『~クールド・ブラスト~』


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「亀井サン……やっぱり私が――」
「だからダメだって言ってんじゃん!本気で怒るよ?」

携帯電話の向こうから聞こえる亀井絵里の声は、その言葉の通り、さっきまでの柔らかいそれとは違う響きを持っていた。
戦闘訓練のときの厳しさとは、また違う種類の厳しさを含んだ声。

初めて耳にするその調子に背筋が伸びるような思いをしながらも、銭琳は絵里の言葉に盾突かずにはいられなかった。

「ですが……このままでは私のせいで亀井さんまで……!」

目の前で明滅するデジタル表示を眺めながら、銭琳は唇を噛む。

今頃“チキン・ボマー”は高笑いをしていることだろう。
自身の身柄拘束と引き換えに得た、「最後の快楽」に存分に酔いながら。


「まあこの際わたしのことはいいからさ、とにかく今の最善の手段を考えようよ。もうちょっと時間はあるんだし」

元の穏やかな調子に戻った絵里のその言葉に、銭琳は逆にそれ以上の反論を封じ込まれる。
自分が今どんな気持ちでいるか、絵里は誰よりもよく分かってくれているだろう。
その上で掛けてくれている言葉に逆らって生まれるものは、絵里へのさらなる迷惑と一層の惨めさだけだ。

だが―――

内心では思わずにいられなかった。
自分が犠牲となる以上に「最善」の手段があるのだろうか?
それこそが、最も被害を最小限に食い止められる唯一の方法なのでは……と―――


     *     *     *

連続爆弾犯――“チキン・ボマー”を確保できたのは偶然だった。

絵里とともに別件で訪れていた総合病院のロビー。
そこで要件を済ませる絵里を待つ間に、銭琳は不審な人物を見かけた。

何を以って不審だと感じたのかは自分でも分からない。
月並みな言い方をするなら「第六感」とでも言うべき感覚。
より現実的に考えるなら、無意識下にあった“チキン・ボマー”関連資料の一部が、視覚情報と重なり合ったということなのかもしれない。


――“チキン・ボマー”


爆破後、もしくは爆破の直前に必ず出される犯行声明の中で、連続爆弾犯本人が名乗る名前。
特段の思想や要求があるわけではない、いわゆる「愉快犯」であることは、その犯行声明の内容を初め、様々な要素からも明らかだった。

“臆病な爆弾魔”という自虐的な名とは裏腹の、不敵で大胆な犯行の手口。
犠牲者が常に1人からせいぜい数人程度になるように計算された火薬量。
ただ単に爆弾を爆発させることではなく、そこに至る過程を楽しんでいると思しき、毎回異なる仕掛け―――

捜査陣を嘲笑うかのようにそんな犯行を繰り返す“チキン・ボマー”は、その正体どころか性別さえも判然としていなかった。


だから、今回「彼女」を確保できたのは、偶然というよりも、もう奇跡と言っていいかもしれない。
銭琳にしたところで、不審な人物が“チキン・ボマー”であると思ったわけではない。
それどころか、何らかの犯罪に関わっているという確信があったわけですらなかった。
声を掛けた女が銭琳の見せた身分証明書に目を泳がせ、持ち物をチェックさせてほしいという要求に対して、逃走で応えるまでは。

「逃走」と言っても、正確に言えば実際に逃げ出せたわけではない。
持っていたキャリーケースを振り回し、それを銭琳が防御しようとした間に走り出そうとした女は、背を向けると同時に組み付かれ、引き倒された。

ひとまず女を拘束し、持っていたキャリーケースを素早く調べる。
大きさの割にはさしたる中身がないそこには、「犯行声明文」が入っていた。
間違いなくこれまで“チキン・ボマー”が出してきたものと同じ形態・書式の――そして“まだ為されていない爆破”に関する声明文が。

まさかと問い詰めた銭琳に対し、女は薄笑いを浮かべて答えた。
「この病院の地下に爆弾を仕掛けた。数分後には時限装置が作動し、この病院は崩れ落ちるだろう」と――――


あのときは完全に冷静さを欠いていたと、今なら分かる。
だが、それはもちろん何の言い訳にもならない。
まだ見習いに毛が生えた程度の新人であるということもまた同様に。

