『~クルーズド・ボンド~』


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「あー、マジ退屈すぎて死にそうっちゃけど。まだ挨拶終わらんと?」
「こら、そんな顔しない。これも仕事の内なんだから」

不機嫌な顔を隠そうとしない田中れいなを静かにそう窘めた新垣里沙ではあったが、思わずボヤきたくなる気持ちはよく分かった。

むしろ、「こんなんが仕事とかありえんし」という、顔いっぱいに書かれたさらなる不平を、そこでとどめて言葉にしなかったことを褒めてさえやりたい。
れいなも「オトナ」になったものだと、ある種の感慨さえ覚える。

《ユーエフ・ヤマザキ コーポレーション》の社長の孫娘の誕生日パーティー―――

それに参加することを「仕事」だと言われてもピンと来ないのは、里沙にしたって同じだった。
例えば警護としてならともかく、招待客としてただ参加しろなどというのは、本来「仕事」でもなんでもなく、要は「オトナの事情」でしかない。
それもまた日常の「仕事」を円滑に行なうために必要なことだというのはもちろん分かってはいるが、馬鹿馬鹿しいという気持ちは禁じえない。

「あの子もいい迷惑やろうに、よくずっと笑顔でおれるっちゃんね。それ思ったらこんくらいガマンせんといけんけど…」

人垣の隙間から辛うじて覗いている、パーティーの「主役」の少女に、れいなは同情とも尊敬ともつかない視線を向ける。

今日で12歳になったらしい遥という少女は、絶えることなく続く「祝辞」を笑顔で聞いている。
「祝辞」とはいえ、その内容はどう考えても少女に向けられたものではない。
何よりこの集まり自体、彼女の誕生日パーティーの名を借りたそれこそ「オトナの事情」に他ならない。
そのことを間違いなく感じながらも愛らしい笑顔を絶やさないその姿は、確かに里沙たち組織に属する「オトナ」としても見習うべきものがあった。

「それにしても、船上パーティーなんてやるモノ好きがほんとにおるんやね」

れいななりに気遣っているのだろう囁くようなその声に、思わず苦笑する。

政財界を初め、各界から数多くの有力者・有名人が招待されているこのパーティーは、クルーズ客船《くりすたる ばれっと》を借り切って行なわれている。
趣向を凝らしたものにしたいということなのだろうが、何もわざわざ船の上で…と思っている招待客は、きっと他にもたくさんいるだろう。
正直なところ、里沙自身も同じような思いを抱いていた。

「多分、れいなみたいな人が途中で帰れないようにするためじゃない?」

だが、さすがに声を大にして賛同するわけにもいかず、代わりに含み笑いとともにそう返す。

船が出港してからもうすぐ2時間。
メインダイニングの窓から見渡せる景色は、本格的に夜の帳に覆われ始めている。
もう空と海の切れ目も黒く塗りつぶされているが、そうでなくとも陸地はその境界の向こう側になって久しかった。

やり込められた形になったれいなが、コノヤローとばかりに笑いながら小さく拳を振り上げかけたとき、周囲で拍手が起きる。
ようやく「祝辞」が終わったところらしかった。

『続きまして―――』

やっと退屈な時間がひとまず終わったとばかりにおざなりな拍手をしていたれいなの顔が、続いて発された流暢な司会の言葉に引きつる。

「まだあると……?」

うんざりという声が今にも聞こえてきそうなそのれいなの表情にはもちろんお構いなく、2人目の「祝辞」が始まった。

受付でもらった会次第には当然載っていたため里沙は知っていたが、頭から乗り気でなかったれいながそんなものをわざわざ見ているはずがない。
チラッとでも見ていれば少しはダメージも軽かったのにと可笑しく思いながらも、こういう場が何より苦手なれいなへの同情の気持ちもあった。

「……ん?」

そのとき、れいなが小さく首を傾げ、手にした豹柄のクロッチバッグから携帯電話を取り出す。

「…さゆから電話が入っとー。この前の案件のことかいな」

独り言のようにそう呟くと、「ガキさん、ごめん。ちょっと出てくる」と里沙に向けて小さく手刀を切った。
「目立たないようにね。あと、終わったらすぐ戻ってきなさいよ」と釘を刺す里沙に、「わかっとーって」と軽く返すと、れいなはすっと姿勢を低くする。
そしてその言葉通り、猫のように素早く静かに、後方にある扉から滑り出て行った。

