『R-Infinity(3) 愛をこの手に』


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承前

澄み切った空気の中、目に痛いほどに鮮やかな血の赤が、風に舞っている。

――これが、痛み

抉られた肩の焼けるような感覚が、その赤色が噴き出した己の血である事を知らしめた。
舞い散る赤の向こうに、敵手の貫くような視線があった。


第3話 愛をこの手に


―何が起きたんですか?今?

久住小春の問いが聞こえているのかいないのか、新垣里沙は白いシャツを赤く染め上げていく血を見つめていた。
高橋愛の嗅覚が漂う血の匂いを里沙に伝えている。

―愛ちゃんが……勝った?

安倍なつみのホワイトスノーは破壊エネルギーの結晶を操る能力であるが、使用の際に動物の姿をとらせることが多い。
込められた破壊力と用途に応じて蝶、鷹、狼、虎、等様々だが、中でも最大の破壊力を誇るのが竜であった。
その竜が、i914――リゾナンター高橋愛の光に屈した。

「ホワイトスノーの竜が……」

愛の右手から発せられた光の矢は、白い雪の竜にその威力を減殺されながらもついにはそれを撃ち破り、
ダークネスの頂点、数多の戦いで傷一つ負った事がないと言われる安倍なつみの左肩にその牙をつき立てたのだ。
しかし、焼けつく痛みに苛まれながらも、なつみの両の瞳は些かもその闇色の輝きを失っていない。

「これが、光……ずっと……」

安倍なつみの竜を凌駕した『光』の威力は、かつて工場跡で粛清人Aとの戦いの時に発動したそれに数倍するだろう。
幼い頃に心の奥深くに封印した光の力を司る少女アイと再び一つになった事、里沙との間に起きた超共鳴。
里沙が知る限りでは、愛の急激な力の強化はこの二つが原因となっている。だが……何かが引っかかる。

恐らくなつみは愛が光の力を我がものにしたのを知って、ここにやってきたに違いない。
その彼女が愛の力が以前よりも増している事を予想できなかったのだろうか?
なつみはもっと洗練された戦い方をする筈だ。

―安倍さんはこんな博打みたいな戦い方をして、一体何を?
―新垣さん、どうしたんです?
―私が安倍さんなら、愛ちゃんとこういう風には戦わない。

愛の『光』となつみの『ホワイトスノー』を比較すると、能力自体の威力においては『光』が勝っている。
が、なつみのホワイトスノーが最強と呼ばれる所以は、意志を持った破壊エネルギーを殆ど無尽蔵に操れる所にある。
つまり威力では愛のそれに劣るが、その量と性能でならばなつみの能力が優れている。
その事が分からないなつみではない筈なのに、何故敢えて正面から威力をぶつけ合うような真似を――
里沙にまとわりつく違和感を解きほぐすように、なつみはその頬に柔らかな微笑を浮かべ、言った。

「ずっと、待ってた」

愛は眉をピクリと動かしながら、呼吸を計るように言葉を滑り込ませる。

「何をや、負けんのをか」
「私は誰にも負けるわけにはいかない。そう決めたの」
「訳の分からん事を…!」

吐き捨てるように愛は瞬間移動能力を発動し、なつみの懐へ跳び込んだ。
なつみの妙なペースにひっかき回されるより、強引にでも格闘戦に持ち込んだ方が得策だと判断したのだろう。
なつみの体を包む甘い香気に心を疼かせながらも、愛はみぞおちへ狙いを定め必殺の崩拳を繰り出した。
瞬間、愛の体が地面に叩きつけられた。

―!

ドスン!という衝撃が愛の体を通して里沙と小春にも伝ってくる。そして凄まじい力に愛が押さえつけられているのが感じられた。

―何?何が起こったの!?
―この力は……!

地面に倒れた愛と、なつみの視線が絡み合う。
なつみの視線は憂いを帯びている、というよりも何やら申し訳なさそうですらあった。
その視線の意味を愛が探ろうとした時、背後から近づいてくる足音と、声が聞こえてきた。

「ごめんねぇ、不意打ちなんて」

このどことなく気だるそうだが、えも言われぬ気品を感じさせる声を、愛は知っている。
かつて粛清人Aとの戦いの末瀕死の重傷を負い、薄れゆく意識の中で聞いた声。

―念動よ!念動で愛ちゃん押さえられてるんだわ!
―新垣さん?
―こんな強い念動力使える人なんて……!


