『confrontAtion ―後継―』


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



「だいぶ歩けるようになったね」

前を行く愛は振り向いて穏やかに微笑む。
愛は最近よく笑うようになった。
今はまだ里沙の足元に射す木漏れ日のような淡い笑みではあったけど。

きっと、完全に元通りになることはないだろう。
表面上の傷は癒えても違和感は残る。
この右脚のように。

「んー、まだ違和感は取れないけどね。一生取れないかもって先生には言われた」

リハビリを兼ねて松葉杖で施設の庭を散歩するのが最近の里沙の日課になっていた。
今日のように誰かと歩くこともあれば、一人の時もある。
この日は愛が一緒だった。
二人で木々の間の小径を歩く。
比較的軽傷だった愛はさゆみや医療班の治癒によってすでに全快を果たしていた。

「私も早く治さないと。田中っちはもう復帰したんでしょ?」
「うん、先週。首の骨がやっと元の形に戻ったんだって」

残るは自分一人だけ。
焦燥感が募る。
他の仲間は皆、仕事に支障がない程度には回復した。
どのような気持ちであれ、切り替えて前へ進もうとしているはずなのに。

―――愛ちゃんと光井と、さゆみんと田中っち…

心に浮かべた顔を指折り数える。
“他の仲間”の顔が四人しか浮かべられないことに、里沙は軽い衝撃を受けた。

少し先を歩いていた愛が立ち止まる。

「…あのさ。ちょっと付き合ってほしいとこあるんだけど、いいかな…?」

愛は地面のどこか一点を見つめて動かない。
心ここにあらずといった風で、横顔が少し強張っているように見えた。

彼女が何を意図しているかわからず、里沙は小首を傾げた。
しかし里沙は愛の全てを受け入れている。愛を全面的に信用している。
拒む理由はなかった。
何も聞かず、手を差し出す。
愛はその手を取った。


浮遊感。
エレベータに乗った時に似ている。


一つ瞬きをすると、そこはもういつもの庭ではなかった。
見慣れない深い森。
木々は高々と生い茂り、太陽が遠い。
木漏れ日は微かに淡く射しているが、先程の場所と比べると温かみは薄かった。

「ここ、どこ?」

きょろきょろと辺りを見回しながら里沙が尋ねる。
何度記憶を辿ってもやはり見覚えはない。
ここは里沙が初めて訪れる土地だった。

問いかけには応じないまま、愛は無言で奥に進んでいく。
森の中の道無き道。
里沙は足を取られないよう慎重に愛の後に続いた。杖先が泥や葉で汚れる。
その間の愛は僅かに歩調を緩めていたものの、里沙を振り返ることはしなかった。

そして開けた場所に出る。

見たところ、天然の広場といった具合だ。
周囲を木で囲まれているがこの一帯は空き地になっている。
地面には落ち葉が敷き詰められ、切り口の古そうな切り株が二つ三つ点在していた。

広場の正面にそびえ立つのは大樹。
前後左右に枝葉を広げ堂々と君臨している。
樹齢数百年、いや、もしかすると千年単位だろうか。
その風格はこの森の主と呼ぶに相応しい。
里沙は見上げ、目を奪われた。

「…?」

上から下へ、木をなぞるように視線を下げていくと大樹の根元に奇妙なものが植わっていることに気がついた。
視力には自信を持つ里沙。じっくりと目を凝らす。

「あれは……」

十字型の木が四本、等間隔に生えている。
どう見ても天然物ではない。誰かが人工的に作って植えた。
墓だ。
魂を慰める十字架。
死者を安らかに眠らせるための。

愛が里沙を連れてきた訳。折れた枝でこしらえた四つの墓。この時期に見せられる意味。
導き出される答えは一つしかなかった。

里沙はあの十字架に刻まれるべき名を知っている。
例えここから字を読み取ることはできなくとも。
例え墓標には何も書かれていなかったのだとしても。
その名前たちを、知らないはずがなかった。

「本当は誰にも…罪なんてなかったから」

押し黙った里沙に合わせるように愛は感情の見えない乾いた声でそう言った。
吹き抜ける風が木の葉を揺らし、里沙の心のざわめきにも似た音を奏でる。

「どうするのが正しかったのかな。あたしは、自分の責任を守ることしかできなかった……」
「愛ちゃん…?」

得体の知れない不安感が喉にせり上がってくる。

「リーダーの守秘義務。だから言えなかった。でも…伝える努力は、するべきだったのかもしれない」

罪がない。責任。伝える努力。
一体何を言っているんだ、彼女は。
全ての責任を背負い込むように肩を落として。
彼女はこの件において誰よりも奮闘した。傍にいた自分が一番よくわかっていることだ。

絵里の最期を見届けたのは彼女だった。
最終的に皆に戦いの指示を出したのは彼女だった。
三人が去って悲嘆に暮れたのも、詰め寄る二人を宥めたのも、込み上げるものを堪えて皆に小春は還らないと説明したのも。

「…………え?」

待て。
今何か、引っ掛からなかったか?

