『ダークブルー・ナイトメア~6.heart to heart~』


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夢を、みた気がする。
いくつもの夢、仲間たちが一人で苦しんでいる世界を。

闇から伸びる無数の手。終わらない迷宮。誰もわかってくれない。
飲み込んだ言葉。透明な壁。鏡に映るもう一人。
赦されぬ罪。最強の「闇」。
そして―――――

目まぐるしく切り替わる悪夢のような世界。
だけどもこれは夢なんかじゃなくて。

自分の右手が闇に呑まれていくのを目の当たりにした時は、もう自分は消えてもいいと思った。
そうすれば楽になれると。
でも。
あんなに苦しそうに哀しそうに顔を歪ませたみんなを放っておくことはできない。
勝手に他人の心の一番深い部分を覗いておいて、全部気のせいにして逃げるのは許されない。

それに。

―――――会いたい。

闇に葬ることはあまりにも難しい、眩い光を放つ気持ちを取り戻したから。



 ※

「っらあっ!」

裂帛の気合、とも言うべき気迫で右手に纏わりついた光を払う。
光は霧散して闇の中に溶けた。
愛の右手に少しずつ普段の感覚が戻ってくる。

「あれ?なんか顔つき変わったね。さっきまで泣きそうな顔して固まってたのに」

ひたすらに闇が広がる空間。
余裕綽々な話しぶりのマルシェ。
無表情かつ無反応のi914。
右手を消されかかった前と比べて、特に変わった様子はみられない。
どのくらいの間意識を飛ばしていたのか定かではないが、それほど長い時間ではなかったらしい。

ならば、この世界を脱出する条件も変わっていないはずだ。
i914。
高橋愛の分身にして愛自身の心の闇。
彼女を倒さなければ、この悪夢は終わらない。

「顔つきくらい、いくらだって変わるよ。あんなもん見せられたらね」

i914に対する警戒は緩めないまま、愛はマルシェのほうに目を向けた。
闘いの前にはっきりさせておいたほうがいいかもしれない。
状況整理と、決意表明。
小さく深呼吸し、愛はゆっくりと語り始めた。

「『もう消えてもいいかな』って思った瞬間、愛佳の声が聞こえた気がした。助けを求めるような心の声が」
「ほう」
「それであたしは精神感応の力を発動させた。どんな小さな声も聞き漏らさないよう、全力で。
 そしたら、愛佳だけじゃなくみんなの声が・・・苦しんでる姿が、いっぱい頭に浮かんできて・・・・・・」

それは8人の心の世界の断片だった。
声をかけることもままならない一瞬の交錯の連続。
その際の光景は今も愛の脳裏に焼きついている。

「それだけなら『縁起の悪い走馬灯』と思い込んで、見て見ぬ振りをしたかもしれない。あたしも結構弱ってたし。
 ・・・でも、ただの走馬灯とは決定的に違う部分を見つけた」
「へえ?」
「あんたがいたよ。どこにでも」

同じように白衣を着て、同じように佇んで、同じように事態を観察している。
8人の世界の片隅には必ずマルシェがいた。
仲間たちは誰一人その存在を知覚できていないようだったけれど。

走馬灯でマルシェの存在を感じるはずはない。
これは、走馬灯ではなく悪夢。
ダークネスのDr.マルシェという科学者が仕掛けた、悪夢という名の罠に過ぎないのだ。

「だからあたしは戻ってきたんだ。この馬鹿げた“夢”に終わりを告げるために」



そう言い切り前を見据える愛の瞳は誰よりも澄んでいた。
迷いや疑いを捨て、歩むべき道を見つけ出した者の目だ。
それはどこか、「組織を抜ける」と自分に告げたあの日の里沙の瞳に似ていた。

「・・・きっと、共鳴の力と愛ちゃんの精神感応が変な方向に働いたんだろうね。
 この短期間で8人の心の一番深い部分を読み取るなんて並大抵のことじゃないよ」

私だって苦労してるのに、と紺野は苦笑交じりにぼやいた。
愛がやってみせたことは、紺野が機械の助けを借りながらやっていることとほとんど同じだ。
リゾナンター全員分の夢の把握。

――――それを、無意識にやっちゃうんだもんなぁ。

紺野は柔らかく嘆息した。
まったくもって、世界は不平等にできている。



「それで?仲間の苦しむ顔を見たこととi914の光を打ち消したことにどんな関係があるの?」
「あんたの言う“悪夢”の仕組みがわかった、ってこと」

愛は不敵に笑うと、二人から離れたところで立ち尽くしているi914に向き直った。
かち合う愛とiの視線。
すると、それが合図であったかのように。
これまで事態を静観していたi914が、突然ふっと姿を消した。