その俊敏にして軽快な後ろ姿を、賞賛と苦笑の入り混じった表情で見送ってからしばらくして……里沙はふとあることに思い至った。

「……携帯……通じんの?」

思わず口中で呟きを漏らした後、一応自分の携帯電話を取り出す。
確かめてみるまでもなく、そこには「圏外」の文字が点灯していた。

陸地さえ見えなくなった今、普通に考えて携帯電話の電波が届いているはずがないのは自明だった。
船自体にはもちろん衛星通信装置が搭載されているとのことだったが、個々の携帯が通じる道理のないことにあの場で気付けなかったのが悔しい。

「やりやがったなあのヤロ……」

れいなが出て行った扉に向かって罵りの言葉を呟きながらも、思わず笑みがこぼれる。
まんまと騙されたこと自体は業腹だが、正直すぎるほどに感情を表に出しやすいれいなが、一時的にとはいえ自分を騙せるくらい「成長」していることが嬉しくもあった。

 ―さすがにパーティー全部をサボるようなことはないだろうし、このくらいは気付かなかった振りをしておいてやるか……

我ながら甘くなったものだと苦笑混じりのため息を吐くと、里沙は視線を前方へと戻した。

2人目の「祝辞」も、ようやく終盤に差し掛かっている様子が見受けられる。
ただ、1人目もそう思ってからが長かったので、ここからまだしばらく阿諛の中に巧みに自慢を取り入れたこの挨拶は長々と続くのかもしれない。
これが終わればようやく乾杯だが、そこでもまたどこかの偉いさんが、長々と似たような挨拶をするのだろう。
れいながこの場にいれば、さぞかし凶悪な表情が見られたに違いない。

 ―でも、今はまだともかく、将来的にはれいなもこういうことに耐えられるようになってもらわないとな……

「仕事」の面では完全に信頼のおけるチームメイトではあるが、それを離れたところではまだまだ「後輩」という面が色濃いのは、今回の件でも明らかだ。
今はまだその予定は全くないが、リーダーである高橋愛やその同期である自分が抜ければ、れいなとてチーム内で上から数えた方が早い「先輩」になる。
そうなれば、「こういうこと」も格段に増えるし、いちいちそれに辟易していては身が持たない。

―そんなことを漠然と考えながら聞き流すうち、ようやく挨拶は終わりを迎え、再び盛大な拍手が会場を包んだ。

『それでは―――』

まばらに残っていた拍手が途切れるのに合わせ、司会者がプログラムを進めるべくそう発した瞬間だった。

外からの爆発音――― 僅かに遅れて伝わる微かな振動―――

その突然の出来事の意味を考える間もなく、会場の後方に位置する扉――先ほどれいなが出て行った扉――が勢いよく開いた。
会場の全視線の注目を受けたそこから、場違いな扮装をした数人の集団が流れ込んでくる。
その手に黒光りするライフルを認めたためか、あるいは反射的なものか、会場から悲鳴に似た声がいくつも上がった。

それを断ち切るように、招かれざる客の一人がライフルを天井に向ける。
炸裂音とともに、この船の売りの一つでもあるシャンデリア風の照明の一つが砕け、床に降り注いだ。

「騒ぐな!」

新たに――今度は明確な恐怖の感情とともにあがった悲鳴を、鋭い怒声が遮る。

「動いたり騒いだりする者がいれば、その場で撃ち殺す。死にたくなければおとなしくしていることだ」

恐慌状態から一転、しんと静まった会場に、覆面越しの静かで冷たい声が響く。
退屈な空気に満ちていた場は、今やこれ以上ないほどの緊張感で張りつめていた。

「…こちらA班。メインダイニングの制圧完了」

脅嚇の言葉が全員に浸透するのを確認するかのようにしばらく間を置いた後、覆面の男は口元のインカムに向かって短くそう報告する。
イヤホン越しに返ってきたらしい声に小さく頷くような仕草をした後、男は再び会場を見渡した。

