『妄想コワルスキー・Full throttle』 【コワルスキーEND】


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生憎にもというべきか、幸いにもというべきか。
里沙が床面にキスするには至らなかった。
れいなが支えきったのだ。
しかし無理な体勢からの不自然な運動をした代償は里沙の体重のパンツに集中した。
パンツは里沙の脚の付け根の部分にグィィィィィン!!と食い込んだ。
痛みが里沙の全身を駆け抜ける。

里沙の上体反らしと前方へ死のダイブの反動はれいなの右腕にも波及した。
里沙のパンツがれいなの指に食い込む。
その痛みはれいなを怜悧な観察者から、熱い戦士に立ち返らせた。

「ガ、ガキさん」

大人一人分の体重を支えているれいなの右腕にはかなりの荷重がかかっている。
その重さは仲間の大切さをれいなに思い出させた。

「ガキさん! とにかく落ち着こう」

          ☆          ☆          ☆

熱い、まるで燃えているように熱い
熱気が体中に伝わっていくわ
この熱さがれいなの本質なの?

脚の付け根、パンツの食い込んでいる部位で感じている痛みや熱さは、相対的に里沙の冷静さを取り戻させていた。

―わたし何を血迷っていたんだろう

―パンツをれいなに掴まれたぐらいで、自分のことを諦めようとするなんて

わたしはまだパンツを掴まれただけ、パンツを奪われたわけじゃない
仮にパンツを奪われたってそれが何
パンツを履いていたって履いていなくたってわたしはわたし
戦士の誇りとは何?
敵を倒すこと?
違う?
戦士の誇りとは戦いの目的を達成すること?
戦いの目的が勝利を越えたところにあるからわたしは勝利を目指した

でも勝利とも敗北ともかけ離れた場所を走る道があるのならわたしはその道を進む
そして辿り着いてみせる「凡奇湯」へ
くれてやる
れいながパンツから手を離さないならくれてやる
パンツなんてただの布だ

里沙の瞳に光が灯った。

          ☆          ☆          ☆

その人はいつも憧れている人の傍らにいた。
憧れの人の輝きに隠れずっとずっと気付かなかった。
憧れの人の朝が訪れるのは、その人の夜が支えていたからだと。

いつか自分が成長して行きたい場所は、憧れの人のいる場所でなく、憧れの人の傍らで微笑んでいるその人がいる場所だった。

ずっと追いつきたいと思っていた背中だった。
生涯追いつけないと思っていた背中だった。
その背中が今自分の目の前にある。

目標にしていた背中は間近で見ると思いの外小さいのが悲しかった。
その人の履いているパンツは思いの外派手だった。
その人の尻の割れ目は眩しかった。

―追いつき追い越してみたら何ということはなかったな。

新垣里沙のパンツを掌で感じながら田中れいなは振り返る。
里沙と出会ったときから今日までの日々。
勝利の喜びも追いつき追い越したという達成感もない。
今れいなの胸中にあるのは目標を見失った喪失感だけだった。


―さて、どうやってこの状況に幕を引くっちゃね
―少しはガキさんの顔も立ててやらんと

れいなにとって里沙との勝負はすでに終わったことだった。
れいなとって里沙は過去の人だった。
だからこそ自分が主導権を握って、事態を収拾するつもりでいる。

そのことをれいなの慢心と言ってはれいながあまりにもかわいそうだ。
何っといってもれいなは里沙のパンツを鷲掴みにしているのだ。
そんな状態の里沙に反攻の意志など沸いてこないと判断した。
万が一反撃してきても、逆転の目は無いと踏んでいた。

なにしろ里沙の背後からパンツを掴んでいるのだ。
理沙の股にパンツがグィィィィィンと食い込んでいるのだ。
尻の割れ目まで晒しているのだ。
この体勢から戦意を奮い立てて、反撃してくる筈がないというれいなの判断は至極妥当なものだった。
その相手が新垣里沙でさえなかったなら。

事態を丸く収めるべく思考を走らせるれいなは気付かなかった。
里沙の下半身が、一定のリズムを刻んでいることを。
パンツを掴むことで里沙の動きを完全に制したと思ってしまったのだ。

里沙は右足で小刻みなステップを踏みながら、一定の周期がやって来ると、腰を強く捻る。
腰を捻り終えるとまた小刻みなステップを踏むことを繰り返した。
まるで何かの機会を窺っているようでもあった。
あるいは何かの動作の予行演習のようでもあった。
もしもその様子をある年齢以上の大人が見たらある言葉が思い浮かんだであろう。
たとえば娘との関係が現在進行形で修復中のれいなの父親が、この場に居合わせたなら娘にこんな注意を促しただろう。

