『R-Infinity(5) 最後の夜を、君と』


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第5話 最後の夜を、君と


宝石を散りばめたように星空が広がっている。
リンリンはベランダから見える夜空をゆっくりと吸い込み、ゆるゆると吐きだした。
こうやって喫茶リゾナントのベランダで深呼吸をするのも、今日が最後になるだろう。

決戦前夜。
明日の今頃、リゾナンターの仲間達が何人生き残っているか見当もつかない。
しかし、不思議と恐ろしくはなかった。大切な人がすぐそばにいるからだろう。

「明日、終わる」

隣に立つジュンジュンが夜空を見上げたまま言った。
柔らかそうな頬を夜風が通り過ぎていく。

「七年前、私は全てを失った」

七年前、ダークネスによって獣人の一族がジュンジュンを残し壊滅させられた。
獣人族を保護する任務を負っていた特務機関刃千吏も多大な損害を被り、
更に刃千吏総統であるリンリンの父は重症を負い、以後戦闘に耐えられない体になってしまった。
そして、ジュンジュンとリンリンはダークネスに復讐を果たすため、日本へ渡る決意をした。
明日の決戦で復讐は完結する。しかし、今のジュンジュンは復讐者ではない。

「ジュンジュンは変わりました。高橋サンや皆サンに出会って」

復讐の念に凝り固まった心が、人の心の温もりで解きほぐされていく様をリンリンは間近で見てきた。
悪魔の非道を行うのも人の心なら、天使の温もりを持つのもまた人の心なのだ。
人の心の温もりを守りたい。そして、そういう優しさを持った人を守りたい。
その想いが強く彼女の胸に刻み込まれていく様を、リンリンは見てきた。

「でもね、琳。私は思うんだ。私は本当に変わったんだろうかって」
「え?」
「私の心は復讐に凍りついていると思ってたけど、それは私が思ってるだけで、本当は違ったのかもしれない。
 私の心にはずっと、温かい炎が燃えていた」
「炎……」
「タカハシやニーガキ達は私にとって本当に大切なトモダチだ。だけど、私のそばにはずっとトモダチがいた。
 その人がいてくれたから、私は今日まで生きてこられたんだ」

リンリンは、初めて二人が出会った七年前のあの日の事を思い出す。

戦いに敗れ傷だらけで運ばれて来た父と、全てを失い孤独の中に放り出された少女。
あの優しかった父の無残な姿に幼い心が悲鳴を上げた。
出来る事ならすぐにでもその場から逃げ出してしまいたかった。
幼いリンリンを引きとめたのは、少女の言葉だった。

――ありがとう。君のお父さんが私を助けてくれた。

いかなる暗黒に覆われようと、人は誇りや希望を失わない事が出来得るのだと、震える声で発せられたその言葉は彼女の胸に響いた。
全てを失った獣人の少女の優しさが、幼いリンリンに恐怖に立ち向かう心の強さを教えてくれた。
リンリンの胸には、今もその思いが燃えている。



カウンターの内側でコーヒーを淹れる田中れいなの姿を、光井愛佳はじっと眺めている。
一つ一つの作業を丁寧に、作業そのものを楽しむようにれいなはコーヒーを作っている。
名残を惜しんでいるのだろう、と愛佳は思った。

「れいなね、コーヒー作るの上手くなったっちゃん。まだまだ愛ちゃんには勝てんけど」

愛の淹れるコーヒーとれいなの淹れるコーヒーは違う。
れいなのコーヒーは鮮烈な苦みとほのかな酸味、そして挑戦的な香り。
官能的な鋭さが咲き誇るれいならしさに溢れている。

そして、決戦を目の前にしても、れいなの様子は平素と変わりなく、れいならしさを失っていない。
どうしてだろう?と愛佳は思う。
どうして、田中れいなという人はこんなにもしなやかに剄いのだろうと。

「田中さんは、怖く……ないんですか?」

思わず口から問いが転がり落ちた。
明日は愛を助けに決戦に赴かなければならないというのに、どうしても弱気が顔を出す。
れいなは、愛佳の質問に殆ど間をおかず答えた。

「愛佳は、私達の中の誰かが死ぬ所、見えたと?」

見えてはいない。というより、最近愛佳は殆ど未来を予知できていない。
確かに、リゾナンターの誰かが命を落とすような未来を愛佳は予知していない。
だが、愛が攫われるのも予知できなかった。

唯一、愛佳に見えた未来は「赤」だった。視界を染め上げる一面の赤。
その「赤」のビジョンが何を意味するかまるで分からない。
不吉なもののような気もするし、あの鮮烈な赤はもっと違うものを意味しているのかもしれない。