「同志たちがブリッジを制圧した。神の御名において、これよりこの船は我ら《キュア=バード》の支配下に置かれる」

男の言葉に、会場が息を呑む。
それは、里沙にとっても愕然とする一言だった。

――《キュア=バード》

新興宗教団体として十数年前に生まれたというその小さな教団は、ほんの数か月前に一躍有名になった。

連休中の混雑時を狙った、都市部の大型百貨店爆破事件。
軍用プラスチック爆薬C-4を用いたその爆破テロは、死傷者50名を越す大惨事となった。
そして、宗教団体《キュア=バード》の信者を名乗る者が、即日「犯行声明」にてその主張を表明する。
とはいえ、彼らはその爆破を「犯行」とは自認していない。
あくまでも、穢れたこの世の中を怠惰に生きる愚かな者たちへの鉄槌と、そして警鐘である…といった類のことが長々と綴られていた声明文は里沙も見ている。
極端な終末思想を掲げるその教義は、各種マスコミにも取り上げられ、次なるテロ行為への不安を大きく煽った。

幸いにして、先の爆破テロにおける実行犯4名はすぐに逮捕され、教団本部にも徹底的な捜査の手が伸びた。
だが、教団側の主張は、内部の過激派が勝手に行なったことであり、教団としてそのような指示・教唆をしたことは断じてないというものだった。
実行犯4名の供述もそれと何ら矛盾するところはなく、結局、捜査側は《キュア=バード》とは直接無関係の爆破事件として処理せざるをえなかった。

しかし今―――再びその本性を露わにした「神徒」によって、また多くの命が危険に晒されている。
前回の無差別テロとはまた全く色合いの違う、今回の「シージャック」の目的が奈辺にあるのかは現状分からない。
だが、おそらくはこの船に乗る要人・著名人を質としての、政府との何らかの交渉であろうことは想像がつく。
船内の乗客と乗組員全員の拘束が完了すれば、それは早速始まることになるだろう。
今すぐ死傷者が出るということはなさそうだが、風向きによっては前回以上の惨事となる可能性も十分にある。

覆面の男たちに指示される通り、両手を挙げて部屋の奥の窓際へと移動しながら、里沙は唇を噛んでいた。

人間社会に甚だしく悪影響を及ぼす存在やその芽を取り除くこと――それが自分たち「リゾナンター」の役目だ。
日々、その目的のために体を張ってはいるが、それでもこうして罪のない命が危機に瀕する事件は後を絶たない。
もちろん、自分たちがすべての人間の命を守れるなどとは思っていない。
それが現実的に不可能なことは分かりきっているし、何よりそこまでの“正義”を掲げるのは傲慢とさえ言えるかもしれない。

だがそれでも―――それでも、できるだけ多くの命を守りたい。
自分の力の及ぶ限りの範囲で…などと達観したようなことを言わず、それ以上の命を。
それは里沙の願いでもあり、信念でもあった。

他の招待客や乗組員たちと重なり合うように窓際に並んで座らせられたまま、改めて覆面の男たちを観察する。

先ほどから言葉を発しているのがこの場のリーダー格であることは間違いない。
このメインダイニングには、そのリーダー格を含めて6人が踏み込んできていた。
だが、「人質」の移動が終了するのと前後して、そのうち3人のみがこの場にとどまり、残りは再び扉から外へと出て行った。

その事実から判断するに、彼らの数はそこまで多くはないのかもしれない……と里沙は思う。
先ほどの男たちのやりとりからして、ブリッジを占拠した班も別にある。
同時に、当然デッキや船内を回っている班もあるだろう。

効率を考えれば、船内を見回る班の人数は多い方がいい。
手が空けば、そちらの班へ人員を割くのは当然と言える。
だが、百人からいる人質に目を光らせようと思えば、3人という人数は決して十分とは言えない。
ライフルで武装している以上そうそう抵抗される恐れはなく、また外部との通信手段もないと安心しているとはいえ、十分に手があればわざわざ人員を割くことはしないだろう。

