『■ ファーストアタック-鞘師里保- ■』


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



                           ←back          【index】       next→  




 ■ ファーストアタック-鞘師里保- ■

「やっぱり実戦ってうまくいかないや」
今まさに、空中高く放り投げた女をくるくるときりもみさせながら鞘師は
即座に自身の動きの反省に入っていた。
自分でも意外なほど緊張で力が入っている。
軽く地面に転がすだけのつもりがこんなに高く放り投げてしまった。
鞘師はむしろ自分の意外な人間らしさに感動すら覚えていた。
「怖い…私もちゃんと緊張できるんだ」
ぐしゃっ
嫌な音を立てて女がコンクリートに頭から叩きつけられる。
思っていたより、敵意の察知の精度が甘い。
稽古の時より技に入るまでの準備の余裕がない。
当たり前のことを一つ一つ確認して行く。
男が追いついてくる。
鞘師は角を曲がるとすぐに地面に伏せ丸くなる。
角を曲がってきた男が足元の鞘師に躓く。
そのまま男の脛と背が触れただけの状態を維持しながら鞘師が立ち上がる。
空中にはね上げられ泳ぐように空を掻く男の中指を掴みひねり上げ、そのまま投げた。
ぼきり。
指、肘、肩。
瞬間的に関節という関節が回外可動域いっぱいにねじり上げられ靭帯が破砕する。
肘と肩は脱臼しているはずだ。
男は悲鳴を上げない。
「痛くないのかな?いや我慢してるんだ…すごい」
そんな感想を持つ頃にはブロック塀を乗り越え、建物と壁の間の隙間を走り抜けている。
開いているドアに飛び込み、厨房をかけぬけて駐車場へ出、
そのまま反対側の路地へと走りぬける。
上手くまけた。
初陣にしては上出来なのかもしれない。

いや…まだだ…
あいかわらず殺意はない、が明確な敵意が鞘師を索敵しているのを感じる。
鞘師は土地勘のないゆえに避けがたいミスをしていた事に気がつく。
彼らは数で徐々に包囲網を狭めていく。
いずれは逃げ場のない場所に追い込まれ捕まることになる。
塀を乗り越えるのはいいアイディアだと思ったがどうやら相手にとってはそれも想定内だったようだ。

まだ昼間だ。大声を出せば助かるだろうか?
小学生の少女が悲鳴をあげて助けを呼べば、最悪誰も助けてくれないまでも目撃者は確保できる。
目撃者を恐れて引いてくれる…可能性は低そうだった。
もしそんなことで退くほど度胸がないか、もしくは慎重に事を運ぶつもりなら
鞘師がどこか宿に泊まるなり腰を落ち着けたのち寝込みを襲う方が確実なはずだ。
それをしないということは、見られてもいいから即座に自分を捕まえたい。
そういうことだ。

警察その他の公的機関に逃げ込む?
いやそれが出来るならじぃちゃまがそうしている。
そうせず東京へ逃がしたということはあとは言わずともわかるとじぃちゃまは考えていたはずだ。

高橋という人が自分を見つけるにしてもおそらくは
宿帳とかそういった自分の痕跡をたどってくるのだろう。
そう鞘師は考えていた。
探偵とか、なにかそんなようなひとの取りそうな動きを予測していた。
そもそも小学生一人で泊まれるような宿があるのか?とまではさすがに鞘師の知識では思いいたらなかった。
どの道この状況下ではあてにできそうにない。

そうなると、どうやってこの包囲から脱出すべきか…

まてよ?脱出する?
鞘師は状況をもう一度整理する。
自分は本当に追い詰められているのだろうか?
自分でそう思いこんでいるだけではないのか?
確かに自分には土地勘がない。
このまま相手に追われる方追われる方へ後手後手に動けば追いつめられる。
だが相手は「今現在の鞘師の正確な位置」など知らないのではないか?
土地勘があるがゆえに敵は鞘師を漠然とした面でとらえている。
自分たちが頭の中で勝手に描いた地図上で勝手に囲った檻の中にもう閉じ込めた気でいる。
だが、「現実の鞘師はまだ自由ではないか」
鞘師は大きく深呼吸をした。
落ち着く必要はない、興奮して当たり前だ、自分は普通の小学生なんだから、
「だが、水軍流は超人を作るための術理ではない。」
急にじぃちゃまの言葉を思い出す。ただ聞き流していただけのはずの言葉が鮮明に蘇る。
水軍流は凡庸の人間が凡庸の心のまま、凡庸な己を自由にするための術理だ。
足が震え、涙と鼻水にまみれ、腰を抜かし泡を吹き、大小便を垂れ流した状態でも十全に身を守れる、それでこそ技だ。それでこそ伝統だ。
それに比べれば今の自分は充分すぎるほど冷静だ。やれる。

精度が不十分とはいえ、鞘師の敵意に対する感度は充分実用の範囲にあった。
敵意を察知できぬ距離や場所の敵は鞘師に何ら害を与えられない。
一方鞘師に直接危険が及ぶ敵は必ず鞘師の方が先に察知できる。
そうだ…逃げる必要などない、追いつめているのは自分の方だ。

ここに至って状況に何の変化もないままに
狩るものと狩られるものは逆転していた。

鞘師の中だけで。

そう鞘師は「常識的」すぎた。
もっと「現実的」に警戒すべきだった。
つい先ほど見た、その光景、それはもしかしたら鞘師が生き延びるに当たっての判断を
より正確にするための超自然的な啓示であったのかもしれない。
だが鞘師はその啓示に気付けてはいなかった。
この世界には常識を超えた―忽然と目の前から消えることが出来るような―能力を持った人間が現実に存在するのだということに、考えが及んではいなかったのだ。
先ほどまで晴れていた空には暗雲が立ち込めていた…ひと雨来るのかもしれない…