『mizuki―――』


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お家の人について作文を書いてみましょう。
小学生の道徳の時間に先生がそういったのを鮮明に覚えている。
あの時、父親か母親かを指定しなかったのがせめてもの救いだった。
聖の手が止まる。思い浮かべるのは父親でも母親でもない。所謂『お手伝いさん』だった。


いいよねー聖ん家はお金持ちでさ。家超デカいじゃん。
お手伝いさんもいっぱいいるんでしょ?うらやましーい
服もいつだってブランドだしねー憧れるわー。やっぱ何でも買ってもらえるの?
いいなぁ。私も聖ん家の子に生まれればよかった


お金持ちだからといって全てにおいて恵まれているわけではない。 
実際、聖は自分の母親の顔が分からなかったし、父親だって年に2回会えばいいほうだった。
身の回りの世話をするのは赤の他人で、聖はいつも言いようのない孤独感を抱えていた。

クラスメイト達の声を曖昧な笑顔で濁す。
いつからだろうか、そうすることが当たり前になっていた。

「聖ちゃん、お茶のお稽古の時間です」


お嬢様という呼び方を『ちゃん』付けに変えろと言ったのはその孤独感を少しでも紛らわせるためで
聞き分けのよい聖がした唯一の我侭だった。


聖が生まれた頃から自分を世話してくれている『お手伝いさん』は申し分ないほど優しく、気の利く女性だった。
目じりに深い皺が刻まれている。笑うと濃くなるそれが聖は好きだった。
だがこの女性にも『家族』があり、その家族を養うため働いているのだと、社会の仕組みを知ったとき
聖はまた電気もつかない知らない場所にポツンと独りぼっちにされたような気分になった。

「お茶が終わったら絵を描いてもいい?」

顔も名前も知らぬ聖の母親は、絵を描くことが好きだったと聞いたことがある。
譜久村家ではタブー視されている母親の話題だったが、家政婦は聖が悲しそうな顔をする度
ほんの少しだけ母親の事を聖に教え、そして聖のために作った小さな巾着袋や赤ん坊の頃を描いた聖のスケッチをこっそりと見せてくれた。

旦那様は捨てろとおっしゃったのですが、私には出来ませんでした。

初めてそれを目にしたのはいつだったか。
家政婦から渡された綺麗な色の風呂敷。聖は静まり返った部屋の中でそっと結び目を解く。
随分と使い込んでいたらしい小さな巾着はところどころが綻びており、汚れが目立った。
『みずき』と鮮やかなピンクの糸で刺繍が施されている。
丸みを帯びたその文字がいかにも手縫である『らしさ』を表しており、聖は堪らずその文字を指でなぞった。
瞬きを忘れた瞳からぽたりと涙がこぼれる。それはすぐに袋の生地に吸収されてしまったが
零れ落ちるそれは止まる事を知らず、次々と溢れ頬を滑り落ちた。

優しいお手伝いさんも、ブランドの服も使いきれないほどのお小遣いなんかいらない。私のお母さんに会わせて

もう、温もりも匂いも何も残っていない。
涙が滲むそれを胸に抱きながら声を上げて泣いた。

ただ寂しかった。本来愛されるべき人に愛されたかった。
ぎゅっと抱きしめて、頭を撫でてほしかった。
聖、と優しい声で呼んで欲しかった。
それだけでいい。たったそれだけでいいのに


 ――――――――――――!!!!!


その時。 
眼球を強い力で押さえつけられているような酷い痛みを目の奥に感じた。
あまりの激痛に息が詰まる。
古いビデオテープが高速で巻き戻されているような気味悪い音が頭の中で鳴り響く。
フラッシュバック。白黒の映像が目の前を矢継ぎ早に通り過ぎる。目が、回る。

 うぅっ……!!!

頭が割れそうに痛い。


 なに…これは
 誰…



 寂しくなったらこの袋を開けて
 魔法をかけた飴玉が入っているから
 ひとつ舐めるだけで聖は元気になれる


 あの女の子は私だ
 そしてその女の子の頭を撫でるのは


 ママはお仕事に行ってくるから
 あとはばあやの言うことをしっかり聞くのよ、聖


 ――― お母さんだ


「6時にお迎えの車が参ります。夕食の後、絵の時間にしましょう」

「はぁい」


聖は手を振りながら車に乗り込む。家政婦は目じりの皺を深くしながらそれに応えた。



『モノ』に触れると母との夢を見ることが出来る。
実際に起こった現実なのか、自分が作り出している幻想なのか聖には判断が付かない。
それでも聖は母にひと目会いたくて、少しでも近づきたくて、名前を呼んで欲しくて
手当たり次第に『モノ』を掴み母との夢を探した。
夢を見た後には決まって高熱が出る。それでも聖はやめることができなかった。


「出発しますよ」
「お願いします」

車が静かに発進する。微かな揺れに稽古道具が小さな音を立てた。

「おっと」

割れ物が入っている。聖はそれを膝の上に乗せた。微かに指先が車のシートに触れる。


「―――っ!!」


眼球を押さえつけられているような激痛。
ビデオテープの巻き戻される音。
フラッシュバック。目の前を通り過ぎる白黒の映像。


 ―――…駅まで送ってください。そこからは自分で行きます。もう切符は買ってあるので…はい、
 時間までは喫茶店でも探して過ごします…ありがとう…。この車に乗るのも今日で最後ですね…
 あの、聖のこと………聖のこと、どうか気にかけてやってください…
 きっとあの人は―――…おざなりにすると思うから…どうか、お願いします…


「あ。」

この車だ。そして運転手は…、紛れもない今目の前に居る老人だ。今よりも少し若い。
そして母は…疲れた顔をしている。大きなバッグを膝に乗せて、今にも泣き出しそうな顔で話している。



 ――― あ、あの喫茶店にします。ここからだと駅まで歩いて5分くらいですよね…―――、いいです、停めてください
 本当に本当にお世話になりました…おねがいします、どうか、どうか聖のこと―――――――――………


「…ねぇ、じい。あなたは私のお母さんを最後に乗せた?」


体が熱い。体中に流れる血が沸騰しているかのようだ。お茶の稽古も絵を描くことも今日はできなさそうだ。
意識が朦朧とし始めている。聖は浅く呼吸を繰り返しながら、静かに車を運転する老人に声をかけた。



「お願い、母を降ろした喫茶店に連れて行って…私が見ているのは、夢じゃなかった…」



聖の身体が大きく揺れ、ぐったりとシートへ倒れこんだ。