狂犬は晦日に吼える(後)


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 …来るぞ。
獣化したジュンジュンが来るぞ。
パンダという愛らしい響きとは名ばかり。
黒と白。 陰と陽。 闇と光。
己の中の闇の獣性を白く輝く理性で抑えた大熊猫が襲ってくるぞ。

爪で切り裂かれ、牙で噛みつかれる。
早く戦闘態勢をとらなければと思うが、眼前の魔女は何の命令も下さない。
このままじゃやられちまう。
だが、しかし、それはそれでよいのではないか。
パンダの姿とはいえジュンジュンの素手で、ジュンジュンの口で己が体を責め苛まれるならばそれはそれでよいのではないか。
日本男子として生まれた本懐をここに遂げるのではないか。
よしっ、判ったジュンジュン。
おいで、優しくしてなんて言わないよ。
激しく責めておくれ。
そして、オジサンを食べて。

戦闘員のキモ過ぎる妄想は魔女の声で破られた。

「おい、お前どうしたんだ」

ジュンジュンの嗚咽が聞こえる。

「変われない。 獣化できない。お腹が空いたんだ。 このスーパーで夕食代わりに何か買って帰ろうと思ってたんだ。 それなにのお前らが」

クシュン、という可愛らしい音がした。

「あわわ、待ってろ。 今何か力が付くもの持って来てやるからな」

そう言い捨てると魔女はその場を後にしようとした。
だが何か思い出したのか、黒タイツの円陣に向かって声をかけた。

「判ってるとは思うが、テメーら絶対に振り返るんじゃないぞ。
もし振り返ったら…判ってるな。 アタシの拳は痛いぞ、とてつもなく痛いぞ。
それとお前、中国。 お前強いから大丈夫だとは思うけど、もしもこいつら三級戦闘員どもが変な真似をしたらアタシに言うんだ」

判ったな、と円陣の内外に声を駆けて足早に去っていく。

判ってはいる。
あの魔女の拳がとてつもなく判ってる。
リゾナンターとの戦いに敗れた八つ当たりで何回殴られたことか。
粛清に名を借りた私的制裁を何回喰らったことか。
判ってる、あの女の拳の痛さは身にしみて判ってる。
だが、しかしここで大人しく魔女の命令を守ってジュンジュンの裸身を人目に触れないように守り続けていていいのか。
俺は一体何の為に悪の組織に身を投じたのか。
いいのか、俺。
世の中の常識とかルールとか壊したいから悪の組織に入ったんじゃないのか、俺。
なのに今こうして組織の中の秩序を守らされて、そんなんでいいのか、俺。
あの時に抱いた志は何処に行ったんだ俺。
三級戦闘員ッたって、悪は悪。
見ちゃえよ。
魔女の言うことなんか無視して見ちゃえよ、俺。
わかるもんか、ちょっとぐらい。
どうせ黒タイツに紛れて誰が見たのか判りはしないんだ。
だから、見ちゃうよ、俺。
ジュンジュンの裸を見ちゃうよ、俺。

戦闘員の一人が悪魔の囁きに負け振り返ろうとした。 しかし次の瞬間、彼の心臓は止まった。

「フーン、アタシの命令を無視するなんてお前いい根性してるな」

魔女が立っていた。
バナナの房を抱えた魔女がそこに立っていた。
走ってきたのか、息を切らしている。

「いえ、あの、そのこれはですねえ。 命令を無視したのではなくてあの、その」

不埒な戦闘員は必死で弁解しようとするも、魔女の鉄拳制裁に恐れをなして、言葉にならなかった。

「…まあ、いい。 未遂に終わったから許してやる。 但し今回だけだけどな」

戦闘員に拳を食らわして、ジュンジュンが人目に触れることを防いでいる円陣が崩壊することを恐れたミティは穏便に済ませた。
そして、ほらよっとバナナをエンジンの中に投げ入れる。

