『共鳴ハンター<1>』


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 ――メシの言う通り、無謀だったかな……


工藤遥の脳裏を、年上の友人――飯窪春菜――と最後に言葉を交わした際の、泣き笑いを浮かべた表情が不意に過ぎった。

いや、友人「だった」……という方が正確かもしれない。
春菜は自分についてきてはくれなかったのだから。
おそらく―――もう二度と会うことはないだろうから。

「らぁっ!」

心中に浮かんだ微かな弱音、そして瞼の裏に張り付く“友人だった少女”の残像を、スタンガンを突き出してきた眼前の男と一緒に蹴り壊す。
膝を割られて絶叫と共に倒れた男を視界に隅に追いやった遥の“眼”は、続いて特殊警棒を振りかぶる男を捕捉する。


 ――右腕の筋肉は動作の気配がない…警棒はフェイク…視線が一瞬左下を向いた…左腕上腕筋が緊張…本命は左手の中…おそらくは小型の麻酔銃


“眼”で瞬時に読み取った“情報”を基に、一気に相手の懐に飛び込む。
男の口元――口輪筋が、自分の思惑とは完全に逆の行動を取られたことへの戸惑いと動揺の痙攣を起こすのが“視”えた。
中途半端に突き出されかけた手首を素早く掴み、男自身の脇腹に押し付けて引き金を引く。

微かな発射音と呻き声を耳にしながら、遥は男の体を突き飛ばすようにして後退した。
一瞬、遥に追い縋ろうという素振りを見せた後、男はその場に崩れ落ちる。
そのとき既に、遥の“眼”は背後を“視”ていた。

身を沈めた遥の頭上を、鈍く黒光る警棒が通過する。
次の瞬間、腰を落としながら体を反転させた遥の手の中のナイフは、空振りで体勢を崩した男のアキレス腱を断ち切っていた。

 ――!!また増援……!?しかも……チッ!くそっ!

悲鳴を上げて倒れながらも警棒を振り回す男の手から、それを蹴り飛ばした遥の“眼”に、新たな数人の姿が映る。
その中に、大嫌いな女の顔を“視”つけた遥は思わず舌打ちをした。

自己陶酔型で劇場型の…どこまでも薄っぺらい女。
名前は確か宮澤だか宮崎だかいっただろうか。
この“教団”の中でそれなりの地位があるようだったが、名前同様そんなことはどうでもいい。
遥にとって生理的にも思考的にも受け入れがたく……そして、特に今この場では絶対に出会いたくない相手だったということが重要だった。


「まあ……。なんてことをしたの、遥ちゃん」

相変わらず芝居じみた口調でそう言うと、部屋の入口に姿を現した女は大げさに肩を竦め、悲しげにため息を吐いてみせた。

室内には、床で動かなくなったりのたうちまわったりしている男たちと、その原因を作った遥を遠巻きに囲む数人の姿がある。
それらの光景を「なんて嘆かわしいことかしら」と言わんばかりの表情で眺める女の姿は、やはり生理的に受け付けないと改めて思った。

「どうして出て行こうなんて思ったの?この素晴らしい《faith》から。ここはあなたたちの居場所であり、夢であり、あなたたちのすべてなのよ?」

広げた両手全体で施設を示すようなジェスチャーをしながら、女は穏やかに言い聞かせるような口調を遥に向ける。
特別な“眼”で“視”なくとも、「聞き分けのない子どもを優しく諭している自分」を過剰なまでに意識しているのはありありと分かった。

「私たちは、あなたたちみたいな子たちに惜しみなく愛を注いでいるわ。安心するって…温まるって言ってもらえるように」

 愛してあげる
   ほら愛してあげるわ。
     だから私と一緒にいなさい。
       ここはあなたたちの天国なのよ―――

女の言葉の端々から滲み出る、纏わりついてくるようなねっとりとした空気感が、遥の胃の腑を押し上げる。

「ざけんな!あんなもん持って追い掛け回して何が愛だ!」

その空気を右手に持ったナイフで真横に引き裂くようにしながら、遥はそのハスキーな声で吠える。

「間違ったことをしそうになっている子を正すのも愛なのよ、遥ちゃん。あなたも今にそのありがたさが分かるわ」

 ―やれやれ、手のかかる子ね、でもあなたみたいに「不出来」な子にも、私はちゃんと平等に愛を注ぐのよ―

今にもそんな声が聞こえてきそうな女の表情に、遥は今度こそ明確に吐き気を覚えた。

元々心開く気には到底なれなかったが、教団の暗部を知ってしまった今は、なおさらはっきりと言える。
その「ありがたさ」とやらが分かるときは、すなわち完全に“洗脳”されたときだ。