「多くて20人……少なければ10人ちょい……ってとこか」

当然ながら、その全員が武装しているとみていいだろう。
とはいえ、その程度であれば、本来「リゾナンター」の総員をもってすれば制圧はおそらくさほどの困難ではない。
ただ、無論それは相手の正確な情報と事前の連携があれば……の話であって、現状ではほぼ不可能だろう。
何より―――

里沙とれいな―――応援を期待するべくもないこの海上において、「リゾナンター」はそのたった2人しかいない。
2人でもなんとかならないことはないだろうが、あまりに状況が悪すぎる。

唯一の救いは、奇跡的にれいなが会場の外に出ていたことだ。
怪我の功名とは正にこのことだと、また種類の違う苦笑が浮かぶ。
当然ながら、れいなも船内に起きた異変は察知しているだろう。
同時に、船内に残った乗客と乗組員の「捕獲」が為されるであろうことも予測し、ひとまず身を潜めているに違いない―――

 ― ………だろうか?

そこまで考えたところで、疑問が過ぎる。
この状況下で、れいなが大人しく隠れて時機を待ったりするだろうか?

少なくとも「仕事」においては、感情に任せた無鉄砲な行動をするれいなではないが、決して我慢強い方ではないのもまた確かだ。
隠れてやり過ごすのではなく、早期の決着を図るべく、その場で「反撃」の狼煙を上げる可能性も高い。
というより、れいななら絶対にそうするだろう。

里沙がそう半ば確信するのと同時に、リーダー格の男が微かな動きを見せた。

「……連絡が?……とりあえず作業を続行しろ。同志の件は後でいい。これ以上は割けない」

無線のインカムに向けて低く話すその内容から、里沙は自分の予想が当たったことを知った。

おそらくは、船内の探索にあたっていた一人をれいなが逆に叩き伏せ、拘束したのだろう。
今頃は少々乱暴な「尋問」が行われているところかもしれない。

 ―これが吉と出るか凶と出るか……

現時点では、「反撃」が行なわれていることにはまだ誰も思い至っていないだろう。
れいなはその間に、ゲリラ的な手法で一人ずつ倒していくつもりに違いない。

 ―身体増強(エンハンス)―

自身の身体能力及び神経系を著しく増進させ、強化することができるれいなのチカラをもってすれば、それ自体は容易い。
問題は、相手が本格的に異変を察知し、かつ何が起こっているのかを把握された時点で、その作戦の続行は事実上不可能になるだろうということだ。
人質を盾に投降を呼び掛けられれば、それに応えないわけにはいかないのだから。

だが、どちらにしろ事態を長引かせて相手に態勢を整わせることは、得策ではない。
完全に船を制圧し終えた後には、それを維持する計画が当然練られているはずであり、そうなればより「反撃」は困難となるに違いない。
最良のタイミングかどうかは何とも言えないが、れいならしい英断だと評価するべきだろう。
あとは、如何に速攻をかけられるか……そして、このメインダイニングの支配権を、どのように奪還するかに掛かっている―――

「ねえ」

様々な思考に沈んでいた里沙の耳元で、不意に小さな声が聞こえた。

「連れの人さ、何者?っていうか、お姉さんたち何者?」

思わず動かした視線は一瞬その声の主の顔を捉え損ね、その後僅かに下に傾けられることでようやく目と目が合う。
それまで全く気付かなかったが、里沙の隣にいたのは、先ほどまで行なわれていたパーティーの「主役」であるところの少女だった。

「な…何者って言われても…。遥ちゃんのお祖父様の知り合いの知り合いというか……」

見かけによらずハスキーな声と思いがけないタメ口にやや戸惑いながら、反射的に無難な答えを返す。
遥の質問について疑問を持ったのは、その直後だった。

「連れって……どうして私に連れがいることを?それに…どういう意味?」
「さっきお姉さん、あいつらの人数のこと言ってたよね?当たってるよ。全部で12人。でも今は……あ、9人になった」

