『共鳴ハンター<2>』


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



「さっきの能力のことだけどさ」

逃走経路を“眼”によって慎重に判断しつつ建物の出口へと急ぎながら、遥は傍らの春菜に声を掛けた。

「どういう能力なの、結局。色を錯覚させる…って聞いてたし、そう思ってたけど」

興味半分で実際にやってみてもらったこともある。
目の前にあったリンゴが、遥の視界の中で一瞬にして茶色に変色したことをよく覚えている。
思わず「うわっ!超茶色じゃんっ!キモッ!」と叫んだところ、「違う!チョコレート色っ!」という、よく分からない返しをされたことの方が鮮明に記憶に残っているが。

さっきのあの女は、「役に立たない人間がいないのと同じで、役に立たない能力なんてないのよ」などと言っていたが、きっと内心では真反対のことを思っていただろう。
…逆に言えば、春菜は自らを「大して役に立たない程度の能力の持ち主」と思っていてもらいたかったのだと、今さらのように気付く。
《faith》に依存し、恭順しているように見せながら……その実、春菜も教団を信用しきってはいなかったのだと。

「……って聞いてる?」

まったく返事が返ってこないことを不審に思い、遥は春菜の方へと首を回した。

「…え……?あ、ごめん」

ビクリとした後に曖昧な笑顔を浮かべた様子からして、明らかに聞いていなかったらしい。
苦笑いをしながら、同じ質問を繰り返す。

「うーん…私も自分であんまりよく分かってないんだけど……」

相変わらず高めのトーンでそう前置きして、春菜は自身の能力について簡単な説明を始めた。
それによれば、相手の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚――いわゆる「五感」を“乗っ取る”能力――― 一言でいえば、そういうことらしかった。

本来の色とは違う色に見せたり。
聞こえるはずのない声や音を聞かせたり。
逆にそれらの感覚を完全に麻痺させたり――――

「すごっ!無敵じゃん。“五感占拠―センス・ジャック―”…って言ってたっけあいつ」

相手の五感をジャックし、思うがままに支配する能力――― 一見地味なようでいて、これほど強力なチカラもそうないかもしれない。
だが、興奮気味の遥に対し、春菜の表情は硬かった。

「“五感ジャック”……か。そうだよね、私のしたことって……そういうことなんだよね。他人の感覚を無理やり支配する…ってことなんだもんね」

寂しげに…そして自嘲気味にそう呟く声に、遥は自身の配慮の足りなさを恥じた。
先ほど春菜がぼんやりとしていたのは、きっと自分がその能力で行なったことの恐ろしさを痛感していたからだろう。
改めて、自分の持つチカラの意味を、自分自身の手で目の前に突き付けてしまって―――

「バーカ、何言ってんだって。“ジャック”って言葉の響きが悪いだけだろ。大体“五感占拠”なんてのは、あいつが勝手に言ってただけじゃん」

ことさらに軽い口調でそう言うと、春菜の表情が僅かに和らいだ。

「じゃあ、遥ちゃんならどんな名前付ける?違う名前付けてよ」
「違う名前?……よし、待ってよ……」
「悪そうなのはダメだからね」

そう釘を刺す春菜に、分かってるってと手を振り、直後に「決まった」と告げる。

「…何か悪い予感がする表情してるんだけど」
「“五感密猟者―センス・ハンター―”」
「やっぱり!ひどいよ!変わんないよそれじゃ!私は遥ちゃんのやつにいい名前考えてあげたのに!」

怒るふりをしつつも、春菜の声は先ほどよりも明るい。
それにホッとしながら、遥は春菜の口走った「いい名前」が気になっていた。

「何だよ、いい名前って。“千里眼―クレア・ボヤンス―”じゃダメなのか?」
「だって、遥ちゃんの“眼”はそれ以上のチカラを持ってるでしょ?」
「まあ……そうなのかな」

確かに、遥の持つ能力は、一般的に言ういわゆる“千里眼”とは少し異なっている。
視界の外のものを“視”ることができるのは同じだが、その有効範囲はさほど広くない。
その代わり、先ほどの“戦闘”でも役立てたように、動体視力をはじめとした「眼」の性能が、常人からは遥かにかけ離れたレベルを有していた。

「だから……“超人眼―ウルトラ・アイ―”」
「ダサッ!!」

真顔で放たれたその言葉に、反射的に声が出る。

「えー!なんで?カッコかわいいじゃん」
「なんでじゃないだろ。そんなウルトラマンみたいなのの何がかわいいんだよ」
「じゃあ…ピョコピョコ・ウルトラ」
「“眼”はどこ行ったんだよ!っていうかピョコピョコってなんだよ!」
「なんとなくかわいいかなって」
「かわいいの基準が分かんないんだけど。っていうか意味が分からない」

