『影法師』


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目次

2011/12/31(土) 更新分


― 流石に去年と比べれば活気が少ねえな。 ―
喫茶リゾナントのある町の駅前にある業務スーパーの店先を眺めながら、藤本美貴は思う。

それでもこうしてどうにか生きて新しい年を迎えようとすることができるだけで儲けものなのかもしれない。
町に活気を、人に元気を取り戻す為に来年こそは世界を征服せねばと、どこか違っている決意を新たにした美貴の腹が鳴った。

空腹なのだ。
昨版11時にコンビニで買ったから揚げ弁当を食してから16時間以上、何も口にしていないのだ。
腹が鳴ってもしょうがないというものだ。
幸いにも人には聞かれていない。
もっとも他人に聞かれたところで、顔を赤らめるようなしおらしい面など美貴にはもう残っていない。
いや、生まれたときからそんな初々しい面など美貴にはなかったのかもしれない。
何にせよ、藤本美貴は腹が減っている。
強烈に腹が減っているのだ。

何故、美貴が半日以上も食を絶っていたか。
世界征服を企む悪の組織ダークネスの一員として、破壊活動に勤しんでいたからなのか。
あるいは悪事を防ごうとする宿敵リゾナンターと激戦を繰り広げていたのか。

…否。 単に寝落ちしてしまっただけなのだ。
年末でバタバタして睡眠時間が削れてしまったツケを、昨晩払わされてしまったというわけだ。
先刻目覚めて時計の文字盤を見れば、短針は6の辺りを指している。

やった、ラッキー。
少し部屋を片付けて、鏡餅とか買ってきて、ゆったりとした気持ちで新年を迎えてやろう。
としあえず、あと30分布団の中にいてやろうと思った美貴だったが、何かが違うことに気付いた。
外が暗いのだ。
午前6時にしては、外が暗すぎるのだ。

まさかと思って、24h表示にしてあるケータイで正確な時間を確かめた。
18時7分。
寝過ごしてしまったのだ。
奇声を上げて跳ね起きて、何かに急き立てられるように町に飛び出してきて、今ここにいるというわけだ。
急いで部屋を出てきたせいで、着ている物はといえば裾や袖のあたりがほつれているジャージの上下。
髪はボサボサのままでノーメイクという有様。
今の藤本美貴の姿を見て、魔女と思うものは誰もいない。
ただのだらしない女というのが、妥当な評価ということになろうか。

― しかし、よくよく考えてみればそんなに慌てて出てくることもなかったよな ―

別に新しい年が逃げていくわけでもない。
どうせならもうちょと身なりを整えて、都心部の小洒落た店で飯食っても良かったのに、チンケな業務スーパーで食料を到達しようとしている。
結局、この町が好きだから…ではない。
半額セールを狙っているのだ。
何気に利用するこの業務スーパーのタイムセールのスケジュールを美貴は熟知している。
そして今日、12月31日の午後7時から、今年最後の半額サービスが始まるのだ。
それを狙って藤本美貴はここにやってきたのだ。

一般のお客大歓迎とはいえ、業務スーパーのことだ。
肉などはあ大量のブロックを冷凍しているため、半額セールの対象にはならない。
美貴が狙っているのは、弁当やおにぎりの商品群だ。
ぶっちゃけずぼらな藤本美貴のことだ。
食材を調達して、調理するなんて手間は願い下げだ。
手っ取り早く済ませられる弁当とおにぎりを大量入手してやる。
その決意と空腹感が美貴の戦意をいつになく高めていた。

とはいえ、年末の半額セールを狙っているのは美貴一人ではない。
近隣住民も狙っている。
半額セールが始まった瞬間、業務スーパーは業務スーパーではなくなる。
戦場となるのだ。
一瞬の油断が命取りとなる戦場となるのだ。
その場に臨むにはあまりにも、今の自分が空腹なことに美貴は気付いた。

だからスーパーの店先で販売しているおでんを美貴は物色している。
狙いはすじ肉だ。
藤本美貴は肉食獣だ。
とりあえず肉類を食えばエネルギーになる。
栄養学的には矛盾するかもしれないが、藤本美貴にはそんな理屈は通用しない。
藤本美貴は狂犬だ。
狂犬の本能の前に、科学も論理も意味を持たない。