「……いや、見てないですけど」
「じゃあ大丈夫っちゃん。誰かが死んじゃったりするような未来を愛佳が見れんわけないもん」
「それだけですか?それだけで田中さん、怖くないんですか?」
「れいなは愛佳を信じとうよ。それだけじゃ足りない?」

突き飛ばされるような感動が、愛佳の胸を打った。
どうしてこの人はこんなに強いんだろう。
私は私を信じきれないのに、この人は私を信じていてくれている。
人を心の底から信じきるというのは、本当に強い人にしか出来ない事だ。

(私も、この人みたいになりたい)

感動と共に、愛佳はそう願った。
れいなのように世界を見てみたい。れいなのように世界を感じてみたい。

「どうして、田中さんはそんなに強いんですか?」
「え?何急に?」
「私、田中さんみたいになりたい。誰かを助けられる強い人になりたい。
 だから、どうすればなれるのかなって」

れいなは早くに両親と別れ、孤児院で育ったと聞いている。
平坦な人生ではなかった筈だ。
きっとその生い立ちに彼女の強さの秘密があるのかもしれない。

「話すけど……笑わんでよ」
「笑いませんよ」
「れいなね、ヒーローになりたい」
「ヒーロー?」
「ちっちゃい頃にテレビで見てね、何かすごいカッコよくてさ。
 私もいじけとらんでしっかりせんといけんねって思った」

そう言って少し照れたように苦笑いを浮かべているれいなに、
愛佳はれいながもっと照れるであろう言葉を、その唇から発した。

「田中さんは、私のヒーローです」


どうしようもなく心が泡立って、寝付けそうにない。
道重さゆみは主のいなくなった愛の部屋で一人、自分の呼吸を数えている。
もしこのまま眠って目が覚めて、一人ぼっちになっていたら……茫漠とした不安が息を詰まらせる。

「さゆ、もう寝た?」

ドアが開かれ、重苦しい空気にそよ風が吹き抜けていくと共に亀井絵里が部屋に入ってきた。
絵里はさゆみの隣に腰掛けて、口の端に蜜を含んだような独特の微笑を浮かべている。
体が触れている訳ではないが、無言の温もりが感じられた。

「ううん。絵里、どうしたの?」
「ちょっとね、ガキさんと話してきた」
「何の話?」

聞かなくったって明日の作戦の話だとは分かっている。
絵里はしばらく中空に視線を遊ばせた後、ポツリと呟いた。

「先生さあ、元気かな」
「うん、元気にしてると思う」

さゆみは、父の事を思った。
さゆみの父は医者だ。娘のさゆみから見ても、優しくて、誠実な人だった。
一時期絵里の主治医だった事があり、その縁から絵里は父の事を先生と呼んでいる。

「早く仲直りしなよ。先生と」
「別に喧嘩してるわけじゃないよ」
「あんまり心配かけてもさあ……って私が言うのもアレだけど」

小さい頃から父は、さゆみの自慢の父だった。
その父が時折、一日中黙りこくって一言も言葉を発さなくなる事があった。

幼いさゆみには理由も分からず、ただ不安に胸を締めつけられていたが、ある時、父の無言の理由が分かった。
患者を失った時、父は無言になるのだった。
ただ医師としての無力を嘆くのではなく、その人が生きていたという証を、患者の生命を心に刻んでいたのだ。
さゆみの治癒能力が目覚めたのは、その父の想いを知った頃だった。

「どうして今、その話を?」
「うん。ちょっとさ、思い出したから」

昔、この事は絵里に話した事がある。
「さゆが命を大切にするのはお父さん譲りなんだね」と言って、絵里は微笑んでいた。

「ねえ、さゆ」
「何?」
「先生に、お礼言っといて」

絵里の心臓に抱える病は未だ原因が掴めておらず、不治とされていた。
父がいかに医師として優秀でも、真摯で誠実な人であっても、こればかりはどうしようもなかった。
その父に、何故絵里は礼を言いたいのだろうか。

「私は先生のお陰で今日まで生きてこられたと思ってる。それに、さゆに会わせてくれた」
「絵里……」

さゆみの胸をとてつもない圧迫感が襲う。
絵里はこれから自分の決意を話す気なのだ。
さゆみにとって、最も耳にしたくない事を話すつもりなのだ。

「明日、命を使う」


「何です?話って?」

地下トレーニングルームに呼び出された久住小春は、そう言って新垣里沙の目を見つめた。
恐らく作戦に関する事だろうと予想はついている。
もしくはいつもの世話焼きで、決戦に際しての心構えを教え込みたいのだろうか。