完全に自分のミスだと、改めて銭琳は拳を握りしめる。
“チキン・ボマー”を確保したのがもしも絵里であれば、その言葉の裏にあるものにすぐに気付いていただろう。
いや、そうでなくとも、行動に移る前に絵里に連絡をとることを失念しさえしなければ、思い至れたはずだった。

過去の類例から見て、“チキン・ボマー”がそのような甚大な被害の出るような爆破をするはずはないということに。
その言葉に釣られ、慌てて爆弾のある場所へと向かってしまうことこそ、“チキン・ボマー”の意図した罠であるということに―――


“チキン・ボマー”が今回仕掛けたのは、いつも通りに小型の――そしていつも以上に底意地の悪い爆弾だった。

爆弾を設置したという地下の一室―霊安室―には、確かにその言葉通り、無機質ながらもどこか禍々しさを放つ小さな箱が置かれていた。
それを目にした瞬間にもまた、気付くべきだったのだろう。
爆発へと向けてカウントダウンしているのとはまた違う、別種の邪悪さを発していたということに。

メタリックな筺体の上部に赤いランプが点灯するのを認めたのは、そちらへと数歩を進めたときだった。

 ――光電センサ……!?

一瞬身構えた銭琳の瞳に、更に多数の光が映る。
点灯した鮮やかなLEDの電光掲示板に浮かび上がった数字は、次の瞬間から規則正しくその数を減らし始めた。

携帯電話が鳴ったのは、銭琳がその意味するところを把握した瞬間だった。

「亀井サン!爆弾です!時限式の!表示されている残り時間は―――」

相手の言葉を待たずに捲し立てていた銭琳の耳に、受話口越しに微かな“チキン・ボマー”の声が飛び込んでくる。

 ―もう2分もないわよ?さあ、どうする?仲間を見捨てる?それとも自分が犠牲になる?どっちかしら?アハハハハハハ!!

絵里に向かって言ったらしきその声の通り、目の前の発光ダイオードの群れが示す数字は、1分と50秒を切ったところだった。
なんとか解除を試みると言いかけた銭琳の声に重なるように、珍しく切迫した絵里の声が鼓膜を震わせた。

「リンリン!絶対に動かないで!爆弾に触ったらダメ!その部屋を出てもダメ!」
「……!?どういうことですか?だって時間が―――」
「理由は今から説明する!とにかく一歩も動かないで!」

日頃にはありえないその有無を言わせぬ口調に、思わず「分かりました」と返す。
携帯電話の向こうから聞こえる絵里の声は、そのときには明らかに移動しながらのものとなっていた。
どこに向かっているところなのか気にはなったが、おそらくそれもこれから為される説明と関連しているのだろう。

全力疾走を思わせる物音や息遣いとともに、絵里は“チキン・ボマー”が今回仕掛けたらしい爆弾の説明を手短に話した。

爆弾は、光電センサ内に誰かが立ち入ることで、時限装置が起動する。
起動後、センサ感知範囲から対象物が外れれば、残り時間に関係なくその場で起爆。
爆弾の入った筐体に触れれば、別の接触センサが感知して同じくその場で起爆。
当然ながら、時限装置の数字が0までカウントされれば―――起爆。

「爆発をひとまず止める方法は…ただ一つ」

<時限装置の数字が0になる前に、病院地下の別の箇所にもう一つ仕掛けられている同様の爆弾のセンサ内に、誰かが入ること>

絵里のその言葉と、そのバックに聞こえたどこかのドアを開け放つ音に、銭琳は愕然とした。

「亀井サン…!まさか……!?」
「よし、なんとかセーフ…だね、とりあえず。延長戦突入…ってとこかな」

微かに息を弾ませながらそう言う絵里の言葉通り、爆発まで1分を切っていた――残り2ケタになっていた――デジタル表示は、3ケタに増えていた。
とはいえ―――

「残り10分弱……か。今から応援呼んでも間に合わないね。さて、どうしようかな」

呼吸を整えた絵里の声には、先ほどまでの切迫した調子はなかった。

だが、現実はあまりにも切迫していると言わざるを得ない。
絵里が口にした「残り10分弱」という数字は、銭琳の目の前の電光板の数字と重なっていた。
すなわち―――

「そちらにも、爆弾があるんですね?」

聞くまでもない銭琳のその問いに、絵里は「うん、ある」というあっさりとした肯定を返す。

場所は、銭琳のいる霊安室とはちょうど対角あたりにある一室――というよりも、使われていない倉庫であるらしかった。
爆弾の外観は全く同じであり、センサ云々についても完全に同じ。
要するに、銭琳と絵里は少し離れた場所で、まったく同じ状況下に置かれたということになる。