そこまで考えた遥の中に、再び「友人」の顔が浮かぶ。

 ここは天国なんかじゃない。
 このままここにいたら、自分たちのチカラは絶対によくないことに利用される。
 だからここから出よう、2人で本当の居場所を探そう。

そう必死に説得する遥に対し、迷い揺れ動く表情を覗かせながらも、春菜は結局「行かない」と言った。

 ここを出たって行くところなんてないよ。
 自分たちだけじゃどうしていいかなんて分からない、きっとどうにもならないよ。
 だから遥ちゃん、ずっと一緒にここにいようよお願い―――

やりとりは平行線を辿り、結局遥は縋りつくような表情と声に別れを告げ……一人で今ここにいる。
感情的になった末「もういい!」と、そんな春菜を置いてきてしまったことが、遥の心に急に重く圧し掛かってきていた。
本当によかったのだろうか、これで本当に。

「さあ、戻りましょう。いつも言ってるでしょう?自然の法則に逆らっちゃいけないって。そんな物騒なものはこちらに渡して。ね?」

ここにいることこそ……《faith》に染まることこそ自然の摂理だとばかりに、女はにこやかな表情を遥に向ける。
“慈愛に満ちた”女の笑顔に、それ以上は耐えられなかった。

「―――ッ!!」

遥の手の中にあったナイフが、女の立つ脇の壁面を僅かに削り、床で乾いた音を立てる。
瞬間、女の形相がそれまでと激変した。

「このガキがッ!つけやがりやがって!」

足元のナイフを踏みつけ、それまでの表情と態度を一変させた女が、右手を上げる。

「ぐ―――っ!」

筋肉の動きから女の動作を読んでいた遥だったが、そこから発されたチカラは、想像を超える速度で襲ってきた。
かわしきれなかった“刃”が、遥の大腿部を浅く切り裂く。

「まあ、私の“真空刃―インビジブル・ブレイド―”を避けるなんて……遥ちゃん、あなたすごいのね」

一瞬の激昂から立ち直ったらしい女が、わざとらしく目を見開く。

「“千里眼―クレア・ボヤンス―”…あなたのチカラは、単に視界の外のものを“視”られるだけの能力じゃないみたいね。……猫被ってたんだ、遥ちゃん。悪い子」

ニヤァ――と笑んだ女の表情の毒々しさに、これ以上ないほどの嫌悪感が湧き上がる。

「ますます手放すわけにはいかないわ。少なくとも……生かして他にやるわけにはいかないわね」

女の言葉と視線の合図に合わせ、包囲網がじりじりと狭まってくる。
女につけられた脚の傷を抑えながら、遥は唇を噛んだ。

目の奥に、脈打つような痛みが走っている。
これまでに経験がないほどの“眼”の酷使が原因であることは明らかだった。
まだまだ成長途上にある体に残る体力がすべて尽きるのも、きっと時間の問題だろう。

