『-Qualia-Ⅲ』


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2012/06/01(金)


  何処にも繋がっていない世界。
  子供のころに、いつも傍にあった辺りをはね廻る音たち。
  両手いっぱいにすくったはずの水は、今でも零さないように大切にしていた。
  失くすことを恐れた。
  手にくんだ水は、本当は乾いていて。
  誰にとってもそうで、体温で乾いていく。
  生きてるから。熱を持ってるから。
  でも失くした水は、また汲んでくれば良い。
  その場所は何処にでもあるから。

  道端に転がるほんの小さな小石にだって。
  例えは誰かのココロとか、自分のココロとか。
  気付くことが出来れば簡単なことで。
  見つける事ができればなんて優しい。

  少し目線を変えればいいだけなのに、まだ小さな世界に佇んでいる。

   *

  ――― カチカチカチカチ。

  携帯を操作する音。
  メールを作成するのに数分を要するものの、デコレーションくらいは
  少しぐらい力を入れたいと思っていたりもする。
  だがあまり夜にはしてはいけない。理由は簡単、寝てしまうからだ。
  でもどうしても不安になったときは構わず送信してしまう。
  こればかりはどうしようもないのかもしれない。

  カチカチカチカチ。

  きっと相手の顔を見て言った方が良いのかもしれないし、それが
  苦手という訳でもない。
  人見知りはしないタイプ。
  言いたいことは言っておきたいタイプ。
  それがどんなに相手のことを考えていない発言だとしても
  自分が後悔することの方がダメだと思うから。
  後悔はしたくない。
  勝負に負けることもしたくない。
  悲しい事は嫌だから。
  自分を犠牲にすることで切り開ける未来なんて考えられない。
  でも誰かのためならそういう事もするかもしれない。
  優柔不断という訳じゃない。
  ようするに優先順位で物事を決めるタイプ。

  カチカチカチカチ。

  仮面ライダーゼロノスとボウケンピンクの共通点は、二人共
  最終回では自分の為に仲間と別れて旅立ってしまう。
  前者は自分の生きる歴史を捜す為に。
  後者は想い人を支える為に。
  求めるのは凄く良い事だと思う。
  人は求めるものがあるからこそ生きたいと思うし、生きられると思うから。

   彼の言葉はそれを物語っているとしか言いようがない。
   ふっ、思えば熱い男だったとよ。

  カチカチカチカチ、ピッ。

  送信し終えたと同時に教室のドアを開ける。
  開け、ドア!

  「おはよーっ」

  にこやかに、元気さもアピールしつつ、生田衣梨奈はクラスメイトと挨拶を交わした。
  窓側のうしろから三番目が彼女の座席。
  カバンを机の横にかけ、椅子に腰を下ろそうとする。
  が。

   「おい生田あ、授業中だぞー」
   「はーい」
   「はーいじゃない、せめてもう少し静かに入ってこい。
   事情は親御さんから聞いてるが、ちゃんと学生生活も励むように」

  教諭の軽い説教に、生田は髪を触ってアハッと笑った。

          ◇          ◇          ◇

2012/06/05(火)


2限目が始まる前、鈴木香音のクラスは所々から談笑が上がっていた。

 「昨日のドラマ観た?やっぱりあの警察官が黒幕だったんだよ」
 「あの雑誌読んだ?ちょーイケメンでさー」
 「髪型変えたんだあ。可愛いーっ」

さすが中高一貫校ともあって、少し色が濃い生徒が何人か居たりもする。
先輩の影響を受けることもあれば、兄弟が居れば様々な情報が入り込む。
当然そういう人間は一目置かれたりもするし、良くも悪くも"有名"のレッテルを
貼られることになる。
大抵のことであればそんなレッテルを喜んだりする事はないのだが、この学校
に入学早々、すごい生徒が居るという噂があった。

 「あれこそがKYっていうか、むしろあの人自体が空気っていうか。
 空気なのに色があって匂いがあって味があって…いやホントなんだって」

その女子生徒と同学年の姉がいるということで、いろんな話を聞かせてくれたそうな。
だが噂は時間の経過によって様々に形容し、変化する。
だから本当かどうかは定かではない。

 空気が読めない。
 全くではないが、10個の事柄があれば8個くらいはKYだと言われる。
 一生懸命作った積木を一緒に喜びを分かち合ったあとに嬉しそうに
 「ダーン」と崩してしまうようなあの感覚、とは少し違うらしい。

ただ空気が読めないという事はやはり他の人にも迷惑がかかっているという訳で。

近いものでいえば買おうとしていたゲームが売り切れになって、もしかしたら
まだあるかも、という淡い期待を捨てきれない空気さえも分からずに相手の
真隣で購入したゲームを広げるとか。