年末の夜半のことゆえ、調理器の中は疎らだ。
すじ肉の刺さった串が見つからない。
しょうがなく美貴は煮崩れしたロールキャベツで妥協することにした。
肉が包まれているわけだし、野菜だって取れる。
代金を支払った美貴は器を固辞した。
エコだ。

今にも崩れ落ちそうなロールキャベツから滴り落ちる煮汁の熱ささえ心地よい。
そして至福の瞬間が訪れようとした時、美貴はつんのめった。
そのためロールキャベツは無残にも地面に落ちた。

藤本美貴は捕食獣だ。
そんな美貴が今まさに口にしようとする獲物を取り逃がすなんてことは通常はありえない。
原因があったのだ。

何者かが美貴を横合いから突き飛ばしたのだ。
味われることなく散ったロールキャベツへの未練を断ち切るように、怒りの視線を襲撃者に向ける。

「リゾナントブルー参上。 悪い奴は今年のうちにチョチョイのチョイやけん」

「…ぶっコキ殺す」

          ・
          ・
          ・

数分後、最寄の駅の高架下に金網で区切って作られた児童公園に藤本美貴と美貴を襲ってきた田中れいなの姿があった。
美貴は遊具として埋め込まれたタイヤに腰を下ろし、れいなは美貴の前の地面で正座をさせられている。
気のせいだろうか、れいなの左頬が腫れているような気がするが、そんなことを気にしたら負けだ。

「だから、何でいきなりアタシのことを襲ってきたのか、言ってみろって言ってんだ」

不機嫌極まりない表情で凄む美貴に対して、れいなはおずおずと話し始める。

「あっ、あの藤本さん」

美貴の頬がピクッと痙攣したのを見て、慌てたように呼び名を換える。

「あ、もしかしたらミティ様の方が良かったですかね」
「今はオフだから藤本でいい」
「じゃあ藤本はやっぱ、ヒィィィ」

美貴のスニーカーがれいなの剥きだしの膝小僧を踏みしめた。
れいなの膝が剥きだしになっているのは、美貴が制裁の意味でれいなの下半身を素っ裸に剥いてしまった…わけではない。
れいなが冬だというのにミニスカートを身につけていたからだ。

「テメー、何調子こいて藤本とか呼び捨てにしてんだよ、この三下風情が!」

ようやく、れいなは自分が犯したミスを悟った。
そして改めて美貴に話しかける。

「あ、あの怒らんとって欲しいっちゃけど、藤本さんはやっぱ悪人や、ヒィィィ何すっと」

「お前みたいな悪人面の口から悪人呼ばわりされると腹立つんだよ。 せめて悪党って言えや」

「あ、じゃ藤本さんは悪党っちゅうか悪の組織の一員で、れいなは正義の味方やけん、戦うのに理由はいらんと思うし」

「お前、今のあれは戦うとかじゃねえだろ。 襲撃だ、お前が一方的にアタシを襲ってきたんだ」

「それは、あれやん。 先手必勝というか」

「うっせーよ。 まだアタシが悪事を働いてるんだったらともかく、平和に佇んでるところを名乗りも上げずに襲ってくる正義の味方がいるか」

「っていうか、何か藤本さんの存在自体が邪悪っ、うわっやめるっちゃ、やめるっちゃ」

れいなが慌てだしたのは美貴が、土の地面に魔方陣らしき物を描きだしたからだ。

「さっき、テメーこう言ったな。 アタシとテメーが戦うのに理由なんていらないって。 上等だ、今から理由もなくテメーを固めてやる」

「すんません。 ホント調子こいてやり過ぎました。 もうしませんから堪忍してください」

平身低頭するれいなからは正義のヒーローとしてのプライドのかけらも感じられない。
美貴が魔方陣の展開を止めたのは、そんなれいなの様子を見て哀れに思ったからではない。
別に相手が全面降伏したところで矛を収める美貴ではない。
オッサンが見ているのだ。
震災からの復興を祈願した年越しイベントが、生意気にもこの界隈で開かれるらしい。

そのためのボランティアのスタッフだろうか。
60を越えたぐらいの町会だか商店街だかの役員らしきオッサンが、先刻から美貴とれいなの方をチラチラ見てるのだ。
勿論、高齢のオッサンの一人二人美貴の手にかかれば鎧袖一掃だ。
しかしあのオッサンを手にかければ当然他の役員どもも騒ぎ出すだろう。
場合によっては警官隊も投入されるだろう。

