『―Coolish heated aqua―』


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入り日によって暖かそうな山吹色に色づいた空気は、それとは裏腹に刻々と身に染み入るような冷たさを持ちつつある。

ひんやりと澄んだその空気の中に微かなノイズが混じったのを感じ取り、鞘師里保は小さく眉をしかめた。
真っ直ぐ前を見据える視線とモデラートな歩調はそのままに、周囲の気配をそっと探る。


 ――4人……か。


そのうち、能動的な敵意を感じさせるのは2人。
おそらく残りの2人は監視・伝令役の“歩哨”だろう――

素早くも慎重に確認を重ねてそう断じると、里保は歩く速度を緩めた。

空気中に混じるノイズに、微かな緊張が走る。
一瞬の後、それは居直ったように明確な殺意となって里保の肌を突き刺した。

里保が完全に立ち止まったのとほぼ同時に、2人の女が姿を現す。
立ち止まった女たちの足元で、ヒールが鈍い音を立てる。
数瞬の対峙の後、一人が口を開いた。

「鞘師里保ちゃんだよね?」

やや大きめの口を、深緋の口紅とリップグロスでてからせた派手めの顔に、見覚えはなかった。
黙ったまま佇む、隣のソバージュの女にも同じく見覚えはない。
だが、見知らぬ人間にこうして敵意を向けられ名前を呼ばれることには、身に覚えがあった。

「そうですけど。何か御用ですか?」

静かにそう返した声に、張り詰めていた場の緊張が僅かに綻ぶのを感じる。
相手はコドモ―――まだ幼さを残す里保の声が、それを無意識下で改めて認識させるらしい。
その一瞬の弛緩も、里保にとってはいい加減お馴染みになっていた。

「実はさ、里保ちゃんの迎えを頼まれたんだよね」

すぐに再び張りつめられた、ひりつくような殺気に満ちた空気の中、グロスの女がにこやかな笑みを浮かべる。

「…迎え?」

一瞬、目の前の女の属するグループを勘違いしていたのかと思った。
でっきり自分を抹消したい者たちの方だと思っていたが、そうではなく手元に置きたい側の方だったのか……?と。

だが、あからさまに過ぎる殺気のことをすぐに思い出した里保の内心の苦笑と重なるように、グロスの女が毒々しい唇の端を吊り上げた。

「そ。……天国の神様に」

ほぼ同時に、それまでただ黙って立っていたソバージュの女が、唐突に両手を振り上げる。


 ――!?


飛来物を警戒して身構えた里保の体を、思いがけないものが襲った。


 ――な…?体が……重い…?

「自分の他にも“能力者”はいるんだよ?里保ちゃん」

膝を落とした里保に嬉しげな表情を向けながら、グロスの女は隣のソバージュの女の肩に手を置く。
そしてその耳元で素早く一言何か囁いた。

「うっ……!」

ソバージュの女が小さく頷きを返した直後、里保の体を更なる“G”が押さえつける。

「そんな小っちゃい体して、ナントカ流の達人なんだって?でも、そんなザマじゃどうしようもないね」

両膝をつき、突っ張った両腕を支えにしてかろうじて上半身を起こしている里保を、グロスの女が嘲笑う。


 ――筋力で抗うのは…無理だ。


立ち上がることはおろか、這いつくばらないようにするのが精一杯であることを悟り、里保は即座にその選択肢を切り捨てる。


  バシュッ―――


ほぼ同時に、里保の腰あたりから何かが弾け飛んだ。

本来里保の頭があるあたりの高さまで飛び跳ねたそれ――500mlのペットボトル――の蓋がひとりでに開き、勢いよく中身が噴き出す。
里保が“護身用”にいつも携帯しているその水は、まるで生き物かのようにソバージュの女へと跳躍する。

「―――!!」

重力場を突き抜けた“水限定念動能力(アクアキネシス)”による反撃が、ソバージュの女の喉元に迫ったと思った刹那、「それ」は起こった。

「“武器”…なくなっちゃったね。タネが割れてる“能力者”なんてさ、怖くもなんともないんだよ」

ソバージュの女の前に差し出されたグロスの女の掌から、陽炎のような揺らめきが立ち昇っている。
里保の放った“武器”は、グロスの女の掌によって遮られ、一瞬にして跡形もなく蒸発していた。