趣味がゴルフという事もあって、そういう風速と角度は分かるらしい。訳が分からん。

 「でも運動能力はすごく良いんだよ。器械体操だっけ?それやってたらしくて。
 ことあるごとにハンドスプリングやってたな。ほら、身体をこおグルって回すヤツ」

それは鈴木も知っている。
一部では「回転少女」という異名で知られていて、部活の先輩から聞いた事がある。
マラソン大会のときに最初から全力疾走で走って、一度も速度を落とすことなく最後まで
ゴールするという荒技をこなした事で、陸上部にスカウトされていたほど凄まじい。
断ったらしいが。
50mの記録は8秒ジャスト、速さは普通だがその耐久度が半端ない。
ただもう一度だけ言う、全ては噂だ。最後の話以外は全て同級生からの都市伝説級の
噂であり、真実は分からない。

 キーンコーンカーンコーン。

チャイムが鳴り、ぞろぞろと生徒が自分の席へと座って行く。
先生が来ると客席、礼、挨拶と順序良くこなしていく。
2限目が始まった。
鈴木は窓側で後ろから数えると3番目になる。

 ふと、窓から南棟が見えた。屋上は死角になっていて分からないが
 本来ならあそこに鞘師里保が居る。

そう、本来なら。
譜久村があの場所に風紀委員として調べに来た翌日。
あの屋上を一時的に"閉鎖"するという形を取られてしまったのだ。
出入りしているという事実はすでに教諭の耳にも入ってしまっているため
例え調査しようがしまいが、そういった処置をするというのは決まっていたらしい。
だから鞘師にも説明はしていて、あそこは今無人になっている。
…とは思うけれど。

 何せ鞘師がいつあの屋上にいて、いつあの屋上からどこに帰っているのか。
 それは鈴木も譜久村も知らない。
 何度か譜久村が一緒に帰ろうと誘ってみたりもしたのだが、居る所を目撃されると
 面倒だからと断られてしまう。

だが鞘師自身も二人と別れるのは少しばかり寂しいらしく、譜久村がなだめる
ことで少し気を紛らわせては別れることが多かった。
確かにあの包容力を一度味わうとね、鈴木は羨ましくもあり、だが鞘師の気持ち
も分かるものがある。

ただ不思議と、彼女の心配はしなかった。
きっとどこかでグウグウと寝ているのだろう、音楽でも聞いて。
サイダーでも飲みながら。交信でもしてるんだ。
そしてまた会える、どちらかが願えば簡単なことだった。

 トントン。

不意に、背中を指で軽くつつかれた。
何事かと振り向くと、後ろ斜め横の机に座る女子生徒がわざと変顔してにんまりと笑った。

朝っぱらからハイテンションの芸当をする彼女にリアクションすることなく
鈴木は机に向き直り、几帳面に折りたたまれたルーズリーフの切れ端を開く。

 "窓の外に例の影。イチゴは好きなのにバナナは嫌いで、野菜も苦手らしいよ。
 でもイチゴって野菜だって知ってた?"

鈴木はチラッと視線を窓の外に向ける。
グランドのド真ん中を堂々と歩き、校舎へと入って来る人影。
スクールバッグをランドセルのように縦に背負い、クリーム色のカーディガンには
この学校の校章が縫い付けられている。
携帯を片手に髪が風になびいた。

 "野菜の中でも好き嫌いがあるのと一緒でしょ"

ルーズリーフの空いた場所にそう書き足すと、今度はそれを
振り向かずに脇の隙間から放り投げる、背後で微かに驚いた声が聞こえた。

「回転少女」、もとい生田衣梨奈という先輩の話は紛れも無く背後の彼女からであり
何故鈴木がその話を聞くに至ったかは、実に簡単なものだ。
ただ知れば知るほど、鈴木は生田が少しだけ苦手になっているのも事実。

何せ生田衣梨奈という人物は、一部では「アイドル」だからだ。

          ◇          ◇          ◇

2012/06/06(水)


黎明学園中等部2年、生田衣梨奈。
父親はこの街の市長になった事があり、祖父は知事だったという政治家一家。
母親はステージママ気質があるらしく、モデル雑誌に応募させていたことで
生田はページに掲載された経歴を持つに至った。
なのに、彼女はかなりの不思議ちゃんとして名が通っていたりする。

だから有名人であり、アイドル、なんちゃってアイドルの方が正しいかもしれない。

そんな肩書きもあってか、今でもモデル業を行っているためと
この学校にも顔がきくということで遅刻をしても大目に見られることが多い。

鈴木は普通の家庭で育ち、普通なら羨ましく思えるのかもしれないが、その"普通"
という範囲を越えた家族関係が少しだけ窮屈なもののような気がした。
他人のことなのにまたいろいろと考えてしまうのは性なのかもと思いに駆られるが
空腹によって頭のはじっこに置いておくことにする。