だが、事態はそこには止まらない。

「あの爆弾ヤロー……じゃなかった、あの爆弾女、想像以上に捻じくれてるよ。性格最悪すぎ」

めずらしく悪態めいた台詞を吐き、絵里は“チキン・ボマー”が得々とまくしたてたという今回の爆弾の“仕掛け”を説明する。

双方の爆弾のセンサ内に誰かが立ち入り、共に時限装置が起動すると同時に、起爆の回路が切り替わる。
制限時間こそ延びたものの、時限装置の数字が0になれば起爆すること自体はもちろん変わらない。
そして、センサの感知範囲から対象物が外れたり、筐体に触れた時点で爆発するのも同じ。

ただし―――

「その場合は、自分ではなく相手の方がドカン!……なんだってさ」
「!!」

それは、既に絵里を巻き込んでしまうという自身の失態を悔やんでいた銭琳に、さらなる衝撃と激しい自責の念を与えた。


「……すみません、亀井サン。私の衝動的な行動のせいで…」

絞り出すような声で、そう謝罪するのが精一杯だった。
「教育係」として絵里に付いてもらい、色々な経験を積むこと数ヶ月。
ようやく自分も「リゾナンター」として様になってきた気がする…などと思っていた矢先に―――

「謝ることじゃないよ。“チキン・ボマー”の確保は表彰モノのお手柄なんだし。っていうかいつも組んでる人に比べたら、こんなの衝動的でも何でもないって」

そう優しくかけてくれる言葉が、逆に銭琳の心に突き刺さる。

絵里がしばしばパートナーを組む田中れいなは、確かに冷静沈着なタイプではない。
だが、だからといって感情や焦りに任せた行動を取るほど軽率でももちろんない。
組んでいたのがれいなであれば、このような事態に陥ることはまずなかっただろう。

「あと8分ちょいか……。わたしもれいなのこと言えないかも。この後どうするか何も考えてなかったんだもんね」

そう苦笑気味に言う絵里に、銭琳は意を決して問いを向けた。

「亀井サン……この爆弾は、片方が爆発すればもう片方は止まるのですか?」

過去の犯行を鑑みればまず間違いないだろうと思いながらも、銭琳は一応そう尋ねた。

“チキン・ボマー”の目的は、一度の大量爆殺ではない。
むしろ、無駄に大勢殺すことは自分の美学に反するといったようなこだわりさえ垣間見える。
そしてそれ以上に、結果ではなく経過に重きを置いていることもまた同様に。

恐らくは今回もそうだろう。
目の前の爆弾は、センサ内に立ち入った者のみを確実に爆殺する威力であろうし、そしてそれ自体は目的ではなくただの結果に違いない。

「彼女」の焦点は、死を目前にした人間がどのような行動を取るかということに尽きる。
そして恐らく、その行動を取るまでの葛藤や恐怖を想像することで快楽を得ているのだろう。
先ほどの「捻じくれている」という絵里の表現は、あまりにも的確だと言えた。


