『―MEL―』


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おめでとう。
おめでとう。
おめでとう、なっち。

なっち、なっち、なっち、なっち





――――安倍さんっ。






 * * *

藍色の木々生い茂る森の細い道、私は小さな手をひいて歩く。
その小ささから想像できないほどに、それは強く、固く、絶えず私へ訴えていた。
彼女のことを私は知らない。出会ったのもつい数十分前。
私が買い物に行く途中にこの子と会っただけ。
路地裏から、身内のでない『結界』を察知しただけ。
(自分で言うのもナンだけど)それはとてもまがまがしくて、こっそり覗きに行っただけ。
すると黒い髪を振り乱しゴミを切り裂く彼女がいただけ。
ゴミは頭をつんざく悲鳴をあげて倒れていっただけ。
そして、私の視線と、彼女の強い眼差しが、真正面から、ぶつかり――――
その眼が確かに正義で、確かに悪だったから、声をかけただけ。
「助けてあげようか」と、嘘くさく、手を差し伸べただけ。

「もうすぐ着くからね」
彼女の手は、血が通っていないみたいにひんやりとしていたが、それでも指から伝わる脈拍が私に訴えかけている。
そういえば、最後にだれかと手をつないだのはいつのことだっただろうか。
私は覚えていなかった。彼女はどうなんだろう。この疑問が発せられることはなかった。
「助けてあげるから」
不思議だった。私は彼女に何一つ問いかけず、かわりにこんな言葉を吐きつづけている。
彼女と私は同じと思ったから?
似てる部分を感じたから?
それともまったく違うから?
利用価値があると思ったから?
ただなんとなく放っておけなかったから?
あの眼差しに射抜かれてしまったから?
きっとうまく説明できない私の感情を、みんなは「気まぐれ」という言葉で片付けるだろう。
それではいけないと思った。違うんだ。そうじゃなくて…………
でも私は無知だから、この感覚を説明することはやっぱり出来ないだろうと思った。

彼女は何も言わず、表情も変えず、ただ黙々と私についてくる。
しかし繋いだ手は大量の汗でべっとりとしていた。私のでない、彼女のもので。
よく見れば呼吸も浅く、目の焦点も定まっていない。
「ねえ」
その瞬間、彼女の訴えは明確な思考となって堰を切ったように私の身体に流れ込んできた。
手のみならず皮膚から爪から髪の毛一本一本から、彼女の思考がどくどくと垂れ流されている。
(だからゴミに絡まれたんだ)
私にとっては慣れ親しんだ渦に、彼女は溺れ死ぬところまできていて
もうもうだめもうだめだよおおおたすけてにくいきたないにんげんきらいんげんしね
おとうさんおかあさんころすころさないころされるすてられるきらいきらいたすけて
たすけでもあたしあたしたすけてもらえるかちなんてないないなないいないないない

ぶんっ。

と、彼女の手を思いっきり振りほどいた。

私はその反動で数メートル先まで駆けぬける。
人間みな、衝動と冷静を繰り返すもの。そうでなければ、この子は捨てる。
捨てる…………。そう、捨てる。再び、絶望の世界へ送り戻す。
私は立ち止まる。捨てる。そんなことは出来ないとわかっていながら――――
振り向けば離れたところに我に返った彼女がいた。
先ほどまで繋がれていた手と、私を、交互に見ている。
小さな身体がさらに小さく感じた。くく、お豆さんみたい。
「ほら」、と私は苦笑しながら、まったく自然に手を差し伸べた。
「おいで。あなたはこの手を取りさえすればいいんだから」
このとき初めて、無表情だった彼女の頬に赤みが差していくのを確認できた。