次の瞬間、i914は愛の頭上で蹴撃の構えをとっていた。
愛と同じ瞬間移動能力か。
しかし、愛はそんなのお見通しと言わんばかりに軽々とそれを避ける。
討つべき対象を失ったi914の脚は空しく空気を切り裂いた。風圧が愛の前髪を揺らす。
愛は間髪を入れずi914の顎を蹴り飛ばした。
骨を砕く確かな感触。
i914は受け身を取ることもできず仰向けに倒れ込んだ。

「ここは自分の心が生み出した世界なんでしょ?だったら、その心の動きはこの世界のどっかしらに影響するはず」

i914を見下ろして、愛は言った。
口元には涼しげな笑みさえ浮かべている。


立て続けに見た8つの世界の断片がこの夢の構造を理解するヒントとなった。
ここでは最悪の想像が形となって夢をみている本人に襲いかかる。
先程愛の見てきた通りだ。
抱えていた不安、もしもの世界、無意識下の闇―――――
そして愛自身も「自分より強い裏人格・i914」を想像して敗れかけた。

だが、最悪の想像が実現するならその逆もまた然り。

「あたしは『負けたくない』って思った。『早くこいつを倒して、みんなに会いたい』って。
 そしたら、右手を包んでた光が消えたよ。感覚もこのとおり」

実演とばかりに、ひらひらと顔の前に持ってきた右手の甲を左手でつまみ上げた。
思った以上に痛かったのか「いてっ!」という声も上がったが、それは愛の意志の強さが
“最悪の想像”を打ち破ったなによりの証明だった。

「話はそろそろ終わりでいいかな?今のあたしには夢をみてる時間なんてないから」
「・・・せいぜい楽しませてもらうよ、愛ちゃん」


          ◇


“傍観者”に過ぎないマルシェのことは考えなくていい。
今はただ、目の前の敵を倒すことにのみ集中する。

愛は跳んだ。
高く高く。
一撃でi914を踏み崩してしまえるくらいに。

しかし、i914もされるがままというわけではない。
仰向けで横たわっていたはずの彼女は瞬く間に消え去った。
かと思えば愛の鼻先に現れる顔。
吐息がかかるほど近く。まるで鏡写しのように。
息を吸う音。
そして衝撃。
至近距離からの一閃が愛の脇腹を薙いだ。

「ぐっ!」

i914の蹴りが愛の肋骨に衝撃をもたらした。
ひびが入っていく感覚と共に、愛の心には戸惑いが走る。

――――仕返しかよ!

倒れ込みそうになるのをなんとか踏ん張って、横に跳んだ。
もう彼女に自分の位置を特定させるような真似はしない。
跳躍のあとに連続的な瞬間移動を加え、空間を縦横無尽に動き回った。

彼女は、愛の動きを完全に捉えていた。
わざわざ愛の正面に姿を現れずとも、どこからでも攻撃を仕掛けることができたはずだ。
そこで敢えて相手の間合いに入る正面からの蹴りを選択した辺りに、彼女の執念を感じる。
先程愛が彼女の顎を砕いたことの仕返し。
目には目を、というわけか。

――――ちょっと意外かも。

機械のように冷徹な判断力を持つ彼女に、感情の動きが見え隠れするとは。
i914らしからぬ感情的な行動に、愛はちょっとした驚きと戸惑いを覚えていた。

『・・・・・・い・・・?』

とりとめもなく考えながら空間を移動しているうちに、脇腹の痛みが消えた。
この世界は当人の心持ち一つでどうにでも変わる。
相手をすぐにでも消し去りたいという心の容量を超えた願いは叶わなかったが、
痛みを徐々に消していく程度であれば造作もないことだ。
i914も、顎を砕かれた影響を微塵も感じさせない動きを見せている。
おそらく、愛が彼女に与えた痛みはすでに消えてしまっているのだろう。
ちょうど今の愛と同じように。

どちらも痛みを完全に遮断することができる以上、勝負は一撃で決めることが求められる。
要は、相手に痛みを感じる間を与えなければ勝ちなのだ。
一撃で「負けた」と思わせるほどの攻撃を放てばいい。

――――となると、あたしのほうが不利だな。

愛にとっての“一撃”は、隙を突いてi914に致命傷を負わせること。
しかし、対するi914の“一撃”は、同じく致命傷を負わせることと、光の力で愛の存在を消してしまうことの二つ。
愛とi914では手札の数が違う。

愛は、自分で意識して光の力を使うことができない。
いつだって光を放つ時の自分は“i914”だったからだ。高橋愛ではない。

仮にその力を自由に使えたとしても、愛自身がそれを使うことはなかっただろう。
あれは幼い頃に何人もの人間を消した忌まわしき力。
自分から積極的に行使しようという気には、どうしてもなれない。