里沙の質問には直接答えず、視線を虚空に彷徨わせた遥は口元に微かな笑みを浮かべる。

「マジで強すぎ。弟子入りしたい」
「どういうこと?もしかして……“視”えてるの?れいなのこと」
「へー…れいなって名前なんだ。“視”えてるよ。れいなのアネキだけじゃなくて、この船の中くらいなら全部“視”える」
「な…!まさか……“千里眼(クレヤボヤンス)”―――!?」

“感知する者(センサー)”として分類(カテゴライズ)されている能力者のうちに、遠く離れた場所の視覚情報を得ることのできる者がいる。
その感知範囲や、視覚以外の五感情報の有無などには個人差があるものの、それらは総称して“千里眼(クレヤボヤンス)”と呼ばれている。
この遥という少女が、その能力者であることは、どうやら間違いなさそうだった。

「言っとくけど他の人にはナイショね。…で?お姉さんたちは何者?」
「……一言でいえば、ああいうやつらを捕まえるプロ。…詳しい説明は必ず後でするから、お願い…協力してほしい」

願ってもない“協力者”の登場に、里沙は囁くようにしながら頭を下げる。
それに対し、遥は当然だというように頷きを返した。

「そう思って声掛けたんだって。何か頼りになりそうって思ったあたしの目に狂いはなかったな」
「…期待に沿えるよう全力を尽くすよ」

本当に12歳になったばかりかと疑うくらいに落ち着いた口ぶりの遥に、里沙は半分呆れながらも頷きを返した。

「あいつらの残りは?ここ以外ではどことどこに配置されてる?」
「今は…運転室?に2人、一番上の見張り台?みたいなとこに1人。前の外のところに1人。それから、船の中をウロウロ動き回ってるのが2人。5階と6階。で、動けなくなったのが3人」

操舵室制圧班2、見張り班2、探索班2、制圧済み3、そして目の前に3―――計12名。

遥のくれた情報を、即座に頭の中で整理する。

「れいなは?」
「れいなのアネキは……5階。止まってる。あ、待ち伏せ中だ。……もうすぐ……もうすぐ……来た…!………これで残り8人。アネキは6階に向かった」

どうやられいなは、的確にそして効率的に相手を制圧しながら動いているらしい。
最初の一人の「尋問」に成功したのかもしれない。

「……どういうことだ?何が起こっている?……分からないなどという報告は報告とは言わん」

そのとき、苛立たしげな声が聞こえ、里沙は視線を動かした。
リーダー格の男が、無意識に大きくなっているのだろう尖った声をインカムへと向けている。

そろそろさすがに感づかれかけている。
彼らにとって何か「不測の事態」が起こっているということに。
だが、まだその事態が具体的に何であるかまでには至っていない。
まだ間に合う、まだ続行は可能だ。

「……!見つかった……!」

遥のその囁きと同時に、男がまたインカムに向けて口を開いた。

「女…?招待客か?……そうか、分かった。とりあえずここへ連れてきておけ」

遥の方に顔を向けると、心底悔しそうな顔をしている。

「今のはちょっとタイミングが悪かった。アネキは悪くない」
「……そっか。で、どんな感じ?」
「おとなしく両手挙げて近づいてってる。怯える演技付き」

それはレアな映像だと、場違いな感想が浮かぶ。
だが、もちろんのこと、自分もちょっと見てみたかったなどと呑気なことを考えている場合ではない。
れいながここでおとなしく捕まるつもりのはずはなく、すなわちここからが決着までの本当のカウントダウンとなるだろう。

里沙がその覚悟を秘めた拳を握ったのと、遥が小さくガッツポーズを作ったのはほぼ同時だった。

「―――!?おい!どうした?おい!……クソッ!どういうことだ!一体何が起こっている……!」

里沙の傍らで「今の蹴り、マジ最高。惚れる」というハスキーな呟きが漏れる中、リーダー格の男の声が張り詰める。

「B班!何者かが抵抗している!そちらへ向かう者があったらその場で撃ち殺―――」
「ちょっと遅かったね、オッサン」

リーダーの混乱を反映して揺らめき始めた空間の中、遥の勝ち誇った笑みが浮かぶ。

「どうなった?」
「運転室の2人、秒殺。無線に気を取られて銃構える暇もなし」
「デッキの2人は?」
「デッキ?あ、外ね。えっと……動いてない」

これで、12人中7人が行動不能となり、ブリッジは解放された。
見張りらしき2人は、指示がない限りは動かないだろう。
つまり、あとはここの状況さえ何とかなれば―――