 お昼。
 この学校は中等部は給食が用意され、高等部になると弁当を持ってくるか
 給食かを選択できるようになる。

鈴木は妙に燃えていた。
隣にはあのメモを渡してきた彼女が居て、ギラリと瞳が光る。

 「はっはっは、ついにこの時間がやってきたな香音」
 「あんた達またやるの?中学生にもなって…」
 「給食を笑うものは給食に泣くって言葉しらないの?」
 「知らないし…」
 「じゃああのみかんゼリーちょうだいよ」
 「それとこれとは話は別」

別の同級まで混ざり、給食のあれが美味しいだのあれは
マズイだのと談笑を交わす。
遠くから配膳をする生徒にそれを大目に、など注文しながら。
それが終わると生徒達の給食が始まる。

 献立はごはん、豚汁、エビフライ、切干大根、みかんゼリー、そして牛乳。
 切り干し大根が舞った、プレートから2、3cmの高さにその姿が浮く。

ガチンガチン。箸が鳴る、ガチンガチン。
エビフライの尻尾を掴もうとする箸を阻むのは一本の箸、二刀流とでも言うように構える。
豚汁がこぼれそうになる、隙アリと切干大根に箸が伸びる。
鈴木の瞳がギラリと光った。
箸の先でフタのとれた牛乳瓶を押し倒そうとしたのだ。

 「こら香音っ、そんなの反則だろっ」
 「そっちだって私が好きなの知ってるクセにっ、LOVE大根!」
 「じゃあエビフライ取ろうとするなっ」

机を向き合うようになってる為、斜め横の彼女とはこんなバトルが行われる。
先ほども余った料理を取りに行ったときも一悶着があったというのに、今度は
自分の好きなものを隙あらば取ろうと躍起になる。

隣の男子は何も言わずにモソモソと食べている。
毎度のことなので慣れたのもあってか、自分達の給食も被害に
遭わないようにさりげなく端の方に配置しておいてあったりもする。
早く席替えしないかな。とポツリ。

 「こらっ、食べ物で遊ぶんじゃないっ」

そんな事をしていると当然教諭にも注意される訳で、一応それで二人は
大人しくなるのだが、いつ攻撃がしかけられるか分からないので鈴木は
切干大根を自分の手の近くに配置する。
給食が終わるとソフトボールをしようと言いだした彼女と別れて鈴木は廊下に出た。
特に用事はない、ただ少し食べ過ぎたせいで暴れるとかなり危険な状況だったのは事実だ。
うぷ。口を手で押さえる。

ふと。
職員室から会釈をしながら出て来た譜久村を見つけた。
最近はタイミングが合わずになかなか会えなかったので声を掛けようとする。

 「みずきーっ」

瞬間、背後からの声に思わず掃除道具入れのロッカーに身を隠す。
あれ、デジャヴ?

 「あれ?えりぽん…香音ちゃん何してるの?」

譜久村が首を傾げるのは、予想以上に狭かったロッカーをどうやって入ろうか
アタフタして、やけになってバケツ(新品)で頭だけを隠す鈴木に対してのもの。
ハッ、バレテル。
そんな鈴木を見て。

 「敵怪人だ!このゼロガッシャーでやっつけてやる!」

生田衣梨奈が散らばったホウキとちりとりを手にとって構えを取った。
ちなみにゼロガッシャーとは、とある仮面ライダー専用武器だったりする。

だが鈴木はその豆知識を全く知らない、頭の中では「???」だ。
瞬間、生田が前にでる。

「最初に言っておく。俺はかーなーり、強い!」

台詞をバッチリ決めて生田はドヤ顔を見せつけた。

          ◇          ◇          ◇

2012/06/09(土)


振り落とそうとした途端、「あれ?」と生田が素っ頓狂な声を上げて両手を見る。
背後からホウキとちりとりを引っ掴むのは譜久村だ。

 「こら、人に向けたら危ないじゃない。それに確か
 ゼロノスじゃなくてWにハマってるって聞いた気がするけど」
 「そうだっ、ねえねえみずき、今度映画みにいこうよっ、ゼロノスは出ないけど
 Wが出るっちゃん、キャッチコピーはこうとよ。
 『世界よ、これが日本のヒーローだ!!』」
 「私戦隊モノ見たことないから分かんないよ。
 それよりさ、モデルになったっていうアイドルの人の話聞きたいんだけど」
 「あー…えりなはあんまり好かん人やったかなあ、キャラが被るんよねえ」

ホウキとちりとりを持ったままなので、万歳の姿のままの生田。
バケツ(新品)を被ったままで鈴木は考えていた。

生田衣梨奈の祖父は知事をしたことがあるが、その同級生であり
この街の発展に一役買った立役者、それが譜久村聖の祖父だった。
譜久村に対する周りの反応が「お嬢様」や「お金持ち」なのもここからである。
なので家族の交流もそれなりにあったりして、何気にこの二人も
自然の流れなのか、仲は良い。