「これで力つけてさっさと獣化しな。 そしてさっさと終わらせようぜ」

激励の言葉をかけたが、反応は返って来なかった。

「おい、どうしたんだ、おい。 中国、どうしたんだ」

「中国言うな」

ジュンジュンの声が漸く聞こえた。

「お前の気持ちはありがたい。 本当に嬉しい。 でも…」

「でも、何だ。 言ってみろ。 お姉さんに言ってみろ」

口ごもったジュンジュンにその先を促がした。

「ジュンジュン、バナナはそんなに好きじゃない」

「えぇぇぇっ」

予想だにしなかった言葉にミティが驚きの声を漏らす。

「いや、好きじゃないというのは違うな。 確かに前はとっても好きだったし。
いっぺんに七本ぐらい平気で食べてたし。 今でも好きダ。 でもそこまでバナナ、バナナっていうほど好きじゃない」

真実を吐露するジュンジュンに悪の天才科学者が賛同の意を示す。

「そうよねえ。 一度パブリックイメージが付いちゃうと中々そこから抜け出せないのよねえ。
私だって、そんなにお芋、お芋ってがっついてるわけじゃないし」

「お前は芋掘りでもしとけ」

訳知り顔の科学者を一喝した魔女は、ジュンジュンに尋ねた。

「なら、お前今何が一番食いたいんだ。 何食えば獣化できるんだ」

「いや、折角お前が買ってきてくれたんだ。 何とかこれを喰って頑張ってみるダ」

ミティの好意を無にしまいと、皮をむいたバナナを口に入れていくジュンジュンだったが、あまり食は進まないようだ。

「老婆心ながら、科学的見地から意見を言わせて貰おうか」

白衣のポケットに右手を突っ込み、出来る女を気取ったマルシェが話し始めた。

「確かに美貴ちゃんが持ってきたバナナ。 これには吸収されやすくエネルギー源になるブドウ糖が含まれている。
だからエネルギー源の補給としては申し分ない。 だけど今ジュンジュンが獣化できないのはむしろ動物性たんぱく質が足りていないからじゃないかな」

「動物性たんぱく質って肉のことか」

訝しげな表情で問い返すミティに頷きながら、マルシェは続ける。

「人間の姿のジュンジュンとパンダ態のジュンジュン。 この二つは同一のものだ。 なのに容積は明らかに違う。
これはパンダ態のジュンジュンが人間の姿に戻る際に、その筋肉や骨格を凝縮してるからだと思うんだ。 だけど… 」

「要するに、今ジュンジュンに獣化させるのに一番良い食い物は肉だってことだな」

長々と学術的な講釈を聞かされては大変だとばかりに結論を求めるミティ。
自分の見せ場を奪われたマルシェは不満そうな様子だ。

「ああ、だけどこれはあくまで一つの仮説であって…」

「ちょーお前とお前とお前、アタシについて来い」

ジュンジュンを囲む戦闘員の人垣の中で分厚い部分から三人ばかりを抜き出した。
そして彼らを誘って店内のある場所に向かった。
そこは冷凍食品売り場だった。
肉売り場に直行することも考えた魔女だったが、敢えて冷凍食品売り場に向かったのは、セコいからではない。

…やっぱりあった。

冷凍食品売り場にはワゴンが並べられ、その上に置かれたホットプレートの上では試食用に様々な冷凍食品が調理されていた。

…生肉食わすわけにはいかねえしな。 それに腹を膨らますには冷凍食品で十分だ。

ホットプレートで調理してるパートの女性に向かってミティは言った。

「この棚の商品はアタシが貰ったよ」

恰幅のいいパートの女性は、突然の成り行きに戸惑いながらも、毎度ありがとうございますと言った。
営業スマイルも欠かさない。

ミティはというと山盛りになったカートをレジまで運ぶよう戦闘員二名に命じた。
支払い用にゴールドカードを手渡す。
レジを通したらこっちまで戻って来るんだと念を押しながら。
そして、試食担当のパート社員に確認した。