 * * *

彼女――新垣里沙の能力は精神干渉で、それも、筋が良いことがここ数年で判明した。
体術のほうは人並みよりやや上、まだ骨格が出来上がっていないのを差し引けば将来充分実践向きになる子だと思う。
昔は「マメ」と呼んでいたけど、いまは頼もしさも込めて「垣さん」と呼んでいる。
いやー、この訓練施設も少し前まで通っていたのに、もう懐かしく感じるなあ。
さて彼女はというと――――地べたに転がされていた。
「むー……吉澤さん、もうひと手合い、お願いします」
「いやです。今日は疲れました」
「うそぉぉ。さっきから全然その場を動いてないじゃないですかぁ」
「……ホラ、新垣正座」
「は、はいっ」
「実は俺はこの場からめちゃめちゃ動いています。お前、本業は?」
「へ?本業……マインドコントロールです」
「だよな、俺と同じ。結局最後はそこに着くのさ。もっとかき乱せ、そして隙を作れ」
「かき乱す……」
「今まではなんとなくできてたんだろうけど、お前の無意識よりこっちの意識が勝っていたら意味がないんだ。
もっと研ぎ澄ませ、かき乱せ。
ま、それを実践でやれるコツを掴むまでどんだけ難しいか、今に解るさ」
「そうか……!ありがとうございます!」
「ん。じゃぁおつかれー」
「はいっ!おつかれさまです!
……あれ、てことは吉澤さん、体術の訓練中なのに私のことマインドコントロールしてたってこと?ずるう!」
すたすたと練習場から去っていく吉澤を見送った後、彼女は長い独り言を発していた。

(く、はは、かわいそう……。でもバランスよく訓練することは大事だよ)
そう、新垣里沙はとても人が好い。そこが私にとってかなり好印象だった。
普段下の子たちを気にかけることがない私でも、彼女とだけは交流を絶やさない。
はじめは自分が連れてきたという責任からだったが、今はお茶のみ仲間といったところか。
多くの言葉を交わしていくうちに、彼女がとても誠実であることに気付いたのだ。
出会ったときから変わらないあの強い眼差しは、見据えるものすべてに――それがどんな闇でも悪でもたとえ光だとしても――誠実に向き合っていくのだろう。
私は彼女のその眼差しに心惹かれている。私にはないものだから。
そして彼女もまた、私を慕ってくれているのがよくわかった。
そこに損得がないのは確実だった。私と彼女はなんとなく心が通じ合えていたのだ。
彼女の思考が声となってふっと流れ込んできたことは何度かあったし、彼女もまた私の考えをぴしゃりと当て、「聞こえるんです」と言ったことが多々あった。
それは彼女が精神干渉者だからこその現象なのだろうと、私はひとり納得していた。

「あれ……?安倍さん!」
私に気付いた彼女は起立し、背筋を伸ばす。
「ありゃばれちゃった」
「ばればれですよ~~。あ、吉澤さんでしたら戻られましたよ」
「ううん、今日は垣さんに会いに来たの。久々になっちの部屋でケーキ食べない?」
「ええーーーーいいんですかっ!?ぜひ!」
「うんうん、いい反応。じゃあなっち先に部屋行ってるから、準備終わったら来てね」
「はいっ!」
ぎゅっと私の手を握ってくる彼女の手は季節関係なくいつも暖かい。
そして今日もぱきっとしたお辞儀をする。
彼女だけは変わらない。彼女はいつも『いつも』だった。
彼女との関係だけは、いつも、いつまでも、ずっとつづいていくのだろう。

 * * * * * *

すごい。
なっちすごい。
やっぱり優秀だね。天才だね。

おめでとう。
おめでとう。
昇格おめでとう、なっち。

なっち、なっち、なっち、なっち、

なんで。

なんで、あんた、ばっかり――――

 *
 *
 * ** *
部屋の中が物や思念で溢れかえっていたのをすっかり忘れていた。
足の踏み場はあるが、それでも片付けなきゃ……。
現在、組織全体を上げた大規模な人事異動が行われている。
私が本部に異動になったのはつい最近で、それはすなわち幹部への昇格を意味した。
審査は単純。今までの実績と能力を評定し、上位者数名を幹部として据える。
幹部は組織すべての方針・運営に関わる。そして絶対的権利を得る。逆らった者を殺す権利だって、当然ある。
幹部昇格が決まった日から私の元に届いた、たくさんのもの。
きれいな花束、贈呈品、嫉妬、崇拝、エトセトラ――――
煩い。面倒くさい。早く仕舞ってしまいたい。この組織が立ち上がったときにはなかったものたちを。
私はただ心地よい闇に身を寄せて、気ままに生きていたいだけなのに……。

