『Whim of God』



ここは掃き溜めの中。
此処はあまりきれいじゃないよ。
つながっていたかっただけで。
死んでしまったあとの花のように。

醜い私は、影にくるまって眠るの。
君は星のように、はかない声で鳴いている。
いつだって昨日の向こう側。

私は死ぬように君を愛す。
君が死んでから私を愛すように。

生きる事が永遠を壊したけれど。
醜い光が私を射つ。
それでも願ってた。

 願ってただけだった。


いつか彼女は、世界にココロを鬱されていた。

 「泣けなくなったのはいつかなんて覚えてないよ。
 神経の異常なのか、障害の一種なのか、考えたって
 私にはそんな知識は必要なかったの、必要のない場所に居たから」

受け入れることが生きる事。
全ては日常の中に消えて行く。
誰も彼も、彼女も例外なく、逃れることなく、逃れれる者が居ようもなく。


 「だけどね、それで少し良かったって思うことはあるよ。
 泣けないなら、笑えばいい。
 だってそうすれば、いろんなことが良い方向に進むような気がしない?
 後ろ向きに考えるよりはさ、生きてるならきっと、その方がいいよ。
 死んだあとのことなんて、人間は考えないんだから」

彼女は鼻歌にメロディを口ずさむ。
流行りではないが、それでもなんとなく気に入っていて、無意識の
うちに口に出してしまうくらいの歌。
心地よかった。意味はない、ただ、心地よかっただけで。

日常の中で、誰もが他人に無関心になる。
"此処"にいる殆どの人間もそうで、そいつの存在自体がまるで最初
から無かったかのように。
しかし彼女はそんなことを傍から理解していて、そしてむしろ、状況を
楽しんでいる節もある。
実際、楽しもうとしていた。

 「だから変にディスられてるのも知ってるよ。アハハ。
 まあそうだよね、皆やっぱり、心のどこかでは悲しんでるのに、私だけ
 気持ち悪いくらいニコニコして立ってるんだから。
 でもさ、逆に考えてもいいじゃない?悲しむだけ悲しんでさ、それで
 見ぬふりするより、背負った方がいいでしょ?」

誰もが全てを見えているというワケじゃない。
全て見えると思っているだけで、全てを見た気になっているだけで、実際のところ
目に見えるモノなど小指の先ほどの事柄しかない。
しかもそれは決まって、他人にはどうだっていいことなんだ。

そんな事を思うと、彼女は愉快になって軽く吹き出しそうになったが、口元を
ゆるめるだけに留めてくれた。
感情なんて、余計なものだと思う。

 「私さ、ずっと笑ってたいんだよね。そんな場合じゃないっていうのは
 判ってるんだけどさ。無理に笑ってないのだけは覚えててほしいな。
 きっとさ、神様のきまぐれなんだよ。私にそうやって背負えるように
 涙を与えなかっただけ。涙だけなら、安いものじゃない?」

彼女はテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばす。
湯気を立てるそれをのぞき込むと、コーヒーの香りとミルクの匂いが
同時に漂ってくる。
コーヒーは正直苦手だけれど、ミルクを入れればそれは別の代物へと変化する。
口が緩むことに躊躇すると、彼女が代わりに笑った。

日常にリアルを求めること自体がすでに不自然だった。
日常こそがすでに非日常で、感覚の麻痺した世界でリアルなど存在しない。
現実感などずっと昔に失くしてしまっているのだから。
最初からそんなモノは存在していないかのように。

最初からセカイは、全てが失せている。
それなのに。

 「じゃあさ、もしもどちらかに何かがあった時は、どちらかの気持ちを
 互いに渡そう。欠けたものを渡し合おう。
 いらないかもだけど、迷惑かもだけど。こんな歪んだものなんてきっと
 好きにはなってくれないかもだし、言ってる時点であれか、アハハ。
 でもまあ、私は嬉しいかな、―― が泣いてる姿、けっこー好きなんだよね」