そんなことになっては紅白歌合戦が見れないではないか。
別に7時台に出演する某国民的アイドルやガキどもはどうでもいい。
韓流のアーチストだけは見逃せない、見逃したくない、見逃したらしんじゃう。
そんな思いから美貴は振り上げた手を静かに降ろすことにしたのだった。

「とりあえず弁償だな」

「はぁ~、まあしょうがないっちゃね。 じゃあその辺のコンビニで買ってきますから。 あ、お詫びを兼ねて大根とチクワもつけときますけん」

れいなとしては満点の回答を導き出したつもりだった。 
自分のアタックで損なわれたのは、ロールキャベツ一個。
れいなにしてみれば、それも正義の代償として生まれた犠牲に過ぎず、本来は弁償なんてする必要などないものだ。
それを弁償してやる上に、大根とチクワまでつけてやろうというのだ。
一体、このことに不満を抱く者がいるだろうか。

いた。 今、れいなの目の前にその者はいた。
怒りに眦をギリギリと上げ、れいなの膝にグイグイと体重をかけてくる。

「あっ、あとハンペンもつけるけん」
「そうじゃない。 そうじゃないんだ。 れーな、お前はわかっていない」
「わかっていないって何のことたいって、ちょお藤本さん。 私の足に小石が食い込んできて痛いんです。体重をかけてくるのは止めてください」
「お前が悪いんだろ、お前が」

それでも美貴がれいなの膝から足を除けた上で、改めてれいなを立ち上がらせ、自分の傍らのタイヤに腰掛けさせたのは流石にいぶかしんだ役員のオッサンが近づいてきたからだ。

わざとらしく肩を組み、頬を摺り寄せてみる。
その有様はまるで地方のヤンキーが後輩にたかっているようであった。

…とりあえず難は避けられた。
何か連絡事項があるのか、役員のオッサンは他の役員と思しきオッサンと話し始めた。

「…テメーわかっていないな。 たかがコンビニのおでんごときでアタシのロールキャベツの弁償になると思ってるのか」
「藤本さんこそわかっとらんけん」

コンビニのおでんをバカにされたことで、れいなの何かに火がついたようだ。

「藤本さんこそわかっとらんけん。 コンビニのレジに置いてあるおでんがどんだけうまいかってこと」

「そんなことはわ・か・っ・て・ま・す。 アタシだって週に一回は買ってるし」
「れいななんか週二回は買ってるし」
「あ、忘れてた。 アタシ今週は三回…」

藤本美貴は我に帰った。
ここでれいなとコンビニでおでんを買う頻度の比べあいをしてる場合ではない。

「とにかくだ。 コンビニのおでんが美味いってことはアタシもわかってる。 よく研究されてるし材料だってそれなりに吟味されてるし」
「だったら…」
「まあ聞けよ。 確かにコンビニのおでんだって美味いぜ。 だがな、所詮は片手間だ」

コンビニのおでんはコンビニエンスストアという業種の性質上、その調理にかかりっきりっというわけではない。
タバコを買い求めに来た客の年齢確認。 朝刊と夕刊の差し換え。
賞味期限の切れた商品の回収や公共料金の支払いにコピー用紙の補充。
様々な業務をこなし、時間が来ればシフトチェンジする店員たちの手によって作られたものだ。

「おでん一筋に商ってるところのロールキャベツとコンビニで売ってるロールキャベツとは格が違うんだよ。 格が」

所詮は同じロールキャベツやんというれいなはまだ青い。
それでも不承不承、美貴の主張に同意を示したが…。

「なあ。 だったらテメーもアタシの食おうとしてたロールキャベツの弁償がコンビニのロールキャベツでできるとか言わないよな、な、な」
「…わかりました。 だったら」
「肉だ」
「はい?」
「肉だ。 肉を買ってくれ」
「ちょっ、いくらなんでも」

鴨られる。 れいなは戦慄していた。
いくらコンビニのおでんと専門の業者のおでんの間に味の違いがあると言ったって、その差を埋めるのに肉を買わされるなんてことがあっていいものだろうか。
毟られる。 このままこの場に留まっては文字通り、この強欲な女に身包み剥がれて寒空の下に放り出される。
逃げなくては。