「れいな、気をつけるんだ。 その女性(里沙)はパンツを脱ごうとしてるぞ。 父さんはそんなステップを見たことがある。 その人はパンツ大作戦をやろうとしてる!!」

「パンツ大作戦」である。
水泳の授業を受けるための着替えの際に、おのれのお稲荷さんを開陳したくない男子生徒が生み出した更衣テクニックである。
パンツの上から海水パンツを重ね履きして、パンツのみを脱ぐ(抜く)というC難度のスキルである。

10年以上前にナンバラバンバンなお笑い芸人が、TV番組で披露したことでその存在が広く知れ渡った技である。

当たり前の話だが里沙はパンツ大作戦を知らない。
パンツ大作戦という名称は勿論のことだが、そんなスキルがこの世に存在していたことを知らないのだ。
しかし今これから里沙がやろうとしていることは、パンツを脱ぎ捨てることである。

喫茶リゾナントの中とはいえ何故パンツを脱ぎ捨てようとするのか。
「凡奇湯」への招待状を手に入れながら、れいなに行く手を阻まれたことでヤケクソになったわけではない。

進むためである。
「凡奇湯」への道を進むためである。
そのための妨げとなるからパンツを脱ぎ捨てるのである。

今里沙のパンツはれいなによって掴まれている。
その為に「凡奇湯」への道を突き進むことが出来なくなってしまった。
里沙が「凡奇湯」へ向かうには何とかして、れいなの手をパンツから離させる必要があった。
しかし、愛から里沙の介抱を頼まれたことで、れいなの忠誠心は燃えている。
愛が帰ってくるまで、里沙を解放することは有り得ない。
説得や懇願も受け付けることはないだろう。

ならば、れいなを倒すか?
れいなを倒すことによって、堂々と大手を振ってリゾナントの出入り口から「凡奇湯」への道を進むべきか。
その方が勇ましく思える。
戦って敵を倒し、目的を達成する。
その方が戦士には相応しいやり方のように思える。
しかし、里沙は悟ったのだ。
戦いは無益なものだと。
戦士にとって戦いは使命、ならば戦いを避けることはない。
今日までの里沙はそう思っていた。
さっきまでの里沙はそう確信していた。
パンツがグゥィィィンと食い込むまでの里沙だったなら、そう信じていた。

しかし今の里沙は違う。 パンツが食い込む痛みが里沙を目覚めさせたのだ。
戦士として更なる高みへと導いたのだ。

れいなとは戦わない。
それが里沙の導き出した答えだ。
いや、戦わないというのは正しくはない。
れいなとは戦う。
しかし拳と拳を交えるような戦いは行わない。
己の目的を達成することに専心する。
その為なら無駄な闘争は回避する。
一見臆病なように映るが、それこそが里沙の戦いだった。

れいなは里沙の動きを制している。
しかし、直接里沙の体に触れて、拘束しているわけではない。
パンツを掴んでいるだけなのだ。
ならば、パンツという接点を切り離せば、里沙はれいなから逃れられる。
パンツを脱ぎ捨てたなら、里沙は自由になれるのだ。

つまり、今の里沙にとってパンツはパンツであってパンツではない。
動きを拘束する足枷に過ぎない。
だからその足枷を捨て去ろうとしているのだ。
パンツという足枷さえ無くなってしまえば、もう誰も里沙という自由な鳥を檻の中に押しとどめて置くことは出来ないのだ。
だから、里沙はパンツを脱ぎ捨てようとしている。

れいなにパンツの一部を掴まれているという極めて厳しい状態から、パンツを脱ぎ捨てようとしている。
その為に身体でリズムを刻み、足はステップを踏んでいるのだ。
立ったまま、生地の一部を他人に掴まれているという厳しい状態でパンツを脱ぎ捨てるには、尋常のやり方では敵わないのだ。
結果とおして、そのステップはいわゆる「パンツ大作戦」のステップと酷似している。
しかし里沙本人には「パンツ大作戦」という意識などは毛頭ない。

ただひたすらに、パンツを脱ぐ。
この一点に賭けている。
そしてその為に必要な動作を頭の中で幾度もシミュレーションしている。
イメージトレーニングの一環として下半身で不可思議なステップを刻んでいる。
もちろん、機会があれば一気にパンツを脱ぎ捨てる覚悟は出来ている。
パンツを掴むれいなが隙を見せれば、イメージトレーニングの枠を飛び越えて、瞬時にパンツを脱ぎ捨てる胆は固まっている。
ただ、れいながその隙を見せない。
だから、幾度もステップを踏み、パンツを脱ぎ捨てるイメージを心に刻む。