だが、先ほどから何度か機会を窺ってはいたものの、その打破は現状不可能だと言わざるを得ない。

部屋の奥に固められた人質の数歩前にはリーダーの男ともう1人が立ち、最後の1人は出入り口扉の手前に立っている。
能力を全開にしたれいなには到底敵わないが、里沙とて目の前の男の1人や2人秒殺――数秒殺くらいなら、できる自信はある。

しかしそれは、確実にこの場にいる「人質」に危険を及ぼす。
扉の前に立つ1人が特にネックだった。

「…そこにいるのか?……3秒以内に返答がなければ、ここにいる人質を1人殺す。3―――」

手を拱くしかない里沙の前で、リーダー格の男がインカムに向かって低い声で呼びかけを行なう。

「……女……本当に女か。…他に何人仲間がいる。…嘘を吐くな!どうやって女1人で我が同志を何人も倒せると―――」

激昂しかけた男が、不意に押し黙る。

「……そういうことか。招待客名簿は詳細にチェックしたはずだが……迂闊だった。……ともかくご活躍もそこまでだ。インカムをつけてこちらまで戻ってきてもらおうか」

自身の正体を明かしたらしいれいなに対し、男は忌々しげな舌打ちの後、そう命令した。

「拒否はもちろん、誰かの命と引き換えになる。来るのが遅れれば遅れるほど、その数は増えるだろう。最初の1人まで……あと1分」

男のその言葉に、室内の空気が再び凍りつく。
思わず悲鳴を抑え込むかのように、近くに立つ男がその手のライフルの銃口をぐるりと見せつけた。

「待て?こちらはいくらでも待つさ。ただし1分につき1人の命をいただく。それだけだ」

言いながら、リーダー格の男は扉の前に立つ仲間に合図を送る。
頷きを返し、扉の前の男はライフルを持ち上げ、扉に向けて真っ直ぐ構えた。

「…そうか。いくらでも迷ってくれていい。何しろ“時間”はたっぷりある。100分以上な」

覆面の奥から覗く冷たい目を壁際に座る「人質」たちにめぐらせ、男は嘲笑うように言う。
れいなの立場上、人質を見殺しにすることはできないと知った上で、わざと言っているのだろう。
扉に向けて銃を構えさせたところから判断するに、れいながそれを開けた瞬間―――もしくは開ける直前に射殺するつもりでいることもまた間違いない。

「あと40秒。さあ、どのあたりまで来た?なんだ、まだそんなところか。急がないと1人目に間に合わなくなるかもしれないぞ?」
「…もうあとちょっと。……着いた」

耳元のハスキーな囁き声に、じわりと汗が滲むのを感じた。

男には場所を偽って伝えているが、れいなは既に扉の前に到着した。
残り時間30秒強――その中で、勝負を決めるためのタイミングを、れいなは窺っているはずだ。
言い換えれば、中にいる里沙が作ってくれるはずの、突入の機会を。

扉の外にいるれいなには、中の様子は当然見えない。
だが、本来こちらからも掴めないはずのれいなの位置は、遥のおかげで正確に掴めている。
その結果得ている、敵はれいなの到着を知らず、こちらは知っているという圧倒的なアドバンテージ。
何とかして合図を伝え、同時に行動を起こさないといけないが―――

そのとき―――里沙の視界に、ある人物の顔が飛び込んできた。

「25秒前。いよいよ後がなくなって―――」


「れいなぁ!!ドア思いっきり蹴れえぇぇッッ!!!」

唐突に響き渡ったハウリングを伴う大音響に、一瞬、室内の時間が止まった。

突然マイクで絶叫した司会者の方へと反射的に視線を泳がせた隙を見逃さず、里沙は手前の覆面男の下へと走る。
その視界の端に、扉ごと吹き飛ばされる1人の姿が映った。

それとほぼ時を同じくして、慌てたようにライフルを向けようとしたところで動きを止めた男の鳩尾あたりに、突進力と全体重を乗せた肘を叩きこむ。
後方に弾け飛んだ男の手の中にあったライフルは、吸い込まれるようにして里沙の手の中に収まっていた。