譜久村の"音"は薄ピンク、生田の"音"は紫だ。
鈴木には人間のオーラなどを「音」の振動音波によって「色」で知ることが出来る。
霊感とは違って、絶対音感の持ち主だから、というのが主な理由らしい。

 子供の頃にある医療施設でそれが発覚したというのを母親から
 聞かされたことがある。
 そこでは鈴木が持つ能力のことを『共感覚 -シナスタジア-』と呼ばれていた。

これは絶対音感を持つ人間によくある知覚現象らしく、私生活には
問題はないという事で母親はかなり安心したらしい。

知ってるのは家族と、譜久村だけ。
とは言っても、最近その能力が少しだけ変になっている。
一つは相手のオーラが「音」から「色」へ変わる瞬間
なぜだか別の風景イメージが見える時がある。
その異変が起き始めたのが、あのガラスレンズを見てからだった。

鞘師が大事そうに箱に詰めていた、あの不思議なレンズ。

生田のようなバイオレットの"紫"ではなく、アメジストのような"薄紫"。
違和感はまだ残っている。
最初は流し込まれるその風景に戸惑っていたものの、身体に馴染んだのか
それほど酔うようなことも無くなった。

鮮明ではないが、まるで相手の心を見ているような気がして良い気はしない。
自分でもそんなことを相手からされてると思うと嫌だと思うから。

ただあの時に感じたイメージはとても、懐かしい感じがした。
あの"薄紫"の女性は誰だったのか、もしかしたら鞘師は知っているのかも
しれないと思ったのだが、知らない人間の話をするのも気が引けてしまう。

最近こんなことばっかり考えてるな、鈴木は溜息を吐いた。

 「香音ちゃん、いつまでこれ被ってるの?」

そんな声が聞こえて、顔にかぶさっていたバケツ(新品)を取り払う
譜久村の顔が、眩しさに細める視界に入る。
気つけば生田の姿が居なくなっていた。

 「えりぽんにはちゃんと言っておいたからもう大丈夫。
 でも携帯が鳴った途端に急に走ってったからどうしたんだろ…まああの子って
 行動力だけは人一倍あるから、別に驚くことじゃないんだけど」

どうやら生田の行動に鈴木が怯えてるんじゃないかと心配したらしい。
正確にはドン引きして対応に迷っていただけだったのだが。
そんな事は夢だと自分で言い聞かせながら、鈴木は久し振りに会話を交わす。

 「あのみずきちゃん、今日一緒に帰れる?」
 「ああ、ごめん。ちょっとお見舞いに行かなきゃいけなくて…」
 「え?お見舞い?」
 「あ、そっか、香音ちゃんにはまだ話してなかったね、実は…」

――― カチカチカチカチ。

携帯を操作し続ける。
南棟へ走り込んだ彼女は、この着信をいつも待ちわびていた。
電話はできない、恥ずかしくて泣き声になりながらなどあまりにも
情けなさすぎて出来ないからだ。
それならメールで我慢する。
声が聞けなくとも、文字だけでも心の会話が楽しめるのであれば
そっちの方が何倍も良い。
あの顔と向き合おうものなら失神してしまう。
だからこそせめて文字で、言葉で語り合いたい。

 南棟へ辿り着いた。
 屋上に向かう階段には『立ち入り禁止』のプレートと障害物。
 カチカチカチカチカチ。
 カチカチカチカチカチ。ピ。



生田は口角を緩ませた。
仮面ライダーWの関係性は素晴らしいと思う。

 俺たちは、僕たちは、二人で一人の仮面ライダーさ!

まるで"私達"のようでとても共感が持てる。
ただ"あの人"の戦闘モノの知識はそれほど豊富ではないらしく
そこが少し残念だけれど。

生田は携帯の画面を見つめる。
両眼に紫の閃が過る。バイオレットの煌めきが。
カチカチカチカチ。
内容に返信を送り、生田は携帯を閉まった。

 【i914の反応あり。高橋愛のそうさくを続行】

生田は心底嬉しそうに嗤う、ゾワゾワと沸き立つ愛を一身に受けて。

          ◇          ◇          ◇

2012/06/11(月)


 「おはようございまーす!」

校門の前、鈴木も見慣れた風景が広がっている。
生徒会と風紀委員が左右に列を作って、あいさつ合戦をしていた。
鈴木も挨拶しようとして、不意に思ってしまう。

 うるさい。

いつもは気にもならないのは、今日はやけにうるさく感じた。
頭に響き、眉間に軽くしわが寄って行く。
他の生徒は気にせずに歩いて行くのだが、鈴木は違った。
異様な"音"の混ざり合いに鼓膜が疼いて仕方が無い。

