『XOXO -Hug and Kiss- (4-b)』


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身体能力の限界というものがある。これ以上は高く跳べないとか、走れないとか、運動能力のリミットは個々に存在する。
そういう類の上限は、努力によってある程度までは伸ばすことが可能だ。
だが我々が人間である以上、幾らもがいても、その上限が人間という器の限界を超えることは決して無い。

外部からの刺激に対し、脳が発する筋肉への電気信号(インパルス)の伝達所要時間は0.11秒が限度であり、これを一厘でも下回ることは未来永劫不可能だ。
洗練されたオリンピックの100m選手でさえ、号砲が聞こえてから地面を蹴るまでにかかる平均タイムは0.20秒程度である。

鋼線が自分に到達するのにかかる時間、つまりこちらに与えられた猶予は、二人の距離から換算して0.58秒。
放たれた事実を認識したのは里沙が行動を起こしてから0.08秒は経っていた。
つまり0.58-0.08=0.50秒。そこからさらに、周囲に念動力のドームを築くのに必要な0.33秒が引かれる。

単純に計算すれば、0.17秒分の余剰があるのだ。普通なら里沙の鋼線がこの肉体を貫く前に、エネルギーのドームがそれを弾き返す。
しかしそれはインパルスの所要タイムが0.17秒を下回っていれば、の話だ。
里沙の先制攻撃を感知してから判断したドーム形成の命が、筋肉に達するまでにそれ以上のタイムを弄していればその時点でゲームオーバーなのだから。


キィィィンッッッ――――――!!!


「…ギリギリセーフってとこか」

目に映る虹色に湾曲したエネルギーの壁と、そこを突き破ろうとする刺々しい物体。

「ものすごい反射神経ですね」
「あぁウサイン・ボルトもびっくりだぜ」

穏やかな会話とは裏腹に依然として鋼線の威力は弱まるどころか、強まる一方。

「いい加減引っこめてくれていいんじゃないかな」
「吉澤さんが諦めて下さればすぐに終わるんですけど」
「たしかにそうっちゃそうだな」
「その気はないみたいですね」
「串刺しなんてエンディング、誰が好んで選ぶかって話だよ」

そう言ってはみたものの、このままでは何の進展も期待できないのは明白だ。
そして、この状況を維持しようにも回避不能な問題があることも分かっていた。


「さて、これからどうしましょうか」
「なんだもう疲れたのかよ」
「あなたよりはだいぶ元気ですよ。念動力をそこまで一定の形に留め続ける労力よりは楽ですからね」

口上を紡いだ口元がかすかに笑みをつくる。

念動力とは、内部の強烈な意志力を具現化したもの。
強く心で抱いた念を、本来影響を受けるはずのない外部に波及させることで、実世界に存在を現す。
つまり、根本は精神力。
思考という無でしかないものを現実に影響を与えうる実体に換えるのだ、ひとつひとつに注ぎ込む気力は半端ではない。
だからこそ、使用者の多くは単発でしか念動を用いない。
連続的に同量の気力を維持し、波動を形成し続けることなど、精神力の洪水状態と同じなのだ。
精神の泉が尽きるとき、それは命尽きるとき。

「まぁずっとこれじゃ自殺行為もいいとこだ、キツいだけだし」
「理解しているのにどうして「それってお前の意志の侵入で動いてるんだったよな」

里沙の疑問を遮り、目の前の鋼線を指差し、逆に問いを投げかける。

「それが何か」

ペースを妨げられたのが不満だったのか、かすかに眉間にしわを寄せる里沙。
現状のままでは自分で自分の首を締め上げるのと同じこと。

それならば。


力を僅かばかり弛ませ、ドーム内に鋼線を誘い込む。鋼線が身体に触れる直前でエネルギーを強め、動きを止めさせる。

「じゃ、これちぎったらお前の心もぶっ壊れるってか」

念動にかける威力をフルスロットルにし、ドームの壁に触れる部分を締め上げてはみるものの、標的の表面に際立った変化は見受けられない。

「確かにその通りですが、残念ながらこれは念動では断てませんよ。
 もし可能だとしても、その前に鋼線に対する干渉を解けば心理には何の支障もない」
「ほう、この状況で精神干渉が解けるとか本気で思ってたら相当なおバカちゃんだな」

冷静を装っていた里沙の瞳が心なしか揺れた。
里沙が精神干渉を解くこと、それは鋼線の支配権を手放すということで、それは里沙が最も望まない状況であることに違いなかった。

「そうだよな。今解放したらこれはただの棒切れで、その瞬間に俺が支配してしまえばあっという間にお前はThe Endだもんな」

念動で鋼線が断てようとはハナから期待もしていなかった。
もしも出来たらいいのにな、くらいの軽いもの。

「ま、だからって俺が不利な状況に変わりはないんだけど」

もう一度まじまじと鋼線を見つめる。無数の棘に覆われたそれは、鋭利さを誇るかのようにまぶしく輝いている。

――――こりゃまた物騒だな――――

けれどより勝算が見込め、そしてより確実な方法ならばそれを用いるほか無い。
最初にこの計画を思いついた時から、どうせこれしかないと腹は括っていた。

「なっ」
「っっ…言っとくが、俺は、マゾじゃ、ねえぞ」

手のひらの肉に棘が食い込み、何本かは甲を突き抜け、そこから赤黒い泉が吹き出す。

「もともと念動力は得意分野じゃないから、な」

痛覚が訴える悲鳴を押し殺し、左手でしっかりと獲物を掴み、右手で左腕を抑え込む。
鮮血が肘を伝い、足下に血溜まりを描く。

「いったい、なにを…―――!!!!!」
「本業は、精神干渉だ―――お前と一緒で、な」

肉体に直接触れている部分から内部に意識を侵入させる。
相手側が軽い混乱に陥っている隙に、一気に鋼線の1/3程度まで支配権を奪う。

「鋼線を賭けた一本勝負だよ。どっちが先に相手の陣地を奪い取れるか。精神干渉者らしく心理戦で決着つけようぜ」
「本気のつもりですか…どちらに分があるかは明らかですよ」

落ち着きを取り戻したらしい里沙が更なる鋼線への侵入を阻む。

「そんなことは分かってるさ。俺は念動維持のために精神力垂れ流しながら鋼線にまで精神割かなきゃいけないのに、お前は鋼線一本に集中できる」
「いつからそんな負け戦を好むようになったんですか」
「負け戦って誰が決めたんだ。俺は勝算のある戦い方しかやらねぇ…ハンデにしちゃ甘いかなーなんて思ってんのに」
「…私はもうここに居た時とは違いますよ。吉澤さんでも容赦しない。私にはやるべきことがある」
「それはお前だけじゃねぇよ」

――――反逆者は始末せよ――――

意を決し、俺は残された全神経を握りしめる一本の鋼線にダイブさせた。