「武器を捨てて降伏しなさい」

手にしたライフルを残ったリーダー格の男に突き付け、里沙は静かに勧告した。
その背後では、同じくライフルを拾い上げたれいなが、それをピタリと男の背中に突き付けている。

「なるほど……まだいたのか。つくづく見離されたもんだ。少しは我が神を信仰しておくべきだったか」

皮肉な口調でそう言うと、手にしたライフルを放り投げる。

「残った仲間にも降伏を呼び掛け―――」
「ハハハハハ!!」

里沙がそう続けようとした瞬間、男の哄笑がそれを遮った。

「確かに今回の計画は失敗だ。だがまだ終わりじゃない…!この船には既に爆弾が仕掛けてある。百貨店のときの4,5倍分の威力のな。これがその起爆スイッチだ」

いつの間にかその手に握られた小さな器具にのボタンにはしっかりと親指がかかっており、一旦は安堵の空気に包まれかけた室内が再び緊張に支配される。

「撃ってみるか?反射的に押してしまってもいいならな。ハハ!それもおもしろい!一体どれくらいが生き残れるだろうなぁ!」

男の声には、ややタガが外れたような調子が混じり始めていた。

「押してほしくなかったらそのライフルで仲間を撃てよ!逆でもいい。どっちかが撃てばそれで許してやるよ!ほら!やれよ!大勢の命と一人の命のどっちが大事なんだよ!押すぞ?」

スイッチを突き出すようにしながら、男が喚く。
静まり返った室内は、固唾を呑んでそのやり取りの行方を見守っている。

一瞬の静寂の後―――小さく溜息を吐くと、里沙は手にしたライフルを足元に置いた。
ほぼ同時に、れいなも同じくライフルを床に下ろす。

「はっ!それが答えか!?やっぱり大勢の命より目の前の自分らの命か!だよなぁ!人間ってのはそういうもんだ!じゃあお望み通り押してやるよ―――――!!!」


――――――――――――――
―――――――
―――?


上がりかけた恐怖の悲鳴と喧騒は、脱力と疑問のそれに変わる。
思わず頭を抱えた者も、目を瞑った者も、隣の人と抱き合った者も、恐々と周囲を見回し、先ほどまでと何ら変わりない景色に呆然とした表情を晒していた。

短くも長い沈黙の後、それ以上に呆然とした表情で文字通り固まったようになっている男のところに、里沙は静かに歩み寄る。
そして、その目を真っ直ぐ覗き込むようにしながら、はっきりと言った。

「私にとっては、大勢の命も一人の命も……どっちも大事。同じくらい大事。……それが答え」

言い終わると同時に、里沙はその手の中から起爆スイッチをそっと奪い取る。
男は、何一つ抵抗することなく為すがままにさせていた。

 ―精神操作(ブレイン・マニピュレーション)―

精神――脳に侵入し、相手をコントロールできる里沙の能力は、複数の相手への同時使用はできない。
そして、ある程度の距離内にいる相手にしかそのチカラは及ばない。

だが――逆に言えば、その条件さえクリアできれば、誰一人里沙の意思に逆らうことはできない。

「……さ、残った仲間に降伏を呼び掛けなさい」

固まったようになっていた男が、その言葉と同時に動きを取り戻す。
インカムに向けて話し始める男の肩越しに、ピースサインを作るれいなの笑顔が覗いている。


 ―愛や私がいなくなっても、れいなはあのままでいいのかもしれないな……


その無邪気な笑顔に手を振りながら、そんな思いが頭を過ぎる。

れいなはれいなを貫けば、それでいいのかもしれない―――と。


「どっちのアネキもマジパネェ!」


そんな里沙の背後から、「お姉さん→アネキ」への昇格を告げる雄叫びが聞こえてきた。








             ― 了 ―