「その通りだけど……言っとくけどダメだからね」

銭琳の思考を先読みするかのように、絵里がそう釘を刺す。

「でも、他に方法が……」
「だからそれを考えるんだってば。リンリンが死んで済むんだったら、わたしは一体何のために全力疾走したの?って話だよ」

絵里らしい言い回しに、思わず頬が緩む。
それと同時に、この人だけは絶対に死なせてはいけないという思いが改めて心を満たす。

「亀井サン……やっぱり私が――」

だが、言いかけたその言葉は、途中で厳しく遮られる。

「だからダメだって言ってんじゃん!本気で怒るよ?」
「ですが……このままでは私のせいで亀井さんまで……!」

自分のミスのせいで自分が死ぬのは仕方がない。
だが、そのせいで絵里が命を落とすなんていうことは、到底受け入れられない。
いや、そんなことがあってはいけない。

「まあこの際わたしのことはいいからさ、とにかく今の最善の手段を考えようよ。もうちょっと時間はあるんだし」

穏やかな調子に戻った絵里の言葉に仕方なく頷きを返しながらも、銭琳は唇を噛んでいた。

目の前の爆弾を起爆させることができるのが、自分ではなく絵里であるということがもどかしい。
自分で起爆できるのであれば、迷わずその道を選ぶのに―――

そこまで考えたとき、銭琳はふとあることに気付いた。


目の前の爆弾を起爆させる方法は3つある。

1つめは、絵里がセンサの外に出ること。
2つめは、絵里が筐体に触れること。
3つめは、制限時間が経過しきること。

1つめと2つめは、自分自身ではどうしようもない。
絵里が自分の命惜しさに銭琳を犠牲にするなどということは、万に一つもあり得ない。
3つめは簡単だが、同時に絵里の方も爆発するわけで、もちろんそれでは意味がない。

ならば―――

「4つめの方法」を取ればいいのではないだろうか。


 ―発火(ファイア・スターター)―


銭琳が持つその能力――掌から強力な炎を発することのできるそのチカラを爆弾に向ければ……
簡単に自分の方だけを起爆することができるのではないだろうか……?

思わず握りしめた右手が熱を帯びる。
携帯電話を持つ左手にも、ジワリと汗が滲んだ。


「…ん?キャッチ……?」

そのとき、受話口の向こうで呟かれた絵里の声に銭琳は我に返った。

「ごめん、リンリン。すごく珍しい人からキャッチが入ったからちょっと出る。…絶対バカなこと考えちゃダメだよ」

再度の釘を刺す言葉の後、受話口の向こうは保留音に変わった。

絵里との繋がりが途切れたことで、先ほどまでは実感していなかった不安と恐怖が一気に襲ってくる。
だがそれと同時に、銭琳の中には「覚悟」がその形を為しつつあった。

絵里は死なせない。
絶対に死なせない。
たとえ自分の命に代えても―――絶対に。

この数ヶ月、絵里からは本当に色んなことを教わった。
「リゾナンター」としても、一人の人間としても大切なことを……本当にたくさん。

誰よりも優しく、思いやりがあって……でも、心に一本通った揺るぎない強さを持った人。
尊敬の対象であり、憧れの人でもあり、そして自分の目標でもあった。


「亀井サン……あなたと出会えてよかった。本当に。…ありがとうございました」


保留音が続く携帯電話に向けて、銭琳は笑顔とともにそう呟いた。

いつしか体の横に持ち上げられ、天井の方を向いた右の掌には、小さく炎が燻ぶっている。
その瞳は、無機質で冷たい色を放つ、メタリックな筐体へと向けられていた。

「最後の最後に、命令に逆らってすみません」

炎を纏った銭琳の掌が、水平に突き出される。


「再見――」


涼やかな別れの言葉が銭琳の唇を伝い落ちた刹那――――保留音が止まり、明るい声が耳朶を打った。


「リンリン!やったよ!なんとかなるかもしれない!っていうかなると思う!」

「……え?」

一瞬、言われた意味が分からなかった。

何とかなる……?
それは……どういう?


「とにかくそのままでいてね。ごめんけどいったん切るから。でも絶対にそのままだよ!」

説明を求める間もなく、絵里との繋がりは再び途絶えた。
受話口からは保留音さえ聞こえなくなり、銭琳はしばし呆気にとられて立ち尽くす。

耳に当てたままだった携帯電話をゆっくりと下ろしたところで、ようやく絵里の言葉が頭に沁み入ってきた。

「なんとかなると思う」――そう絵里は言っていた。
この状況で、一体どう「なんとかなる」のだろう。
片方の爆弾が爆発しない限り、もう片方の爆弾は止まらないというのに。

電話……そういえばあの電話相手は誰だったんだろう?
コールウェイティングで絵里が話した相手が、間違いなく「なんとかなる」に関連しているとようやく気付き、銭琳は首を傾げる。
「珍しい相手」だと絵里は言っていた。
その人物が、この状況を打破してくれるということなのだろうか。


あるいは―――


唐突にある可能性に思い当たり、銭琳の背筋が冷える。

そんな電話相手など最初からいなかったのだとしたら―――?