「あたしたち、里保ちゃんの能力を完全に無効化できるってことで選ばれてここにいるの。自分の能力知られちゃった時点で里保ちゃんは終わってたんだよ。やっぱり所詮はコドモだね」

“武器”を失い、為すすべなく地面に跪く里保に対し、グロスの女は勝ち誇った笑みを浮かべる。
だが―――次の瞬間、その笑いは不快そうに引き攣った。

「……何がおかしいの?何笑ってんのよ!状況分かってんの!?」

里保の肩が小刻みに震えていること……そしてそれは、里保が声を出さずに笑っているからであることに気付いたグロスの女が、尖った声で噛みつく。
勝ち誇っていたはずのその声には、微かな不安の色が滲んでいた。

「カハッ――!!」

その問いに里保の答えが返るよりも早く、隣から聞こえた奇妙な声がグロスの女の視線を引き寄せた。

「―――ッ!?な……?」

首をめぐらせた先にあった光景に、グロスの女の両目が見開かれる。

ソバージュの女がその縮れた髪を乱し、喉のあたりを掻き毟るようにしている。
その両目は、完全に裏返っていた。

――と思った瞬間、その体はまるで受け身を考慮しない態勢で地面に激突し、微動もしなくなった。

「な、何が……!?」

一瞬、倒れたソバージュの女の下に屈みこもうとする動きを見せた後、グロスの女は慌てたように里保へと視線を戻す。
ゆっくりと立ち上がりながら、里保は薄笑みを湛えた顔をそちらへと向けた。

「酸欠ですよ。極端に酸素の少ない空気を一呼吸でも吸えば、一瞬でそうなります」
「酸…欠………?」

幼さを残す里保の声は、もちろんのこと全く変わっていない。
だが、呆然とその言葉を繰り返すグロスの女の耳に、最初とは全く違う響きを持って届いているのは明らかだった。

「わたしの“武器”――なくなってませんよ。見えなくなっただけで」

里保が放った500mlの「水」は、グロスの女の能力により蒸発させられ―――「水蒸気」となった。
すなわち、「液体の水」から「気体の水」へと。

「凍ろうが蒸発しようが、水は水なんです。人間が勝手にそれぞれ名前をつけてるだけで。……タネ、割っちゃったからもう怖くないですか?」

口元をニィと釣りあげながら、里保は片手を上げた。
蒼白となったグロスの女は、その僅かな動きに滑稽なほど怯え、慌てたように口と鼻を抑えて後ずさる。
そして次の瞬間、全力での逃走へと転じた。

刹那―――

耳障りな音とともに、グロスの女の足元のマンホールが跳ね上がる。

「ひっ―――」

短い悲鳴混じりの息が唇から漏れ出たときには、マンホールから伸びた“水”の触手がその足を絡め捕っていた。
抗う間もなく、グロスの女の体が暗い穴へと引きずり込まれる。
転落の際に上げようとしたのであろう絶叫は、ゴボゴボという濁った音に取って代わられた。

鈍い音が響き―――そして、再び数分前までの静寂が里保を包み込む。

同様に全身を包み込んでくる激しい倦怠感に、里保は虚脱しかけた。
だが、“歩哨”の気配がいまだ在ることを感じ、それをこらえる。

今ここで「タネ」を割っては、それこそ命取りになりかねない。

今回、辛うじて一握りの水蒸気を捕まえることができたのは運がよかっただけだという「タネ」を。
それにより、相当体に負担がかかったという「タネ」を―――

相手には、現状で「水蒸気」までも完全に自在に操れると、そう過大評価をしていてもらいたい。
近く、実際にそれが可能とするときまで。


  ――香音ちゃんの言うとおり……しばらく一人歩きは控えた方がいいかな…。ちょっと癪だけど。


口元を不機嫌そうに引き結ぶと、里保は再び何事もなかったかのように歩き出す。


オレンジ色だった周囲の空気は、段々とその冷たさに見合った色に染まりつつあった。