藤本美貴は戦士だ。
と同時に策士でもある。
れいなの考えることなどお見通しだった。
正座させていたれいなを自分の脇に座らせたのは、何かの役員のオッサンの目を誤魔化すためだけではなく、れいなの逃亡を防ぐ為でもある。

「テメエ、今逃げようとしたな」
「してません」
「今、逃げようとしただろう」
「してませんって」
「逃げたいんだったら、逃がしてやる。 お前の持ってる財布を置いてけや」
「それは堪忍してください」
「そんなに金を払うのがイヤか」

イヤに決まってる。
だがそのことを素直に口に出せば、この強欲で凶暴な女に何をされるかわからない。
れいなはどうしてこの危機を逃れるか必死で頭を働かせていた。

「いいぜ」

はっ、何がいいと言うのだ。

「テメーはちゃんとしたバイト代を受け取ってないんだってな。 そんなお前からなけなしの金をふんだくったって寝覚めが悪い」

だから許してやってもいいと藤本美貴は言っている。

「ただし、ちょっとした罰ゲームをやってもらうことになるが」

罰ゲーム。 この狡猾で残忍な女の言う罰ゲームとはどんなものなのか。
それを受けてしまって自分の命は果たして助かるのか。
様々な思いが絡まってれいなの口を重くする。

「安心しな。 別にスカイツリーから飛び降りろとか生命の危険を伴う罰ゲームじゃない。 簡単だ、誰にでも出来る簡単な罰ゲームだ」
「一体、何をすれば許してくれると」

美貴は何かの役員のオッサンの立っている方を指差した。

「あすこにオッサンがいるよな。 何かのイベントをするらしいが」
「確か、震災復興を祈願して影絵で日本の四季を再現するとか…」
「細けーことはどうだっていいんだよ」

美貴は掌をヒラヒラさせた。

「あのオッサンの所に言ってこう言うんだ。 寒いのにご苦労様。  頑張ってほしいっちゃ。れいなも頑張ってしごくけんってな、おい」

折れた。
れいなの心が折れた音がした。
確かに田中れいなは悪ぶってはいるし、実際悪だが、悪はワルなりに純情な面を持っていることを美貴は知っている。
博多っ子純情だ。
こっち系の攻撃への耐性が乏しいってことを美貴は知り抜いている。
その証拠にれいなの体温が一気に上昇したのを美貴は察知した。

「…そんなこと、とても言えんけん」
「じゃあ、肉買ってくれるんだな」

力無く頷いたれいなを立たせると、業務スーパーに向かおうと高架下の公園を出ようとする。
そんな美貴たちの前にゆらりと立ちはだかった者がいる。
その姿を見たれいなに活力が戻った。

「あ、さゆ、助け、ううん。 さゆ、危ないっちゃ。 ここはれいなに任せてみんなに連絡を」

イや、そういう事態じゃないだろうが。
僚友の目の前で無様な真似は見せたくないと、虚勢を見せるれいなを小ざかしく思いはするが、でもそんな振る舞いは決して嫌いではない。

ま、戦闘力ゼロの重さんじゃ抑止力にもなんないけどな。 にしても今日はいつもと雰囲気が違うじゃねーか。

美貴が思ったのも無理は無い。
今、目の前に立つリゾナンター、道重さゆみはいつものさゆみとは様子が違う。

ゴスロリっつーのか。 黒いドレスっぽい、まるでいつもアタシが着てるのに近い。 メークだって何か濃いし。

黒い衣装を身につけた道重さゆみは口を開く。

「藤本美貴。 それとも氷の魔女ミティ。 どちらの名前でお呼びすればいいのかわかりませんがお久しぶりです。 道重さえみです」


2012/01/01(日) 更新分


腰を抜かした。
思わず腰を抜かしてしまった。
氷の魔女の二つ名をを持つ藤本美貴が不覚にも腰を抜かしてしまったのだ。

その理由は美貴の目の前に立ちはだかった『さえみ』という存在にあった。
『さえみ』という存在についての知識が無い方は、『白いTOKYO:夢から醒めて』という参考資料を読まれることを推奨する。
『白いTOKYO:夢から醒めて』、リゾナントブルーで検索すれば多分見つかる筈だ。
その巻末に目を通された方なら、藤本美貴の狼狽ぶりも腑に落ちたことだろう。
まあ、そういうことである。