まさに、"ふるえるぞハート! 燃えつきるほどビ――――ト!! 刻むぞ脱パンツのビート!”であった。



―ガキさん、何ねこの震えは

れいなには里沙のパンツを通じて伝わってくる脱パンツのビートが何を意味するか判らなかった。
一見気分屋でぶっ飛んでいるように見えて、その実れいなも常識に囚われた人間だ。
だから里沙が喫茶リゾナントの店内で、しかも自分の目の前でパンツを脱ごうとしているとは考えられなかったのだ。

―まさか、獣が、ガキさんのなかにおる獣がまた暴れ出しとう? それやったら早うトイレに行かしたらんと

寝起き、薄着、急激な運動という要素から里沙の体の震えを、里沙の中の獣の仕業だと推測したのも常識の範疇だった。

―でも、このバイブレーションは獣とは違う?

田中れいなは決して愚鈍ではない。
確かに学校で教わることや一般常識の類についてはかなり厳しい面があることは否めない。
しかしおのれが体でぶつかって学習したことは決して忘れたりはしない。
だかられいな自身がこれまで生きてきた二十年余の時間の中で、何度も向き合ってきた獣のビートと今里沙から伝わってくる謎のビートが異なっていることに気づくのにそんなに時間はかからなかった。

そして、謎のビートが実は自分でも刻んだことがあるものだということも思い出した。

―何ね、このビートは

神経を研ぎ澄まし、里沙が放つ謎のビートの正体に迫ろうとする。
まさに"耳を澄ませハート! 伝わるんだビーーーーート!!”

時間はさしてかからなかった。
獣のビート同様、脱パンツのビートも何千何万回とれいなの人生の中で刻んできた。
体が覚えているのだ。
里沙が刻むビートがれいなの体の細胞一つ一つに浸透していったことで、れいなは理解した。

―ガキさん、まさかこんな場所でパンツを脱ぐつもり


信じたくはなかった。
たとえ戦いで乗り越えたとはいえ、里沙のことを尊敬してきたのだ。
今でも敬愛しているのだ。
そんな里沙がこんな場所でパンツを脱ごうとしているなんて思いたくはなかった。
だが、れいなと里沙。
二人の間で刻まれていた二つのビートは今や共鳴して一つのビートを刻んでいた。
そのビートは一つのことを指し示していた。

―何でっちゃ、何でガキさんはこんなところでパンツを脱ぐっちゃ

れいなは里沙の愚行の理由を思い図ろうとした。
目覚めてからの里沙の行動を思い出していた。

―確かガキさんはいきなりリゾナントを出て行こうとしたっちゃ
―それを止めようとしたられいなのこと…!!
―まさか、いきなりガキさんが殴りかかってきたんはガキさんが出て行こうとしたのを止めたから?
―そして、今パンツを脱ごうとしているのも、れいながパンツを掴んでて出ていけんから?
―ガ、ガキさんはリゾナントを出て行くためにパンツを脱ごうとしてるっちゃ!!

何て人間だとれいなは思った。
格闘で軽くあしらったことで里沙のことを越えたと思っていた自分のことが恥ずかしくなってしまった。

―れ、れいなには出来ん
―そ、そんな理由でパンツを脱ぐなんてとても出来ん
―だって、出て行くためにパンツを脱ぐってことは、外をパンツ無しで出歩くってことっちゃ
―れいなにはそんな恥知らずなことはとても出来ん
―ガキさん、ガキさんはやっぱスゴい
―ガキさんのその覚悟、れいなには手が届かん

刹那の間、感動に浸っていたれいなだったが、すぐ反発の感情が芽生えてきた。

―確かにガキさんはすごい
―どんな理由があるにせよパンツ無しでリゾナントを出て行こうとするなんてれいなには到底出来ん
―でも、それは違うっちゃろ

れいなの頭に浮かんだのは、リゾナントへの思いだった。

―確かに外は薄暗がりやけど、まだ人通りも多い
―そんな状態の町にリゾナントからパンツ無しのガキさんが出て行ったら
―町の人がリゾナントのことをそんな店やと思ってしまうっちゃ

れいなのリゾナントへの思いは強い。
収入源でもあり、住居でもあるから当たり前だが、それだけではすまない感情を有していた。
それは家族に対する思いにも似ていた。

これまでにリゾナントは幾度と無く危機に見舞われた。
商売敵によって偽の食中毒騒動を仕掛けられたこともあった。
ダークネスによって一服盛られたリゾナンターが戦闘不能状態に陥ったところを敵戦闘員に襲撃されたこともあった。
将軍アヤとの最終決戦に全員が出撃したタイミングを見計らって、別働隊が強襲してきたことさえあった。
いずれの場合も間一髪のところで危機は免れた。
危機を救ったのは通学電車の中からリゾナントを眺めていた学生であり、店の常連客であり、一宿一飯の恩義を感じた美勇伝であったりした。
リゾナントが繋いだ縁がリゾナントを救って来たのだ。