絵里が、銭琳との電話を切るためにそう嘘を吐いたのだとしたら。
そして、もしかしたら絵里も自分の側の爆弾だけを起爆させる方法を思いつき、実行しようとしているのだとしたら――――


「……あるわけないか」

苦笑とともに呟きが漏れる。

そう、あるわけがない。
絵里が銭琳のために自身を犠牲にするはずがないという意味ではもちろんない。
だけど、今このタイミングで、そしてそんなやり方で、絵里がその道を選ぶはずはない。

出会ってまだ半年程度の短い付き合いだが、それは自信を持って断言できた。
自分の目標でもある憧れの人は、後輩を騙して自己満足の死を選ぶような独り善がりの「正義」を掲げてはいない。
亀井絵里は、そんな安っぽい自己犠牲の精神の持ち主ではない。


「よっ。助けに来てやったぞ、お姫さ…ま…」


そのとき―――
唐突に背後の扉が開く音と、それに続けられた明るい声に、銭琳は驚いて振り返った。


「…って誰だよ」「誰…ですか?」


突然の「訪問者」と、銭琳の言葉が重なる。

一瞬その状況を掴みかねて固まった銭琳に対し、携帯電話を片手にしたその女性はすぐに体勢を立て直すと、その向こう側へと怒鳴った。

「亀井!テメー!騙してんじゃねーよ!…何がおんなじことじゃないですかえへへだ!覚えてろテメー!はぁ?胎教?妊婦に爆弾の処理させようとしといてどの口がそんなこと言ってんだ!」

ひとしきり怒鳴った後に携帯電話を下ろすと、少々言葉の乱暴なその女性は改めて銭琳へと視線を向けた。


「えーっと……はじめまして…だよね?」

その表情に浮かぶやや気まずげな笑顔は、先ほどまで口汚く絵里を罵っていた人と同一人物とは思えない。

「いえ……正確には、一度だけお会いしています。先ほどは大先輩に誰ですかなんて言ってしまって本当に申し訳ありません、藤本サン」

そのときには、ようやく不意打ちによる麻痺から回復していた銭琳の頭に、一度だけ見かけたことのある「先輩」の記憶が戻ってきていた。

藤本美貴――元「リゾナンター」で、現在は引退して家庭に入っていると聞いた。
銭琳が入る少し前に結婚し、現役を退いたという彼女のお腹には、どうやら新たな命が宿っているらしい。

「『大先輩』はやめてほしいんだけど。ほんのちょっと先輩なだけ……って、まあ話は後だな」

ようやく自分が何をしに来たかを思い出したらしい美貴は、再び携帯電話を耳に当てると爆弾の方へと歩み寄る。

「じゃ、やるぞ」

そして、短い一言とともに、右手を爆弾の上に翳した。
直後、何かが激しく軋むような音がしたかと思った瞬間―――メタリックな筺体が真っ白に染められる。


 ―凍結(フリージング)―


銭琳の能力と対極にあるかのような美貴のその強力なチカラは、邪悪なエネルギーを完全に氷の中に閉じ込めていた。

「よし、完了。えーっと……」
「あ、銭琳です」
「じゃ、リンちゃん。もう大丈夫だからとりあえず退避」
「え?あ、はい」

美貴に押されるまま、霊安室の扉を開け、廊下に出る。
凍りついた純白の爆弾は、そのことに対して何も反応を返さなかった。


「終わったぞ」

送話口に向かって再び短い言葉をかけた美貴は、そのままの姿勢でしばらく待っていた。

やがて返ってきたらしい声に「そっか、お疲れ」と安堵の表情で答える。
その後、思い出したように「つーか後で覚えとけよテメー」と悪態を吐くと、通話を切った。


「相変わらずいい根性してんな、アイツ……」

苦々しげな言葉とは反対に表情をほころばせる美貴に、銭琳は改めて頭を下げた。

「この度はありがとうございました。私のミスのせいで大先輩の手まで煩わせてしまって本当に申し訳ないと―――」
「だから大先輩はやめろっての。そんな大げさな挨拶もいらないから。ってか律儀だねリンちゃん。亀井の『教え子』とは思えないんだけど」