譜久村の姿が見えるが、鈴木はその場を立ち去りたくて早足になる。
玄関先になってもその疼きが止まらないため、鈴木は怖くなった。
上履きにはきかえ、教室に入って友人に挨拶を交わされてもそれは同じ。

 「どうかしたの?顔色が悪いけど」
 「なんか、気分悪くて…」
 「保健室に行った方がいいんじゃない?」

同級生たちは何事も無い様にしている。
誰かは宿題を写させてくれるように友達に頼んでいたり。
誰かはきのう観たバラエティ番組の話で盛り上がっていたり。
誰かは携帯をいじって誰かにメールを送っていたり。
教諭に見つかって注意を受けたが。

 「せんせー、香音が不調を訴えてます」
 「ん?鈴木どうした?顔色悪いぞー」


鈴木は答えない、答えられなかった。
疼きが痛みへと変わって行く。
"音"がグルグルと、視界に異様に混ざった"色"が見えるようになっていた。
なんじゃこりゃ!
叫びたいのに声が上がらない。
スモッグのような薄い霧が、教室全体を覆い包んでいるのだ。

 「おい、香音、しっかりしろっ」

友人の彼女が声をかけたのを最後に、鈴木の意識は途切れた。
完全ノックアウトだ。

 ――― 嫌な夢を見た。
 誰かを失ってしまう、誰かと別れてしまう。
 もう二度と会えなくなるような、その気にさせる夢を見た。
 誰かは分からない。
 鞘師、譜久村、生田、両親、妹、友達、 そのどれもが当てはまらない顔。
 だけど知ってるような気がして、鈴木はその身体に抱きつく。
 まるで泣き虫な子供がぐずるように。
 嫌だ嫌だと泣いて、泣いて、泣いて。
 こんなヤツだったかなあたし、そう鈴木が思う内に、誰かの姿は消えた。

誰も居なくなって。誰かを探して腕を上げる。
誰か、ねぇねぇ、誰か――― !!

 その時に微かに見えたのが、青空のような水面に映る虹だった。



次に目が覚めると、保健室のベットの上。氷枕でヒンヤリと頭部が冷える。
ボウッとしていた。
先ほど感じた"音"は少し収まっていたが、まだ鼓膜が疼く。

ふと、鈴木の視界に入って来たのは同級生の顔だった。
彼女の顔もしっかりある。

 「気が付いた、香音っ」

心配したようにそう声をかける彼女に、鈴木は「ああ」とため息のように零す。
結局あの強烈な"音"に耐えきれずに気絶したのだと分かって、時計を
見るとすでにお昼になりかけていることを知った。
母親には既に連絡をいれているらしく、鈴木は早退することになった。

  母親の車から見えた校舎が、いつもよりも大きい。
  蜃気楼のように歪んだように見えて、鈴木は視線を逸らす。

それにしても、あの不気味な"音"の正体が分からない。
ただ何処かで、似たようなものを聞いたことがあったかもしれない。
あれはそう、鞘師と会ったあの日に、いじめられっ子の彼女から聞こえた、黒。

あんな風に感じたことも初めてだったし、なによりも鞘師と出会ってから何かがおかしい。
譜久村の友人が入院した事も、変な幻覚や夢を見るようになったのも。
そして気付けば、屋上が閉鎖してから彼女とまったく会えていないという事。

鈴木は自分の部屋でいろいろと考えていた。
保健室で眠っていたときのあの夢が過る、夢のはずなのに、現実味があり過ぎる。

 あの9人の顔に見覚えは、ない。それなのにどうしてこんなにも。


 「香音、お友達が来てくれたわよ」

母親の言葉に鈴木は疑問を抱く。
まだ学校は終わっていない時間なのに。
部屋のドアが回され、その姿に鈴木はあんぐりと口を開けた。
訳が分からない。
訳が分からねえ。

 「こんにちわ、かのんちゃん」

にっこりと、鞘師里保は薄い笑みを浮かべた。

          ◇          ◇          ◇

2012/06/19(火)


闇の中に、【闇】が浮かんでいる。
ユラユラユラユラ。
闇の空間をたゆたう影。
影は黒いコートに身を包み、フードを深く被っていた。
小柄な影。手のひらには三つの球体。

誰かは【ダークネス】と呼んだ。
悪意の塊。
悪意の記憶を糧として生まれた、それが【ダークネス】。

【闇】を満たす唯一の概念。
ただ、其処には何も無い、ナニモナイ。
満たされているから、満たされていると思い込んでしまう。
手では掴めない。
叫んでも答えてくれない。
ただ満たされてるだけ、闇が、在るだけ。

