯電話の電源を入れる。
するとそれを待っていたように、着信が入る。
それはリゾナンターを直接管轄する省庁からの連絡だった。
新たに起こり得るテロの第二波へのリゾナンターの投入の是非を里沙に問うていた。

本来権限の無い里沙にこんな連絡が来たということが、政府内の混乱とリゾナンターの戦略的価値を物語っている。
あっさりと戦線投入を許諾した里沙を電話の向こうでは訝しんだ。
てっきり拒絶されると思っていたようだ。

…あっちの戦力にも限りはある。
第一波と同じ規模のテロは何度も起こせない。
第二波、第三波と小規模な攻撃を仕掛けて、その対応で疲弊したところで勝負をかけてくる。
だったら第二波への介入は比較的危険性は少ない筈。
それに、私がこれからやろうとすることの巻沿いにならないようにアリバイにもなるしね。

破壊されながら炎上を免れた車から抜いたガソリンで衣梨奈の遺骸を火葬することにした。
まだ混乱した状況は続く。
平静を取り戻した官憲によって衣梨奈が回収される前に、さっきの奴らの仲間がまた湧いてくるかもしれない。
それでは地獄に咲いた可憐な花が手折られ、踏みにじられてしまうではないか。
だったらせめて自分の手で送ってやりたいと里沙は思った。

…ほんとうはみんなと最期の別れをするまでそばにいて守ってあげたいんだけどね。
でも、それじゃあんたの守りたかったものは守れない。
だからこうするよ。
文句はこの地獄を突き抜けた先のどこかでいくらでも聞いてあげるからさ。

燃え盛る弔いの火を背に里沙は歩き出す。
その先には法の手の及ばない悪の根源が待っている。
花の名前とその色と形は心に灼きつけた。

…ナマタ、一緒に行こう。
つまらない戦争をさっさと終わらせて、たとえ束の間でもいい。
平和ってやつをこの世界にもたらしてやろうよ。


                    --終--