とはいえ、この作品世界の藤本美貴と『白いTOKYO:夢から醒めて』に登場してくる魔女を同一人物として捉えることに無理があると考えられる方もおられるかもしれない。
というか『白いTOKYO:夢から醒めて』の作者からすれば、一緒にするなというところであろう。
結局はじゃんけんの勝ちと負けの手が決まっているように。
軍人将棋の駒の勝ち負けが決まっているように。
藤本美貴と『さえみ』の相性も、美貴の方に不利なように設定されているということであろう。
言わば、天敵である。

そんな天敵の出現に腰を抜かした藤本美貴は、何とか体勢を立て直して窮地から脱出しようと試みた。
公園の入り口には『さえみ』が立っている。
その横をすり抜けるなんて芸当はとても出来そうに無い。
入り口の反対側の金網をよじ登って逃げようとした。
乗り越えた先は自転車の駐輪場になっていて、その上に転落するのは正直ぞっとしないが、『さえみ』の【物質崩壊】を喰らって、この世からおさらばするよりはマシというものだ。

ひぃひぃ言いながら金網をよじ登ろうとするが、いつもなら一気に乗り越えられる高さの金網を中々登ることが出来ない。
脅えてしまっているのだ。
脅えが手足から力を奪ってしまっているのだ。
しかし、それだけではない。
いくら手足から力が失われているといっても、所詮は高架下に作られた子供の遊び場を区切っている金網だ。
そんなに高くは無い。
なのに、美貴がよじ登れないでいるのは美貴の邪魔をする者がいるからだ。

れいなである。
先刻まで美貴に散々に痛めつけられていた田中れいなが、嬉々とした表情で金網をよじ登ろうとする美貴の足にしがみついているのである。

「れーな、離せよ、バカヤロー」
「さぁ、さえみさん。 れいなが痛めつけておいたけん、止めを刺すっちゃ」

― ヤバイ、マジでヤバイ ―

空いている方の足で散々蹴り飛ばしても、先刻の恨みを晴らすぞとばかりしがみついて話さないばかりか、歯まで立ててくる。
気ばかり焦り、金網を登りきれないうちに、『さえみ』がすぐ傍まで近づいてきた。

「ヒィィ、消される」
「さあ、さあ、早く、さえみさん」

二人の傍に立っている『さえみ』はというと、すぐに手を下そうとはせず、ゆらりと立っていた。
やがて少し苛立ちの感情を覗かせながると、手刀をれいなの首筋に落とした。

「あなた、少し騒がしいです」

キャインと悲鳴を上げて気を失ったれいなを冷たく見下ろすと何かを美貴に差し出した。

― な、何をするつもりだ ―

「本年は妹がお世話になりました」
「あ、はい」
「来年も何卒よろしくお願いします。 これはほんの気持ちですが」

『さえみ』の掌の上には、箱根や別府、有馬といった日本各地の名湯の入浴剤の詰め合わせが載っていた。

「こ、これはこれはご丁寧にどうも」

入浴剤なんか欲しくない。
いや、欲しいといえば欲しいけど、天敵『さえみ』の手から受け取るのはぞっとしない。
といって拒否すれば何をされるかわからない。
何といってもっ『さえみ』は敬語で話してる相手を、リアルに人体消失させていくことの出来るチカラの持ち主だ。
どんな仕打ちをされるかわからない。
とりあえず怖々手を伸ばして受け取った入浴剤を小脇に抱えるとその場から立ち去ろうとする。

「じゃあ、今日はこの辺で。 そちらも良いお年ヒィ」

背を向けて去ろうとする美貴の手を『さえみ』が掴まえたのだ。

「少しお話したいことがあるんですの。 込み入った話なのでどこか落ち着いたところでお話出来ませんこと」
「…お、怒らないで聞いて欲しいんだけど。 もし、もしもイヤだって言ったらどうする。 もしもの話だけどね、もしもの」

迂遠な美貴の拒絶の言葉をどう取ったのか、『さえみ』の顔に謎めいた笑みが浮かぶ。

「人は皆、いつかは死ぬものです。 そしてまた生まれる。 破壊と創造は常に表裏の関係・」
「わかった、行くから。 何処でも行ってあんたの話を聞かせてもらうから」
「そう言って頂けると思ってましたわ」