風が吹いている。
なつみと愛ともう一人、この丘に立っている。
風はその者が身にまとう黒のドレスをなびかせながら、さらさらと草の音を奏でていた。

「後藤……真希……か」
「憶えててくれてたんだ私の事、って忘れないか。酷い事しちゃったもんね」

視線を移すと、歩み寄る後藤の背後の空間に人が通り抜けられるくらいの大きさをした銀色の輪っかのが浮かんでいる
転送ゲートと呼ばれる一種のワープホールである。
後藤は愛のそばで立ち止まり、やや間を置いてから再び口を開いた。

「でも、今のは悪く思わないでね」
「?」
「なっちが本気だったら、無くなってたよ。右の肩から先が」

後藤の目がすうっと細められたのを見た時、愛の背筋に冷たいものが走り抜けていった。
ようやくにして、愛はなつみの意図を理解したのだ。

―囮だったんだ……安倍さんが。
―囮?何でそんな事?
―安倍さんは愛ちゃんに勝とうとしてなかったんだ、捕まえようとしてたんだ。

愛はリゾナンター最強の戦士にして瞬間移動を使いこなす能力者、その上優れた精神感応能力者でもある。
つまり愛は戦況が不利となればいつでも離脱する事が出来たし、なつみの能力は人を捕まえるのには向いていない。
本命は後藤の念動だったのだ。
後藤の接近を悟らせず、確実に念動の網に捕らえるために、なつみは里沙の言う「博打」のような戦い方をしたのだ。

「道理で、様子が変やと思うた」
「あなたはとても強いから、こうでもしないと話を聞いてくれないでしょ?」
「話?」
「力を貸してほしいの」

「力を貸してほしい」なつみの言葉を聞いた瞬間、愛は体中の血が沸騰するかと思った。
自分の中にこれ程までに強い怒りの感情があったのか、と驚くほどの凄まじい怒りが湧き上がってくる。

「ふざけるな!あたし達がお前らを倒すためにどれだけ!」
「――」
「どれだけ!人の心を踏みにじれば!お前らは!」

喉が破れ、血を吹き出しても構わないという様子で愛は叫んだ。
まさか自分に里沙達を殺させようとでもするつもりなのか、想像するのもおぞましい。
しかし、そのおぞましさに平然と足を踏み入れるのがダークネスなのだ。

「そんな事絶対に!絶対に許さない!」

愛はなつみの顔を睨みつけたまま、全身に力を込め、立ちあがろうとした。
後藤の念動のくびきと愛の燃え滾る怒りがせめぎ合い、ギリギリと軋みをあげる。

「驚いた……私の念動から抜け出そうとしてるよ、ちょっと凄いんだけど。なっち」
「話の続きは後でするしかないわね」

そう言ってなつみは腰から拳銃を取り出し、銃口を愛の背中に向け、二発銃弾を放った。
恐らく麻酔弾を撃たれたのだろう、愛の意識に急速に霞がかかっていく。

―視界がぼやけてきた。愛ちゃん、しっかりして!

愛は薄れゆく意識の中で、ポケットに入っているRと刺繍されたお守りに手を伸ばし、意識の最後のひと欠片を振り絞った。

「ばあば……みんなを……守って」

愛がお守りを祖母の墓標の裏へ瞬間移動させてたのと時を同じくして、なつみがぽつりと呟いた。

「どうか、許してあげてね……」

そして、愛の意識が途切れた。



夢から覚めた感覚に似ている。サイコ・ダイブから現実世界に戻った小春は、ふとそう思った。
こみ上げてくるものをじっとこらえる様に、里沙は瞼を閉じたまま、険しい表情で唇を噛みしめている。
沈みゆく夕日が里沙の額に浮かぶ汗を照らしていた。

「新垣さん……」

この時の里沙の様子ほど「悲痛」という形容が当てはまるものはない。
噛みしめた里沙のやや厚い唇から血が滲んできている。

――予感はあったのだ。
小春の念写で居場所が掴めなかった時点で、愛は組織に連れ去られたのではないかという予感は。
しかし、愛の記憶を追体験した事で、むざむざと連れ去られた愛の無念が里沙の胸を締めつける。

「新垣さん!」

思わず小春は声を張り上げた。もう見ていられなかったのだろう。
その声にようやく里沙は目を開いた。

「ごめん、小春」
「高橋さんどうなっちゃうんですか?」
「まだ詳しい事は分からない。でも」
「早く助けにいかないと」

里沙は小春の手を握りしめ、絞り出すようにして言った。

「ダークネスの本部はね、島なの」
「島?それが何か」
「移動する島なの」
「まさか……」
「場所が分からない」

ダークネスの本部は移動する海上の要塞であり、特殊な結界に守られていて外部の者にはその存在すら察知する事は出来ない。
元ダークネスの諜報員である里沙にすら、その現在地は予想もつかなかった。

「そんな……じゃあどうやっても無理なんですか」
「方法を探せば、本部に潜り込む事は出来ると思う。でも、時間がかかりすぎる」
「その間に高橋さんが酷い事されたら……」
「とにかく一度東京に帰ろう。みんなに伝えないと」

張り裂けそうな不安を押し殺し、里沙は小春の手を引いて立ちあがった。
今はやれる事をやるしかない。いつだってそうしてきたし、これからもそうだろう。
既に夜の帳が落ちかけている。今日中に東京に戻れるかどうか、微妙な所だ。

その時、二人の視線の先の空間に、人が通り抜けられるくらいの大きさをした金色の輪っかのようなものが現れた。

「東京に戻るんやったら、これ使い」

関西なまりの声と共に、金色の輪っかから女が姿を現した。
整った顔立ちに、猛禽を思わせる眼差しを持った女。
年よりは若く見えるが、その落ち着いた物腰からすると三十の峠は数年ほど越しているようだ