銭琳の言葉を途中で鷹揚に遮り、美貴はそう言って笑う。

「あの、さっき仰っていた『騙した』というのは?」

もう一度軽く頭だけ下げると、銭琳は気になっていたことを美貴に尋ねた。

「ああ、あれね……」

少し気まずそうに言い淀んだ後、美貴は自分が絵里に電話をかけるに至った経緯から話し始めた。


定期健診のため、この病院の産婦人科をたまたま訪れていた美貴が、ロビーの騒動に気付いたのはその帰り際のことだった。
聞き覚えのある声のする方へと向かった先で見たのは、思った通りかつて自分の「後輩」であった絵里の姿。
どこかへ向かって全力で走り出したその様子と、周囲の混乱は、明らかにただならない出来事が進行していることを物語っていた。

やり取りのすべてを聞きとることはできなかったが、どうやら爆弾が仕掛けられているらしいことは、傍らで拘束された女の喚くような声で理解できた。
……となれば、もしかすると自分の出番かもしれない。
そう考えた美貴は、ひとまず詳細な状況を知るため、爆弾を仕掛けた張本人であるらしき女の下へと向かった。

事情を知るのは容易だった。
いちいち聞かずとも、女は得意げに今回自分が仕掛けた「ゲーム」について語ってくれた。
必要なことを聞き終えた後、かなり久しぶりになる名前を携帯電話のディスプレイに表示させる。
そして、通話ボタンを押した―――


「『爆弾止めてやるからお前のいる場所を教えろ』ってあたしは言ったんだけどね。あいつはシレッと騙しやがったってわけ」

自分のいる場所…として、銭琳のいる霊安室への道順を、絵里は説明したらしい。
だから扉を開くそのときまで、美貴はそこにいるのが絵里だと疑っていなかったようだ。

「ま、あいつらしいっちゃあいつらしいか。普段は嘘つくの苦手なくせして、こういうことになると詐欺師顔負けなんだよ。忘れてた」

愛のこもったその表情や口調からは、美貴が絵里に対して抱いている感情が伝わってくる。
そしてそれと同時に、絵里の取った行動の意味が、今ようやくはっきりと理解できた。

制限時間到達前に爆弾を止めるには、センサの外に出るか、筐体に触れるしかない。
逆に言えば、ただそれだけのことで、自分の目の前でカウントダウンをしている爆弾は停止する。
当然、それは同時にもう片方の起爆スイッチを入れることになるわけで、だからこそ2人は動けずにいた。

だが、幸運にもたまたま美貴がいてくれたおかげで、そのどちらでもない方法により、片方の爆弾の活動を完全に停止させることができた。
それはいい。
問題はその後だ。

イレギュラーな方法によって片方の停止した場合、もう片方の爆弾はどうなるのか―――

それは完全に未知だった。
もしかしたら、そういった場合でも他方が爆発するような仕掛けになっていた可能性もないわけではない。
確かに、過去のケースからいっても、その可能性は非常に低かったと言える。
だが、決してゼロではない。

だからこそ―――絵里は、銭琳の方へと美貴を誘導したのだろう。

その行為自体は、先ほど銭琳が一瞬危惧したような「安っぽい自己犠牲の精神」による行動と似ているように思える。
だが、その中身はそれとは全く違っている。
絵里は自分なりに爆弾は爆発しないと判断し、それ故に美貴を「騙し」て、自分ではない方の爆弾を凍結してもらったのだろう。
その判断を下したのが自分だからこそ、それを当然のこととして―――


ゾクリとした。
なんてすごい人なんだろうという思いが、改めて背筋を貫く。

誰よりも優しく、思いやりがあって……でも、心に一本通った揺るぎない強さを持った人。
冷静でいながら、常に熱い思いをその中に宿した人。

尊敬の対象であり、憧れの人でもあり、そして―――

「リンちゃん、あいつの……亀井のことこれからもよろしく頼むな。ああ見えて結構抜けてるとこもあるから」

美貴のその言葉に、一瞬「とんでもない」と首を振りかけた銭琳だったが、それをやめ、代わりにしっかりと頷く。

「はい!私は亀井さんに一生ついていきます!」

そして、力一杯そう言い切った。

「いや、一生はあいつも迷惑じゃね?」
「それもそうですね。ハハ」


美貴と笑い合いながら、銭琳は自分の心の中でまた一つ大きくなった思いを噛みしめていた。


尊敬の対象であり、憧れの人でもあり、そして自分の一生の―――いや、永遠の目標。


いつかは自分も、あの人の――亀井絵里の背中をただ見ているだけではなく、肩を並べて歩みたい――――と。








             ― 了 ―