だが、里沙の瞳は小春の予想に反して月光に似た切なさを湛えている。
瞳の意味を小春が探ろうとした時、里沙は小春に歩み寄り、その手をとった。

「これを、小春に受け取ってほしくて」

見ると、小春の手の中にお守りがあった。
「A」そして「R」と刺繍された二つのお守り。愛と里沙がいつも身につけていたものだ。
愛と里沙、二人の絆の象徴といっても過言ではないそれを今このタイミングで小春に託す。
その意味が分からないほど小春は鈍感ではない。

「どうして、どうしてなんですか?」

そして黙ってそれを受け入れるほど小春は素直に出来ていない。
里沙は何も言わず、独特のちょっと困ったような微笑みを浮かべている。
里沙の沈黙が小春の予感を確固たるものに変えていった。

「新垣さん……死ぬつもりなんですか?」

里沙の瞳の奥で、月明かりに似た輝きが青く瞬いた。


亀井絵里の特殊能力『傷の共有』とはその名の通り自身の受けた傷をそのまま他者にも負わせる。
あくまで「そのまま」なので絵里の負った傷以上のものは負わせる事は出来ない。
道重さゆみの『治癒能力』と組み合わせて初めて真価を発揮する能力といっていいだろう。

だが、絵里の能力の本当の「真価」はそこにあるのではない。
どんなに強力な能力者にも、確実に死を与える事が出来るというその一点が、絵里の力の真価である。
無論、その対価が絵里自身の命である事は言うまでもない。

――命を使う。

さゆみは、いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。
だが、覚悟が出来ていた訳ではない。
さゆみの優しさが、ずっと絵里の決意を受け止める覚悟を拒んでいたからだ。

「……その事、ガキさんに言ったの?」
「うん」
「ガキさん、なんて?」
「カメが正しいと思う事をしてくれれば、それでいいって」

卑怯者。私は卑怯者だ。
さゆみは心の中で自分を罵った。
里沙が絵里に何と言ったかなんて、今は関係ない。
絵里は一人の人間としてさゆみに向き合い、決意を伝えたのに、さゆみは里沙の名前を出してそれを逸らした。
否定するにせよ肯定するにせよ、さゆみは正面から受け止めるべきだったのに、それが出来なかった。

「さゆは、優しいねえ」
「え?」
「ホッとした。なんかさゆに話したら」
「私……絵里に何も言ってあげられないのに?」
「いいよ。分かってるから。さゆの気持ちはさ」

さゆみはさゆみ自身の心を傷つけている。絵里のためだけに。
その事が絵里には分かる。
そういうさゆみだから、絵里はさゆみに出会って本当に良かったと思っている。

「さゆには生きていてほしい。だから私やるよ」

明日の決戦でリゾナンターが生死を賭して戦うであろう敵幹部能力者の五人のうち、
安倍なつみと後藤真希の実力が他を圧倒している。
恐らく安倍なつみには里沙が刺し違える覚悟で挑むだろう。
とすれば、残るは後藤真希。
人類最強と恐れられるその念動力に対抗できる戦力は、亀井絵里の傷の共有をおいて他にはない。

「私がやらなきゃ他のみんながやられる。そうなってからじゃ遅いもんね。
 私にものんびりしちゃいけない時は分かるんだ」
「でも……でもね絵里。私、絵里には生きていてほしい」

相手を思いやる心には、さゆみも、絵里も変わりはない。
お互いに生きていてほしいと願う気持ちの大きさは同じだった。
一つ、違いがあるとすれば――

「さゆには幸せになってほしいんだ。私はもうそんなに長く生きられないから」

絵里には己の生の終着駅が見えている。
人の一生というものが死をもって完結を見るものだとすれば、人間の生が一個の旅だとするならば、
亀井絵里という旅路には、残すところ目的地までの一筋の道が伸びるのみであるだろう。

人間は死ぬために生きているというこの逆説的な事実を、さゆみは受け入れられない。
絵里はごく自然に、吹き抜ける運命を受け入れている。
これが、二人の違い。





宿命の朝日が天にその姿を見せた頃、二台の黒塗りの高級車が喫茶リゾナントに到着した。
特務機関『M』からの迎えだ。
二人の隊員が車を降り、喫茶リゾナントのドアをくぐった。一人は二十代後半、もう一人は三十代半ばくらいだろうか。
若い方は優男風で、年の長けている方はややいかつい。

最後の夜を同じ屋根の元で過ごした里沙達リゾナンターの七人は既に支度を終え、店内で迎えを待っていた。
澄み切った表情の者もいれば、沈痛な面持ちの者もいる。
訝しげな様子で、いかつい方の隊員が里沙に尋ねる。

「久住小春さんの姿が無いようですが、どちらに?」
「小春はいません」
「は?」

里沙はあらゆる反論を許さない口調で決然と告げた。

「リゾナンターは私達七人で行きます」