粟立つ皮膚に震える指先。
なんだ。何がこんなに不安なんだ。
頭にかかった靄を払うように、もう一度順序立てて考える。

小春が単独の戦闘任務に向かった数時間後、愛は上層部に呼び出されどこかへ行った。
里沙たちが愛の説明を受けたのはさらにその数時間後だ。
詳細を聞き出そうと彼らの元へ向かう絵里とジュンジュン。自分たちは止めることも加勢することもできなかった。
詰め寄る二人をあしらう彼ら。爆発寸前の二人。愛が止めに入るまでやり取りは続く。

その後は絵里たちはもちろん里沙たちにも詳しい話を聞く機会は訪れなかった。
彼らが何かを話したことがあったとすれば、それは愛が呼び出しを受けてから再び仲間の前に現れるまでの数時間。

まさか。
あるわけない。そんなこと。
でも。
思い出されるのはあの日から数日後に聞いた一つの噂。
当時は混乱の只中で深く気に留める余裕もなかったけれど。

とある集落の存在がこの世から消えて無くなった。

あれは、“そういう”ことだったのか?
「罪はない」「責任」「伝える努力」。
抱いた疑念は愛の口にした言葉とあまりに辻褄が合っていて。

いつかの散歩でさゆみに聞いた言葉が頭を過る。


―――――守りたかったんだってさ。…よく言うよね、ほんと……


『守りたかった』。
それはリンリンが語ったという彼女たちの行動原理。

だが、もしそれが他の誰かにも当て嵌まる原理だったとしたら。
愛にも小春にも…そして上層部の人間にさえも当て嵌まるのだとしたら。

“誰にも罪なんてなかった?”

あの子はセオリーに従わず誰も思いも寄らない方法で成果を上げてしまうことがよくあり、彼らはそれを快く思っていなかった。
はっきりと煙たがっている節を見せたこともある。
だから消されてしまったのだろうと。
ずっとそう思い込んでいた。

けど、仮にあの子が。
小春が、自分の中の何かを守って自ら消えることを望んだというなら。

真実と信じた前提は根底から覆される。

彼らは組織の体裁と小春の戦士としての名誉を守ろうとした。
愛は小春の意思とリーダーの責任を守ろうとした。
絵里たちは、仲間を想う自分たちの素直な心を守りたかった。
里沙たちは築き上げてきた「リゾナンター」としての誇りを守りたかった。

始まりはほんの僅かな擦れ違い。
その僅かがやがて埋まることのない決定的な溝を生んだ。

「ねえ、ガキさん」

びくりと、肩が跳ねた。
恐ろしい考えに捉われるあまり隣に立つ存在を忘れかけていた。
愛は中空に目を遣り、ぼんやりと呟く。

「真実より残酷なことって、あるのかな」

里沙に問うというより、自分自身に言い聞かせるように。
ここではないどこか遠くを眺めて。

やはり、そうなのか。それが真実なのか。
できれば否定してほしかった。
里沙のこの疑念を読み取って、「そうじゃないよ」と優しい言葉をかけてもらいたかった。
それが嘘でもいいから。
愛の吐く“嘘”なら里沙は喜んで“本当”に変えるから。

―――信じたく…ないよ……

傷つき傷つけあれだけ多くのものを失った戦いが、実は勘違いの上に成り立ったなんの意味もない戦いだったなんて。

「…あたしさ、異動が決まったんだ」

愛の唇は更なる残酷を紡ぎ出す。
やり場のないやり切れなさに揺れる里沙のことなどお構いなしだ。
なんでもないことのように言ってのける。
言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
イドウ。いどう。移動。異動。
愛が、離れていく。

「異動先はまだ決まってないんだけどね。ただ近いうちにみんなの仲間ではいられなくなるから、ガキさんにだけは先に伝えておきたくて」

伝えた?何を。
愛が「リゾナンター」を去ることだろうか。それともあの戦いの裏にあった真実?
そこをはっきりさせない彼女はずるいと思った。

「人数、減っちゃったから……リゾナンターに新人を入れるって話も出てきてる。その新人の教育に目処がついたら、あたしは抜けると思う」

淡々とした口調は焦りや動揺の裏返し。
愛も感情を堪えていた。
その証拠に、彼女は里沙の顔を一切見ようとしない。
痛々しい笑みを貼り付けただけの横顔が、余計にこの胸を締め付けた。

「後のこと、頼むね。あたしもその時が来るまでは、やれるだけのことやるつもりだけど」
「…っ!それなら、私も…!」

辞める。
そのたった三音が、喉に詰まって出てこない。
里沙は仲間たちの顔を思い浮かべた。

れいなは最近持ち歩くようになった例のボウガンでジュンジュンを討った。
さゆみはダガーでリンリンを刺した。そのダガーの本来の持ち主は愛佳。
愛は絵里が自らの命を絶つのに格好の場所を提供してしまった。
直接的にも間接的にも手を下していないのは里沙だけだ。
自分以外の誰かが愛の後任に就くとして、その誰かは「仲間の命を奪った」負い目を捨てて後進の指導に当たれるだろうか。
まだかつての仲間の顔がちらつく状況で新たな仲間と信頼関係が築けるか。また同じことを繰り返さないとも限らないのに。

意思疎通がうまくいかないチームは空中分解する。
誰かが、緩衝材にならないと。

「辞める」なんて軽々しく口にできる言葉ではなかった。
里沙はまだ抜けるわけにはいかない。
せめて新しいチームがそれなりの形になるのを見届けてからでないと。

けれど、それは。

「……あったよ、愛ちゃん。…真実より残酷なこと」
「え?」

新たなメンバーで新たな「リゾナンター」を構築する。それは落とされた数多の陰を完全に振り払ったということだ。
悲しみを乗り越え前に進む。
それはとてもとても素晴らしく、これからを生きる人間には必要であることだけど。

「時間は、流れていくんだね……」

この痛みが、痛みでなくなる。
今がいつしか過去になる。

時間は流れていくのだ。

あそこに見える切り株も、やがて芽を出しいずれは大きな木になる日が来るだろう。
この脚に残る違和感だって直に慣れる。違和感とは認識していても。
変化は必ず訪れる。
いつか、きっと。


日が傾いてきたのがわかる。頬に触れる風が冷たい。
里沙はもう、四つの十字架に目を向けることができなかった。



     -- 完 --