「今そこに置いてある開けかけのパッケージ。 それは試食用だな」

ワゴンの上には解凍用のレンジや湯を張った容器に混じって、様々な商品が置いてあった。
パートの女性が、ええと頷くと間髪入れずに言った。

「あれだけの商品を買ったんだ。 そいつもアタシが貰うぜ。 それとさっきの商品もこっちで焼かせてもらうから」

言うなり開きかけのデミグラスハンバーグやサイコロステーキをホットプレートの上にぶちまけようとした。
しかしそれを阻むものがあった。
それは怒りに打ち震えたパートの女性の腕だった。

「ちょっと、お客様。 勝手な真似をされては困ります」

客に対する礼儀をわきまえながらも、無法は絶対に許さないという強い意志を覗かせていた。

「いいじゃんかよ。 いっぺんにあれだけの商品を買ってやったんだからケチケチすんなよ」

「それはまことにありがとうございます。 でも困るんです」

「それはレジを通したモノをもう一度店内に持ち込んで焼くのはマズイかもしんない。 でも腹を空かせて動けないヤツがいるんだ」

「それも確かに困りますが、ちゃんとレジを通していただいたのなら目を瞑ってここをお貸しします。
私が言ってるのは今あなたがなさろうとしていることでございます」

「なさろうって、アタシはただ肉を焼こうとしてるだけじゃないかよ」

融通の利かないババア!!という思いを視線に込めて視殺しようとしたミティだったが、そこは海千山千のパートのオバハン。
全く動じることがなかった。

「よく見てください。 そのホットプレート。 商品ごとに使うものが決まってるんですよ」

確かに何台かのワゴンの上には全部で三つのホットプレートが載せられていた。
よく見ると鉄板の形状も平坦なものや、溝つきのものがある。
その上で調理されている商品も違うようだった。

「いいじゃんか、そんなに細かいこと言わなくたってよぉ。 どうせ肉なんて焼いて食っちゃえば同じヒィィィィ」

気がつけばパートの女性の掌がミティの頬を打っていた。

「な、何すんだ、オバハヒィィィ」

「何すんだって? それは私のセリフだよ。 あんた、一体何て言った」

「だから肉なんて焼いて食っちゃえば同じヒィィィィ」

「それは違う。 あんたとんでもない思い違いをしてるよ」

怒りのあまり語気を乱しながら、それでも懸命に冷静さを取り戻そうと努めている。
そして深く息を吸い込むと話し始めた。

「あんたそもそも牛や豚や鶏は人間に食べられる為に生まれてきたと思ってるんじゃないか」

いえ、流石にそこまではと反論しようとしたミティだったが、女性の腕がビクっと動いたのを見て反射的に黙ってしまった。

「それは確かに食肉用の家畜として育てられている動物が私たちの口に入る。 それは事実だよ。
でもね、そうして育てられている牛や豚や鶏が自分たちは人間に食べられるのが一番の幸せだなんて思ってると思ってるのかい、あんた」

「ええとですね、それはやっぱり」

慎重に言葉を選んで返事しようとしたミティの気持ちを知ってか知らずか、パートの女性は話し出した。

「それは私だって牛や豚としゃべれなんかしない。 だから牛たちの本当の気持ちなんかわからないよ」

だったら長々と言うなよ、オバハンと知らず知らずのうちに呟いていたようだ。
女性の顔が再び険しくなっている。
ミティは慌てた。

「そうでしょうとも、そうでしょうとも」

女性の機嫌をとろうと無意識の内に揉み手まで始めている。
気を良くしたのか女性は話を続ける。

「でもね、肉牛だって生き物なんだ。 養鶏場の鶏だって生き物なんだ。 みんな生きたいって思ってる筈なんだ。
いや家畜たちはそんなことは思ってはいないかもしれない。 ただ生存本能に従って生きているだけなのかもしれない。
そんな動物たちを食べて私たちは生きている。 私たちは動物の命を頂いて生きてるんだ。 罪深いことにね。
だったら私たちは出来るだけ無駄なく命を頂かなくてはいけないんだ。 できるだけ美味しくいただかなきゃいけないんだ」