春菜が、遥に気を遣わせてしまったのを反省し、意識的に明るく振る舞っているのだということは、会話の途中で悟っていた。
だが、それには気付かないふりで、敢えていつものように容赦なく辛辣な言葉を浴びせる。

 ――いつかは……自分のチカラを肯定できるようになってほしい

そう、心から思った。
先ほどのような自嘲的な表情を浮かべた春菜は、できることならもう見たくない。

 ――そのためには、まずはここを無事に脱出すること…だな

再び気を引き締め、“眼”に集中する。
遥の能力では施設全体を見渡すことは到底できないが、ある程度の進行方向の様子であれば確認ができる。
先ほどは物理的に追い込まれてしまって抗戦を余儀なくされたが、できれば再度あのような状況になることは避けたかった。
幸いなことに、“前方”に人影は見当たらない。
建物の出口もすぐ近くに迫っていた。

 ――門のところで、もうひと暴れしないといけないかもしれないな


このまま建物を出られたとしても、敷地の外まではまだ距離がある。
特に門の所には警備の人間もおり、遥たちの脱走劇の連絡が行っているとすれば、そこでの交戦はおそらく避けられない。
とはいえ、大人数が詰めているわけではないし、“五感ハンター”の春菜もいてくれる今、さほどの困難ではないだろう。
遥はそう踏んでいた。

「……出口だ!」

“眼”ではなく「目」に映った扉に、思わず小さく叫ぶ。
扉の外にも、待ち伏せする姿は“視”えない。
ひとまず、建物からの脱出は無事にできそうだった。

「よし、行こう」

隣の春菜の腰をポンと叩き、扉へと向かいかけた遥は小さく首を傾げた。

「………どうかした?」

まぶたを押さえるようにして肩を上下させている春菜の姿に驚き、顔を覗き込む。

「あ、うん…ううん、ごめん。久しぶりに走ったからちょっと疲れちゃって」

慌てたように目から手を離し、春菜は頬に笑みを浮かべる。
だが、その瞳はどこか焦点がぼやけているように、僅かに彷徨っていた。

「本当に大丈夫?少し……」

休もうか?と言いかけて、その言葉を気まずげに飲み込む。
そんな悠長なことを言っていられないことは分かり切っていた。

「大丈夫。それより一秒でも早くここを出ないと」

もちろんそのことは春菜も十分すぎるほどに承知しているらしく、逆にそう遥を促す。
焦点もようやく遥の顔に合っていた。

「……うん」

心配ではあったが、そんなことを言っていられないのもまた事実だ。
それに、あと少し――あと少しでひとまずは施設の外に脱出できる。

「よし、じゃあ行くぞ」
「うん」

頷き合い、扉に向かって走り出す。
その外には、相変わらず誰の姿も“視”えない。
蹴り開けるようにして押し開いた扉を出る。
傾きかけた陽が、2人をオレンジ色に照らした。


 ゴキッ―――  
    「うっ!」
       「―――――!?」


何が起こったのか―――理解できなかった。

建物を出て、そのまま数歩を踏み出したあたり―――遥と春菜の他には、誰の姿もない。
だが、突然鋭い風切音のようなものが耳に届いたと思った瞬間、傍らの春菜の体が鈍い音とともに弾き飛ばされた。
もんどりうって地面に倒れた春菜は、左肩あたりを抑え、苦痛の表情を浮かべながら呻いている。
左腕は力なく投げ出され、抑えた肩からは、僅かに血が滲みだして春菜の白い服を汚していた。

「大丈―――!?」

倒れた春菜に手を伸ばしかけた遥は、何かの気配を感じて反射的に飛び下がる。
一瞬遅れて、先ほども聞こえた風切音とともに、風圧がその鼻先を掠めて行った。

「な……?」

倒れた春菜から離れることが気にはなりながらも、さらにその場所からバックステップで距離を取り、“眼”を凝らして周囲を“視”回す。

 ――!?…誰かが……居る……!?

遥の“眼”には、微かに人型の輪郭のようなものが蠢くのが映っていた。

「そこにいるヤツ!隠れても無駄だ!“視”えてんだからな!」

“眼”の奥から突き上げてくる鈍痛に耐えながら、遥はその輪郭に真っ直ぐ指を突きつけた。
酷使し続けている“眼”がいつまでチカラを維持できるか分からない。
その前に、無駄だと悟って姿を現して欲しかった。

「……“不可視化―インビジブライズ―”した俺が“視”えるのか?なかなか上等な“眼”を持ってるんだな」

輪郭が一瞬揺らめき、次いでその場に一人の男の姿が出現した。
手に持った警棒を反対の掌にポンポンと当てながら、鷹揚に微笑みを浮かべている。
だが、その目元や口元の筋肉は、明らかにプライドに障ったらしい不愉快さを示す動きをしていた。