その【闇】に、影は球体を投げ込んだ。
誰かの悪意の記憶を零していく。

すると、闇の中の一部に裂け目が現れ、大きな口の形をしていた。
闇に落ちた球体。

 ムシャムシャムシャ…咀嚼音。

喰らっていた、響く、誰かを食べる音が。果てしなく続くような闇の中で。
グググググググググググググ。
闇が盛り上がるように『成長』する音が微かに鳴っている。
パキパキと枯れた音が無骨に。

 オオオオオオオオオオオオオオオオ。

【闇】が、啼いた。

 *

黎明学園敷地内。
二つの影がフェンスの裏側から入り込み、上手く闇に身を潜めながら校舎に近付く。
何処かに中に入れるところはないかと探していると、一ヶ所灯りの点っている場所を
見つけた。

 「…誰かいますかー?」

窓に近付いてそっと中をうかがった鈴木が言った。
そこは警備員が使っている宿直室のような部屋だ。

 「鍵もかかってないよ、不用心だなあ」

鈴木が窓に手をかけると、軽く力を入れただけでそれはゆっくりと動いた。
窓の隙間から、暖房の暖かい空気を感じることが出来た。
これでは警備も監視もないじゃないか、とは思ったけれど、そのツメの甘さに
今だけは感謝しようと思う、状況が状況なだけに。

 「じゃ、ここから入るよ」

鞘師はうん、と頷いた。


 ――― 鞘師が彼女の元に来たのは数時間前の事。
 鈴木は驚いた、心底驚いた。
 だって知るはずがないのだ、鞘師が鈴木の家を知ってるはずがない。

だけど鞘師は平然とサイダーを飲んでいて、鈴木もまたその手に持っていた。
本物だった。
しゅわしゅわしていた、「しゅわしゅわーぽんっ」とお決まりの言葉を言って
恥ずかしそうにしている鞘師は本物だった。
頭痛は、いつの間にか治っていた。

 「なんでクマがアフロなの?」
 「アフロヘアーに憧れた時期があったんだよ。ちゃーちゃんにも」
 「ちゃーちゃんって言うんだ」

そう言って鞘師は飾ってあったクマのアフロを鈴木に被せてニヤニヤ笑っていた。
鈴木はアフロ頭のままで疑問を聞いてみる。

 「で、なんでりほちゃんがいるのさ」
 「お見舞いだよ」
 「あたし、家教えたことないよね?」
 「うん」
 「いや、うんじゃなくて、誰かに聞いたの?」
 「うん」
 「誰?」
 「宇宙人に」

鈴木はサイダーの瓶を鞘師の頭に振り落とすフリをした。
流れるように避ける鞘師。
壁にドカッと頭をぶつけてしまい、手でさする鞘師。
いろんな意味でアホだった。

 「痛いよかのんちゃん」
 「りほちゃんが変なこと言うからだよ、しかもあたし何もしてないよ」
 「でも聞いたのはホント、信頼できる人だから大丈夫」

信頼してる割には宇宙人呼ばわりとは。
個人情報のセキュリティが期待できないこの時代。
ただそこまでしてこの家に来た訳がなんなのか、それが知りたくなった。

 「で、なんでりほちゃんがいるの?」
 「かのんちゃんにお願いしたいことがあるの」
 「お願い?」

鞘師はまた薄い笑みを浮かべた。
けなしている訳ではないんだろうけど、何かを企んでいる様な笑顔。
引いた表情をすると、今度は口を開いてイヒヒと笑う。

 「かのんちゃんだから、お願いしたいことがあるんだよ」


――― 二人はソロソロと足音を消しながら、まるで泥棒みたく
身を小さくして、廊下を進んで行く。

学校というところは、昼間は人の声で溢れている場所も、今は
逆に音を吸い込んだように静まり返っている。
油断すると傍らの闇に引きずり込まれてしまいそうな錯覚に襲われる。

だが、鈴木は平然としていた。
お化けが居ると思うから居るように思うのだと思ってる。
気味が悪いと思うから変な想像をするのだと思ってる。
空気が読めないわけではない。
断じて読めないわけではない。
怖いことは怖い、だけどそう思わないようにしてるだけなのだ。

そんな鈴木とは裏腹に、隣の鞘師は異様に辺りを見回すかと思えば
ギュウギュウと身体をひっつかせてくる。

 「ねえ歩きにくいんだけど」
 「かのんちゃん怖くないの?」
 「怖いけど、りほちゃんが言いだしたことなんだからしっかりしてよね」
 「……」

鞘師は何かを言いたそうにしていたが、突然足音が聞こえた。

 「!?」

廊下の突き当たりを曲がった向こうから。
こればかりは鞘師ばかりではなく鈴木もビクっと身を震わせ硬直する。
懐中電灯と思われる光が見えてマズイ、と思った。

 警備員だ!
 鈴木にとってはオバケよりも人間の方が怖い。

鈴木は小さく舌打ちをすると、硬直したままの鞘師の手を引いて
丁度通りかかっていた教室の中に滑り込んだ。

         ◇          ◇          ◇

2012/06/26(火)


