『――― Erina』


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 なんか嫌な予感がする。リゾナントで誰かが窓に切り取られた青空を見上げた時
 病室にいた絵里の左手首から大量の血が噴き出していた。

 絵里は右手で手首をきつく掴み、屋上へ向かって走った。理由はない。
 ただ屋上だという直感だけが絵里を動かしていた。




「ちょっと、手首を切ったのはあなた?」

 止まることのない鮮血が手を濡らす。お気に入りのパジャマは真っ赤に染まっていた。

「―――!」

「残念だけどね、この屋上では死ねないことになってるんだよ。経験者は語る、なんだから」

 絵里はカッターナイフを片手に、同じく左手首から真っ赤な血を垂れ流す少女へ歩み寄る

「そのカッターちょうだい」

 手首を掴んだまま左手を差し出した。きつく握っている所為で指先は紫色に変色している。

「…」

 少女は答えない。答えないどころか血にまみれた左手首に押し当てていた。
 左手首に鋭い痛みが走る。

「えぇ!?ちょっとさゆがいない時だけは絵里ちゃん勘弁してほしいんだけどなぁ」

 絵里が言い終わるより早く、少女はゆっくりと
 そして力を込めてカッターナイフを持った右手を引いた。 



「――――――っ!!!!!」

 ぱっくりと皮膚が引き裂かれるのを右手の下で確かに感じて、絵里は身体を震わせる。
 流れ落ちる血液の量がみるみるうちに増えていく。

「…なんで」

「うぅぅ…」

「なんであなたの腕も切れてるんですか?」

「…あなたが痛みを感じない理由と、同じかな」

 少女は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにそれは消えた。

「あなたは痛いんですか?」

「痛いよバカ」

 痛いを通り越して熱さを感じていた。 
 目の前が揺らぐ。意識が朦朧とし、思考が鈍くなる。

 でも、それだけじゃない。この子に近付いたときから『思考回路』が鈍くなっている気がする。
 難しいことはわからないけど、絵里の直感がまたそう言っていた。



「あたしは痛くないんです」

「だろうね。ムカつくほど平気そうだもん」

「あたし、痛みを感じないんです。だから痛くもないし、悲しくもない。
 あなたが今どんな気持ちでいるか全然わかんない」

 少女は淡々と話し出す。表情ひとつ変えず、流れ落ちる血液を止めることもしない。
 絵里は舌打ちしたい気分だった。土壇場の集中力には自信があったはずなのに。

 それなのに今、目の前にいるこの子の気持ちが全く分からない。
 死にたいの?傷つきたいの?見せ付けたいの?感じたいの?

「痛いですか?悲しいですか?…もうすぐ死んじゃいますね、あたしたち。…誰か会いたい人とかいるんですか?」

 ふにゃり、と表情を崩した。笑ったように見えた。泣き出しそうにも見えた。

「あたしはいつだって痛くないし、悲しくない。だから誰の気持ちもわかんない。
 …ふふふ。サイテーっちゃろ?やけん誰からも好かれん。誰からも愛されん。誰のこともわからんし、分かってくれん。
 空気みたいっちゃろ?ここにおるのに、誰にも相手にされん。認められんとよ?気付いたら、そんな人間になっとった。」


 あぁ。と、絵里はこの場に及んで微笑んだ。
 鈍っていたはずの思考回路がゆっくりと動き出す。
 助けられてばかりいる絵里が、この少女を助けてあげられるような気がした。


「ごめんなさい、巻き込んでしまって」

 少女がペタリと座り込む。絵里は座っていることも出来ず、血液にまみれたコンクリートにゆっくりと身体を預けた。
 空が、蒼い。

「巻き込まれた覚えないし。あなたの自殺に、巻き込まれたくもないし。
 …それに言ったよね。この屋上では、死ねない、って」

 あの日も、こんなに透き通るような綺麗な青空だった。
 そして絵里を助けてくれた人は、状況とは不釣合いに優しい顔をしていた。



 あなたがつけたその傷が、生きてる証。絵里の手首に付く傷があなたがここにいるっていう証拠。
 絵里が助けてあげる。あたなを認めてあげる。
 心から信頼できて、いつでも会いたくなるようなそんな人になってあげる。
 それから…
 優しくて涙もろくてたまに叱ってくれて甘やかせてくれて強くて元気をもらえて気がつかえて
 ぎゅって抱きしめてくれてお腹が痛くなるくらい笑わせてくれる、そんな人たちに出会わせてあげる。




 絵里は震える指先を少女に伸ばした。

「あなたの名前は?」

「…衣梨奈、です」

「奇遇だね。絵里の名前はね、絵里っていうの」

「ふふふ…一文字違いですね」

「衣梨奈ちゃんはね、目が覚めたらきっと一番にお説教だよ」


 少女の意識が途絶えた。
 絵里は叫ぶ。



 愛ちゃん!衣梨奈ちゃんを助けてっ…



 刹那、二人は光の粒になった。