これは拷問だ。
早く解放されたいと思っていたミティは、そうだろうと同意を求めるパートの女性に頷いていた。

「ええ、そうですね」

「だったらこのホットプレートをご覧。 ハンバーグみたいにソースを素材に浸み込ませるのが目的のもの。 
サイコロステーキのように肉の香りを出切るだけそのまま生かしたいもの。 その商品ごとに使い分けてるんだ、それをアンタは…」

「すいません、すいません」

ここは取り合えず頭を下げといたほうが勝ちだ。
そんなミティを見つめながらパートの女性は頭に乗せていた紙製のキャップを外し、エプロンの紐を解いた。

??狐につままれたような思いで女性を見つめるミティ。

女性は寂しげに笑うと話し出した。
その声は先ほどまでとは違って、消え入りそうなぐらいにか細かった。

「…でもあんたたちジャンクフード世代にはこんなオバサンの考えは古すぎるよね」

慌てて首を振るミティの手を自分の手で包みながら話しかける。

「頬をぶってゴメンよ。 お客様に手を上げるなんて販売員失格だね。 でも、私の言ったこと覚えていてくれると嬉しいな。 
そしていつかあんたが結婚して旦那さんの為に、子どもさんの為に料理を作るときに思い出しておくれ」

言い終わると背を向けて去ろうとする。

「ちょっと、ちょっと何処へ行くのさ」

「老兵は死なず、ただ去り行くのみってね。 そのホットプレートはあんたに譲るよ。 あんたの好きなように使いな」

「悪かった。 アタシが悪かった。 だから考え直してくれ。 去るとかそんな寂しいことは言わないでくれ」

気がつけば周りの目も気にせず、床に膝をつき土下座をしていた。

「でも、私はあんたを殴ってしまった。 お客様に手を上げてしまった。 そんな私がこのまま」

「有りがたかったよ。 まるで母ちゃんや祖母ちゃんに説教されてるみたいで、身に染みたよ。 だから止めるなんて言わないでくれったら」

ミティの懇願を聞いた女性はニコっと笑った。
その口には金歯が光っていた。
そして紙のキャップとエプロンを付け直すと、服の袖を捲り上げて気合を入れた。
女性の二の腕は、ミティの胴体と同じくらいの太さだった。

「何を焼けばいいんだい。 オバさんが腕によりをかけて焼いてやるよ」

数十分後、調理されたハンバーグやサイコロステーキで満たされたトレイを持ったミティの姿があった。
商品の解凍や調理を手伝った為に、自慢の漆黒のドレスは湯せん用の湯や肉汁で濡れていたが、そんなことは気にもならなかった。

あいつら、マルシェやジュンジュン、戦闘員どもは何処に行ったんだ。
彼らが待っているはずの場所には誰もいなかったのだ。

まさか、帰っちまったってことは無いだろうが。

そう思いながらそれなりに広い店内を探索したミティは見覚えのある黒タイツの集団を見つけた。
奴等は弁当や寿司の販売コーナーの前に群がっていた。
カッとなったミティは罵声を浴びせながら、そちらに向かった。

「テメーら、勝手に姿を消しやがってどういう了見だ、一体。 マルシェや中国はどこに行った」

戦闘員は黙ってある方向を指差した。
弁当コーナーの奥には厨房があって、ガラス越しに見えるような構造になっている。
その厨房の中にジュンジュンとマルシェがいた。
何やら楽しげに話している。