 「かのんちゃんも気付いたんだよね、あの不気味な"音"」
 「りほちゃんも分かったの?」
 「あの"音"の正体、知りたくない?」
 「待ってよ、なんでりほちゃんが分かるの?あたしと同じなの?」
 「私はかのんちゃんみたいに絶対音感は持ってないよ。
 けど、私もかのんちゃんも、『共鳴』してるから」
 「きょう、めい…?」
 「私だったら教えてあげれるよ?かのんちゃんに起こってる事」

物音を聞きつけてすぐに警備員達が近くまでやってきた。
鈴木は生徒の机よりも大きく隠れやすい教卓にまず鞘師を押しこみ
次に自分も身体をねじ込んだ。
すぐ傍の廊下では警備員の照らすライトが教室の中に侵入してくる。

 「今、物音しましたよね?」

アルバイトらしき若い男性の声。

 「念のため、中も調べてみよう」

ベテランといった感じの中年男性の声。
直後に、二人が隠れた教室のドアが開かれる。
鈴木は祈るように目を閉じ、鞘師に身体を密着させた。
懐中電灯の光は教室中を照らす。

大量の汗が体中から噴き出した。冷や汗だ。
もうダメだとなかば諦めている。と。


 「何もないみたいだな、他を見に行こう」

中年男性が言って、ピシャっとドアが閉められた。
二人分の足跡がやがて遠ざかって行き、鈴木は大きく深呼吸をした。
無意識に息を止めていたらしい。同じように鞘師も息を吐いた。

 「今のは完全にアウトだと思った…」

鈴木は笑顔を引きつらせながら言う。
鞘師も予想外のことが起きてただ笑った。
すぐに出てしまわずにしばらくの間そこで隠れることにする。
ようやく気持ちも呼吸も落ち着いてきた頃になって、二人は教室を出た。


 「かのんちゃんなら来てくれると思ってた」
 「あんなのがずっと続くのが嫌だから行くだけだよ。出てくるのに苦労したし。
 今もほら、また耳がじくじくしてきた」
 「大丈夫、私がなんとかしてあげるよ」
 「本当は早く行きたいんだけど、このフェンスの穴を使おう」
 「え、忍び込むの?」
 「うん、かのんちゃん守ってね」
 「は?」
 「私こういうのダメだから」

周囲に十分注意を払いながらも鞘師は手を引かれ、足早に廊下を進んでいた。
月が雲に隠れたまま出てこない。闇がいっそう濃くなっていた。
非常灯の赤いランプがやけに目に入る。
鈴木は教室を出る少し前からそわそわし始め、何かを強く感じていた。
鞘師にしてみれば、その何かが問題だ。




周囲に十分注意を払いながらも鞘師は手を引かれ、足早に廊下を進んでいた。
月が雲に隠れたまま出てこない。闇がいっそう濃くなっていた。
非常灯の赤いランプがやけに目に入る。
鈴木は教室を出る少し前からそわそわし始め、何かを強く感じていた。
鞘師にしてみれば、その何かが問題だ。

走る。走る。鈴木に聞こえる"音"は、闇の中で静かに啼いている。
闇の中にある"色"は、もっと色濃い闇。
闇の闇の闇の闇の闇。黒と黒と黒と黒。

 「最初から見てたって事か」

南棟の屋上。勿体ないほどの広さがある其処。
その柵の傍がぽっかりと空間が喰われた様に、【闇】になっていた。
誰かが静かに佇んでいる。
鈴木は彼女の顔に見覚えがあった。
鼻歌が聞こえたかと思うと、じくじくしていた疼きが強くなる。

 「大丈夫?」
 「これが大丈夫そうに見える?」
 「そうか、あの子自身がサブウーファーなんだよ」
 「サブ…なに?」
 「「『共鳴振動 -サブウーファー-』、低周波音って分かる?」
 「分かんないってばっ、説明はいいからなんとかしてっ」
 「…しょうがない、か」

パチンッ――


奇蹟のようなヒカリが、闇夜を貫く。円形の青空が二人に注がれた。
鈴木はその光を仰ぐ。
見上げた先、細まる視線にはあるはずのない青空。
隣の鞘師の身体が白い光に包まれ、手には鞘に収まった『刀』
背中のベルトに固定された何かが重い音を鳴らす。
それら全てが、カタナだった。

 「まさか『位相空間』の内側(なか)にまで響くなんて…」

鞘師が苦い表情を見せた、頭痛はまだ疼いている。
目の前の彼女はまだ鼻歌を歌っている。人形の玩具のように。
なによりあの"音"が、何かを突き破るような恐怖を湧き立たせる。