二人の傍らでれいながピクピクと痙攣していた。

          ・
          ・
          ・

数分後、美貴と『さえみ』の二人は最寄の喫茶店で向かい合っていた。
ゴスロリ衣装の『さえみ』とだらしないジャージ姿の美貴。
対照的な二人の美女の取り合わせは、店内にいる人の好奇心に満ちた視線を浴びた。

とりあえず少しでも腹の足しになるものを摂りたい美貴はホットミルクを、『さえみ』はというとブラックコーヒーを頼む。
オーダーを取ったウェイトレスが引き上げていくと、美貴は席を立った。

「どちらへ行かれるつもりですか」

『さえみ』が美貴の腕を掴む。

「ちょっとこの頭ボサボサだからさ、直してきたいわけよ。 それに、な、わかるだろ」
「なるほど、髪型を整えるというのはあくまで口実。 本当は排泄の欲求が高まっているということなのですね」

人形のような佇まいの『さえみ』が口にした排泄という言葉に、店内が一瞬静まり返った。

「ああ、そうだよ。 クソがしたいの。 クソが」

こうなったらヤケクソだ。
何が何でも『さえみ』から離れて、事態の打開策を講じなければ。
そう思えば、どんな恥ずかしい言葉だって言ってやる。
手洗いの方に向かおうと、勢い良く『さえみ』の手を振り切ろうとした美貴だったが、『さえみ』は手を離さずに立ち上がってくる。

「ならば、私もご一緒しましょう。 あ、念のために言っておきますが、私の身体はさゆみの身体。
さゆみはあなたと違って、4714」
先程からの美貴の『さえみ』に対する態度から判断して、手洗いに立ったまま逃走しかねない。
それを防ぐ為だといって、美貴と手を繋いだまま手洗いの方に向かう。
店内中の好奇の視線を浴びたことは言うまでも無い。

「ほら、窓には格子が嵌ってるから逃げれないだろう」

個室の扉を開けて、そこからの逃亡が容易ではないことを『さえみ』に示した上で退去を促した。


「ですが、凶暴なあなたならこの程度の格子ぐらい壊しかねません」

『さえみ』は美貴の手を取ったまま個室から出て行こうとはしない。

「それはそうかもしれないけど、そうしたら物音がするだろうし、そうなったらそうなったでアンタなら何とでもできるだろうが」

【物質崩壊】のチカラを持つ『さえみ』なら、こんな喫茶店のトイレの個室の扉など一瞬で消失させらることが出来る。

「それはそうですが…」

不承不承ながら美貴の言い分を聞き、個室の扉を閉めることは認めた『さえみ』だったが、あまり長時間篭ることはしないよう求めた。

「…そうですね。 1分以内に出てきて頂かねば、個室の扉もお店の壁も消失させて、あなたのあらぬ姿を晒すことに…」
「早ーよ」

抗議して取り合えず、3分の猶予を得ることが出来た。
トイレットペーパーを引き出したり、わざとらしく咳き込んだりして怪しまれないようにしながら、個室内を物色する。

― ねえな。 塩素系の洗剤とかがあれば有毒ガスを発生させるとか、目潰しに使ってやろうと思ってたが、店のやつらちゃんと片付けてやがる ―

水道のパイプを取り外して武器にしてやろうかと思ったが、工具も無いのに3分弱の時間で取り外せるとは思えない。
そうこうしているうちにも『さえみ』が個室の扉をガタガタ揺らしてくる。
焦った美貴の目に映ったのは、トイレが詰まった際に使うスッポンスッポンさせるやつだった。
【物質崩壊】のチカラを持つ『さえみ』に対して、スッポンスッポンさせるやつが効果を発するとは思えない。
しかし苦手の『さえみ』に対して素手で接することを考えれば、スッポンスッポンさせるやつでも無いよりはましだ。
今の美貴には何の変哲も無いスッポンンスッポンさせるやつが、聖剣エクスカリバーのように見えた。

店には後で新品を返すことにして無断借用することにした。
スッポンスッポンさせるやつの吸盤の部分を上にして、ジャージの右足の部分に突っ込んだ。
ジャージの上の部分を被せれば、見えなくなった。