あいつら、人が散々…。

腹立たしく思いながら厨房への入り口を探したミティは金属製で観音開きのドアを蹴り開けた。

!!そこには肉の壁が立っていた。

「お、お前は一体」

「お客様、困りますね。 厨房への立ち入りは禁止させていただいてるんですが」

調理用の白衣を身に着けた男が目の前に立ちはだかっていた。
その横幅はミティの視界の半ばを隠すぐらいに広かった。
要するにデブっていた。

「中にアタシの連れがいるんだ。 だから行かせろよ」

腕がトレイで塞がっていなければ、こんなうすらデブ吹っ飛ばしてやるんだけどな。
先刻からの受難の数々がミティの視線を狂犬のそれにしていた。
しかし、当の白衣の男はといえば、勇敢なのか鈍感なのか、ミティの要求を鼻で笑った。

「ああ、あの人たちね。 マルシェさんはフランス人。 ジュンジュンさんは中国の方。
詳しい事情は知らないが、当店の厨房を見学されたいとおっしゃってね。 二人とも礼儀をわきまえた人だよ」

あんたみたいなアバズレとは違ってなという侮蔑を言外に滲ませている。

「だ~か~ら、アタシはあの二人に用があるんだって。 だから行かせろよ」

このアタシに何度同じこと言わせるんだ。 声も険しいものになっている。

「この厨房に入るには衛生管理の為に従ってもらわなければならない規則があるんだ」

男が指差した壁を見ると、そこには手洗いから始まって、異物混入防止用の粘着ローラーの使用や靴の履き替えなど様々な事項が並んでい

た。

「マルシェさんは最初から白衣を持参してこられたし、ジュンジュンさんには見学者用の使い捨てのコートを着てもらっている。
二人の頭には髪の毛混入帽子の為のヘアキャップまで付けてもらった。 厨房に入るにはそこまでしてもらわなきゃね」

理不尽な怒りがミティを侵し始めていた。
しかしそれでも必死に堪えて、男に言った。

「だったら、ヘアキャップと見学者用のコートを出せよ。 着てやるから」

このア・タ・シ・がな!!

「それが生憎と見学者用のコートの在庫は切れちゃっていてね」

ブチッと何かが切れる音がした。

「最後に確認しておく。 このアタシをどうあっても厨房の中へは行かせないっていうんだな」

「くどいな、あんたも。 例え誰でも衛生規則は守ってもらう。 いやっ」

男の様子が少しだけ変わった。

「いやっ、一人だけ例外がいるな。 そんなことは有り得ないけど、もしあんたがまゆゆだったらノーチェックで厨房に入ってもいいよ。
だって、だって、まゆゆは人間じゃなくてCGなんだから。 あのカワイさ現実なんかじゃありえな~~い」

ミティの右足が躍った。
後頭部を刈られた男はそのまま前のめりに倒れた。
腹がクッションになって幸いにも頭が床に直撃するという事態は避けられた。

「地下に戻りやがれ、このアケカスヲタが!!」

失神した男に吐き捨てると、厨房のへの二重扉を蹴破ろうとした。
しかしその努力は空振りに終わった。
扉が向こうから勢いよく開かれたからだ。

「おわっ」

飛びずさって扉の直撃は避けたものの、手にしたトレイからダメ押しとばかりに肉汁を浴びてしまった。
怒る気力もなく扉を開いた方を見やると、そこにはやがりというべきか満面の笑みを浮かべたマルシェがいた。