「勝手に出て行っちゃダメだって言われてたろ?きまりは守らなきゃな、いい子ちゃんたち」

遥たちを必要以上に「子ども扱い」することで、無意識にプライドを守ろうとしているらしい。
つくづく生理的に合わない連中ばかりのところだと、遥は改めて思った。

「お前らの作ったくだらないきまりなんか知るか!出て行きたいから出てくんだよ。文句あんのか臆病なかくれんぼ野郎!」

思わず口を衝いたその言葉に、男が一瞬呆気にとられた顔をする。
直後、早くも抑えきる余裕をなくしたらしい感情に動かされた表情が、その上を覆った。

「てめえぇっ!!」

男の右腕が振りかぶられ、両脚の筋肉が緊張する。
距離を詰めてきた男の手に握られた警棒が、遥へと向かって振り下ろされた。

四肢の筋肉の様子、視線の向き、警棒の角度―――様々な情報を読み取り、打撃のコースを見極める。
感情のままの単調な動きは、非常に読みやすかった。

だが―――

「ぐ―――!」

打撃を完全には避け損ね、二の腕あたりに焼けつくような痛みが走る。
なんとか“視”えてはいても、体がそろそろついていかなくなり始めていた。
おそらくは、能力の過剰使用のせいもあるのだろう。
圧し掛かるような疲労感が、全身を包みつつあった。

「なんだ、口ばっかりか?やっぱりガキはガキだな。おとなしく大人の言うこと聞いてりゃいいんだ」

衝撃で弾かれ膝をついた遥を見て、男は余裕を取り戻したらしかった。
遥を見下ろすようにしながら、そう言って癇に障る笑みを浮かべる。

「お前らみたいなでくのぼうの言うことなんて黙って聞いてられるわけないだろ!」

そう言い返した言葉にも、鋭さが不足しているのが自分で分かる。
男の表情からも、今度は余裕の笑みが消えることはなかった。

「言っても聞かないガキは体に教えてやらないとな」

男が手に持った警棒を素振りする音が、遥の耳に届く。
威嚇するように何度もその音を響かせながら、男は遥の方へと足を踏み出した。

遥が、痛む腕を押さえながら立ち上がり、近づいてくる男を睨み付けたとき―――それは起こった。

ドスッ―――

遥と男の表情に、同時に疑問符が浮かぶ。
振り回されていた男の手の中の警棒が、突然その手を離れて飛び、その勢いで地面に突き刺さったからだった。

「なん…だ?手が……?感覚が……」

自分の手と地面に突き刺さった警棒を交互に見ながら、男が呆然と呟く。
それとほぼ同時に何が起きたのかを理解した遥は、視線をめぐらせた。

「触覚――“ハント”」

体を起こした春菜が、苦しそうな声でそう言って、遥に微笑む。
そして、再び倒れ込んだ。

「逃げ……て、遥ちゃん、今のうちに。私のことはいいから」

駆け寄った遥が抱き起そうとするのに首を振り、春菜は動く方の手で遥の手を握る。

「バカ!置いていけるかよ!一緒に行くんだよ!」
「そうしたいけど……無理だよ、私がいたら逃げ切れない」
「何でそんなこと言うんだよ!さっきも…今も、はるなんが助けてくれなかったら―――」
「チカラの……“跳ね返り”が来るみたいなんだ」
「……え?」

遥の言葉を遮り、春菜は寂しげな微笑みを浮かべた。

「“跳ね返り”って……まさか…!」
「うん、自分の五感にも、跳ね返ってきちゃうみたい」

春菜の言葉に、遥は突き飛ばされるような衝撃を受けた。
先ほどの春菜の様子が、フラッシュバックしてくる。

ぼんやりとしていて話を聞いていなかったのではなかった―――
疲労で焦点が合っていなかったのではなかった―――

聞こえていなかったのだ。
見えていなかったのだ。
相手の五感を“ジャック”した影響が、断続的に自分自身に跳ね返って………

そこまで考え、遥は思わず強く握った拳を額にぶつける。
「無敵だ」などと無責任に興奮していた自分を、できることならもっと思いきり殴りつけたかった。

「まだ、一瞬たまに見えなくなったり聞こえなくなったりするんだ。それに……」

春菜はそこで言葉を切り、足をもつれさせて立てないでいる男へと視線を動かす。
言いたいことは、痛いほどに分かった。

 たった今、触覚を“ジャック”した“跳ね返り”が、近くきっと私を襲う。
 そうなったら、私は完全に足手まといになる―――

「!!遥ちゃん!」

そのとき、春菜が表情を強張らせた。
その視線の先を追った遥の顔も、思わず強張る。
十数人のさらなる“追っ手”の姿が、2人の目に映っていた。

「遥ちゃん、早く!」

切羽詰まった春菜の声に対し、遥は首を横に振る。

「置いてけないって言ってんだろ!」
「でも、私は最初『行かない』って言った!だから……だから!お願い!遥ちゃんだけでも!」
「はるなんさっき言ってただろ!ここを出て本当の“パラダイス”を探すって!2人で探すって!」