コン、コン。

「安倍さーん。私です、新垣ですー」
「垣さん!いま開けるね」
結局なにも片付かないまま彼女が来てしまった。
そうだ、一緒に片付けてもらおうかな。せっかくケーキあげるんだし。
なんだか物で釣ってるみたいだけど垣さんなら許してくれるさ、と、ついついほくそ笑みながら扉を開ける。
すると、そこにはケーキひと切れでは到底満足しないであろう大きな犬が立っていた。
それは決して大型犬という意味ではない。遊園地にいるような、ひょうきんな顔立ちの犬の着ぐるみが手を振り、私を見下ろすようにそびえ立っている。
「ええーーー。が、が、が、?」
「安倍さーん、中、入れてくださーい」
「垣さんなにやってんの!?」
「あとで説明しますんで。入れてくださーい」
「あ、うん、ごめん、頭、入る?」
「大丈夫ですー、あ……、あれうそ、挟まってます?挟まった?せーえのー」
「はは、きゃはははは!頭へこんでるよー!?」
「安倍さ~ん、手伝ってくださ~い」

なんとか彼女を引っ張り入れることが出来た。
「わ~、安倍さん、お部屋、大変なことになってますね~」
結局頭の被り物は取ってもらい、首から下だけ犬の着ぐるみの彼女を椅子に座らせる。
いつも華奢な彼女のこのアンバランスさが面白くて、なかなか笑いが止まらなかった。
「はーっ。腹筋やばい。ちょっとー、これどういうことさ?」
「えへ。びっくりしました?サプライズ大成功!」
「びっくりもなにも……いや、びっくりだわ。多分こんなことやった人いないんでない?」
「えーほんとですかぁ?確かにこの季節はちょっとしんどいですね~暑いです~」
「ははは、もうっ。でも、ほんとどうしたのさ急に」
「えーとですね……。お誕生日おめでとうございます、安倍さんっ」


どこに持っていたのだろう。
彼女は小さな紙袋を取り出し、黄緑色のリボンでラッピングされた包みを差し出してきた。
誕生日……そうだった、この前、私はまたひとつ年を重ねていた。
誰からも触れられることのなかったその一日を、私自身忘れかけていた。
「安倍さん、ちょうど本部に異動で忙しそうだったので、遅くなっちゃったんですけど、今日せっかくお呼ばれしたのでついでに~」
「あー!ついでってなにさ。怒るよ、新垣!」
ついでで、こんな着ぐるみ用意できるわけがない。
もしかしたら彼女は慌しかった私からの誘いを、ずっと待っていたのかも知れない。
「ああっごめんなさい、嘘です、安倍さーん、これ開けてみてくださいよ~」
縦長の包みを丁寧に解き、箱の蓋を開けると、中にはティースプーンとデザートフォークがそれぞれ2本ずつ並んでいた。
「これ使って、またお茶しましょうね!」
「ふふ、じゃあ紅茶とケーキはなっちが用意すれってことね」
「あー、そういうわけでは……」
「うそうそ!ありがとう!すっごくうれしい。垣さん大好き!」
私は彼女に抱きついた。
そうか……。
きれいな花束、贈呈品、嫉妬、崇拝、エトセトラ――――
片付ける必要などない。仕舞いこむ必要などない。どうして今まで抱えていたんだろう。
要らないのなら全部捨ててしまえばいいんだ。
このスプーンとフォークのように、私にとっての真実を携えてさえいれば。