「オメーな・・」

力なく話しかけるミティに対して、マルシェは上機嫌そのものだった。

「美貴ちゃん、遅かったねえ。 一体何処へ行っていたのさ」

「そういうお前こそ…」

「あんまり美貴ちゃんが戻ってこないから、ジュンジュンに餃子の包み方を教わっちゃったよ」

「へっ」

あまりのことに気が抜けてしまったミティが二重扉のガラス窓越しに厨房の中を眺めたら、餃子を並べているジュンジュンの姿が目に入った。

「いやあ、流石にジュンジュンは本場仕込みだねえ。 手際が違うねえ。 たかが餃子つくりとはいえ奥が深いねえ」

そんな言葉を口にしながら、マルシェの手は餃子の餡を皮で包む作業を再現している。

「有意義な時間だった。 この餃子の包み作業を機械でどこまで再現できるか。 これは実にやりがいのある研究テーマだねえ」

「お前、ジュンジュンの毛皮でもふもふはどうな…」

「ああそういえばそんなことも言ったっけね。 でも残念ながら新しい研究テーマが出来たことだし、暫くは研究室に泊り込みだから」

だから、もふもふはお預けだね、と言いながら足早にマルシェは去っていった。 少しでも早く研究室に戻りたいようだ。

「どうすんだよ。 こんなに焼いちまったのによ」

頼りない足取りで厨房に入っミティにジュンジュンは優しく微笑んだ。

「悪かったな。 でも早く餃子を作ってリゾナントに持って行ってやりたかったから。 ところで私たち…」

戦うのか、というジュンジュンの言葉にミティは力なく首を振った。

「とてもじゃないが、そんな気にはなれないし。 こっちの方こそ悪かったな。 足止めしちゃってよ」

「いや、リゾナントの皆とは違うけど、騒がしくてたのしかったぞ」

「…ならいいんだけど、な」

力なく調理済みの冷凍食品が山積みのトレイを調理台に置いた。

「それ、そんなにどうしたんダ」

「まあ、色々とあってな」

と言いながらジュンジュンの前に押しやる。

「良けりゃこれ持って帰るか」

「ありがたい、でも餃子も調子に乗ってたくさん作ったしこんなには持って帰れないな」

ああ…と力なく呟くミティを見ながらジュンジュンは言った。

「私にいい考えがある。 こんな時はわけわけするんだ」

そう言いながら菜箸を使って、ハンバーグや唐揚げ、サイコロステーキに餃子を器用に取り分けていく。

「私の餃子は美味しい。 自分で言うのもなんだけどな。
でもリゾナントには肉好きがそろってる。 餃子ばかりでも飽きられる。 だからこの料理みんな喜ぶと思う」

ありがとう、と言いながら持参のタッパーに取り分けた料理を入れるとその一つをミティに差し出した。

「ほら、フライパンぐらいあるんだろ。 少しぐらい焦げたって上手いぞ」

「えっ」

ジュンジュンの好意に驚いてしまった。

「でも不思議だな」

帰り支度を整えながらジュンジュンは話しかける。

「わたし日本に来たばかりのころ、だれかと何かを分けたりだれかに何かをおくったりすることなんて頭になかった。
自分のものは自分のもの。 そう思ってた。 だからバナナとか、ペットボトルとかリゾナントの冷蔵庫に入れさせてもらう時自分の名前を書いてた」

恥ずかしげな笑みを浮かべている。

「ある日冷蔵庫に入れてたわたしのバナナが無くなったことがあったんだ。 許せなかった。
人のものを盗むなんて泥棒だ。 そんなやつは仲間じゃないと思った。 でもわたし違ってた。
わたしのバナナを盗ったのは光井さんだった。 でもそれはわたしの誕生日にバナナケーキを作ってくれるためだったんだ。
手作りのケーキなんて初めてプレゼントに貰ったよ。 とても美味しかったし嬉しかった。 そのときからわたし少しずつ変わってった」

「おい…」 

ジュンジュンの思いがけない独白は魔女を戸惑わせてしまう。 これ以上聞いてはいけないんじゃないかと。

「うれしいな。 だれかに何かをあげるの。 その人が笑ってくれるのがとても幸せなんだ。私の作った餃子を美味しいと言ってくれる。 
とても幸せだ。 8つの笑顔は何よりも大切な宝物。 いや、知らない間に笑ってる私の顔も入れたら9つの宝物」