一息ついて擬装のために水を流したところで、激しく個室の扉が叩かれた。

「早く開けるのです。 さもなくば…」
「わかったから落ち着け」

慌てて鍵を外すと、『さえみ』が個室の中に入ってくる。
心なしか顔色が青ざめているように見える。

「おい、どうしたんだ?」
「今から、花を摘みます」
「はぁ、何言ってんの?」
「花を摘むと言っているのです」

美貴はピンと来た。
女性がトイレに行くことの隠語として、昔の女性が使ってたという話を聞いたことがある。
今の『さえみ』の刻一刻と切迫していく状況は、まさに…。

「わかったからよ。 精々綺麗な花を摘むんだぜ」

やったぜ、これで危機脱出だと個室を出て行こうとした美貴の腕は『さえみ』によって掴まれた。

「待つのです」
「だから、花を摘むんだろうが。 アタシが居ちゃ摘めないだろうが」
「このまま放せば、あなたは逃げてしまうでしょう」

その通り、とは言えない。
「そんなことはしねえよ」
「いいえ、あなたはそういう顔をしています。 だから…」

いきなり頭をヘッドロック状態で抱えられた。

「私が花を摘んでいる間、傍に居るのです」
「ちょ、おまふざけるなぁぁぁぁぁ!!」

数分後、店内に居合わせた人間の視線を浴びながら、美貴と『さえみ』の二人は席に戻った。
『さえみ』の顔色は人心地を取り戻している。
一方の美貴はというとうんざりしたような顔つきだ。

― いやっ、もう勘弁してくれよ ―

席には注文していた品が来ていた。
美貴は座り際に、自分の前に置かれている伝票をさりげなく『さえみ』の前に押しやった。

― 耳は塞がれていたとはいえ、大人の女が花を摘む現場に居合わせられたんだぜ。 第一コイツの方がアタシに話があるって言ってきたんだからな ―

「じゃもう早く済ませちゃおうぜ。 一体何の話しがあるんだ」
「お話というのは他でもありません。 さゆみについてなんですが」

美貴に応じながら、『さえみ』は伝票を美貴の方に移動させた。
さも、美貴が支払うのが当然だと言わんばかりの態度で。

― オイ、コイツどういうつもりだ ―

普通なら天敵である筈の『さえみ』に対して、ここまで敵愾心を燃やすのは金が絡んでいるからだということは言うまでもない。
自分の方から話があるといっておきながら、喫茶店代を払わせようなんて、人の道に外れている。
とっくの昔に、人の道を踏み外した魔女が憤る。
とはいえ相手は【物質崩壊】のチカラを持つ『さえみ』だ。
露骨に刺激しては命が危ない。

「で、あんたの妹に何があったっていうんだ」

さり気なくテーブルについた肘で伝票を移動させる。

「何があったというわけでもないのですが」
『さえみ』が伝票を美貴の前に置く。

「何も無ぇんだったら、こうして時間を取ることも無いだろうに」 
美貴は少し乱暴に伝票を『さえみ』の前にズラした。

「つーか、テメーいい加減にしろよ。 さっきからアタシに支払わせようとしてるけど、それって変じゃないか」
「何が変ですの。 貴女の方が年上なんですから貴女が支払う方が自然だと思います」
「るせーよ。 テメーの方から話があるといって無理やりアタシを連れて来たんだろうが。 第一年上云々を言うならテメーだってお姉ちゃんだろうが」
「私はさゆみのお姉ちゃんであって、貴女のお姉ちゃんではありません」

『さえみ』は荘厳な面持ちで美貴に宣告した。

「いいでしょう。 どうしても払わないと言い張るのなら払わなくても結構です。 消え失せよ、一切全ての者た…」
「払う、払う。 払わせてくれ、っていうか年上の甲斐性で払いたいんだ。 だからいい加減名作の名台詞を乱用するのは止めてくれ」

この程度のことで全てを消失されてはたまらない。
渋々、伝票を自分の手元に引き寄せた美貴を当然だというように『さえみ』は見ている。

「じゃあ、本題にしようぜ。 一体アンタの妹について何が話したいって言うんだ。 言ってみな」

「そうですね。 どうやってお話すればよいのかわからないのですが、藤本さん、あなたはご存知でしょうか。
さゆみが変態1号と呼ばれているってことを」