―みんなが守ってくれたからリゾナントの今日があるたい
―そんなリゾナントをこんなことで
―身内のガキさんのしたことで信用を台無しにしてしまったら
―これまでリゾナントを守ってくれたみんなに会わせる顔がないけん

れいなの貌に焔が点った。
先刻、里沙を倒そうとした時に宿していた冷たい炎ではない。
何かを守る決意が籠もった熱い炎が燃えていた。
いや、自らの意思で燃やしたのだ。

―ガキさんがそんなにパンツを脱いで表に出たいいうなら、れいなは絶対に脱がせんけん

わがまま気ままだった娘が成長してリゾナントを守ろうとする姿を見れば、れいなの父は一抹の寂しさを覚えながらも、きっと喜ぶだろう。

―頑張れいな、栄光はお前と共にある、と。

そしてれいなは決めた。
里沙がパンツを脱ぐという一点に賭けるなら、自分はパンツを脱がせないという一点に集中すると。

―何てったってれいなはパンツを掴んどるけん絶対有利やし

―もしもガキさんが一万回パンツを脱ぐんなら、れいなはその傍から一万回履かせればいいたい

幼かった娘の決然たる意志を知れば、れいなの父はこう言って激励しただろう。

―れいな、お前の考えは正しい
―パンツ大作戦は成功率が極めて低いスキルだ
―お父さんも昔やったことがあるが、足を攣って転げてお稲荷さんを見られてしまって大変だった
―そもそもパンツ大作戦は自分の手でパンツを下げるものなんだ
―その女性(里沙)はお前の手にパンツを握られているという時点で不利だ
―パンツ大作戦、敗れたり

勿論れいなの父親はこの場には居合わせない。
だから、パンツ大作戦の構造的欠陥を指摘したれいなの父の言葉が里沙の耳に入ることも無かった。
しかし、仮にその言葉が耳にしたところで里沙の心が折れることは無かっただろう。

何故なら新垣里沙は戦士だからだ。
それもただの戦士ではない、誇り高き戦士だ。
困難だとか不可能だとかいうことで戦意が揺らぐことは無い。
もしもれいなの父の「パンツ大作戦敗れたり」という言葉を聞いたなら、鼻で笑ったことだろう。

―ふざけるんじゃないわよ、あんたの言ってるパンツ大作戦なんて所詮はお遊びに過ぎないわ
―自分のお稲荷さんを見えるか見えないか、ギリギリの線でパンツを上げ下げて観衆を楽しませている
―誰かに見せることを想定している時点で、それはガチじゃない
―あんたのパンツ大作戦がプロレスなら、わたしのパンツ大作戦は軍隊で採用している徒手格闘技
―見せるとか見せないとか関係ない、目的はただ一つ
―脱ぐだけ

こう言ってれいなの父を論破しただろう。

いずれにせよ、もう戦いの火蓋は切られている。
里沙の勝利基準はパンツを脱ぐこと。
れいなの勝利基準はパンツを脱がさせないこと。

脱パンツのビートを刻みながら、腰を捻りパンツからおのれの尻を抜こうとする里沙。
着パンツのビートを刻みながら、腕を駆使して里沙の尻の動きにパンツを追尾させるれいな。
一見、滑稽な動作に見えるが、両者は智嚢と体力をフルに働かせていた。
もしも二人の精神の働きを視覚に捉えることが出来る能力者が居合わせたなら、その鮮烈な輝きに目を奪われたことだろう。

里沙が右に尻を捻れば、れいなも右にパンツを動かす。
里沙が左に尻を捻れば、れいなも左にパンツを走らせる。
右と見せかけて、左と見せかけて、右に尻を捻れば、右に見せかけられたように見せて、左に見せかけられたように見せて、実は右。
最初は派手な動きが続いた戦いも、やがてお互いの何十手先の読みあいに収斂されていく。
里沙は尻の肉を大きく動かさず、尻の筋をピクリと動かす。
するとれいなもその動きを打ち消すように、目に見えない速さでパンツを動かす。