荷物をまとめたジュンジュンはミティに頭を下げた。

「だから今日もこんな風にわけわけできたの、ジュンジュンとても幸せダ」

「なあ、おい」

厨房を後にしようとするジュンジュンを呼び止めた。

「悪の組織の人間がこんなことを言うのはおかしいが…」

言葉が続かない。

ジュンジュンは黙ってミティの口元を見つめる。
これ以上足止めするわけにはいかない。
言葉を振り絞る。

「氷の魔女と呼ばれたアタシが言えた義理じゃないけど、良いお年を」

ジュンジュンの顔がほころんだ。

「ああ、あんたもな」

ジュンジュンは去っていった。
どっと疲れが来たミティは近くにあったパイプ椅子に腰を下ろした。

何か疲れたねえ、一人たそがれているとガヤガヤと騒がしい声がする。

「イ、イィィー(ミティ様、第二弾焼けました)」
「イィィー(第三弾も間もなく)」

あちゃー、思わず額を押さえてしまった。
大量に買い占めた冷凍食品を一度に調理することは出来なかったのだ。
だからとりあえず第一弾を自分が持ってきて、後は追々戦闘員たちに持ってくるよう命じていたのだった。

今更返品するってわけにはいかないしねえ。
人のよさそうな販売員のオバハンの顔が思い浮かぶ。

「そいつは持って帰ってお前らが食っていい。 ここにジュンジュンの手作りの餃子もある」

冷酷な魔女から飛び出した予想外な言葉に驚いたのか戦闘員たちが固まってしまっている。

え、ここ感激するところじゃないの。 何この戦闘員たちバカなの。

テメーらという罵声が口をつきそうになるが、今しがたジュンジュンの言ったことを思い出した。

「アタシのおごりだ。 ビールも買ってけや。 しけたアジトでしけた顔ぶれで新年会としゃれ込もうや」

但し、ビールは最初の一本だけで後は発泡酒な、という魔女の念押しは戦闘員の歓声にかき消された。

「イーーーッ!!(ミティ様万歳!!)」
「キィィーーッ(ミティ様に幸あれ)」
「イィィーー!(ミティ様は巨乳!)」

口々に囃し立てて料理を掲げて去っていった。
ミティはというと一人寒々とした厨房に残っている。

なあジュンジュン、いや李純さんよお。
テメーの言ったことはとんだ嘘っぱちじゃねえか。
あいつらにくれてやったって、アタシ何にも嬉しくないんですけど。

そう呟くミティの顔には何ともいえない笑みが浮かんでいた。

まあこれにて一件落着ってことで、と厨房を後にしようとしたミティだが、足元を何かにすくわれてつんのめってしまった。
転倒は避けたものの、カッとしたミティの目の先には肉の塊りがいた。

「許せな~い。 何であんなにカワイイまゆゆが5位なんだ。 大手プロダクションの陰謀だ。 許せない」

ミティに衛生管理を説いた白衣の男がそこにいた。
手には異物混入防止用の粘着ローラーを手にしていた。

「オメー」 

噛み付こうとしたミティだったが、男の只ならぬ様子に言葉を失ってしまった。

そんなミティに男が迫る。
粘着ローラーを手に男が迫る。

「許せないんだ。 衛生管理の規則を破っていけないんだ」

ブヨブヨに膨れあがった身体だ。

「この粘着ローラーでコロコロしなくちゃいけないんだ」

戦えば勝つことは判りきっている。

「コロコロするのは僕の役目なんだよ」

でもアタシの腹の底から湧きあがってくるもの、それは

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

何年ぶりか、あるいは生まれて初めての悲鳴を上げたミティが過去最大の危機をどうやって逃れたかはまた別の話だ。
戦闘員に預けたゴールドカードで散在をされてしまったミティがその支払い金額に目を剥いたのは少し後の話になる。