その時だった。鞘師が一瞬にして、彼女との距離を失くす。
彼女の抜き放った刃がまともに顔面を捉える。
彼女の身体もろとも、真っ二つに切り裂かれた。
柔らかいものが斬れる音が生々しく、響く。

 鈴木はただ、その光景を見ていることしか出来なかった。
 鞘師のオーラの"色"と両眼に釘付けになる。鬼の様に染まった、朱の色に。

2012/06/30(土)


先ほど鞘師が真っ二つにした彼女は、あのいじめっ子のリーダー格だった。
だが雰囲気がまるで違う。
耳障りな鼻歌が頭にこびりついているが、まるで中身が別物の人形のようで。
"色"がまるでない。
しかも上から有り得ない青空の光が降り注いでいるというのに、彼女の周り
は何ものも一切寄せ付けないほど闇に満ちている。
コールタールのようにベットリと、まるで、血液を全て流し落としてしまったように。

 【グゲエエエエアアアァアアアァ!!】

鼻歌が止み、身体を曲げた状態で奇声を発する彼女に【闇】が映る、鬱る。
歪が大きくなっていた。
そして身体がまるで喰われるように呑み込まれる。
真っ二つになったはずの少女の口からは、下品で不気味な笑い声を上げていた。

げらげらげらげらげらげらげらげら。
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ。
げらげらげらげらげらげらげらげら。

呼応するように真っ二つにされた身体が分離して三つへ。
首の根元から別々の顔が浮き出てくるように生えてきたのだ。

 「うぇっ…」

最早見られるものじゃなかった。
言葉にするのもおぞましい物体が、今鈴木の目の前に在る。
確認できても三人分の身体。
まるでつぎはぎだらけの大樹のよう。

ミシミシと音を立て軋みながら、水蒸気の様な煙を吐いている。
何処かの恐怖映画でもこんな過激な演出をするだろうか。
うねうねと動く幹のような腕が不気味さを増す。

 「かのんちゃん、あれが人間の悪意が【闇】に呑まれた姿じゃ。
 そうして"狂鳴"した者を【ダークネス】って呼ばれてる」

悪。悪とはなんだ?悪というのはあんなにも醜くて、悲しいモノなのか。

 「かのんちゃんはあまり直視しない方がいい。逆に呑まれる」

"色"の中で黒は恐怖の他にも不安や、悲哀を思い付かされる。
鈴木は異様な寂しさにかられ、頭をかかえて叫ぶ。

 「分かんないよ、意味分かんないってりほちゃん。
 私バカだからさ、頭悪いから、これが現実なのか、夢なのか…」
 「…現実だよ」
 「あれが現実だっていうの?いじめられてた子が可哀想だって思ってた。
 でもやっぱりなんか…ダメだよ、こんなのおかしいって」
 「いじめてた事実は変わらないよ。そうして生まれた悪意をあれは
 狙って襲って、自分の力に変えるんだ。狙われたら私達にはどうすることも出来ない」
 「どうしてそんな風に思えるのさ」

"あれ"を目の前にして、動揺すら見せず、逆に恨んでるように。

 「…ずっと、戦ってきたから」

鞘師は持っていた刃で襲いかかってきた木の根のような触手を一閃。
背中のベルトに収まっていた鞘から刃を抜き取り、斬り落とす。
次々と斬り落とす、斬って、斬って、斬って、斬る。何本もの刃を突き立てる。
大樹が後ずさりする度にフェンスがひしゃげていく。

 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ。

大樹が啼いた。泣いた。泣いている、彼女達が、泣いている。
誰か、ねぇねぇ誰か。
鞘師の刃が、最後の一撃を喰らわせようと振り下ろされた。

 「「イヤアアアアァァアア!!」」

鈴木がまるで大樹と同調するように絶叫した。
鞘師の光と波動が辺り一帯を呑み込み、弾ける。
それと同時に、崩れていく大樹のバケモノが爆発し、フェンスごと弾け飛んだ。
体内から飛び出したのは小さな球体が三つ。

 「ごめんね、かのんちゃん。巻きこんだりして」

それを手のひらに乗せる鞘師は、冷たい表情をしている。
まるでそれになんの感情も抱いていないように。

鈴木に対して謝ったときだけ、鞘師は泣きそうな表情を浮かべた。
それを最後に、意識は途絶えた。

 ―― 夢を、見る。

それは過去なのか、未来なのか、今なのか。
曖昧で、不明瞭で、でも事実のような、不思議な感覚。
ただ、自分の記憶にないことだけは確かで。
酷く、現実味を帯びない。
だからこれは、夢だ。微かに聞こえる誰かの声に、耳を傾ける。