『kanon―――』


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世界は色んな声に溢れている。
初めてそれを知ったとき、あたしはその色々な『声』に耳を傾けるのに夢中になった。

お父さんとお母さんの話し声、お兄ちゃんとおねえちゃんのお菓子を取り合う声、じいじとばあばののんびりとした声
向かいの家のお兄さんの電話する声、宿題をしなさいと叱るお隣のおばさんの声
八百屋のおじさん、魚屋のおにいさん、クリーニング屋のおばさんに、駄菓子やのおねえさん…
くだらない話で笑いあう声、知らないような難しい言葉を並べて電話する声、優しい声、あったかい声


―――――――――――――――………


鈴木香音は世間一般で言う成長過程より早く、たくさんの言葉を喋り、たくさんの言葉を知った。
音楽に携わる母からは『耳がいい』と褒められ、ありったけの愛情を受け幼児期からピアノを教わった。
大学教授の父からは難しい本を与えられ、将来を有望された。
年の離れた姉は父のように頭がいい。兄は音楽の才能に優れている。
特別な血が流れた子ども達なのよ。両親はうっとりとした声でそう言い、香音の頭を撫でた。

しかし香音は、ただたくさんの『声』が聞えるだけだ。
飛びぬけて頭が言い訳でも、音楽の才能に長けているわけでもない。
どこにでもいる普通の女の子だった。


頭が割れそうだ。
机に突っ伏して耳を塞いだ。それでも溢れる声は香音の耳に否応なしに流れ込む。

2度、机に頭を打ち付けてそれから耳に入れたイヤホンから流れる音のボリュームを上げた。
音が混じる。解きかけだった問題に取り掛かる。
それでも声が邪魔をして上手く集中できなかった。


どうして一度言われたことが出来ないの!?昨日教えたばかりでしょ?
こんな問題も解けないのか。どうしてだ。ちゃんと勉強しているのか?
お願いだからあたしの妹だって言わないでよ。ほんっと恥ずかしい
おまえは喋るな。バカがバレる。何言われても笑ってろ
鈴木家の恥だ。出来損ないだ。どうしてこんな子になっちゃったのかしら。


「あはは。あたしほんっとバカみたい」


香音が普通の女の子であるということに両親が気付くのにそう時間はかからなかった。
香音はたくさんの言葉でたくさん喋ったが、
成長過程に相当する位の理解力しかなかったし、ピアノの技術も年相応にとどまった。


「普通の家に生まれたら、普通の子どもになれたのかな…」


持っていたシャーペンを握り締める。広げていたノートにポタリと涙が落ちた。


香音ちゃんのノートすっごい読みやすいよねー。
この問題分かる?…あ、そーゆーことかぁ!ありがとね、香音ちゃんの説明すっごい分かりやすい
勉強頑張りすぎだってば。休み時間くらい一緒に遊ぼうよー
いつもピアノのレッスンどれくらいしてるの?私にも教えて
香音ちゃんの弾くピアノ好きだなぁ。すっごく癒される
香音ちゃんいっつも笑ってるよねーあたしまで元気になれるよ


あたしは人一倍…ううん。もっとたくさん勉強しないとお父さんに認められない
指が痛くて動かなくなるほどピアノを弾かないとお母さんに認められない
こんなのじゃ、こんなくらいじゃお兄ちゃんやお姉ちゃんにだって………!!!

気付けば握っていたシャーペンの先を手首に押し当てていた。
プツリ、と皮膚が破けて真っ赤な血が玉を作る。


「うるさい!声が、うるさい!!!!声が…声が…っ!!!!!!!
 誰、あたしに話しかけているのは!あたしの事を悪く言うのは!誰!だれ!?
 誰があたしをこんな風にしたの!?誰が、だれが、ダレがっ!!!!!!!!!!!」



手首を伝い真っ白なノートに血が落ちた。その刹那、たくさんの声がやんだ。




――― リゾナントで待ってるよ




聞いたこともない、優しい声を聞いた。