もうそれは戦いではなく、会話だった。
言葉ではなく、尻とパンツを通じて意思を通わせているのだ。

―パンツを脱がせろ、外に行かせろ

―あきらめるっちゃ、パンツは脱がせんけん

要求と説得、宣言と懇願。
声にならない会話はどれほど続いたのだろう。
やがて里沙の尻が動きを止めた。

「ガ、ガキさん。 ようやく思いとどまってくれた?」

そう言うれいなの息はかなり荒々しい。
無理も無い。
実はこの戦いのイニシアティブは常に里沙が握っていたのだ。
里沙が先に行動を起こしていたのだ。 里沙がパンツを脱ごうとしていたのだ。
れいなはそれを防ごうとしたのだ。 精神的な疲労度はれいなの方が大きい。
そして精神の疲労は肉体にも影響を及ぼす。

最初は圧倒的に有利だった体力比も今ではほぼ互角のところまで落ち込んでいた。

「よく、ここまでついて来られた」

「何ね、その高見からの発言。 言っとくけどれいなの方が絶対有利やけん」

そう、確かにれいなは里沙のバックを制している。
里沙の背後からパンツを掴んでいる。
戦いにおいては敵の後方を制している方が有利だという鉄則に基づけば、れいなの方に分がありそうだった。


「それがどうした。 あんたとわたしとでは戦いの年季ってやつが違うんだよ。 今それを判らせてあげるから!!」

まるで判決を言い渡す判事のように厳かな口調で里沙は言った。

「新垣里沙、フルスロットル!!」

里沙は左腕でおのれのパンツの右サイドを掴むと、ロケットの発射のような勢いで急上昇させた。
パンツの生地は限界を超え、里沙の頭の上にまで伸長した。
そのことによってももまわりの面積は通常の数倍に拡張された。
そこを悠々と通過して、里沙の頭が抜けていく。

「ちょっ、ガキさん!!」

れいなは度肝を抜かれていた。
パンツを掴んだ里沙の左腕が急に上がったかと思うと、広がったパンツのももまわりから里沙の頭が抜けていったのだ。
頭に続いて右肩もパンツの頸城から抜け出している。

―このままじゃ、ガキさんがパンツから抜け出してしまう

焦ったれいなは手をパンツから放してしまった。
パンツから抜け出した里沙の体を手で直接捕まえようとしたのだ。
里沙のパンツから手を放すことの危険性は判っていた。
しかし自分なら一瞬で里沙の体を捕まえることが出来ると思ったのだ。
仮に捕まえそこなったところで、リゾナントの出入り口は施錠しているのだ。
そこで里沙を足止めすることが出来る。
ノーパンの里沙を外に出すことは無い。
そう思ったれいなは里沙のパンツから手を放してしまった。

…そして里沙はその一瞬を逃さなかった。
自分の体が自由になった一瞬を決して無駄にはしなかった。

れいなの目に映ったのは両脚を高速回転させてリゾナントの出入り口に突進していく里沙の姿だった。

「あぶないっ!」

前のめりにつんのめって木の扉に頭から突っ込んでいく里沙の姿に、れいなは思わず悲鳴を上げてしまった。
しかし、その心配は杞憂に終わった。

パンツという檻から脱出するという目的の達成感が里沙に力を与えていた。
自分はデキる、デキる女だという確信は揺るぎない信念を里沙の心の中に生まれていた。
信念は肉体を駆り立て、歩を進ませる。
弾頭のように扉に炸裂した頭頂部は固い木材を貫通し、亀裂を生じせた。
そうして出来上がった空間を通過して里沙は表の通りに飛び出していった。

YEAH!!という奇声がたちまちのうちに遠ざかっていく。

れいなは自分の前で繰り広げられた光景を信じることが出来ず、呆然と突っ立っていた。
やがてその顔に得も知れぬ笑みが浮かんでいく。

―ガキさん、あんたはやっぱスゴいっちゃ

戦いに敗れたという挫折感など微塵も感じていない。
里沙に追い付き、追い越してしまったことで巣食っていた喪失感が消え去っていた。
追いつきたいという目標が存在するということはそんなにも嬉しいことだった。

―いや、あん姿には追いつきたくないけど。

れいなはリゾナントから出ていった里沙の姿を思い浮かべていた。
ロケットというよりも、ミサイル。
床面に水平な体勢で頭から扉に突っ込んでいった里沙の裸足の足裏が妙に鮮明に頭の中に刻み込まれている。
そして…。


―ガキさんエンジンは全開やったけど、パンツは全開っていうわけやなかったっちゃ

里沙本人の力でサイドを引き上げることによって伸長したパンツは、れいなが手を放したことによって伸長の限界点に達することはなかった。
ギンギンに伸びたパンツは、本来の支点である右ウエストとは真逆の左肩の部分に収まっていた。
もしも里沙を正面から見たら、パンツでたすき掛けをしてるように見えただろう。
そんな里沙の姿をれいなの父が目にしたら、こう言っていたはずだ。