悔しかった。

結局、自分で道を切り開いていく力が足りなかったことが悔しかった。
「自分たちだけではきっとどうにもならない」――その春菜の言葉通りだったことが悔しかった。

でもそれ以上に……心残りだった。

春菜とあんな別れ方をしたままになることが。
結局、春菜が「呼んでほしい」と言っていたあだ名でその名を呼ばないままになったことが―――


「これが最後のチャンスよ、遥ちゃん。私たちと一緒に……来る?」

醜悪な慈愛の表情と、吐き気を催す優しげな口調で最後の選択を迫る女を、遥は真っ直ぐに睨み返す。

「行くか、バカ。それくらいなら死んだ方がマシだ」

答えは、躊躇いなく口から滑り出た。

「そう。じゃあ…死になさい」

表情を消した女が片手を上げる。
その手の周囲に、邪悪なエネルギーが渦巻くのが微かに“視”える。

それらをスローモーションのように感じながら―――遥はゆっくりと目を閉じた。

「遥ちゃん……!!」
「――――!?」

刹那――遥の耳に、既に懐かしささえ覚えるハイトーンの声が飛び込んできた。
開いた目に、別れ際と同じ泣き笑いの表情を浮かべた、ひょろ長い友人の姿が映る。

「メシ……?なんで……?」

“立入禁止区域”であるはずのこの場所に立つ春菜に、遥は呆然と問いを向ける。

「だって…友達だもん。怖かったけど……怖いけど……一人で行かせるなんて、やっぱりできないよ」

遥同様に“脱走者”となった友人は、僅かに体を震わせながらもそう言って微笑んだ。

「春菜ちゃん、あなたまで……。自分の立場が分かってるのかしら?自分が今、一体何をしてるのか。それに……こんなことをしたらどうなるのか」

春菜の方へと視線を動かし、女はやや苛立たしげな声を向ける。
明らかにいつもとは違う女のその様子に、春菜はビクリと体を震わせた。

春菜を巻き込んでしまったことへの痛烈な後悔が、今さらのように遥を襲った。
自分だけならともかく、春菜まで下手をすれば………

「待―――」

春菜には手を出さないでくれと、遥が懇願しようとした瞬間―――
高く…震える声がそれを遮った。

「立場なんて関係ない…!どんな場面でも…私は逃げない!自分から……友達から……もう逃げたりしません!」
「メシ……」

必死の表情で、震えながらもそうはっきりと言い放った春菜の姿は、遥の“眼”には光り輝いて“視”えた。

「……そう。あなたもどうやら“危険分子”みたいね」

薄気味の悪い笑みをその顔に貼り付け、半ば独り言のように女が呟く。
もはや、どう言葉を重ねたところで、遥たちを待つ運命が覆ることはなさそうだった。

「メシ!逃げろ!あたしがこいつらなんとか引き止めとくから…メシだけでも逃げろ!」

そう叫び、腰を落とす。
万に一つもあるかどうかの可能性だったが、もう残された道はそれしかなかった。
だが、春菜は小さく首を振って微笑む。

「言ったじゃん。逃げない。遥ちゃん置いて逃げるなんてできない。行くなら一緒だよ」
「こ…バカメシ!!」

遥の心の中に、温かく…熱い何かが満ちる。
この友人を死なせたくないと、心の底から思った。

でも―――

「心配しなくても、どっちも逃げられないわ」

女の言葉に、遥は再び唇を噛む。
いくらこの身を燃やし尽くす程の力を、そしてチカラを振り絞ったとしても……結果は見えている。

「…本当にバカな子たち。ここにいれば幸せになれたのに」

遥以上にそれを確信している表情で、女が“悲しそうに”ため息混じりの言葉を発する。
しかし、ただ一人春菜の瞳だけは、“明日”を見据えていた。

「幸せは……本当の“パラダイス”は、ここを出て…自分たちで探します」

キッパリとそう言い切った春菜の言葉に、女が冷笑を浮かべる。

「だから、あなたたちはここから出られないって言って――――!?」

次の瞬間、女の表情はそう発しかけた言葉とともに凍りついた。

「何―――!?目が!?」
「………?」

突然、目の焦点を無くしたように視線を虚空に彷徨わせた女に、遥は首を傾げた。

「何?どういうこと?まさか………」

視線を戻した遥の瞳の先で、決意を秘めた表情の春菜が小さく頷く。

「お前っ!お前のチカラは“色覚異常―カラー・アノマリー―”じゃ……」
「……もう少し…色んなことができます、本当は。隠しててすみません」

その必要もないのに、申し訳なさそうに春菜はそう謝った。
見えない目を必死でその声の方に向け、女は噛みつくように怒鳴る。

「本当は視覚を支配できるってこと!?揃いも揃ってふざけた真似を!」
「いえ、視覚だけじゃありません。……全てです」

それに対し、春菜は相変わらず申し訳なさそうにそう返した。

「なっ?まさか“五感占拠―センス・ジャック―”能力………えっ?あっ…?耳が……!」

驚きの表情の後、突然女は両耳を押さえ、焦点の定まらない目を狼狽えたように顔ごと左右に動かす。
女だけでなく、遥の周囲を取り囲んでいた他の男たちにも同様のことが起きていた。

「遥ちゃん!今のうちに!」

ひと際高い声が、混乱で満たされた部屋を横切って届く。
呆気にとられていた遥は、我に返ったように動きを取り戻した。

駆け寄った先の、色んな感情の入り混じった表情を湛えた春菜の痩身に、思わず抱き着きそうになって……寸前で止める。

「結局来るなら最初から来いよ!このバカメシ!」

代わりに、そう言いながら腰のあたりに拳をぶつけた。

「痛いっ!ごめん……だって……」

そう言いながらかけがえのない友人が浮かべる泣き笑いの表情が、遥の目の奥を熱くさせる。
込み上げたものを見られないように顔をそむけ、短く言った。

「ありがとな、“はるなん”」
「……え?今……」

戸惑ったような、それでいて華やいだようなその声を後頭部で聞きながら、素早く目をこする。
そして引き結んだ表情を作り、振り返った。

「とにかく話はここを無事に出てからだ。走るぞ」
「あ、待って!待ってよ!」

2人だけの“パラダイス”を目指し―――遥と春菜は、パニックに陥っている部屋を飛び出した。



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