「リゾナンター新垣里沙さんと、そっちは久住小春さんね」
「だ、誰?」

見知らぬ女の不意の出現で虚を突かれた形になった小春は思わず上ずった声を上げた。
女の背後にある輪っかには見覚えがある、というよりさっき愛の記憶で見たばかりだ。

「お前の後ろの輪っか見た事あるぞ。お前もダークネスか!」

女に突っかかろうとする小春を制し、里沙は静かに言った。

「違うわ、小春」
「え?」
「組織のは銀色だけどこっちは金色。これは転送ゲートじゃない」
「ほう、よう気がつくな」

カラリとした声で女が里沙に親しげに話しかけた。
が、里沙は視線を微動だにさせず、袖口の鋼線に意識をそっと忍ばせる。

「組織の転送ゲートは、空間を操る能力者の力を元にして作られたと聞いています」
「そう、空間裂開能力」
「その使い手の名は、中澤裕子」
「本当に、よう知っとる。もう十年になるかな、組織を抜けてから」
「既に死んだと聞かされていましたが」
「フリや、死んだフリして足取りを消したのよ。現にこうして足もある」
「死んだはずのダークネスの伝説が、何故ここにいるか話してもらいます」
「心を縛る鋼の異名を持つダークネスの諜報員新垣里沙が、リゾナンターになったのと同じ理由よ」
「そういうはぐらかし、あまり好きじゃありません」

里沙は視線に宿る刃の鋭さをまるで隠そうともせず、女――中澤裕子を睨みつけている。

「……いいかげん、その袖に仕込んである物騒なモンしまってもらおうか」
「――」
「殺気を丸出しにしてまあ……、組織にいた頃は優等生やったと聞いてたけどな」
「今の私は優等生じゃありませんから、何をするか分かりませんよ」
「やめといた方がいい、死ぬで――私が」

そう言って中澤は茶目っ気のある笑顔を浮かべた。
毒気を抜かれた格好になった里沙は軽くため息をつき、袖口の鋼線から手を離し中澤を見つめ返す。

「新垣さん、こいつ知ってるんですか?」
「コイツってなんやアンタ」
「ダークネスの幹部、組織の中枢だった人よ」
「まあ十年前はね。今は政府の特務機関でリーダーをやってるわ」
「特務機関?」
「まあ平たく言えば正義の味方ってやつ」

「正義の味方」という響きに里沙が眉をひそめたのをちらりと見やりながら、中澤は言葉を続ける。

「特務機関『M』、闇を打ち払い朝をもたらすものとして、Morningの頭文字を取って名付けられたわ」
「でもあなた方には闇に対抗し得る戦力が無い」
「……よう見通すな……確かにうちには装備も練度も士気にも優れた隊員が揃っとる。でも能力者がいない。そこで」
「我々に『M』の手助けをしろと?」
「こちらはリゾナンターの戦力を頼りにしている。そちらは高橋愛に辿り着く術が欲しい」
「随分露骨な取引を持ちかけますね」
「その分正直に物を言っていると受け取ってほしいわ」
「ちょっと待って、高橋さんの所に行けるの?」

横から割り込んできた小春に軽く笑みを見せ、中澤は背後の金色の輪に顎をしゃくった。

「組織のゲートより私の能力の方が本家なんやで、それに本部の場所もじき特定できる」
「本当に?」
「小川が上手くやってくれてね。どう?悪い取引じゃないと思うけどねえ」
「小春、信用しちゃ駄目。この人は元々ダークネスだったのよ」
「それを言ったらアンタも同じや」
「私には――」

「愛ちゃんとみんながいる」と言いかけて、里沙は言葉を飲み込んだ。
中澤裕子にも「愛ちゃんとみんながいる」のではないだろうか?
中澤にとっての「愛ちゃんとみんな」は誰なのか、里沙は思いを巡らせた。

「私達にはそれぞれやるべき事がある。ここはひとまずにしても手を結ぶべきだと思うけどね」
「新垣さん……どうするんですか?」

里沙は思いを巡らせる。
なつみにも「愛ちゃんとみんな」はいるのだろうか?それともずっと一人で戦い続けているのだろうか?
なつみのやるべき事、中澤のやるべき事、そして里沙のやるべき事。
里沙はゆっくりと口を開いた。

「中澤さん、教えて下さい」
「何を?」
「安倍さんは何をやろうとしてるんです」
「それを私に聞いてどうするの?なっちが何をやろうとしてるかなんて――」
「なっち……そう、安倍さん。なっちっていうんですよね。友達みたいな、優しい名前ですよね」
「何が言いたい?」
「『M』に協力するという話、お受けします」

里沙の言葉に思わず中澤は目を見開いた。
不信感を隠そうともしなかった里沙が一体どういう心境の変化だろうか。
疑問符が脳裏をよぎる中澤には一瞥もくれず、里沙は小春の方を振り向いて、少し寂しそうに笑った。