遥のその言葉に、春菜の瞳が一瞬揺れる。
だが、春菜は小さく首を振り、微笑んだ。

「“はるなん”って呼んでくれて……ありがとう。…お願い、私の分まで明日を生きて……」

溢れる涙と共に、語尾が掠れる。
遥の目にも、再び熱いものが込み上げる。

それらを振り切るように、遥は意を決して立ち上がった。
春菜に背を向けたまま、呟くように言う。


「ごめん……はるなん」

その謝罪の言葉と同時に、遥は駆け出した。
思い切りそのハスキーな声で吠えながら―――出口とは反対の方向へと。


「友達見捨てて逃げた先に……明日なんてねぇ!!」


息を呑む気配が、背後から伝わってきた。

春菜に見えるように拳を突き上げ、警棒やスタンガンを手に駆け寄りつつあった“追っ手”に、真正面から突っ込んでいく。
それは明日を得るための―――しかしその明日が訪れることはないと分かり切った、美しくも悲愴な特攻だった。

「遥ちゃん……!ダメ…!」

春菜が背後から必死に叫ぶ声が、微かに聞こえる。
もちろん、遥に止まるつもりはなかった。
その身が燃え尽きるまで、動き続けるつもりだった。

だが―――

「―――!?なっ……!?」

突然―――本当に突然の出来事に、遥は思わず足を止めた。
止めざるをえなかった。

遥の前方でいきなり光の粒子のようなものが煌めき―――次の瞬間、それは数人のシルエットとなって目の前に在った。

「友達見捨てて逃げた先に明日なんてない……いいこと言うやん!気に入ったと!」

シルエットの一人が、遥を振り返ってそう言うと、ニカッと笑う。
しなやかで獰猛な獣のような空気を纏いながら……それでいて、惹きつけられるような人間味に溢れたその笑顔に、遥は一瞬で魅了された。

「怪我したとこ、見せてくれる?」
「え?あ……」

魅力的な獣の笑顔に悩殺されていた遥の傍に、いつの間にか一人の女性が立っていた。
長い黒髪と白い肌が印象的なその女性は、遥の返事を待たずに手を伸ばす。
二の腕と、大腿部……傷を負ったその箇所に、女性が手を添えたと思った瞬間、鈍く疼いていた痛みが消えた。

「うそ……」

自分の腕と脚を、交互に見ながら遥は呆然と呟く。
そこからは、痛みはおろか、傷そのものが完全に消え失せていた。

「さゆ、あっちの子もよろしく」
「はいはい、分かってますって、れいな様」

呆気に取られている遥に「お友達のことは任せて」と微笑むと、さゆと呼ばれた黒髪の女性は春菜の方へと走り出す。

 ――遅っ……

れいなと呼ばれた先ほどの女性とは対照的な、野生味の欠片も感じられないその動きに、思わず心の中で声が漏れた。

「さて、あっちはさゆに任せてこっちはこっちの仕事するよ、フクちゃん、鞘師」

その声に、再び遥はそちらを向く。
残るシルエットの2人のうち、1人がれいなの声に力強く頷きを返し………もう1人は肩で息をしながら弱々しい声を返した。

「田中さん……すみません、わたし、ちょっと…休んでて…いいですか?4人の“移動”は……想像以上にきつくて……」
「あ、そやったと?じゃ、フクちゃんは休んどっていいとよ。帰りはさらにあと2人増えるけんね」

「うぅ……」と、呻きとも返事ともつかない声を漏らすと、フクちゃんと呼ばれたふっくらとした頬の少女…?女性……?は、崩れ落ちるようにその場に座り込む。

「じゃ、鞘師。半分は任せるけんね」
「別に全部でもいいですよ」
「全部はやらん」
「言うと思いました」

サヤシと呼ばれた少女―遥ともほとんど変わらない齢に見える―は、口元をキュッと引き結ぶような特徴的な笑顔をれいなと向き合わせた。

次いで、2人の視線が“追手”の集団へと同時に向けられる。
足を止め、遠巻きに様子を見ていた男たちに、たじろぐような空気が流れた。

2人がゆっくりと、そちらへと向かって歩き出す。
戦闘の開始を告げるかのように、2つの拳の甲同士が互いの体の間でコツンと小さくぶつけ合わされた。