泣けない彼女と、笑えない自分。
神経の異常なのか、障害の一種なのかは分からない。
そんな知識の必要がない場所に、自分達は居るのだから。

笑えない代わりに、涙がなんの前触れも無く、流れることがあった。
恐怖も絶望も感じてないはずなのに、それでも人間は本能的に
感情を浮かべるようになっている。

 それが自分にとってどんなに目ざとく思っていても。

気がつけば"組織"にいて、気がつけばヒトゴロシだった自分達。
ときには強引に殺し、ときには事故に見せかけて殺し、ときには消し去るように殺す。
研究員たちは"チカラ"のことに関して両目を輝かせ、ヒトゴロシを
する自分や彼女に対しても恐怖と、好奇と、絶望と、希望と。
様々な色と、音と、歌と、血と、人と、死と。

だけど誰が悪いのかなんて、判らなかった。
自分達が悪いのかもしれない、研究員が悪いのかもしれない。
何が悪いのかが分からないけど、どうして悪いのかが分からないけど。

 彼女が死んだ時に、自分は、全てを背負えただろうか?

 パンッ、パパパパパッ、パパパパパパッ。

複数の乾いたような、連続した音。
銃声。
分解から組み立て、その種類も能力も把握している。
音を聞けばそれが何なのか判った。


気付けば叫んで、常人には有り得ないような脚力で一瞬にして、彼女を
抱き上げ、その場から逃げ出す。
背後から銃声がして、数発が身体をかすめる。
途端に傷口から血が噴き出してきたが、走るのをやめはしない。

抱きしめる身体から少しずつ、確実に力が抜けていた。
それでもまだ暖かい。心臓が、鳴っている。
早かった鼓動が、少しずつ、ゆっくりに。

グッと、腕を掴まれる。
最後の力を振り絞るように、腕を、手を、自分の首に押しやった。
それはまるで、儀式のように行われた通過儀礼。

 「私さ、親友を殺したの。もう助からないって思ったから。
 私が肌に触れると、そこが砂になって、粒になって、灰になるの。
 身も心も血も、全てが燐粉になっていった。まるでヒカリみたいに」

"作戦"が失敗した場合、死んでも"組織"につながるような証拠は残してはならない。
外部に少しでも情報が漏れるのを防ぐために。
自分達の死体ひとつを残すことさえ許されない。
そうやって生まれたときから教育を受けて来て、それが全てだった。

 そして"作戦"は、失敗した。

 「私が殺してきた人達も、あんな風にヒカリになって、飛んで行った。
 蝶みたいに、私もさ、あんな風になれるかな?醜くてもいいから」


最後の言葉なんてものもなく、最後に受け止めるココロもなく。
"作戦"が失敗したという事実だけが残って、カラッポの世界だけが残って。
砂になって、粒になって、灰になる彼女を見上げた。

涙が溢れるのに、恐怖も、絶望もない、ただ、口角を強引に開けて、笑った。
歪な笑顔で笑って、笑って、笑って、笑って、笑って、ごめんと叫ぶ。

 「きっとこれも、神様のきまぐれなんだよ。
 このセカイも、あのセカイも、この"チカラ"も、私達もね。
 もしもどちらかが欠けたなら、探しに行けばいいの。このセカイも私で、―― も、私なんだから」

―― 私は、青空の下に居た。
小さなベンチに一人佇んで、何をすることもなく、眠ることも無く。
このまま地面に溶かされてもいいくらいに思えた。

 「どうしたの?まるで死人みたいな顔してさ」

なんて挨拶だと、思った。表情に浮かぶそれに、そっと言葉を乗せる。

 「親友が、死んだの」
 「そっか、私の親友も、さっき死んじゃったんだ」
 「…そう」
 「でもね、泣けないんだ、なんでだろうね。悲しいときにも涙は
 でるはずなのに、アハハ、ほら、変でしょ?うん、まあこんな事
 言ってもしょうがないんだけどね、アハハ。ねえ、そこ座っていい?」

陽の光に、目を細める。
アスファルトから飛び出したその花に名前を付けて。
そうしてまた日常が始まって。ただ願ってたはずのココロが微かに、笑ってた ―― 。















最終更新:2012年06月17日 16:30