―ま、まさか変態仮面が実在していたなんて


未だ追い付くことの出来ない先輩の後ろ姿を思い浮かべて、感慨に耽っていたれいなだったが、暫くすると動き出した。
店の物置から大工用具を持ち出してくると、里沙が木の扉に開けた穴の補修を始めた。
インナーと伸びきったパンツ姿で飛び出していった里沙の後を追おうという気持ちは微塵も起こらない。
今の自分では里沙に追いつけっこないという確信があった。
ただしそれで追い付くことをあきらめたわけではない。
追いつけないという現状を認めることは、いつの日か追い付いついてやるという自分に対する決意表明でもある。

―それに、もしガキさんに追い付いたところで
―あんな変態みたいな格好の人間と知り合いやと思われたら、恥ずかしくて町を歩けんし

里沙のことは嫌いではない。
尊敬しているし、目標にもしている。
しかしそれとこれは違うというのがれいなの考えだった。
理想と現実。 夢と実生活を行き来する。
それが大人というものだ。
成長するということはそういうことだ。
もしもれいなの父がそんな娘の姿を見たならば、満足げに微笑んだことだろう。


―あっ、そう言えば愛ちゃんが言ってたけど
―ガキさんの枕代わりのクッションに中澤さんの旅館からの招待状を入れとくって

里沙が「凡奇湯」へ入湯することを望んでいることなど、愛には最初からお見通しだった。
長年連れ添ってきた間だ。 精神感応というチカラを使わずとも、何を考えているか判ってしまうのだ。
リゾナンターの仲間と連れ立って中澤の旅館に赴いては、里沙によけいな気を使わせてしまうと思い、リーダーの強権を発動したのだ。
今年は里沙一人に中澤からの招待状を委ねると。

念のためクッションを確かめてみたら、招待状の入った封筒は消えていた。

―ガキさん嬉しくて舞い上がって、あんなに暴れ…るわけないっちゃね

きれいに折り畳まれている里沙の衣服を見て、れいなは背筋に冷たいものが走った。

―ま、まさかとは思うけどあの格好で「凡奇湯」へ向かうなんてことは…

―YEAHeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!!!

里沙の声が脳裏に響いた気がした。

          ☆          ☆          ☆


「Hiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!」

―これがハイッてやつなのだ

夕闇迫る町をひた走りながら里沙は思う。
昼過ぎにリゾナントの郵便受けに手を突っ込んでから数時間以上、食べ物はおろか水さえ飲んでいないのに、疲れを感じない。
むしろ1メートル走るごとに、力が漲ってくる。

今の里沙は飢えた狼だ。
北極圏で生息する狼は、飢餓感が強まれば強まるほど獲物を求めてひた走るという。
走ることで血糖値を上昇させ、飢餓感を一時的に解消させるのだ。
「凡奇湯」という獲物を求めて里沙は走り続ける。
伸びきったパンツにインナーシャツ1枚という格好など気にもしない。

―このまま飛ばすぜ!
―待ってろ「凡奇湯」!

現実的に考えれば、今の状態の里沙が日本海沿岸にある中澤の宿までの距離数百キロを走破することは不可能に近い。
だが里沙は立ち止まらなかった。
衣服や財布を取りにリゾナントに戻るという考えは浮かんでも来ない。

実際は取りに戻っても差し支えないのだ。
愛がリーダー権限を発動したことによって、「凡奇湯」の優先入湯権は里沙に与えられたのだ。
堂々と大手を振ってリゾナントに戻り、旅支度を整えた上で悠々と出立すればよいのだ。
だがそれは高橋愛から見た現実であって、新垣里沙の現実とは異なる。

里沙にとって「凡奇湯」への招待状は、妄執に取り付かれた哀れなおっぱい亡者との戦いに打ち勝って手に入れたものなのだ。
亡者の中でももっとも我欲の強い田中れいなには首尾良く一杯食わせたものの、未だ相見えていない亡者どもも存在する。
その中には久住小春というれいなに匹敵するぐらいのおっぱい亡者がいる。
一度打ち負かしたれいなや他の亡者だって、簡単にあきらめるとは思っていない。
潔さが欠片もなく、未練がましいからおっぱい亡者になるとさえ里沙は思っている。
だから今の里沙にとってリゾナントは世界で一番危険な場所なのだ。