 ********* ********* *********

その後、幹部以外の組織編成も行われた。
それまで無所属だった彼女は、新たに吉澤ひとみを長とした諜報部に配属され、徹底的に諜報部隊としての訓練に明け暮れることとなる。
私も私で能力を磨くことを怠らず、戦力においてはあっという間に組織の頂点にまで上り詰めた。
耳障りな噂や中傷など痛くも痒くもなった。ちょっと痒かったものに関しては、その出どころを抹消した。
自分でも、変わったと思う。以前のように物も感情も、溜め込むことはなくなった。
溜め込むことはすなわち取捨選択を諦め、流れを止めるということだ。
今は違う。必要なものを見極める。発散する。また新しい自分になる。
お守りだった彼女からの贈り物がどこかへ紛失してしまったのは残念だが、きっと『それを必要としていた私』は『過去の私』になったのだろう。
私は常に新しくなりつづける。
全ては私のために。
私だけのために――――
そんな私を見つめる彼女の眼差しがどんどん寂しげな色を帯びていくことに私は気付くはずも無く、
ただ、自分だけを愛した。

 ********* ********* ********* *

私たちは今日、数年ぶりのお茶会を楽しんでいる。
お互いの近況報告だけでもかなりの時間を費やし、吉澤ひとみへの愚痴や飯田圭織の迷言などを披露し合った頃には、もう陽は落ちかけていた。
「お部屋、すっきりしましたね」
何も入っていないティーカップに口を付け、彼女はポツリとつぶやいた。
私には彼女がどういう心境でその言葉を発したのか図りかねた。何を今更、と。
彼女の表情は次第に硬く、不安の色に沈んでいく。
そうか緊張しているんだ。
今日のお茶会は彼女への壮行会の意も込めていた。私はつとめて明るく振舞う。
「でも、ついに明日、高橋愛に接触かあ。頑張るんだよ!」
「私、大丈夫でしょうか……」
「だーいじょうぶだって!不安かもしれないけど、垣さんが諜報部のエースなの、なっち知ってるし」
「そう、ですよね。大丈夫ですよね、ヘマさえしなければ……」
「絶対帰ってくるんだよ。バレて殺られるのが一番困るんだから」
「はい!絶対、帰ります……。あのっ、」
「ん?なした?」
「あの、全然関係ないんですけど、今日が何の日だか、ご存知ですか?」
今日?今日は、10月20日だ。なんだっけ。なんかの記念日だっけ?
「えーと、建国記念日?あ、勤労感謝の日?」
「あは、それ安倍さんが知ってるやつ言ってみただけでしょう?」
「だってほか思いつかないし……こどもの日じゃないのはわかるんだけど」
「もうー」
そう言って眉を八の字にして笑う彼女は、なぜだか哀しそうな気配を漂わせた。
「あ、そろそろ時間なので、私、おいとましますね」
「そっか、今夜出発だったっけ」
「はい。……安倍さん、私頑張ります。お元気で」
「垣さんも、体調には気をつけてね」
私たちはお別れの握手をした。
久々に触れた彼女の手は、やはり緊張のせいだろう、とても冷たかった。



 ***

「ふう……」
彼女を部屋から見送ったあとも、私はしばらく椅子に腰掛けていた。
久々に会って彼女は大人っぽくなっていた。今までの彼女との記憶を反芻する。
そしてふと彼女の手はいつも暖かかったことを思い出し、先ほどの感覚を反芻する。
あの冷たさ――――ずっと前にも触れたことがあった。
彼女を初めてこの組織に連れてきたとき。
そのとき彼女の冷たい手から、全身から、溢れ出る感情が、思考が、言葉となって、声となって、私の身体になだれ込んできて
あれ?
そういえば、彼女の心の声が聞こえなくなったのは、いつからだろうか。
あの強い眼差しに射抜かれたくないと思い始めたのは――――





うーん。

ま、いっか。






今頃彼女は藍色の森を、あの日とは逆方向に、ひとり駆け抜けていることだろう。