『XOXO -Hug and Kiss- (4-c)』


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真っ白なキャンバスにおびただしい程の朱が飛散し、鉄格子は檻の様相を完全に失っている。
正気を回復すると同時に飛び込んできた世界に、光の能力を暴発させたことを悟った。

時間の経過に比例して、景色の中の朱の浸食は進む。
朱の源泉は微動だにせず、ただ滾々と辺りを一色に染め続ける。

「対人は約1.4倍、対物はほぼ2倍、予想値を超えている。シミュレーション不足ね」

人間は血液の1/3が体外に放出されれば命を保持することが出来なくなる。

「拘束具を外せば外す程威力が増すとは予想していたけれど、実験体当時よりも素晴らしいデータだわ」

淡々と解析を続けるあさ美の左肩より下は、本来あるべき肌色の代わりに、だらだらと緋色の滝のみが流れる。
失血量は軽く見積もっても700ccは上回っているはずだ。

「でもこれ以上枷を取り払うことは出来ないから…どのレベルでどれ位の威力、思考力を兼ね備えるのか、そこがテーマね」

そう言うと、女は残っている左手を右肩から下にゆっくりと撫でるように流していく。
光は有機無機に関わらず全てを消し去る。切断でも破壊するのでもない、消滅。
あさ美の右腕は無くなった、はずだった。

あさ美の左腕が三度空間を撫ぜると、肩から溢れる血液が止まった。
もう二度腕をふる。
それまで朱が散らばった背景に肌色が挿し込みはじめ、それはあさ美の腕が上下する度に濃く、克明になっていく。
全ての動きが止んだ時、目の前の女は五体満足でそこにいた。

「…治癒能力か」

分かりきっていたことだった。
実験体当時世話になったこともあるのだから、その能力の凄まじきは身をもって認識していた。
さゆみとは完璧に異なるアプローチで生じるインパクト。
生のエネルギーを最大限にまで活性化させるのがさゆみの”治癒”能力であるならば、あさ美のそれは”復活”と言っていい。治す、のではなく、復す。

「私を殺すにはここを消すしかない。まぁ、まだ調べたいことはたくさんあるからそれまでは避けさせてもらうけど」

奴が指差す先、いや全てを今すぐにでも消し去ってやりたい。チャンスを与えるつもりも毛頭ない。
一発で、一瞬で仕留めるだけ。


けれど。
自らのコントロールが上手くきかなかった。それは能力だけの話ではない。
この高橋愛自体を動かすことに、形容しがたい違和感を感じていた。

あたしはこんなに感情コントロールがへたくそな人間だっただろうか。

確かに棄てられたすぐは、どうしようもない輩であったことは記憶している。
けれど、外の世界に触れるうち、仲間と共に過ごすうちに次第に安寧を保てるようになった。
精神感応による外部からの感情の侵入・調節も、今では無意識に扱っている。
何より戦闘では一瞬の気の弛みが命取りになる。冷静さを常に維持してきた実績も、自信もある。

だからこそ、あんな単純な挑発と想定外の事態だけで狂ってしまった事実に納得がいかなかった。
現実に理性をとばしたのだから、その未熟さを認めればいいだけかもしれない。
確かにはじめ闘技場で現れた時には、完全に自制心を失った。このことは自分で説明がつく。
しかし、今は自ら決断してここに来たのだ。怒りはあったものの、予想外と簡単な挑発だけで揺れるような精神状態では間違いなくなかった。

なのに。あんなに容易に。
幼少時の記憶。甦った、消し去った過去。


「次は何歳くらいがいいかしら。さっきので5歳だったから、7、いえ、8歳かしら」
「なん、さい…」
「ええ、リクエストでもある?」
「どういうことや、5歳とか8歳とか―――」
「そのままよ。その当時のあなたに戻る。それだけのこと」

あさ美は背後に手をかざした。そこには光で形を失った鉄格子。 

「私の能力は治癒じゃない」

見る見るうちに本来の姿を取り戻していく鉄籠。

「今さら隠すことも無い。皆がこの力を治癒と紛うのが本当に腹立たしかった。
あんな細胞活性化程度と比べられるなんて、反吐が出そうで仕方なかった。まぁでも、能ある鷹は爪を隠すって昔から言うでしょう」

女が手を下ろした先の失われたはずの鋼鉄の檻は、無傷の状態で鈍い輝きを奏でていた。

「時間回帰―――それが私の能力の真実」


時間。それはこの世で唯一ベクトルの方向が変わらないもの。
過去から今、今から未来へ、その流れは一方通行であり、人類不可侵の領域。

「アインシュタインは言ったわ。“光速に近づけば近づく程、時間は遅くなる”と。
これは瞬間移動の持ち主であるあなたが一番分かっているはず」

瞬間移動。瞬間といえど、それは0秒ではない。確実に1秒なり何なり時間は経過している。
ただ、その確実に過ぎ去った1秒の中で、人が移動できる距離の数十万倍長く移動出来る。
誰かが1時間かけて10kmを走破した時、あたしは72000万km移動する。10kmにかかる時間は0.00005秒だ。
それは、あたしの残された時間はより多く、つまり人より時間の進みが遅いことを意味する。
よって限界速度の光速に接近すればする程、時間はより遅くなる。
一定の時間の経過の中で、相対的に速く動くということ。それが瞬間移動。

「けれど私の時間回帰は相対的な戻りではない。ニュートン力学における絶対的な時間、それを巻き戻す能力。
もちろん限られた空間ではあるけれど、その範囲の中での時間の行き来は全て私が操れる。
あなたに消されたこの腕も、右腕が存在していた時刻まで回帰させることで元に戻る。もちろん後ろのケージもね」


頭を巡る、5歳、8歳、枷を外すという言葉、そして理性がとんだ事実。

「自制がきかなくなったのはお前のせいやったんか…」

全ての線が一つに繋がった。瞬間、これまでに経験したことのない悪寒を感じた。

「能力を制限する理性は年を重ねる度に強固になっていくもの。私はあなたの力の全てを知りたい。
どうすればいい?簡単よ、あなたの脳の思考回路を幼少時にまで戻すだけ」

だからだったのだ。高橋愛を操りきれない違和感も、全く役にたたない理性も、全てはこいつの能力のせい。
幼き頃の記憶のままに、治癒能力だと完全に誤認していた。
さゆみとは異なるアプローチどころか、能力の根本から異なっていた。
正直、混乱していた。能力を受けた後遺症か、未だに明瞭な思考回路とは言い難い上に、話を聞く限り、現在の年齢の脳に戻るのにもあさ美の能力が必要なのだ。
つまり、また意識を奪われ暴走した結果、奴を完璧に消してしまってはあたしは永遠に狂った状態のまま。
殺される覚悟があるのも事実だろうが、それ以上にあさ美は絶対に負けない策を仕込んでいたのだ。

どうしていいか、わからない。

完全に罠にはまってしまった。

「そろそろ第二実験、開始していいかしら」

女は腕を掲げた。