それが里沙の中での現実だ。
孤立無援の現実の中で里沙は走る。
「凡奇湯」に向かって。
雄々しくも、猛々しい雄叫びを上げながら。

「Hiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!」

そんな里沙の姿を見て腰を抜かした老人は恐れおののき、命乞いの手を合わせた。
成人男子は一瞬ニヤツきながらも、紳士の仮面を着けてその場を取り繕った。
成人女子の母親世代は、子供たちを変質者から守るための不審者情報ネットワークに通報した。
男子学生は硬直した。
女子学生は賑やかな奇声を上げて、携帯で撮影しようとした。
子供たちは大喜びした。
犬は吠え、猫は毛を逆立て、鳥は一斉に羽ばたいた。

当の里沙はというとそんな騒ぎなど気にもせずにひた走り、ある曲がり角にさしかかっていた。

強い衝撃を感じた。
全速で走りながら、歩行者や自転車などの障害物は巧みに回避していた里沙からすれば、ちょっと信じられない不手際かと思われた。
というよりも、戦士たる里沙が普通の人間や町の構造物に誤って突き当たることなど有り得ないはずなのだが。

「ジュンジュン」

里沙は誤って誰かに接触したのではない。
向こうから里沙に接触してきたのだ。
いや、大きな腕で捕まえたのだ。

「に、新垣サ、いったいそのカッコはどうしたわけなんデスカ?」

来日してかなりの時間が経ち、上達した日本語がしどろもどろの状態なのは、ジュンジュンが動揺していることを物語っていた。
目も丸くなっている。

れいなから連絡を受けた追っ手の一人だと思ったが、ジュンジュンの様子を見て、一旦その疑いを解くことにした。
一旦というのは全幅の信頼を置いたわけではないということだ。
決して油断してはならない。
今の里沙は「凡奇湯」へのパスポートを手にしてるのだから、誰がどんなに親しげに近づいてきても、気を許してはならないのだ。

ジュンジュンはというとそんな里沙の心の葛藤を知ってか知らずか、自分が来ていた上着を里沙に羽織らせようとしていた。

「ホントにどうしたデスか。 まさかダークネスに襲われたんじゃ…」

ジュンジュンがそう思うのも無理はない。
彼女たち―新垣里沙やジュンジュンは戦士なのだ。
いつ何時敵の襲撃を受けないとも限らない。
まして今の里沙の姿と来たら上下とも下着一枚という惨憺たる有様なのだから。

ジュンジュンの問いかけに頷けば、話は簡単だということは判っていた。
だが自分のことを本当に心配してる様子のジュンジュンを目の当たりにすると、偽りを口にするのが躊躇われてしまう。
といって真実を話すこともはばかられ、口ごもってしまった里沙を見て気を回したジュンジュンは激高する。

「新垣サン、口にスルこともデキナイぐらいヒドいことをサレタデスか」

「あ、いやそうじゃなくて…」

「クソぉぉぉぉぉぉぉ!! ダークネスの人でなしめぇぇ!!! 新垣サンが何をシタっていうンダ」

許さないぞ、と握りしめた拳に獣化の兆しが見て取れた。

「ありがとうジュンジュン。わたしは大丈夫だから安心して」

ここでジュンジュンを獣化させて、パンダを町中に出現させてしまっては大騒ぎになって自分の所在が判ってしまうと思った里沙は必死でなだめる。

しかし里沙のそんな態度は受けた心の傷の裏返しだと思ったのだろう。
ジュンジュンの怒りは収まる所を知らなかった。
自分が否定すれば否定するほどジュンジュンの怒りが熱くなることに気付いた里沙は、敢えてジュンジュンの勘違いを利用することにした。