「じゃあ・・・これならどうだ!」

もどかしさや苛立ちを抑えるかのように、愛はとある一点に意識を集中させた。
精神感応。
いくらi914が血も涙もない殺戮兵器といっても、ベースが人間である以上、必ずどこかに感情の動きというものがあるはずだ。
先程の“仕返し”のように。
そういった部分を読み取れば、この闘いを有利に進めることができる。
だが。

「かはっ!」

そこで隙を突かれるとどうしようもない。
間近に迫ったi914が、その手刀で愛の喉笛を圧した。
気管を潰すつもりか。それとも首を叩き折るつもりか。
生命の危機を感じとった愛は、慌てて飛び退き再び瞬間移動を繰り返す。


やはり、こうなる。
瞬間移動に費やしていた力と集中を精神感応にも回したことで、瞬間移動が疎かになってしまった。
愛ほどの能力者であっても、複数の能力を同時に、しかも最大限に行使することは難しい。
対峙しているのが愛と互角の力を持った相手であるなら尚更だ。
今のように隙が生じ、それを狙われることが増えてくる。

けれど、それでも諦めるわけにはいかない。
このまま相手の油断を待つだけの持久戦を続けていても、愛が勝てる見込みは限りなく薄いのだ。

『・・・・・・の?』
「え?」

その時、声が聴こえた。
掠れて、弱々しくて、耳をそばだてなければ聞き逃してしまいそうな小さい声が。
空耳?
いや、違う。
これは確かな、i914の心の声。

どうする、停まるか?
瞬間移動に重きを置いた今の戦い方ではこの声を完全に聴き取ることはできない。
聴くならもっと精神感応に集中しないと。
しかし、停まれば狙い撃ちにされる。
今瞬間移動を疎かにすれば、それは文字通り命取りへと繋がるだろう。

逡巡の末、愛は瞬間移動をやめてその場に静止した。
無謀は承知の上だ。
今は、これ以外の打開策が思いつかない。

愛はそっと目を閉じ、両手を広げる。
どんなに些細な心の声も零さぬように。


消え入りそうな囁き、呼気の漏れさえも逃さない。
来るなら来い。
狙うなら狙え。
全部受け止めてみせる。倒れたりなんかするもんか。
だって、“どうしても負けたくない気持ち”ってそういうもんでしょう!?

遠くで、i914が手を振り上げたのがわかる。
目を閉じていても伝わってくる。
これは愛の世界。愛の心の中の出来事だから。
自分の心がどう動いたかは、自分が一番よく知っている。

振り上げた手を、i914は勢いよく振り下ろした。
子供が手のひらを水面に思いきり叩きつけるように。
水飛沫の代わりに、愛の身体は光を浴びた。
その量は先程とは比べ物にならない。
i914の光が愛の全身に拡がっていく。

「消えない・・・から」

窓から差し込む木漏れ日のような温かさ。
そうした温度を纏った光が、愛の身体を侵食する。
抱きしめられてるみたいだ。
視覚を断っているせいなのか、場違いにも愛はふとそう思った。


『わ・・・は・・・・・・なの?』

声は光と一体化して、愛の身体を包んだ。
もはや、耳や頭だけではとても足りない。
目で口で鼻で手で足で指で髪で肌で・・・・・・“心”で、彼女の“心”を聴いた。

『・・・・・・ない』

感覚を研ぎ澄ます。


『私は、兵器じゃない』


思わず、閉じていた目を見開いた。
聴こえてきた言葉が、信じられなかった。


「・・・・・・私は、人間でいたい」


彼女の目から一筋の涙が流れる。
それを見た愛の目からも、自然と大粒の涙が零れ落ちた。



あぁ。
どうして、気がつかなかったんだろう。




i914は愛と同じことを考え、実行した。
相手の心を読んで、自らの有利に繋げようとした。
それが結果的に自身の心を乱すことになるとも知らずに。

愛は何度も言い聞かせてきた。
i914はもう一人の自分、高橋愛の裏人格だと。
わかっていたはずなのに。
それなのに気がついてあげられなかった。

この子は、兵器でもなんでもない。

自分と同じ、“人間”じゃないか。


「ごめんね」

“自分”に自分を否定されることほど悲しいことはない。
愛はi914の元へ歩み寄った。

二人の距離が縮まっていく。
その間に、愛の身体を抱いていた光は綿のように小さくちぎれながら闇の中に吸い込まれていった。
光の効力が少しずつ失われ始める。

どんなに愛が近づいても、i914は微動だにしなかった。
反撃を窺う気配もない。
じっとその場に立ち尽くし、愛の姿を見つめて、愛が歩み寄ってくるのを待っている。

やがて二人の距離はゼロになった。
微かに光の残る両手で、愛はi914を抱きしめる。

「機械だなんて思ってごめん。兵器だなんて思ってごめんね。
 あたしはあんたを受け入れるよ。もう、怖がったりしない」

愛は、自分がi914だった頃をあまり覚えていない。
けれど、自分が多くの“実験”に使われたということだけはなんとなく理解していた。
だから認めるのが怖かった。
善悪の区別もつかなかった頃とはいえ、その数々の“実験”の中心にいたのは紛れもなく自分であったという、その事実を。