「お願い、ジュンジュン。 わたしを何処かに連れてって。 全部洗い流してしまいたいの」

里沙の懇願を聞いたジュンジュンの様子が一変した。
気遣わしそうな視線で里沙を見つめると、すぐに目を反らせる。

「スミマセン、気がツカなくて」

言いながら携帯電話を操作する。

「リゾナントにイキましょう。 今高橋サンに連絡シマ…」

「いやっ」

今の里沙にとってリゾナントは鬼門だ。
ようやく逃れてきた虎口に自分から戻るような愚行は犯せない。

「デスガ、リゾナントなら…」

「とにかくイヤなの。ねえジュンジュンお願いだからわたしをどこか遠くに連れてって」

今は仲間とも顔を合わせたくないという里沙の願いを聞き、ジュンジュンは困惑する。

「それならヤパリ気心の知レタ…」

愛を呼び出そうというジュンジュンを里沙は説き伏せる。


「あなたがいいの」

「ワタシでイイデスか?」

「あなたがいいの」

「ワタシなんかでイイデスか?」

「あなたでなきゃだめなの」

里沙とのやり取りの中でジュンジュンの顔色が変わってきた。

「新垣サン、ホントにジュンジュンでイイデスか?」

「ジュンジュンがいいの」

「デモデモ、ジュンジュン大飯喰らいダケドそれでもイイデスか?」

「いいの」

「ジュンジュン、日本の永住権もってマセン。 それに獣臭いヨク言ワレます。 それでもイイデスか?」

「いいの、いいの」

二人の目と目が合わさり、手と手が重なる。

「イキましょう新垣サン。 アナタと二人ならどんなツラいことがアッテもジュンジュン平気。 ふたりきりにナレる場所を探してイキましょう」

「わたしを凡奇湯に連れてって」



♪いけない恋だとわかっても おさえきれないこの思い

♪この世で添えぬ二人なら いっそあの世でねえ貴方~

♪春の若狭湾 海鮮尽くし 五千九百八十円

♪むさぼる貴方の口許に 見惚れるわたし 変ですか~

♪あなたと行きたい 二人で行きたい~

♪リアス越~え~

曲名:『リアス越え』

          ☆        ☆          ☆


特急の止まらないちんけな駅には5分遅れで着いた。
ロータリーと呼ぶのが憚られるほどちっぽけな広場に中澤の旅館の送迎バスが止まっていた。
初老の運転手はパンツにインナー、ジュンジュンから借りた上っ張りという里沙の姿を見て一瞬驚いたようだった。
しかし里沙が中澤直筆の招待状を指し示すと、すぐに職業的な笑いを浮かべ里沙とジュンジュンを車内に誘った。

「あぁ~ヤパリ、リンリンも連れてきてアゲタかったな」

車窓に顔を押し当てて、移り行く景色を眺めながらジュンジュンが呟く。
名は体を現すとはよく言ったものだ。
李純。
この女の純粋さは本物だ。
旅の同行者に選んだのは正解だ。
仲間とのバトルで削れてしまったわたしの心が癒されてくる気がする。

「はぁぁ」

またため息をついた。
同胞で年下のリンリンを連れてきてやれなかったことに罪悪感を抱いているらしい。

―本当にかわいらしいやつだ

そう思った里沙はジュンジュンの気分を引き立てようと言葉をかけることにした。

「まあリンリンは色気よりも食い気だからねぇ。 温泉饅頭でもお土産にあげたら喜ぶさ」

―もっともその温泉饅頭は食べられないんだけどね
―「凡奇湯」に浸かって肌色で特大の温泉饅頭一丁上がり…みたいな
―フ、フフ、フフフ、フフフフ

「グフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ、おい、おっさん」

バックミラー越しに自分のことを痛ましげに見つめている運転手に噛み付く里沙。

「あたしの顔に何かついているのか」

「いえいえ、そのようなことは。 あまりにお二人がお美しいもので、つい見とれてしまいました」

「グハハハ、照れるなぁ。運転はしっかり頼むぞ、おっさん」

それにしても厳しい戦いだった。
ほんの1日前に繰り広げられた戦いを振り返る里沙。

―ひょっとしてずっと先の未来でわたしたちのことを調べる人間がいたとしたら
―今日のあたしの行動なんか、ただ勝手に舞い上がってヘンテコりんな行動をしたとしか思われないんだろうな


里沙は知っている。
かつてあれほど苛酷な戦いが繰り広げられたことはなかったことを。

―鉄火を応酬して戦ったわけじゃない
―戦場に屍が山積みになったわけでもない
―でもあれは戦いだった

戦いに勝ったという充実感は、一定周期で舗装の継ぎ目に乗り上げるような田舎道の車中ですら、凱旋門へ向かう戦勝パレードに思える。
そう、こんな風に。

ボン。キュッ。ボン! さようなら昨日までのわたしの涙
ボン。キュッ。ボン! こんにちは、究極なボディ
ボン。キュッ。ボン! そう、わたしは明日からはボン キュッ!ボン キュッ!BOMB GIRL?

Noooooooooooooooooooooo!!

Ⅰ am ボンキュッ!ボンキュッ!ボンキュッ!ボンキュッ!ボンキュッ!ボンキュッ!ボンキュッ!ボンキュッ!ボンキュッ!LADYEEEEEEE!!!


「お二人様ですか」

到着した二人を出迎えた女将中澤裕子の声が意外そうだ。
里沙は厳かに答えた。

「彼女たちは我ら誇り高き戦士に敬意を払って下さいました」

そう、あれは戦いだった。
戦いに、国敗れて山河ありと言う
わたしの胸に谷間はない



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