だけど、もう逃げない。
これから愛は、i914がi914として受けた喜びや悲しみ、犯した過ちのすべてを背負って生きていく。

「あんたも大切な・・・あたしの一部だから」

回した腕に力を込めた。
愛の両手に残っていた光はいつの間にかi914の全身を包み込んでいる。

彼女は微笑っていた。
満足そうに笑んでいた。
もう大丈夫。
陽だまりのように温かな確信が、愛の胸いっぱいに広がった。


初めから、勝ちも負けもなかったのかもしれない。
必要だったのは勝負ではなく、心と心の対話。ただそれだけ。
愛たちは心を通わせた。一つになれた。
それにより、愛の悪夢は終わりを告げる。

i914は光になった。
笑顔のまま、光と一体化して消えた。
すると光は輝きを増し、夜明けを知らせる太陽のように闇で満たされたこの空間をゆっくりと照らしていく。
白み始める世界は愛に覚醒を促した。
この光が愛の心の闇を覆い尽くす頃、愛の精神は現実世界へと帰るのだろう。

しかしまだ、帰り支度を始めるわけにはいかない。

「行くんだね。一人で先に帰っちゃえばいいのに」

ずっと事態を静観していたマルシェの思念体が、面白がるように呟いた。
敵である愛が自分の仕掛けた罠を突破したというのに、焦りや戸惑いといった感情はまったく窺えない。
それは余裕か強がりか。
いや、どちらでもない。そんな気がした。

「みんなのいない世界に帰ったって意味ないよ」

きっぱりとした強い口調。
やけにあっさりとしたマルシェの口調とは対照的だ。
愛の中に燃え上がったある決意がそうさせた。

『闇に打ち勝とうとする強い意志は心の世界の事象に大きな影響を与える』。

愛はそれに気がつき、立証してみせた。
だが他の仲間はまだこの事実を知らない。
では、どうすればいいのか。
答えは明快だ。

愛が気づかせてやればいい。
先程そうしたように、仲間たちの夢を巡って。

自分の問題が解決したからといって一人帰っても、そこに仲間がいないのでは意味がない。
この悪夢の構造を理解して、己の心の闇を克服した自分にしかできないことがまだ残されている。

「あたしがみんなの悪夢を終わらせる。これ以上誰かの悲しい声は聴きたくないんだ」

愛はまたも精神感応を発動させた。
無意識に手探りに力を使った一度目とは違う。
追いつめられた末の切り札だった二度目とも違う。
今度は自分から、前向きな気持ちで力を解き放つ。
もう誰一人、悲しい想いをさせないために。

「あんたに教えてあげる。醒めない夢はないってことを」
「ふぅん?・・・・・・ま、頑張ってね」

気のないマルシェの返事が届くかどうかというところで、愛はこの「i914の恐怖と戦った世界」を離れた。
愛の意識が、別の誰かの心の中に飛んでいく。


主が去って、世界は空っぽの状態になった。
愛が対峙していたi914も光と化して消え、今この場に残っているのはマルシェの思念体のみである。
器だけになった世界に留まっても仕方あるまい。
短く息を吐くと、じきにマルシェも愛の精神世界から姿を消した。



 ※

高橋愛が動き出した今、これ以上のモニタリングは意味がない。
紺野は愛の心を覗くのをやめ、彼女のもとへ向けていた意識を回収した。
同様に、他の8人の世界に置いた思念体もすべて元に戻す。
9分割された精神の一斉帰還。
紺野という一つの存在が、ようやく自身の心の世界である雪原に帰ってくる。

灰色の夜空、一面の銀世界。

そんな景色の中に、紺野は一人で立っていた。
自分以外に誰もいない。
他には誰も存在させない世界。
いや。
たった一人、この世界に存在し得るとすればそれは―――――


「いいかげん・・・白黒つけないとね」

芝居がかった台詞が、降りしきる雪に交じって足下に吸い込まれる。
自己満足の呟きは誰の耳にも届かない。

雪が、強く降っている。















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